ドクターズ・プロファイル   作:日名内 修

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イーサンが夜のロドスを歩くお話。少し暗いの閲覧注意です。


イーサン -カラフル-

 赤は血飛沫。灰色は瓦礫。白は炸裂弾の閃光。茶色は錆びた刃。緑は歯が折れるほど固まったパンに付着しているカビの色。

 擬態に欠かせない色彩は、イーサンにとっては凄惨なイメージでしかなかった。

 だが、それも少し前までの話だ。

 奇跡的にロドスに紛れ込んでからは、赤といえば鮮やかなトマトの色で、白色は風に吹かれてはためくシーツの色だと知った。

 レユニオンには見ることができなかった平和で穏やかな色。ただ、同時に否が応でも気付かされたことがある。

 

――どんなに鮮やかな色彩でも、光に照らさなければ黒く、淀んでしまうのだと。

 

 

Ethan(イーサン)-カラフル-

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

――夜が来る。

 

 ロドス艦内が夜間照明に切り替わると、イーサンの時間がやってくる。昼間でさえ、代名詞の擬態を生かせばほぼ自由に行動できるのだから、薄闇に包まれればイーサンに気付ける者はいくら尋常でない者が揃うロドスといえでもそうは多くない。

 レッドやファントム、グラベル、シラユキなどの暗殺者連中には警戒が必要だが、幸いなことに彼らは主の側を離れないから、そこまで脅威ではないのだ。

 

――さて、今日はどこに行こうか。

 

 食堂に入り込み、朝食用のパンを一つ囓りながら、イーサンは廊下をぼんやりと歩いていた。

 ロドスの中心に近いこの場所は、昼間であればファイルやパソコンを抱えた人々が慌ただしく往来している。だが、今は声が反響しそうなくらいガランとしているうえに真っ直ぐ伸びる廊下の奥は薄闇に侵食されて見通せない。

 実のところ、イーサンは夜があまり好きではなかった。いや、夜自体は好きなのだが、この場所(ロドス)の暗闇は安寧とほど遠いことに知ったのだ。

 

「おぇ、ゲホッ、ゲホッ」

 

 例えば、洗面所が聞こえる誰かの嘔吐音。その正体をイーサンは知っている。昼間はいつも笑顔を絶やさず、他人に尽くす少女だ。

 

「グム、大丈夫?」

「全然平気。でも、何だろう、今日はちょっと変だね」

「……落ち着いたら、当直医に見てもらいましょう」

「ううん。グムはいいよ、平気だよ。うぉえ……」

 

 弱々しい強がりの後に、反吐が洗面器のシンクを叩く音が聞こえた。

 

――なぁ、どうすればいいんだろうなぁ。

 

 パンを囓るのを止め、イーサンはゆっくりと洗面所の前を通り過ぎる。黄色い髪の少女も、背中をゆっくりとさすっているメガネを掛けた少女もその答えは分からないのだろう。

 ただ、こうして薄闇に紛れて吐き出すだけ。自分の無力さを感じてただ寄り添うだけ。きっと、この永遠とも思える時間に身を委ねるしか手段はない。

 

「……ごめんね」

 

 そう言った少女の言葉は果たしてどちらの声だったのか。イーサンは敢えて考えないようにした。

 

 ◆

 

 イーサンは医療棟の屋上から眺める空が好きだった。だが、その道中は平坦ではない。まずは医療棟の各所にあるセキュリティを突破しなくてはならない。どんなに姿を隠しても、生体センサーやサーモグラフィー型の監視カメラの目はごまかせないのだ。

 ただ、そんなものはまだ序の口。最も危険なのは、この医療棟のボスであるケルシーだ。イーサンは一度しか目にしたことがないが、あの女はぶっちぎりで“ヤバい”。濃い緑色のゴム製の床を細心の注意で渡り、階段にたどり着くと銀色の手すりに足をかけ、ひょいひょいと最短ルートで上っていく。

 5階くらいまで上っただろうか。ふいに慌ただしい音が聞こえ、イーサンはそっと息を潜めた。

 

「サイレンスさん! イフさんの容態が――」

「慌てないで、ススーロ。いつもの発作だから。治療室に早く搬入して」

 

 数人の白衣を着たオペレーターたちに囲まれ、担架がイーサンの目の前を通り過ぎる。その瞬間だった。

 

「うわぁあああ! 痛ぇ、何するんだよ、オレサマをどうするつもりなんだ!」

 

 少女の叫び声とともに担架から火柱が上る。

 

「大丈夫、イフリータ。落ち着いて! 私よ」

 

 白衣を焦がしながら、サイレンスがイフリータの手をギュッと握った。それでもイフリータは、うわごとを叫びながら暴れ回る。恐らく担架に拘束されているのだろう。

 

「サイレンス先生! B棟の患者の容態が急変しました!」

 

 慌ただしく階段を降りてきたのは医療オペレーターに、サイレンスは眉一つ動かさずに続きを促す。

 

「ススーロ、すぐに向かってあげて。必要ならハイビスカスを叩き起こして構わないから」

「え、でもこの子は――」

「私が補助するので問題ありません」

 

 機械的な声が、今度はイーサンの下の階から聞こえた。闇に染まった鈍色の髪の女性は、確かフィリオプシスといっただろうか。

 こんな緊急事態を何度も目にすると、「夜に死者が多くなる」という迷信もあながち間違いではないのではないかと思えた。

 イーサンはそっとその場を離れ、上階へと移動する。慌ただしい音は徐々に遠くなるが、ミミズクたちの夜はまだ始まったばかりなのだろう。

 

 ◆

 

 ようやくたどり着いた屋上を一目見た途端、イーサンは「来なきゃよかった」と後悔した。屋上には先客がいたのだ。しかも運が悪いことに、そいつはイーサンの気配に“気付ける”少数派の人間だった。

 

「はっ、愚鈍共のお仲間がコソコソと何をしているんだ」

 

 さらに少数派の中でも特にタチが悪い人物である。早々にこちらを関知して、喧々とした言葉をぶつけてきた青髪の男に、イーサンは半ば諦めたように擬態を解いた。

 

「コソコソとしているのは認めるけどよぉ。俺はもうレユニオンじゃねぇよ」

「相変わらず骨がない奴だな。アイツの首を取ってくれれば良いモノを」

「俺一人じゃあ、ドクターをやっつけるなんて夢のまた夢だろうよ」

 

 イーサンは顎ヒゲを撫でながら笑う。青髪の男――エンカクは「ふんっ」と小さく鼻息を吐くと、屋上のヘリに移動し始める。

 その手のひらにしわしわに枯れた花の束が握られるのを見て、イーサンはニヤリと笑った。

 

「なんだ、可愛いモンもってるじゃねぇか。誰かにプレゼントすんのかよ。もしかして、ドクターか?」

「バカ言っていると叩き切るぞ」

 

 そう言ったエンカクは、ヘリに着くと花をくしゃくしゃにまとめて外に投げ捨てた。弱々しい外灯に照らされ、色とりどりの花束が濃い闇に飲まれて消えていく。

 なんとなく、イーサンはその行く先をじっと眺める。

 

「なんで捨てたんだ?」

「枯れて死んだからだ。それ以外に理由なんてないだろう」

「……なるほど」

「どうした。自分の行く末と重ねたか」

 

 腰丈くらいのフェンスに腰掛け、エンカクが問う。イーサンは自嘲気味に肩を上げて「かもな」と呟く。するとエンカクは、珍しく口角を上げた。

 

「夜行(ナイトウォーク)が趣味のお前だ。もう、気付いているんだろう? ロドス(ここ)の平穏はただの幻想だ。昼間にどれだけハリボテの安寧を築いたって、半日後にはボロボロに朽ちて“本質”が剥き出しになる」

「……えらく饒舌じゃねぇか。俺をドクターと勘違いしていないか?」

「あぁそうだな。弱い奴を見ると、腹が立つんだよ」

「弱い、俺が?」

「違うのか? 暗闇が怖いから、生きてる人間が見たいからそうして夜な夜なうろついているんだろ」

 

――だから、こいつは苦手なんだ。

 

 戦闘狂のくせに、やけに達観していてこちらを見下ろしてくる。別に、イーサンはエンカクの言葉が図星なわけではないものの、すぐに反論が飛び出なかった理由にも気付いていた。

 

「いずれ滅びる。俺も、お前も、ロドスも、アイツも。それなら徘徊して夜中の安寧の地を探すより、さっさと寝て朝を待つ方が合理的だろう」

 

――そう。結局、俺も変わらないんだ。

 

 夜が来る度にトラウマに押しつぶされたり、鉱石病に蝕まれる少女と変わらない。夜になるとこれまでの日々がよみがえる。「誰にも気付かれずに死んでいく」と考えてしまう。自覚はないがそれがきっと、怖いだけなのだ。だから、こうして“つまみ食い”などを理由に夜な夜な歩き回っている。

 

「――それが嫌なら、他のヤツらみたいに彼処に行けばいいだろう」

 

 そう言ったエンカクが指さしたのは、ロドスの中枢のど真ん中にある煌々と光が漏れる一室だった。その部屋が誰のものか、イーサンは知っている。ロドスにはいくつかある“眠らない部屋”の一つ――ドクターの執務室だ。固まったイーサンの真横をエンカクは何も言わずに通り過ぎて行く。

 そしてそのまま、屋上にはイーサンが一人が残された。星一つない空を見上げ、イーサンはため息を吐きながらガシガシと頭を掻いた。

 

「そこまで言われたら行くしかねぇよなぁ」

 

 ◆

 

「なんだこりゃあ」

 

 暗闇にポッカリと浮かぶドアを開いた瞬間、イーサンは思わず声を漏らした。ドクターの広々とした執務室のなかには既に先客がいたのだ。それも一人や二人ではない。

 ソファを陣取って互いに頭を預けてぐっすり眠っているのは、ヴァーミルとクオーラだ。さらに部屋の奥では、薄い毛布を被って顔隠しているロープがいる。さらにドクターのデスクの横には、随分前に出会ったイースチナが分厚い本を黙読している。

 

「イーサンか、どうかしたのかい?」

 

 光になれない目に手をかざし、突如現れた色とりどりにイーサンは呆気に取られ、すぐには返事できなかった。

 

「……えらく人が多いんだな」

「ああ、今日の夜は特に暗いからなぁ」

 

 突然の訪問者にも動揺することなく、ドクターはぼんやりと窓の外に目をやる。いつの間にか、パラパラと窓を打つ雨音が聞こえていた。

 

「イースチナは眠くないのかい?」

「……いえ」

「そうか」

 

 隠れて目をゴシゴシと擦るイースチナに、ドクターは短く返す。その言葉が例えようもなく暖かく感じたのは、きっとイーサンが先ほどの彼女の姿を見ていたからだろう。

 

――まるで、夜にぽっかりと浮かぶ灯台のようだ。

 

 イーサンは小さく口元に笑みを浮かべ思った。暗闇を照らすにあまりにもか弱いが、それでも決して絶えることがない光。だから、暗闇を恐れる人間はここに惹かれる。すがってしまうのだろう。

 

「ほら、差し入れを持ってきたぜ。ドクター」

 

 イーサンは、少しくすねてきた菓子の小袋をドクターに渡す。ドクターはニヤリと笑い「サンキュー」と答える。そして大きく背伸びして、くるりとイスを回してイーサンの方を向いた。

 

「ちょうど眠気覚ましの会話の相手が欲しかったんだ。もしよければ、ちょっとお茶にしないか」

 

 イーサンも笑い「もちろん」と返す。一歩前に進んだタイミングで閉まる自動ドアの向こうの暗闇を一瞬見つめ、イーサンは部屋の奥へと入っていく。

 どんな色でも暗闇の中では淀む。けれど、僅かな光に照らされたらきっとそれらは色彩を取り戻せる。だから、ドクターならきっとどこかで朽ちた自分も見つけてくれるんじゃないだろうか。

 

――柄にもなく、そう思った。

 

 

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