咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか? 作:ひびのん
トランクに積んだ荷物がゴトンゴトンと揺れ動く。
ちょっと椅子から腰が浮くほどの、荒っぽい道だ。見るとコンクリートの道は砂利道に変わっており、数十センチ先が草木の生い茂る深い森の中であった。
かろうじて車が通れる程度の、厳しい山道を五分ほど走って、停車した。
あたりに人の気配はない。降りてみると、虫の鳴き声が響き、空に鳥が飛び去っていった。
登山者でさえ寄り付かなさそうな場所で、もちろん建物なんて見えない。本当にここで合っているのだろうかと、わたしたちは顔を見合わせた。
「車で行けるのはここまでね。移動するから、荷物を持ってついてきてもらえるかしら」
「えっ……もしかして、ここを歩くんですか?」
「他のルートもあるんだけれど、今回はここしか使えなかったの。ごめんなさいね」
何かの間違いじゃないかと、憧ちゃんが春さんに視線で助けを求める。だけど、袋に入った最後の黒糖を口に運びながら頷いたのを見て、天を仰いだ。
その一方、しずちゃんはむしろ目を輝かせて、大手を上げてぴょんっと飛び跳ねた。
「うひょー! 山だー!!」
「山登りかぁ……うーん、久しぶりだよっ。でも……荷物、どうしよう」
「あっ……」
しずちゃんほど動けないとは思うけれど、そのくらいの登山なら何とかなりそうだ。
でも、問題はこの大荷物だ。わたしたちは車のトランクに詰まった、大量のカバンやキャリーバッグを見てうなった。
しかし、そこで初美さんが不敵に笑う。
「ふっふっふ……それならわたしに、おまかせあれ、なのですよー」
「どうするんですか?」
リュックを背負った憧ちゃんが首を傾げた。最も小柄な体の初美さんでは、一つ持つのがやっとだろう。
両手を上に持ち上げて、それから、思いっきり振り下ろした。
「こうしますー! えいっ!」
ボウゥゥッ、と、わたしたちの荷物全部が蒼色の炎に包まれて、一瞬何が起きたのかわからなかった。
後部座席がまるっと炎上して、みんな、いっせいに慌てた。
「え、ちょっ!? あたしたちの荷物がっ!?」
「うあ、わたしのお茶がっ!?」
「あっ……ごめんなさい。この山道だと大変だと思って、先に神境のほうに転送してもらったの」
「ご心配なく。いつでも戻せますよー!」
後部座席は、すっかり空っぽになった。
その横で手をもう一度振り落とすと、小さな炎が、しずちゃんの前に現れた。
「わわっ! ……っと、これ、わたしの鞄!」
「ふぅ。随分と重かったのですよー……」
「ありがとうございますっ! ……ふぅ。じゃあ水分補給も終わったので、さっそく行きましょうっ!」
「あ、ちょっとシズ! 道分かってるの!?」
意気込んだしずちゃんは、そのままリュックを背負って、山道を自由自在にひょいひょいと動き回って見せた。
その元気すぎる姿に、今度は巴さんのほうが目を疑った。
「凄いわね。穏乃さん、山に慣れているのかしら」
「あいつは小学生の頃から、暇さえあれば、いつも山を駆け回ってるんですよ。あ、戻ってきた」
「体力なら誰にも負けませんよ!」
「そういうレベル……?」
そうして、永水の巫女さんに先導されて、わたしたちは山道を登り始めた。
山道は歩きづらくて、少しづつ疲れはじめていた。そんな中で、有り余った元気を十全に発揮したしずちゃんだけが、先頭を譲らない。
「あの体力今だけ分けてくれないかしら……」
と、憧ちゃんがぼやく。
わたしも、おねーちゃんも、汗を流しながら山を登った。草むらや土で足場がしっかりしていないため、どうしても変な部分に力が入ってしまう。
三人の巫女さんは、普段から修行を積んでいるためか、全く顔色を変えていない。
しかし、しずちゃんほど元気が有り余っているわけでもない。
「ほんとに凄いのです。わたしも昔はバテバテになったのに、ですよー……」
「はっちゃん。最初は、いの一番に動けなくなってたわよねぇ」
「その荷物で、それだけ動けるのは凄い……」
「鍛えてますからっ!」
いつの間にか、小高い岩の上に登ったしずちゃんは、ぐっと拳を握った。
初美さんが、うむむ、とうなった。
「しずっちからは、今回わたしたちが視るものとは別の霊的な雰囲気も感じるのです。何か、修行のようなことでもしてたのですかー?」
「いやいや、わたしの親はただのお土産屋ですよぅ」
しずちゃんは山が大好きだから、いつも走り回って鍛えられていることを、わたしたちは知っている。
ひょいひょいと進んでいく後ろ姿は、まるで森に住み慣れている動物のようだ。
「巫女さんってどんな修行をするんですか?」
「一般的にイメージされるようなものは、一通りやった気がするわね……山を登る山伏っていう修行や、水業滝行とか。あとは姫様と麻雀を打つのも修行ね。あれは、むしろ楽しいのだけれど」
「分かります! 仲間と一緒に麻雀を打つの、すごく楽しいですよね!」
「ええ、だからインターハイで打てたときは楽しかったわ。来年は、みんなで出たいわね」
「はいー! 次はわたしの出番なのですよー! 全国大会の優勝はいただきますー!」
「いえ、そうはいきませんよ! 来年はわたしたちが優勝するので!」
振り返ったしずちゃんが、不敵にぐっと拳を握った。
それを聞いた三人の巫女さんは驚いたようだったが、むしろ、挑戦者の登場を喜んでいるようだった。
「なるほど。なら来年はお互い、ライバルになるかもしれないわね」
「はいっ! 負けませんよっ!」
「……とはいえ、見ての通り。まだチームメンバーは四人なんですけどね」
まだまだ先は長い。本当にインターハイに出るとしても、課題は山積みである。
しかし、絶対にインターハイに行きたいという想いだけは負けない。だから、全国に出場したチームに意識してもらえたことが、少しだけ嬉しかった。
「中学生から目標を決めて動いているだけでも、とても凄いと思うわ。わざわざ東京までインハイを見にきたのには、何かモチベーションがあったのかしら?」
「わたしは、麻雀でもっといろんな人と戦いたいんです。強い人が集まるのは、インハイじゃないですか!」
「なるほど、確かにその通りね」
巴さんが、うんうんと頷いた。
「それと、わたしたちの仲間が、先に全国制覇を果たしちゃいまして」
「全国制覇ですかー?」
「はい。だから、わたしも、頂点を目指してみたいんです。和みたいにっ……!」
首を傾げた薄墨さんに、春さんが補足するべく囁いた。
「多分、聞いていた原村和さんのこと……」
「……おお。インターミドル個人戦の人、ですねー!」
「はい。昔、和はわたしたちと一緒に阿知賀にいたんです」
「それも霞さんから聞いているわ。話に聞いた、例の日に、一緒に打っていたのよね」
巫女さん二人の雰囲気が少しだけ変わって、初美さんだけが目を丸くした。
「それは大変なのですよー!? その方は今、どこにいるのですかー?」
「すみません。和とも連絡をとろうと思ったんですけど……その。よく考えたら、誰も連絡先を知らなくって……」
わたしたちは、和ちゃんの連絡先が、分からなくなってしまっていたのだ。
携帯の機種変更で引き継ぎを忘れていたり、データが見つからなかったりと、理由はさまざまである。
「ふむむ。なかなか難しい状況のようですよー……」
「大丈夫よはっちゃん。そっちはそっちで、色々考えているから」
もしあの日のことが影響しているのなら、和ちゃんにも影響があったかもしれない。
一応、以前に手紙を書いてくれていたので、向こうの住所は分かっている。
いまは、今回の諸々の事情を書いた手紙を送っていて、その返事を待っている状態だ。そのうち連絡をくれるだろう。
「ニュースでは元気そうだったけど……和ちゃん、大丈夫かな?」
「和にもシズや玄みたいに、神様がついてたらどうする?」
「『そんなオカルトありえません』とか言って、ぜったい認めないと思うけどねー」
しずちゃんの声真似が思ったより上手で、憧ちゃんが吹き出した。
「あはは、確かにそう言いそうだねぇ。でも、和ちゃんの牌譜。麻雀教室のときと、打ち方が変わってたよねえ」
「うー、こんなことなら、わたしもインターミドル出ておけばなー……」
「そんなことより、まずは、目の前のことをなんとかしないとでしょうが……ところで、なんか霧が出てきてない?」
「あっ、ほんとだね」
足元を見ると、煙のようにな白い靄が絡み始めていた。
少しづつ視界は白くなっており、空も、いつの間にか灰色に曇っている。言われて初めて、肌寒くなってきたのを感じて、おねーちゃんが震えはじめた。
「く、くろちゃん。なんだか寒くなってきてない……?」
「うん。天気も悪くなっているみたい……」
さっきまで雲ひとつない、太陽を遮るものはなにもない清々しい快晴だった。天気の変わりが早すぎる。
一歩を踏み出したとき、背筋が凍えた。
わたしたちの歩く木々の隙間から、滲み出てくるみたいに霧が這い出している。まるで生き物のように、”それ”はわたしたちを包み込んできた。
「ちょ、ちょっと……何よこれ」
「これは……」
徐々に濃くなってくのは、得体の知れない雰囲気だ。
このまま歩くのは危ない。そう、確信を持って思えるほどに、視界が悪くなっていた。
しかしそんな状況とは裏腹に、巫女の三人は平然と進んで行く。およそ数メートル先さえ見えなくなっているにも関わらず、顔色一つ変えていない。振り返って教えてくれる。
「心配しないで、大丈夫。もうすぐそこだから」
「ここは、この世と神境を繋ぐ境目だから、仕方ない……ちょっとだけがんばって」
「この世、って。えっ……?」
前を歩く三人の巫女さんの背中を見失わないように、必死に追いかける。
そして、少し前に進んだところで、霧が晴れて立ち止まった。
ありえない光景が、広がっていた。
「あ……」
地図では、ここは普通の山だったはずだ。
てっきり山の中の小さな神社か、御堂のような場所を想像していた。だって、こんな場所があるなら、車の中で見ていた地図に書いてあるはずだ。
まるで夢を見ているような気分、一人で頬っぺたを引っ張った……痛い。
「ここが、霧島神境……?」
立ち止まったみんな、現実離れした光景に目を疑っていた。
永水の巫女さんは、ここがとても特別な場所と言った。
事前にそれを聞いていなくても、一目で、特別な場所だと分かった。
「ここが、わたしたちの守っている場所。神様の住まわれている世界と、この世界との境目です」
物語の一ページに差し込まれる挿絵のようだ。
窪地のように大きくへこんで、四方を苔むした灰色の岩壁に囲まれている。
その大地に作られた、朱色の神殿で神を祀る聖域。
まるで外界からの干渉を阻むように、切り立った崖は、剣のように天に手を伸ばすように続いている。
ところどころに朱色の殿や注連縄で区切られた特別な土地が点在していた。
目の前の、降りていく石畳の階段には、数百本の黒みがかった鳥居が地面の果てまで続いている。
それを現実に目にしたわたしは、何の言葉も出てこなかった。