天衣のお兄ちゃんの話   作:久遠_

19 / 21
着信

 黒い墓石の前で瞑目し、手を合わせる。横の墓誌には先祖代々の名と戒名、そしてその末に父と母の名が刻まれている。

 

「父さん、母さん。昨日遂に、タイトルを手に入れたよ。棋帝のタイトルさ」

 

 手を降ろし、目は瞑ったままで石に向かって話しかける。僕は宗教を信仰しているわけじゃなくて、この墓の下に両親が眠っているとは思ってないし、死後の世界なんてものも信じていない。両親がどこかで僕を見守ってくれているなんてことも思ってはいない。だから、これはただ自分のための儀式だ。僕の記憶の中の二人に語りかける。

 

「手強い相手だったよ。特に最後の第三局指し直し局が良い将棋でね。死力を尽くした勝負ってのは、ああいうことを言うんだろうな。最後は打ち歩詰めでギリギリ逃れてて、最後までギリギリの勝負だった」

 

 あの最終盤は生きた心地がしなかった。今日の帰り道の中、スマートフォンのアプリで棋譜を検討したらやっぱり僕の玉に詰みはあった。結果だけみると篠窪さんが詰みを逃すミスで負けたってことになるけど、一分将棋で答えがわからないまま指し続ける、人間同士だからこそ白熱した勝負だったと思う。

 

「本当は父さんと約束した名人で初タイトルを飾りたかったけど。まあ、一つタイトル獲って、前に進んでいる確認は出来たよ」

 

 もし、父さんと母さんが生きてたら、この報告を喜んでくれるだろうか。そんな詮無いことを想像する。僕がプロ入りを決めた時と、どっちの方が喜んでくれたかな。連想して、その時のことを思い出す。

 

 プロ棋士の養成機関である奨励会、その最後にして最大の壁である三段リーグの最終局。勝てばプロ入りが決まるその対局日は日曜だったから、皆家で僕からの報告を今か今かと待っていたらしい。対局を終え、吉報を届ける僕からの電話に応答したのは父さんだった。四段への昇段――つまりプロ入りを告げると、向こうの受話器の遠いところから母さんと天衣の歓喜の声が聞こえてきた。そして電話口の父さんはしばらく絶句したのちに、絞り出すようにおめでとうと一言だけ祝いの言葉をくれた。

 

 父さんは、僕の奨励会での成績や将棋の内容を聞いてきたことは無かった。僕もまた、父さんに奨励会の成績をあまり報告をすることは無かった。家では毎日のように将棋を指しているのに、何故かその話題はどちらも触れようとしなかった。それは、父の気遣いだったのか、それとも他の思いがあったのか。

 

 両親が亡くなってから、疑問に思っていたことがあった。どうして、父さんはプロ棋士を目指さなかったのだろう。ただ父さんと将棋を指すことに夢中になっていた子供の頃は考えもしなかった疑いだ。失ってから得る気付きがある、なんて俗な言葉があるけど、正しくこのことをいうのだろう。

 

 当時、僕が父さんを相手にした勝率は7割くらいで、またプロ入り初年度のプロ相手の勝率も7割強だった。今の僕から見ても、恐らく父さんは全プロ棋士中でも中の中くらいの力はあっただろう。昔聞いた話で、父さんは将棋を覚えたのが高校生の時で、上達したころには既に奨励会の入会年齢制限を超えていたと零したことがあった。でも、奨励会以外のプロ入りルート――編入試験を受験すれば、プロ入りできる可能性は十分にあったはずだ。なぜ、その道を選ばなかったのか。その答えを聞きたいと願う頃には、その機会は永遠に失われてしまっていた。

 少しずつ大人に近づいた今なら、その答えに迫れたという感触がある。父さんは――僕たちの為に、家族のためプロの道をあきらめたのではないか。既に家族を養う身で、不安定な世界に飛び込むことは躊躇われたんじゃないか?

 

 もし僕の想像通りだとしたら、自身の夢を諦めさせた元凶が、自身の諦めた道を行く光景を、どんな気持ちで眺めていたのだろう。いくら我が子とはいえ、素直には喜べない気持ちがあってもおかしくないんじゃないか。

 

 少し想像してみる。もし僕がまだプロ棋士になれていなかったとして、今日祖父が亡くなったとする。ただ一人残った肉親である天衣を養うために奨励会を退会して就職するだろう。――いや、莫大な遺産が残るだろうから退会する必要はなさそうだな……じゃあその遺産も無いことにして――とにかく天衣の為に棋士を諦め、しかし天衣はその輝かしい道を進もうとしていたら……どんな感情になるのだろう? 想像しきれなかった。自分があの子に負の感情を向けるなんて、考えられない。

 

 暫く考え込んでいると、背後から砂利を踏みしめる音が聞こえた。そしてかかる「お兄さま」と呼ぶ声。振り返るとそこに噂が連れてきた影、天衣が長い黒髪を風にたなびかせながら立っていた。

 

「お兄さま、携帯電話に着信来てたわよ」

 

 え? 電話? なぜ僕の携帯への着信を天衣が……そう考えてズボンのポケットを探るも、無い。携帯が無い。顔を上げると、天衣が左手に赤いケースのスマートフォンを持っていた。僕の携帯電話だ。

 

「さっき、私の部屋に携帯忘れて行ってたから。とりあえず私が出て、後で折り返すって伝えておいたわ」

「そうなんだ、ありがとう。誰からだった?」

 

 言いながら天衣の持つそれを受取ろうと手を伸ばす。しかし天衣は携帯を持ったまま後ろ手を組んで僕から隠してしまった。その行動の意図が分からず僕が立ち尽くしていると、天衣から口を開いた。

 

「あの人、だれ?」

「は?」

「だから電話の相手。あの女、だれ?」

「いや知らないよ。てかそれ僕の台詞だからね? 誰からの電話だったんだよ」

「いいから当ててみて。心当たりくらいあるでしょう?」

 

 唐突に始まった謎のクイズ。同世代の棋士仲間や中学高校の同級生たちなど、急に電話をかけてくる奴に心当たりがないわけではない。けどそいつらは残念なことに皆野郎だ。女性で考えられる相手というと……誰だろう。

 

「ツッキー―ー月夜見坂か、もしかしたら鹿路庭さん?」

 

 苦し紛れに上げた二人だった。月夜見坂は同い年の女流棋士で、女流玉座のタイトルホルダーでもある。供御飯と並んで古くからの仲であり、また女流の中で最も親しい相手だ。鹿路庭さんは最近よく仕事で一緒だった。ただ、この二人が直電してくる用事があるか? タイトル獲得の祝いの言葉なら、せいぜいメールをくれる程度だろうし。というか言ってから気が付いたけど、この二人なら天衣も知っているはずだ。

 

「へぇ、その二人が出てくるんだ」

 

 なにやら呟いた後、天衣は携帯を返してくれた。早速着信履歴を確認すると一番上には――月光先生の秘書、男鹿さんの名前があった。

 

「なんだよ! お前も知ってる人じゃないか!」

「あら、そうだったかしら?」

 

 明後日の方向に面を向けて嘯く天衣。何のためのやり取りだったの……。男鹿さんからの電話となれば、仕事の話かも知れない。折り返し電話をかけ、スピーカーからの呼び出し音に耳を傾ける。

 

『もしもし、男鹿ですが』

「もしもし夜叉神です。すいません、先ほどお電話いただいたようで。連盟からの仕事の依頼でしょうか?」

『いえ、今日は個人的な電話です』

「そうだったんですか。もしかして棋帝戦の件で?」

『ええ。棋帝獲得、おめでとうございます』

「ありがとうございます」

 

 電話を通しての会話なのに、無意識に頭を下げてしまう。

 

「すばらしい将棋でしたね。特に第三局、今年度の名局賞有力候補と言っていい大熱戦でした」

「ありがとうございます!」

 

 再度頭を下げる。携帯を耳に当てながらぺこぺこしている僕に、天衣が胡乱げな目を向けている。いや、お前も仕事で電話使うようになったらわかるから。無意識でやっちゃうから。

 

『会長からも伝言を承っています』

「月光先生から」

 

 月光先生とは次の順位戦の対局で当たることになっている。棋士は対局が近い相手とは距離を置きたがる。月光先生も僕と直接話すのは味が悪いと思ったか、伝言という形をとったんだろう。僕は特に気にしないんだけどな。

 

『お伝えします』

「お願いします」

『棋帝獲得、おめでとうございます。しかしそれとは別として、"夜叉神棋帝"の初陣では私が勝たせていただきますのでご容赦を――とおっしゃっていました』

「なるほど。では僕からも。次こそ恩返しさせていただきますとお伝えください」

『承りました。会長も相当気合が入っている様子です。好勝負を期待していますよ』

「ありがとうございます」

 

 失礼しますと最後に一礼して、相手から電話を切ったことを確認してから電話をポケットに仕舞う。いつの間にか僕の右隣に立っていた天衣に顔を向けると、僕を見上げる天衣と視線がぶつかった。あからさまに眉を顰めてみせるが、彼女は可愛らしく小首を傾げるだけでどこ吹く風。仕方ない、こいつが僕に対してやたら悪戯好きなのはいつもの事か……。小さく息をついて、「戻って将棋指すか」と促すと、天衣は良い笑顔で頷いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。