すっかり日が暮れて研究会も終了して、八一の発案で近所のファミレスで夕食を摂ることになった。因みに師匠組による厳正なる一分切れ負け将棋の結果、支払いは僕が持つことになった。その負け方がなんと二歩。最終盤、時間が無くて焦って打った底歩が禁じ手だった。弟子の前で反則って超恥ずかしい……。
夕食時には少し遅い時間だが、店内は賑わっていた。ボックス席に案内され、師匠組と弟子組が並んで席に着いた。僕と八一はおろしハンバーグ、天衣はクリームパスタ、雛鶴さんはオムライスを注文した。
料理を待ってる間、雛鶴さんが天衣にじゃれついて遊んでいる。天衣は始めのうちはいやよやめてと抵抗していたけど、ついに捕まって肩を抱き寄せられてからは諦めたのか大人しくなった。そういえば、天衣が同年代の子と遊んでる姿ってほとんど見たこと無かったかも。実年齢よりだいぶ精神年齢が高い妹だけど、ちゃんと同級生に友達いるんだろうか。自分の事を棚に上げて心配になる。
天衣と視線がぶつかった。羞恥と抗議が混じった表情。助けを求められているのかな。すまん、兄は妹が友達と遊んでる姿を見られて嬉しいんだ。
「蒼天は、天衣ちゃんにどんな指導をしてるんだ?」
妹の年相応な部分を見て喜んでいると、隣の八一が訊ねてきた。
「普通に平手で指導対局したり、ハンデ付けて本気で指したりとかかな。どうしたの急に」
「いや、師匠として、弟子への指導法として良いアイデアないかなって」
「お前だって子供の時から清滝先生に教えてもらってたんじゃないの。同じことしてあげればいいじゃない」
「うちの師匠は見て技を盗めって考えの人だったから……」
確かに清滝先生はそんなこと言いそうなイメージがあるな。昔堅気の職人タイプだから。
「僕は、指導対局が中心かな。一局通して指して感想戦で指摘事項を一気に伝えることもあるし、指した手に対してその場で評価を伝えることもある。あとは、ハンデ付けて本気で対局するとか」
八一が首をかしげた。気が付いたら弟子チームの二人もこちらの会話に注目している。
「ハンデ? 駒落ちってことか?」
「いや、平手で。今はソフトで形勢判断を数字で評価してくれるじゃない? 自分たちの棋譜をソフトにかけて、評価値で差が付いた局面から対局するんだ」
個人的にはソフトの評価値は自分の大局観とかなり近くて、今まで他の棋士に変態呼ばわりされて理解してもらえなかった形勢判断も、ソフトによってだいぶ肯定的に見られるようになった。棋士の中にはソフトと感覚が違いすぎて自分の将棋に取り入れられないって人もいるみたいだけど、僕の将棋とはかなり親和性が高かった。ソフトには勝手に仲間意識を抱いている。相手は無機物だけど。
「たとえば、評価値2000点分の差がある局面で、僕が劣勢側を持って指す。この条件なら僕も本気で指せるから勉強になるし、中終盤の粘り強さなんかも身に着くだろ」
あと、駒落ちより実践的な局面で戦えるし。自分としては、かなり良い勉強法だと思っている。
「そちらは? どんなことやってるの」
こちらからも訊ねる。八一は、詰将棋の早解き競争や指導対局、研修会の棋譜の添削と答えた。オーソドックスというか、よく知られる基本的な勉強法だな。
「詰将棋、効果ある? 僕、詰将棋苦手だし、それに現実離れした手順のやつ解いても指し将棋にあんまし役立たないと思うんだけど」
単手数や実践系の問題ならいいんだけど、詰将棋って問題レベルが上がってくると曲芸みたいな手順になる作品が多いんだよね。師匠の月光先生が著名な詰将棋作家で作品集も出してるから、義理で解いてみたことがあった。意表を突く手順とか詰め上がりの形とか、芸術性が高いってことは理解できたけど、正直解くのは苦痛だったし、自分の棋力が向上した気もしなかった。
「うーん、今は結構詰将棋否定派の棋士も多いよな。俺は昔から、一人でする勉強と言えば詰将棋って教わってきたから。もうやらないと落ち着かないっていうか」
「そういうものか」
失礼しますと僕らに声がかかって、店員さんが料理を運んできた。先に天衣のパスタ、次いでオムライス。最後に僕らのハンバーグが届く。皆で手を合わせて、料理に手を付ける。
「八一、桂香さんってマイナビ出るよね? チャレンジマッチから?」
ハンバーグを切り分けながら、僕は八一に聞いた。八一は肉より先に付け合わせのコーンをやっつけているところだった。
「出るけど、どうして?」
「桂香さんと雛鶴さん、一緒に東京に行くことになるよね? なら、そこに天衣もご一緒させてもらえないかと思って。一応家の者も付いていく予定だけど、桂香さんが居れば心強いから」
桂香さんは清滝先生の実の娘さんで、八一の妹弟子にあたる。ここの兄弟弟子は入門した順番は銀子ちゃん、八一、桂香さんなんだけど、年齢はその逆なんだよね。もし僕が銀子ちゃんの立場だったら、10歳以上年上で師匠の実の娘の妹弟子ってすっごい気まずい関係だと思うんだけど、ここの姉妹は大変仲がよろしい。
それに、桂香さんは今も研修会に所属しているから天衣とも面識があるはずだし、マイナビ自体の参戦経験も多い。勝手知ったる彼女に付いて貰えれば、僕としては安心だ。
「たぶん大丈夫と思うけど、聞いとくよ。マイナビには俺も付きそうつもりだし」
「なんだ、お前も行くのね。僕は順位戦と棋帝戦があって見に行けそうにないからさ。邪魔でなければよろしく頼むよ」
今週は順位戦の開幕局があるし、その後も棋帝のタイトル戦と重要な対局が多く控えている。そこに各棋戦の予選なんかも絡んでくるから、天衣に構ってやれる余裕は無くなるかも知れない。少なくともマイナビの予選は付き添ってやることは出来ないだろうな。棋帝戦の真っただ中だし。
僕のお願いに雛鶴さんは前向きな様子で、「天ちゃん、いっしょに行こうね!」と言ってくれている。しかし天衣は不満そうな表情だ。
「一つの挑戦権を巡って争う相手同士なのに、ここで馴れ合っても味が悪いんじゃないの?」
確かにその疑問は尤もだ。ハンバーグを咀嚼している僕に代わって、八一が質問に答えてくれた。
「確かに最終的には対戦するかもしれないけど、俺たちは同門なんだ。言わば親戚みたいなもので、協力し合って皆で上を目指した方が互いにメリットもあるだろう?」
まだ天衣は納得していないようだった。ハンバークを飲み込んで、僕からも問いに答える。
「棋士同士の関係っていうのは、結局は利用し合いだ。互いにメリットがある時は協力し合えばいいし、そうでないときは距離を取ればいい。ドライな関係だよね。でもだからこそ、無条件の協力関係は大事にしておいた方がいい。味方は多いに越したことはないから」
将棋界は実力主義の社会だから、価値がないと評価されたら誰にも相手にされなくなる。その中で、実力に関わらず協力関係を結べる一門という関係性はかなり貴重だ。棋士にとって、師弟という制度が重要視される理由の一つでもある。
僕たちの言葉に、天衣は渋々といった感じで頷いた。理解はしても、納得はしてないのかな。棋士同士のシビアな関係性は、経験してみないと分からないのかも。