咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか? 作:ひびのん
わたしたちは、どこかぼんやりとしたまま、受け取ったチケットで会場入りを果たした。
劇場のような赤絨毯の敷かれた廊下を進んで、大部屋に入る。
そこではすでに大勢の人が、これから始まる試合について話していたり、パンフレットを眺めていたり、みんな思い思いに過ごしていた。
巨大なスクリーンは、静かな音と共に、麻雀関係のコマーシャルを映している。どうやら観戦のためにいくつか部屋があるらしく、わたしたちに割り当てられた部屋は、相当に広くて、スクリーンも見やすかった。
「あっ、あそこなら五人並んで座れるわね」
憧ちゃんが先頭になって、みんなで座ると、なんとなく映画館みたいだと思った。
そして、しばらくして映し出されたのは、有名なアナウンサーと解説のプロ雀士だ。
『さあ、それでは選手の紹介に移っていっちゃいましょう!』
元気な掛け声とともに、決勝の舞台が映し出された。
その瞬間、わたしたちの間に流れ始めた妙な空気は消え去った。
「わぁ……」
「……すご」
目の前に映し出されているのは、阿知賀でテレビ越しに見た部屋と同じはずなのに、背筋がぞくりと震えた。
その場所にいないはずなのに、雰囲気は肌で伝わってくる。それは緊張感のような圧力だった。
映される学校は、千里山、臨海女子、白糸台――そして巫女服の学校、永水女子。
参戦する生徒二十人全員の中には、さっきのおもちのお姉さんの姿もあった。
知ってはいたものの、画面越しに見るのとでは、受ける印象が全く異なっているように思った。
全国大会決勝戦が始まった。
高くそびえ立った銀色のステージの頂上に備え付けられた自動卓に、先鋒の四人が座った。
そこから先は、まるで異世界を見ているようだった。
わたしたちも麻雀を打っている。しかし、それとは全く質が異なっている。
光り輝くステージの上で、全国の頂に立つ実力者達が、十万点という膨大な点棒を奪い合う。
牌が掴まれ、打ち出される。その向こう側には、大きく胸を動かすようなものが、確かに存在していた。
わたしたちは共通して、一つの想いを抱いた。
インハイ会場まで来たことは、無意味じゃなかった。
(こんな風にわたしも打ってみたい)
自分たちが未熟な雀士であることを自覚されられながらも、そう思わずにはいられなかった。
「くろちゃん、もう終わったよう」
「えっ? ……あっ」
ぽかんと椅子に腰掛けたまま、はっと顔を上げた。
気づいた時にはスクリーンの画面は消えていた。まわりにいた人も席を立って帰り始めている。
待たせてしまっているみたいで、あせあせと、席を立って外に出た。
「ごめんねっ、ちょっとぼうっとしちゃってて」
みんな待っていてくれた。それで緊張が解けたのか、肩を持ち上げて、はぁ~っと大きく息を吐いていた。
未だざわつく会場の廊下では、ほとんどのお客さんが熱く盛り上がっているのに、わたしたちだけが神妙な表情を浮かべていた。その中で、望さんだけが余裕有り気に笑う。
「で。みんな、わざわざ東京まで来てインハイを見たわけだけど、どうだった?」
「すごすぎでしょ……」
「何あれ、本当にあの人達と、最高でも年三つしか離れてないの?」
インターハイに行きたいと言った時、言われた時には、想像もしなかった世界があった。
頂点までの遠さを、確かにその肌で感じたのである。
「その様子じゃ、こんな遠い所まで見にきた価値はあったみたいね。わたしも、久しぶりに熱い気持ちになれたし、来てよかったよ」
「……はっ。望さんも、阿知賀の出場選手じゃん!?」
「いや今更か」
しずちゃんが、がーん、と目を丸くして、みんなが苦く笑った。
そう。阿知賀女子は過去、たった一度だけ、インターハイの出場校になったことがあるのだ。
そのときの出場チームのエースが、わたしたちの麻雀教室の先生。そして憧ちゃんのお姉さんの望さんも、インターハイを戦い抜いたメンバーの一員であった。
「ま、準決勝で負けちゃったから、あの舞台に立ったことはないんだけどね」
「準決勝まででもすごいですよっ……! おととっ、やば。邪魔になってるかも」
「みんな、いったん外に出よっか」
感想を言い合う間もなく人の波が押し寄せ、埋め尽くされる中、頑張ってはぐれないように出口に向かう。
空は独特の生温い風が吹いており、すっかり闇色に染まっていた。
夏の夜のじめっとした空気が、自分たちが東京にいるんだと体感させてくれる。
阿知賀女子のある吉野と違って、道路は昼間と変わらないくらい、街灯や明かりで、はっきりと先の道まで照らしてくれていた。会場から出る人の他にも、居酒屋から出てくる人や会社帰りの人で、すごく盛り上がっている。
さすが東京だなあと変なところで感心しつつ、みんなで感想を言い合いながら、ホテルへと向かった。
はぐれないように、歩いて数分のホテルに到着したわたしたち。
温かみのある洋風のフロントで手続きをする望さんを、ソファに座って待ったあと、部屋のキーカードが配られた。
「んじゃ、今日はこれで解散ね。明日の昼頃に新幹線に乗るから、それに間に合うように過ごすこと」
『了解ですっ!』
まだまだ話していたかったけれど、すっかり疲れていたので、みんな素直に部屋に戻って行った。
わたしが宿泊するのは、小さなホテルの二人部屋だ。
松実館と違った洋風の部屋に目を輝かせてると、さっそく、おねーちゃんがベッドの中にしっかりと潜り込んだ。
「お布団あったかい……毛布、ホテルの人に言ったら、もっともらえるかな?」
「大丈夫だと思うよ。あっ、おねーちゃんあったかいお茶飲む?」
「もらうよぅ」
お茶の袋をぱりっと開いて、ポットにお湯を用意する。
ようやく落ち着ける空間にやってきたのに、何となく気分は落ち着かなかった。
インターハイ決勝戦の光景が、頭から離れない。
二つ分の湯呑みをテーブルに置くと、布団の中のおねーちゃんが、何気なくテレビをつけた。
「あ、さっきの……決勝」
「わわっ、どこもインターハイの話をやってる……」
今日のテレビは麻雀の話題一色で、今日のインハイ決勝戦の話や、その後のインタビューがほとんどであった。
特に多いのは、永水女子、東東京の臨海女子、南大阪の千里山高校のハイライト。それが熱い解説とともに次々に切り替わっていく。
その中でも最も映し出される回数が多かったのは、赤髪の女の子が、画面の中で焚かれるフラッシュの中で、笑顔で質問に答えている光景だ。
優勝した白糸台高校のエースであるインターハイ王者として君臨した宮永照のインタビュー。
「この人……凄かったよねえ」
「うん。決勝戦、すごく熱かったよ」
この後には個人戦も控えているが、そちらを見れないことを残念に思った。
あったかいお茶を飲んで、天にも昇る心地といった感じのおねーちゃんを隣に、わたしは考えていた。
なんだか、すごくモヤモヤする。
胸の中に、小さな火が燻っているみたいだった。
「もしかして麻雀打ちたいって思ってる?」
「えっ?」
「何となく、そんな顔してるように見えるよぅ」
湯呑みを置いたおねーちゃんを、わたしはきょとんと見返した。
そして考えてみる。
その言葉は、しっくりと腹に落ちてきた……そっか、わたし麻雀が打ちたくなっているんだ。
「あはは……さっきの試合を見て、スイッチ入っちゃったのかも」
「くろちゃん、最近は特に麻雀にはまってるもんねえ。戻ったら、またみんなで、いっぱい打とうねぇ」
それは、もちろんやるけれど、今求めているものは何となく違うような気がした。
……あの戦いのように、自分も凄い麻雀が打ってみたい。
全力を注いで熱くなれるような、精一杯力を尽くせるような戦いをしてみたい。
そんな風に考え込んでいるときに、軽快な音声で部屋の内線が鳴った。
おねーちゃんが、両手で受話器を取る。
「はいもしもし……はいぃ……くろちゃん。憧ちゃんが、いまから出られないかって」
「いまから? うん、それはいいけど」
時計を見ると、もうすぐ九時になろうかという頃だった。
不思議に思いながら、さっそく、おねーちゃんと一緒にフロントのほうに向かった。
ちなみに、わたしは軽装で、おねーちゃんはもふもふの重装備である。
フロントに着くと、紺色ジャージを着たしずちゃん、昼と同じ格好の望さんと憧ちゃんが待っていた。
「お待たせ。憧ちゃん、どこか行くの?」
「うん、それなんだけど。ちょっと隣のホテルまで行く用事ができちゃって」
「わたしたちも……?」
「うん。ちょっと来て欲しいって、春っち……チケットをくれた子にお願いされたの」
何の用事だろうかと、不思議に思った。
しかし、まずは行ってみようという事になって、さっそく四人でホテルを出る。そして、わたしたちはすぐに、上を見上げることになった。
「憧……永水の人の泊まってるホテルって、まさかこれのこと?」
「……う、うん」
「ふぇぇ……」
わたしたちの宿は決してグレードが低いわけではない。
だが、正面のホテルは、大理石造りのエントランスを持つ超高級宿だ。
恐らくは三倍、いや、五倍以上の宿泊費がかかりそうな異次元の世界に、みんな目を丸くした。
(そっか、ここが、全国代表の学校が泊まるホテルなんだ)
ならば相応のグレードであることは当然だろう。しかし、これはあまりにすごい。
本当に入ってもいいのか……という雰囲気が流れ始めたわたしたちが、自動ドアを超える。そして呼び出された憧が率先して、フロントの人に声をかけた。
「お待ちしておりました。新子様、案内させていただきます」
「はあ」
まさかの、フロントの人に連れられての案内であった。
ベージュ色の高級感漂う壁紙や、たまに現れる高そうな絵や花瓶を見て、さすがは東京の高級宿だと感心してしまった。そこら中に気遣いが行き届いている、うちも負けていないけれど。
ちょっとした対抗心を燃やしながら進んでいると、しかし今度は、ぽかんと口を開いた。
その部屋は、今までと、まったく雰囲気が違っていた。
「な、なんじゃこりゃあ」
「はわー……」
部屋の床は木目で、朱色の柱。盆栽にありそうな木が備え付けられ、まるで神社のような佇まいだ。
振り返ると洋風、目の前は和風。サッシを境に、ある種の境界線がそこに存在しているみたいだ。
そして、その神聖な空間に、畳の椅子に目を閉じて腰掛け待つ巫女がいた。
「……いらっしゃったようです」
「そう」
大人の一人が耳打ちする。ゆっくりと目を開いて私たちを見据えて、微笑んだ。
「夜分遅くにお呼びしてしまいましたね。来ていただけて嬉しいです」
座って目を瞑ってじっと待っていた人は、インハイ決勝戦で団体戦大将を務めた、おもちのお姉さん。
石戸霞さんだ。春さんもすぐ横に控えている。
「あ、あ、あああ、あの、こ、これは……?」
「ふふ、そんなに緊張なさらないでください。呼びつけたのはこちらなのですから……望さんは、大人の方から、事情を説明をさせていただけないでしょうか」
「はい。そ、それは、もちろんです……!」
代表として前に出た望さんは、ひどく緊張しているみたいだった。
そういえば、さっきちらっと憧ちゃんが言っていたっけ。
神社の中でも上下関係があって、霧島は最も格が高い家柄を持っているんだとか。
格の高そうな雰囲気を持った大人の巫女さんに連れられて、後ろの別な部屋に入っていく。
「皆さんもどうぞ座って、楽にしてください」
「あ、あのっ……!」
しかし、そんな緊張感漂う新子家とは真逆に、しずちゃんだけがテンション爆上がりであった。
ずいっと前に出て、目をぴかぴかと星のように輝かせながら、瞬間移動のごとく石戸さん迫った。
「今日の試合すごかったです! わたし、すっごく感動しました!」
「あら、嬉しいわ。ありがとう」
前に出ている感情は、完全に憧れの眼差しである。石戸さんも満更ではなさそうだ。
「神代小蒔さんもすごかったですけど、石戸さんの打ち方も目から鱗で……!」
「ふふふっ」
「えっと、えっと、それで……あの。どうして憧だけじゃなくてわたしたちを呼んだんですか?」
しずちゃんは途中で冷静になって、結果的に、わたしたちの言いたかったことを全部言ってくれた。
石戸さんは表情一つ変えずに、穏やかに微笑んで、その問いに答えた。