天衣のお兄ちゃんの話   作:久遠_

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スランプなのか全く筆が進まず、短いながらとりあえずの投稿です


共に東京へ

 脳内の将棋盤・駒を使った研究に一区切りつけると、深く集中して外界と隔絶されていた意識が浮上する。座っているシートの感触、車内の匂いと振動、左肩にかかる体温と重さ。切断されていた五感から莫大な情報が脳に流入してきて、現状の把握に少しばかり時間が必要だった。左隣の席に目を向けると、僕の肩に頭を預けて眠る天衣の姿と、物凄い速さで後方に流れていく車窓からの景色が見えて、東京へと向かう新幹線の車内に居ることを思い出す。

 

 今日は八月一日、天衣の出場するマイナビ一斉予選の当日だ。一斉予選とチャレンジマッチは同じ会場で行われるため、再度新幹線で東京への遠征になる。二つ並びのシートの窓側に天衣を座らせて、僕は通路側。搭乗当初は雑談なんかしていたけど、十数分したら天衣が眠っちゃって、一人残された僕は脳内将棋で研究をしていたんだ。

 

 ある程度棋力が養われると、脳内に盤駒がくっきりと浮かぶようになって、自由に動かせるようになる。プロ棋士の中には、対局以外で殆ど駒を触らないなんて人もいるらしい。将棋の勉強は全部頭の中の盤駒で済ませちゃうんだって。僕も研究では物理的に駒を動かさない分楽で速いから脳内で済ませるけど、棋譜並べや検討なんかは実物の駒を使う。やっぱり視覚的な補助があると脳のリソースを全部思考に費やせるし、見落としも少なくなる。プロがイベントでよくやる目隠し将棋なんてのもあるけど、やっぱり将棋のクオリティは落ちちゃうよね。

 

 腕時計で時間を確認すると、東京駅到着まであと5分程。天衣の肩を軽く揺すって起こしてやると、パッと寝覚めよく目を覚ましてくれた。先ほどの僕と同様に状況がつかめていないのか、大きな目をきょろきょろと動かして周囲を見回し、最後にじっと僕を見上げてきた。その向けられた黒目に、目尻を下げた表情の僕が映り込んでいるのが見えた。

 

「おはよう。もうすぐ東京駅だから、降りる支度しな」

「うん……寝ぐせとか、ついてない?」

「ちょっと後ろが跳ねてるかな。どれ、整えてやろうか」

 

 僕の言葉に、天衣は頷いて正面から頭を差し出し、軽く握った両手は体を支えるように僕の胸に置いた。いや、僕としては後ろを向いてくれた方がやり易かったんだけど。天衣の背中から手を回して跳ねた髪の毛を撫でる僕の姿は、見る人によっては抱き合っているようにも映るかもしれない。

 

 するすると指を滑る髪の感触を手櫛で楽しむ。本人に似ず素直な髪質のそれらは、一撫でするだけで僕の思い通りに頭を垂れてくれる。一通り整え終わった後も手慰みに数回頭を撫でて、その後天衣のトレードマークの赤いリボンを三か所に結んでやる。ただ、そこまでしても、天衣の姿勢は変わらなかった。

 

「はい、直ったよ。……おい、大丈夫? そんなに眠い?」

「ううん、大丈夫。……もうちょっと、このまま」

 

 『間もなく、東京駅』とアナウンスが流れるまで、天衣は()()態勢のままだった。そんなに眠いのかと僕は新幹線に乗る前に買ったペットボトルのコーヒーを差し出すが、天衣は首を横に振る。立てるか? という問いにも、首を横に振った。仕方ないか、と僕は伸びをして長時間座りっぱなしだった体をほぐすと、右手にバックを、左手に天衣の手を握って席から立ち上がった。

 

 

 

 

 今日の対局場であるパレスサイドビルは、通常東京駅から地下鉄に乗り継いで向かうけど、今日は寝起きの天衣のための運動と観光も兼ねて徒歩で向かうことにした。東京駅から皇居のお堀に沿って反時計回りに進むと、20分程で到着する距離だ。

 空は薄い雲が日を遮って、カラッとした穏やかな風が吹いて過ごしやすい朝だった。皇居ランナーたちに混じって、堀沿いを歩いて行く。藻か水草か、堀の水は緑に濁って見えた。堀の先には石垣が立ち上り、櫓や城門など今も残る城としての名残に、歴史好きの天衣は興味深そうに辺りを見回している。先ほどまで席も立とうとしなかった様子も何処へやら。

 

「でも、よくこんなの残しているわね? 今の時代なんにも役に立たないし、維持するのも大変でしょうに」

「こうやって観光資源になってるからいいんじゃない? 歴史的建造物なんだしさ」

「皇居って、元は江戸城でしょう? ということは、徳川の城ってことよね」

「そうなるね。豊臣に関東転封を命じられてからだから、家康にとっては割と晩年になってからではあるけど」

 

 興味津々という様子から一転、忌々しげに徳川の名を出した天衣。こいつは何に影響を受けたのか、極度の徳川嫌いになってしまった。これから学校で歴史の授業が始まったら、どんな気持ちで江戸時代当たりの授業を受けるんだろう。ずっと今みたいに眉間にしわ寄せてるのかな。ちょっと気になるかも。

 

「江戸城って、徳川家康が建てたんじゃないの?」

「江戸城を築城したのは太田道灌って人だね」

「太田道灌? 誰? その人も大名なの?」

「いや、扇谷上杉っていう、この辺を領有してた大名家の家臣だよ。道灌はそこの家宰……大名に代わって政治を取り仕切ってて、その仕事の一環で江戸に城を建てたと。で、戦乱の中北条豊臣の手に渡って、最終的に徳川に与えられたって流れかな」

「へえ。ところでその扇谷上杉って、上杉謙信の上杉?」

「その上杉とはちょっと違うんだな。謙信は山内上杉ってところに養子に入ったんだけど、扇谷はその山内の分家、なのかな? 僕もあんまり詳しくないんだけど、上杉家が代々引き継いでた関東管領って役職を巡って争ったりしてて、割と仲は悪いイメージがあるかな」

「同じ一族なのに、争うのね」

「そりゃ、一族どころか親子や兄弟で殺し合うことだって歴史上の日常茶飯事さ。良かったよね平和な時代に生まれて。もし僕たち兄妹で戦うなんてことになったらどうするよ?」

「どうするもなにも、しょっちゅう戦ってるじゃない。将棋で」

「確かに。そういえば将棋って戦争のゲームだったね」

 

 兄妹で他愛のない会話が弾む、のんびりと時間が流れる朝だった。もうすぐ天衣が勝負の世界に身を投じるということを忘れそうなほど。対局に際して、リラックスした精神状態で臨めるのはとてもプラスに働く。時折すぐ近くを追い抜いていく名も知らないランナーたちに急かされた気分になりながらも、僕は努めてゆったりと歩を進めた。天衣にとって心安らぐ時間が、少しでも長く続くように。




今我々は、将棋星人による地球侵略の瞬間を目の当たりにしているのだ
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