正直前書きはビルドの冒頭でやってたキャラ同士の遣り取りやりたいけど、あんな軽妙な遣り取りはちょっと思いつかないんで今のところはパスという事で(良いの思い付いたら1話目から随時更新してくかも)。
深夜、とある港沿いの道。
日中ならば散歩なり通学、通勤なりで人々が往来する様を見られるだろうその道は、今は対岸のビル街からのネオンライトを受けてぬらぬらとした反射光を放つ水面と、天高く聳え立つ巨大な壁の上で波打つ赤い光以外に明かりは無く、動くものは殆ど見られない。
そんな静寂が支配する暗闇の中に、キィッ、という場違いなブレーキ音が響いた。
音の出元は、道の中央に停車した一台のオートバイ。
車体のサイズは普通二輪クラス。銀色の歯車が飛び出した赤いフロントカウルに、リアシートの後部からリアカウルの上部にかけて飛び出した巨大な円筒状の物体が目立つ、奇妙な形状のバイク。
そのシートの上に跨っていた運転手が、車両後部のスタンドを蹴り下ろし、車体をその場に固定したところで、こう言った。
「到着っと」
バイクの運転手――ベージュのトレンチコートにジーパン、右足に青色、左足に赤色のスニーカーを身に着け、スモークグレーのバイザーが付いた白と赤のジェットヘルメットを頭に被った、20代半ばの理知的な顔立ちの青年は、続けてフロントコンソールに備え付けられたタッチパネルに手を伸ばし、その中に配置された幾つかのアイコンから目的のものをタッチした。
選んだのは通話アプリだ。
「う~ん、操作性良好。タッチパネルのレスポンスも良いし、何より車体のデザインが最っ高だね」
さっすが俺の発明品、と押し上げたスモークグレーのバイザーの下で顔をニヤニヤと喜色に歪ませる青年。
白い歯を剥いてほくそ笑むその表情には、自ら
「これを見たら何て言うかなぁ、あのお子ちゃま? 最近甞められ気味だったけど、俺の天ぇ才っぶりと太っ腹ぶりに尊敬し直しちゃったりするかな~? するよね~」
ふふふ~、という浮かれた笑い声を零しつつも、人差し指の動きを止める事無く青年はタッチパネルの操作を続けていく。
そうして、最終的に“VOICE ONLY”の文字がタッチパネルに表示されるのを合図に、何度か咳払いをして込み上げて来る笑いを抑え込んでから、フロントコンソールに向けて青年は話し掛けた。
「エリアS4に着いたぞ」
『スマッシュいるー?』
青年の声に、タッチパネルに備えられたスピーカーを介してそう応答したのは、少女の声であった。
スピーカー越しの彼女の問い掛けを受け、青年はざっと周囲を見回してみる。
目的のもの――先程目撃情報が入ったばかりのスマッシュらしき姿は無く、虫一匹の気配すら無さそうな闇ばかりが広がるだけ――いや。
「――いたいた」
よく目を凝らせば、奥の闇に薄らと白い何かが動いているのが見える。
その姿さえ捉えることが出来れば、遠目でもその異形ぶりは手に取るように分かった。
と同時に、その更に奥の方にもう一つ動く姿があるのを見つけた青年の目が不愉快気に細められる。
「最っ悪だ、人がいるよ」
『すぐ近く?』
「目の前だ。――スマッシュのな」
問い掛ける少女にそうとだけ返答してから、すぐさま青年はコンソールを操作して通話を打ち切り、外したヘルメットをバイクのハンドルに掛けながら、未だ掛かったままのエンジンを停止させる。
すると、
<
そんな電子音声を鳴らすと共にバイクが一人でその場から飛び跳ね、あらゆる箇所を飛び出させたり、引き込んだりさせながら、見る見るうちにその車体を変形・小型化させていく。
そうして一分も立たない内に、元が人が乗れるだけ大きさを持つオートバイだったとは思えない、掌大の何かへと変形を完了させ、自らの元まで一人でに戻って来たそれを受け止めるや懐にしまった青年は、続いてトレンチコートのポケットに両手を突っ込み、それぞれあるものをそこから取り出した。
右手には黒光りするボディに、赤い持ち手のハンドルが伸びる機械――
そして、左手には二本のフルボトル。
ドライバーの方は星観 夜宵が持っていたものと基本的には同じものだ。だが、青年が取り出したそれは彼女の持つ物とは違い、増設アダプター――“MSEアブソーバー”が取り付けられておらず、それによって塞がれていたドライバー本来のフルボトル装填口――“ツインフルボトルスロット”が剥き出しになっている。
また、左手の二本のフルボトルは周囲の闇によって内部に込められた成分――“トランジェルソリッド”の色や、表面にある筈の凹凸模様が隠れてしまっており、何の成分を納めたボトルであるのかを遠目から判断する事は出来ない。
それら両手に持ったものの内、右手のドライバーを、以前夜宵もやっていたように慣れた手付きで青年は下腹の辺りに押し当て、自動展開されたバンドを巻き付けて自らに装着する。
そして、空いた右手に左手の二本のボトルの内の片方を持ち、それぞれを互い違いのタイミングで振り出す。
そうして十分な撹拌が終わったのを見計らったところで、それぞれのフルボトルの蓋を回転させ、笑みを浮かべて青年はこう言った。
「さぁて――実験を始めようか!」
告げるや、両手に持っていたボトルをドライバーに装填する。
それを受けて鳴り出した電子音声を耳にしながら、今まさに誰かに襲い掛かろうとしているスマッシュが待つ闇の中目掛け、駆け出す兎のような勢いで青年――星観 夜宵の仮面ライダーとしての協力者の一人、
<それでは、続いて今週の気になる噂コーナーです! 林さんお願いしまーす!>
箸で鮭の切り身を解していた夜宵の左後、郊外のアパートの一室に設けられた星観家の台所の戸棚の上に設置された薄型テレビの画面の中で、先程まで最近の事件を読み上げていたニュースキャスターがそう告げた。
テレビの右上に表示されている時刻は6時21分。ゆっくり朝食を摂るだけの余裕はまだある時間帯だ。
<はーい! 今日もやって参りました! 今週の気になる噂コーナー! 巷のあの子とこの子、はたまたあの人とこの人の間で囁かれている噂を特集するこのコーナー! 今週皆さんの間で最も囁かれていた噂は~ぁ、はいっ!>
じゃじゃじゃじゃん、とシンバルでも叩いているようなよくあるBGMと共に、先程とは別のキャスターが告げていた“最も囁かれていた噂”とやらが画面に映し出される。
それを肩越しに眺めていた夜宵の口から、無意識の内に溜息が漏れる。
映し出されたそれが、彼女が想定していたものと全く同じだったからだ。
<『またまた現れた!? 謎のヒーロー、仮面ライダー!!』――ハイッ、今週皆さんの間で最も囁かれた噂はこちらになります!>
「あら? また仮面ライダー?」
一方で、そんな夜宵とは対象的に、木製の机を挟んだ対面で白飯に箸を差していた女性が、驚き半分関心半分といった具合で首を傾げていた。
夜宵と同じ色合いの茶髪を長く垂らした彼女の母――
<今週で連続3週目! いやぁ、熱いですねぇ、仮面ライダー! どこからともなく現れ、暴れる怪人を倒してどこへともなく去っていく孤高のヒーロー! 昨日もS0地区の商店街でまたまた活躍したとのことですよ!>
「S0地区の商店街って……確か、夜宵ちゃんの通学路じゃなかったかしら?」
ニュースキャスターの言葉から思い出すようにそう問い掛けてくる夕昏に、摘まんだ鮭の身を口に運びながら夜宵は頷き返す。
すると、少し身を乗り出し、本来ならば娘の横に並んで姉だと言っても通じてしまいそうな程若々しい顔立ちに不釣り合いな隈の出来た目を、不安げに歪めながら夕昏がこう続けて来た。
「昨日ちょっと帰るの遅かったけど、もしかして、その仮面ライダーと会ったりしなかった? 仮面ライダーの戦いに巻き込まれたりとか――」
「だから違うって」
心の内の焦燥が次第に口調に現れ出してきた夕昏の言葉を、溜息交じりに苦笑を浮かべて夜宵は否定する。
「昨日は本当にバスに乗り遅れただけ。ちょっとバス亭で寝過ごしちゃっただけだから」
「そう? でも……」
「確かに商店街の辺りが騒がしかった気はするけど、仮面ライダーどころか、怪人が暴れてたなんてちっとも知らなかったよ。――大丈夫だよ、お母さん。何も危ないことなんて無かったから」
そう、昨日は何も無かった。
自らの言葉通り、バス亭でただ寝過ごしただけだ。
商店街で仮面ライダーとやらが現れて怪人と戦っていたなどということ、知る由も無かった。
自分は、何も危険な目に遭っていなかった。
――それだけだ。
それでも、まだ夕昏が何か言いたげだったので、会話そのものを打ち切るために夜宵は最後に残っていたわかめと大豆の味噌汁を手に取り、それを一気に飲み干した。
「ごちそうさま」
手を合わせてそう告げてから、空になった食器を母の背後の流し台へと夜宵は運ぶ。
その最中、ふと母の呟く声が聞こえた。
「……そうね。うん、そうよね。――ごめんね、変な事訊いちゃって」
「いいよ。お母さんが心配してくれてることくらい、分かってるから」
恐らくは椅子に座ったまま、背中越しに振り返ってそう謝ってくれたのだろう夕昏に、夜宵は振り返る事無く首を左右に振る。
そう、分かっている。
あの時の一件があったからこそ、あの後の自分の有様を間近で見守っていてくれたからこそ、たった一人の愛娘がもう一度あんな目に遭うことを母は心の底から恐れている。
分かっている。たった二人だけ、とそう言い切ってしまってもいい親子の間の事なのだから。
分かっているからこそ、決して自分が仮面ライダーであると知られてはならない。
仮面ライダーへと変身し、スマッシュと戦っているなどという事実が、働き詰めで碌に寝ていない母にどれ程の不安と負担を与えてしまうかなど、想像もつかない。
それに、あの頃の、自分と共に泣いてばかりいた母の慟哭の声は、もう聞きたくない。
だからこそ、最愛の母を夜宵は騙している。
そしてその後めたさが、次々食器がその中へと沈んでいくシンク内の桶の水に映る彼女の表情を沈鬱なものにしていた。
「それにしても、仮面ライダー、か」
食器を桶の中に沈め終えて振り返ったところで、テレビの画面に視線を戻していた夕昏が両手で頬杖を着き、欠伸をする。
「この人
何気なくそう言う夕昏につられて夜宵も目も向けると、テレビ画面にはいつの間にやら、例の仮面ライダーの姿が映し出されていた。
“激写! これが仮面ライダーの姿!?”という画面下側の謳い文句の隣で一般人らしき男性がマイクを向けられている映像が映されているのを見るに、この人物が撮影した写真という事らしい。
幸い、収めることが出来たのはその写真だけで、それ以外の写真や動画の類は勿論、仮面ライダーの正体について分かるものまでは無いらしい。
「うん、そうだね」
一つ頷き、座っていた椅子の傍に置いていた肩掛け鞄の方へと夜宵は歩み寄った。
そして、持ち上げた鞄の帯を左肩に掛けたところで、もう一度呟く。
「――そうだね」
いや、必ず助ける。
それこそが、ライダーとなった理由なのだから。
もう一度だけテレビの画面を見やってから、部屋の隅に設置されたソファー横の開き戸の取っ手に手を掛ける。
「じゃ、そろそろ学校行くね?」
そう告げると同時に、見送るために椅子から立ち上がり追従しようとする夕昏を背に、夜宵は扉を開いて、その奥の玄関へと向かおうとする。
その途中で、点いたままのテレビから、キャスターのこんな言葉が聞こえてきた。
<それにしても驚きですね! 謎のヒーロー仮面ライダーが、まさか
時同じくして、某所。
コンクリートの道路が地表を走り、錆び付いた壁で構成される工場やモルタルの壁に会社名が刻み込まれた看板が埋め込まれた事務所が付近に建ち並ぶ工業地帯の、その地下。
地上との境界となる溝蓋の格子を潜り抜けて差し込む僅かな光だけが光源となっている、コンクリート壁によって区切られた四角い空間がどこまでも広がる下水道。
たまに業者の人間が点検に訪れる以外には人が寄り付かないであろう、湿気と悪臭が漂う空間を、しかし足下を満たす汚水を撥ねさせながら駆ける人影が今はそこにあった。
一人の男だった。
短い茶髪を頭頂の辺りで三又に編み込んだ、20代始めの青年。本来ならば白一色だったのだろうが、今は汚れて染みだらけになった長ズボン以外は何も身に着けていない。肌が顕わになっている上半身や裾の先から覗く足にはしなやかながらもハッキリとした筋肉の隆起が浮かび上がっており、彼の肉体が人並み以上に鍛えられたものであるという事が見て取れる。
そんな青年の精悍な顔が、今は汗と汚れに塗れた必死な表情を浮かべていた。
まるで、何か恐ろしいものに怯え、必死に逃惑っている最中のような。
否、正にそうだ。
裸足を足下に溜まる汚水に打ち付ける度に、跳ねた泥や汚れがただでさえ汚れているズボンや体を更に汚すのも構わず全速力で走っているのは、今正に彼が追われているからに他ならない。
では、彼は何から逃げているのか?
それは彼自身も分からない。
警察か、抜け出して来た牢獄の監守か、あるいは彼らの指揮の元に動く
あるいは――。
「ハァっ……ハァっ……クッソ……!」
とにもかくにも、彼はひた走る。
既に息の切れ掛けている体を鞭打って。
眼前に続く、狭いコンクリート壁と先の見えない闇が続く下水道の奥へ、奥へと。
自らを追跡する追手から――その脳裏に浮かぶ、不気味な
再び時と場所は移り、午前11時、都市部近郊。
周辺に住宅が並ぶそこに設立された、私立御伽高等学校。
丁度三限目の授業が終わり、15分の休み時間に入ったばかりのその学校の、3階建ての校舎の最上階に並ぶ1年生の教室の内の一つ。
ざっと見て十数名程度の生徒達が男女分かれて、あるいは入り混じって思い思いに談笑しているその中、一人だけ誰と喋るでもなく、窓際の席に座ってスマホを眺めている女生徒がいた。
夜宵であった。
「でさぁ、俺がくりくりって抓んで捻ってやるとさ、これがまた良い声で鳴くんだわ」
「マジかよー? いーなー、俺も彼女欲しー」
「ねーねー、聞いた? 1組の朝日野、物理の遠野とデキてたんだってー」
「マジ!? フジュンイセイコーユーじゃん!」
「マジマジ! さっき職員室の前通ったら、教頭と遠野が並んで親に頭下げてるの見えたもん!」
クラスメート達の他愛無い、というには些か猥談染みているというか、モラルに欠けているというか、ともかく、良くも悪くも異性に対しての興味が強まる10代後半の少年少女らしい会話内容が、意識せずとも夜宵の耳に入り込んで来る。
ただ聞こえて来る分だけで、コレだ。一つ一つの会話に耳を傾け、一つ一つの詳細を知ろうとすれば、更に聞くに堪えないような話を耳に入れる事になるに違いない。
会話をしている当人達は当人達なりに楽しいだろう。特に、男女変わらず異性への興味と、時として暴走せんばかりに強まる性欲と向き合う時期にある若者達の大半にとっては。
だが、そうでない者にとって、この手の話題は酷く苦痛を与えるものでもある。
時折手元のスマホをスワイプする手を止め、無意識に寄せていた眉を揉み解そうと右手を移動させる夜宵もまた、そうでない者の一人であった。
『……相も変わらず、不快な事しか口にしない生き物ですわね、
そして、ここにはそうでない者がまたもう一人――今は一本というべきかもしれない――いる。
半開きの状態で机の横のフックから下された夜宵の鞄の中から、教書やノート、筆記用具、黒の鈍い輝きを放つビルドドライバーに混ざって赤い瞳を覗かせるアップルフルボトル――メイジー・ブランシェット。
ただし、彼女は彼女で夜宵とは少し苦痛の感じどころは違ったが。
「今に始まった事じゃないでしょ。放っとけばいいじゃない」
スマホの画面に映し出された新しいページを目で追いつつ、夜宵はメイジーにそう告げる。言ってるの男だけじゃないし、とメイジーに聞かれると面倒な事になりそうな指摘を心の中で付け加えつつ、普段通りの、他者と話す上で適切な声量で。
本来ならば、今のように周囲に大勢の人間がいる状態で、これだけの大きな声でメイジーと口を交わすことは無い。
フルボトルに封印されている今のメイジーの存在は、あくまで夜宵しか認知することが出来ない。そのため、傍から見れば何もない所に向けて話し掛けているようにしか見えないのだ。当然、そんな姿を目にした周囲の人間は彼女に大なり小なり不審の目を向ける事だろうし、もしそれを目にするのが母であったなら、かつての事件の後遺症かと余計な心配を与える可能性すらある。
しかし、今この場においては別だ。
思い思いに集まって、好きなように談話するクラスメート達しかいない休み時間の教室内において、一人で席に座ってスマホを弄っているだけの彼女の方を気に掛ける者はいない。
必要が無ければ誰とも言葉を交わす事も無く、今のように暇があれば一人でスマホを弄るくらいしかしない。適当なグループの輪に入ろうともせず無口無干渉を貫き、それどころか他者から距離を置こうとするような素振りすら見える。――大なり小なりクラスメート達からそういう印象を抱かれているが故に、クラス内において夜宵が浮いてしまっているためだ。
加えて、なまじ整っているその容姿は度々男子の目を惹かせると共に猥談のネタにされ、女子に至ってはそういう男子達の反応が反感と嫉妬を呼び、男子達に人気で調子に乗っている、私らの事下に見てる、とありもしない悪評まで飛び交う原因にもなってしまっている。
そのため、たまにクラス内で彼女の事が話題に上がるとしても――
「そういえば聞いた? 昨日、またバケモノが出たんだって」
「あー聞いた聞いた! 何か、商店街の方で暴れてたんだろ?」
「そーそー! ウチの知り合いのお店もメチャクチャにされちゃったらしくってさ! ヒドくない!?」
「ヒッデー! ゴシューショーサマー!」
「でっしょー! バケモノもさ、どうせ襲うなら相手選んでくれたってヨクない!? ケガしたって誰も気にしないヤツだっているんだからさ! 星観とか!」
「ちょっ、それはそれでお前がヒデーよ!」
「そーだよ! もし星観さんが襲われてたら、俺、死に物狂いでバケモノと戦っちゃうよ! 星観さん守っちゃうよ!」
「でもって、助けたお礼とか言って適当なホテルとか家に連れ込んでヤッちゃおー、とか思ってんでしょ、どーせ?」
「あれ、バレた?」
「そりゃバレるって、そんだけ鼻の下伸びてりゃさ!」
「ケッ! いーよね、ダンマリ決め込んで放っておいても男子の人気取れる奴はさ!」
――精々がこういう程度である。
モテる男は辛い、などとは言うが、モテる女も辛い、ということらしい。
とはいえ、これでも一時期よりは大分マシになった方だ。周囲の態度が、ではなく、その対象である夜宵自身が受ける精神的な負荷の度合いが、という意味でだが。
少し前までは、こういう自分に対する揶揄や批評が聞こえれば、その度に表情を暗くしていたものだ。が、今となっては嘆息の一つでもすれば十分気を取り直すことが出来る。
かつての誘拐事件で大きく傷付き、その痛みを誰にも理解されない苦しさに苛まれ続けたあの頃から、仮面ライダーの力を得て、同じ痛みを少なからず共有できる協力者を得て心に多少の余裕を持てるようになった今となっては。
だから、前方の席に集まる男女のグループから聞こえて来たその会話を今回も溜息一つで受け流しつつ、右手の親指で適当にスワイプし続けていたスマホの画面に再び夜宵は視線を向けた。
と、その目がふと画面に表示されたあるネットニュースを捉えた。
「“元格闘家、刑務所から脱走”?」
その見出しを読み上げた理由は特に無い。
ただ、見つけると共に自然と指がそれをタッチし、同時に口が勝手に動いていた。
しかし、半ば呟くようだったその彼女の言葉を耳聡く捉える者がいた。
『ううん? 刑務所から脱走?』
メイジーであった。
興味深げに唸りながら、聞き捨てならないフレーズですわね、と鞄から覗く赤い目を細める彼女が、次いで、
『夜宵ちゃん、ちょっとその記事読んで頂けませんか?』
と朗読を頼んでくる。
それに対し、
「別に良いけど……何でよ?」
了承こそするも、不意に食い付いて来たメイジーを訝しさ半分、理由を何となく察しているが故の嘆息半分で細めた目で見返しながら、夜宵は問い返した。
そこに返って来た返答は――
『臭いがするんです。欲望に塗れた
――やはり察しの通りであった。
ふっ、という苦笑が夜宵の鼻から漏れた。
『ああ、もう! 良いじゃありませんの! ホラ、早く読んで下さいな!』
「ハイハイ」
彼女のリアクションに居た堪れなくなったのか、少し声を荒げるメイジー。
それに気の無い返答をしながら、スマホの画面に表示させた記事の詳細を夜宵は読み上げていく。
内容は、要点だけを挙げれば、一年前に殺人事件で有罪判決を受けた元格闘家の青年が、刑務所を脱獄し目下指名手配中ということだった。
それ以外にも脱獄犯の青年の顔写真や個人情報、一年前に彼が犯したという殺人事件の簡易的な情報が記載されていたが、その辺りの情報は取り敢えず置いておいても問題無いだろう。
メイジーの憤慨した声が鞄から上がるに当たって、その辺りの情報が特に効果を齎したわけではないのだから。
『まぁ、殺人だなんて! 何て許し難い行いなのかしら』
「あんたがそれ言うの?」
赤い一つ目をUの字に凹ませて怒るメイジーに、夜宵の口が一人でに突っ込んでいた。
メイジーと出会ったばかりの頃、当の彼女自身の口から今のフルボトルに封印された状態になるまでに、幾人もの男を処刑してきたと語られた事があったからだ。
それに対し、心外だというように更に声を荒げて、メイジーが返答する。
『私があの世に送っていたのは女性を苦しめる
「ハイハイ」
どっちも変わらないと思うけどね、と心中で付け加えながら、腹立たし気に息を吐くメイジーを後目に、夜宵は頬杖を突いて窓の方を見やった。
この窓の先、広がる街並みのどこかに脱獄した殺人犯がいたりするのだろうか?
そんな事をふと思い、すぐにあり得ないとそれを否定する。
日常というものは早々に変わるものではない。
例えば、その内容はどうあれ、いつもと変わらず誰と話すでもなくスマホの画面を眺めるだけの夜宵自身もそうだし、変わらず彼女が欲しいだのあの娘ベッドの上で良い反応しそうだのと
あるいは、窓越しに見える、赤い不気味な光を発しながら今も聳え続ける巨大な壁――10年前より現在まで、日本を“東都”“西都”“北都”の三つに分け隔てる“スカイウォール”が、突然ふっとそこから消えてしまう事が無いのもそう。
あるいは、沙也加の手がかりが未だ見つからないままなのもそう。
このニュースの脱獄犯にしても、やはりそうだ。
彼が何かやらかして、それが自分の日常に何か大きな影響を与える可能性も、そもそも自分の前にその姿を現す事も、ほぼ無いに等しいのだから。
『というか夜宵ちゃん、殺人犯の脱走とか、自分には何の影響もないとか思ってるでしょ?』
「思ってるけど?」
『なら忠告しておきましょう、その考えは甘い、と。運命や日常なんてものは、ほんの少しの切欠でいくらでも変わるんです。私にも覚えがありますよ?
「いつの、どの頃の事言ってるか知らないけど、そんな予想外の出来事なんて何度も――」
『あら? ではお友達共々誘拐された時のことは想定済みだったと?』
恐らくはメイジーなりの経験則に基づいているのだろう、妙な説得力のある口ぶりで持ち出されたかつての忌々しい一件に、思わず夜宵は口を噤む。
確かに、2年前の誘拐事件のような、突然起きて何もかも一変させてしまうような想定外の事態が起きる事も、時には有り得る。
だが、そういった事態は結局レアケースだ。滅多に起きる事ではない。
――何度も何度も起きては、堪ったものではない。
「……起きないわよ。あんな事、何度も」
そう、何とかメイジーに対して夜宵が反論の言葉を返したところで、休憩時間の終了を報せるチャイムが鳴った。
それを切欠に会話を打ち切り、ネットブラウザを閉じたスマホをブレザーのポケットにしまって、そそくさと夜宵は次の授業の用意を済ませる。
直前のメイジーの発言を忘れてしまうため、敢えて手を必要以上に急がせたのだが、その意味深な言葉は妙に強く彼女の頭に食いついてしまい、それだけでは忘れられなかった。
結局、その後の授業でもメイジーの言葉共々件のネットニュースの内容が度々頭の中でチラついてしまい、まるで頭に入って来ない授業内容の代わりに、強く夜宵の頭に刻みこまれてしまう事となった。
件のニュースに報じられていた元格闘家の脱獄犯の、傷だらけの顔と共に、その名を。
「
そんな夜宵とメイジーの休み時間の一幕があった、ほぼ同時刻。
御伽高校からいくらか離れた、比較的自然の多い郊外。その中に存在する工業団地の、とある一角。
その場所で、二人の男が対峙していた。
「誰だテメェ!?」
一人は右足に青色、左足に赤色のスニーカーを履いた、トレンチコートを纏った理知的な面持ちの青年――桐生 戦兎。
そしてもう一人は、
「殺人犯のYouを捕獲しに来たんだよ。――万丈 龍我クン」
頭頂の辺りを三又に編み込んだ茶髪、引き締まった精悍な面持ち。身に着けているのは所々が汚れて本来の白色が遠目からだと灰色や水色に見えるようになってしまった、簡素なシャツとズボンのみで、靴すら履いてない裸足でアスファルトの地面に立っている。
そんなみすぼらしい姿で、左腕を庇うように右腕をそちらへ回して戦兎を睨み付ける青年――脱獄の一報が既に各種メディアで知れ渡った元格闘家、万丈 龍我。
「俺は誰も殺してねェッ!」
かっと見開いた目で睨み付けていた万丈が、声を震わせそう叫ぶ。
が、その言葉をこの場に至るまで乗って来ていた、例のフロントカウルから巨大な歯車が生えたバイクのシートから下りながら、戦兎は一笑に付した。
「脱獄するような奴が、何も言っても説得力なんか無ぇっての」
「逃げたくて逃げたわけじゃねェッ!」
荒い息混じりの再びの反論に、呆れから肩を竦めつつ、ボソリ、と戦兎は呟く。
「コイツがスマッシュの反応のある人間、ねぇ……」
そもそも、何故彼らはこうして対峙する事となっているのか?
そうなった発端は、就職し立ての職場のテレビを眺めていた戦兎が受け取った一通の電子メールだった。
『脱獄のニュース見たか?』
休憩室のテレビである速報を見ていたところに入って来たそのメールを読むや、すぐさま職場を抜け出した戦兎は、コンソールに表示されるGPSの反応を頼りにバイクを走らせた。
そして、比較的自然の多い郊外の、その中に存在する工業団地の一角である現在地で、GPSの発信源である強奪したバイクに乗って逃走中だった眼前の脱獄犯を発見し、その行く手を少々荒っぽい方法で遮って現在に至っている。
そうなった発端となった、身元引受人から送られてきた件のメールに、同時に記載してあったのが、今しがた彼が呟いた内容通りの事。
つまり、万丈 龍我にスマッシュの反応があった、ということだ。
その話が本当であるならば、考えられる可能性が二つある。
一つは、メール上でも言及があったように、彼がスマッシュになり掛けているという可能性。
そしてもう一つは、かつての夜宵の様に――。
と、そこまで展開していた思考を、戦兎は、無いな、と苦笑交じりに切り捨てる。
あんな事が二度も起こるとは思えない。
ましてや、目の前の男は身に着けているものすらそこら辺のゴミ箱から漁ってきたかのような有様だ。それ以外に何かを持っているような様子さえ見られない。
仮面ライダーに変身するためのドライバーやフルボトルなど、持っていよう筈が無い。
となれば一つ目の可能性――目の前の男はスマッシュになり掛けている、が正解という事だ。
だとすれば、今すぐにでも万丈が完全にスマッシュへと変化し、襲い掛かって来る可能性は十分にある。
「だったらさっさと刑務所に戻ればいいだろ?」
呆れを隠さない口調で戦兎はそう返す。
いつでも必要なものを取り出せるよう、トレンチコートのポケットの中に意識を向けながら。
しかし、肩で息をしていた万丈が次に口にした言葉に、彼はその意識を逸らされることとなる。
「駄目だ! 戻ったら、また奴らに捕まる……」
「
何故かは分からない。
どうしてかは分からないが、その言葉が、戦兎の琴線に触れたのだ。
後にして思えば、この時点で既に予感めいた何かを感じていたのかも知れない。――この男は、自分にとって重大な“何か”を握っている、と。
兎にも角にも、それを確かめるために、無意識に戦兎は聞き返していたのだが、
「……どうせ、言っても信じねぇだろォ!!」
返って来たのは、そう叫ぶや急接近と共に放たれた万丈の拳であった。
「うわっ!?」
咄嗟に背を逸らし、その一撃を回避した戦兎は、すかさず握り込んだ右の拳を繰り出して反撃を試みる。
が、まるで押し退けられる水のように半身を逸らした万丈の動きによって戦兎の拳は何も捉える事無く、空しく風を切る。
更にそのまま伸ばし切った腕を掴まれ、流れるように背後に回っていた万丈によって、体に掛かっていた勢いを利用されるままに先程まで彼がいた辺りに押し退けられた。
一瞬、態勢を崩し掛ける戦兎。
だが、すぐに振り返ると共に腰を屈めて安定を取り戻し、右、左と2連続でフックを繰り出す。
が、それすらも右、左と二の腕を当てて拳の軌道を逸らした万丈の回避行動によって悉く退けられる。極めつけに2撃目は再びその勢いを利用される形となり、また背後へと回った万丈から、がら空きになっていた背中に重い一撃が加えられた。
溜まらず、呻き声を漏らした戦兎は動きを一瞬止めてしまう。
その隙を逃すことなく、彼の体を両手で押し退けて万丈が距離を稼いでくる。
それでもめげる事無く、駆け込んで距離を詰めると共に戦兎は蹴りを放つが、見計らったかのように向こうも繰り出した右足によって叩き落とされ、更に懐へ飛び込んだ万丈の突進が炸裂したことによって、後退させられた彼の体がくの字に折れる。
そこへ逃さず放たれた、渾身の右ストレート。
起こそうとしていた上半身を的確に捉えたその一撃に、更に後退を余儀なくされた戦兎は驚きに見開いた目で、右腕を突き出したままの万丈を見据えた。
「――やるじゃねぇか。流石、元格闘家」
確か、事前に聞いていた情報では、八百長試合に加担して格闘技界から追放された、という話だった。その後、なんの理由があってかは知らないが殺人事件を起こし、懲役の10年の有罪判決を受けて、ざっと1年は碌なトレーニングの出来ない刑務所で服役していた筈。
だが、その1年以上のブランクなどまるで無いかのように、この自分を相手にここまで優勢に立ち回れるとは。
驚くべき格闘センスだ、と言わざるを得なかった。
「けぇど――」
だが、それでも戦兎は万丈の捕縛を諦める気は無い。
初めて出会った時の夜宵に比べれば、どうという事は無い。
――ただセンスがあるだけの元格闘家など、恐れる必要は全く無いからだ。
「ここから先の俺はちょっと違う」
口端を持ち上げた、自信に溢れた笑みを浮かべ、トレンチコートのポケットから戦兎はあるものを取り出した。
一本のフルボトルであった。
鮮やかな赤のトランジェルソリッドが内部で揺蕩う容器の表面に、正面から見た兎の顔が凹凸模様として浮き上がっているそれを、研究者がこれから使う実験材料として紹介するように、対面の万丈に良く見えるように持ち上げて見せる。
「? 何だ?」
突然取り出されたそれに、訳が分からない、というように万丈が眉根を寄せる。
その反応で、改めて可能性の一つが無い事を確認した戦兎は、そのままボトルを注目する彼の前で、徐にそのボトル軽く何度か振って見せる。
そして、次の瞬間。
「っ!?」
恐らく、今万丈は突然の事に驚愕している事だろう。
その表情を目にする事は今、戦兎には出来ない。
何故ならば、今の彼は一瞬の内に万丈の背後に回り込んだ、その直後であったからだ。
一瞬遅れ、背後の気配に気づいた万丈が振り返ったが、もう遅い。
驚きに目を見開いた彼の顔が向き切るその前に、戦兎はその場で身を捻じり、万丈の横っ面に回転蹴りを見舞った。
耐え切れずその場に手を着く万丈。
そんな彼を見下ろし、勝ち誇った笑みを浮かべて戦兎は頷く。
「うん、お子ちゃまの時よりはまだ楽だったな」
お子ちゃま――夜宵の時は本当に酷かった。
何せ、いきなり変身して襲い掛かって来たのだから。
そんなかつての彼女の時に比べれば、こうしてただ刺激を加えただけのボトルの力で難なく対処できたのだから、今の脱獄犯の相手は遥かに楽だった。
だから、そのまま痛みに眉間を寄せる万丈を今度こそ捕縛しようと、戦兎は彼に一歩歩み寄る。
その時だった。
「……その強さ……テメェも、ガスマスクの連中に何かされたのか? それとも、奴らのグルなのか?」
「ガスマスク?」
蹲ったままの万丈の口から、再び気になる言葉が出て来た。
ガスマスクの連中――そのキーワードが、戦兎の頭に、記憶の一部を呼び起こしていく。
失われて久しい彼の20数年近くの記憶の、僅かに残されたその一部を。
「とぼけんじゃねェ!」
立ち上がるや、万丈が戦兎のトレンチコートの襟元を掴んで問い詰めて来る。
「俺を人体実験のモルモットにしただろうがァッ!!」
「人体実験……? どういう事だ?」
「どうもこうも無ぇよッ!」
力任せに突き飛ばされる戦兎。
困惑に揺れるその目の先で、高ぶる感情を落ち着かせるように肩の上下運動を少しずつ抑えた万丈が、ポツリポツリと語り出す。
彼が脱獄するに至った
戦兎が直観した通りの、失われた彼の20数年の内の。
あるいは、夜宵の封印された一ヵ月の。
二人に共通して残された、“ガスマスクの男達”と“人体実験”の、その数少ない記憶に直結する話を。
それが、現時点で万丈から聞き出す事が出来た全てであった。
それだけ聞ければ、確証を得る分には取り合えず十分だった。
――やはり、彼は自分達が受けたのと同じ人体実験を受けていたという、その確証を得る分には。
だが、それが彼の知っている事の全てだとは、誰も言っていない。
――あの男は、まだ何かを握っている。
自分の記憶に関する何かを。
夜宵が探す、彼女の親友の行方の関する何かを。
残された自分達の僅かな記憶と
もはや、直感などではない。確信がそこにある。
故に、戦兎は愛車を最高速で走らせる。
突如現れて万丈を攫ったスマッシュを追うため、舗装の行き渡っていない道路を。
10年前に起きたとされる“スカイウォールの惨劇”によって発生した“スカイウォール”。
その禍々しい意匠が彫り込まれた巨大な壁の、その裾を。
そうして、早5分。
スモークグレーのバイザー越しの視界が、先の工業地帯から消えた二つの姿を遂に捉えた。
「アイツ……!?」
驚きの声を戦兎は零した。
視界の奥で、生身のままの万丈がスマッシュに殴りかかっている姿を見たからだ。
無茶という他無い。
如何に優れた格闘家といえど、生身の人間の拳がダメージを与えられるほど、スマッシュは軟には出来ていない。だからこそ、仮面ライダーが必要になるのだ。
故に、今万丈が取るべき正しい選択は逃走であった。
であるのに、構わず万丈はスマッシュを殴り続けている。
格闘家であった以上、戦いについて全く素人という事は無い筈だ。一度殴ってみれば、効果がない事くらいすぐ分かるだろうに。
なおも逃げ出さず、只管に拳を打ち続けるその姿は、愚かと言わざるを得なかった。
だが――そんな彼の姿が、言う程悪いものだと戦兎は思わなかった。
むしろ、好ましくさえ思えた。
だから、今まさに青と黄色の装甲に固められた右腕を彼に叩き付けようとしていたスマッシュへ、速度を緩めないままの愛車で遠慮無く突っ込んだ。
「グガァッ!?」
ウィリーさせ、叩き込んだフロントタイヤから伝わる衝撃と轟音。
微かな声を上げ吹き飛ぶスマッシュの青と黄色の体躯を確認しつつ、その反力で逆方向に吹き飛ばされないようにコントロールした愛車の前輪を着地させる。
そしてその場に停車させたところで、再び現れた戦兎に気づいた万丈が叫んだ。
「ッ! テメェ、さっきの!?」
「馬鹿だねぇ、生身でスマッシュに立ち向かうだなんて。けど――」
悠々と頭からヘルメットを取りつつシートから降りるや、その場で掌サイズの何かへと変形した愛車を受け止めながら、横目に戦兎は万丈を見遣った。
元々小汚い見た目だった彼の姿は、スマッシュとの戦闘でそうなったのか更に泥汚れや破れた箇所が増えている。また、肩で息をしている彼自身にも、幾つか傷や殴打痕が出来ていた。
その上で、その表情や双眸にはこれといった蔭りは見受けられない。
「――お前みたいに根性ある奴は嫌いじゃねぇ」
そんな彼に、フッ、と笑い掛けながら、改めて起き上がろうとしているスマッシュの方へ戦兎は向き直る。
全身を覆う青と黄色の頑強そうな装甲が曲面を描く、上半身と腕の先が肥大化した姿形。その上部には頭部らしき出っ張りが、三つの穴が∴となるように、その左右の二つの穴が縦に配された出っ張りに挟まれるように飛び出ている。見るからに
取り出したのは、黒いボディを艶めかせるビルドドライバー。
「後は任せろ」
言いつつ、ドライバーを自らに当て装着した戦兎は、今度は両腕をコートにポケットに差し込み、その中を弄る。
何を取り出すかは、否、何が彼の頭の中で作り上げられた方程式の答えとなるかは、既に決まっていた。
ポケットから出した両手に掴んでいた、鮮やかな赤と青のトランジェルソリッドがそれぞれ収められた二本のフルボトル。
左に持つ、先程万丈に見せたのと同じ赤い方の容器部には抽象化した兎の顔が、右手に持つ、まだ彼には見せていなかった青い方には正面から見た戦車が、それぞれ凹凸模様として浮き上がっているそれらが、その答えであった。
「さぁ、実験を始めようか」
そう宣言するや、それらのボトルを顔の横まで持ち上げ、昨晩やっていたのと同じようにシャカシャカと互い違いに、リズミカルに振り出す戦兎。
すると、その動きに合わせるように彼の背後から白い線で形作られた多種多様な数の群れが現れ、流れるように前方、ストロングスマッシュの方へ流れていく。
突然起きた奇怪な現象に、傍の万丈が目を剥き、ストロングスマッシュが忙しなく左右を向いて動揺する。
そんな彼らを後目に、両手のボトルの撹拌を終えた戦兎は、上部のキャップを回転させてそれぞれのラベル面――共に“R/T”という文字列が書き込まれている――を前方に移動させ、順にそれらをドライバーのツインフルボトルスロットへと装填していく。
<
装填したフルボトルそれぞれの成分と、その組み合わせが最適な組み合わせであることを示す電子音声を鳴らすドライバー。
続けてドライバー側面のボルテックレバーの赤い持ち手を握った戦兎は、すかさずそれをグルグルと回転させていく。
それによって、レバーの回転がドライバー内部のニトロダイナモを稼働させ、エネルギーを生成すると共に、装填された“ラビットフルボトル”と“タンクフルボトル”から透明なチューブ状の高速生成ファクトリー、スナップライドビルダーを伸ばし、戦兎の前後にプラモデルの外枠のような形を形成していく。
あっという間に展開していくそれらに、万丈が驚きの声を洩らしながら後ずさる。
そんな彼の事など知らないとばかりに、何事も無く形成された外枠の中央に作り出される、2種の人型。
戦兎から見て、前方には黒い特殊繊維製スーツとメタリックレッドの装甲、後方に同じ色のスーツとメタリックブルーの装甲。
それらが完全に形成されると共にレバーを回す手を戦兎は止め、ドライバーが新たな電子音声を発した。
<Are You Ready?>
「変身!」
腰を落とし、両手を前に構えたファイティングポーズを取り、電子音声の問い掛けに返答するように戦兎は力強く宣言する。
それを合図に、彼の前後に展開していたスナップライドビルダーが猛スピードで接近。あっという間に戦兎を挟みこむと共に、勢いよく噴き出した蒸気が辺りを白く埋め尽くす。
そうして蒸気とスナップライドビルダーがその場から消え去ると共に、先程まで戦兎が立っていた場所に新たな存在が現れた。
<
腰に身に着けたドライバーが、プロレスの選手入場の謳い文句さながらの電子音声を放つその中で、何かを受け止めるような仁王立ちの姿勢だったそれが姿勢を変える。
黒い特殊繊維スーツの上に配された赤と青の、まるで二色の薬品を混ぜ合わせている最中のように斜めに組み合わさった装甲を纏った体を半回転させ、青い装甲に覆われた左手を腰のベルトに掛け、赤い装甲に覆われた右手でフレミング右手の法則に則ったハンドサインを作って、それを体の右側に突き出したポーズをとる。
そして、体と同様に赤と青の装甲が斜め方向に絡み合ったような形状をした頭部をストロングスマッシュの方へ向け、その上に貼り付いた一対二色の複眼を顕わにする。
左目は兎の横顔を模した赤い複眼、右目は戦車の側面を模した青い複眼。
ドライバーに装填した二種のフルボトルそのままの組み合わせのその複眼が、ギラリと一際強く輝き、その存在を強く主張する。
「……何だよ、それ?」
訳が分からないとばかりに、目を向き唖然とする万丈。
その彼の前で、ハンドサインを解いた右手を、右側の青い戦車の複眼のすぐ傍まで移動させる。
「勝利の法則は――決まった!」
赤と青の二色の鎧を纏う、兎と戦車の複眼を持つ姿――“ラビットタンクフォーム”。
自らが変身できる姿の一つへとその身を変えた戦兎が――もう一人の仮面ライダー、“ビルド”が、半開きだった右手を勢いよく開きながら、そう宣言した。
何が何だか、さっぱり分からない。
それが、自分を追ってきたトレンチコートの青年が、突如自分と、自分を襲ってきたスマッシュとかいう怪物の前で、赤と青が混ざり合ったような奇妙な姿になったのを目撃した万丈 龍我の、正直な感想であった。
そして、そんな彼の目の前で、姿を変えた青年が赤くなり、白いバネのようなものが巻き付いた左足を前に出し、力を溜め込むように身を屈める。
それにより、彼の左足のバネがググッと縮んだかと思った、その次の瞬間。
青年の姿が、ふっと万丈の眼前から消えた。
ギョッ、として僅かに後ずさる万丈。
同時に、その耳が、硬質な物同士がぶつかり合うような甲高い音を捉える。
それに反応するまま首を右に向ければ、そこに青年がいた。
万丈から見てざっと6m程。それなりに距離が離れたそこで、スマッシュを殴りつけていたのだ。
「速ェ……!?」
驚愕が万丈の口から洩れる。
先程、青年と戦っていた時も、今と同じように一瞬で彼が移動した時があった。だが、自分の背後に回っただけのあの時と違う。
あの時に比べ、明らかに移動した距離も、速さも上がっている。
驚異という他無いその速度に、唯でさえ見開いていた目を万丈は更にこじ開けざるを得なかった。
そしてそんな彼の事など気に留める事も無く、スマッシュの青と黄色に体に、青年が連続で赤と青の拳を叩き込んでいく。
それに耐え切れず後方へ押し退けられたスマッシュが、反撃とばかりに雄叫びを上げ、肥大化した右手を振り被って、青年の方へ駆け込んでいく。
そうして、加速を付けたスマッシュの拳がまっすぐ青年の胸元目掛けて飛び込んで行く。
が、それよりも一足早く、その場で青年が跳躍。飛び込んで来たスマッシュの拳を逆に踏み付け、兎の肉球のような足跡をそこに残しつつ、更に高く跳び上がってその後方へと着地する。
そして同時に、今の姿になる前の青年が出現させていた透明なパイプのようなものが一瞬彼の傍に現れたかと思いや、寄り集まったそれがあっという間に別の何かへと姿を変える。
黒い持ち手に、銀色の円錐形をベースに黄色のパーツが各所に配された、ドリルであった。
それを手に取るや、背後から接近していたスマッシュの方へ向き直る動きに合わせ、宛ら剣のように青年がそれを振るった。
横一線。
振り切られたドリルの先端を追うように小さな火花が連続し、スマッシュがその動きを止める。
すかさず、逆袈裟切り、縦一線と連続して青年がドリルを振るい、仕上げにその先端を突き込んだ事で、火花を上げながら吹き飛ばされたスマッシュが、その身から白煙を燻らせながら芝生の上へと転がされた。
それによってスマッシュとの距離が離れたのを見計らったように、手にしていたドリルを地面に落とした青年が、続けて何かを取り出す。
遠目からだったため、その詳細まで分からなかった。
だが、どうやらそれが、先程から青年が何度も取り出して見せていた、掌サイズの小さな容器らしいということはすぐに分かった。
何故なら、それを出して何度か上下に振ったかと思いや、すぐに彼が腰元のベルトに既に差していた二本の内の一本と交換して見せたからだ。
<
青年の腰の、やたらメカメカしいベルトがそんな電子音声を発する。
と共に、ベルトの右側から生えているハンドルを、先程彼が今の赤と青の姿になる時にやったのと同じように、再び青年がグルグルと回し始めた。
それに合わせ、今度は青年の前方側にのみ先程と同じパイプが伸び、再び外枠を形成すると共に、その中央に半身だけの人型を作り出していく。
(今度は一体何する気だよ……?)
困惑と不安の入り混じった目でその様子を見つめる万丈。
その視線の先で、今の姿と同じ黒に、今度は白い装甲が銅と頭、右腕と左足に配されたその半身だけの人型が完全に出来上がり、同時に青年のハンドルを回す手が止まった。
<Are You Ready?>
「ビルドアップ!」
問い掛けるようなベルトからの電子音声に応答するように、青年が掛け声を上げた。
すると、先程と同じように作り上げられた半身が青年の方へ外枠ごと動き出し、青年の体の赤い部分に重なり合うように高速接近する。
そうして、青年に衝突するかと思われた次の瞬間、金属がぶつかり合うような甲高い音と共に、彼を覆うように白煙が吹き上がり、辺りに立ち込めた。
そして、その白煙が晴れると共に、再び現れた青年の体にある変化が起こっていた。
「! アイツ、色がっ!?」
先程まで、青年の体は赤と青と2色だった。
それがどうしたことだろう。
白煙の中から現れた彼の体は、いつの間にやら赤かった部分が、全て白くなり、その形状を変化させていた。
まるで、先程作り出した白い半身が、そのまま青年の体に貼り付いて、赤かった部分を覆い尽くしてしまったかのように。
再びの唐突な変化。
それによる、もう何度目になるか分からない驚愕に、万丈は目を瞬かせる。
「グアアァァッ!!」
そして、そんな彼の事など置いてけぼりにせんとばかりに、雄叫びを上げたスマッシュが再び両腕を振り上げて青年の方へと飛び込んで行き、
「おっと」
当の青年自身がそれに対応するように、いつの間にやら右手を覆うように付けていた白いグローブを持ち上げるのであった。
獣のような咆哮を上げ、再び迫り来るストロングスマッシュ。
振り抜かれたその拳が、猛スピードで迫って来る。
そして、そのまま打ち付けられたそれが彼を横っ面から弾き飛ばす――ということには、残念ながらならない。
「ほいっ」
放たれる軽い掛け声。
それと共に右手――白く分厚い“BLDスパイングローブ”によって覆われたそこから伸びた数本の鋭い針が、飛び込んで来たストロングスマッシュの拳を阻んだからだ。
同時に、伸びた針の更に数本がスマッシュ自身の胴を捉え、怯ませる。
その瞬間を、左側が白いハリネズミの横顔を模したものに変わった戦兎の一対の複眼が見逃すことは無い。
「ほらっ、ほらっ! ――そらっ!」
態勢を整える間も無く繰り出された蹴りを、先程と同じように右手の針によっていなしながら、同時に別方向に伸びた針によってダメージを与える。
更に、再度怯んだストロングスマッシュの背後へ回り込み、一撃、二撃と針を伸ばしたままのBLDスパイングローブで無造作に殴りつけてやった。
溜まらずストロングスマッシュが飛び退いて距離を取るが、それでも懲りないのか、再び急接近して腕を突き出してくる。
再び、右手から伸ばした針でそれを防御。
と同時に、針でその拳を絡め取り、固定してしまう。
それによって、抜こうとしても抜けなくなってしまった己の拳に、動揺したように呻き出すスマッシュを、逆に力任せに引き寄せ、自らの後方、芝生を抜けた先にあるアスファルトの道路の方へと戦兎は放り投げた。
彼に加えられた動きのまま、無防備に晒されてしまったスマッシュの背を、悠々と歩み寄ると共に更に殴りつける戦兎。
その一撃によって、火花を散らしながらその身を反転させたスマッシュのがら空きになった胴に、渾身の力を込めた一撃を、BLDスパイングローブの無数の針の一斉伸長と共に戦兎は叩き込んだ。
一際盛大に火花を弾けさせ、轟音と共に吹き飛ぶストロングスマッシュ。
戦兎から2m程離れた道路の上に倒れ込んだその体には、今しがたの一撃の際に針の何本かによって穿たれた黒い穴が開き、そこから白煙が揺ら揺らと立ち昇っていた。
――そろそろ限界が近い証拠だ。
「これでフィニッシュだ」
ベルトの左側に備えられたボトルホルダーからラビットフルボトルを引き抜いた戦兎は、軽く振って撹拌を終え、再びキャップのラベル面を前に向けたそれを、合わせて引き抜いたハリネズミフルボトルと交換する形でフルボトルスロットへと装填し、ボルテックレバーを回転させていく。
<Rabbit! Tank! Best Mach!! Hagane-no-Moon Salt! Rabbit-Tank! Yeah!!>
再度ドライバーから放たれる電子音声。
合わせ、それまでハリネズミフルボトルの成分によって形成された棘だらけの白色のアーマーの半身――“ハリネズミハーフボディ”が、再び展開したスナップライドビルダー内に形成された、左足にバネ機構を持つ赤色のアーマーの半身――“ラビットハーフボディ”へと塗り替えられる。
そこから、一旦止めていたボルテックレバーの回転を、赤い装甲に改めて覆われた戦兎の右手が再び開始。
これにより、ドライバー内部の発動機――ニトロダイナモが更なるエネルギーを生成すると共に、装填された赤と青のフルボトルを追加撹拌。内部成分を更に活性化させ、より大きな力を発生、貯蓄していく。
そうして、十分なエネルギーとボトル成分の活性度を確保し、自らの頭脳の内で組み上げた方程式の最終段階への準備が整ったところで、それを告げる電子音声がボルテックレバー横の円形部――ボルテックチャージャーを一際強く点滅させるドライバーから響いた。
<Ready Go!!>
遂に始まる、勝利の法則の最終解答。
ドライバーの宣言と共にボルテックレバーの回転を止めた戦兎は、すかさず右足を持ち上げ、力を込めて足元のアスファルトへと踏み下ろした。
すると、それを合図とするように鈍い金属音を上げてアスファルトに罅を入れた彼の右足――青い装甲に覆われた半身“タンクハーフボディ”の最大の特徴ともいうべき“タンクローラーシューズ”。その足首の前側から足裏の土踏まずまでを覆うように備えられた履帯が、本物の戦車のそれのように高速で駆動し始めた。
その右足の無限軌道の動きによって、まるでローラースケートで滑るような片足立ちの姿勢になった戦兎は、ギャリギャリという駆動音を上げ、立ち上がろうともがくストロングスマッシュからほんの数秒の内に大きく距離を開けていく。
そうして、法則の証明に必要な充分な間隔を確保した彼は、続けて右足の履帯の駆動を止めないまま、踵を地に着けて移動のみを止めると共に、左足――特に、膝から下――に力を込めるよう意識を向けながら、腰をグッと屈める。
これによって、彼の左足――“クイックラッシュレッグ”の赤い装甲内に組み込まれた白い跳躍強化バネ――“ホップスプリンガー”が一気に圧縮。それによって赤みを帯びる程に力を溜め込んだそれを、戦兎自身の上方へ跳び上がるために背筋から足先までを伸ばした、跳躍の動作と共に解放。
次の瞬間、赤と青の装甲に覆われた体が、地上20mは優に越しているであろう高空まで高々と飛翔していた。
そして、その彼の動作を合図に、方程式の解答は次の段階へと移行する。
「ぐ、がっ!?」
漸く、ノロノロと立ち上がったスマッシュを、しかしそれと同時に左右からガッチリと拘束するものが現れた。
基準となる
ビルドのボディを形作ったのと同じ、スナップライドビルダーによって形成された半透明のそれの、横軸とその上を通る曲線の一部によって、身動きを封じられたストロングスマッシュが逃れようともがくが、もはやその足掻きは意味を為さない。
曲線の頂点から、まるで滑り台のレーンを滑り降りるように半透明の線に沿って急降下する戦兎の突き出した右足が。
最後の
もうスマッシュの三つ穴の頭部の、その眼前まで迫っていたからだ。
<
激突。
適切な加速と突入角から加えられた戦兎の蹴りが、防御も回避も出来ないストロングスマッシュに突き刺さり、高速回転する爪先が青と黄色の装甲をガリガリと削り飛ばしていく。
そして次の瞬間、蹴りが直接与える運動エネルギーによるダメージと、履帯の切削によるダメージに遂に耐え切れなくなったスマッシュの体が爆散。自らの体とその周囲に緑色の爆炎をばら撒きながらアスファルトの上に仰向けに吹き飛び、そのまま大の字になって沈黙する。
それを確認した戦兎は、何の成分も入っていない
それによって、スマッシュの体を構成していた成分が粒子状に分解され、戦兎の手元のボトルへと見る見る内に吸収されていく。
そうして成分を完全に吸収し、中央部が蜘蛛の巣状の凹凸模様が浮かぶと共にパンパンに膨らんだ事を確認した戦兎は、
「――よしっ、と」
ボトルの蓋を再び回転させて封をすると共に、遂今しがたまでスマッシュが倒れていた方へと再び向き直った。
そこで仰向けになって呻き声を上げている、さっきまでそのスマッシュだった男を介抱するために。
しかし、歩み寄ろうとしたその足を程無くして彼は止める事となる。
「アンタ……ガスマスクの奴らのところにいたよな?」
戦兎が動くよりも前に、慌てたようにその男の元へ駆け寄る万丈の、その言葉を耳にしたことで。
間違い無かった。
あの水槽の中に押し込められ、四方から噴き出すガスが齎す苦痛から逃れようともがいていたその最中で、確かに目にしていた。
先程まで怪物と化して襲い掛かっていたその男が、質素な寝台の上に拘束されていたのを。
男の左耳に着いている特徴的な、一度見たらそう簡単には忘れられないようなハデなデザインのピアスを。
だからこそ、怪訝そうに顔を歪めた男から返って来た返答は、万丈にとっては到底受け入れられるものでは無かった。
「……何の話だ? それにここ、何処なんだよ……?」
「惚けんじゃねェッ!!」
さも訳が分からないとばかりに周囲を見渡す男の胸倉を掴み上げ、怒鳴りつける。
そんな筈はない。
確かに、いたのだ。
あの人体実験の場に。
幾人ものガスマスクの男達と、同じようにベットの上に拘束されて寝かされていた人々の、その中に。
確かに、この男はいたのだ。
だというのに、彼はまるで知らないという素振りばかりを見せる。
本当に何も知らない、お前の言ってることがまるで分からないと。
傍から見ても嘘を吐いてるようには思えない、怯えた表情で目を震わせて。
まるで、問い詰めているこちらの方がありもしない出任せを言い連ねているかのように……。
そこで、ハッ、と我に返った万丈はすぐさま後方へ振り返った。
そこに立っている、今は青と赤の装甲を纏った姿の、あのトレンチコートの男の方へ。
「……本当なんだ……」
その場から立ち上がり、何かを考えているかのように仮面を被った頭を俯かせている男の方へと、覚束ない足取りで歩み寄っていく。
「俺も、コイツも、体に何かされたんだ……」
震える口から紡いだ言葉が、真実のみを述べている筈だというのに、まるで苦し紛れの言い訳をしていると錯覚をしてしまいそうな弱弱しい声で放たれてしまう。
その自らの声によって、より一層不安を煽られた万丈の足の動きが、更に忙しなく、覚束ないものになっていく。
そうして遂には足が縺れ、躓いた勢いのまま、未だ俯いていた男の方へ万丈は飛び込んでいた。
「……信じてくれッ!!」
倒れそうになった体を支えるために掴んだ男の両肩の装甲を力任せに揺すりながら、万丈は叫んだ。
あの事件が起き、殺人犯として捕まった時から何度も口にし、しかし一度も聞き入れられることの無かった言葉を。
それでも、発せざるを得ない、誰かきっと信じてくれると願って訴えざるを得ない、心からの叫びを。
それに対し、青年は、
「お前の話が本当なら……アレは……あの実験は……」
ただそれだけを呟いた。
それがどういう意味なのか、結局彼は自分の言葉を信じてくれるのか?
込み上げる不安のまま、更に万丈が身を乗り出そうとした、その時だった。
何処からともなく、サイレンの音が鳴り響いて来た。
反応して振り返って見れば、道の奥からルーフ上部に赤色警光灯を取り付けた黒塗りのバンと、それを囲むように並んだ数台のバイクが走って来ていた。
程無くして、彼らから数メートル程先の所で停車したその一団が何者であるのかは、考えるまでも無かった。
数体の
そして、彼らの跨るバイクや、中央のバンにプリントされた、東都のマーク。
先の下水道から抜け出した後に現れたのと同じ、追手。
それも警察や刑務所の看守どころではない。
東都政府お抱えの特殊部隊の一団だ。
「君が仮面ライダーか」
そんな声が聞こえた共に、バンのドアが付近に立っていた兵士の手で開けられ、そこから一人の男が降車した。
口元に黒い艶のある髭を蓄えた、30代半ば程の男だ。灰色を基調に緑のラインが施された詰襟の制服を身に着けているところを見るに、どうやら東都政府に属する人物らしい。
その男が、腕を組み、顎鬚を弄りながら、万丈と青年へどこか見下すような視線を向けて来る。
「噂は聞いているよ。殺人犯の万丈 龍我をこちらに引き渡してもらおうか?」
「俺は殺しなんかやってねェ!!」
咄嗟に男達の方へ近づき、自らの無実を訴える万丈。
しかし、そんな事は聞いてないとばかりに、髭の男が無造作に右手を挙げる動作と共に、彼の周囲の兵士やガーディアン達が手にしていた小銃を万丈へと向け、ザッザッ、という足音を立てて彼の方へと歩み寄って来た。
万丈を、捕縛するために。
「……俺はどうしようもねぇバカでクズだけど、そんな事は絶対にしねぇ」
お仕舞だ、と思った。
逃走の最中、何体かのガーディアンを破壊したりもしたが、流石にこれだけの数を捌き切る事は出来ない。
何より、もうそうするだけの気概が彼の心には残っていなかった。
自分が何度無実を訴えても、どれだけやっていないと叫んでも。
警察も、裁判官も、刑務所の看守も、それ以外の人間も、誰も信じてくれない。お前が殺ったんだ、お前は殺人犯なんだと決め付けて、誰もまともに話を聞いてくれない。
あの事件が起きてから一年間ずっとそんなことばかりで、仕舞いには今のこの有様だ。
いい加減、万丈は疲れて来ていた。
誰も信じてくれない無実を訴える事に、当ても無く逃げ続ける事に。
もう心が折れる寸前だった。
絶望という名の闇に全てが飲み込まれてしまう寸前だった。
「どうして……どうして誰も信じちゃくんねぇんだよォッ!!」
だからこそ、その場にしゃがみ込み、震える声で叫んだその絶叫は、正に鎮火する直前の蝋燭の火そのものと言えた。
――だからこそ、絶体絶命の状況の中で響いたその最後の叫びは届いたのだ。
「……ああ……最っ悪だ」
消える直前の蝋燭の火が最後に大きく燃え上がって闇を祓うように。
「
彼のすぐ隣にしゃがみ込んで、片手で頭を抱えながらそうワザとらしくぼやく青年へと。
その連絡が夜宵のスマホに入ったのは、既に放課後を迎えた学校を離れ、バス亭で帰りのバスを待ちつつスマホを弄っている最中の事だった。
<戦兎がとんでもない事してくれた! お願いすぐ来て!!>
何やら尋常でない様子でそれだけ電話越しに絶叫されたために一時は困惑するしかなかった夜宵だったが、しかしその詳細を聞かされた事で事態を把握すると共に、彼女もまた驚愕の叫びを上げる。
そして、数分と待たず到着したバスに駆け込み、自宅付近のバス亭よりも前のバス亭で下車するや、そのまま全速力で目的地――元々帰宅前に立ち寄る予定ではあった、ライダーの協力者達の待つ喫茶店“
そうして、息を切らしてそこへ辿り着いた彼女を待っていたのは――。
「夜宵ー! 待ってたよー!!」
今にも泣き出しそうな程にクシャクシャになっていた顔を、彼女の姿を目にするや輝かせて駆け寄る先の電話の相手――nascitaの
「おー、夜宵じゃん! どうしたの、そんなに慌てて?」
そんな石動の隣に立ち、彼とは対照的に肩で息をしている夜宵に、確かに呼んでたけど、と首を傾げる“やらかした男”、桐生 戦兎。
そして――。
「ア゛? 何だァ? 誰だよ今度は?」
奥の方で、そこにあるもの物珍し気に物色していたのも束の間、夜宵の存在に気づくや不審げに眉根を寄せた顔を向ける青年。
昼休みにネットニュースで見た、編み込んだ茶髪が特徴的な男。
――殺人犯、万丈 龍我。
その顔を目にした次の瞬間、吐き掛けていた息すら巻き込みながら深く息を吸い込み、それを盛大な怒声と共に夜宵は吐き出した。
「何やってんのよあんたはああぁぁっ!?」
「何で殺人犯連れ込んでのっ!? 指名手配されてんのよ!?」
『同じ仮面ライダーというだけで私達までこれからはお尋ね者だなんて』
「お前ら何モンなんだよ?」
「“奴”の作り上げた“仮面ライダー”。どれだけ使いこなせているか、俺が見極めてやろう」
「さぁ……戦争の始まりだ……!」
「好き勝手……言いやがってッ!!」
「一緒に証明しましょう。貴方が本当は無実なんだって」