リモートでくるメリーさん 作:仕事以外引きこもり中
――休日。
それは週の大半を労働に費やす労働者だけではなく地球上で暮らすほとんどの人たちにとって待ち望んでいた日に違いない。ある人は日ごろのストレスを発散し、またある人は日ごろは出来ない趣味に時間を費やす。休日が嫌いな人間なんてほとんどいないだろう。
もちろん俺も休日は大好きだ。いつ起きても問題ないし、いつ寝ても何も言われない。趣味である本を読むことに時間を費やせるし、昼間から飲んでいても問題ない。むしろ前日に深酒をして、昼間からダラダラと活動することがここ最近の俺の日課だったりする。
今は昔、かの坂口安吾先生はこう書いた。
『人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない』
そう、人間は生きている以上必ず落ちるのだ。堕落するのが人間だし、堕落しなければ人間は救われない。だからこそ、俺の普段の生活は何も問題がないのだ。人間である以上、堕落は避けられない。堕落が避けられないとなると人間は皆、ダメ人間ではないだろうか? 堕落した人間は古今東西、ダメ人間と相場決まっている。だとすれば、別にダメ人間であることに劣等やら卑しさを感じる必要などこにもない。立派に見える人でもどうせその内堕ちるのだ。堕ちるスピードに速い遅いはあるにしても、どちらにしても時間の問題だ。そう考えれば人生楽だ。
もちろんこんな考えで今まで生きてきたのだ。いくら緊急事態宣言が出されたといっても俺の考えは特に変わらず休日である今日は昼間まで惰眠を貪る予定であった。
「あー、くそ頭いてぇ!」
しかし、何故か俺はいま、我が家の狭い台所に立っていた。
目の前には火にかけられた鍋と、卵焼き用のフライパン。痛む頭をガシガシと掻いてみても痛みは取れず逆に不快感は増す一方。普段だったらベッドの上で昨日調子にのってバカのように飲んだ過去の自分に恨みつらみを吐露しているか、もしくは爆睡をしている時間帯。曲がり曲がってもこんな時間に活動することはなかった。
『ほら、ちゃっかちゃか作りなさい! あぁ、それとみそ汁の具材は卵とわかめでお願い。卵は一つで!』
俺がこんなことをしている原因となったそいつは昨日に引き続き人のスマートフォンから勝手知ったるとばかりに指示を飛ばしてくる。
「はいはい! わかったわかった!」
頭の鈍い痛みと胃からこみ上げる気持ち悪さから反論する気も起きない俺は言われるがままに朝食を作る。
『へぇ、意外と手際いいじゃない』
俺の部屋中にあるすべての電子機器からアラームを鳴らし俺のことを叩き起こした元凶はなぜか画面越しに腕を組んでうなづいていた。なんとも偉そうな態度である。
しかし、偉そうな態度と裏腹に彼女はただの居候だ。それでいて家主をたたき起こしあまつさえ朝食を作らせるとは彼女に遠慮の二文字はないようだ。まぁ、変に遠慮されるよりかははっきりと物を言ってもらったほうが俺もいいため、これはこれでいいのかもしれない。
「そりゃ、昔は飲食店でバイトしていたしね。これくらいなれたものだよ」
みそ汁の入った鍋をかき混ぜながら卵を投入する。普段はあまり自炊をする機会がないのだが、料理の一つや二つは出来たりする。
『それにしても、ひどい生活ね。私が起こさないといつまで寝ていたのやら』
「一応、昼には起きるつもりだったぞ。そして、掃除と洗濯して酒飲みながら本読んで眠くなったら寝る予定だった」
俺の考えた究極の休暇の過ごし方を聞いた彼女は、しばらくゴミを見るような目で俺を見ると、はぁと隠しもせず大きなため息を吐いた。
「なんだよ……。休日の過ごし方なんて人それぞれだろ」
『確かにそうね……でも駄目よ。私がいる間は最低でも人に見られても恥ずかしくない生活をしてもらうわ』
――お前は俺のお袋か!
という突っ込みはどうにか喉元で抑えることができた。もしも、口から発しようものならどんな言葉になって返ってくるか想像するだけでも恐ろしい。
「善処はしてみる……それよりもだ、一つ聞いてもいいか?」
みそ汁の味見をしつつ、いい加減気になっていたことを聞いてみることにする。
『ん、何かしら?」
「いや、その服って何なの?」
台所の端、冷蔵庫の上においたスマートフォンの画面を見る。昨日と同じく一人の少女がそこにいた。癖という言葉を知らない綺麗な腰まで伸びるストレートな蜂蜜色の髪に、陶器のような白く透明感のある肌、春空よりも澄んだ青い瞳がぱちぱちと瞬いていた。つけあがるのが火を見るよりも明らかなので、死んで口には出したくないが、絵にかいたような美人がそこにはいた。
しかし、一つだけ問題があった。そう、それは服装だ。昨日とは違い、今の彼女はドレスを着ていない。まぁ、それはわかる。睡眠? が必要かどうかは置いておいて部屋着に着替えたのだろう。
問題はその部屋着だ。履いているホットパンツはまだ分かる。しかし、上のTシャツが分からない。白く半そでのTシャツには達筆な文字で「メリーさん。」とデカデカプリントしてあった。
『ふっふっふっふ! ようやく気付いたのね! そう、このTシャツは毎年上位の成績を収めたメリーさんだけに配られる幻のメリーシャツよ』
そういって彼女は胸を張った。本人はまったくダサいと思ってないようだ。
「へーそうなんだ。でもそのTシャツ糞ダサいよな」
決して俺にファッションセンスがあるとは思えなないし、生まれてこの方センスがいいとほめられたこともないが、このTシャツがクソダサいことくらいはわかる。彼女は確かに美人だ。しかし、その彼女の美貌がすべて帳消しになるくらいそのメリーさんTシャツはダサかった。
『はぁ!? アンタ、これがダサいって!? 正気? 正気なの? 全国のメリーが羨望の眼差しで見てくるこのTシャツがダサい!? そんなわけないでしょ!』
「そのTシャツの貴重価値はともかくとして、そのTシャツはクソダサい。それになんだよ、メリーさん。って、デカデカと書いてあるのもダサいし、〇が謎についているのもダサい」
『何よ! そんなこと言って貴方もセンスないじゃない!』
「そのセンスのない俺が言うだ。間違いなくダサい」
『はぁ!? 言ってくれたわね! 今、貴方は全国津々浦々のメリー全員を敵に回したわよ』
「そのTシャツ何人が持っているかは知らないけど、持っているメリーさんも大半はダサいと思ってそうだけど……」
『確かに……、そういわれてみれば他のメリーで普段着でこれを着ているメリーはいないような……いや、きっと持ってないだけに決まってるわ!』
「…………」
『ちょっと、何か言いなさいよ! そんな目で私を見るな!』
俺とメリーさんとのくだらないやり取りは朝食ができるまで続いた。
「いただきます」
『いただきます』
出来た朝食を机に並べて手を合わせる。みそ汁に、卵焼きに、炒めたベーコンとウインナー、そしてサラダに白米。社会人になってほとんど初めてといって土曜日の昼食は健康み溢れるものとなった。
机の端、ティッシュ箱に立てかけてあるスマートフォンの中では昨日と同じように俺のとった写真から中身を取り出したメリーさんが同じく手を合わせていた。
『あら、意外とやるじゃない。美味しいわ』
「そりゃどうも」
若干上から目線だが、美人に褒められるとやはりうれしいものだ。男とはどこまでも単純な生き物だ。
みそ汁を啜りつつ、テレビをつける。たまたま映し出されたチャンネルはどうやらニュース番組のようだ。アナウンサーが淡々と原稿を読んでいた。右上の見出しには『全世界の感染者数5万人を突破!』とデカデカと書かれていた。
――小中学校は相変わらず休校……大学も同様か……
『感染者数増える一方ね……』
少し憂いを帯びた声でメリーさんが言う。
「そうだな。しばらくは、増える一方だろうな」
謎のウィルスに対抗する手段は今のところない。テレビのコメンテーターが言うにはワクチンが開発されるのも早くて来年になるそうだ。ほとんどの人間が感染するのと、ワクチンの開発、どちらが早いのかは分からないが、ウイルスと人類との戦いはまだまだ続きそうだ。
『ねぇ、貴方はどう思う?』
「どうって……」
『ほら、このニュース』
変わった画面で今度はキャスターが別のニュースを読み上げていた。なんでも感染者や医療従事者に対する差別や誹謗中傷が全国で見られているらしい。
『今の私に人間の生活がどうこういう資格はないかもしれないけど……。なんだか最近のニュースを見ていると……』
「今は昔、俺がまだガキの時にさ、ウチのひい爺さんに聞いたことがあったんだ。爺さんは結構な歳でさ、戦争経験者だった。そんな爺さんに戦時中、何が一番怖かったか、聞いてみたことがあった」
今でもたまに思い出す。西日が強かったあの一室で、すべてが赤に染められた部屋。その中心、大きなキャンパスの前に座った彼の表情を。あの時、彼は数刻考えた後、ゆっくりと語った。
「俺はてっきり、アメリカ兵とかB29とか或いは拳銃が怖かったと答えると思ったんだ。でも、結果は違った。――『ご近所さん』、爺さんは迷いもなくそう言ったよ」
『――――――っ』
メリーさんが小さく息をのんだ。
「当時の俺はその意味が分からなかったけど、今なら分かる気がする」
悪いは感染した人ではなく、ウイルスそのものだということはきっと皆分かっている。分かっているはずだ。ただ人間は弱い。弱いからこそ恐怖を怒りという形に変えて外部へと出すのだろう。
「しかし、本当に世知辛い世の中だよ」
ぬるくなったみそ汁は余り美味しくなかった。
そんな俺の内心をまるで意に介していないかのように窓の外にはこれ以上ない晴天が広がっていた。
――世界は今日も今日とて平和である。