◇◆◇◆◇◆
「思ったより遅かったね」
「あー、うん。ちょっと話してた」
お祖母ちゃんに
「――で、どうだったかい?」
「どうってなにが?」
嬉々とした様子で尋ねてくる祖母。彼氏の1人でも連れて来いだとか、ひ孫の顔が云々とか言われている身としては何を期待しているのかを何となく察するが、帽子をパタパタと団扇代わりにしながらあえて誤魔化す。
「そのままの意味だけど」
「悪い人じゃあないと思うよ。ちょっと変わった人だね」
物腰が穏やかだし。変に人の胸や脚をじろじろ見るわけでもなく……ちょっと怖いくらい真っすぐに、本当に真っ直ぐに目を見て話す人だった。まるで何か腹内を見透かされているような感じがして、逆にこっちが視線を逸らしてしまった。後ろめたいことがあるみたいじゃないか、私ぃ。人様を勝手に値踏みしていたせいかもしれない。いや……後ろめたいのは
顔は普通だと思うけれど声は凄く魅力的に感じた。そこは私の職業柄、なんだけれども。後、鎖骨は中々良かったと思います、うん。後は――
「ただ……何だろう…………作り笑いしてるというか、そういうのだけは気になったかな」
きっと単純に笑うのが苦手なんだろう。意図して笑っているような表情を作っている感じ。特殊な業界にいるせいか、そういう人の機微、顔色うかがいが上手になってしまった私だから違和感を覚えたんだとおもう。会話していて不快になったりだとか、そういうものではないのだけれども……
うちのお祖母ちゃんが手放しに人を褒めることなんてそう珍しくもないのだが、彼のことは随分気に入っているらしい。まあ日頃から力仕事や家の整備とかも手伝ってくれる好青年らしいから当然だよね。まだ二十代という話だが、もっと年上に見える。老けているというと失礼かもしれないが落ち着き方が三十代、四十代のそれと変わらない。
「ひ孫の顔みたいなぁ、みたいなぁ」
「やめてってば。それに
「この前ゲームの声やったってお母さんから聞いたよ」
「あー、うん。ゲームだね、うん、ゲーム」
年齢制限付。所謂『エロゲ』というやつである。声のお仕事がしたくて声優の専門学校みたいなものに学校とは別で通って、今は一応は事務所所属。とは言えテレビアニメや外画吹き替えと言ったお仕事は皆無。何年か前、高校生だった頃に名前もないモブキャラで出演があった程度。その頃にプロデューサーから肉体関係を迫られる、言うところの枕営業的なお誘いを持ちかけられ、思わず相手を引っ叩いた上に罵倒してしまった。
一応向こうは冗談のつもりだったってことらしく、同じように声をかけられた娘が何人もいるという話もある。本当にそういう関係を結んでいる娘も居るとか居ないとか。流石に引っ叩いたのは不味かったらしい。確かに暴力はよくない。
その結果、表の仕事は干されてしまったのである。それでも声の仕事がしたくて今は専らアダルトゲームの声優出演がメインになった。それなりに実力を評価してもらったのか、そっち方面のお仕事はそれなりに頂いている。
この出来事以降、男性に触れるような距離に近付かれると身体が強張ってしまう。あの時触れられた腕の感触を思い出し、寒気のようなものが走る。幸い適度な距離感さえあれば会話程度何の問題もない。
男性恐怖症、というほどのモノでもないのだろうけれど。こんな状態の私がアダルトゲームというのは少々矛盾していると思われるかもしれない。ただ、どこぞの変態プロデューサーよりエロゲ作ってる人の方がよっぽど紳士なのである。後、案外ストーリーがきちんとお話として面白いものも多いのが侮れない。もちろんそういう男性の欲を満たすための、そういう類のものもあるけれど。
そういう関係を断った挙句、演技とは言え嬌声を収録している今の自分も他の人から見れば滑稽で笑えるのかもしれない。
当然、両親にもこの仕事の件については随分反対されてしまい、現在は疎遠気味。とは言え、話を聞く限り私の直近の仕事内容くらいは把握しているらしい。お祖母ちゃんも多分知っているんだと思うけれど、特にその件についてのお説教はない。母親経由で説得するように言われたりとかしていると思ったけれど……
「夢を持つのはいいことよ。うん。わたしは幾らでも応援するから」
「ありがと」
確かに世間様には大声で言えない職業かもしれない。それでも私は私なりに誇りを持ってこの仕事を全うする。媒体は違えども誰かに自分の演技を、声を届けるということには何ら違いはないのだから。
「夢、かぁ…………」
こちらで活動する際には
私は――自分がだいきらいだ。ほんとうに。
矛盾を孕んだ自分がきらいだ。情けない自分がきらいだ。うじうじいつまでも悩んでいる自分がきらいだ。承認欲求が強い自分がきらいだ。嫌なことからすぐに目を背けてしまう自分がきらいだ。心の弱い自分がきらいだ。こんな自分が――だいきらいだ。
「辛かったらいつだってここに帰ってきていいからね」
「うん……ありがとう。お祖母ちゃん…………」
◇◆◇◆◇◆
「それにしても……あの人の声、どっかで聞いたことあるんだよなぁ……」
例の彼の声が少しだけ引っかかっていた。どこかで会ったことがあるのだろうか。発声や滑舌からしてボイトレとかしていそうな感じがするのだが、普通に在宅ワークだと言う。同人音声とか出している系の人だったりする? それとも在宅だと通話で本社の人とお話する事が多いし、直接話するよりも余計気を付けていたりするんだろうか。設備によって聞き取りにくいとかもあるだろうし。
変わった人だった。私があの人の作り笑顔に気が付いたように、あちらも私の様子に何かしらの違和感を覚えたらしい。帰り際にかけられたあの言葉はきっとそのせいだろう。
「何か悩み事があるならお話くらいなら聞きますよ。身内には言い辛いことだってあるでしょう?」
「そんなに顔に出てたかな……?」
頂いた羊羹をぱしゃりと撮影して、ボカシを入れてからSNSに書き込む。
葵 陽葵@himari_aoi 頂き物の水羊羹。 美味しい! pic.vitter.com/gazou01 |
まあフォロワーなんて100人弱。いいねやリツイートもほんの数件程度で終わる。テレビアニメで主役を張るような人たちは数万、数十万のフォロワーを抱えているが、そんなのは業界の上澄みも上澄み。大多数は名も覚えられずに消えてゆく。声優の専門学校の中には就職率が100パーセントを超えるというのを宣伝文句にしていたりもしたことがあるのだが。その実態としては、学校側が都合の良い生徒のみを就職希望者としてカウントした上で、生徒1人に対して複数の内定があったものも計算に入れる場合。家事手伝いなんかも就職としてカウントするケースなど様々である。ちなみにあの手の専門学校を出ても、声とは無縁の就職先が大半である。
それでも一握りは成功する者もいる。
「…………」
昔同じ専門学校に通っていた同期が深夜のアニメのレギュラーを獲得することだってある。演技なら彼女に負けていない。寧ろ私の方がずっと上手くやれるはず……それでも成功しているのはあの娘だった。これはただの嫉妬だ。彼女の方も私がこの手の仕事をしていることを知ってか知らずか、『今何してる?』なんて事を聞いてくる。胃がキリキリと痛む。
――わたしはなにもまちがっていないはずなのに。
「いけない、いけない。暗くなっちゃうのは駄目駄目。演技に影響出たらどうするんだ、私」
パンパンと頬を叩く。折角の休暇。暗い気持ちになってどうする。こんな状態祖母にとても見せられたもんじゃない。また変に気を遣わせるわけにもいかない。
「ん……?」
丁度タイムラインには見慣れぬアカウント。どうやらお世話になったゲームブランドさんがリツイートした内容らしい。『あんだーらいぶ』――昨今流行ってきたバーチャル配信者の所属グループの名前だ。私も出演していた最新ソフトの宣伝案件をやってもらった経緯もあるし、その繋がりだろう。
くりぃむソフト公式さんがリツイート あんだーらいぶ公式@underlive_official 要望の多かった柊 冬夜イベント限定グッズ再販いたします、 詳細は下記のURLを参照下さい。 https:underlive_news.jp |
「へーすごい、グッズとかも出してるんだ。うっげ、フォロワー数すっご。やっぱ流行ってるんだ」
公式アカウントとは言え十万人近くのフォロワー数は恐れ入る。私がいままで出演したどの作品のメーカーよりもフォロワーが多い。そこまで詳しくはないが、一応サブカルチャーと触れ合う機会が多い職業柄情報は自然と耳に入ってくる。生放送の視聴者数がどうとか、トレンド入りしただとか、投げ銭が凄いなどなど。一方で穿った見方かもしれないが、『よく炎上している』というイメージもある。それだけ注目度が高いのか、あるいは演じている側の意識の問題か分からないけれども。
ただ、私からすれば華やかな舞台で活躍する有名Vtuberばかりに目移りしてしまって、自分自身と比較してちょっと凹む。興味半分でリンクを踏んでみると専用のグッズ販売ページに飛ばされる。
グッズ紹介ページには各々のキャラクターがプリントされたキーホルダー、クリアファイル、アクリルスタンド、Tシャツ、果ては何故か畳のフィギュア。いや、どういう経緯で畳のフィギュア製作に至ったのか真面目に問いたい。後、何故か完売になっているのがまた可笑しい。思わず吹き出しそうになってしまう。
ライバー一覧の項目をタップする。
「こんな沢山いるんだ。ウチの事務所の所属声優より多くない?」
絵柄は多分イラストレーターさんが各キャラクターによって違うのかタッチから彩色まで結構バラバラ。こういうのがある種の個性として認識されているのかもしれない。男女比で言えばほとんどが女性キャラクター。パッと見で男性は2人ほど。
「ボイスの販売まで……」
本当に人気なんだなぁと思い、自分なんかよりもよっぽど輝いて見えて少しだけ憂鬱になる。フォロワー数も少ない。ファンもいないし、代表作品として名を挙げるようなメインキャラを演じたこともない。エゴサしたときはどこかの掲示板でエロ方面の演技が下手糞とか書き込まれているのを見たときにはマジで凹んだ。経験浅いとは言え色々と練習はしたのだ。
ナニを舐めるとかああいったシーンはアイスキャンディー舐めたりとか、手の甲を舐めたりとか人によって色々違ってくる。出演数が多い人なんかだとそれでタコが出来たりする先輩もいる。チュパ音ダコ凄い。職人芸みたいなところがあるし、なんか素直に尊敬してしまう。それだけ自分の仕事に責任を持ってやっているってことだし、経緯上仕方がなくこっち方面の仕事を始めた身としては非常に申し訳ない気持ちになってしまう。
「ん……?」
ファングッズを眺めていると何やら既視感のあるデザインのTシャツ。何かのロゴみたいなものがプリントされたもの。サブカルチャーのグッズであれば、そのキャラクターがプリントされたものを想像しがちだが、これは普通に街中で着ていても違和感のないデザインだった。
つい最近どこかで見たような――あ、最近どころかついさっき見た。彼が着ていたのはこれだ。Vtuberのファン?
このグッズは柊 冬夜というキャラクター? 人? のもの。この中の人が彼なのだろうか。直近の数万回以上も再生されているガチャ動画。それをちらりと見るが、声は全く別。ソシャゲのガチャ回すだけの動画で数万回も再生されているって凄いな。
そもそもVtuberの動画普段見る事もない。ではどうして声にまで聞き覚えがあったのか……? いや、一度見たことがあった。そう――自身の出演する作品をどう紹介するのか、気になって7月にとある配信を視聴した記憶があった。
「確か……」
当時高評価ボタンを押したので、すぐわかった。
『【くりぃむソフト】Flower Days体験版をプレイする【神坂 怜/あんだーらいぶ】』というタイトルの動画。その動画をタップする。再生画面の左上には『プロモーションを含みます』の表記。これが付いているのは言うところの案件配信というやつらしい。
「と言うわけで今日は、くりぃむソフトさんのFlower Daysをやって行こうと思います」
「これだ」
点と点が繋がり、スッキリする。在宅ワークと言って詳細を誤魔化したのも納得がいくし、間違いでもない。契約上第三者にそう易々と企業ライバーだなんて言えない。
「神坂 怜……」
いかん。人気のVtuberグループの男性Vと個人連絡先を交換してしまった……これが表に知られると私、滅茶苦茶叩かれたりするやつかな?
「世の中狭いなぁ……ま、フォローしとこっか」
◇◆◇◆◇◆
少し彼の活動について調べてみる。まず『神坂 怜』と入力すると『炎上』という単語が出てきた。同僚の女性Vtuberと仲が良いだの、社内の情報を外部に漏らしただの本当に好き放題な言われようだった。前者に至っては別に悪くなくない? 後者は後者で最早言いがかりじゃん。まあアイドル声優に彼氏がいるとダメな、ああいうパターンなのだろうか。
配信のコメント欄は好き放題言う人や、SNSでも名指して批判する人、どこかの掲示板だろうか? 呪詛のような見ているだけで不快になるようなものばかりが目に付いた。直近の配信をチラリと見るが、そういったものを気にしている素振りなんて全くない。辛くはないのだろうか? 辞めようとかそういう風に考えたことはないのだろうか? どうして平気で居られるのだろうか。心の弱い私には分からなかった。
「何か悩み事があるならお話くらいなら聞きますよ。身内には言い辛いことだってあるでしょう?」
彼の言葉が脳裏をよぎる。
――もし彼に今の自分の状況を伝えるとなんて答えてくれるだろうか? 先述した私の疑問になんて回答するだろうか。
「今日会ったばかりの人に、一体何を考えてるんだ私。はぁー」
情けない。料理用にあった日本酒でも煽りたい気分だ。まあお酒弱いからサイダーで我慢するけど。
「あしたははれるといいな」
晴天の空を見上げながら独り言ちる。スマホに何かの通知でも来たのか僅かに振動するのを確認した。どうせ大したものでもない。迷惑メールか、よくてさっきのツイートに『いいね』が付いたってところだろう。そう思って確認すると『神坂 怜からフォローされました』という通知。
「……い、いやぁただのフォロバだよねぇ」
だが、さっき羊羹の画像あげちゃったよね? 画像を加工してあるとは言え、バレてたりしない? これ。
「ま、まあ……気にしたら負けだよね。うん」
本当に世の中って狭い。
新キャラ視点のお話でした
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