退廃女神禄:ネプテューヌ   作:宇宮 祐樹

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前編

 

 それは、とある朝のこと。

 

「…………あれ?」

 

 プラネテューヌの女神であるネプテューヌは、自分が変身できないことに気が付いた。

 例えるなら、電灯のスイッチが見つからないような感覚だった。いつもそこにあるもの、やろうと思えばすぐに切り替えができるもの、常日頃意識せずとも存在を認知できるもの。

 それが存在しないということに、はじめネプテューヌはひどい違和感を覚えていた。次いでくるのは、恐怖と不安。じわじわと湧き上がってくるその感情にだんだんと支配されたネプテューヌは、たまらずベッドから飛び出ようとして、その体を強く床へと撃ち付けた。

 

「え?」

 

 腕が思うように動かなかった。足も。かろうじて動かせるのは口と眼球くらい。

 明らかな異常だった。とにかく呼吸はできるから、すぐ死に至ることはない。だが手足に力が入らないような、まるで腕と足とが身体と繋がっていないようなそんな感覚に、ネプテューヌの抱えていた恐怖がぐんぐんと肥大化していく。押しつぶされそうだった。

 なんとか感覚を掴もうと四肢を動かすが、世界は未だに横たわったまま。気の触れたように床で蠢いているその姿は、とても一国を背負う女神とは思えなかった。

 やがてネプテューヌの動きが止まる。そして彼女は、すぅ、と大きく息を吸い込んで。

 

「たッ……たすけてネプギアーー!! マジヤバいかも! はやくきてーー!!」

 

 渾身の叫び声に帰ってきたのは、どたどたという忙しない足音だった。

 

 

「おそらく、シェアの下降が原因でしょう」

 

 あれからネプギアに事情を話したのち、原因究明のためにイストワールへの報告をしてから、しばらく。言い渡されたのは、そのような回答だった。

 ベッドの上で寝たきりのネプテューヌへ向けて、イストワールが続ける。その傍で座っているネプギアは、本人よりも真剣な表情で彼女の言葉に耳を傾けていた。

 

「現在のプラネテューヌのシェアは下降状況にありますから。それに、女神の転換期も近いですし、国民のネプテューヌさんではない別の女神を求める意志が強くなっているのでしょう」

「でも、それっていつもの事じゃないですか? これまでに女神の転換期なんて何度もありましたし、お姉ちゃんはそれを何度も乗り越えてきたはずなのに、今回だけどうして……」

「違うんですよ、ネプギアさん。毎回毎回、こうなってもおかしくなかったんです」

 

 イストワールの言葉に、ネプギアが口を噤む。

 そして流れた沈黙を破ったのは、ネプテューヌ本人であった。

 

「えーっと、つまり? 私の身体を治すにはどうすればいいの?」

「そうですね、今のところシェアを収集する以外に方法はありません。ですが、ネプテューヌさん本人がこのような状況ですから、どうにも難しくて……」

「だったら私がなんとかします! とにかくシェアを集めればいいんですよね? ならクエストでもなんでも私、やりますから! できることなら何でもしますから、だから……」

「そういう問題でもないんですよ。落ち着いてください」

 

 声を荒げるネプギアへ、イストワールが淡々と告げる。

 

「今ネプギアさんが動くと、シェアがネプギアさんの方へ集中してしまうかもしれません。そうなると、ネプギアさんが次の女神として国民に認められてしまって、ネプテューヌさんの身体が治らなくなる可能性がありますから」

「そんな……」

「とにかく、今はネプテューヌさん身体の方を優先してください。シェアの方は私がどうにかしておきますから。しばらくはネプテューヌさんのお世話をお願いしますね、ネプギアさん」

「……わかりました」

 

 肩を落としながらも、ネプギアはイストワールの言葉に首肯した。

 

「ネプテューヌさんもです。必要以上に動こうとはせずに、何かあったらネプギアさんや私を頼るようにしてくださいね。何かあってからでは遅いですから」

 

 向けられた言葉に、ネプテューヌは首を縦に振ることしかできなかった。

 

「では私はこれで。ネプギアさん、大変でしょうがよろしくお願いしますね」

「はい、任せてください。お姉ちゃんのお世話なら慣れてますから!」

 

 どういう意味かと問いただしたくなったが、今この場に限って、ネプテューヌは日ごろの行いを恥じていた。それくらい、今の彼女は余裕がなかった。先にかける希望が何もなかった。

 イストワールの言葉を端的に訳せば、とにかく動かずじっとしていろ、ということだった。落ち着きのないネプテューヌとってその指示は苦痛だったし、何よりいつ治るか分からないことが、彼女に底の知れない不安を抱かせていた。普段より口数が少なくなることも、仕方なかった。

 そんな普段とは様子の違うネプテューヌを気遣って、ネプギアが声をかける。

 

「お姉ちゃん、何かしてほしいことある?」

 

 月並みな言葉だな、などと自分に飽きれているネプギアへ、ネプテューヌは。

 

「プリン、食べたいな」

 

 

「何よ、思ったより呑気にしてるじゃない」

 

 聞きなれたその言葉に、ネプギアとネプテューヌの二人が扉の方へと視線を向ける。

 声の主はアイエフだった。その隣にはコンパ。どちらもネプテューヌの友人であった。

 

「ねぷねぷ、大丈夫ですか?」

「ん、今のところはなんとかって感じかな」

「大したことないみたいじゃないの。あんまり心配かけないでよね」

「ごめんね、あいちゃん。いーすんがうるさくってさ」

「あいちゃんったら、ねぷねぷが倒れたって聞いて、今やってる仕事も投げ出してものすごい勢いで私のところへ来たです。だから、ねぷねぷがなんともなくて安心してるんですよ」

「あのねコンパ、そういうの本人の前で言わないの」

 

 また調子に乗るだろうな、とアイエフがため息を吐きつつ、ちらりとネプテューヌの方へ目をやる。けれど彼女は力のない笑みを浮かべるだけ。小さく、ごめん、という呟きが聞こえた。

 

「……前言撤回するわ、相当やられてるみたいね」

「あー……やっぱり分かっちゃう?」

「何年あんたと付き合ってるって思ってるのよ」

 

 アイエフの返しに、ネプテューヌはまた力のない笑みを浮かべるだけだった。

 

「それで? 今は何してたの?」

「お姉ちゃんがプリンを食べたいっていうから、食べさせてあげてたところです」

「そっか。じゃあ差し入れはこれで良かったみたいね」

 

 差し出したアイエフの袋を、ネプギアが受け取る。

 

「ねぷねぷのことだから、プリンがいいんじゃないかって思って買ってきたんです」

「どうせ他にすることもないんでしょ? だったらせめて、好きなものでも食べてなさいよ」

「二人とも、ありがとうございます。よかったね、お姉ちゃん」

「うん、ありがと」

 

 微かな笑みに、二人はしっかりとした笑顔で返してくれた。

 

「調子が戻るまではどれくらいかかりそうなの?」

「それが分からなくって……いーすんさんも実は見通しもできてないって」

「もしかしたら、ずっとこのままっていうことはないですよね?」

「決してない、とも言えないらしいです」

「そう……」

 

 交わされる三人の会話を聞きつつ、ネプテューヌはぼんやりと天井を眺めていた。

 女神になってから、こんなことは一度もなかった。シェアの下降なんて言ってしまえばいつも通りのことだし、毎回毎回元通りになるまで頑張ったことも。

 しかしながら、今回はそうもいかない。シェアの下降は今までにないくらいのものであり、それを取り戻す手段も今のところ存在しない。イストワールとネプギアを信じていない、というわけではないが、結局は運を天に任せることに変わりはなかった。

 先行きの見えない不安がふつふつと湧いてきて、離れることはない。アイエフに元気がないことを見抜かれた時、少しだけどきりとした。それくらい、皆に違和感を与えているということだった。それは女神として、国を守る者として決してあってはならないことだった。

 そんな中で、ネプテューヌはふと、あることを思い出す。

 

「ねえ」

「あ、ごめんねお姉ちゃん。プリン、まだ食べかけだったもんね。はい、あーん」

「そうじゃなくて」

 

 しかしながら運ばれてきたプリンを断れるはずもなく、あむ、と食んでから続ける。

 

「国民のみんなはどうしてる?」

 

 問いかけに、アイエフとコンパは一度顔を見合わせてから、答えた。

 

「特に変わった様子はないわね。いつも通り、って感じよ」

「ねぷねぷが心配するようなことはないですから、安心してほしいです」

 

 得られた回答はそれだけだった。しかしネプテューヌはその言葉にどこか、言い表せない寂しさを感じていた。けれどそれを口にするのは憚られた。何かが変わるわけでもなかったから。

 それからは世間話を少ししたあと、また近いうちに来るとだけ残し、二人はそれぞれの職場へと返っていった。二人を見送ったのに、ネプギアは再びネプテューヌの傍へ寄り添った。

 

「アイエフさんたちが来てくれてよかったね、お姉ちゃん」

 

 ネプギアの言葉に、ネプテューヌも笑顔で返す。

 ただ、どうしてか心には、歪な寂れた感情が残っていた。

 

 

 三日が経った。

 

「で、調子はどうなのよ」

 

 ノワールの言葉に、ベッドの上のネプテューヌは腕の調子を確かめながら、返した。

 

「まーだいぶ良くなった、って感じかな? 少なくとも寝たきりのまま、ってことはなくなったよ。今でもこうして普通に起きてるし、もう少しすれば歩けるようになるかも」

「ですが、変身はまだできませんのよね?」

「そうなんだよねー。でも回復してるのは事実だし、それにいーすんがいるから大丈夫だよ」

「……あなたのその自信はどこから来るのかしらね」

 

 言葉とは裏腹に、ブランは笑顔で答えていた。その隣のベールも同じような感想を抱いているのだろう、含みのない笑みを浮かべている。対してノワールだけは、未だに頬を膨らませながらネプテューヌに言葉を浴びせていた。

 

「普段がしっかりしてないからそうなるのよ。これを機に振る舞いを改めたらどう? そうすれば、私達がこうして心配することも無くなるんだから。いいわね?」

「流れるようなツンデレ、さすがノワールだね」

「私は真面目な話をしてるの! あなた本当そういうところよ!?」

「あはは、ごめんごめん。でもありがとね、ノワール」

 

 声を荒げるノワールに、ネプテューヌが返す。

 

「それにしても、みんながお見舞いに来てくれるなんて思ってもなかったよ」

「勿論よ。これはあなただけの問題ではないもの」

「え? どういうこと?」

 

 ブランの言葉に、ネプテューヌがこてん、と首を傾げた。

 

「つまるところ様子見ですわね。ネプテューヌがこうなってる原因がシェアの低下というのなら、同じ女神である私たちがそうなってもおかしくありませんもの」

「ま、杞憂だと思うけど。ほら、差し入れ。あなたのことだから、プリンで問題ないわよね?」

「私は安直すぎるって思ったんだけど、他に選ぶものもなかったものね」

「……いやいや、全然嬉しいよ! ありがとね、みんな!」

 

 ベールの言葉が少しだけ心に残ったが、それをとやかく言う暇もなかった。それに彼女の言っていることも一理ある。そこを質す気分にはなれなかったし、その問題よりもネプテューヌに対する心配の方が大きいことは、本人でも理解できた。

 

「何かあったら頼ってくれて構わないわ。あなたには頼れる人が沢山居ると思うけど、一応ね」

「私は勘弁してよ? 普段も忙しいのに、ネプテューヌの世話までしたくないし」

「でも、真っ先に集まろうと言ったのはノワールですわよね?」

「う、うるさいわね! 集まったあなた達も同じ事言えないでしょ!?」

 

 などと言い合いを始めるノワールとベールをよそに、ブランが一人、ネプテューヌの方へと寄って、その耳元で囁いた。

 

「……ああいってるけど、ちゃんとあなたのことは気に掛けてるから」

「ま、ノワールのことだもんね。ツンデレなのは今に始まったことじゃないし」

「それに、私も一応心配はしてるのよ」

「ありがとね。でも、きっとすぐに治ると思うから、そこまで気にしなくても……」

「そうじゃなくて」

 

 言葉を遮って否定したブランに、ネプテューヌがえ? と問いかける。

 

「……私達は、まだあなたに女神で居てほしいと思ってるの」

「どういうこと?」

「自分では分からないかもしれないわ。だから、この言葉だけは覚えておいて。それは私もベールもノワールも、あなたの周りに居る人すべての人が想ってること。どうか、忘れないで」

 

 終ぞ意味は分からなかったが、ブランの言葉はそこで終わってしまった。ネプテューヌにはただ疑問が残るばかり。そんな彼女の思考を遮るように、ノワールが口を開いた。

 

「とにかく、さっさと治しなさいよ。あなたが居ないと静かで退屈なんだから」

「ここまでくると、もはや狙ってるとしか思えませんわね」

「仕方ないわよ、筋金入りだもの。悪く言ってるわけじゃないから、いいと思うけど」

「なに!? 私またなにか変なこと言った!?」

「変じゃありませんわよ、むしろ可愛らしいというか、微笑ましいというか」

「それでいいのよ、ノワールは」

 

 などと言う会話を繰り広げてから、三人はそれぞれの国へと返っていった。もとより女神という忙しい立場の身なのだ、ネプテューヌにとっては来てくれるだけでも嬉しかった。寂しいからもう少しだけ居てほしい、という言葉を我慢できるくらいには、喜べる出来事であった。

 ただ、やはりブランの言葉はその日の夜まで頭の片隅に残っていた。自分が女神であってほしい、その言葉の意味をネプテューヌは理解しかねていた。

 ネプテューヌにとって女神は振舞うものではなく、自分の存在そのものなのだ。だから女神であること、という意味は分からなかったし、これからも理解することはないように思えた。この先に何があろうと、自分はプラネテューヌという国の女神なのだと、何の根拠もなく信じていた。

 今のネプテューヌが、女神という役割を果たしていない、ということにも気づかずに。

 

 

 変身できなくなってから、一週間が経った。

 ほとんど体の症状は無くなったように見えた。体に少し違和感は残っているが、歩こうと思えば歩ける程度には回復したし、それに伴ってネプテューヌにもいつも通りの元気が戻ってきた。このままの調子でいけば直ぐに回復するだろうと、ネプテューヌもネプギアも、イストワールでさえもそう思っていた。一週間前までの不安が、嘘のような順調さであった。

 だからなのだろう、ネプテューヌには余裕があった。

 

「そうですか、アイエフさんが……」

 

 聞こえは陳腐だが、リハビリと言えばそうなのだろう。

 そうやってプラネタワーの内部を歩いているネプテューヌは、謁見の間を通りかかかったとき、そんなイストワールの声を聞いた。その声色はいつもよりもいくらか深刻なもので、それが気になったネプテューヌは、立ち止まって続く言葉へ耳を傾ける。

 

「ネプギアさんはいま別のところへ出払っていて、応援に行くのは難しいかもしれません。他に回せる人員もないですし、アイエフさんには一人でなんとか凌いでもらうしかないですね……はい、残念ですがそうお伝えください。心苦しいかもしれませんが」

 

 事態はネプテューヌが思っているよりも深刻なものらしかった。イストワールがそのような判断を下すこと、そう告げている彼女の苦渋の表情を見れば、嫌でもそんなことは理解できた。

 

「場所は……バーチャフォレストの奥地ですね、分かりました。増援の用意が完了したら、すぐにその座標へ送りますから。報告、ありがとうございます。そちらも気を付けてください」

 

 そうして、イストワールがため息を吐いてから、ひとつ。

 

「……ネプテューヌさんがいつも通りに動ければ、もう少し幅が利かせられたのですが」

 

 告げた彼女の言葉に、ネプテューヌは頭が真っ白になった。

 

「でも、仕方ないですよね。ネプテューヌさんもじきに回復するでしょうし、皆さんもう少しの辛抱です。大丈夫ですよ、きっとネプテューヌさんは戻ってきます。心配なさらないでください」

 

 続けているイストワールの言葉など、ネプテューヌの耳には届かなかった。それほど、ネプテューヌは狼狽していた。足元が覚束なくなるほど感情が揺れ動かされるのは、彼女にとって初めての出来事だった。同時に、心の奥から言い表せない、逃げ出したくなるような何かが湧いてくる。

 一週間。その間、自分はただベッドの上で無為な時間を過ごしていただけ。仕方のない事とは言え、それで流せるほどネプテューヌは呑気な性格をしていなかった。自らの数少ない友に危険が及んでいることを知れば、なおさらだった。

 

「とにかく、今はネプテューヌさんが回復するまで待つしか……」

「いーすん?」

 

 ネプテューヌの問いかけに、イストワールがゆっくりと振り返る。

 少しだけ間があったのは、気のせいだと信じたかった。

 

「……ネプテューヌさん? あまり動いちゃダメって言ったじゃないですか」

「大丈夫だよ、もう平気だもん」

「それでもです。まだどんな影響が残ってるか分かりませんから」

「平気だって。だからさ……」

「アイエフさんを助けに行くなんて言わないでくださいね」

 

 そうやって続けようとしたネプテューヌの言葉を、イストワールが遮った。

 

「どうして?」

「歩けるようになったとはいえ、身体の違和感はまだ抜けてないんですよね? でしたら、今は身体の治療に専念するべき、だと言ってるんです。これ以上あなたの身体がひどくなればなるほど、今の状況が続くんですよ? 今まででさえ、限界だったっていうのに」

「だったらいーすんは、あいちゃんを見捨てろって言うの?」

「私はアイエフさんを信じているだけです」

 

 けれどネプテューヌは頷けなかった。それはアイエフを見放すことを意味していた。

 

「お願いです、ネプテューヌさん。今は女神としての力を取り戻すことに専念してください」

 

 理由は分かる。確かに今また体に支障が出れば、それこそ女神に戻れるかすらも分からない。もしかすると、このまま寝たきりの状態が続くのかもしれない。後悔するだろう。あの時イストワールの言葉を聴いていればと、死ぬまで思い続けるのだろう。

 けれどそれは、アイエフを見捨てることに比べれば、ひどくちっぽけで些細なことのように思えた。

 

「ごめんね、いーすん」

 

 それだけ残して、ネプテューヌは謁見の間を飛び出した。後ろから聞こえてくるイストワールの制止の声は、聞こえないフリをした。あんなに必死になって声を荒げる彼女を見たのは初めてだったけど、ネプテューヌが足を止めることはなかった。頭の中がいっぱいだった。

 後で叱るならいくらでも叱ればいい。何なら一、二発ぶってくれても構わない。それくらいで済めば安上がりだとも思えた。それで、彼女の元へ行かせてくれるのならば。

 どちらの選択が正しいのかなんて、正直ネプテューヌには分からなかった。イストワールの言葉にも理解は示せる。イストワールらしい、先を見据えた聡明な判断だと、ネプテューヌは飲み込める。

 

「でもさ、そんなの私らしくないじゃん!」

 

 友の危機を前にしてじっとしていることなど、ネプテューヌにはできなかった。

 プラネテューヌの女神として、ネプテューヌとして、許せる筈がなかった。

 

「待っててね、あいちゃん!」

 

 そうやって自分を鼓舞しながら、ネプテューヌが力の限り駆ける。

 一歩を踏み出すたびに増していく違和感からは、目を背けることにした。

 

 

 空を飛べないことがこれほど億劫だと思うのは初めてだった。バーチャフォレストに辿り着いた頃。既にネプテューヌは肩で息を吐くほどに疲労を感じていた。それはおそらく純粋な疲労だけではなく、明らかな異常であったが、今のネプテューヌにそれを気にする余裕などなかった。

 干上がった肺に無理やり空気を入れながら、再びネプテューヌが走り出す。

 傷だらけのアイエフを見つけるのに、そこまで時間はかからなかった。

 

「あいちゃん、っ!」

 

 振り絞ったネプテューヌの声に、アイエフが眼を見開いた。

 

「ちょっとネプ子!? あんた、なんでこんなところに……!」

「なんたって私、主人公だもん! ヒロインのピンチに駆け付けるのは当然だよ!」

 

 なんて少し気取りながら返して、ネプテューヌが正面を見据える。

 エンシェントドラゴンが一体と、その周囲にスライヌが数匹。女神化できないのが面倒ではあるが、これくらいならネプテューヌのままでも何とかなるはず。そう結論付けたネプテューヌが右手に刀を握る。そして跳躍。真っ先に狙いを定めたのは、エンシェントドラゴンだった。

 逆手に持った刀をエンシェントドラゴンの頭部へ突き立てて、そのまま首元を滑り落ちる。翼に足を付けて、一旦地面へと着地。振り下ろされた尻尾を間一髪で躱しながら、その足元へと潜り込む。

 

「ぬらー」

「んもー、邪魔っ! どっかいっちゃえ!」

 

 間の抜けた声を上げるスライヌを蹴り飛ばしつつ、エンシェントドラゴンの爪を回避。その腕へと跳び移り、再び刀を振るう。そして、一閃。巨躯が崩れ落ち、光の粒子へと変わっていく。

 後は消化試合のようなものだった。逃げ惑うスライヌを一匹ずつ踏みつぶしたり、細切れにしたり。周囲にモンスターが居なくなるのに、五分もかからなかった。

 

「は、ぁ……っ、ぜぇ……っ、く……!」

 

 地面に刀を突き立てながら、肩で息を整える。既に違和感は無視できないほどに身体を蝕んでいたが、それでもネプテューヌは立ち上がった。そして笑顔を携えながら、アイエフの方へと振り返る。

 

「あいちゃん、大丈夫?」

「……こっちの台詞よ。そんな無茶して平気なの?」

「全然問題ないよ! ほら、この通り完全復活したもん!」

 

 嘘だ。今にも倒れそうだし、頭ががんがんと鳴り響いている。下手をしたら、一週間前のあの時以上に酷いかもしれない。けれど、ネプテューヌはそれを表には出さなかった。そうやって膝をつくのはプラネテューヌの女神らしくないと、ネプテューヌらしくないと、思えたから。

 

「それよりあいちゃん、早く帰ろう?」

 

 座り込んだままのアイエフへと、ネプテューヌが手を伸ばす。

 

「……ええ、そうね。ありがと、ネプ子」

 

 そうやって、彼女の手を取ったアイエフが――再び、地面へと座り込んだ。

 

「え?」

 

 何かが割れるような音がした。割れたガラスを更に踏み砕いたような、小さなものが欠けるような、微かな音。それが自らの右肩から鳴りった音だと気づいたとき、既にネプテューヌは地面へと横たわっていた。体に走るのは鈍い痛み。そして、あの時に感じた得体の知れない違和感。

 その正体は、すぐ目の前にあった。

 

「ネプ子……? これ、どういう……」

 

 震えるアイエフの視線の、その先にあったもの。

 それは、灰となって崩れ落ちる、ネプテューヌの右腕だった。

 

 

「私はあれだけ止めました。だから、もう何も言いません」

 

 告げられたイストワールの言葉はひどく冷たいものだった。けれど、ベッドの上のネプテューヌは何も言い返せない。こちらを見下ろすイストワールとネプギアの顔をただ見上げることしか、今のネプテューヌにはできなかった。

 症状としては単純なものだった。重く言えば右腕の欠損、軽く言えば右腕が取れただけ。それ以外の身体の機能は回復中のままで、多少の不備はあるが歩くこともできる。ただやはり、右腕を失ったことは決して小さなことではなかった。先のない右肩へと残った方の手を当てると、虚無感が胸の奥からふつふつと湧いてくる。ただ、涙は出なかった。

 

「……お姉ちゃんの腕は、戻るんですか?」

「時間はかかりますが、シェアの供給さえあればあるいは、といった感じです。ただどれだけのシェアが必要なのかも分かりませんし、こんな前例はありませんでしたから」

「そう、ですか」

 

 そこからの会話は続かなかった。ネプテューヌの視界に映るのは、不安そうにこちらを見つめてくるネプギアと、ただただ現状を認識しているような、無表情のイストワールだけ。その二人の視線が、どうにも責められているような気がして、ネプテューヌは彼女らへと背を向けた。

 

「……申し訳ありません、ネプギアさん。引き続き、ネプテューヌさんのお世話をよろしくお願いしますね。他の仕事もあるでしょうけれど、どうか」

「大丈夫です。お姉ちゃんのお世話なら、任せてください」

 

 健気に返すネプギアだったが、その言葉には隠し切れない疲労が感じられた。そこでまた、ネプテューヌは自分がひどく情けなくなって、布団の中へと潜り込む。そんな姉の姿を、ネプギアはただ見つめることしかできなかった。今は何をしても彼女の助けにならないと、確信できた。

 

「では、私はこれで」

 

 立ち去ろうとする彼女を引き留めたのは、ベッドから聞こえるくぐもった声だった。

 

「あいちゃんは?」

 

 問いかけに、イストワールがくるりと振り返る。

 

「そもそもアイエフさんの怪我は大したことなかったようですよ。今はコンパさんに治療してもらっています。一日程度休めば、また現場に復帰できると思いますから、安心してください」

「そっか、ならよかった」

「……ネプテューヌさんは、それでよかったんですか?」

 

 イストワールの言葉に、ネプテューヌがゆっくりとベッドから顔を出す。そこで初めて見たイストワールの顔は、怒っているというよりは、何か思い詰めているような様子だった。そんな彼女の表情を少しだけ不思議に思ったけど、ネプテューヌはその目を真っ直ぐ見つめて、答えた。

 

「あいちゃんが無事なら、私はそれで良かったって思ってるよ」

 

 イストワールの表情に変化があった。何かを堪えるような、そんな引き絞ったもの。けれど彼女は一度目を閉じてから、すぐネプテューヌの瞳を見つめて、再び口を開く。

 

「あなたは……本当に、あなたという人は!」

「な、なにさいーすん!? あいちゃんが無事だったらそれでいいじゃん!」

「あなたは、自分が女神でなくなってもいいと言うんですか!? 私は何度も伝えたはずです! その体の不調はシェアが原因であることも、それが治らないかもしれないということも! なのにネプテューヌさん、あなたは何も私の言うことを聴きませんでしたよね!? このままではあなたはシェアを失ってしまう、ずっとその体のままで過ごすことになる、って!」

 

 そして、イストワールが問いかける。

 

「ネプテューヌさんは、自分が女神でなくなることが怖くないんですか!?」

 

 ネプテューヌが言葉を発したのは、しばらくの間を置いてからだった。

 

「……確かに、変身できなくなるのは……女神でなくなっちゃうのは、ちょっと怖いかも」

「だったら……!」

「でも、そのことに怯えて、あいちゃんを……プラネテューヌのみんなを見捨てることになる方が、よっぽど怖いよ。それだけは、何としてでも阻止するべきことだって、私は思う」

 

 やがて、流れた沈黙をイストワールが破る。

 

「あなたは、そういう女神でしたね」

 

 そこで、ネプテューヌとイストワールの会話は終わった。彼女の言葉を受け止めたイストワールは、踵を返してネプテューヌの部屋を後にする。あとに残るのは、曖昧な表情でこちらを見つめるネプギアだけ。それがどうしてか鬱陶しくて、ネプテューヌは再び布団の中へと潜り込んだ。ネプギアも何も言わず、彼女の傍から離れていった。

 

「ねえ、ネプギア。私、間違ってるのかな」

 

 その問いかけに、ネプギアはただ。

 

「私はいつだって、お姉ちゃんの味方だよ」

 

 短く、そう告げるだけであった。

 

 

 右腕を無くしてから数日、ネプテューヌの生活は大きく変化していた。

 まず歩くことすらままならなかった。身体の違和感事態にはもう慣れてきたころであったが、いくぶん片腕がないせいで、上手く左右のバランスを掴むことができなかった。生活には杖が要った。初めネプテューヌはそれを拒んだが、ベッドから降りるたびに地面に倒れることを繰り返せば、嫌でもそれが必要だと理解できた。

 ものを食べるのにも苦労した。利き腕を失ってしまっては、箸を操ることすら苦痛である。ネプギアが居なければ、今頃ネプテューヌは餓死していただろう。本当は疲れているにも関わらず、甲斐甲斐しく自分の世話をしてくれる妹の姿に、ネプテューヌは自分が情けなく思えた。

 服を着替えることも、風呂に入ることも、今では一人で出来なくなっていた。

 そして。

 

「もう少しだよ、お姉ちゃん!」

 

 プラネタワーの展望台。ネプギアの声に応えるように、ネプテューヌの三本目の脚が、かつん、と音を立てる。そして最後の一歩を踏み出してから、ネプテューヌが崩れ落ちるようにネプギアの方へと倒れ込んだ。息は荒くなっているし、手は少しだけ痺れている。熱でぼやけた視界の中には、こちらのことを覗き込むネプギアの姿があった。

 

「すごいよ、お姉ちゃん! 昨日よりもずっと歩けるようになってる!」

「そ、そっか……はは、ならよかった……かな?」

 

 曖昧な誉め言葉にネプテューヌは素直には喜べなかったが、ネプギアの気遣いを無下にすることなど、できるはずもなかった。浮かべようとした笑みに、力は入らなかった。

 

「……そろそろ戻ろっか。ネプギアも、このあと予定あるんでしょ?」

「私はまだ大丈夫だよ。それよりもお姉ちゃん、もう少し休んだ方が……」

「いいよいいよ、これもリハビリの一環だから!」

 

 なんて言いながら立ち上がるけれど、まだ足には疲れが残っていて、思わず前へと倒れ込んでしまう。そうして手をついた窓の向こうには、プラネテューヌの街並みが広がっていた。

 プラネテューヌは何も変わっていなかった。街を往く人々も、その街並みも、いつも通りだった。たとえネプテューヌがこんな無様な姿になろうとも、この国は何も変わらなかった。

 その事に気づいたとき、ネプテューヌはひどく空虚な感情を抱いていた。今ならこの手足の痛みも、自らの哀れさも忘れられた。言い表せない空白が、彼女の心を支配していた。

 

「お姉ちゃん?」

 

 恐る恐るといったネプギアの問いかけに、ネプテューヌはゆっくりと振り向いて。

 

「なんでもないよ」

 

 ただ、静かにそう答えた。

 

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「いつも通りよ。平和そのもの」

 

 アイエフが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「特に変わった様子はないですよ?」

 

 コンパが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「いつも通りだよ、お姉ちゃん」

 

 ネプギアが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「今のところ、何も起きてはいませんね」

 

 イストワールが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「だから、いつも通りだって。何も起きてないわ」

 

 アイエフが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「ねぷねぷは心配しすぎです。なーんにも問題ありませんよ」

 

 コンパが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「大丈夫だよ。だからお姉ちゃんはゆっくり休んでいいからね」

 

 ネプギアが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「これといって特筆することはありませんね、いつも通りです」

 

 イストワールが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「……ネプ子? あんた、ちょっと変よ? 大丈夫?」

 

 アイエフが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「ねぷねぷ、本当にどうしたですか? 最近そればっかりです」

 

 コンパが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「お姉ちゃん……」

 

 ネプギアが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

「……問題ありません。ネプテューヌさんがこのような状態になってから、ずっと」

 

 イストワールが答える。

 

「プラネテューヌの様子はどう?」

 

 答えが返ってこなくなったのは、一月が過ぎたころだった。

 

 

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