ドクターズ・プロファイル   作:日名内 修

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グラベル -瓦礫と宣誓-

 彼女の主は、英雄ではない。

 尊き血を継ぐ貴族でも、民衆に道を示す誇り高き指導者でもない。

 当然、一国の王でも反乱軍のリーダーでも組織の首魁でもなく、有象無象がひしめく、箱船の歯車の一つに過ぎないのだ。

 それも、自身の記憶さえない、ひどく曖昧で危うい立場である。だからこそ、賢しい野次馬達は彼女の選択に首を傾げて噂する。

 

「あいつは何を企んでいるんだ?」

 

 そんな世迷い言を知ってか知らずか、彼女はたまに主の側に現れるとき、周囲のオペレーターにだけ分かるようにいたずらっぽく微笑んでみせる。

 

――グラベル。カジミエーシュの騎士が忠義を誓ったその理由は、彼女の主ですら知らない。

 

 

『Gravel(グラベル)―瓦礫と宣誓―』

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 出会って数秒でけたたましい言葉の応酬になる龍門の警察高官に、故郷さながらの寒風が吹きすさぶような冷戦状態になるイェラグの兄妹。即殴り合いに発展するループス族の二人など、ロドスの平穏を保つために引き合わせてはならない組み合わせはいくつも存在する。

 そのなかでも最も面倒で、誰も仲介できない二人が医療棟とデッキの境でにらみ合っていた。 

 

「やぁ、ケルシー。シエスタのお土産を買ってきたんだ。受け取ってくれるかな?」

「いらん。それよりも、数人のオペレーターが少々トラブルを起こしたようだが……。お前は何か報告を受けているのか?」

「ん? 会場で大暴れしたペンギン急便の連中のことかい?」

「違う。ロドス直属のオペレーター達のことだ」

「あぁ、そっちのことか。いつもの小競り合いだろう。血気盛んな連中だから、ある程度は大目に見てやらないと」

「……小競り合いか。なぜかその後にシエスタのご令嬢と護衛がロドスを訪問してきて、あまつさえ入社したいと申し出てきたんだが。これは『小競り合い』に関係ないのか?」

 

 侮蔑するような目線を向けるケルシーに、ドクターは「まいったなぁ」と頭を掻く。端から聞くと、ただの冷え切った夫婦のような会話だが、紛う事なき、ロドスの首脳たちの口論である。生半可な地位の人物では、言葉を遮ることもできないだろう。

 そうは言ってもドクターもケルシーも最低限の分別は理解しているのか、人がいない時刻と場所を選んでいる。向き合った二人の背後には、がらんとした通路がどこまでも続いていて、人の気配はどこにもなかった。

 ただ、彼らの近衛達を除いて。

 

「……ドクターの旗色が悪い。今日も、ドクターの負け。だから、レッドの勝ち」

「あらあら、赤ずきんちゃん。それは暴論じゃないかしら」

 

 少し離れた場所で両者の懐刀が、壁に背中を預けて様子をうかがっている。レッドはむっとした顔で、中腰になっているグラベルを見下ろした。

 

「ピンクのご主人は、ドクター。レッドは、ケルシー。ならケルシーの勝ちは、レッドの勝ち」

「あたしたちが争ったってしょうがないでしょー」

 

 ロドスの上位オペレーターですら震え上がる『赤い死神』に、グラベルはのんびりとした口調でツッコミを入れた。これでも当初は、とんでもない警戒心を向けられていたのだが、ドクターがケルシーに絡む度に顔を合わせるため、いつの間にか近衛同士もなぁなぁな付き合いになってしまっていた。

 

「なんで、ドクターはケルシーにすぐに話しかける? いつも、負けるのに」

「さぁ~。なんででしょうね? もしかしたら、勝ち負けが目的じゃないのかもしれないわよ?」

 

 質問に質問で返され、レッドが首を傾げる。ちょうどそのタイミングで、ドクターが振り返り、グラベルの名を呼んだ。

 

「グラベル! 私たちはシエスタで何をしていたっけ?」

 

 グラベルはふっと口元に笑みを浮かべ、座っていた場所から溶けるようにいなくなる。その一瞬後、真っ黒いドクターの背後からするりと薄紅色の影を現した。

 

「えぇっとー、ドクターがグラスゴーの黄色いクマちゃんにフラれた後は、私とバーで飲んでたわねー。すごく良い雰囲気だったから、気付いたらもう随分時間が経っちゃってたの。でもね、そのあとドクターってば、浜辺で社長さんとイチャイチャしてたのよー。ちょっと前までは、あんなに私に釘付けだったのに。ひどいと思わない? ケルシーセンセー」

「……いや、そこまで具体的に説明しなくていいから。あと誇張表現がひどいぞ」

 

 自分の背中から、顔を半分だけだしてクスクスと笑うグラベルにドクターは少し慌てたように訂正する。そんな二人の様子に、ケルシーは呆れたよう額に手を当て小さく頭を横に振る。

 

「たとえ本当であっても、お前の息のかかったオペレーターの言葉を信用できるわけないだろう」

「おいおい、信用してくれよ。私の一存で近衛を選べるわけではないんだからさ」

 

 ドクターが気付いてるのかは定かではないが、グラベルには分かっていた。この場で未だにひっそりと息を潜めているのは、全部で3人。ケルシーの背後に赤い影、遙か先の廊下の突き当たりに長い銀髪がこちらの様子をうかがっている。対して、グラベルの後ろには恐ろしい「亡霊」が控えている。

 その誰もに敵意はないものの、暗殺者特有の触れると血が噴き出すピアノ線のような、ピンと張り詰めた空気が漂っていた。

 自然とピリついた空気に嫌気がさしたのだろう。ケルシーとドクターが同時にため息を吐く。ドクターはへらっと笑って、ケルシーは再び睨み付けた。

 

「別に掘り下げて問題にする気はない。詳細はアーミヤから報告を受けているしな。ただ、確認したかっただけだ」

「そうかい! じゃあ、これで一件落着。一杯どうだい?」

「私は忙しいから、後ろの騎士様と飲んでこい」

 

 そう言って踵を返す。その刹那、鋭い緑色の瞳とグラベルの視線が交わった。

 

――私は、決してお前たちを信じない。

 

 宙ぶらりんになった手土産を虚しく差し出し続けるドクターの後ろで、グラベルは主と似たヘラリとした笑顔をケルシーに向ける。

 コツコツと音を立てて遠ざかるケルシーの背中を見送るドクターの若干、肩が落ちた後ろ姿を支えるように、けれども決して触れないようにグラベルは立つ。

 

――威厳があるわけでも、スマートなわけでもない。貧乏くじばかりで報われることも少ない。

 

 そんな主の背中を、グラベルは少しだけ眉を下げなら微笑んで見つめていた。

 

 ◆

 

 グラベルの主は、高潔な人間ではない。どちらかといえば、俗っぽくて貧乏くじを引きがちな人種だ。たとえば、毎日山のように送られてくる報告書に目を通して徹夜することは当たり前。その後、行動作戦がなくても会議や視察、さらには年少オペレーターたちの先生役と予定に振り回されている。たまに、それらの負担が重なると悲惨なことになる。

 

「ドクター、おはよう~。寝るときはちゃんとベッドで寝た方が、疲れが取れると思うわよ」

「あぁ、そうだね……。ところで、この惨状はなんだい?」

 

 突然、気絶したように動かなくなったドクターがタオルケットを肩にかけたまま、のっそりと起き上がる。そして、それを当然のように間近で出迎えたグラベルに問いかけた。

 当然の質問だ。ドクターの執務室の半分が黒焦げのうえ、ドクターの真後ろには半べそをかいたイフリータがペタンと床に座り込んでいた。隣には困った表情を浮かべているフロストリーフもいる。

 

「……随分と派手なドッキリだな」

「ごめん、ドクター。授業の時間になっても来なかったから、入らせてもらったんだけど――」

「それから先はイフリータから聞こうか」

「いや、だってドクターが悪いだろ! オレサマたちとの約束に忘れて寝ちまってたんだから! だからちょっとイタズラしてやろうと思って――」

「ドクターは毎日忙しいんだから。しょうがないだろう」

「――そうか、もうこんな時間だったか。悪かったね、フロストリーフ、イフリータも」

 

 ドクターは二人に向かって頭を下げた。フロストリーフは「ドクター」と諫なめるような声を上げ、イフリータはなぜかバツの悪そうな顔をした。

 

「もしよければこれから授業を始めようか。時間は大丈夫か?」

「……怒らないのかよ」

「ああ、きっかけは私だからな」

 

 イフリータが“イタズラ”の火力を間違った結果、執務室の半分を炎上させたのをグラベルは一部始終見ていたし、ドクターもとっくに気付いているのだろう。唇を噛んで見上げるイフリータの肩を軽く叩き、ドクターは部屋を出ようとする。

 

「わ、悪かったよ! もうかなり力の制御ができるようになったと思ったし! 」

 

 慌てた口調でドクターの白衣の裾を掴み、イフリータは言う。

 

――きっと、自慢したかったんだろうなぁ。

 

 グラベルはその様子を眺め、ぼんやりと考える。イフリータは以前も執務室を燃やして、それ以降は訪問することはなかった。

 

「もっと制御できるまで、来ないから」

 

――来たかったんだろうなぁ。

 

 顔を伏せるイフリータに、グラベルは思う。ドクターは、くるりと振り返るとポンッと頭に手を乗せる。

 

「今度、私が寝ていたら、こうして起こしてくれ」

 

 一瞬、その言葉の意味が分からなかったのだろう。イフリータが上目遣いでドクターに向ける瞳は、困惑したように白黒した。だが、すぐに気付いたイフリータの瞳はパッと輝いて「しょーがねーな!」と笑う。

 そしてドクターの背中を追い越して走り出す。

 

「あ、でも今日のことはサイレンスに報告するから」

「えー! ちょっと待ってくれ!」

 

 ドアが閉まる寸前に聞こえた二人のやりとりに、グラベルはくすりと笑い、デスクの上に目をやる。そこにはタオルケットが雑に畳まれていて、その上に「サンキュー」と書かれたメモ紙が置かれている。

 それを拾い上げたグラベルは、少し口元を持ち上げて音もなく姿を消した。

 

 ◆

 

 主が曇天の空を見つめていた。

 周囲には敵の死体が転がり、傷だらけのロドスの隊員達が走り回っている。ドクターやアーミヤは、激闘を繰り広げた白うさぎの遺体を囲んでいた。

 凍傷や裂傷でボロボロになったグラベルは、上層部のやりとりが聞こえないところで自分で応急措置をしている。

 

「グラベルさん、大丈夫ですか!? 医療班の増員が到着しました! こちらで治療を受けてください!」

「ありがと~。でも平気だから、気にしないで」

「安心してください! 重傷者はガヴィルさん以外のオペレーターが担当するので!」

 

 笑顔で言うハイビスカスの背後で、「おい、ハイビス! それはどういう意味だ!」とガヴィルの声が響き、さざ波のような笑いが周囲から湧き起こる。

 

「まだ、私には仕事が残っているから。戻れないわ」

「そうですか! じゃあ、私がここで応急措置をしますね!」

 

 チラリとドクターの横顔を伺うグラベルの横で、ハイビスカスが座り込んで、半ば無理矢理、腕に消毒液ぶっかけて包帯を巻き始める。

 ズキズキと痛む手足が、なぜかむずかゆい。理由は分かっていた。それは、後悔だ。

 

――守れなかった。

 

 いくら戦闘中で意識が散漫になっていたとはいえ、足元が崩れ、敵の首魁とともに主を閉じ込めてしまうなど近衛失格だ。

 そして、帰還した際のドクターが白うさぎ――フロストノヴァを抱きかかえていた時の目の色は、今まで見たこともないような、悲哀とゾッとするような覚悟が滲んでいた。

 どんなやり取りをしたのだろう。何を託されたのだろう。グラベルは自分には分かりようもないし、恐らく今は分からなくても良いことだと理解はしている。

 だが、一つだけはっきりと言えることがある。

 

――主もまた、守れなかった。救えなかったのだ。

 

 ドクターは絶対的な存在ではない。誰かの支えにはなれても、すべてを救える力はない。それを痛感したのは、きっと今、フロストノヴァを囲む面々と彼らの距離がオペレーター。そしてもちろん、彼ら自身なのだろう。

 グラベルの薄い紅色の瞳に映る主の姿は、いつになくぐらついて見えた。

 

 ◆

 

 シエスタから離れた後も、怒濤の日々が過ぎた。ウルサス、龍門、サルカズ、数々の陰謀詭計に協定破棄や戦闘、戦争。渦中のロドスはなんとか平常を保ってはいる。フロストノヴァの件で、大きくぐらついたように見えたグラベルの主も、特にいつもと変わらず過ごしているようだ。

 そんなある日の昼下がりのことだった。

 久々の澄み渡るような青空。待ってましたと言わんばかりにデッキいっぱいに干された真っ白なシーツが、パタパタと風に揺られてはためいている。その先端に立ち、ドクターはぼんやりと空を眺めている。グラベルは、シーツの影に隠れ、じっとその姿を見守っていた。

 ドクターは時々、こうして喧噪から離れて空を見上げる。それはたまに星空だったりするが、一体、何を考えているかはグラベルにも分からなかった。

 それだけではない。グラベルにとって、ドクターは謎だらけである。出自、経歴、思想の全てが闇の中だ。

 

――それでも、誓った。

 

 カジミエーシュで仕えた貴族や家族たちとの任務とは違う。自身の言葉で、心からの誓いを立てた。騎士としての立場も半ば捨て、ドクターに身を捧げた。

 その理由は――。

 

 きっと少し、のんびりとすぎた空気にやられていたのだろう。一瞬、風が強く吹き、シーツがバタバタと音を立ててはためいた。視界が一瞬、真っ白に染まる。

 

「ドクター!」

 

 コンマ1秒にも足らない、ほんのわずかな時間。それでもグラベルが焦るには十分すぎるほどの時間だった。

 慌ててシーツをどけて声を上げたグラベルに、ドクターはゆっくりと振り返る。

 真っ青な空を背景に、黒い姿が吸い込まれてしまいそうな気がして、グラベル思わずドクターの服の裾を掴む。

 

「どうしたんだい。らしくないな、髪が乱れているよ」

「……いーえ、なんにも」

 

 いつものように飄々とした様子のドクターに、グラベルはぱっと手を離して目線を外した。まずい、顔が赤くなっているのがバレてしまう。

 

「……そうか」

 

 そんな心情を知ってか知らずか、主はくるりと踵を返す。

 耳をかすめる風音。パタパタとはためく、シーツの音。久方の穏やかな時間。少し、間を置いてドクターが「そういえば」と会話を切り出した。

 

「グラベルもそろそろ、新しいプロファイルをつくってみないか?」

 

 ドクターの足元から、ひょっこりと頭をビデオカメラに改造されたミーボが姿を現す。

 

「う~ん。ドクターとデートできるなら大歓迎なのだけれど。暗殺者が映像に残るのはまずくないかしら」

「それはやりようだろう」

 

 ずっと側にいるから分かる。アーミヤやケルシーほど極端ではないが、ドクターも相当な頑固者だ。多分、簡単には諦めてくれないだろう。

 少し、グラベルは顎に指を置いて考え、ふいに人差し指を一本立てた。

 

「あっ、そうだ。ドクター、それじゃあ、5分だけあたしの騎士ごっこに付き合ってくれるかしら。それを撮ってちょうだい」

「5分? いったい何を――」

「いいから、ほらこっち向いて」

 

 グラベルはドクターを半ば無理矢理、くるりと自分と向かい合わせる。そして、片膝をついて二本の愛刀をデッキに静かに置き、少しだけうつむいて、目を閉じた。

 

 

「我がカジミエーシュ騎士の名と、真名であるセノミーは主の命に背かず、いかなるときもお仕えし、忠誠を誓うと誓約申し上げますわ」

「――グラベル」

「どうか、許すとおっしゃってください」

 

 いつもの口調とまるで違う厳粛な雰囲気に、ドクターが少し思考を巡らせたのを察した。

 期待と、ほんの少しの不安が入り交じる。

 誘拐され、普通ではなくなった日。傲慢な権力者、矜持の朽ちた騎士団、泥水をすするような日々と真っ赤に染まった両手。まっとうな騎士ではない。それでも、この人のためにこれまでがあったのだと、そう思えた。

 一瞬の静寂。その後、片膝に置いた手のひらをそっと握られる。思わず目を明けると、中腰になってこちらを覗き込むドクターの顔が間近に見えた。

 

「ああ、よろしく頼むよ。セノミー」

「――はい」

 

 短い返事は、爽風に吹かれどこまでも続く青空へと運ばれていく。けれど、それでも主の言葉はずっと耳の奥で響いていた。

 

 ◆

 

 彼女の主は、英雄ではない。

 尊き血を継ぐ貴族でも、民衆に道を示す誇り高き指導者でもない。

 当然、一国の王でも反乱軍のリーダーでも組織の首魁でもなく、有象無象がひしめく、箱船の歯車の一つに過ぎない。

 情けない姿をさらすこともあるし、貧乏くじを引くことも多い。救えずに散らした命も少なからずある。おとぎ話や伝説の主君とはまるで違う。

 でも、そのようなことは騎士には関係なかった。騎士の誓いを宣誓した理由はあるけれど、まだ、秘密。でも、それはさして重要ではないのだ。

 

 いつも苦悩し、運命に振り回され、それでも前を向いて闇の中に光を見いだそうと足掻く主を守る。それだけで、あの日、夢に見た騎士よりも尊いことだと思えたから。

 

 




最初にプレイしたときから、ずっとお世話になり続けているグラベルさんのお話でした。
最初はヤベーやつかと思っていたら、まさかの…。という展開で、衝撃を受けた覚えがあります。縛られたり、爆弾ぶち込まれたり過酷な労働環境にも関わらず、いつも飄々としている彼女に感服しております。
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