右左を助手として雇った際、それなりに豊富な選択肢の中から彼を選んだ理由は、ほぼ見た目ただ一点だった。他に彼の良点を挙げるとすれば、あとは態度だろうか。
まず大前提として俺のやり方を考えると、これは非常に残念なことだけれど、女性の助手というのはあり得なかった。それは俺自身が、女性は誰しも、俺のするような「ターゲットを表では死人扱いとして、地下室に監禁する」という行為を許容しないと信じているから。その信じ込みはひょっとすると事実と異なるかもしれないけれど、つまり俺は女性という生物を「許容」という観点ではまったく信頼していないのである。
そこで男性の助手を付けようという段になるわけだが、そもそも特別優秀な助手というものは俺に必要なかった。ヤクザのように手広くやっているわけでもなく、ただターゲットが誰からも「人間として」必要とされていない美女である場合に限って、依頼を受ければ必ず成功させる。それが俺の殺し屋としての動きの全てだったから、正直なところ普通に考えれば助手なんて必要ない。
だからつまり俺は普通じゃなかった。殺しはそのリスクによって失敗さえしなければ馬鹿みたいに儲かる仕事であり、金はあるのに日頃の細かい苦労が消えないという状況を、俺はどうしても良しと出来なかったのだ。金の有意義な使い道として、雑用係が何としても必要だった。
いわゆる「普通」とは勤勉な人間に向けられた言葉であり、怠惰な俺は、勤勉な者からすれば不必要(あるいは持ち腐れ)とも思える助手を雇った。それが右左だった。なぜ彼にしたのかというと、女は無いとしても、むさ苦しい男を傍に置くよりはずっと良いと思ったから。だからその点において多少マシな、子供みたいな見た目の男を選んだ。きっかけはただその一点のみである。
いざ招いてみれば彼は、まあ多少生意気なところもあるけれど、それは愛嬌なのだという風に考えれば、特に横暴なこともなく悪くない、優秀な奴だった。
しかし結果として、彼は俺にとって異様な存在となる。右左は世にも珍しい、俺の催眠能力が効かない人間だったのだ。それを理由に俺は彼のことをかなり気に入ってしまった。たとえ口だけは達者なクソガキのように見えることが多々あろうとも、催眠が効かないこと、それだけで十分だった。もちろん今では、一言余計なわりにびびりな性格であるところも含めて、嫌いではないけれど。
……そしてある日俺は、右左という男もまた、自分と同じような異能力者であることを知った。俺が殺し屋であることを知って雇われに来た右左は……つまり元から裏の世界の住人であった彼は、いったいその臆病な性格でどうやって今までやって来たのだろう? そんなことが気になってしまって、彼の過去を調べていった結果、その異能力に行き着いたのである。
いや、行き着いたというのは正確ではない。俺は脅されたのだ。右左は自ら異能力者であることを明かし、これ以上過去を探るようなら、俺のことをその能力の餌食にすると。しかし彼もさすがに、俺までもが異能力者であることなど想定していなかったようで、それをカミングアウトすることでもって、その時俺たちは本当の意味で意気投合した。
今思えば、雑用が嫌で助手を雇ったのに、その助手の過去を探るなどという雑用に対して躍起になっていたこと自体が本末転倒だったように思う。……それにもはや過去なんかどうだっていい。どうせ知ったところで愉快な話ではないだろう。現在の彼の本性を垣間見る俺に、右左はある時初々しい学生のような、あどけない顔をして言ってきた。
「本当はぼくも、ああいう地下室が欲しいんですよ」
毎日ちょくちょく確認しに行くけれど、相変わらず誰も部屋から出てきている様子はない。魔女はあの時「撮れ高か……、頑張ってみます」とアバウトな返事をしてくれたけれど、今頃何をしているのだろうか。
この施設に集められてから何日が経ったのか。数え出してしまうと焦り等から頭がおかしくなってしまいそうで、初めからカレンダーの類は置かないと決めていたのだけれど、いよいよ本当に日付の感覚がすっ飛んでしまった。
もはやこうなっては祈るしかない。いつか元の世界に帰れた時には、現地では一日たりとも時間が経過していませんように……。決闘関連のことで時空が歪みまくっているから、なおさらそんな祈りを捧げたくもなってしまう。俺たちを拉致した存在には、それくらいのことが容易に出来るはずだ……と。
「差位置さん、次の決闘はまだなんですか」
「だから俺に言ったって仕方ないだろう」
あれだけの人数に指名されたのに、俺の決闘第三回戦は一向に始まらない。体感だけを頼りに言えば、魔女との遭遇からもう一週間は経過している。
残る対戦相手はマッチョ、吸血鬼、ブ男と二人の女、そして右左だ。俺の指名相手(つまり消化試合)である右左を入れて数えればまだ六人もいる。このままのペースで行くと明らかに一ヶ月以上の時が過ぎてしまう計算だ。
「インターネットがない世界って、思ったよりつらいですね。それとも他人の存在が限られすぎているのがいけないのかな。差位置さんの決闘の話を聞くことが、異様に楽しみになってる自分が怖いです」
「テレビが見れて、DVDもいくらでもあって、オフラインならゲームもし放題。そんな環境でどうしてそんな大昔の、闘技場とかがあった時代の世界観みたいなこと言うんだ」
「いやいや差位置さん、誰もがあなたみたいな引きこもりってわけじゃないんですよ。酒を飲むにせよもっといろいろな意味で開けた空間で飲みたい人とか、アウトドアな趣味がある人とか、ライブや展覧会に行きたい人とか、ここじゃ叶わない望みを持ってる人は世の中に山ほどいるんですから。その山ほどの他人が存在しないこと自体ここはおかしいんですよ。……ああたぶんそうだ、他人が足りないんだ。差位置さんだけとしか会わない世界なんて狂ってる」
「まあ……一理はあるが、ならお前は具体的に何がしたいんだ?」
「……会いたい人が何人かいますね」
「……お前も同じか」
右左は別に誰かを監禁しているわけではないけれど、そこそこの頻度で会っている特定の人間ならいる。それを友人と呼ぶのも、恋人と呼ぶのも、どちらもしっくり来ないけれど。しかしとにかく会いたい人がいるという意味では、俺と彼は同じだった。
「同じどころか、地下室の方は本当にまずいですよね。時が戻るでもしてくれないと」
「うむ……」
「大丈夫、なんとかなりますよ」
「なんでお前に励まされなきゃならんのだ」
「じゃあ落ち込まないでくださいよ。言っちゃ何ですけどね、代わりはいますって」
「……まあな」
右左の言うことに何一つ間違いはない。地下室の女の代わりはきっといる。俺が殺し屋としてターゲットにするに足る存在は、将来的な視点で見ればいくらでもはずだ。
それでも愛着という物があるのだけれど、しかしだからといって確かに、落ち込んでいても仕方がない。無害そうな顔をしながら本性のエグ味が強すぎる男なんかに慰められたって、俺は何も嬉しくないから。
「ところで、アウトドアとさっき言ったけれど」
「はい?」
「それは本当に不可能なのか?」
「……え? 違うんですか?」
インターネットは閲覧出来なくても、インターネットのページを画像として見ることが可能なように、例えばアーティストのライブなら、プログラミングされた動きだけをする偶像のような物を、神の力で作り出せたりしないのだろうか。仮想空間としての「外の世界」が作り出せたりはしないのだろうか。
その旨を右左に話して、二人で天に向かって願いを投げかけてみることにする。まず試しに、来たれ、千葉の方にありながら東京の名を冠する鼠の王国。神よ、それが仮想空間的に再現出来るならやってみるがいい。
と、願った瞬間、俺たちは例のテーマパークの入場ゲート前にいた。遮る人も物も何も無いようなので試しに入ってみると、誰一人としてその中を歩いている者はおらず、鳥などの動物がいる気配さえなかったけれど、それを除けば本物そっくりのテーマパークがそこに広がっていた。無人の貸切、あるいは生物の滅びたポストアポカリプスの遊園地だ。
強いてその仮想空間的テーマパーク特有の素晴らしい点を上げるとするならば、当然ながらアトラクションが一切並んでいないことだろうか。
「差位置さん」
呆然とした顔で俺の名を呼ぶ男の頭部には、いつの間にか動物の耳を模したカチューシャが装着されていた。そして彼は大きな容器に入ったポップコーンも持っている。
「まだしばらく楽しめそうですね!」
出来ないと決めつけていた彼にも非はあるのだろうけれど、そもそも今日に至るまで「そうしたい」とも思わなかった俺は、右左を今まで自分の引きこもり趣味に付き合わせていたことが申し訳なくなってしまった。
しかし言い訳もさせてほしい。何せ俺は、人混みとジェットコースター(あとお化け屋敷も)が嫌いなのだ。もしも遊園地が貸切だったら……なんて想像もしない程度には真っ向からそういった娯楽を全否定している。
……まぁ、だかといって、楽しんでいる奴に水を差すほどでもないけれど。
遊園地で遊び疲れて眠るなんて、いい歳してやることとは思えんな……と右左を嘲りながら眠りについて、翌朝目覚めると、隣にその右左がいなかった。
何でも思い通りになるのをいいことに、俺たちはテーマパーク内にあるホテルに泊まったのだけれど、そんなことなどお構い無しの問答無用で決闘はやって来るらしい。それが始まったとすぐに分かるように、一応彼と部屋を同じにして、なおかつ枕元に時計も置いておいて正解だった。時計はやはり九十九時九十九分を表示している。
そして三回目の決闘にて初めて、俺は「うっ……」と嫌な気分に見舞われる。いつもと違って場所は(仮想空間とはいえ)ホテルなのだから、今自分がいる部屋には窓がある。しかしそれが良くなかった。その窓から、例の何も無く広いだけの部屋が、すでにまざまざと見えてしまっているのだ。
これが精神的にかなりきつい。俺たちはどこへ行ってどこで眠ろうとも、決闘が始まってしまえば、そこにある窓から必ずこの同じ景色を見ることになる。本来どんな景色が見えるはずの場所であろうと、現実に引き戻されるかのように、必ずあの、決闘のためだけに置かれたような空間を視界に突きつけられる。その事実がきつい。
初めに俺たちが連れてこられた部屋に窓が無かったのは、むしろ優しさだったのかもしれない。そう思えてしまうほどに、これは結構メンタルに来るものがあった。
「クソが……」
悪態を吐くことで気を紛らわしながら、本来ならホテルの廊下に出るドアを開ける。するとそれは案の定例の空間に繋がっていた。そしてやはりまったくの同タイミングで、遠くの向かい側から今回の対戦相手が出てくる。
三人目の相手は、吸血鬼を自称する生意気な子供だった。
「はぁ〜……。ついに来たか、モブ男」
俺の顔を見るなり少女はため息を吐く。悪意を気体化させて吐き出すようなため息を。
「ちゃっちゃと降参してもらえる? どうせ負けたって何も無いんだからさ」
その口振りからして、すでに文学少女との決闘を終えていることが分かった。どちらが勝ったのかは知らないけれど。
「差位置 対 マリア」
いつものアナウンスが入って、正式に決闘が始まる。
「降参についてはやぶさかでもない」
開口一番そう伝えると、文学少女にも一度呼ばれていた「マリア」を名に持つ……聖母とは似ても似つかぬ彼女は、意外そうに目を見開いて大袈裟な言い方をする。
「あら、案外素直なのね」
なぜなのか、彼女の態度を見ていると、調子に乗っている時の右左を見るよりずっと腹が立つ。
ともかく、殺し屋らしく感情は抑え込んで、
「しかしその前に」
と、まずは撮れ高説の説明を試みてみる。「俺たちが関わり合うことで、何かしら面白いことを起こす必要がある」というおおよその見解を語ると、彼女は「ふうん」と興味があるのかないのかイマイチ伝わってこない相槌を打って、
「じゃあアンタが自分の能力を語ればいいんじゃない? カソってヤツが言った通りさ」
といった具合に、若干気に食わない態度ながら話には乗ってきた。
けれど俺は、彼女の誘いに乗る気などなかった。仮にここが夢の中のような空間なのだとしても、決闘から目覚めた右左に「死」そのものは引き継がれなくても「死の記憶」は引き継がれていたように、能力の詳細をマリアに語れば、彼女が誰彼構わずそれを言いふらしかねない状況が出来てしまう。それだけはまずい。俺の能力は初見殺しが出来なくなれば、存在しないも同然の内容なのだ。
だから昔、右左にそれを明かしたことは、ただ彼に催眠能力が効かないことだけを理由とした投げやりな行動ではなかった。結局俺はあの時点ですでに、彼のことを信頼していたのだろう。迂闊と言われれば迂闊なのかもしれないが、俺自身はそんな昔の自分を責める気になれない。むしろそれを責める人間のことを現在の俺が許せないくらいだ。
「あたしは吸血鬼。でも多くの人が考える弱点はあたしには効かない。十字架は怖くないし、にんにくは食べられるし、心臓に杭を刺されてもぶっちゃけ死なない。太陽の光に当たるのも全然平気。じゃあ何をもってしての吸血鬼なのかというと、不死や怪力みたいな人間とは比べ物にならないパワーを持っていて空も飛べることと、血を飲まなければ生きていけないことの二つ。それに見た目の特徴を足した物が「あたしが吸血鬼を自称する理由」で、だから別に吸血鬼っていうのは種族的なことではないのよ。パパもママも普通の人間だし」
ペラペラとよく回る舌で、事細かに彼女はそう説明してくれた。……もちろん俺の催眠によって強制的にそうさせたのである。一度術中に陥った者は、俺が心の中で念じるだけでその通りに操られ動く。操られている最中の本人に意識を保たせるかはどうかも俺が選べる。
今回は、喋らせている間は本人の意識を遮断したけれど、その後すぐ元に戻したので、記憶だけは残っている彼女が案の定自らの口を押さえて焦り始めた。
「えっ、えっ……? なに……? あたし、今……」
「貴重な情報をどうも」
「なっ、アンタあたしに何したの……!」
吸血鬼というのが種族名ではなかったことには中々の驚きを感じた。漫画を読んでいた女が人外の魔女で、一番目立っていた彼女はただの異能力を持った人間だったのだ。
とはいえ一般人の視点で見れば、人外と異能力者にそれほど大きな差はないように思えるのかもしれない。しかしやはり魔女ニマドや脳の垂れた男(首謀者)と比べて、吸血鬼を名乗る少女に格落ち感が否めないことは感覚的にも伝わるだろう。
「俺の能力は催眠。今体感して分かってもらった通り初見殺しの性能をしているから詳しくは語れないが……お前がもう俺に逆らえないことは確定している」
「は、はぁ……!? なに言ってんのキモいんですけど。ちょっと知ってること喋らせられるからってそれが何? いいわよ別に、何でも喋ってあげる。聞かれたところで痛くも痒くもないわ。その代わりアンタのことぶっ殺すわよ。全身の骨を砕いてひねり潰してやるから。謝るなら今のうちよ?」
……撮れ高という意味では、これは成功なんじゃないだろうか? 誰が見ても今の彼女は滑稽以外の何物でもない。彼女が時期尚早に大きな力を持ってしまっただけの、単なる正真正銘の子供だからなのだろうか? どうしてそう自信満々に、俺の催眠が言葉を引き出すことにしか作用しないと信じ込めるのだろう。
ただ、行き過ぎた滑稽さというのは、一周回って哀れみをも感じさせるものだった。首謀者がそれを望んでいるのかは知らないけれど、とりあえずはもう少し喋らせてみよう。物は試し、ダメで元々だ。
「あたしの性癖? それは細かいことだから説明が長くなるわよ。……あのね、私が血を吸う時に、相手の首筋を噛むでしょう? その時に、ハグするみたいに正面から抱きついてもらう形でするのが一番いいの。そうするとね、この牙を刺されるのって、ほとんどの人が想像するよりもずっと痛いから、誰しもがその痛みのあまり、反射的にあたしのことをギュッて抱きしめるのよ。痛い、助けて、って風にね、「い゛っ……」みたいなかわいい声を出して、すごく熱烈に抱きしめてくれるの。あたしはその瞬間が何よりも一番好き」
「へえぇ」
「……なっ!? くっ……あんたねぇ……!」
何でも喋ると言ったわりに、彼女は頬を赤らめていた。語られた内容的に、恥ずかしがるというよりは、恥を暴かれたといったニュアンスだけれども。あれなのか、家疎といいコイツといい、やばい感じのサドしかここにはいないのだろうか。
一応試してみたものの、やはり家疎のお喋り作戦は駄作なように思う。撮れ高という目の付け所は面白かったのだけれど、そこから導き出された作戦がこれではダメだ。なんというか、進展がない。語ってそれでおしまい、そこから何も続きがない、先がない。これじゃあたぶんダメだろう。進展しなければ。
直感的に恋愛で例えたことは、そういう意味で当たらずとも遠からずなのかもしれない。それを「恋愛」という例えで話すのは気色悪いけれど、例えばかつての俺と右左がそうだった。俺たちは互いの能力を明かし、その由来を語り、それによって今の関係性に至っている。だから撮れ高説が真実ならば、そういった進展がここでも必要とされているのだ。そうに違いない。
しかし実際は、こんなわけのわからないサディストたちや人外魔女の中で、何をどうやって進展させろというのかさっぱりわからない。イカれたやつら同士を適当に集めれば何かしら人間関係が進展すると思っているなら、それは大間違いなのだ首謀者様よ。
「なんだ? 何でも喋るって言っただろ」
「言ったけど! よりにもよって、なんでこんなことなのよ!」
「撮れ高説の提唱者も同じようなことを語ったからだ。……それを踏まえて思うんだが、やはりお前も性癖が先なんじゃないか?」
「はぁ? 先ってなに」
「吸血鬼より性癖が先なんじゃないかってことだ。俺も、家疎……撮れ高説の提唱者も、明らかに性癖由来で異能力を発現していた。お前もそうなんだろ。人の首筋に噛み付くのが好きだったからそんな能力に目覚めたんだ。血を吸わなきゃ生きられないなんて、まるでその性癖に対する言い訳みたいじゃないか」
「なっ……!」
どうやら図星のようだった。しかしそれはもはや当然のことである。何なら右左の能力だって性癖由来なのだから、吸血鬼だってそういう構造になっていて然るべきだろう。
今まで見てきた変態たちの例と、吸血鬼マリアで違うことがあるのだとすれば、それは彼女がまだ中学生程度の年代だと思われることだ。その年代でその癖を持ってしまったことに対して、中々やっちまってるなという感想が浮かんでくる。
「アンタ、散々人のことをバカにして……。催眠なんて能力持ってる男がロクな趣味してるわけないくせに、自分のことは棚に上げて……、そういうのほんっとにキモいんだけど!」
「一理あるどころかごもっともだな……」
クソガキの言葉がグサリと刺さる。俺は決してサディストではないけれど、それでも同じ穴のムジナだと言われて反論するには少々苦しい立場にある。あまり健全な趣味をしていないことは重々自覚している。おそらく、そもそもそうでなければ異能力など発現しなかった。
言い訳する術はない。だから、このあたりでもう決着をつけることにする。おそらくは首謀者が望んでいるであろう、異能力バトルによる真剣勝負の決着を。これ以上の口喧嘩は不毛だ。
とはいえここでの決闘とは精神攻撃が有効な戦い。家疎のような自爆を促せる能力が相手だった時は楽だったけれど、今回はそういうわけにもいかなさそうなので、精神攻撃にさらなる磨きをかけていくしかない。口喧嘩ではなく、脅しでもって相手の心を折る。
「ところでマリア、さっきからキレるばかりで、一向に俺を攻撃して来ないのはなんでだ? 全身の骨を砕くとか言っていたが」
「はぁ? そんなの決まってるでしょ、それは、それは……。……えっ? なんでっ、うそ、ちょっと……!」
「体が動かないんだろ? まあそれも催眠の力であるわけだが」
「何よそれ! そんなの、そんなのはズルでしょ!? そんな強力な催眠いつかけたのよ!」
「さあな。……それで? 命乞いとかはしなくてもいいのか?」
「誰がそんなこと!」
無防備な棒立ち状態のまま、八重歯の目立つ少女がそう叫んで凄んで来る。けれど悲しいかな彼女の背中に生えた、吸血鬼らしさを担う小さな羽は、怯えた犬の尻尾のように縮こまってしまっていた。
羽だけではなく、全ての心情をそのように怯えさせて、降参ですと言ってくれればそれが一番いいのだけれど。厄介なことに今のままの彼女では、催眠の力で「降参する」と言わせたところで何の意味もないだろう。まさに右左が言うところの「クソが、気に入らねえ」という心が、吸血鬼の中で未だメラメラと燃えてしまっているのだから。
それを折る方法を俺はおそらく知っている。殺し屋だからというわけでもなければ、そもそも実践したこともない、読書経験から培ったようなやり方だけれども。逆に俺にはそれ以外何も思いつかない。一撃で彼女を気絶させてやれる方法も、苦しまずに殺してやれる方法も、俺は何も知らないのだ。差位置は二流の殺し屋だから。
マリアに出来る限り近づき、大人の体格にものを言わせて見下ろしてやると、彼女の高飛車な表情に一瞬だけひるみの色が見えた気がした。
「な、なによ。そうだ、アンタなんか、あたしに何かしたら、現実の方で殺してやる。どうせ催眠なんか、目を見るとか声を聞くとか、そういう条件なんでしょ? 今回はうっかりかかっちゃったけど二度目はないわ。決闘が終わったら必ず殺す、絶対殺す。それが嫌なら今のうちに謝って」
「マリアは、バイオハザード見たことあるか?」
「……え?」
理解に苦しむ発言を向けられれば普段なら見下すような顔をするはずの彼女が、やはり内心は折れる寸前の心をプライドで補強しているだけなのか、サイコパスと相見えた普通の人間のように恐怖と困惑を混ぜた様相を見せる。
「ゾンビが出てくる映画だよ。見たことあるか?」
「な、なんでそんなこと聞くのよ」
「答えろよ」
「なんでそんなこと聞くの!」
「おい」
「答えさせたければ催眠でそうすればいいじゃない! どうせ逆らえないんだから!」
彼女は小さな体を震わせて目に涙を浮かべながら、しかしこちらを圧倒するような迫真の声量で叫ぶ。それは手負いの獣を思わせる独特な迫力があったようにも思えたけれど、それが俺を少しでもびびらせるに至ることはなかった。
他人を威嚇するには、彼女の体は幼すぎた。怪力なんか似合わないような、精神の年齢相応に小さくか弱そうな子供の体は、他者を威圧する迫力の欠片も含んでいない。きっと彼女の外見だけでも大人だったならば、俺程度の凡人相手なら簡単に威圧することが出来ていただろう。
我ながら大人気ないとは思うけれど、しかし目の前の子供を屈服させないことには、俺もこの決闘の場所からいつまで経っても出られない。それではさすがに困る。そして元はと言えばマリアが悪い面もあるのだ。俺が彼女のことを第一印象で「気に食わない」とさえ思わなければ、本当にこちらから降参してやることも出来たかもしれないのに。
調子に乗ったガキを泣かせてやりたいと思うほど趣味は悪くないつもりだけれど、自分が一番偉いと思っている人間がそれを思い直す場面は、相手が大人でも子供でも関係なく、見てみたいと思ってしまう。俺はそういう小者なのだ。
「ゾンビってやつも元は人間だ。でも人を食うだろ? だから人間はその気になれば、生きてる人の肉くらいは食いちぎれると思うんだよな。……マリアは、その牙を刺されて痛がる側の気持ちを考えたことあるか?」
「……アンタまさか」
「俺に牙はないが、ただの歯でもお前の肉を食いちぎるくらい出来るはずだ。……それを試せば、降参くらい言う気になるだろ」
少女の顔面から本当に絵に描いたように、さーっと血の気が引いていくところを見た。
「う、うそよね……?」
「大丈夫、決闘が終われば傷なんか残らないから」
本人が語ったように、正面から首筋を噛もうとすると、どうしても抱きしめるような形となる。身長差があるのでこちらとしてはかなりやりづらいが……。
しなだれかかるようにしてマリアに抱きつき、いよいよその首に歯が当たるまで数センチというところになって、
「ご、ごめんなさいっ! 降参します! 降参っ! 痛いの嫌……!! 降参するから……!」
いよいよプライドにも限界が来て彼女がそう喚き始める。もちろん俺は彼女を痛めつけたいわけではないので、そしてなおかつ大人が子供に対してそれをやっていると絵面が犯罪的なので、すぐに彼女から離れてこれ以上の敵意はないことを示してやる。殺し屋に犯罪的も何もないのだけれども。
何はともあれ、これで一件落着だ。決闘は俺の勝利で幕を閉じ、高飛車な少女はお仕置をくらって、それでおしまい。
……と思ったのだけれど、しかし一向に、決着のアナウンスの流れる気配がなかった。
待てども待てども俺の名は呼ばれず、またお決まりのパターンで夢から覚めるように、ベッドの中で気が付くということもない。ただホッと安堵した表情になっていた吸血鬼が、時間経過と共にじわじわと、あったはずの希望を奪われ絶望に近付いて行き、許しを乞うような顔になっていくのを見ているだけの時間が過ぎていった。
その間、俺は右左の台詞を何度も思い出す。降参のルールは曲者だ、心の底から思わなければダメだ……。彼がそう言っていたことを思い出すにつれて、俺はあることに気が付いた。
俺の決闘の第一回目。あの時、家疎は最終的に気絶していた。顔を自らの炎に焼かれ続けたあいつは、しかし気絶するまで降参の意思を持ちはしなかったのだ。
……本当に?
あいつはあれでも、降参したがっていたってことはないだろうか。声は出せずとも内心ではそう思っていたはず。あいつだって痛みから逃れるために、それこそ目の前の吸血鬼のように。けれどあいつは気絶によって敗北した。それは本当に気高く、降参を頑なに拒否し続けたせいだったのか……?
……ほんの少しでも、俺に対する敵意が残っていたせいではなかったのか? 俺は一応、あいつとの「お互いに能力の詳細やその背景を話す」という約束を裏切ったことにもなっている。奴はそれを許したのか? 追求する気さえ失っていたのか? 痛みから逃れるためなら、そんな嘘なんてどうでもいいと思えたのか? ……俺のことを気に食わないとは、これっぽっちも思っていなかったのか……?
血を吐いて死ぬまで殴られ続けたらしい右左が言っていた。降参ルールは曲者なのだと。それはいったい、どの程度の重みがある言葉だったのだろう。俺は彼が、信念から死を選んだのだとばかり思っていたが、飄々とそれを語っていた彼は、本当は決闘の際それなりに死にたがっていたんじゃなかろうか。ほんの少しの反抗心がそれを許してくれなかったケースの、彼は証人だったんじゃないだろうか。
未だ聞こえて来ることはないアナウンス。やはり本人の心は本人が一番理解しているのか、何かを予感したらしいマリアは、ふるふると弱々しく首を横に振っている。
「マリア、俺はお前を痛めつけたいわけじゃないんだ。分かるだろ」
彼女は頷く。必死に。
「じゃあ降参してくれ。心の底からだ。俺への敵意を捨ててくれ。頼む」
「……やってる、やってるわよ、そんなのとっくに! なんでダメなの……? なんで……!?」
「……ここからずっと出られないんじゃ俺も困るんだ」
「そんなのあたしも同じよ。でも、そんなこと言われたって……」
彼女が本当の本当に、本気で降参したいと願っているのに、それでも自分の中のプライドを消し去りきれないのなら、……現状彼女が降参を成立させる術はないことになる。
そしてそれはあくまでも「現状」の話だ。もはや残された選択肢は、あともう一歩彼女の背中を押すことしかない。ほとんど折れかけてしまったプライドを、さらにその上から踏みつけにして蹂躙するくらいしか、彼女に降参を成立させられる方法が俺には思いつかない。まるで素人のような暴力で拷問のような所業に晒されながら、気絶や死を待つよりはそっちの方がいくらかマシだろう。
あまり焦らして長い時間怖がらせても、躊躇ったせいで余計に多くの痛みを与えても可哀想だと思った。これは本当に心の底からそう思った。
……そのはずなのに、なるほど、アナウンスはマリアの名を勝者として読み上げることもない。どうやら本当に降参のルールは曲者で、厄介極まりないらしい。心の底から敵意の類を捨て去るというのは至難の行為で、俺が魔女に対してあっさりとそれをやってのけたことの方がレアケースだったのだ。
吸血鬼マリアに催眠能力が効きさえしなければ、あの時と同じように降参してやれたかもしれないのに。……俺はどうしても、この催眠が有効な相手のことが許せないらしい。
「えっ、なに……? なにするの……!? いやっ! やだぁ!! お願いやめて……!」
俺の手が再びマリアの首へ回され、彼女に抱きつく形になると、子供の姿をした吸血鬼は半狂乱で泣き叫び始める。しかしその身動きは催眠によって封じられており、言葉以外では俺に抵抗することが出来ない。……言葉までは封じないことが俺なりの、せめてもの優しさのつもりだ。
彼女は俺の何がそんなに気に入らないのだろう。気が狂いそうに泣きわめくほど怖いのに、それでも心のどこかで俺を許せないのはなぜなんだ。……そう考えているとむしろこちらも腹が立ってきてしまう。俺の何がそんなに気に食わないっていうんだ……?
決闘の降参は確実に実在する。俺は魔女に対してそれが出来たのだ。理論上誰でも降参は出来るはずだ。過程はどうであれ、右左は結局最終的に、決闘相手の筋肉男のことを口汚く罵っていた。死を経てもなおそうするほどの敵意があったから、結果としてあいつは降参が出来なかったんだ。マリアも同じだ。何かしら俺への敵意を持っているからいけない。
俺はこんなに優しくしてやったのに。物理的な痛みを与えないようにしようと思っていたのに。ちょっとびびらせるだけで終われるようにしようと考えたのに。だって相手は子供だからだ。生意気な異能力者でも子供だからだ。俺の良心は確かに欠けてしまっているけれど、丸っきり抜け落ちてしまったわけでもないのに。
俺には人の殺し方が分からない。催眠を使ってターゲットを地下に監禁してばかりだったから。しかし心の折り方はなんとなく分かる。今まで見てきたフィクションがこれだと言っている。そして自分自身も間違いなくその選択肢の有効なことを保証している。
残虐非道な試みであろうとも、もはや実行するしかないのだ。……心を折るにはどうすればいいか、それは単純な話だ。俺は、痛いのが嫌いだから。子供はきっとなおさらだろう。
「ごめん」
そうするしかないと思ったから、吸血鬼の白く脆そうな首筋に、俺は本気で噛み付いた。
息を止めていても、むせ返りそうな血の味がした。俺の鼓膜を引き裂き、どこか遠い世界までも聞こえそうな狂乱の悲鳴が、幼い女の声で、この世の何より不快な音としてガリガリと神経を削るようにそこらじゅうの空気を震わせる。
「ぎゃああああああああああ!!!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいい!!!!!」
まるでその発狂が条件だったかのように、聞き逃してしまいそうな無慈悲で淡々とした声が、少女の悲鳴に混じって流れた。
「勝者 差位置」
……俺は飛び起きた。悪夢から目覚めた。初めて泊まる馴染みのない部屋だったけれど、近くに右左がいて、時計の表示は午前七時だ。……決闘は終わった。
窓の方に目を向けると、外には雲一つない青空が広がっている。下を見下ろせば相変わらず無人のテーマパークが一望できることだろう。
「……ああ、やっちまった」
家疎を焼いた時とはまるで気分が違う。相手が子供で、なおかつ女だったからなのか。それを自分の手で痛めつけて、おまけに悲鳴も聞こえてしまうということが、これほど自分のメンタルに響くことだとは思わなかった。正直、今までの何よりも大罪を犯した気分だ。……いや、それとも人生で一位タイの重罪だったのだろうか。
ベッドの上から動く気になれず、重たい体をその場に沈めていると、ちょうど右左が目を覚ました。彼は気持ちよさそうに伸びを一つしてから、俺の方を見て言う。
「あれ、差位置さん、もしかして決闘明けですか? その顔は…………さてはあなたも死にましたね?」
なぜか心底嬉しそうな顔をして、彼はそんなことを言うのだった。