天衣のお兄ちゃんの話   作:久遠_

1 / 21
一番になりたくて

(……ここまでか)

 

 一つ深呼吸をして、盤面を見る。まだ自玉に詰みはないが、と金と成桂に左右挟撃の形。対して敵玉は上部が広く、入玉が狙える態勢だった。

 

「負けました。強くなったね」

 

 そう言うと、食い入るように盤を覗き込んでいた対局相手の少女、夜叉神天衣は跳ねるように顔を上げた。その顔は勝負の余韻からか、勝利の喜びからか、あるいは別の理由からか、うっすらと紅潮している。

 

「それじゃあ、やっと……」

「うん。この実力なら、研修会でも順調に勝ち上がっていけるだろう。本当はまだ、早すぎる気もするけど」

「でも、勝ったわよ! 約束したじゃない、飛車落ちで勝てたら研修会に挑戦していいって!」

「もちろんだよ。たぶん天衣ならDクラスくらいで入会になると思うけど、B2クラスまで昇級すれば晴れて女流棋士だ」

 

 その程度簡単よ、と一層背筋を伸ばして天衣は答えた。この強気さも、プロを目指すうえで必要な才能だ。将棋とは孤独な競技だ。対局中に信じられるのは自分だけで、勝負の最中で自分自身が揺らぐようでは、相手と戦う以前の問題だ。

 

 僕——夜叉神蒼天(そうてん)がプロ棋士となり、妹の天衣が女流棋士となること。揃って将棋の世界で生きることは、僕ら二人の夢だった。いや、本当は二人の夢という表現は正確ではない。今は亡き父と母、親子四人の夢だった。二年前に僕たちの前から旅立ってしまった二人に、プロとしての姿を見せられたのは僕だけで、一刻も早く女流棋士・夜叉神天衣の誕生の報を墓前に届けることが、僕たちの願いだった。

 

 幸い、天衣には才能があった。まだ終盤の切れ味には甘さがあるものの、序中盤での不安定な将棋をまとめあげるバランス感覚は、既に既存の女流棋士を遥かに超えてプロ並みと言ってもいい。そしてその大局観に基づいた大胆な構想……間違いなく、将来は棋界を代表する女流棋士になってくれるだろう。いや、流石に身内贔屓がすぎるだろうか?

 

「お兄さま」

「ん、なんだい?」

「お兄さまに師匠になってもらうことはできないの?」

 

 身内同士で師弟関係を結ぶことを制限する規則はない。しかし、親子の師弟は前例はあれど、兄妹での師弟は過去に例がない。もちろん問題があるわけではないけど、無為に好奇の目を増やすこともないだろう。ただでさえ兄妹棋士ということで話題になるだろうに。

 

「特に定跡を外す手を指す局面でもないからね。それに、昔から月光先生にお願いしてあることだし」

 

 アマチュア名人のタイトルを獲得した父は、イベントで当時名人位にあった月光先生と対局している。それがきっかけで父と月光先生の間に個人的な友誼が生まれ、なんと光栄なことか月光先生の方から弟子取りのお声をかけていただいたんだ。

 

 その時の心持といえば、正に天に昇ろうかというものだった。月光先生といえば月光流の寄せ。光の速さで敵玉を捉える光速の終盤術。現代の将棋指しで、あの終盤力に憧れない者など居るはずがないんだ。

 

 そして、僕がプロ入りした際に天衣についてもお願いして、「私でよければ」と言っていただいている。

 

「お兄さまがいいの。それとも、私じゃあお兄さまの弟子として不満?」

「え? いやいや」

 

 天衣は盤越しに正座したまま、少し目を伏せて口を尖らせている。わが妹ながら容姿に恵まれている天衣は、そんな拗ねた様子も僕にとっては可愛らしく映るだけだ。

 

「別に、関係が師弟でも兄妹弟子でも将棋指す頻度や時間は変わらないぞ?」

 

 今更肩書に師匠の文字が増えたところで、僕たちの関係に特段変化もないだろうに。この子にとって、何がそんなに重要なんだろう。

 

 一般的に師匠と弟子といえば、門外不出とか一子相伝とか、付きっ切りで師匠が弟子を指導して、技のすべてを伝授するとかそんなイメージがあるかもしれない。しかし将棋界では、他人に教わることが出来る技術なんて高が知れている。そんな小手先の技術よりも、流した血と汗と涙の量で争う世界だ。

 

 さらに言えば、師匠から教わるのは将棋界での振る舞いなど社会的なことや、タイトル戦などいつもと違う環境、いつもと違う持ち時間で心身の準備の仕方等経験則的なことだ。そういった面では、言うまでもなく僕より月光先生の方が優っている。僕自身、若くして分不相応な世間の注目を集めた際は、月光先生の教えに大いに助けていただいた。兎角、「将棋指しかくあれかし」と全棋士の模範となるべきお人。それがわが師、月光先生だ。

 

「何にそんなに拘るの? 書類上、誰の名前が入ってようが実利はそんなに変わらないし、むしろ月光先生の方が箔が付くぞ?

 

 それに天衣は僕の妹ってことでただでさえ注目されるだろうに、兄妹で師弟となれば無駄な注目浴びちゃうよ?」

 

「え、だ、だって……」

 いつも歯切れよくズバズバと物申す天衣にとっては、珍しく言いよどむ。目が泳ぐ。

 

「言いづらいこと?」

「っ! わかったわよ! 言うわよ! 言うから!」

「う、うん?」

 

 すごい剣幕だ。ぎゅっと目をつぶり、眉が眉間に寄っている。あ、これ時間に追われたときに善悪が判らない手を指しちゃうときの癖だ。矯正しないとなあ。

「お兄さまの一番になりたいのっ!」

 




・研修会
 プロ棋士養成機関である奨励会の下部組織。S~Fまでのクラスに分かれており、かつSクラス以外は更に1組と2組に区別される。上からS,A1,A2,B1、B2……F2という具合。
B2以上で女流棋士資格を得ることが出来、また年齢制限もあるがAクラス以上になると奨励会6級に編入できる。

・身内同士の棋士
 親子でプロ棋士、親娘でプロ棋士と女流棋士、兄弟でプロ棋士、兄妹でプロ棋士と女流棋士などの前例はあるが、兄弟でプロの前例はない……はず。ちなみに父プロ母女流娘女流のサラブレッド一家も存在する。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。