天衣のお兄ちゃんの話   作:久遠_

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薬指

 喧噪溢れる午前10時の商店街を、天衣と手を繋いで二人で歩く。いや、手を繋ぐという表現は少し間違っているかもしれない。天衣の手は小さくて掌同士だとうまく握り合えないから、僕の薬指を握る形になる。これ、ふとした拍子に指を引っ張られたりすると関節が抜けそうな感じがしてすっごい嫌なんだけど、この子は昔からこのスタイルがお気に入り。

 

 左隣に視線を移す。僕の肩により少し低いところにある頭。視線を感じたからか天衣がこちらを見上げる。

 

「あれ、背伸びた?」

「お兄さま、それ先々週も言ってたわよ? そんなすぐに身長が変わるわけないじゃない」

「そうだっけ。いつもより頭の位置が高く感じたんだけどな」

「ふふ、おじいちゃまと同じこと言ってる」

 

 口に手を当てて目を細める天衣。それって、遠回しにじじくさいって言われてない? 昔通っていた道場の席主を思い出した。会うたびに「背ぇ伸びたか?」って聞いてくるおじいさん。僕、週一で通ってたんだけど。「歳を取ると若者の成長が眩しいんだ」って言ってたっけ。正しく今の僕である。もうその域に足を踏み入れてしまったか、まだ18歳なのに。

 

「大人びてる、と解釈しておいてくれ」

「承知いたしました。お師匠さま」

 

 二人して笑い合う。そうして歩いてるうちに商店街のただ中、目的のアパートが見えた。

 

 今日は八一との研究会の日。場所は八一の部屋だ。僕らは将棋会館の徒歩圏内で部屋を探したから、畢竟互いの家も近くなる。10分も歩けば互いに行き来できる距離だ。それでなぜ普段は喫茶店で将棋を指すかといえば、単純にケーキとか食べたいから。棋士はだいたい甘党である。

 

 八一の住むアパートに到着した。階段を上って二階にある、八一の部屋のインターホンを押す。扉越しにコンビニで聴きなれた電子音が聞こえる。続いて軽い足音。ドアが開いた。

 

「初めまして夜叉神先生、こんにちは天ちゃん! いらっしゃいませ!」

 

 扉の向こうに居たのはどこか見覚えのある女の子。確か研修会の……。

 

「あいじゃない。どうしてここに?」

 天衣が言った。そうだ。天衣が研修会の入試で最後に指した子だ。やたら終盤の踏み込みが鋭かった子。この子が今ここに居るってことは……。

 

「今日はおせわになりますっ! さ、おあがりください」

 

 八一の弟子に先導され和室に通されると、そこに二つ並べてある将棋盤と、駒を磨いている八一がいた。

 

「お邪魔しまーす」

「お邪魔致します。夜叉神天衣と申します」

 

 声をかけると、八一は手を止めて僕と天衣を交互に見る。

 

「いらっしゃい。天衣ちゃん、でいいかな? よく話は聞いてるよ。よろしくね」

「師匠ともどもお世話になります。九頭竜先生」

 

 しっかりしてるなあ、と八一は声を漏らす。続いて、あんまり兄とは似てないな、とも。それは見た目の話か? それとも僕がだらしないってことか?

 

「紹介するよ。弟子の雛鶴。研修会はD1で、天衣ちゃんとも指したことあるって。あい、ご挨拶しなさい」

「雛鶴あいともうしますっ! ご指導よろしくおねがいします!」

 

 雛鶴さんの背中に手を添えて、八一が挨拶を促した。元気いっぱいな女の子だ。こちらこそ、と返答する。

 

 自己紹介を終えたところで、八一は弟子たちに語りかけた。

 

「俺たちはよく、互いの師匠に連れられて一門で練習将棋を指したんだ。それがきっかけで今も、蒼天とは互いに意識し合う関係になってる」

 

 話しながら僕は視線を向けられる。なにか表現に引っ掛かりを覚えないでもなかったけど、とりあえず頷いておく。

 

「君たちにも、互いに意識して高め合う関係になって貰えればいいと思う。さあ、指そうか」

 

 八一は挨拶を終えると、向かって右の盤の前に腰を下ろした。いきなり何を言い始めるかと思えば、今のは何の宣誓だったんだ。台詞、考えてたのかな。とりあえず僕も倣って彼の正面の座布団に着座する。弟子たちももう一つの盤を挟んで向かい合った。そして何か合図をするでもなく、僕たちは将棋を指し始めた。

 

 

 今日は事前に局面を指定してあって、角換わりの研究を行う。本局は腰掛け銀の最新型になった。お互い持ち時間1時間で最後まで指して、局後に読みや状況判断を披露しあい、検討する。

 

「桂跳ねたところあったろ? 代えて歩叩いてたらどうかな」

 

 先手番だった八一が仕掛けについて訊ねてくる。僕にとっても読み筋の一つではあった進行だ。

 

「取って取って取って飛車走って金上がって? その後は?」

「角打って」

「あー、いやでも打ち返して成り込み合えば後手指せるだろ」

「いやなんで攻め合うんだよ。激しすぎだって」

 普通、対局後の感想戦は盤駒を使って盤面を再現して行われるが、それらは観戦記者や中継視聴者への配慮に因るところが大きい。大抵の棋士は頭の中に将棋盤を持っているから、仲間内で指すときは大抵口頭で済ませる。知らない人が聞くと何の呪文だって感じるだろうけど、棋士はだいたいこれで通じ合える。感じることが大切だ。

 

 一通り変化を検討したところで、この一局は切り上げることにした。伸びをして、この一局で凝り固まった筋肉を解す。

 

 ふと、時計を見ると14時になろうとしている。対局中は集中していて感じなかった空腹だが、時間を意識した途端に腹の虫が騒ぎ出した。

 

「八一、昼食どうする? 出前でも取ろうか」

「昨日の残りのカレーがあるけど、それでよければ食べるか?」

「カレー! いいねえ。ご馳走になります」

 

 昼食にしよう、と隣の盤に視線をやると、集中して全く話を聞いていない様子の天衣と雛鶴さん。局面を見るとまだ中盤戦だ。これはまだ時間かかりそうだな……。

 

 暫くは空腹と戦う必要がありそうだとげんなりしていると、盤の対面に座ったままの八一が口を開いた。

 

「天衣ちゃん、相当強いな。身内贔屓かも知れないけど、あいに勝てる同年代の女の子は居ないと思ってたよ」

 

 言葉を聞いて、思わず苦笑が漏れる。師が、弟子を高く見積もってしまうのは皆同じらしい。仕方ないよね。愛弟子だもん。

 

「僕も同じこと思ってた。天衣と対等に戦ってくれる子は居るのかって。僕にとっての八一みたいな」

 

 言ってから、少し後悔した。本人を前に言うと流石にちょっと照れる気持ちがある。それは向こうも同じのようで、むずがゆそうな、妙に歪な笑顔をしている。互いの変な表情を見るともうこらえきれなくて、男二人で盛大に笑い合う。気持ち悪いなと言い合って。

 

 ひとしきり笑いあってから、また八一から口を開く。

 

「蒼天、あいのこと知ってたのか?」

「うん、知ってたけど」

 

 それが? と問う。

 

「いや、普通あいの年齢であの将棋の内容だと驚かれるんだ。なのに全然驚く様子が無かったからさ」

 

 いやびっくりしたけどね。初めて見た時は。

 

「天衣の研修会試験見に行った時、雛鶴さんが対局相手に指名されたんだ。終盤が凄い鋭くて、荒々しい将棋だったからよく覚えてる」

 

 荒いのはまだ勘弁してくれ、と八一は両手を挙げた。聞くと、まだ序盤の定跡については殆ど教えてないらしい。定跡知識なしで横歩取り指してたのか。……凄い読みの力だ。

 

「八一も、天衣のこと知ってた風だったじゃない?」

「ああ、ちょっと前にあいから、どうしても勝てない強い子がいるって聞いててさ。そんでその子の名字が夜叉神ときたら、誰にでも想像つくさ」

 

 それはそうか、と頷く。……いや、そんなことよりも。初めに玄関で彼女を見た時から、ずっと気になっていたことがある。聞いていいものかと悩んでいたが、言ってしまおう。

 

「というかさ、前に言ってた内弟子って女の子だったのね。お前大丈夫? 世間体的にやばくない?」

 

 そう問うと、八一は急に疲れたような顔をして、それは言うなと手を振った。既に九頭竜ロリコン説は割と真実味をもって将棋界内外に拡散されているらしい。哀れ八一。強く生きろ。

 

 

 

 

 弟子たちの将棋が終わり、僕たちが食事にありつけたのは15時を回ったころだった。

 

「どうぞ、召し上がって下さい!」

 

 配膳されてきたカレーライスを見て、隣に座る天衣がえっと声を上げる。それもそのはず、どす黒いカレーソースと、皿の端に盛りつけられた千切りのキャベツ。そして使う食器はフォーク。こ、これは……!

 

「金沢カレーじゃないか!」

「蒼天、知ってるんだ」

 

「レッツゴーカレーって金沢カレーのチェーン店があって、奨励会時代よく通ったんだ。これ作ったの八一じゃないよね、雛鶴さんが作ったの?」

「はい。実家が石川なので」

 

 いただきます、と呟いてフォークを口に運ぶ。口に含むと、ソースにかなり粘性があることが分かった。そして口いっぱいに広がる甘み、クリーミー、スパイシー。うわ、超美味い。こんなところで本場の味を堪能できるなんて、感動する。

 

 今まで食べたベストカレーは名人戦の昼食に頼んだやたら高そうなビーフカレーだった。こすったら魔人が出てきそうな容器に入ってて、高級感アピール凄いな、なんて思ってた。実際美味しかったけど。でも彼女のカレーはそれを軽々超えていく美味しさだった。カレーを口に運ぶ手が止まらない。額から汗が流れ落ちるが、そんなことよりフォークを止めたくない。

 

 米一粒残らず平らげるまで、十分とかからなかった。あまりの美味しさに放心状態にある僕に対して、雛鶴さんは何故か徳の高そうな笑みを浮かべていた。「初めて食べた時は俺もそんな感じだった」と、八一も苦笑している。

 

「雛鶴さん! これどうやって作ってるの!? レシピ教えてよ!」

「ふふっ、これはですね? きぎょーひみつですっ」

「いいじゃんさ、頼むよ!」

「そういわれてもー」

「そこをなんとか! お願いします! この通り!」

 

 手を合わせて頭を下げる。額が卓袱台に触れた。お願いします!

 

 必死に懇願する僕の左隣から、わざとらし気な大きい溜息が聞こえてきた。姿勢をそのままに顔だけ左に向けると、汚物を見るような目で僕を見下ろす天衣がいた。

 

「師匠? 弟子の前でそんな情けない姿を晒すなんて、みっともないと思わないのかしら? 仮にもA級棋士が小学生相手に頭を下げて……はぁ。しかも、頭下げてる相手も将棋関係者なんだけど?」

 

 仮じゃなくてまさしくA級棋士なんだけどな、という突っ込みは、胸の中にだけに留めておく。

 

「そんなにレシピが知りたいなら私の方から聞いといてあげるから、さっさと頭を上げなさい。恥ずかしくないの? 私は恥ずかしいわ。師匠の恥は弟子の恥だもの」

 

 弟子にボロクソ言われて渋々頭を上げる師匠である。僕の言われっぷりを見て八一が大笑いしている。くっそ、今度ロリコン弄りされてるとこに出くわしたら笑い返してやるからな!




いつのまにか原作カテゴリにりゅうおうのおしごと! 追加されてますね。
りゅうおし二次、もっと増えろ!
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