織田信奈の野望IF「金は天下の回り物っ!」 作:Takenoko is God
尾張・美濃国境 玉ノ井湊
桶狭間の合戦から数日後、梅雨の間の僅かな晴れの日を使って俺は2日ほど休暇を貰っていた。もう間もなく水無月、6月に入る。この時代は旧暦なので俺がいた時代の暦に直せば6月中旬といった時期だ。
俺は供に前野某を連れて、玉ノ井湊に築いた堤防の先端で鮎の友釣りに勤しんでいた。元いた時代では海釣り専門だったのだが、なかなかどうして延べ竿での釣りも楽しいものだ。この時代にはまだ友釣りは普及していなかったようで、竿も仕掛けもお手製なのだが、それで釣れた時の喜びもまたひとしおなのだ。
一応斎藤義龍と敵対している今この湊は最前線にあたるのだが、今日は至って平和な時間が流れていた。
おとり鮎のついた仕掛けを川に流して暫く待つ。野鮎の当たりが出るまでの間、俺はここ最近の出来事を回想していた
昨日までは桶狭間の戦いの戦後処理のために目の回るような忙しさだった。論功行賞の席に突如現れた滝川一益による伊勢平定の経過の報告も同時に舞い込んできたため、織田は尾張と伊勢の2国を治める大大名へと一気にのし上がったためだ。つい先日まであわや滅亡という状態だったのに、今や織田家の勢いは天を衝くものと化していた。
合戦に敗れた今川隊は豪雨の中散り散りに敗走し、落ち武者狩りなどにも襲われた。最終的に後詰に合流し浜名湖を越えられたのは当初の義元隊およそ六千のうち、千にも満たない惨状だったという。また、鳴海を抑えていた岡部元信ら先鋒隊も撤退を余儀なくされ、後詰部隊と共に今川家の本拠である駿府にまで退いていった。だが今川家の受難はここからだ。
合戦後、鳴海にいた岡部元信を今川の後詰にまで送り届けた松平元康は、あろうことか今川家が事実上乗っ取っていた岡崎城に堂々と入場し、今川からの独立を宣言したのだ。
三河は元来松平の領地、元康の祖父である松平清康が守護大名吉良氏から奪い取った土地なのだが、それを元康の父松平広忠が治めていた時に松平家を臣従させる形で義元が乗っ取ったのだ。その際に火事場泥棒的に奪った岡崎は松平にとって先祖代々の地であり、元康にとっても岡崎奪還は悲願だった。また元康に付き従う服部党も今川の手を離れた。
瞬く間に三河を統一した元康は、岡崎で軍備の増強を始めており、狙いは引馬であると堂々と家臣に告げて回っていた。引馬とは現在の浜松。つまるところ元康は遠州攻めを画策しているのだった。
今川家にとっては三河が手から零れ落ちただけでなく、遠江も危機的状況に陥ったわけだが、まだまだ苦難は終わらない。甲斐の武田信玄も堂々と駿河を攻めると言い出し戦支度を始めたのだ。
この戦の支度は上杉と再度川中島で戦うためのものとも噂されていたのだが、義元が桶狭間で織田家に捕縛され、そのまま降伏したという報が日ノ本じゅうに伝わり、方針を転換したと思われた。少し前に武田ではお家騒動により一時期今川攻めの機運が鈍化していたのだが、それが桶狭間の戦いによって再燃した形だ。
今や今川領は、周辺諸国の餌となり果てており、既にかなりの将兵が駿河を見限り北条や松平などの周辺に逃げてきている。元康は気を利かせてか今川から下ってきた将兵を織田家にまでそのまま受け流しており、優秀な人物は既に登用され信奈の元で働かされている。
ちなみに肝心の今川義元はと言うと、先日の論功行賞と祝宴にも何故か?普通に居座り、そしてあくる日には俺のうこぎ長屋に留め置かれるというよく分からない状況になっていた。
そりゃ元々義元の助命を申し出たのは俺だし、身元も俺が預かることになっているのだが、それにしても元々織田家の人間だったかのように堂々と居直るとは俺も思わなかった。
その後俺が玉ノ井に戻るタイミングで一緒に連れてきたので、今は玉ノ井の屋敷で過ごしてもらっている。今後は屋敷を改築し、義元の住居にするつもりだ。
もちろん今川家が残存している現状では捕虜扱いなので塀は少し高く作るが、義元はどうやら脱走する気などはさらさらないらしく、少し高慢だが可愛い姫さまとして早くも玉ノ井の民たちに慕われ始めている。今後は今川から降ってきた将兵を俺の家臣団にも組み込んで義元の面倒を観させるつもりだ。
そういった事情もあり、俺が玉ノ井の屋敷を本拠とするのもあと僅かのこととなった。現在玉ノ井の湊は建築ラッシュがひと段落しており、今は小さいが利便性の高い湊町として活気が付き始めている。
井ノ口への荷物は義龍と敵対しているため未だ量が少ないが、それでも海からだけでなく飛騨や木曽路からも特産品が安定して入ってくる内陸の湊として既に安定軌道に乗っている。今後美濃を治め、井ノ口の市場との取引も活発化すれば後は放っておくだけで大量の金が入ることは確定的に明らかだった。
「・・・そのためにも、さっさと美濃を取らないといけないんだがなぁ・・・」
俺はそう呟く。早く美濃を攻めたい気持ちは満々なのだが、現実はそう上手くいかない。ここ暫く信勝の謀反や美濃への備え、桶狭間の戦いなど連戦で尾張国内は疲弊しており、また米の量が心許ない状態に陥っているのだ。
恐らくは暫くの間、本格的な義龍への攻勢はしかけず散発的な攻勢に留まるだろう。暫くは内政と外交に力を入れることになるというのが専らの見解だ。一応軍事関係が一切動いていないわけではなく、一益率いる伊勢方面軍による志摩・熊野平定は継続して進行中ではあり、美濃方面に対しても元美濃勢の十兵衛と部隊の指揮である勝家が中心となって作戦の検討や偵察、小規模な挑発的攻勢はかけているのだが、本腰を入れて美濃を落とすのは秋になりそうだ。
しかし一方の外交面では織田家は重大な局面に入ろうとしていた。近く三河を統一した元康が信奈との同盟交渉のために清州に来ることになっているのだ。これは桶狭間の戦いの折に俺から持ち掛けたものであり、信奈も元々東国には興味が無い。幼少期から気心の知れた人物ということもあり、すんなりと元康との同盟は成立する見通しだ。何より尾張にも八丁味噌が安定的に入荷できるということで信奈や勝家などの根っからの尾張人たちは喜んでいた。しかし、他の外交については今難しい局面を迎えている。
まず畿内方面について、これは五右衛門からもたらされた情報なのだが、浅井がついに動こうとしているらしいのだ。浅井長政が信奈との婚姻同盟を画策したのは少し前の話、意図的に織田家を窮地に追い込んで信奈が同盟を蹴れない状況を生み出そうとした。
その結果、斎藤義龍の下克上が起こり、道三と譲り状がある信奈と土岐氏の支持基盤を持つ義龍との間で争っている状態に美濃は陥っている。その後、長政は義龍と手切れし、長政自身が美濃へ攻める姿勢を見せているのが直近の報告だった。
その後、桶狭間の戦いが起こり伊勢も平定されたことで状況が一変したため、五右衛門には再度近江を探らせたのだが、その報告が届いたのは今朝のことだ。
なんと、浅井長政が直々に近く尾張に来る素振りを見せているというのだ。恐らくは急拡大した織田家の領域を見て、これ以上待つと浅井家にとって有利な状況での同盟は難しくなると考えたのだろう。
実際今長政が信奈に対して強くでていけるのは、京への道を抑えているからに他ならないのだが、伊勢が抑えられたことで既にその前提が崩れかかっているのだ。少し遠回りにはなるが伊賀、大和を超えるルートを使えば敵対勢力にあたることなく京へ入れる道を信奈は既に手中に入れているに等しく、織田家の中で浅井の価値が下落し始めているのは確かだ。
美濃を抑えれば織田の勢力圏は100万石を超すことになり、そうなってしまえば浅井は織田との同盟は望めなくなり、むしろ臣従を迫られる立場に様変わりする。端的に言えば、長政は焦っており我慢できなくなったため、強引に同盟を纏めようとしているのだった。
畿内関係で言えば大和の筒井に対しても既に裏外交を開始している。筒井は現在大和を治める興福寺僧兵あがりの大名であり、順慶という当主がいるのだが、三好勢、特に河内の松永弾正久秀と対立している。ゲーム好きの俺の中では戦国の爆弾魔というイメージのある久秀だが、現在三好長慶のもとでは比較的おとなしく大和の切り取りを画策しているらしい。
筒井順慶も決して暗君ではないのが、相手が悪く押され気味なので助けてくれる大名を探していた。そのため織田の外交使節はかなり手厚くもてなされたそうだ。話によると信奈が上洛を果たせば臣従するという言質までとれたらしい。下準備も出来ていない段階からそんな話まで飛び出すとは、筒井順慶も相当困っているのだろう。
また他の外交交渉も佳境を迎えている。対武田家を意識した上杉との同盟についてだ。
これは十兵衛に任せていたことなのだが、越後への土台作りがひと段落したという話を先日聞いている。どうも十兵衛は小姓時代、道三の指示で外交交渉などのために京の朝廷や越前朝倉氏に度々入っていたらしく、京での伝手を使って上杉家の人間と接触を行っていたらしい。上杉謙信といえば義の人として有名で室町幕府の要職、関東管領につく人物。京に太いパイプがあるのも頷ける。今後は俺と十兵衛で越後に赴き、本格的な同盟交渉を進める手筈となっている。
上杉家は現在、外交的に少しややこしい状態にある。武田とは当然の如く敵対関係なのだが、関東で永く争っていた北条とは実は改善傾向に向かっているのだ。当然武田信玄と北条氏康との間には今川を含めた3国同盟が存在するのだが、義元が脱落したことによってここにも大きな亀裂が生まれようとしている。義元は玉ノ井に来る道中
「信玄さんと氏康さんは実は犬猿の仲、というより信玄さんが各地に喧嘩を売りすぎなのですわ。はしたないことねぇおっほっほ。その2国の間をとりなしていたのがわたくし、今川義元でしたのよ?まぁこの3国同盟の策自体は雪斎さんの考案ですが、わたくしが抜けた3国同盟などすぐに瓦解いたしますわよ、おわかりになって?」
と言っていた。義元の言っていたことは間違いないだろう。恐らく近いうちに武田と北条が敵対することになる。その時に北条と上杉の同盟が成れば、東から北条-上杉-織田-松平の4勢力で武田を完全に包囲する「武田包囲網」が完成する。この包囲網の作成こそが、俺にとっての武田対策最大の策だ。本当であれば、今川義元を駿河に戻して信玄を完全に内陸に閉じ込めたいのだが、流石に敗戦間もない義元だと武田に呑まれる公算が大きいため、尾張で保護するという形をとったのだ。武田を降すことが出来れば義元にも駿府くらいは返してもいいかと考えていたりする。とにかくようやく対武田の作戦の全容が見えてきたことに俺は嬉しく感じる。
「おい小僧、お前の竿あたってるぞ。」
前野某に声をかけられてハッとする。そう言えば釣りをしていたのだった。慌てて魚の当たりに合わせて竿を立てる、良いサイズの鮎がかかっていた。
「すまん。ちょっとボケっとしてた。」
「まぁ小僧の立場なら考えることもたくさんあるだろうよ、ただ折角の休暇だ。たまには頭を休ませねぇえとどこかでバテるぞ。」
前野某に頭を小突かれる。彼の言うことはもっともだ、今は貴重な休暇中。頭を休ませるための日に頭を使っていてはダメだ。
「ああ、そうだな。」
「ま、そうは言っても休ませて貰えないっていうのは人気者の辛い所だな。ほら小僧、客が来てるぞ。」
某に促されて堤防のつけ根に目を向ける。そこには件の幽閉中の義元と晴れて織田家の正メンバー入りを果たした十兵衛が手を振っていた。