まずは何も言わずに、どうか読み進めて頂きますようお願いいたします。
第1話 赤ずきんのライダー
「ほら九条センパイ好きなんでしょ! せっかく遊び誘われたんだから!」
「う、うん……でもキンチョーするなぁ……」
親友が、気になっている異性に誘われ、応じるべきかどうかと尋ねられた。だから、春の兆しが現れた彼女を応援する意味も込めて行くべきだと返した。それでもなお踏ん切りが付かない親友に、なら自分もついて行こうかと提案した。
たったそれだけ。何の変哲も無い、極々平凡な女子中学生同士の遣り取り。
――たったそれだけの筈だった。
『ウワアアアァァァァ!!』
日取りも決まり、親友から集合場所が町外れの廃工場だと知らされた、その時点で誘いを断るよう忠告すべきだった。
しかし、憧れの相手に接近できることを期待する彼女の満面の笑顔を前に、そう切り出すことは出来なかった。
それが無理でも、目的地の巨大な入り口を目前に控えた時点で肌身に感じた、纏わりつくような言い知れようのない気味悪さを感じた時に引き返すべきだった。
それも、隣で目を輝かせる親友の恋路をここまで来て邪魔するわけにはいかないと思ったが故に、敢えて飲み込んでしまった。
そして何より、錆び付いた開き戸の横に小さく備えられた勝手口から中に入り、その先に広がっていた光景を目の当たりにした、その時点で親友の腕を引っ張って一目散に逃げるべきだったのだが、それもやはり敵わなかった。
「たっ、助けてくれええぇぇ!!」
「ママアアァァ!!」
耳を劈く悲鳴。
幾重にも重なり埃掛かった工場内を反響して回る絶叫のBGMを掻き鳴らしながら、親友の目当てであった異性を含む、数人の若い男達が廃工場を駆け回っていた。
破裂音と共に背から血を吹きながら。
体の端から少しずつ消滅しながら。
飛来したガラス片や金属片を後頭部や背に突き立てられながら。
そして、自分達の足下まで必死に這って来たかと思いや、有無を言わさずその身を凍り付かせながら。
『困るねぇ、最近のガキは』
そうして、涙と鼻水を恐怖に歪んだ表情の上に散りばめた顔のまま、物言わぬ氷像へと足下の男が完全に成り果てたのと同じくして、止んだ悲鳴に代わり聞こえてくる声と足音。
『こういう人気の無いところに来ちゃいけないって、親に教わらなかったのか? おまけに、大の男が雁首並べてこんな寂れた廃工場に年頃の女の子連れ込んで、ナニする気だったんだか。――なぁ、お嬢ちゃん達もそう思わないか?』
そこら中に舞い散って煙幕のように視界を封じていた埃の奥から現れたその姿の詳細は、もはや覚えていない。特徴的なある一点を除けば、それが発していたのはボイスチェンジャーでも介しているかのようにノイズ掛かった声で、その姿が異形と呼ぶべきものであった、というくらいの記憶が精々だ。
恐ろしすぎて、細かく声の主を観察している余裕など無かった。
腰が抜け、まともに動くことが出来ないながらもどうにか身を抱き寄せ合った隣の親友諸共、恐怖に見開いた目からは絶え間なく涙が流れ、うまく噛み合わせられない歯がカチカチと鳴る音が口腔内に響き、地震の震源地になってしまったと誤解してしまいそうな程に体が震え上がっていた。
逃げる事など、もはや不可能だった。
『さてさて、お嬢ちゃん達も逃がすわけにはいかないんだよなぁ。コッチとしては恨みとか特に無いんだが、ま、恨むならこんなトコにのこのこ来ちゃった自分達の迂闊さを恨んでくれ、ってなぁ。それじゃあ、チャ……いや、待てよ?』
声の主が何かを言い掛けたその次の瞬間、不意に親友が呻き声を上げ、目を見開いたまま、フラリ、と倒れ込んだ。
驚き、慌てて彼女の名前を呼ぼうとしたその刹那、微かに聞こえた何かを突き刺すような音と共に脇腹の辺りに悍ましい痛みが走り、親友と同じような呻きが口から洩れた。そして、吸い取られているかのように急激に力が失われ、支える事が出来なくなった体の動きのままに埃と土に塗れたコンクリート床にキスをしていた。
溜まらず、どうにか残った力を振り絞って顔を横に向け直せば、そこに親友の顔があった。
「パパ……ママ……助けて……」
親友が助けをこう微かな呟きが、確かに聞こえた。
その時見た彼女の顔は、もはや忘れられない。
『ああ~、君達運が良かったなぁ。丁度今、お嬢ちゃん達みたいな健康そうな娘探してるトコだったんだ。いやぁ、俺も運が良いぜ。――ああ、なぁに。大した事じゃあない。奥の方で転がってる小僧共にイタズラされるのに比べたら、失うものも無いし、ちっとも怖くなんかないぞぉ。ほぉんの少しばかり――』
異形が、倒れるこちらを見下ろしながら言っていた。
まるで、鎌首を擡げて瀕死の獲物を見下ろす蛇のようだった。
――否、ようだった、のではない。
数少ない鮮明に残る記憶の一つであるそれは、間違いなく“蛇”であった。
「……やよい、ちゃん……」
最後に見た彼女の、自分の名前を呼ぶ親友の、消えゆくように揺れていたその虚ろな瞳は、忘れられない。
『――人間を止めてもらうだけだから、さ』
男の声を発する、青緑色の鱗を鮮血に濡らしたコブラのその見下ろすような視線は、決して忘れる事は出来ない。
そうして、コブラが血に塗れた腕を伸ばし、その影が朧げになっていく視界に覆い被さって――。
「ッ……!」
はっ、と微睡みの最中に浸っていた彼女は――
前方には乗用車やトラックが行き交う車道、右隣には時刻表と路線図が貼られたポールが建っており、上方には雨避けの屋根、下方には自らが座っている、所々に罅割れが入った色褪せた水色のベンチがある。
そこがバス停である事を確認し、ベンチに腰掛けてバスを待っていたことを彼女は思い出す。どうやらその最中に転寝してしまっていたらしい。屋根の先の方に見える、不気味な赤い光を放つ巨大な壁。更にその上に広がる空の色がオレンジに染まり出しているところを見るに、そこそこ時間も経てしまったようだ。
『ようやくお目覚めですか? ぐっすり眠れました?』
ふと、何処からともなく、声が聞こえてきた。
年若い、しかしどこか皮肉気で陰りのある少女の声だ。
その声に、形の良い眉を顰め、荒くなっていた息を落ち着かせつつ、自らの隣に置いてある通学用の肩掛け鞄に目を遣りながら夜宵は返答を返す。
「何で起こさないのよ。バス、もう行っちゃってるじゃない」
『起こせ、と言われませんでしたからね』
肩を竦める様が容易に連想できそうな、飄々とした口調で返す声。それに対して、何かを言い返そうとするも、すぐにそれを取り止めて、溜息を吐きながら、ガクリ、と夜宵は顔を振り下ろす。
どうせ何を言っても無駄だ。暖簾を腕で押すが如く、飄々と擦り抜けられるだけ擦り抜けられてこっちが疲弊するのがオチだし、帰りのバスにしてもいつか到着する。それよりも――。
再び溜息を洩らし、まだ少し震える右手で額を押さえて支えにした夜宵は、脂汗が少し残る顔に沈鬱な表情を浮かべた。
直前まで見ていた夢が――恐らくは“あの時”の記憶の断片であろう、既に朧げなものになってしまった映像がその理由だった。
「……
親友の名が、悔恨の感情と共に夜宵の口から漏れ出す。
だというのに、あの日、共に攫われた親友の行方は分かっていない。警察が血眼になって捜索した当時も、新たな協力者を得た今も。
一体今どうしているのか。かつて自分も受けていたような仕打ちも今も受けているだろうか。そして、彼女を一人置いて逃げ出してしまった自分の事を恨んでいるのではないか。
会いたい。今すぐにでも彼女を取り戻して、あの日の事を、一人逃げ出してしまった事を謝りたい。
そんな締め付けられるような感情に心が侵食され細められた双眸で、その左手に握っていたホワイトパールカラーのスマホの画面を彼女は見つめていた。
その液晶に表示されている、“BEST FRIEND”と書き込まれた親友とのツーショット写真を。
撮影した時は互いに微笑みながら喜びを分かち合っていた思い出のこの写真も、今となっては会う事が出来無い親友の事を忘れず、その思いを抱き、寄せ続けるある種の戒めと化していた。
幸い、今はかつての様に攫われ、震えていることしか出来ないわけではない。
今の彼女には“力”がある。
もう一度同じようなことが起きても自分と親友を守る事ができる力。囚われの彼女を救い出すことが出来る力を。
しかし、その“力”も振るう機会が無ければ無用の長物だ。
だからこそ、今は何よりも情報が欲しい。行方不明の親友――
ふと、手元のスマホから写真が消え、着信を知らせる電子音が鳴り響き出す。
同時に液晶に着信相手の名前が表示されたが、その名前が目に入った時点で、相手の目的は大体理解できた。
「もしもし?
<夜宵ー? 今、“スマッシュ”の反応があったんだけどー>
電話先の相手の眠たげな声に、やっぱりね、と声にせず呟いてから、夜宵はその先を伝えるように促す。
「場所は?」
<エリアS0>
『あら、この辺りですわね』
やはり何処からともなく聞こえる少女の声の言葉通り、指定のあったエリアS0自体が、今彼女がいるバス亭の辺りを含んでいる。
その上でそれらしいものが見当たらないところを省みるに、恐らく件の反応があった場所は同エリア内の少し離れた場所と推測できる――と、そう思った直後だ。
ガラスが割れる甲高い音が後方から響き、続け様にコンクリートが砕けたらしい鈍い音や、数人分の悲鳴が聞こえてくる。
振り向けば、大きなアーチで飾られた商店街の入り口があり、その下で暴れている“ソレ”の姿がもう目に入るところまで来ていた。
「今、見つけたよ」
<んー。あ、あと今、
「分かってる。私の方に回してくるって事は、あっちはあっちで別のところに行ってるってことでしょ?」
<んー……ま、そゆことでいっか? んじゃ、あと宜しく>
最後に、眠いし、寝るし、という呟きを電話越しに残しつつ、相手が通話を打ち切る。
『……気のせいですかね? 今の美空ちゃんの返事、何だか妙に煮え切らなかったんですけど』
「……別にいいじゃない。私達が今からやる事は決まってるんだし」
訝しむような少女の声に内心同意しつつもそう返しながら、スマホを紺色のブレザーのポケットにしまった夜宵は、バス停のベンチから持ち上げた肩掛け鞄を左肩に掛け、すぐさま商店街の方へ駆け出して行った。
商店街の入り口のアーチを通り抜け、“目標”の背後5,6メートルといったところまで辿り着いた夜宵の視界に広がったのは、一面の惨状だった。
まず商店街の中心を通る大通りはスコップを目茶苦茶に突き立てた地面のようにアスファルトがズタズタにされており、左右に立ち並ぶ店舗の内、特に“目標”に近い数店舗があっただろう場所はまともな建物が先程まで存在していたとは思えないガレキや硝子の山と化している。それ以外にも、幾つか出火している箇所や、破けた水道管から水が噴き出している場所、寒冷地というわけでもないのにそこかしこから生えている氷柱の類も見受けられた。
しかし幸いというべきか、既にそれだけの被害が発生した商店街に人間はおらず、夜宵と、未だ彼女の存在に気づかず暴れる“目標”以外に動くものは何も存在していない――というわけには、残念ながらいかなかった。
ふと、炎の燃えるゴウゴウ、という音に紛れて、何かの声が夜宵の耳に伝わって来る。
それが子供の泣き声であると気づくのと、“目標”に向けていた視線の先で小学生らしき少年と少女がガレキの傍で抱き合って震えている様を捉えたのはほぼ同時だった。
そして、“標的”が子供達の存在に気づき、そちらへ振り向いて腕を振り上げ、雄叫びを上げたのは、そのすぐ後の事だ。
そのまま“標的”が子供達に襲い掛かるまで、最早一刻の猶予も無い。
すぐさま夜宵は肩掛け鞄の中に両手を突っ込み、その中を弄って目的の物を掴み出した。
一つは左手に握られた掌大の円筒上の物体。
上下に黒い枠蓋が嵌め込まれており、上側の蓋の天面には赤い回転式のキャップが備えられている。そして枠蓋の境にある半透明の本体部は内部の赤い液体を透かして見ることが出来、更によく目を凝らせば本体部そのものにもある模様が浮かび上がっている事が見て取れる。
薄らと浮かび上がる、“林檎”の凹凸模様が。
もう一つは右手に掴まれた、奇妙な形の横長の機械。
黒を基調とした外装に、左側には内部機器が覗く銀色の円筒部と連なる二つの歯車、円筒部の側面から生える赤い持ち手のハンドル、右側には持ち手として利用出来そうな細い円筒部が備わっている。左右を縦断する数本の銀のケーブルの上には、更に外付けの外部ユニットが接続されており、八の字状に下がった上部や中心の開口部、基調色となっている鮮やかなピンクレッドの組み合わせは、宛ら赤い頭巾を連想させる。
目的の物を取り出し用済みとなった鞄を地面に落とすや、まず夜宵は右手の機械を自分のへその辺りに軽く押し当てる。
すると、機械の側面部から黄色のバンドが猛スピードで飛び出し、あっという間に彼女の腰を一周して、逆側の受け部に小気味の良い音と共に先端が納まる。
そうして自らの腰にその機械――否、ベルトと、そのバックルが装着されたのを確認した夜宵は、続けて左手を自分の顔のすぐ傍まで持ち上げ、未だその手の中に持ったままの円筒状の物体を手首のスナップを効かせて数回振る。
シャカ、シャカ、という断続的な音を立て、物体の内部に納められた液体が上下に撹拌される。
その一方で、ベルトの装着を終え手ぶらとなった右手の親指と中指を這わせ、力を込め、2本の指を鳴らし合わせた。
するとどうだろう。
夜宵の右手から弾けるような音が響いたその刹那、それが合図だとばかりに彼女の足下に落ちていた小さなコンクリート片が一人でに彼女の顔の横まで音も無く浮かび上がり、まるで発射された弾丸のように一目散に“標的”へとすっ飛んで行った。
そんな事など知る由も無く、眼前の“標的”は両腕を振り上げ、悲鳴を上げて目を瞑る子供達に今まさに襲い掛からんとしている。
当然避けられるわけも無く、飛び込んだ破片は見事に“標的”の後頭部を打ち据え、自らが砕け散るのを代償にその意識を背後の夜宵の方へと向けさせてくれた。
「ガアアアアアァァァア!!」
『まぁ、何て下品な声』
突然の横槍が余程腹に据えたのか、傍から見ても激昂していると分かるけたたましい雄叫びを上げながら、“標的”が夜宵目掛けて駆け込んで来る。
その様を、どうして狼さんの声ってこんなに耳障りなのかしら、と例の何処からともなく聞こえる少女の声が嘲る一方で、左手の円筒状の物体を振るのを終えた夜宵は、上部に備えられたキャップを指で回転させる。
それによって、キャップに貼り付けられた、“A”とだけ書かれたラベルが前に現れる。
「いくよ、メイジー」
『ハイハイ、いつでもどうぞ』
物体の方に形の良い目を遣り、確認するように夜宵は自分以外の誰かの名を呼ぶ。
それに少女の声が応答したのを確認するや、物体を上下逆に持ち直し、ベルトのバックルに取り付けられた外部ユニット中心の接続部に斜め上からキャップを差し入れ、そのまま開口部の中へとそれを押し込んだ。
<
物体が装填されたことを認識したバックルがそう電子音声を発し、同時に外部ユニットに押し込まれた物体に浮かび上がっていた林檎の模様が、赤色のホログラフィックとしてそこに浮かび上がる。
続けて、点滅を始めたバックルの銀色部分から伸びるハンドルを夜宵は右手で掴み、それを回転させ始める。
すると、ハンドルの動作に連動してバックルから待機音が流れ出し、それをBGMにスリットが入った仰々しい形状のレールが左右に現れ、押し込められた円筒状の物体から透明のパイプが伸び始めた。
夜宵の前方と後方へとパイプは展開していき、次第にプラモデルの外枠を髣髴とさせる枠組みを彼女の前後に形成するに至った。
続いて、パイプの中に赤い液状の物体が流れ出し、それが作り出された枠組みの中に行き渡るや、今度はその中心内へと流出した液体が凝固し、何かを形成していく。
黒い布地。その上に作り出される輝くピンクレッド。
前後に分かれている故パッと見では分かりづらい。が、敢えて言い表すならば、枠組みの中心に最終的に作り上げられたそれは、人型。半分の仮面と胴体、それぞれ片方ずつの手足が前後であべこべになるように、半分ずつの人型一対が、中心に夜宵を挟み込む形で最終的に形成されていた。
<
バックルのハンドルを回転させるのを止め、掌大の物――例えば林檎――を掴んでいるかのような半開きの状態の右手を口元に近付ける夜宵。
それを見計らったかのようにバックルから発せられた電子音声に応答するように、彼女はこう呟いた。
「変身」
半開きの右手をグッと握り込むや、掴んでいた物を投げ捨てるかのように夜宵は右腕を振り下ろす。
次の瞬間、彼女の前後に形成されていた半分ずつの人型が、周囲の外枠諸共左右のレールに沿って、中心の彼女目掛けて猛スピードで動き始めた。
それに対して、夜宵は避けたりする素振りを見せる事も無く、あっという間に前後の人型に彼女は挟み込まれてしまった。
同時に、組み合わさった人型の間から白い蒸気が噴き出し、人型の周囲を真っ白に染め上げてしまう。
そこに狙ったかのように、駆け込んで来た“標的”が勢いのまま振り上げていた拳を夜宵のいた場所へ叩き下ろした。
しかし――振り下ろされたその拳は、夜宵はおろか、そこにあった筈の人型すら捉えることなく、霧散仕掛けていた蒸気を完全に散らすだけに終わってしまった。
勢い任せの攻撃が空振り、それによって態勢が崩れ掛ける“標的”。
その瞬間を逃さんと、ガラ空きの背中にすかさず夜宵は一撃を加える。
――そう、“標的”の背後から。
地面に転がされ、慌ててこちらを振り向いて彼女の姿を捉えた“標的”は、その場で動きを止めた。
ひょっとしたら、驚いたのかもしれない。
何せ、今の夜宵は、先程までの彼女とは全く違う姿になっていたのだから。
<
バックルの電子音声が、まるでプロレスの選手入場のアナウンスのように高々とそう宣言する。
そう、正しく選手入場だ。
先程までの紺のブレザーと焦げ茶色のフレアースカートを身に着けていた茶髪の少女はそこにはいない。
今そこにいるのは、一人の戦士。
左上から右下へ降りる斜め線が幾つも重なった黒い特殊繊維スーツに、その上から胸部、二の腕、太腿、膝から下にピンクレッドの斜め模様の装甲が配された胴体。腰に巻いたベルトのバンド部分の下側から下りた、装甲と同色のスカートが膝裏の辺りまでを覆い、一方でやはり装甲と同色のフードがV時に開いた首下の辺りから伸びるようにして頭部に被さっている。そして、硬質なバイザー状となっているフードの先端の下には、これまたピンクレッドの斜め模様の装甲が組み合わさった仮面が存在し、その上で青緑色の林檎の形をした複眼一対と、その下の口元の一切を覆う白いマスクがその存在を主張していた。
先のあべこべの一対の人型を組み合わせ、更に追加の要素を加えたような姿をしたその戦士こそが、今の星観 夜宵であった。
「仮面ライダー――メイジー」
“標的”に蹴撃を加えるために振り上げていた右足をゆっくりと下しながら、誰にともなく夜宵は静かに告げる。
「狼を、倒す」
日が暮れ始め、落ち掛けた夕日が最後の悪あがきとばかりに強い輝きを放つ。
その照り返しを受け、ピンクレッドの装甲と林檎型の複眼を鮮やかに輝かせながらその場に立っていた夜宵が――“仮面ライダーメイジー”が、立ち上がろうとする“標的”を見据えながらゆっくりと構えた。
「あなた達!」
立ち上がろうとする前方の“標的”――水色の体色に、張り出した肩や頭部からチューブ状の触手を垂らした“スマッシュ”から注意を外すこと無く、ピンクレッドの装甲に覆われた仮面の戦士――仮面ライダーメイジーとなった夜宵は顔を右に向けて声を張り上げる。
その声に反応し、例のガレキの下で抱き合っていた子供達がビクリ、と体を震わせて一対の青緑色の林檎型の複眼を一様に凝視する。
「そんなところで座ってないで、早く逃げなさい。ホラ!」
再び声を張り上げるも、突然の事に対応仕切れないのか、子供達は目を見開いて開口するだけで、まるっきりそこから動く気配が無い。
もう一度声を上げ、右手で追い払う素振りも加えて再度逃走を子供達に呼び掛けるが、やはり彼らがそこから動こうとはしない。
そして、そうこうしている内に完全に態勢を立て直したスマッシュが雄叫びを上げ、再び夜宵目掛けて氷のような鋭い刃が並んだ二の腕を振り上げ、突撃を仕掛けて来た。
「ちっ……」
振り返る仮面の中で夜宵は舌を打ちつつ、子供達を追い払うために振っていた右手―ピンクレッドの装甲に覆われた“MSEポルターグローブ”を咄嗟に翻し、その指を鳴らした。
パチン、という甲高い音が周囲に鳴り響いた――その次の瞬間だ。
子供達が背にしていたガレキが、一人でに彼らの頭上まで浮き上がった。
「う、うわぁあ!?」
砕けたアスファルトから引き抜かれる鈍い音に振り返った少年が、突然の事態に驚いて悲鳴を上げ、同様に振り返った少女諸共その場から後ずさる。
そんな彼らの様子など気に留めないとばかりに、ある程度の高さまで浮き上がったガレキは上昇を止めたかと思いや、弾かれたようにその場から急加速で飛び出した。
その進行方向の先にいるのは、遂に夜宵のすぐ傍まで到達し、勢いのまま腕を振り下ろそうとしていたスマッシュだ。
次の瞬間、飛来したガレキが夜宵とスマッシュの間に割って入り――否、割り込ませ、そのままがら空きだったスマッシュの胸部から頭部までを強かに打ち据えた。
耐え切れず、氷柱のような突起が三本生えた胸部から轟音と火花を出しながら、スマッシュが後方へと大きく吹き飛ばされる。
そんな一瞥をくれる事も無く、狼狽する子供達の方へ再び向き直った夜宵は、もう一度だけ彼らへ向けて叫んだ。
「早くそこから逃げなさい! でないと――」
その途中、再び右手の指を鳴らしながら。
「――今度はあんた達を飛ばすよ?」
そう声を低くしつつ夜宵が言い終わると共に、子供達の周囲のガレキが再びフワリとその場から浮き上がる。
それによってようやくその場から離れる気になったのか、
「れっ、蓮司くん! 逃げよっ、早くっ!」
「おっ、おお! 行こう、サユリ!」
そんな会話をしながら、慌ててその場から子供達が手を繋いで駆け出していく。
そうして、二人の後ろ姿がまだ被害の無い商店街の奥へと消えていったのを確認した後、
「ゲアアアァァァァ!!」
聞こえて来た何度目かの雄叫びに振り替える事無く、先程と同じように浮き上がらせたガレキをスマッシュへと撃ち込み、三度その体を砕けたアスファルトの上へと転がした。
『ヒーローとやらって、子供を怖がらせるものなんですの?』
「うるさい。アイツにやられるよりマシでしょ? どうせ飛ばないし」
再びどこかから聞こえてくる少女の嘲るような声に不愉快さを込めてそう返しつつ、起き上がろうともがくスマッシュの方へ夜宵は一足跳びで飛び込む。
当然、一気に至近距離に近付いた彼女に、再び立ち上がったスマッシュが迎撃しようと肩と頭部から伸びる触手の先を向けて来る。
しかし、そうされるよりも前に夜宵は拳を作った右手で殴り付け、スマッシュの動きを強引に止めるや即座に左手を掲げて指を鳴らす。その数舜後に、通算4度目となるガレキの飛弾がまたもや飛び込み、顔面にまともに受けたスマッシュが火花を散らしながらその場に倒れ込んだ。
もはや語るまでもないだろう。先程からスマッシュを襲うガレキの飛弾が、全て夜宵によって放たれているという事は。
そう、これこそが仮面ライダーメイジーの――より正確に言うならば、その力の大本である、夜宵のベルトに装填されている円筒形の物体、“フルボトル”に込められた成分によって得られる能力だ。
念動力。周囲の無生物を指定し、ボトルの成分の一部を纏わせ、それを自在に動かす。俗にいう念動力という奴であり、“一定の大きさ、質量以下の無機物”で、なおかつ“指定した物体を一定の速度で指定の一方向へ移動させる”程度の単純動作しか出来ない。が、指を鳴らす、腕を振るといった単純な指示行動のみで行う事が出来、尚且つ能力の行使に対する体力等の消費も無い。単純な動作しか出来ないという点も弾丸を打つ能力として割り切ってしまえば、今彼女がやっているように、敵に何もさせず制圧するための手段として扱うことも出来る。
夜宵の持つ“アップルフルボトル”に秘められた能力の一つであり、これを主力に据えて場をコントロールする戦い方が、夜宵の仮面ライダーとして主戦法であった。
そうして、また一発だけ浮かばせたガレキを撃ち込み、火花と共にスマッシュを転倒させる。
「そもそも――」
これで相手の転倒回数は計5回。それは同時に、それだけの攻撃をスマッシュが受け、相応にダメージが蓄積している事を示している。
現に、その蓄積したダメージの大きさを表すかのように、ボロボロになったスマッシュの体から緑掛かった煙が所々から立ち昇り始めていた。
――そろそろ仕上げ時だ。
「正義の味方とか、ヒーローとか、一度も名乗った事――」
なおも立ち上がろうとするスマッシュの、その目前まで辿り着いた夜宵はその場に立ち止まる。
それを好機と取ったか、はたまたそう考える余裕すらなく唯の悪あがきだったのかは定かではないが、すぐさま咆哮と共に彼女へと、極低温の冷気を纏った左拳を放った。
直撃とまでいかなくともいい。かすりさえすれば、そこから瞬時に凍結が進み、ものの数秒で物言わぬ氷像へと変えてしまう――そういう一撃だった。
故に、その場で身を屈めつつ回転する事でかすりもせずに完全回避されてしまったその時点で、その拳に纏わりついた冷気は何の意味も成すことなく、ただ伸ばし切った腕の先で小規模のアイスダストを発生させるだけに終わってしまう。
そして、その刹那。
「ギギィっ……!?」
その拳を回避した、その勢いのまま体の回転を殺さず放たれた夜宵の右足の後ろ蹴りが、吸い込まれるようにスマッシュの胴体を捉え、3本ある氷柱の一本を砕き折った。
苦し気な呻き声を上げるスマッシュ。
当然だ。これは唯の後ろ蹴りではない。
ピンクレッドの装甲が膝の中程から下を覆い、ショートブーツのようになった今の夜宵の両足――“アップルピースエッジシューズ”の踵には、ある武器が備わっている。
林檎の切り身を模した形状の、刃渡り20cm程度の鋭い特殊合金製の刃。
1兆個の林檎の皮を連続で剥いても切れ味が一切落ちない耐久力と切削力を併せ持つそれが、スマッシュの胸部に深々と突き刺さっているのだ。向こうからすれば堪ったものではない。
しかしまだ終わらない。
「――無いか、らッ!」
続けざまに、体の支えにしていた左足で地面を思いっきり蹴る。
すると、突き刺さったままの右足の刃を支点に、スマッシュから見て下の位置にあった夜宵の体はグルリと回転し、一瞬の内にその上まで移動していた。
その勢いに乗せ、右足の刃を強引に引き抜きつつ、スマッシュの後頭部を左足で蹴り飛ばした。
強力な一撃だ。
既に大きくダメージの蓄積したスマッシュがそれに耐えられるわけも無く、腰から膝裏までを覆うスカート――敵の攻撃等を受け流し、腰から下を保護する特殊繊維製の増加装甲“MSEディフェンスローブ”を翻し、危なげなくその場に着地した夜宵の前方で、顔面から地面へと突っ込み、そのままガリガリとアスファルトを粉砕しながら吹っ飛んでいく。
『お見事。さぁ、夜宵ちゃん。このまま、一気にあの狼さんを仕留めてしまいましょう!』
「そんな事あんたに――」
急かす少女の声に返答しつつ、腰のバックル――“ビルドドライバー”の右側から生えたハンドル――“ボルテックレバー”を右手で握り込んだ夜宵は、それをグルグルと回転させる。
そうすることで、先程変身する際に流れたのと同様の待機音がドライバーから流れ出し、ドライバーに搭載されたエネルギー生成ユニット“ボルテックチャージャー”が稼働。内部発動機“ニトロダイナモ”の高速稼働によって、レバーを回せば回す程にエネルギーが生成・充填されていく。
そして、必要なエネルギーの充填が完了したのを機にレバーの回転を止めた夜宵はその場で身を屈め、青緑色の林檎の複眼の前で両腕を交差させた態勢を取る。
これから行う仕上げのために、彼女自身も力を溜め込むために。
そして、ドライバーの待機音が完全に鳴り止み、数舜の静寂を挟んだ後、その時は遂に訪れた。
<
「――言われるまでも無い!」
ビルドドライバーから声高に放たれた開始宣言。
それと同時に、顔の前に移動していた夜宵の両手に、ボッ、という音と共に火が灯った。
青白い、揺ら揺らとかとなく不気味さを感じさせる揺らめき方をする炎――鬼火だ。
その自らの手を包むように出現した鬼火を、すかさず両腕を左右へ勢い良く振り抜く動作によって夜宵は前方へと放つ。
と同時に、その場から中腰姿勢のまま、鬼火に追従するように全速力で駆け出した。
その先にいるのは、どうにか立ち上がろうとするも出来ず、片膝立ちで肩を上下させていたスマッシュ。
そのスマッシュに、まず飛び込んで来た鬼火が当たるかと思われた直前で複数個に分裂。X字状に連なった炎の鎖となって巻き付き、その場にスマッシュを拘束する。
続けて、突然雁字搦めとなったことでもがくスマッシュとの距離2m程度のところで夜宵は跳躍。高く跳び上がったその頂点で丸まって一回転した彼女の身体は、右足を高く、大きく振り上げた姿勢のまま、落下を開始する。
高速でスマッシュ目掛けて落下していくその足には、先程彼女の両手に灯ったのと同じ鬼火が、踝から下と踵の刃を覆うように揺らめいていた。
<
ドライバーの電子音声が告げた処刑宣告。
それと同時に振り下ろされた夜宵の踵が――鬼火を纏った刃が、回避も防御も出来ないスマッシュの左肩と首の間へと、宛ら首狩りの鎌の如く叩き下ろされる。
次の瞬間、鬼火の鎖諸共その胴を袈裟懸けに引き裂かれたスマッシュが大きく後方へ弾き飛ばされ、片手を着いて着地した夜宵の前方で緑色の爆炎を上げた。
そのまま動かなくなり、完全に沈黙したのを遠目から確認した夜宵は立ち上がり、現在ドライバーにセットしているアップルフルボトルとは別のボトルを取り出す。
上下の黒い枠蓋こそ同じだが、中央の円筒部は完全な透明で凹凸模様が無く、何よりその中には何も入っていない――
その上部の何のラベルも貼られていないキャップの捻り、未だ緑色の炎が燻るスマッシュの方へと夜宵は差し出す。
すると、スマッシュの体が細かな粒子上の成分に変化し、夜宵の手元のボトルへ吸い込まれていく。
そうして、分解された成分が全て吸い込まれた時、そこに残っていたのは薄汚れた患者衣を纏った姿で呻き声を漏らして倒れる見知らぬ男性だけであった。
彼こそが、先程まで夜宵と戦っていたスマッシュの正体。
人間が何らかの原因で変質し、自我を失い暴れ回るだけとなってしまった謎の存在。それがスマッシュと呼ばれる、ここ一年程前から各所で目撃されるようになった怪物の正体であった。
最も、男性自身はその時の事も、そもそも自分が怪物と化して暴れ回っていたことも記憶にないであろう。これまで倒してきたスマッシュ――そこから元に戻した人々も、皆一様に忘れていたのだから。
「――よし」
翳していた空ボトル内にスマッシュの成分が完全に取り込まれ、膨らんだ円筒部に蜘蛛の巣状のディテールが追加されたのを確認した夜宵は、ボトルのキャップを戻してそれをしまう。
そして、ビルドドライバーのフルボトル装填部“ツインフルボトルスロット”に増設されている八の字状のカバーを持つ専用アダプター“MSEアブソーバー”からアップルフルボトルを引き抜いた。
それによって変身が解除され、仮面ライダーメイジーの体が先程のスマッシュの様に成分として分解され、元の紺のブレザーと焦げ茶色のフレアースカートを纏った星観 夜宵の姿へと戻る。
そうして、踵を返しアスファルトの上に放り捨てた肩掛け鞄を拾うやフルボトルとドライバーをその中に押し込み、代わりにブレザーから取り出したスマホを操作して、ある場所へ電話を掛けた。
「すいません。救急車お願いしたいんですけど」
「――というわけで、いつも通り救急車呼んでおいたから、スマッシュにされてた人は今頃病院に運ばれてると思う」
自宅のアパートへと帰る道すがら、スマホを右耳に当てながら電話口の相手に夜宵はそう告げていた。
先の戦いからかれこれ1時間。いつの間にやらバス亭に到着していた帰りのバスにどうにか駆け込み、そのまま吊り革に体を預けながら目的地側のバス亭に辿り着く頃にはすっかり日は落ちて辺りは暗くなってしまっていた。
<んー、分かった。で、そのスマッシュにされてた人、何か覚えてた?>
スマホの通話口から返って来たのは、先程彼女にスマッシュの出現を伝えた美空という少女だ。
彼女の問いに、ううん、と首を振って夜宵は返答する。
「駄目だった。一応確認してみたけど、いつも通り」
<覚えてない、か>
嘆息気味に言葉を繋ぐ美空に、少し目元を伏せながら無言で夜宵は頷き返す。
<いい加減、一人くらい覚えてる人出てきたりしないかな。今更っていえば今更だけど、これじゃ何も分かんないままだし>
「仕方ないよ。
美空を宥めるようにそう返す夜宵であったが、その内心では電話先の彼女同様に深い溜息を吐いていた。
彼女自身の言葉通り、夜宵が美空達と出会い、本格的に仮面ライダーとしての活動を始めて早三ヵ月が経つ。
それ以前から活動を始めていた美空達から比べれば長くはないが、されとて比較無しの単純な日数で見れば短いとも言えない時間が既に経過している。
仮面ライダーの力を有している事と、もう一つのある事実を除けば唯の高校生でしかない自分だけでは行方不明の親友の足取りを追う事は出来ず、それ故にある
とはいえ、それは美空達も同じこと。
彼女達も今の夜宵と同じようにある探し物をしている身だが、その手がかりさえ手に入らない状態が彼女よりもずっと長く続いているのだ。当然、そこに感じている不満は夜宵より大きいだろうし、その辺りの事情が分かっているからこそ彼女も協力の意思は見せても、不満をぶつけるような事はして来なかった。
それでも、再三記述するが夜宵がライダーとなってから既に三ヵ月、沙也加が攫われたあの日からは二年が経っている事実に変わりは無い。
こうしている今も親友がどんな仕打ちを受けているか知る事すら出来ない現状、いい加減何かしらの手がかりが欲しいというのが夜宵の本音である事も、また曲げようが無い事実であった。
そして、そういった気持ちが押し止めてしまったのか、それ以上言葉が思い浮かばなくなった夜宵はそのまま押し黙ってしまう。
その辺りはどうも美空も同じだったらしく、少しだけ互いに何も喋らないまま足下からローファーの音だけが響く沈黙が続いた。
が、その重さを孕んだ静けさに流石に耐えられなくなってきて、何か別の話題を振ろうかと夜宵が口をまごつかせていた、その時だ。
<たっだいまー!>
硬質なゴムが擦れるような、キィッ、という音と、慌ただしく金属製の階段を踏み鳴らす音が連続し、最後に美空のものとは違う別の声がスマホのスピーカーから聞こえて来た。
それまで夜宵達の間を漂っていた沈鬱な空気を吹き飛ばす、良くも悪くも空気を読まない感激に溢れたその青年の声は、夜宵も良く知る人物の声であった。
――であったがために、あー、という気の無い声が彼女の口から漏れていた。
<いぃやっほおおおぉい! 問題なーし! さっすが俺ー! 天ぇ才でしょー! 最高でしょーぉ!!>
<戦兎ぉ! ちょっと黙っててよ、今電話中!>
テストで100点を取った子供の様にはしゃぐ青年――戦兎の歓呼の声と、それに対する美空の怒声が、共に、キーン、という機械そのものの振動音を伴ってスマホのスピーカーから夜宵の耳に飛び込んで来る。
溜まらず耳元からスマホを離した夜宵。
そんな彼女の事など知る由も無く、電話の向こう側から響く大音声が更に重ねられる。
<おっ! どこに電話してんだ? もしかして夜宵か?>
<そうだけどー! てか、ちょっと声のボリューム下げ――>
<よし、丁度良い! 渡したいものあるから、明日学校終わったらすぐに
<だから、声大きいって! てか、そういうのは自分で――>
<んじゃ、俺最終調整あるから。ヨロシク!>
そう戦兎が告げるのを最後に電話先の声の応酬は止み、再び沈黙が訪れる。
が、今度は嵐が去った後の一時の静けさのようなものだったこともあり、再びスマホを耳元に寄せた夜宵によってそれは呆気なく打ち払われた。
「あー、えっと……明日、そっち行けば良いんだよね?」
<てことらしいよ>
眉を八の字に下ろしながら尋ねたところに返って来た美空の返事は、先程までよりも声のトーンが一段低くなっていた。
憮然とした表情で、恐らくはすぐ近くで何かしら作業に取り掛かっている最中であろう戦兎の背中を睨んでいる様が容易に想像出来、思わず夜宵の口から苦笑いが漏れる。
「……まぁ、取り合えず、明日学校帰りにそっち行くね。ボトルの方もその時に」
どの道、先のスマッシュとの戦闘で成分を採集したボトルを彼女達に渡すため、そうする予定ではあったのだ。
ボトルの件を加えてそう伝えると、うん、と美空の頷く声が返って来る。
<分かった。じゃ、また明日>
最後にそう締めの言葉を告げられたところで、ピッ、という電子音と共に通話が打ち切られる。
それを受けて耳元からスマホを離すと共に、ふぅ、と夜宵は溜息を吐く。
『何やら呼び出されていたようですわね、
「何か渡すものあるんだって」
再び何処かから聞こえて来た少女の声にそう返しつつ、夜宵はスマホをブレザーのポケットに戻し、そのまま肩掛け鞄のジッパーを開いて中を弄り出す。
その最中で、ふん、と少女の声が不愉快気に息を吐いた。
『呑気なものですわ。美空ちゃんの気も知らずに、当の本人は発明ですか』
「いつもの事でしょ。一々あんたが目くじら立てるようなことじゃないっての」
また始まったか、と心中で呟きつつ、呆れ混じりに少女の声に空返事をする夜宵。
その態度が気に障ったのか、声色により不快さを滲ませて少女の声が言葉を連ねる。
『ええ、いつもの事ですわ。いつも女性の気持ちなど考えず蔑ろにして、貶める生き物ですのよ、
「そーだね、いっつも聞かされてるね」
おかげで、この後どんな言葉が続くのかが容易に想像できる。
『なら、男に対してもっと疑いや警戒心を持ったらどうですの? 特に最近の貴女はnascitaの連中に対して態度を緩め過ぎてるきらいがありますわ。さっきの電話もそう。物をダシに
「だったらあの人達と手を切る?」
段々と説教臭くなってくる少女の声に鬱陶しさを覚え、肩掛け鞄から取り出したアップルフルボトルを眼前まで運んでから、その言葉を遮って、そうピシャリ、と夜宵は告げた。
すると、うっ、という呻きが
「戦兎さんやマスターは疑ったりする必要が無いって知ってるだけ。別に世の中の男全部に心を開いてるわけじゃないから。――というか、あの人達と手を組んでるから、私、ライダーしてられるんだけど?」
『そ、それは……』
言い淀む少女の声。
その声を視線のすぐ先の
「手を切ったら、今度こそ戦兎さんに没収されるよ。ドライバーも、
『う゛う゛っ……!』
一際強い呻き声が、やはり
続けて、夜宵も大きな溜息を吐き出す。
「切欠見つけたらそうやって語り出すの止めてよね。聞かされるこっちの気分が悪くなるから」
溜息交じりにそう告げる夜宵に、少女の声が、むぅ、という唸り声を返す。
『……別に、私だって
拗ねたような声色で、少女の声がそう言った。
いや、実際に拗ねていた。手に取るように分かった。
何せ、今まさに声の主のその顔を――というと語弊があるが、ともかく夜宵は真正面に据えて見ている真っ最中なのだから。
「あんたが男が憎くて仕方ない事は知ってるわ。だけど、私達だけじゃできる事なんてたかが知れてるでしょ?」
『ええ、ええ、分かってますわよ。
手元を見下ろしながらそう告げた夜宵の視線の先で、そこに収まっている
そう、彼女の持つフルボトルが。
『ええ、だから決して忘れないで下さいよ。nascitaの連中との関係を大切にするのも結構ですが、貴女が仮面ライダーになれるのは、そもそも私の力があってこそだということを、ね』
念を押すように、フルボトルが目を細める。
表面の林檎の凹凸模様の――その更に表面に、左上がり斜めに走る手術痕と共に浮かび上がる、赤い瞳の不気味な一つ目を。
そのボトルに封じ込められた、その瞳の持ち主が。
「分かってるわよ。このボトルに封印されて、どうにか出来るのが私と話すことぐらいなあんたが、一日も早く解放されたがっている事も含めてね。メイジー」
そう。このフルボトルこそが夜宵に語り掛けていた少女の声の正体。
童話“赤ずきん”。今や知らぬものなどいない有名な物語の、その主人公の元になったという少女の、その怨霊――メイジー・ブランシェット。
本人曰く、男という名の狼に欲望のまま嬲り殺され、死後その怨念のままに幾人もの男を処刑して来たという、男殺しの化物。
それこそが、夜宵が所持し、仮面ライダーメイジーの力の根源となるアップルフルボトルに込められた力――成分の正体なのだ。
「ええ、分かってる。私にはまずあんたが必要なの。沙也加を助けるために、仮面ライダーの力が」
何故彼女がフルボトルに封じ込められているのか、当のメイジー自身もどういう訳か覚えてはいないらしい。
当然、そこから解放されるための具体的な方法も、そもそもそんなものがあるか否かを含めて、不明だ。
だが、それでも確かな事はいくつかある。
『そして、私はこの狭苦しくて、自分だけでは何も出来ないこの不自由なボトルの体から解放されたい。そのためには、私の存在を唯一認知できる夜宵ちゃんが必要不可欠』
フルボトルに封じ込められた今のメイジーを認識する事が出来るのは夜宵のみであること。
夜宵が仮面ライダーに変身するためには、その力の根源であるメイジーの協力姿勢は必要不可欠だということ。
そして、夜宵は親友を、メイジーは自由を、それぞれ失ったものを取り戻したいという共通点があるということ。
故に、メイジーはフルボトルの身で与えられる限りの力を夜宵に与え、夜宵は失われた親友の足取りと共にメイジーがフルボトルという檻から解放される方法を探す。
それが、かつて二人が交わした契約。
忌まわしい記憶と罪悪感から逃れられず押し潰されかけていた少女と、仮初の体にその魂を封じ込められた少女が手を取り合い、一人の仮面ライダーとして自分達に課せられた運命に立ち向かうための二人三脚の協定。
だからこそ、彼女達にとってどちらか片方を失うことは決して許されない。
互いの目的が達成されるその日までは、決して。
(だから待っててね、沙也加)
液晶には、例の夜宵と沙也加が並んでピースサインをしている写真が表示されている。
(もう二度と、一人だけ逃げ出したりなんてしない。必ずあなたを、私の手で救い出して見せる)
写真の中の二人の様に、また屈託無く笑い合うことが出来るように。
そうして、ほんの少しの間スマホの画面を見つめた後、再びそれをポケットにしまい、改めて夜宵は家への帰路を歩み出すのであった。
「もしかして、その仮面ライダーの戦いに巻き込まれたりとか――」
「“元格闘家、刑務所から脱走”?」
「殺人犯のYouを捕獲しに来たんだよ」
「テメェも、ガスマスクの連中に何かされたのか?」
「さぁ、実験を始めようか」
「どうして誰も信じちゃくんねぇんだよォッ!!」
「何やってんのよあんたああぁぁっ!?」