目覚め
「……で、あるからして割り算はかけ算の応用となる。
この場合の式は……」
私はチョークを黒板に滑らせる。
私の前には十数人のフレンズたち。
フレンズ達の手にも小さな黒板とチョークがあった。
「では、問題はこれだ。やってみたまえ」
フレンズ達は静かに聞き、問題を書き出す。
皆、真剣にしかし楽しそうに学んでいる。
「せんせー、ここわかんない-」
「どれどれ、見せたまえ。ああここは……」
サバンナの青空の下、私が切り株で作った椅子に座るフレンズたち。
そして全てを包む優しい草の匂いのする風。
ここは青空教室。
私はあれからフレンズ達に簡単な計算や文字の読み書きを教えていた。
最初はロバに計算を教えていただけだったが、
興味を持ったフレンズたちにより規模が大きくなった。
なにしろ私も初めての事ばかりで、戸惑った事も多かったがいまでは慣れたものだ。
フレンズ達の学ぶ意欲はすばらしい。
陰気なヤーナムの日曜教会とは大違いだ。
「せんせーありがとうございました!」
「ああ、お疲れ様だね。皆疲れただろう、紅茶が入っているよ」
「わーい!」
「今日はハチミツレモンティーにクッキーですの!みんな仲良く分け合いなさいな」
「はーい!」
ミーアキャットが皆にカップを配る。
彼女はロバと共に最も初期の生徒の一人で、今では授業の半分をやってもらっている。
「先生、お疲れ様ですの」
「ああ、君もいつもありがとう、助かっているよ。
私だけではどうも甘くしてしまってね」
「副担任として当たり前のことですの!
さあ、今日を乗り切るためのお裾分けですわ!」
ミーアキャットはいくつかの彩りの良いフルーツを渡してくる。
私は一礼をして受け取った。
「ありがとう、いつもすまないね。私からもこれを」
かつてミーアキャットがくれた物をドライフルーツにして保存した物を渡す。
「ありがとうございますの!明日も用意して、待っていますの。
だから、きっと明日も楽しい日が来ますわ!」
「……ああ、私もそう信じているよ」
私とミーアキャットは手を振って別れた。
私は自らの家に帰る。
教室の裏、枯れかけのバオバブをくりぬいて作った簡易な家。
腐った部分を除去したのが逆に良かったのか、今だ枯れる気配はないが。
ドアを閉め、ランタンに明かりを灯しレヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」英語訳を読む。
静かな時間だ。
「もう半年、か……」
あれから半年、私はすっかりサバンナになじんだ。
ここで教師の真似事をしたり、ハンターたちと定期的に狩りに行ったり。
驚くほど穏やかな時間だった。滅びが近いとは思えないほど。
セルリアンは事実としてゆっくりと増え、火山も大きさをゆっくりと増してはいるが。
それでも、決定的な滅びまではまだ十分に時間はあるのだろう。
「かばんの所にでもまた行ってみるか」
かばんによるケムリクサ研究は進んでいる。
目立った副作用はないようだが、長期的な研究はまだ続いている。
最近ではケムリクサ同士の掛け合わせも視野に入れているそうだ。
「上位者にしては動きが遅い。あれの心配も、今は静観か……」
サバンナの上空に浮かぶ透明で巨大な円盤も、今はゆっくりと海に向かっているらしい。
それでも、一部は森林地帯にかかるようだが。
しかし我々はあれから目を離さない。毎日観測している。
「今日の観測がまだだったな」
本を閉じ、外に出ようとドアに手をかけると、ノックが響いた。
「ルドウイーク!あの子が起きたの!もう一つの研究室にいるあの子が……!」
カラカルの声だ。どうやら、何か事が動き出したらしい。
■
カラカルと共に現われたのは……
丸い帽子に肩掛け鞄、ベストにズボン、ごく小さい普通の少年のようだ。
そう、彼はフレンズではない。
このジャパリパークにいた4人目のヒト。
サンドスターが敷き詰められた球体にずっと眠っていた少年だ。
「で、キュルル!あなたの事、話して!」
「えっと……うんと……」
眠っていた頃、時折きゅるる、と腹が鳴ることからサーバルにキュルルとあだ名された少年は困った様子だ。
「カラカル、彼は目覚めたてで混乱しているのだ。
何か、思い出せることはあるかね?君の名前や、住んでいたところとかだ」
キュルルははっとした様子で話し始めた。
「……なにも、何も思い出せないんです。ほんとの名前も、住んでいたところも……
このスケッチブックが僕の物って事だけはなんとなく覚えているんですけど」
「ふむ、見ても良いかね?」
「あ、はい」
スケッチブックを読んでみる。
クレヨンで描かれているが、なかなか上手い。
場所も正確に分かるだろう。
だがしかし……どこもジャパリパーク、しかもこのキョウシュウばかりだ。
表紙にジャパリパークのマークが書かれていることからも、
このスケッチブック自体ジャパリパークに来てから買ったものなのだろう。
「でも、名前が思い出せないなら不便ね……
あんた、私たちはあんたが眠ってた頃からキュルルって呼んでたけど、それじゃ不便でしょ?」
「えっと……キュルルでも、まあいいよ。よろしく……えっと」
なんと少年は素直に受け入れてしまった。それでいいのだろうか?
カラカルも困惑しているが、すぐに気を取り直し自己紹介した。
「カラカルよ。こっちはルドウイーク」
「よろしく。キュルル。まあ座りたまえよ。カラカルも」
キュルルは私とカラカルに握手して座る。
「ルドウイークはあんたを含めて4人いるヒトのうちの一人よ」
「ヒト……君達はヒトじゃないの?」
「私たちはフレンズって言って、けものがヒトになったものなの。
サンドスターっていうのが火山から出ててね。それにけものが当たるとそうなるのよ」
「へえ……えっと、何か解りましたか?ルドウイークさん」
気が重い。この少年はきっとジャパリパーク閉園のころから、
サンドスターの保護効果で眠り続けていただろう。
つまり、彼は記憶も、名前も、帰るところすらも失っているのだ。
「この絵に描かれている風景はどこも見たことのある場所だ。
そして、このスケッチブックもこの島でかつて売られていた物だよ。
おそらく、君がこの島に着いてから描いた物だろう」
「そうですか……これは僕のおうちじゃないんだ……
あの、どうしたら僕はおうちに……おうちに帰れますか」
カラカルと私は目を見合わせる。そして、私はうなずいた。
こういうことは年長者が言うべきだ。
「……心して聞いてくれ、少年。君が眠っている間にはるかな時が流れた。
人が生きて死ぬには十分すぎるほどの時間が……
だから……少年、君の帰るべき家はもうないのだよ」
「えっ……」
少年の目から光が失われる。幼い身に、酷なことだろう。
だが、こんなことは後回しにしてもごまかせることではない。
「う、うそでしょう……そんなのウソだ……!
ぼくのおうちは明るくて、やさしくて、あったかくて……!
ウソだ!ウソだウソだうそだ!」
見ていられないとカラカルが少年をぎゅっと抱きしめる。
「つらいわよね、かなしいわよね……!
でも大丈夫、あなたが一人で生きていけるようになるまで私たちがいるから!
だから安心なさい!かばんも!ゲールマンも!ルドウイークも!絶対にあなたを見放さない!
あたしも、さばんなのフレンズのみんなだって!」
「う、うああ……うわあああ……!」
少年はしばらく、カラカルの胸で泣き続けた。
カラカルは、少年が落ち着くまで優しく背中をなで続ける。
「落ち着いたかね。疲れただろう。飲み給え」
「あ、はい……」
「つらいことを言ってすまない。
だが、それでも我々は生きていかねばならないのだ。
君の気が済むまで、我々で面倒を見よう。
安心してくれ、ここには食べるものも、寝る場所もある。
まずは悲しみを癒やし給えよ」
「……わかりました」
こうして、キュルルとの暮らしが始まった。