なんせ、第4話だけでも気づけばwordで75ページとかいうトンデモな量になってしまってますので。
何はともあれ、本作を読んで頂いている方々には感謝と、長くお待たせ致しました事へのお詫びを。
後編も近日中には投稿出来ると思いますので、そちらもどうか今しばらくお待ちをお願い致します。
学校を抜け出し、逃げ出した万丈を追った先で遭遇する事となった、彼とその恋人――小倉 香澄との別離。
その最中で香澄の口から語られた、万丈を殺人現場へと誘導するように指示したという男――鍋島。
その男がどうやら、万丈をガスマスクの男達が待つ人体実験の実験場へと攫った刑務官と同一人物らしい、という情報が戦兎から齎された時、すぐにでも家を飛び出したい衝動に夜宵は駆られた。やっと見えて来たガスマスクの連中の手がかり――漸く見つけた沙也加への足掛かりを前に、居ても立っても居られなかったのだ。
とはいえ、連絡があった時点で既に時刻は9時。明日も学校はあるし、そうでなくとも何か行動を起こすには既に遅い時間だ。
仕方なく、詳しい話は明日、と戦兎に窘められつつ電話を切られた後、逸る気持ちを抱えながらも夜宵は床に就き、その日を終えた。
そして翌日、午後4時半。
気持ちのせいで普段以上に苦痛に思えて仕方が無かった学校を終えるや、すぐに向かったnascitaの地下室にて、夜宵は思わぬ場面に立ち会っていた。
「いいか? よく聞けよ? もう一回言うからな?」
地下室の中央に設置されたクリアーボードを指差し、うんざりしたような口調で念を押す戦兎。
それに、ああ、と万丈が頷き返すのを確認して深い息を吐いてから、再びクリアーボードの一部を指差しながら戦兎が説明を始める。
「お前の、恋人使って、科学者の
戦兎が指し示している箇所に描かれているのは、絵と文章――万丈と香澄、そしてどうやら鍋島らしい、禿げ上がった頭の男の簡易的な絵と、彼らの関係を矢印と共に箇条書きした相関図だ。
語気を強めながら、順を追ってその内容を説明したところで、うんうん、と万丈が何度か相槌を打つのを確認してから、でもって、とクリアーボードの別の箇所へと戦兎が指を移動させる。
彼の指が次に移動したのは、万丈と鍋島を直接繋ぐ矢印と、そこに添えられた“連れ去った”という文面だ。
「スマッシュの人体実験場に、連れて行くために、刑務所でお前を眠らせたのも、鍋島! コイツが鍵を握っている事は、間違いない!」
最後にクリアーボードを平手で叩き、そう叫んで締め括った戦兎に、合点がいったように手を打ち合わせて万丈が叫び返す。
「ダメだ分かんねェ!」
「何でだよォッ!? もっとマジメに聞きなさいよこの筋肉バカァ!!」
特に悪びれる様子の無いごく自然体での万丈の返答に、バシバシ、とクリアーボードを叩いて戦兎が絶叫する。
そんな二人の遣り取りを、彼らの後方で適当な椅子に座りながら眺めていた夜宵は、欠伸を掻いていた。
夜宵がnascitaに到着してから、もうそろそろ2時間が経つ。彼女が到着した時点で既に始まっていた、この戦兎による万丈への現状説明は、つい30分ほど前からあんなクリアーボードや相関図まで持ち出して来たワケだが、それでも終わる気配は一向に見えない。
『……いつまで続きますのコレ?』
「ふわ、ぁ……万丈さんが分かるまで、でしょ?」
『それは一体いつなんですの?』
頭の中に
流石に眠気が回り出してきた。首を支えている事すら辛い。
『――ああ、もう! こんなの時間の無駄ですわ! 夜宵ちゃん、今日はもう帰りましょう!』
「何言ってんの。まだ鍋島の事何も聞いてないじゃない」
遂に痺れを切らして叫び出すメイジーに、目に滲んだ涙を指で拭いながら夜宵は返す。
鍋島が果たして万丈の脱獄やガスマスクの連中にどう関わっているのかは、既に昨日の電話や、今度こそ最後だぞ、と念を押してからまた始められる戦兎の説明で粗方理解している。
ここでいう鍋島の事とは、鍋島個人の情報――特に現在の所在や、連絡先だ。いくら鍋島が情報を握っていると分かっていても、何かしらの形で接触出来なければ、こちらがそれを得る事は出来ない。
そして、今はまだ、夜宵のみがその情報を得ていない。
『そんなの後から電話ででも訊けば宜しいでしょう!』
「それは、まぁ、そうだけど……」
『なら良いでしょう! もう帰りましょうよ!』
「でも――」
「誰と話してるの?」
うつらうつらとしながらメイジーと話している最中、突然、彼女とは別の誰かの声が聞こえた。
反射的に肩を跳ねさせた夜宵は、すぐさま声のした方を振り向く。
そこにあったのは、左右に流した柔らかな茶髪と、適度な化粧を施した利発そうな女性――滝川 紗羽の顔だった。
「あ……」
「ごめん、驚かせちゃった? 独り言凄かったから、つい気になっちゃって」
手を合わせ、ウィンクをしながら謝る滝川。
その顔に浮かべられた穏やかな微笑みは、向けられた人間の心を落ち着かせ、心を開かせる力を持っていた。記者としての技術の一端なのかは分からないが、この笑顔を目にした者は、滝川にその意思があれば、そうと気づく事無く彼女の促すままに情報を語り出す程に、彼女を受け入れてしまうかもしれない。
実際、夜宵もそうしていたかもしれない。
そこら辺の街路時で、不意にマイク片手に取材を求められたりしたとか、であれば。
「……別に」
そう一言だけ、囁くような小さな声で素っ気無く返して、夜宵は滝川から視線を逸らした。
傍から見れば突き放しているような素振りであり、横目に見える滝川の顔も少し困惑したような表情を浮べていた。
そんな彼女の反応に対し、特に、悪い事をした、とは夜宵は思わない。
元より、
「えーっと、あの……夜宵ちゃん?」
滝川の事を夜宵は信用していない。
出会ってほんの数日しか経っていないから、ではない。日数については万丈も同じ条件下にあるが、それでも――あくまで滝川よりは、という程度だが――彼の方が信用出来るし、開けた対応が出来る。
戦兎も、美空も、石動も、万丈も、メイジーでさえも、ある点において皆、夜宵との
滝川だけが、その
だから、夜宵は滝川の事を信用出来ないし、心を開こうとも思わない。
それ故、気を取り直し、声を掛け直して来る彼女に対し、応答するかどうか少しだけ夜宵が迷った。
その間に、新たな声が二人の間に割り込んでくるまで。
「あんまししつこくしない方がいーよ? 人見知りする方だし」
そう言った後、ねー夜宵、と夜宵にも話し掛けて来たのは、いつものアンニュイな寝間着姿の美空だった。
「違うよ。してないし、人見知りなんて」
「良く言うし。あたし達と会ったばっかの頃と
「それは、それって言うか……」
むっ、となってすぐさま反論しようとする夜宵であったが、しかし言葉が出て来ず口を詰まらせてしまう。
確かに、会ったばかりの彼女達に対しては今の滝川に取ったような対応をしていた。当時は
その痛いところを突かれて唸るしかない夜宵に、あと、と美空が話題を切り替える。
「一昨日夜宵が持って来たボトルだけど、アレ、
「えっ、駄目だったの?」
「え? 何? ボトルがハズレって何? どういう事?」
告げられた美空の言葉に、少しばかりだが落胆を覚え、夜宵は肩を落とす。
その傍らで、話の内容が分からなかったらしい滝川が二人の顔を交互に見やり、首を傾げていた。
「それとー、紗羽さんが持ってきた鍋島の経歴書なんだけどさー」
「あ、見てくれたんだ! アレ調べるの、結構苦労したんだよねぇ」
情報を集めていた当時を懐かしむかのように、明後日の方を向いた滝川の顔が微笑を浮かべる。
しかし、
「アレ、全部デタラメ」
「その甲斐あって、良い感じに情報集まったなーって――ええーっ!?」
呆れ気味に美空がそう告げるや、すぐさま驚愕に絶叫する彼女の顔が夜宵と美空の方に向け直される。
それを気にする事なく、夜宵は美空に問い返す。
「デタラメ?」
「ん。書かれてた住所とか電話番号とか確認したけど、別の人のだったし」
「うっそ~!」
苦労して手に入れたのに~、と両頬に手を当てて絶叫する滝川。
そのまま、ショックのあまりかよろよろ、とふらつきながら離れ、床に座り込む彼女を大袈裟に思いつつ横目に見送りながらも、肩を落として夜宵は落胆する。
『あらら、どうやらガセを掴まされたようですね。だったら、今度こそここにいる意味はもうありませんわ』
「……そうだね」
呆れた口調のメイジーに溜息交じりに同意し、そのままコントのような遣り取りを続けている戦兎と万丈、よよよ、と床で打ちひしがれている滝川を後目に、nascitaを出ようと夜宵は椅子から腰を上げる。
と、その時。
「ムーンコーヒーの新作ドーナッツ」
不意に、美空がそう声を掛けて来た。
反応して振り返って見れば、視界にニヤニヤ、とした笑みを浮かべる彼女の顔が入って来る。
まるで、何かを期待する子供のような顔が。
「明日から発売するんだって。それ、2個」
ムーンコーヒーというと、スカイウォールの惨劇が起きる以前は全国規模でチェーン店が展開していたという大手コーヒーチェーン店の、あのムーンコーヒーだろう。
スカイウォールで日本が分断されてしまった今となっては、本社が存在する東都内のみに展開規模を縮小せざるを得なかったらしいが、それでも――夜宵や美空を含む――ファンからの根強い人気によって経営は安定している。常に閑古鳥が鳴いているような有様のnascitaとは比べるのも烏滸がましい人気店なのだが、そこの新作ドーナッツの発売が迫っているというのは夜宵も初耳だった。
いや、それはこの際いい。
問題は、このタイミングで美空がその話を振って来た、その理由だ。
「……美空」
『これは……また
美空が言わんとしている事、そしてやろうとしている事はすぐに察せられた。
だから、彼女の名前を呼び返した時、夜宵は渋面を浮かべ、メイジーもうんざりしたような声を漏らした。
「情報、集めて上げる。だからバイト代って事で、頂ー戴?」
確かに
だからこそ、出来る限り
どこで、何が原因で嗅ぎ着かれるか分かったものじゃないし、
「また
「大丈夫だし。今まで何度も顔出したけど、ガスマスクの奴らどころか
「今までは、でしょ? これから先は分からないじゃない。そのファンの人達にしたって、皆が皆良い人ってワケじゃないんだよ? もし禄でもない奴に見つかりでもしたら――」
「あー、もう! 夜宵、心配し過ぎ! 大丈夫って言ったら大丈夫だし! 戦兎もお父さんもいるし! 変な奴来たって、ボッコボコに出来るし!」
止めさせるために夜宵は説得を試みるが、しかしいつものアンニュイな表情を変えないまま手を仰ぐ美空には、その言葉は暖簾を腕で押すが如く効き目が無い。
それでも諦めず、だけど、と夜宵は言葉を連ねようとしたが、
「今ならお前に万丈もいるしねー!」
突然美空の側に加わった思わぬ加勢と、ついでに自分の名が呼ばれた事に、あん、と反応して振り返った万丈と、彼に引かれて視線を向ける戦兎と滝川に気圧され、結局そこで引かざるを得なかったのであった。
いまいち飲み込めない鍋島周りの説明を受けている最中で、不意に名を呼ばれて振り返
ったところで夜宵と美空、それにいつの間にやら帰宅していた石動の姿を認めたのも、つい先程の話。
それからまだ十分と経過していない現在、
「……何だこりゃ?」
目の前に展開する訳の分からない光景を前に、万丈は首を傾げていた。
自らと、何てことない日常の光景を見ているかのように平常を崩さない戦兎と、異様にノリノリな石動と、何、何々、何が起こるの、と期待に目を輝かせてはしゃぐ紗羽の視線が一様に見守る先にいる、
「ハーイ! 皆のアイドルー、みーたんだよー!」
カメラのレンズを前に人懐っこい笑みを浮かべ、元気良く右手を振りながら、愛嬌たっぷりの声で美空がそう叫んでいた。
そう、美空が、だ。
ついさっきまでは、いつも通りのダボついた寝巻姿で、眠たげに目を細めたアンニュイな姿でスマホを弄りながら何やら夜宵と話し込んでいた筈の、あの引き籠りの少女が、だ。
それが石動の登場と共に一転、ものの数秒で着替えと資機材の設置が終了すると共に、青いオーバーオールと帽子にイヤホンマイク姿の、異様に明るくハキハキとした今の美空が目の前に現れたのだ。
この突然の変貌に万丈は困惑せざるを得なかったのだが、そこへ声量を抑え気味で加えられた石動の説明が、彼を更に驚かせる。
「美空はなぁ、大人気のネットアイドルなんだよ」
「ネットアイドルゥ?」
胡散臭さから声を上げ、美空の方へ駆け寄ろうとする万丈だったが、すぐさま彼の肩を掴んだ石動と戦兎の手でその場に押し止められる。
その行為に不満を覚え後へ振り返ろうとした彼の視界を、ふと誰かが横切った。
紗羽だった。
「“みーたん”!? 絶対会えないネットアイドルのー!?」
いつの間にか取り出したカメラを手に、万丈より少し前に乗り出した紗羽が、美空の邪魔にならないよう適度に声量を絞りつつもミーハーな声を上げてシャッターを切る。
有名人を前に、我先にとばかりに食らいつかんとするマスコミそのままの彼女の様を見せられては、流石に彼も納得せざるを得ない。
「愛する我が娘を舐めたらアカンぜぇ? なんてったって、これから全国何十万人というファンが、美空のために情報を集めてくれるんだからよぉ」
「へー、マジかよ。スゲーじゃん」
補足とばかりに説明を付け加える石動に、万丈は素直に感嘆の声を上げる。
全国という事は、東都のみならず、北都や西都に住む人間も、ということだろうか? 唯の引き籠りにしか見えなかった少女がそんな大勢の人間を魅了しているというのだから、人は見かけによらないとはよく言ったものだ。
そうして、今日のお願い、発表するよー、と満面の笑顔を浮かべながら対面のカメラへと大仰に手を振る美空と、出番とばかりにそのカメラの裏側に設置されたパソコンへと静かに向かう石動と戦兎の背を眺めていた万丈であったが、ふと彼は視線を左へ向け、で、と問い掛ける。
「いつまでブー垂れてんだお前?」
呆れながらそう尋ねた彼の視線の先にいたのは――逆向きに座った椅子の背凭れに両肘を置き、重ねた手の甲の上に不満げに歪めた顔を置いている夜宵だ。
ずっと気になっていたのだ。先程――美空が石動の用意した移動式カーテンの中で早着替えした辺りから、他の面子と対照的に、見るからに面白く無さそうにしている彼女の姿が。
様子を見る限り、自分と違って美空がネットアイドルだという事を知らなかったワケでも無ければ、今繰り広げられているような中継の舞台裏を目にするのも初めてというワケでも無さそうだが、一体何が不満なのだろうか? ――そう思って、先程一度だけ夜宵にその態度の理由を訊いてはみたが、語られた彼女の言い分は万丈からすればいまいちピンとこないものだった。
「アレ見てる奴らの中にガスマスクの連中や政府の奴がいるかも、だ? 見てるワケねェだろ、あんなモン」
美空のファン――正確には、ネットアイドル“みーたん”のネット配信を閲覧している人間が、全国何十万人に及ぶというのは、先程石動からも語られた通り。その見知らぬ大勢の人間の中に例のガスマスクの連中や、政府の人間やその関係者がいないという保証は無いのだから、ヘタをすればnascitaの場所がバレるかもしれない。――というのが彼女の言い分だが、そもそも――。
「つーか、見られて何が悪ィんだよ? 出てんのアイツだけじゃねェか」
もしもこの中継で出たらマズいもの――例えば、絶賛指名手配中の万丈自身や、やはり指名手配中の
しかし、実際にカメラの前に出ているのは普段引き籠ってばかりでまともに外に出ない――と、少なくとも万丈はそう思っている――美空だけで、当の彼や夜宵、戦兎は中継の邪魔になるからと後方で見学中だ。いくら見られようが問題など無い。
加えて、手慣れた様子の――丁度今、一瞬の早業で目薬を差して目を潤ませ、そのままカメラ越しに、お願い、と首を傾げて見せた――美空を見るに、こういう中継はもう何度もやっているのだろう。
この上で、一体何の心配事があるというのか?
眉根を寄せて首を捻る万丈。そこへ、彼へ向けていた視線を正面へと戻した夜宵が、ポツリ、と呟くように言う。
「……でも、ガスマスクの奴らとか以外にも
「変な奴ゥ?」
「変質者っていうか……たまに聞くじゃないですか? 好きなアイドルに両想いだとか思い込んで付き纏ったりとか、良く分からない理屈で裏切ったって包丁片手に襲ってくるような、そういう人達。それに……」
「それに?」
「……好きじゃないんです、こういうの。媚び、っていうか、
「……何言ってんだお前?」
大きく、ほぼ水平になる程に万丈は首を傾げた。
媚び、は確かに売っているだろう。カメラに向けて、キスでもするように唇を突き出している今の美空の姿など、これまで見て来た彼女ならまず見せないというか、やろうとすらしない姿だ。その辺りはまだ分かる。
が、女を売っている、とはどういう事か? 別に露出の多い恰好でいるわけでも、
ネットアイドル活動そのものを指しての発言だろうか? だとしたら、随分と大袈裟だ。
やはり良く分からない夜宵の言い分に眉根の皺を深くする万丈だったが、それっきり夜宵からの言葉が無くなった事を境に、傾けていた首を戻して息を吐く。
美空のネットアイドル活動の是非だとか、それに対する夜宵の見解だとか、彼女以外の考えだとか、そんな事はこの際どうでもいい。そんな事よりも――。
(今は鍋島の野郎だな)
結局詳しい相関は理解できていないが、ともかく自分の冤罪に深く関わるというあの禿げ頭の刑務官。
奴をとっ捕まえて、事件の事を話させる。そして、自身の無実を晴らす。
そのためにも、まず必要なのは鍋島自身の情報だ。
それさえ手に入れば、そのための手段がネットアイドルだろうが、やっている美空の身が危険に晒さらされる可能性があろうが、この際どうだっていい。
――そういう思いを抱きながら、改めて万丈も正面へと向き直る。
彼と、美空との間に設置されていたパソコンのディスプレイに、中継の閲覧者からの投稿コメントが凄まじい勢いで表示され始めたのも、丁度その時だった。
「お、来た来た!」
美空の――否、大人気ネットアイドル“みーたん”の生中継を受けて矢継ぎ早に投稿され始めた反響コメントに、パソコンのすぐ傍で作業していた石動が声量を抑えながら振り返る。
手で仰ぎ寄せる彼に従うまま傍に集まった戦兎達は、一様にディスプレイに映るコメント群へと目を向ける。
HN:燃え上がれ俺の心火 さん
コメント:心火を燃やしてみーたんLOVE!! 全力で探すぞゴラァ!!
HN:腐死偽の国のアリス さん
コメント:今からシロと一緒に探しに行きます! シロも「絶対僕達が見つけてみーたんと握手するんだ!」って張り切ってるから、すぐ見つけるね。待っててみーたん!!
HN:春売るアイ さん
コメント:私も人を探しています。誠というんですが、みーたんは知りませんか?
HN:ギャレン・ゾディアーツ さん
コメント:リジチョー! オンドゥルルラギッタンディスカー! (0M0)
HN:衛星Ark さん
コメント:みーたん ハ 最高 デス。人類 ノ 悪意? 何 ソレ? みーたん ヲ 生ミ出シタ 人類 ハ 滅亡 シテハ イケマセン。( ゚∀゚)彡゜みーたん! みーたん!
HN:衛星There さん
コメント:ウチ ノ イズ モ 負ケテマセン。( ゚∀゚)彡゜イーズ! イーズ!
HN:てつをRX さん
コメント:おのれ衛星There さん! この場でみーたん以外の女の名を出すとは、貴様ゴルゴムだな! ゆ゛る゛さ゛ん!!
――という感じで、大半は“みーたん”の中継への感想や“みーたん”その人への応援のメッセージ、一部
今のところ肝心の鍋島に関する情報は見当たらないが、問題は無い。勢いを衰えさせる事無く今もコメントは凄まじい速度で増え続けているため、これならばその内当たりの情報も見つかるだろう。
それはそれとして――その一方で、流れていくコメント欄の一部に
そして間を置かず、万丈を挟んだ向かい側で同じように画面を見ていた夜宵もまた、げ、と潰れた蛙のような呻き声を上げる。
彼と彼女の、否、万丈と紗羽以外の全ての者の目に留まったコメントは、次の二件だった。
HN:みーたんラブ さん
コメント:大変だよみーたん! エリアC9の方に怪物が出たって! みーたんの探してる奴じゃないけど、怪物の事もみーたんに話せば良かったよね!?
HN:腐死偽の国のアリス さん
コメント:ddど、どうしよみーたん! みーたんの探してる人エリアO1で探してたら怪物が出ちゃったよ! ともかくみーたんに教えろ! 話はそれからだ! ってシロも言ってるから急いで投稿しちゃったけど……うわーん! 助けてみーたん!!
以上、二つのコメントに共通して出て来た、“怪物”というワード。
これこそが戦兎達の目に留まった
「ああ! エリアC9とO1に
大袈裟に首を傾げたり高く声を上げたりしながら“みーたん”として情報提供者に礼と指示を伝える美空と他の者達を後目に、一足先にその場から動き出した戦兎は、すぐ傍の椅子の背凭れに掛けていたトレンチコートを手に取りつつ、意気揚々と声を上げた。
「よし!
「あー、もう! 何で今出て来んのよぉ!」
今何時だと思ってんのよ、と叫び散らかす夜宵。周囲を省みないその大声量が、彼女自身が運転しているマシンビルダーのけたたましい駆動音と風切り音に混ざって、振り返る通行人や周囲の景色と共に後方へと流れていく。
『確か、出て来る時に見たnascitaの時計は5時半でしたから……終わって帰る頃には6時過ぎてますわね。お母様にも後で連絡を入れておかないと。……だから帰りましょうって言ったのに』
「分かってるわよ! 一々言わなくていいから!!」
差し掛かったカーブを、速度を落とさずドリフト気味に曲がりながら、肩に掛けた鞄の中から溜息交じりにぼやくメイジーを怒鳴り付ける。
大きく倒れ込んだ車体に、そのままスリップしてしまうのでないかという不安が一瞬過った。が、どうにかカーブを抜けると共に立て直せた態勢に、ホッ、と安堵しつつ夜宵は更に速度を上げる。
目的地――スマッシュが出現したというエリアO1までは、ここまで飛ばしてきた甲斐もあって、もう距離は殆ど無い。
それでもなおスピードを緩める訳にはいかない。
何せ、今回の発見情報の提供者が、今まさにスマッシュに襲われている。彼女――“みーたん”の配信へのコメントを見るに、恐らく女性だと思われる――の安否を思えば、一秒でも早く現場へ辿り着かなければならない。
『人が襲われていると分かっている以上、見過ごすワケにはいきませんものね。だというのに……覚えてます? さっきの万丈 龍我の発言』
苦々し気にメイジーが尋ねて来る。
彼女が口にしているのは、スマッシュ発見の報を受けてnascitaを出る直前の遣り取りの事だろう。
あの時、出番だとばかりに張り切った様子で一早く地上への階段を上がっていく戦兎と、遅い時間になって出て来たスマッシュへの文句を垂れつつも、行かないワケにもいかないので渋々彼の後に続いていた夜宵を万丈が呼び止め、こう言ったのだ。
『人の身に危険が差し迫っているというに、それを無視して自分の事を優先させる発言。やっぱり、
分かり切っている事ですけど、と吐き捨てるメイジー。
それに敢えて夜宵は返答しない。コンソールに表示されている地図の確認のために正面に向けていた視線を一瞬だけ下へ落とすのみだった。
普段ならいつものメイジーの病気に苦言を呈すところではあったが、今はそんな時間も惜しい状況だし、あの時の万丈の言葉には夜宵自身思うところが無いわけでは無い。
それに――それ以上に、その後の戦兎の発言の方が彼女にとって大きな印象があった。
それとこれとは別だ、と先の言葉に対して返した戦兎に、続けて万丈がこう問い質した。
これに対して夜宵もまた言葉を返そうとしたが、それよりも一瞬早く、それが当たり前だと言わんばかりに自信に満ちた笑顔を浮かべ、ハッキリとした口調で、戦兎がこう答えたのだ。
「……本当、よく言えるよね。……あんな事……」
ボソリ、と夜宵は呟く。
流れる風に容易く掻き消されてしまう程に微かなその声に、確かな
実際、羨ましい。
あの台詞は戦兎だからこそ言える言葉だ。彼女ではどう足掻いても口には出来ない。
「! いた!」
そうこうしている内に目的地であったエリアO1――その一角の、100m程先を横切る踏切が目に入った時、その更に奥の路地に面した公園の中に、夜宵はその姿を認めた。
何か白い物を腕の中に抱え、金のツインテールを揺らして逃惑う少女の姿と、それを追う異形――スマッシュの姿を。
『この音は……夜宵ちゃん、急いだ方が宜しいんじゃなくて!?』
何かを察したようにメイジーがそう呼び掛けて来る、その理由は既に夜宵も耳にしていた。
彼女達とスマッシュとの間にある踏切が、カンカン、という警告音を上げて遮断機を下ろし始めたのだ。
もう間もなく目の前を電車が横切る。
それが通り過ぎるのを待っていては、手遅れになりかねない。
「分かってる!!」
一言だけ返し、夜宵はアクセルを限界まで押し込む。
マシンビルダーが今まで以上の爆音を上げ、2/3まで遮断機が下りた踏切へと飛び込んで行った。
「うわーん! どうしよシロー! どうしよぉ!?」
メソメソ、とベソを掻きながら、追ってくる怪物から腐死偽の国のアリス――
人気ネットアイドル“みーたん”のネット中継をスマホで見ていると、何やら“みーたん”が人を探しているという。これは彼女のファンとして見過ごせないと近くの公園を探し回っていたところ、何故か目当ての人物ではなく、最近出没すると噂の怪物と遭遇。
そこで、怪物を見つけた際にも知らせて欲しい、と日頃の中継で“みーたん”が言っていた事を思い出した彼女の“家族”に言われるがままコメントを入れた亜里子は、そのまま襲い掛かって来た怪物が必死に逃れようとして、現在に至っていた。
『ともかく逃げろ! “みーたん”もそうしろって言ってたろ! ホラ! 頑張れ亜里子!』
「そんな事言ったってぇ~!!」
彼女の“家族”――その腕の中に抱く白い兎の縫いぐるみ――のシロが、泣き言を叫ぶ亜里子を励ますように言う。
しかし、件の怪物に追われる状況になってもう小一時間は経っている。
悲鳴を上げつつも、シロに言われるがまま亜里子は足を動かし続けるが――もう限界だった。
「あっ……!?」
遂に足が縺れた。
思わず声を漏らした時にはもう時遅く、亜里子は地面の上に俯せに倒れ込んでいた。
「痛ったぁ~……」
呻きながら体を起こした亜里子は、すぐにある事に気づく。
シロが、いない。
腕の中に抱いていた筈の“家族”が、どこかに行ってしまっていた。
「シロ!?」
『亜里子!』
慌てて呼び掛けたところ、すぐに声が返って来た。
声のした方へ急いで振り向けば、少し離れた地面の上に横たわっているシロの姿があった。
大丈夫だ。白い体が少し土で汚れてしまっていたが、大きな
家族の無事を確かめて亜里子は安堵の息を吐くが、対照的にシロが慌てた声で叫んで来る。
『早く逃げろ! アイツが、怪物が飛んで来てる!!』
「え――?」
言われるまま後方へ振り返る亜里子。
その視界が、あっという間に影に覆われる。
先程まで鳥の翼の様に幅広の腕を広げて空を飛んでいた筈だったのに、いつの間にやら急接近したがために大きく見えるようになっていた怪物の、ステルス爆撃機のように横に広がった矢じり型の頭を突き出すようにした、赤く歪なその影に。
シロがなおも、逃げろ、と叫んでいたが――駄目だ。もう逃げられない。
亜里子が恐怖を感じる間すらなく、鈍い銀色に光る怪物の翼が、あっという間に彼女の細い首目掛けて飛び込んできて――。
その時だった。
凄まじい爆音を上げて、
「――えぇっ!?」
一瞬、呆けたが故の間の後、驚きの声を上げて亜里子は周囲を見渡した。
まず見つけたのは、先程まで眼前に迫っていた筈の怪物だ。その怪物が、いつの間にか亜里子やシロから大きく離れた地面の上に、引き摺ったような跡を地面に付けて転がっていた。
そして次に見つけたのは――亜里子のすぐ傍で停車している、一台のオートバイ。
巨大な歯車が迫り出したフロントカウルに、迫り出した金色の円筒の上に出来たリアシートという、バイクなど縁が無い亜里子でもそうと思える程に変わった形状をしたそのバイクが、怪物と入れ替わる形で彼女の前にあった。
そのバイクに跨っていた人物が、脱いだヘルメットをハンドルに引っ掛けつつバイクから降りて、地面に倒れ込んだままの亜里子の前にしゃがんだ。
「大丈夫?」
そう問い掛けて来たのは、自分と同じくらいの年恰好の少女だった。
紺色のブレザー姿に、後側を短くした茶髪に水晶の髪留めを着けたその少女に、何が何だか分からず多少呆けたまま、亜里子は頷き返した。
それに安心したように微笑んだ後、立ち上がるやすぐに起き上がろうと藻掻いている怪物の方に向き直った少女から、こう告げられた。
「早く逃げて」
「え?」
「アイツは私が何とかする。貴女は危ないから、早くここから逃げて」
「あ、え、えっと、え~と、あの――」
「早く!」
ワケが分からず、亜里子は困惑する。
そのせいで要領を得ない声しか出て来ない彼女に痺れを切らしたのか、少女が一際強い声を上げた。
その声に、ビクリ、と肩を跳ねさせるまま、慌てて亜里子は起き上がり、シロを拾い上げつつその場から駆け出した。
そうしてそのまま、特に意図無く公園の入り口に経つ2本の大理石の角柱の、その片方の裏に飛び込んだ亜里子は、角柱の影越しに、シロと共に少女の方を覗き込んだ。
少女は、立ち上がろうとしている怪物の方を向いたまま、手にしていた肩掛け鞄から何かを取り出しているところだった。
「どうしよシロ~? 逃げろって言われたから逃げてきちゃったけど、あの女の子置いてきちゃったよぉ」
『逃げろって向こうが言ったんだから、亜里子が気にする事ないよ。けどあの娘、どうする気なんだ?』
「大変だよぉ。このままじゃあの娘、怪物に酷い目に――」
「大丈夫」
腕の中のシロと話し込んでいたところに、不意に聞き覚えの無い誰かの声が割り込んで来た。
ビクッ、と肩を跳ねさせて振り返れば、今度は見知らぬスーツ姿の女性が亜里子のすぐ後で人好きな笑顔を浮かべていた。
「だっ、だだっ、だ――」
誰、と突然現れた新たな人物に亜里子は問い質そうとしたが、シロ共々驚きのあまり、出て来る声が言葉を為さない。
そんな彼女達を後目に、何故かカメラ――本格的な、高そうな感じの――を三脚で設置しながら少女の方を指差して、女性がこう言う。
「だってあの娘は――」
<Contraction!>
指し示されるまま、亜里子はシロと共に少女の方へともう一度向き直る。
そして、見た。
いつの間にやら腰元に何かを巻いた少女の、その前後に見る見る内に形成されていくプラモデルの
<Are You Ready?>
「変身!」
その人形に挟まれた少女が、噴き出す蒸気と共にその姿を変える様を。
そうして現れた
何故なら、そこに現れたのは――。
<Contraction Apple Maisie,Start The First Trial! Yeah!!>
「噂のヒーロー――仮面ライダーだから」
スマッシュは2体で、それぞれ別の地域に現れた。そして仮面ライダーも二人だけなのだから、当然各々分かれて対処する事になる。そして、一人しかいない紗羽は当然どちらか片方にしかついていけない。
さて、果たしてどちらについて行くべきか? ――少し思考した後、今回紗羽がついて行く事に決めたのは夜宵の方だった。より長く活動していたおかげでメディアへの露出も多く、自称天才物理科学者とどうも胡散臭さの拭えない戦兎よりも、まだまだメディアへの露出が少なく、更には現役女子高生と実にキャッチーさ溢れるパーソナリティを持っている夜宵の方が、より大きな話題性があると判断したためだ。
そうして、nascitaを出て早々にマシンビルダーをかっ飛ばしていく夜宵をどうにか追跡した末、今まさに待ち望んだ
「始まりました、仮面ライダーメイジーVSスマッシュ! さぁ、メイジーは見事スマッシュを打ち倒せるのか!?」
設置した愛用のカメラを向けつつ、左手に持ったマイクへと実況を叫ぶ紗羽。
公園の入りの口に建つ大理石の角柱の影から、居合わせた金髪のツインテールに白い兎の縫いぐるみを抱いた少女と共に彼女が見守るその先で――倒れていたスマッシュが立ち上がり、ピンクレッドのスカートとフードの仮面ライダーへと変身した夜宵が、駆け出した。
「メイジー仕掛けたァーッ!! 最初の一撃で決めるかーッ!!」
そのままスマッシュまでほんの2,3メートルというところまで距離を詰めた夜宵が飛び上がり、宙で一回転すると共に右の踵を高く持ち上げた。
そうして、降下の勢いを乗せた踵落としを叩き込むと、そう思った紗羽はシャッターを切りつつ、マイクに向けてあらん限りの声を上げる。
しかし、その一撃は決まらない。
夜宵の踵がその脳天に叩き込まれるかと思われたその刹那、不意に両腕を広げたスマッシュがその場から消え失せてしまったがために。
「っ!」
標的を失い、なおも止まる事の無かった夜宵の踵の刃が地面を穿ち、猛烈な土埃をその場に巻き起こす。
その土埃の中で、見失った標的を探すように頭を左右に振る夜宵の姿を朧げなシルエットとして見ることが出来たが――遠目からその様子を見ていた紗羽達は知っている、探すべきはその方向では無いと。
だから、その情報を夜宵に伝える事も含め、紗羽はマイク目掛け叫んだ。
「あーっと惜しい! 敵のスマッシュ、
紗羽の実況に、一瞬遅れて、ハッ、とするように土埃の中の影が頭を上げる。
それとほぼ同時に――紗羽の言葉通り、土埃の範囲外の上空へと逃れていたスマッシュ――ステルス爆撃機を模したような横に広がった頭部、今も飛行のために広げている翼の両腕と、
フライングスマッシュの翼の先端から突き出た何枚もの鋭利な羽が、発生した防風と共に一斉に夜宵の方へと放たれたのは、その次の瞬間の事だった。
土埃の中の夜宵の影が姿勢を低くするのが一瞬見え、間を置かず降り注いだ羽の雨が土埃の投影幕を跡形も無く引き裂き、消し去る。
間一髪、紗羽の方へ転がった事で夜宵が羽の雨に打たれる事は無かったようだが、彼女越しに見えた地面には、無数の羽が地面に突き立ち、剣山の様に鋭い先端をギラつかせていた。
まともに受けていたならば、果たしてどうなっていた事か?
観戦している身ながら、ブルリ、と紗羽は身を震わす。傍にいるツインテールの少女も同じように恐ろしさを覚えたようだが、何故かその感想を腕の中の縫いぐるみに伝えている。
その様子を奇妙に思う間も無く、視界の端に捉えた次なる展開に頭を振り上げた紗羽は再び叫ぶ。
「あーッ!! 立ち上がったメイジーにスマッシュ急降下! 突撃してくるーゥ!!」
紗羽が捉えたのは、翼を畳んだフライングスマッシュが頭部を突き出し、夜宵目掛け突進を仕掛ける場面だった。
今度は彼女も確認済みだったのか、夜宵が落ち着いた様子でベルトから現れた
すぐさま、紗羽はカメラの向きを夜宵からスマッシュへ修正し、シャッターを切る。
向け直されたレンズの先で、放たれたナイフがブーメランのように回転しながら一人でに飛び回り、向き直ったフライングスマッシュを2度斬り付ける。
それによって態勢が崩れたスマッシュの胴に、続け様に夜宵の放った光弾が2発突き刺さり、火花と白煙を上げて大きく怯ませた。
滞空したままながら、大きく後退し、右の翼で胴を庇う素振りを見せるフライングスマッシュ。
大きな隙だ。大技を決めるには、十分な程に。
だからこそ、ここが決め時だ、と確信した紗羽は、もう一度カメラを夜宵の方に向け直して、一気に吠える。
「キタキターッ! 絶好の機会キタァーッ!! これは来るか!? 必殺技来るかァ!? 例の台詞もくるかアァーッ!?」
今日一番のヒートアップを迎える紗羽は、己の叫びがままにシャッターを連打し、次に言うべき言葉を脳裏に手繰り寄せる。
そして今、中空でフラつくフライングスマッシュを見上げたまま腰を落とした夜宵が、その機会を齎した。
「狼を――」
「狼を倒すウゥーッ!!」
絶叫が轟く。
それはもう、生ライブの最後の演奏の終了が間近に迫ったロッカーが、己の全身全霊をその一声に詰め込むだけ詰め込んだのと同等の、渾身のシャウトが。
それこそ、全てを出し終えたロッカーの如く上体を逸らし、天を仰いで、表情が示すままやり遂げた感傷に浸っていた紗羽の大口から。
そして、最後の瞬間も逃すまいと目を開けた紗羽の視界に入って来たのは――。
「……え?」
――左肩に掛けていた筈の、マイクを繋いでいた録音機が頭上で、フワフワ、と浮遊している様だった。
ワケが分からず、間の抜けた声を漏らすしかない紗羽。
そんな彼女を知らんとばかりに、今度は地面に設置していた筈のカメラと三脚と、左手に握っていたマイクが、続けて録音機の傍まで浮かび上がった。
「え? え?」
再び、紗羽の口から呆けた声が洩れる。
そしてそんな彼女を置いてきぼりにするように、浮遊する録音機とマイク、カメラと三脚が――不意に紗羽の視界の外へと消えた。
やはりワケが分からず、暫し呆ける紗羽。
しかし、数秒経って、先のマイクやカメラの動きが何を意味するのかを察した時、彼女は目を見開いてその場から駆け出していた。
「ア゛ーッ! 私のマイクとカメラアァーッ!!」
「全く……うるさいったらない」
マイクと録音機、カメラと三脚を
そのまま、慌てて繁みの中を弄る滝川と、自分の腕の中の縫いぐるみを交互に見やっているツインテールの少女の方に向けていた右腕を下ろす彼女に、眉を顰めたメイジーが苦言を言ってくる。
『だからといってアレは酷くないですか? 先程だって、スマッシュがお空にいるって態々教えて下さったのに』
「偶々タイミングが重なっただけよ。あの人が言わなかったとしても、あんたが気づいてたんだからどうとでもなったし」
先程、踵落としがフライングスマッシュに避けられた際、確かに夜宵はスマッシュを見失っていた。故に、傍から見れば、上空にフライングスマッシュが逃れている事を知ったのは滝川の指示を交えた実況あっての事だ、としか思えないだろう。
しかし、実際はフライングスマッシュの動きをメイジーが見ており、滝川ではなく彼女の指示によって夜宵はスマッシュの位置を知っていた。よって、滝川が何も言わずとも、その後の羽の雨の回避は問題無く行えていたのだ。
それでも、と夜宵の事を気遣ってくれた滝川の気持ちをもう少し汲むべきだとメイジーが訴えかけて来るが――。
「逆に訊くけど、あんた、あの人が男でも同じ事言ってるの?」
『何言っていますの?
はぁ、と長々語るメイジーの言葉の後半を聞き流しながら、夜宵は溜息を吐き――降り注いで来た羽の雨をバックステップで避けた。
なぁ、と虚を突かれて声を上げるメイジーを後目に、地面に突き立つ羽が飛んで来た方――上空を夜宵は見上げる。
既に態勢を立て直したフライングスマッシュが、こちらに向けていた翼を大きく広げ直す様が、そこにあった。
そして、スマッシュがその両翼を力強く仰ぎ――再び無数の羽が夜宵目掛けて放たれた。
『この狼め! 私が話している途中だというのに!』
不満を顕わにして怒鳴るメイジーを気にせず、すぐさま踵を返した夜宵は駆け出しつつ、腕を振ってスマッシュの付近に滞空させていたメイジーシザースのナイフ側をスマッシュへと嗾ける。
そのまま、追い掛けて来る羽の雨から逃れつつ、肩越しにナイフ側がもう一度隙を作る様を窺っていたが――ナイフ側が当たる直前、一度羽を打ち出すのを止めたスマッシュが翼を一扇ぎし、その場で急上昇して回避したのだ
これを見た夜宵は、マズいな、と思った。
ライダーメイジーの能力――MSEポルターグローブによる念動は、コントロールする対象との距離が離れる程、ボトルの成分の支配下に置き辛くなってしまう。この特性は専用の調整が為されたメイジーシザースでも同じで、上昇によって高度を、距離を稼がれた今のフライングスマッシュをナイフ側に攻撃させるのは、不可能では無いがコントロールの精度が大きく落ちてしまう。やってもまず当たらないだろう。
ならば、と左手のピストル側を向けて発射する。
が、こちらも距離を稼がれて余裕が出来たせいか、放たれた光弾は半身を逸らしたフライングスマッシュを捉えられず、虚空の彼方へ消えてしまう。
そして追い縋る間も無く、再度放たれる羽の雨を前に、再び夜宵は駆け出す事を余儀なくされる。
『このままじゃこっちの攻撃を当てられませんわね? 一応聞きますけど、何か手はあって?』
「分かってるんでしょ、一々聞かないで! 手は――」
――あるから。
そう返答し切るよりも前に、羽の回避も兼ねて夜宵は一足跳びで
ここ――エリアO1の公園に至るまでに乗り回し、その後はビルドフォンに戻す事無くそこに停車したままにしていたマシンビルダーに。
すぐさまサイドスタンドを蹴り上げ、ピストル側を放り捨てて空になった手でハンドルを握ってマシンビルダーを発進させる。
尚も追い縋る羽の雨。それを、円を描くようにマシンビルダーを走らせ回避する夜宵が目指すのは、今の彼女から見て左奥――滑り台。
何の変哲も無い、唯レーンの向きが上手い具合にフライングスマッシュの方を向いているそれを目指しつつ、同時にスマッシュが今の位置から動かないように注意しながら、夜宵はマシンビルダーを走らせていく。
そうしてレーンの下端まで辿り着いた彼女は、右手をハンドルからドライバー横のボルテックレバーまで移動させ、更にアクセルを一気に入れる。
夜宵のハンドル捌きのまま、猛スピードでレーンを駆け上がるマシンビルダー。
勢いの付き、更にレーンの傾きのままに上向いたその車体が、今、高々と飛んだ。
同時に、レーンの登り始めから回していたボルテックレバーのチャージも、今、完了した。
<Ready Go!>
ドライバーの電子ガイダンスを待たず、両足のマシンビルダーのシートの上で揃えた夜宵は、そのままシートを足場に更に跳躍。
一瞬遅れ、翼を仰いで放って来たフライングスマッシュの羽を避けると共に、両手に灯っていた鬼火を攻撃の真っ只中で回避運動の取れないスマッシュへと放った。
目論見通り、展開した鬼火の鎖に絡め取られたフライングスマッシュが滞空出来なくなり、落下を始める。
鬼火の灯る踵の刃を振り上げた姿勢の夜宵の体が描く放物線と、丁度交錯するように。
「狼を――」
<Execute Finish! Yeah!!>
「――倒す!」
交わる二つの影。
回避も防御も出来ないフライングスマッシュの胴へ振り下ろされる刃。
そうして、青白く揺らめく炎を上げながら影は落ちていき、地に堕ち、緑の爆炎が吹き上がった。
「――と、まぁ。そんな感じで気づいたら全部終わっちゃってたの」
時と場所は代わり、nascitaの地下室。
既に時刻は7時を過ぎたその場で、残念そうに紗羽が語るスマッシュ出現からの現在までの経緯を、うんうん、と頷きながら戦兎は隣に立つ万丈、石動と共に聞いていた。
ちなみに、美空もその場にこそいるが、既に階段側に設置されているベッドの上で――年末年始にやっている、芸能人に格を付ける番組なんかでよく見られるようなフザけたデザインの――アイマスクを着けて就寝中のため、会話には参加していない。
そして夜宵はというと――。
「急に飛んでったマイクとカメラは壊れちゃうし、取材データもお蔭で中途半端だし、一緒にいた女の子の友達が後から来たんだけど、指名手配犯呼ばわりされて通報されそうになるし、夜宵ちゃんはどこかに電話したと思ったら私にボトル渡してさっさと帰るし。もー、疲れだけが溜まって最悪っていうか」
――という具合で、倒したスマッシュから採取した怪人ボトルを紗羽に預け、スマッシュにされていた人間のために救急車を呼んだり、自宅に連絡を入れたりした後、早々に帰宅したため、既にこの場にいないのであった。
「そりゃあ災難だったねぇ」
同情するように返す石動に、でしょー、と絡む紗羽が手元の缶飲料を口元に運ぶ。缶を見るにそこら辺の自販機で買えるような炭酸飲料で、酒の類では無い筈なのだが、半ばヤケになりながらグビグビ、と喉を鳴らして飲んでいるその様はヤケ酒を煽っているようにしか見えない。
そんな紗羽を後目に、はぁ、と手に持った一本のフルボトルを電灯の光に翳しながら戦兎は溜息を吐く。
「で、アイツが採取したこのボトルがアタリで、俺が持って帰って来たのはハズレ、と」
最っ悪だ、と愚痴る彼が手に持っているフルボトルが、中に込められたオレンジ色の成分をキラリ、と光らせる。
キャップに書かれた文字はH/G、そして容器側面の凹凸模様は翼を広げた鳥――鷹を正面から見た意匠。
そんな特徴を持った、鷹の成分が詰まったその“タカフルボトル”は、戦兎の言葉通り元は夜宵が紗羽に持ってこさせた怪人ボトルが変化したもので、それを表すように夜宵の名前が書かれた付箋がまだ上蓋に貼り付けられている。つまり、こちらは
一方で、同じように戦兎が採取してきた方の怪人ボトルだが、こちらは
何故、浄化の際にそのような現象が起きるのか? 何故、スマッシュの成分に当たり外れが存在するのか? それを区別する要素は何なのか? ――現状何も分からず仕舞いだが、ともかくスマッシュの成分にはフルボトルに変化するものと、そうでないものが存在する。
その内の、フルボトルに変化するものを今回引き当てたのが夜宵で、そうでないものを引き当てたのが自分であったがために、若干ながら戦兎は不満を感じていた。
「で、戦兎君の方はー?」
「ん?」
ぷはっ、と斜め上に傾けて中身を煽っていた缶を叩き付けるように机に置いた紗羽が、据わった目で戦兎をジロリ、と見て来る。
それに、何が、と視線をタカフルボトルから離す事無く問い返した戦兎に、紗羽が身を乗り出し、本当に酔っ払っているかのように間延びした口調で言葉を続ける。
「戦兎君も戦ってたんでしょー、スマッシュとー? 何かあったー? 珍しい事とかー、こっちみたいなトラブルとかー?」
「別に無いよ? 普通にスマッシュ倒して成分回収して、後はそのまま真っ直ぐ帰って来ただけ。――あ、でも」
「ん? 何々? 何かあった? 珍しい事あった?」
ふと当時の事を思い出した戦兎に反応した紗羽が、すかさず、教えて教えて、と傍らに控えていた鞄からボールペンとメモを取り出す。
そんな彼女の方に顔を傾けながら、戦兎は続きを話した。
「そのスマッシュさ、子供を襲ってたんだよ。小学校上がったくらいの男の子を」
「へー、それでそれで?」
「で、その子を守りながらスマッシュを倒したんだけど、そのスマッシュの正体が驚きでさ。誰だったと思う?」
「誰だったの?」
「母親だったんだよ、その子の」
「えー!? それ大変じゃない? どうなったのそれで?」
「スマッシュにされてたせいで結構消耗してたみたいだけど、母親は無事。そのまま、抱き合ってお互いの無事を喜び合う親子がさ、スゲェ微笑ましかったんだよね」
「へー、そうだったんだぁ。いいなぁ、私もそっち行けば良かったかなぁ? ……で、それだけ?」
「それだけ」
最後にそう締め括って頷き返した戦兎に、そっかぁ、と気の無い返事を返した紗羽が、一拍間を置いた後、再び缶飲料を大仰に煽り出した。
そうして、また酔っ払いのように石動に絡みながら愚痴り出す彼女から視線をタカフルボトルの方へ戻した戦兎は、また今日スマッシュと戦った当時の事を――特に、先程紗羽に話した親子の事を思い出す。
期待していたような情報を得られなかった彼女からすれば肩透かしだったろうが、戦兎からすれば今の話はとても重要な事だった。
だって、そうだろう。
もし彼があの場に駆け付けなかったら、スマッシュと化していた母親は愛する息子をその手に掛けていたかもしれない。怪物と化した最愛の母親に、訳も分からぬままあの男の子は殺されていたのかもしれないのだ。
その悲劇を未然に防げたのだ。
あの男の子に、理性を失った怪物ではない、本来の心優しい母を取り戻してやれたのだ。
あの母親に、愛する我が子をもう一度その手で抱かせてやれたのだ。
自分は――仮面ライダーは、あの見知らぬ親子の役に立てたのだ。
それだけで十分であり、だからこそ、その事が何よりも重要だった。
だからこそ――去り際に見えた、あの親子が互いを抱き合い、互いの無事を喜び合っていたあの姿を思い浮かべた戦兎の顔は、クシャ、とした笑顔を浮かべていた。
しかし、それとはまた別のある事を思い出したがために、浮かべていた笑顔を戦兎は些か険しいものへと変える。
「しっかし、何やってんだよアイツは」
頭を掻き毟りながらそうぼやいたのは、先の紗羽の話の中に聞き逃せない報告があったためだ。
――急に飛んでったマイクとカメラは壊れちゃうし――
間違い無い。やったのは、夜宵だ。
突然マイクやカメラが飛ぶなどという現象を引き起こせるのは、彼女のアップルフルボトル、引いてはライダーメイジーだけだ。
さて、そんな事を仕出かした理由だが――どうせ、大したことでは無いだろうが、何故
(……明日にでも一言言っておかねぇと……)
「つーかよォ」
と、それまで沈黙を貫いていた万丈が、不意にそう切り出してきた。
これでもかとばかりに眉根を寄せた、不満をありありと表した表情で。
「何か、当たり前みてェ人助けして来たみてェだけどよォ、俺ら、
「そうだな。それが?」
小首を傾げ、さも言いたいことが分からないという風に答えてみせる戦兎であったが、実際のところは万丈が何を言わんとしているのかは予想が付いていた。
予想が付いていたので、見る見る内に表情を険しくしていく彼の顔が鼻先三寸まで近づけられる事にも、特に動揺は無かった。
「なら、何で態々人助けとかしてんだよッ!? やっと鍋島って証人が見つかったっつゥのに!」
「その答えもう言ったぞ? “大切なのは人助けの仮面ライダーだ”って。もう忘れちまったかよバカだなぁ」
「それが分かんねぇッつってんだよ!
「だから、筋肉頭に付けたって変わんねぇって。一体何の拘りなんだよ筋肉バカ」
「ちゃんと言えんじゃねェか!」
そこまで一通り言い合って、何だか空しくなってしまった戦兎は、ハァ、と溜息を吐いて、椅子から腰を上げる。
その行動が突然に思えたのか、おい、と呼び止めようとする万丈を気にせず、タカフルボトルから剥がした付箋をゴミ箱に捨てて、戦兎は足を進める。
彼が向かうのは地下室内の一角。部屋奥に鎮座するフルボトル浄化装置の左側の部屋隅の壁。
そこに埋め込まれている、縦に5本分、横に2本分、計10本分並んだフルボトルスロットの群れが戦兎の目当てだ。
ビルドドライバーのツインフルボトルスロットとは些か意匠が違うそのスロット群の前に立った戦兎は、その内の一番上の列の左側に、手に持っていたタカフルボトルをセットする。
これで
後は――。
「こっちは何が良いかな?」
タカフルボトルをセットしたスロットの対面側、最上段の右側のスロットに目を遣り、口元に手を当てて戦兎は思考しようとする。
が、その直前に、おいッ、と一際大きな声と共に無理矢理振り向かせた万丈によって、彼は止むを得ず思考を中断せざるを得なかった。
「……何だよ?」
「何だよ、じゃねェ! 呼んでんだから、無視してんじゃねェよ!!」
「俺は今忙しいの。ほれ、バナナやっから、向こう行ってなさい」
「やったぜウッキー、じゃねェよ! 誤魔化してんじゃねェ!!」
怒鳴り付ける万丈を鬱陶しく感じた戦兎は、丁度手近な所にあったバナナを一房千切って彼の気を引こうと試みた。
一度はそれで上手くいき掛けるも、猿のような喜色ばんだ声を上げたかと思った万丈がすぐにノリツッコミのように怒鳴り直してくる。
そんな彼にまた溜息を吐く戦兎に構わず、更に万丈が言葉を連ねて来る。
「つぅか何が忙しいんだよテメェ! 変なのにボトル差してるだけじゃねェか!」
「十分忙しいっての! これから今日手に入ったボトルの“ベストマッチ”探すんだからよ」
「ア゛ァ゛!? ベストマッチ!?」
「おう! ベストマッチ!」
「……ベストマッチ?」
「ああ、ベストマッチ」
「……何だそりゃ?」
聞き慣れない単語が出て来て困惑したのか、騒がしく叫んでいたのが嘘のように、大きく首を傾げる万丈の声は静かだった。
彼の疑問に、フフン、と得意げに鼻を鳴らしてから、戦兎は説明する。
「ボトルには相性があるんだ。例えば――ラビットと、タンク。この二本みたいに、相性の良い組み合わせをこうやって差すと――」
言いつつ、先程セットしたタカフルボトルを抜き取り、代わりに取り出したラビットフルボトルをスロット群の最上段の左側、タンクフルボトルを右側にセットして見せる。
すると、ラビットフルボトルをセットした左側のスロットから赤い光が、タンクフルボトルをセットした右側のスロットから青い光が発生する。それぞれのスロットの端から伸びた2色の光はスロット群の中央の四角い窪みまで走り、そこで混ざり合うや、R/Bという光の文字を浮かび上がらせた。
「――こんなふうに光る。で、全部のボトルをベストマッチさせると、とんでも無い事が起こるらしいけど、これがなかなか揃わない。そ・こ・で――」
一旦言葉を区切り、スロット群からボトルを取り除いた戦兎は、続いてフルボトル浄化装置を挟んだ向かい側、壁に埋め込まれた黒板の、その手前に設置された机まで移動する。
そして、その上に置いていた
「このビルドドライバーの出番、ってワケだ。これは元々ビルドの変身機能しかなかったんだけど、俺がベストマッチを探せる検索機にもなるよう、改良したんだ。更に
言いつつ、先程遣ったのと同様にラビットフルボトルとタンクフルボトルをビルドドライバーのツインフルボトルスロットに装填していく。
<Rabbit! Tank! Best Mach!!>
ボトルの装填に反応したドライバーの電子ガイダンスが、ボトルの名前を順に読み上げ、その相性がベストマッチである事を告げる。
そうなるように機能を追加した戦兎の想定そのままに。
「こんな具合にな。どうよ? 俺の、発・明・品」
「へ、へぇー……」
教えた事を一切違える事なく実演して見せた我が子に喜ぶ親のような気持ちになった戦兎は、その気持ちを満遍なく表現したドヤ顔を浮かべて見せる。
それに対して、万丈が感嘆とも動揺ともつかない――あるいは、大袈裟なまでに勝ち誇った笑みを浮かべる戦兎に引いているように見えなくもない――息を吐く。
そんな彼のリアクションを受けた戦兎は腰に手を当て、更に笑みを強くする。
が、そこに飛び込んで来た万丈の次なる発言に、彼は冷や水を浴びせられる事になる。
「ま、まあ、俺なら一発で探せるけどな」
「――あん?」
この発言は聞き捨てならない。
ベストマッチはなかなか見つからない、と前置きして、更にそれを補助するために戦兎が手ずから追加したビルドドライバーの機能すらも見せてやった。
逆に言えば、天才的頭脳を持つ戦兎を始めとしたnascitaの面々がそんな補助を駆使してもなお、ベストマッチの発見は難解なものだと、今説明してやったところなのだ。
その上でのこの発言は、果たして万丈自身はそんな意図があったのかどうかは別として、挑発以外の何物でもない。
そうなれば――即座に振り返った戦兎が放つのは、売り言葉に対する買い言葉以外の何でもない。
「言ってくれるじゃねぇか、筋肉バカが」
「あ゛あ゛?」
「だったら、探してもらおう」
露骨に苛突き出す万丈の横を通り抜け、その先の部屋隅にある作業机の上に置かれていた物を戦兎は取り上げて見せる。
彼が手にしたそれは、既に所持しているフルボトルの一つ、“ガトリングフルボトル”の成分をベースにした、現在製作中の新たな武器である。
「何とかガトリンガー、ってとこまで名前は決まっているが、肝心のガトリングフルボトルとベストマッチするボトルがまだ見つかってなくってな」
何とかガトリンガー、とそう仮に名付けているそれを一言で表すならば、“大型拳銃程度のサイズに縮小されたガトリング砲”といったところか。
ガトリング砲のそれをそのまま縮小したような、短く細い発射口が六本並んだ円筒形のバレル。そのバレルと、ピストルタイプのグリップを跨ぐ銃身からは、無数の弾丸を繋げたベルトリンクを丸めた様を意識した円形のマガジンが迫り出している。
現在の色はガンメタル一色。ガトリングフルボトルの成分のみが反映されているがための色合いであり、ベストマッチが判明し次第組込む相方のボトルの成分が加われば、自然とそちら側を反映した色も加わる予定である。
「ガトリングフルボトルとベストマッチする、引いては何とかガトリンガーの“何とか”に入れるに相応しい名前を持つフルボトル。是非とも見つけてもらおうか?」
――出来るもんならな。
そう心中で呟きながら、何とかガトリンガーの傍に置いてあったガトリングフルボトルと、手近にあったフルボトルの何本かを戦兎は万丈に手渡す。
天ぇ才の俺が頭捻っても見つけられない組み合わせを、この筋肉バカが見つけられる可能性なんて万に一つも無い、と高をくくりながら。
「――で、そのベストマッチはあっさり見つかった、と」
「らしーよ、詳しく知らないけど。あたし途中からしか見てないし」
翌日、午後4時。
その日の授業を終え、いつものようにnascitaへと向かった夜宵は、地下室で美空から自分が帰った後にnascitaで起こった騒動の事を聞いていた。
最も、その騒動のせいで、ボトル浄化後の安眠を妨害された美空の愚痴を聞かされる方がメインの内容になってしまっていたが。
「ていうか、アイツらホントうるさいし! 起こしたら刻む、ってちゃんとあたし言ったんだよ? なのに戦兎はガキみたいな発想だの量子力学だのグダグダうるさいし、紗羽さんは飲んでるの唯のジュースなのに酔っ払いみたいになっててウダウダうるさいし、お父さんはお父さんで酔っ払いの相手してるバーテンのマスターみたいになっててウンウンうるさいし。極み付けに万丈は――」
「オイッ! これ外せッ! 何でまた縛りやがんだッ! とっとと鎖外せよオイッ!!」
「――現在進行形でうるさいし」
彼女達がいるのは地下室の中央。二人共店の中から引き込んだ椅子の上に座り、同じように引き込んだテーブルを囲んでいる。
そして万丈はといえば、何故か一昨日と同じように4本あるトラス柱の一本に鎖で縛り付けられていた。
「……何であの人また縛られてんの?」
「だってー、あたし的にはまだまだ
『成程、賢明な判断ですね。ちゃんと警戒できる美空ちゃんは偉い子ですわ、どこかの誰かさんと違って』
さも当たり前だと言わんばかりの美空の声が聞こえたのか、椅子に立て掛けるように床に置いていた肩掛け鞄の中からメイジーの同意の言葉が聞こえて来る。
込められた
そんな夜宵の内心など知る由も無い美空が、うーん、と感嘆の声を上げる。
そして同時に、そこはかとなく物欲しげな目をしながら万丈が吠える。
「つぅか、お前らさっきから何喰ってんだよ!?」
「これー? パールシュガードーナッツだけど? ムーンコーヒーの新作の。――うーん、美味しー!」
そう万丈に答えつつ、また一齧りした美空に感嘆の声を上げさせたのは、昨日“みーたん”のネット中継をやるに当たって彼女が要求していたバイト代。
夜宵がnascitaに来る前にムーンコーヒーに立ち寄って購入しておいた、今日発売の新作ドーナッツとブレンドコーヒーだ。
「“みーたん”はあんまり好きじゃないけど、それはともかく約束だったしね」
言いながら、夜宵も自分用に買った分のドーナッツを一齧りし、咀嚼した後でコーヒーも一口含む。
美味い。
普段アンニュイな美空がこうまでに喜びを表に出すのも分かる。目玉のドーナッツは勿論、添え物に近い扱いのコーヒーさえも、石動には悪いが、nascitaのコーヒーとは比べるのも烏滸がましいレベルの味だ。
『あーあ、羨ましいですわぁ。私もこんなボトルに封印されてなかったら、いくらでも食べる方法がありますのに』
そんな風に嘆くメイジーの声が肩掛け鞄から聞こえたが、そもそも封印が解けようが肉体の無い彼女が一体どうやって飲食するというのか?
単なる戯言だと、先程同様無視する。
「さっすが夜宵! 戦兎やお父さんと違ってちゃんとバイト代くれるし! やっぱ持つべきものは友達だよね!」
「ふふっ、どういたしまして」
露骨なまでに喜びの声を上げる美空に、気づけば夜宵もまた微笑みを浮かべ、笑い声を零していた。
そして、
「お、おいッ、俺にもくれよ! お前らだけ食いやがって! ズリィぞ!」
ドーナッツを求め訴える万丈の声が、否応無しに彼女達の耳に響いていた。
「……あーもう、うっさいなぁ! 分かったし! 今持ってくし!」
そう苛立ちを顕わにして叫び返した後の美空の、次いで、持ってって良いよね、という確認の言葉に夜宵は頷き返す。
元々、ドーナッツは美空のバイト代分の2個と彼女自身の分1個に加え、戦兎と石動と万丈、おまけで滝川の分も1個ずつ買っておいてある。コーヒーも一人1杯分用意してあったため、予定していた通りに数が減るだけなので問題は無い。
そういうワケで、彼女の許可を得て机の上からドーナッツとコーヒーを一つずつ取り上げた美空が、鎖に巻き込まれて動かせない腕の代わりに、自由な足の裏をパンパン、と叩き合せて催促する万丈の方へ、文句を呟きながら運んで行く。
その様子を眺めていた夜宵は、そういえば、とドーナッツを咥えたまま席を立つ。
そのまま彼女が向かったのは、地下室の入り口から見た右手前にある机の、その上に置かれた黒いデスクトップタイプのパソコンだ。
昨日の“みーたん”のネット配信の際にも使われたそれの画面には、現在もリアルタイムで美空のファン達からコメントが寄せられ続けている。
鍋島の件が伝えられたばかりの昨日に比べ幾分か衰えてしまっているが、その勢いはまだまだ凄まじい。
例えば、今しがた投稿されたコメントにはこんなものがあった。
HN:燃え上がれ俺の心火 さん
コメント:探索! 捜索! 探求! 畜生ッ! 心火燃やして探してっけど全然見つからねぇ! どこいんだ鍋島ァ! みーたんが探してんだからとっとと出て来いやァ! ゴラァッ!!
HN:腐死偽の国のアリス さん
コメント:みーたんゴメーン! 全然鍋島って人見つからないよぉ! でも絶対探すから! シロも「草の根分けてでも探し出すぞ!」ってすっごく張り切ってるから! だから待っててね、みーたん! PS.仮面ライダーさんへ、昨日は助けてくれてありがとう! みーたんにもよろしくね!
HN:93913 さん
コメント:俺のみーたんを好きにならない奴は邪魔なんだよ……!
HN:“滅”亡迅雷.com さん
コメント:みーたんの探し人を全力を以て探す……これが、Arkの意思か……。
HN:315な753 さん
コメント:鍋島。その命、みーたんに返しなさい!!
これらのコメントの内、夜宵が目を引かれるものがあったのは2番目のコメントだ。
内容を読むに、この書き込みを入れたのは昨日のツインテールに兎の縫いぐるみの少女だろう。ご丁寧に、助けた仮面ライダー――つまりは夜宵への礼のメッセージまで書き込まれている。
これには夜宵も驚く。
彼女としては、偶々スマッシュ発見の報があって、それで戦った際に偶々居合わせたくらいの認識でしかなかった。
(別にお礼なんて良いのに)
そんな風に心中で呟きつつ、しかし無視できない“嬉しい”という感情が内に灯るのを、確かに夜宵は感じていた。
その嬉しさの余韻に浸りながら、夜宵はマウスホイールを動かしたり、ブラウザに更新を掛けたりしながら、他のコメントもチェックしていく。
そうしている内にあるコメントが画面に出て来た時、細めていた目を見開いて彼女は叫んでいた。
「美空、ちょっと来て!」
「ん? 何ー?」
そう気だるげな声を返した美空が、速足で夜宵の隣に入り込んで来る。
そして、同じくそのコメントを目にした時、あ、と声を上げた美空が両手を上げて飛び上がる。
それにすかさず反応した万丈もまた、両足を器用に使ってドーナッツを齧っていた事も忘れて盛大に叫んだ。
そして夜宵もまた、画面を覗き込んだまま、よし、と頷いてブレザーのポケットからスマホを取り出していた。
当然の事だ。
何せ、
HN:ブラッディデスアダー さん
コメント:鍋島の情報が欲しいそうだなぁ? 奴は一年前まで“難波重工”で働いてたそうだ。ホラ、奴の携帯番号も教えてやるよ。〇〇〇-△△△-□□□□、特別サービスだぜ? それじゃあ、後は頑張ってくれよぉ? チャオ。
「鍋島の情報キター!!」
「美味ェ美味ェ、美味いなこれ――ってマジかァッ!?」
待ち望んでいた鍋島の情報が、ようやっと手に入ったのだから。
懐に入れていたスマホが、着信音を鳴らした。
禿げ上がった強面を横に向け、少しの間を置いてから、彼は画面上のアイコンをスワイプして電話に応答した。
<鍋島 正弘さん、ですよね?>
電話口から聞こえて来たのは、やはり聞き覚えの無い、若い女の声だった。
だが、その女が何者で、その要件が何であるかを彼――鍋島 正弘は、大凡だが既に知っている。
――
「……誰だ?」
<万丈 龍我さんは知ってますよね? 貴方に嵌められて、殺人犯って事にされてる。その万丈さんの知り合いです。貴方にお願いしたい事があって連絡しました>
「何だ?」
<万丈さんの無実を証言してあげて下さい。それから、彼を連れて行ったガスマスクの連中も。アイツらの事も教えて下さい>
やはり、だ。
女は万丈 龍我の関係者で、奴が自分に無実の罪を着せられた事を知っている。
そして、自分が彼を引き渡した、
そして、残念ながら女の望みを聞いてやる事は出来ない。
それは、今の鍋島に許される事ではない。
「それは出来ない」
<出来ない? 何で?>
「妻と娘に危害が及ぶからだ」
もしも今迂闊な事を言えば、心より愛する家族を鍋島は永遠に失う事になりかねない。
妻子は、そうとは知らぬまま
彼女達を守るためにも、慎重に、
「――“ファウスト”に殺される」
<ファウスト?>
「奴に――万丈 龍我に人体実験をした組織。お前が言った、ガスマスクの連中だ」
<っ!>
女が息を呑む声が、電話先から聞こえた。
薄々そんな気はしていたが、どうやら万丈 龍我だけでなくこの女も奴ら――ファウストと因縁があるらしい。
現に、続けて女が呟いたファウストの名の復唱は、どこか思い詰めたような声色をしていた。
<……それがアイツらの……私と沙也加を攫った奴らの……>
「……」
ブツブツ、と何かを考えこんでいるように女が呟く声のみが微かに聞こえる。
まだ鍋島には伝えるべき事があったのだが、恐らく今の女に何かを話し掛けても伝わりはしないだろう。
止むを得ず、女の調子が戻るのを鍋島は黙して待つ事にした。
と、その時。
<ッダラァッ!!>
獣染みた吠え声と、太い鎖が引き千切れるような凄まじい金属音が同時にスマホから鳴り響いた。そのあまりの大音量に、一瞬鍋島はスマホを耳元から離した。
それでもなお、うるさく感じる程の大声量がスマホから響き渡って来る。
<いつまでぶつくさってんだ! 代われッ!!>
<あっ! ちょっと!?>
聞こえて来たのは、先程までの女の驚いたような声と、それに加えて若い男の怒声染みた声だ。
その男の声を、鍋島はどこかで聞いた覚えがあった。
この声は確か――。
<鍋島だなッ! 俺が誰か分かるかッ!?>
「――万丈 龍我、か?」
尋ね返して見れば、そうだ、と電話先から叫び声が返って来る。
<このガキと話してんの聞いてたぞ、証言出来ねェってどういう事だァ!?>
「そのガキとやらにも言ったが、家族が人質に取られている。お前達の望み通りには出来ない」
<じゃあテメェの家族救えば良いんだな! そうすりゃ証言するんだな!? 言えッ! テメェの家族は何処だ!?>
そう叫ぶ万丈に、漸くか、と鍋島は内心で溜息を吐く。
漸く、伝えるべき事を全て伝える事が出来る。
「西都、第六地区」
最後に伝えるべき事――家族の居場所を手短に告げて、鍋島は通話を切る。
これで良い。これで十分だ。
これで、やるべき事は――
「これで良いだろ?」
横を向き、鍋島は訴える。
そこに立つ監視者に。
「これで、アンタ達の要求は全て片付けた筈だ。さぁ、俺と、家族を解放してくれ!」
懇願する鍋島。
その言葉が果たして聞き入れられたのか。それとも、彼が考え付かないような恐ろしい思惑が渦巻いているのか。
まるで判断しようがない監視者の、
『ふっふっふっふ』
スモークイエローの蝙蝠のバイザーを、ただ鍋島は睨み付けるほか無かった。