咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか? 作:ひびのん
女仙の住まう隠された土地、霧島神境。
いつの間に、その場所に踏み入ったのか、わたしには全くわからなかった。
「……これ夢じゃないよね」
「すごい……」
こんな秘境がこの世に存在したのかと、声を出すことさえ忘れるほど、わたしたちはその景色に魅入られた。
そうしていると、階段の下から登ってくる人影があることに気がついた。
コツコツと、石段を音を立てて近づいてくる。
霧のせいで最初は見えなかったシルエットが、徐々に鮮明になってくる。
人類最高峰のおもちを認識した瞬間、それが誰であるかに気がついた。
「あら……もしかして、遅れてしまったかしら」
「あなたは、石戸さん……っ!?」
丁寧な所作でやってきたのは、この場所にきて欲しいと提案した、石戸さんだった。
わたしたちは、慌てて頭を下げた。
「どど、どうも。この度はお招きいただきまして、その」
「呼び出してしまったのはこちらの方なのだから、そんなに畏まらないで。巴ちゃん、はっちゃん、春ちゃん。三人ともお疲れさま。何事もなかった?」
「はい……」
「無事に来られました」
「問題は何もないのですよー!」
三人の巫女さんも、石戸さんが訪れたことを喜んでいるみたいだった。特に初美さんは嬉しそうに両腕を持ち上げて、巫女服の袖を垂れさせた。
石戸さんのおっとりとした雰囲気が、この土地の不思議な空気とあいまって、どこか神秘的なものに思えた。
……それにしても、やっぱりすごい。これは世界級、もう全国優勝だよ。
「おもち……おもちぃ……」
「くろちゃん……? どうしたの?」
「……はっ!! ううん。何でもないよ、おねーちゃんっ」
あ……危ない。こんな場所で、そんなことを考えていたら、罰があたっちゃうかもしれないよね。
無心、無心だよ。考えちゃダメだ。
わたしが目を瞑ってうなっているうちに、どんどん話は進んでいった。
「このあとは予定通りでいいと思うのですよー。すぐにお仕事にかかりますかー?」
「いえ。皆さんも長旅でお疲れでしょうから、まずは宿に行きましょう」
「確かに。今日はノンストップでここまで来たから、疲れ……おや?」
しずちゃんが目を瞬かせて、確かめるように腕を回した。
「んんっ。あ、あれ。なんか……」
「ほくほく……あったかい」
「……ん? んー、疲れが取れてるような。あれれ……?」
長旅で疲れているはずだ。でも、さっきまで汗を流しながら、ここまでの道のりを歩いてきたはずなのに、体は全く疲れていない。それどころか、不思議な力が体の内側から満ち溢れてくる。手のひらを見て、握って、それを実感した。
「皆さん相性がいいみたいですね。この土地の霊力には、体力を回復させる効果もあるんですよ」
「おお……ここまで来るの大変だったはずなのに、普段より調子いいっ」
「和じゃないけど、こんなオカルトが本当にあり得るのね……」
憧ちゃんがしみじみと呟いて、遠い目をした。
「さっそく行きましょうか。ここを降りていくので、もう少しだけ頑張ってください」
「了解ですっ!」
「そうそう、移動中はわたしたちから離れないでくださいね。この霧島神境には、立ち入ってはいけない場所も多いですから」
巴さんが人差し指を立てて注意する。もちろん、言われなくても離れるつもりはない。ただでさえ広くて迷子になってしまいそうなのだから。
「急なので、足元に気をつけてください」
「おお、すごい鳥居の数だよ……」
「ここ、テレビ局入ったら凄い反響呼びそうね。京都のアレより多いんじゃないかしら」
「残念ですが、ここでは写真を撮っても何も映らないんですよ」
「神様のお家は撮影禁止なのですよー」
不思議な世界の案内である余人の巫女さんと一緒に、階段を降りながらあたりを観察した。
切り立った崖の建造物だけでなく、遠くの霧の向こうには恐ろしいほどに静かな海が見えている。空は紫色の雲が渦を巻いていて、見えるもの全てが現実離れした”異なる世界”という風であった。
巫女さんと一緒だからこそ、この土地を覆い隠すような霧を抜けて、たどり着くことができたのだろう。
この神様の世界に、わたしたち以外の生き物の気配はない。得体の知れない気配が、そこらを漂っているのを感じて、わたしは落ち着かず、両手を胸元に押し当てながら、あたりを見回した。
「ねえ、しずちゃんは何か感じる……しずちゃん?」
横を向くと、しずちゃんは隣にいなかった。
階段の途中で立ち止まっていて、遠くのほうを見つめていた。そこにあるのは石灯籠で飾られている、朱色に塗られた木造の階段だ。
「あそこに、何かあるの?」
「……前に、ここを見たことがあるような気がするんです」
「えっ?」
「あ、いえ。そんなはずないんですけどね。はは……あ、遅れちゃう。行きましょう!」
しずちゃんは笑って誤魔化して、身軽に、階段を駆け下りていった。
「どうしたんだろう……?」
何だか様子が変だったような気がした。でも、駆け下って普通に憧ちゃんと話している姿は、いつも通りだ。
首を傾げながら、わたしも、遅れないように先に行ってしまったみんなを追っていく。
石畳と砂利で整備された場所まで降りてきて、わたしとおねーちゃんは、石のベンチに座って一息ついた。
「はぁー、けっこう下ってきましたね」
「わわっ……くろちゃん、上の方、全然見えないよぅ」
「おお、本当だ……霧で真っ白だよ」
たった今下ってきたばかりの階段が見えないくらい、上の方は非常に霧が濃い。
足を休めていると、春さんが振り返って教えてくれる。
「あそこが、目的の場所」
指し示したのは、舞殿のような朱色の建物だった。
しめ縄で封じられた岩や、切り立った山々を覆う深い霧の中で、ひっそりと建っている。
「泊まるための場所は別だけど……少し覗いていく?」
「あたしは構わないわよ、っていうか全然元気だし。玄と宥姉は?」
「大丈夫……調子がいいから、いけるよぅ」
「わたしも大丈夫だよ」
休憩を置いた後、みんな立ち上がって、舞殿のほうに移動した。
案内されるがままに靴を脱いで舞台に登ると、広々とした木造の床が広がっている。
しかし、そこにひっそりと置いてあるものを見て、目を丸くした。
この神秘的な雰囲気に不似合いな、見慣れた緑のテーブルが備えられていたのである。
「麻雀卓……?」
霧の中から現れたのは、座布団と麻雀の自動卓であった。
真っ先に見つけたおねーちゃんとわたしの、あんぐりと口を開いた様子に、石戸さんがくすりと笑って答える。
「これってもしかして……」
「ええ。皆さんには、ここで打っていただこうと思っています」
「あの……打つって、え。それって!」
「はい。もちろんわたしたちが相手をいたします」
みんな唖然とした。しずちゃんが石戸さんを見て、卓を見た。その往復を何度も繰り返す。
「それは、わたしたち、すごく嬉しいんですけれど……どうして麻雀なんですか?」
「説明の前に例のものを受け取っても構いませんか?」
「あ。えっと、わたしが持ってます!」
しずちゃんが、自分のリュックを置いて中から取り出した。
それだけでかなりの重さがある、厳重に風呂敷に包まれた木箱だ。封を解くと、焦げ茶色に変色した木箱が姿を表し、初めて見る憧ちゃんとおねーちゃんが、息を呑んだ。
二人にも、永水の人にも、一年前のあの日の出来事は話してある。
今回の原因となっているかもしれない麻雀牌が、霧島神境に持ち込まれていた。
石戸さんが受け取り、手元に手繰り寄せる。初美さんも物珍しそうな顔を浮かべながら注視している。
「おぉー、これが例のものですかー」
「調べさせていただきますね。万一、危険なものであれば、神境でお預かりすることになるかもしれませんが……」
「はい。学校の備品ですけれど、事情を話して、許可は頂いてきました……よろしくお願いします」
わたしたちは、みんなで頭を下げた。
すると初美さんが箱の上で両手をかざした。難しい表情を浮かべながら、腕以上に伸びた純白の袖を伸ばす。
紫色の炎が吹き出した。
ボゥ、と箱が燃えて、それが消えたときには、チリどころか、何一つ残っていなかった。どこか別の場所に送ったのだろう。
三度目なので心の準備もできていて、誰も驚かなかった。
「憧ちゃんも、修行したら同じことできたりするのかな?」
「いやいや」
「いつでもマフラー送ってもらえるねぇ」
「うぅ、玄と宥姉まで巫女のハードルを上げてくるよぉ……」
「まーまー。案外できるようになるかもしんないじゃん」
憧ちゃんがさらに深く頭を抱えて、珍しくしずちゃんが慰めた。
「すでにお察しの通りだとは思いますが、今回は麻雀が大きく関係していると考えています。対局の際に、その能力が引き出されると推測したので、しばらく麻雀を禁止とさせていただいていました」
それは、あの麻雀牌を持ってきてほしいと言われた段階で、何となくわかっていた。
「お二人に宿った”神”を観るためには、麻雀を行うのが最も適切だと判断しました」
「それで、麻雀……」
「ええ。幸いにも、わたしたちは麻雀に関して習熟しています」
「つまり、お互いに全力で打って、打ちまくるのですよー!」
それを聞いた瞬間に、わたしたちの顔色が変わった。
インターハイの学校の人に会いにいくと言っても、目的はお祓いだ。運が良ければ、と考えないことはなかったが、対局できない可能性も高いと考えていた。
しかし、蓋を開けてみれば、本来の目的であった"それ"が麻雀を行うことだという。
この時点で、全ての疲れが吹き飛び、しずちゃんがみんなの気持ちを代弁した。
「じゃあ、今からでも打っていただけるんですかっ!?」
「え、ええ。わたしたちは構いませんが……」
「長旅でお疲れではないのですかー?」
しずちゃんが振り向いてくる。
わたしも、おねーちゃんも、憧ちゃんも、みんな同じ表情を浮かべていた。
麻雀がしたくてまらない。こんな素晴らしい状況になったのだ、乗り気にならないはずがない。
「霞さん、どうしますか?」
「……そうね。こちらとしては、滞在できる時間に限りがある以上、早めに目星をつけておきたいわ」
「まだ夜ご飯の時間までは遠い……」
「ふふ、わたしは、全然オッケーなのですよー!」
「なら、予定を前倒してしまいましょうか。巴ちゃん、春ちゃん、用意をお願いできるかしら」
石戸さんに言われて、二人は頭を下げて、奥へと下がっていった。そして、思いついたようにぱんっと手を叩く。
「用意を整えている間に、説明をしてしまいましょう!」
「はるると巴ちゃんは、お祓い専門なので今回は打ちませんー。わたしと、霞ちゃんがお相手しますー!」
「ってことは、残りの席は二つ……」
卓は一つ、そこに座れるのは四人だ。
わたしはしずちゃんと顔を見合わせるが、石戸さんが笑顔で首を傾けた。
「玄さんと穏乃さんのどちらか一人と、もう一人を決めなければいけないの。二人いっぺんには見られないから……」
「おっと、それはそうですね。どうしましょう」
「……しずちゃん。わたしに、先にやらせてもらえないかな」
そう言うと、みんな少し驚いたような顔をした。
「玄、珍しくすごいやる気ね。なら、あたしより先に宥姉のほうがいいわね」
「了解です。頑張ってください、玄さんっ!」
しずちゃんと憧ちゃんが応援してくれて、少しだけ心強い気持ちになれた。
わたしは、よく見るようになった”夢”のことを考えていた。この対局で、あの切ない気持ちの正体が掴めるかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなかった。少しでも早く知りたかったのだ。
「くろちゃん……」
「大丈夫だよ、おねーちゃん。お願いねっ!」
そして決まれば、もう不安はない。
おねーちゃんと一緒に、卓にわたしたちを招く大小の巫女二人と対峙する。
「ふむ。では、始めましょうかー……!」
「松実玄さん、宥さん。よろしくお願いしますね……ふふっ」
目の前の卓につくための体力は十分だ。
わたしの胸が、ひときわ大きく脈を打ったのを感じて、服の上からそっと手で押さえた。
ずっと胸につまっているものの正体が、少しでも見えることを、わたしは強く願った。