天衣のお兄ちゃんの話   作:久遠_

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プロとスポンサー

「いやあ……これはこれは」

「何これ? 私とあいの名前に沢山シール貼ってあるけど」

 

 対局が行われる、ビルの二階イベント会場に着くと、僕らを出迎えてくれたのはマイナビ恒例となっている個人スポンサー数を示すボードだった。参加者の名前の横に、対局者に懸けられた懸賞の数を表すシールが貼ってあって……天衣と雛鶴さん、この二人だけ飛びぬけた量のシールが貼られていた。二人に次ぐ三番手の鹿路庭さんが20個弱であるのに対して、二人はその十倍程の数はありそうだった。

 

「個人スポンサーの数だよ。お金を払って、お前の対局を近くで見たり対局後に写真撮ったりしたいファンの人の数」

「女流が外に媚びを売る仕事だってことはわかってたけど、そんなことまでするのね」

 

 うんざりしたような表情をして、天衣は吐き捨てるように言った。ただ一人として四段――プロ棋士が生まれていない女性を、将棋普及のためにプロ棋士とは別枠で将棋界に取り入れようという目的で作られたのが女流棋士というシステムだ。その背景から、女流に真に必要な能力は将棋の強さではなく容姿や愛嬌、聞き手の上手さやイベントでのトーク力だと、そう考える人は残念ながら少なからず居る。女流棋士の存在意義は客寄せパンダだと。でも、前提として、将棋を指すという行為が何も生産しないのはプロである僕たちだって変わらないはずだ。だから、外部の人たちから「金を出してもいい」と思わせることがプロと女流で変わらない存在意義であることは間違いないはずで、将棋の強さや勝ち星だけがこの世界の住人の価値ではないと僕は思っている。棋士の価値が強さだけなのはその通りだと思うけど。

 

「将棋が職業として社会に認められて、僕たちが対局料を貰えるのも将棋界の外の人たちのおかげだよ」

 

 将棋は他のプロ競技、例えば野球なんかと違って、試合に当たる対局を自前で開催しているわけじゃない。給料も所属組織から出ているわけでもない。ほぼ全ての棋戦がスポンサーによって主催されていて、棋士の収入もその対局料やイベント出演料に依存するから、スポンサーが撤退してしまったらもう僕たちは店を畳むしかない。そしてスポンサードする企業側からすれば、お金を出す価値は対象の人気や注目の多寡によって増減する。つまり、ファンの多さだ。

「だから、スポンサーやお金を落としてくれるファンに支えてもらって僕たちは将棋が指せるんだ。特に今日みたいなファンとの距離が近いイベントは、ファンからすれば貴重な棋士との交流の機会だから、あんまり邪険にしないこと。それが自分の居場所を守ることにも繋がるからね」

 

 僕の話に、天衣は小さく頷いた。多分、お金が絡んだ文字通り大人の事情は、小学生のこの子には難しいだろう。今はまだ、ファンとスポンサーを大事にしろってことだけ伝わればいい。

 

「まあとにかく、今日は対局のおまけにファンとの写真撮影があるとだけ分かっていればいい。僕たち将棋を仕事にしている人間にとって、ファンサービスや人気取りも大切な仕事の一つだから、ちゃんと愛想よくするんだよ」

「う……わかったわよ」

 

 

 

 

 対局者控室に向かう天衣を見送ってから、僕も一般客用の受付へと向かう。受付は、ファンの人たちが長蛇の列を作っていた。今並んでいる人だけでも、ざっと100人は居るだろう。女流棋戦の予選って、こんなに人入るの? プロ一般棋戦の毎日杯も準決勝から公開対局だけど、ここまでの人は居なかった。すげーと思わず口に出しつつ列の最後尾に並ぶと流石に将棋ファンは目敏くて即時身バレし、騒ぎを聞きつけたスタッフに関係者用の控室に移された。

 

「お忙しいところ騒がしくしてすいません」

「いえいえ、むしろこちらから棋帝にお礼申し上げたいくらいですよ! あんなに若くてスター性抜群のお弟子さんをウチでデビューさせて下さるなんて!」

 

 控室へと歩く廊下で、黒いスーツに身を包んだスタッフさんは大仰な手ぶりをつけて話し出した。

 

「ほんと、九頭竜先生と夜叉神先生には頭が上がりません! お二人のお弟子さんのおかげで集客数が倍増じゃ済まないくらいですよ!」

「シールもいっぱい貼ってありましたねぇ。あれ、きっと多いんですよね?」

「最高記録を10倍近く更新しています」

「おいおい将棋ファン大丈夫か」

 

 9歳の女の子に殺到して写真撮りたがるファン層ってどうなのよ? いや、考えてみれば既に女子中学生の銀子ちゃんが将棋界一番人気の時点で結構似たようなもんか……。若い方が良いって言っても限度があるでしょ。さっき天衣にファンを大事にしろって言った手前アレだけど、女流棋士を何か別の職業と勘違いしてないか?

 

「こちら控室になります。自由にお使いいただいて結構ですから」

「ありがとうございます」

 

 ドアの前まで案内されて、とりあえずノックをして扉を開ける。中には長机とそれに沿ってパイプ椅子が並んでいて、右奥の机に二人、見知った顔が隣り合って座っていた。明らかに対局用とは違う、仕立てのよさそうな黒いストライプのスーツに身を包んだ八一と、紺色のセーラー服に青みがかった白髪が映える銀子ちゃん。何か二人で会話をしていたようだけど、僕が入ってきたことに気が付いた八一が右手を挙げ、銀子ちゃんが続いて会釈をする。僕はふらふらと左手を振って「おはよー」と返答し、彼らが座る位置の対面に座った。

 

 この面子で顔を合わせるのは久しぶりだった。八一とは今も研究会が続いてるし、銀子ちゃんとも会館で会えば話したり将棋を指したりもする。けどそれぞれが今はトップ棋士として活動しているからか、なかなか三人でエンカウントすることは少なくなった。昔……修行時代はよく僕が清滝先生宅にお邪魔して、三人で負け抜けで指したりしたんだけどな。偶に関東から同級生の歩夢も来てたっけ。

 

「おう蒼天、棋帝獲得おめっとさん」

「おめでとう蒼天くん。第三局、凄い将棋だったわね?」

「ありがとう二人とも。第三局、結構評判良いみたいなんだよね。男鹿さんからも言われたよ」

「そりゃそうだろ。意地と意地のぶつかり合いって感じで、お互い一歩も引かずに殴り合ってたからな。ニコ生も凄い盛り上がりだったぞ?」

 

 ニコ生で解説を担当していた八一が言う。その言葉そのものは嬉しかった。ファンに喜んでもらえる派手な将棋を指すことは、常に念頭に置いていることだから。ただそれを聞いて、僕としては八一に思うところがあったことを思い出した。

 

「でもその割に、ニコ生中継で一番盛り上がった瞬間は対局関係ないシーンだったらしいね? 何か心当たりがあるんじゃないかな八一くん?」

「やべ墓穴掘った!?」

「ロリコンキモ……頓死すればいいのに」

 

 棋帝戦の翌日、天衣と指導対局しながら八一が解説を務めたニコ生中継をタイムシフト視聴していると、衝撃の光景が目に飛び込んできた。どこからか現れた欧米系の幼女が、八一の頬に口づけをしていた。思わずほえーと口をついて声が出た。画面を映像が見えない程の数のコメントが覆い、将棋中継史上類を見ない祭りになった。後で棋帝戦でネット検索をかけると、悲しいことに上位に並んだのは殆ど八一絡みのサイトだった。僕の記念すべき初タイトルのはずなのに、他ならぬ八一によってサジェスト汚染を受ける羽目になってしまったのである。この恨みは当分忘れないだろう。少なくとも今後10年は解説やイベントでのトークの持ちネタとして使ってやろうと決意を固くしている。

 

「そ、それより! 蒼天は今日来られて良かったな! 天衣ちゃんに棋帝戦ストレート勝ちして応援に行くって約束したんだろ? 良かったな!」

「ん? なんで八一がそれ知ってんの?」

「前に天衣ちゃんがウチに来た時に聞いたんだ。ニコ生解説の話のネタになるかと思って」

「えっ? 天衣がお前んち行ったの? 何で?」

「あいがよく研修会の帰りに連れてくるんだ。他にも何人か年の近い女の子も居て、皆で楽しそうに将棋指してるよ」

「他にも何人か……? お前真性かよ」

「ちょっと! 連れてきてるの俺じゃないから!」

 

 他にちゃんとした目的があるとはいえ、妹が男の家に入り浸っているというのは兄として複雑な心持である。しかも初めはブラックジョークの類として聞いていた九頭竜ロリコン説も、最近物的証拠が着々とそろいつつあるように見えてきた。兄として、警戒心を強めない訳にはいかない。

 

「蒼天くん、妹さんにちゃんと言っておかなきゃダメよ? 不審者の住む家には近づくなって」

「俺の身元は将棋連盟が保証してくれるからね? れっきとした竜王だからね? 不審じゃないよ?」

「八一、お前僕の妹に変なことしたら命は無いと思えよ」

「しねえよ!」

「他の子に対しても、本人の合意があっても条例ではアウトだからね? 現役タイトルホルダーが逮捕なんてやめてね?」

「ロリコンキモ……頓死すればいいのに」

「だからロリコンじゃねーから!」

 

 ちなみに、天衣に手を出したら命が無くなるのは高確率で真実であろう。うちの妹はヤクザーの姫状態なので、万が一があればチャカ持った怖い人たちが総力を挙げて復讐に動くだろう。さもありなん。

 

 

 

「ところで、八一は仕事で来てるんだろうけど、銀子ちゃんはどうしたの? 女王戦に向けての視察?」

 

 八一の抵抗も虚しく、九頭竜八一ロリコン説に一定の決着がついたところで(僕は冗談の範囲内だと一応まだ思っている。僕(・)は(・))、この控室に入った時からの疑問を切り出した。

 

 八一はスーツを着ているから仕事だろうと察しはつく。対して銀子ちゃんはセーラー服。中学生にとって制服は正装、つまり銀子ちゃんも仕事で来たんだ! と考えるのは早計である。なぜなら銀子ちゃんは公私関らず外出時は殆どセーラー服だから。よって服装で仕事かプライベートかを見分けることが難しい。彼女はこの棋戦のタイトル、女王の保持者であるから自分への挑戦者を選抜する予選を観に来たのかとも思ったが、ぶっちゃけ彼女の実力は女流の中では飛びぬけている。視察なんかいらないだろう。僕の疑問に、銀子ちゃんに代わって八一が答えた。

 

「今日は大盤解説の仕事だよ。俺が解説、姉弟子聞き手で仕事が入ったんだ」

「えっ、銀子ちゃんが聞き手やるの? 女王なのに? そんなことある?」

 

 二人の口から発せられた驚きの言葉に、思わず声のトーンが上ずった。マイナビが主催する棋戦で、そのタイトルホルダーが聞き手をするなんてことある? 解説役がその名の通りその将棋の解説、説明をするのに対し、聞き手は解説が上手くその仕事を出来るように導く誘導役だ。つまり畢竟、聞き手より解説役の方が立場は上になる。いくら相手が竜王とはいえ、自社のタイトルホルダーを聞き手で起用するなんて、にわかには信じられなかった。

 

 僕の言葉に確かに、と頷いた八一が「姉弟子何か聞いてないんですか?」と聞くと、銀子ちゃんはつらつらと何事かへの言い訳を長々続けながら「解説の依頼が来たからついでに弟子の応援で現地に駆け付けるであろう八一を推薦した」という旨を話し、最後に早口で「寂しく誕生日を過ごすであろう弟弟子に仕事をプレゼントしてやろうって気持ちも無きにしも非ずですけど?」と続けた。その言葉を聞いて、本日八月一日が八一の誕生日であることを思い出し、そして大盤解説の歪なキャスティングの理由にも得心がいった。そして同時にその素直じゃない感情表現に既視感てんこ盛りな僕は思わず吹き出し、銀子ちゃんから冷ややかな視線をいただくことになった。

 

「あれ? でも、蒼天も弟子が出場してるじゃないですか。だったら俺より蒼天を呼んだ方がファンも喜ぶんじゃないですか? 人気は俺より蒼天の方が上っぽいし」

「いや僕は棋帝戦の最中かも知れなかったし。つーかお前、今の話聞いて意図が分からないわけ? 相っ変わらずにぶちんだなあ」

「いいのよ蒼天くん。このバカがバカなのは昔からだから。むしろバカがいつも通りバカで安心するわ」

「ちょっと二人して何に怒ってるんですか……」

 

 その数分後、解説開始をスタッフが告げに来るまで僕らの八一弄りは続いた。その声を聞いて水を得た魚のようにこの部屋を脱出した八一。控室に残された銀子ちゃんの右肩を叩き、「あいつはあんなんだけどストレートに表現すればちゃんと伝わるから。頑張るんだよ」と心からの応援を送った。銀子ちゃんは小さくため息を吐いたのち、疲れたような顔で頷いた。

 

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