咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか? 作:ひびのん
阿知賀の麻雀部を復活させると決めてから、ずっと外の人と打ちたいと思っていた。
全国の舞台で勝ち抜くためには、仲間内だけで打っていていいはずがない。強くなるためには、いっぱい色々な人と戦わなければいけない。昔の麻雀教室の先生も言っていたことだ。
『憧は知り合いで麻雀打てる人とかいないの?』
『阿田中にならいるけど……別なところに行く手前、頼みづらいかも』
『玄さんや宥さんは?』
『うーん、わたしは難しいかなぁ……おねーちゃんは?』
おねーちゃんもあてはないのか、首を横に振った。
しかし、麻雀が強い人はほとんど晩成高校に行ってしまうので、どうしても経験者は少なくなってしまう。かといって阿知賀は中高一貫校。外部の人に知り合いがいるのは、阿田峯中学の憧ちゃんくらいだ。
いまのわたしたちに欠けているのは、指導してくれる人と、最後の一人になるチームメンバー。そして経験だ。
最後の一つのピースは、しばらく埋まることはないだろうと、そう思っていた。
(いきなり、インターハイ全国の強豪校と打てるなんて思ってなかったよ……!)
目の前に立ちはだかっているのは、遥か遠くにあるべき、目指すべき頂の一角。インターハイ団体戦決勝戦で大将を務めた石戸霞さんが同じ卓についている。
それだけじゃない。もう一人の薄墨初美さんも、卓についてから、得体の知れない紅色の気配を放ち続けて、確実に只者でないことを伝えてくる。
二人からは、麻雀が強い人の気配が漂っており、相当の実力者であることを疑う余地はない。
「これで説明は以上だけれど、ルールで何か質問はあるかしら」
「えっと、基本的にインハイとルールは同じ。加えて、途中で誰かが中断を申し出るか、わたしか石戸さんが飛ぶまでずっと卓を続ける……っていう理解で合っていますか?」
「はい。なのでわたしとゆゆゆーは飛びなしで続行ですよー」
「ゆゆゆ……?」
おねーちゃんはぽかんとして、それから、自分を指差した。初美さんはうんうんと頷いた。
松実宥だから、ゆゆゆー……っていうことかな?
後で見ていた憧ちゃんが手をあげた。
「つまり玄は、石戸さんを倒さなきゃいけないってことですね」
「はい。それと、宥さんと、はっちゃんは条件から外れますが、お互いのパートナーと歩調を合わせて打ってください」
「ゆゆゆ……」
おねーちゃんは、ぼんやりともう一度、自分についたあだ名をつぶやいていた。
要するに、わたしは石戸さんを相手に真っ向から25000点を削りとらなければいけないらしい。
(これは、なかなか厳しい戦いになりそうだよ)
石戸さんの打ち方は知っている。
この打ち手を相手に、点数を削り取らなければいけないという条件は、かなり厳しいはずだ。
「この条件にする理由は、できる限り長く"見る"ため、そして、できる限り危険を回避するためです」
「用意は、これでもかというほど万全に整えました。はるる、巴ちゃん!」
「はい。これで、バッチリ準備は整いました」
戻ってきた二人は、しずちゃんや憧ちゃんの側に戻ってきて、待機していた。
舞殿の外から人の気配を感じた。きっと、今から始めることを報告しに行っていたのだろう。
「最後に一つだけ。この勝負は、どちらが勝っても、何かを得るわけではありません」
石戸さんの穏やかな表情は、毅然とした巫女の顔に変わっていた。
「……ですが、私もはっちゃんも、全身全霊でお相手をいたします」
「霞ちゃんと一緒に、本気で潰しにかかりますので、全力で抵抗してくださいねー……!!」
ドキドキして、楽しくて、腕が僅かに震えた。
手のひらがじわり暑くなるのを感じる。開いた目には炎が宿り、胸に熱い想いが燃え盛った。
背筋を悪寒が駆け抜けるのを感じながら、わたしは笑っていた。
石戸さんと薄墨さんは、一切手心を加える気がない。
「はわわ……」
おねーちゃんも今の圧力を感じたのか、さっきよりも顔色が悪くなった。
でも、これは唯一無二の機会だ。今の自分がどこまでインターハイに通用するのか確かめる絶好のチャンス。
「がんばってください玄さんっ!」
「宥姉、ファイト……!」
背後からの応援に応えなければいけない。わたしは、親決めの賽から視線を外して、最強の相手に向かい合った。
「お願いします……」
「お願いしますっ!」
「お願いするのですよー!」
「ふふ。お願いしますね」
わたしも本気で、攻めていこう。今から頂点を超えるんだ。
東一局0本場 親玄 ドラ{二}
玄手牌
{二}{二}{二}{三}{七}{二筒}{三筒}{四筒}{二索}{四索}{九索}{西}{西} ツモ{三索}
賽が周り、配牌が開く。最初のツモが手の中に舞い込んだ。
牌はわたしの想いに答えてくれていた。
手の中には種火が舞い込んでいる。ドラには炎が灯っているのが分かる。この手を完成させれば、場全体を燃やす炎になって、勝利に導く最初の一手になるだろう。
……しかし、真っ直ぐにこの手を進めればいいというものでもない。
(すぐに攻める、というのも間違いじゃないと思うけれど……)
速攻で決めるほうがいいと思いながらも、相手の出方をゆっくりと見ていたい気持ちもある。
なぜなら、麻雀は相手を知ることが何よりも肝心だ。
(初美さんはわからないけど……石戸さんは、防御の打ち筋だよね)
二人とも麻雀が強いということは分かっているものの、明確な情報があるのは石戸さんだけだ。
石戸さんの打ち方の最大の特徴は、守りの硬さだ。
絶対に振り込まず回避してくるうえに、和了できるところで堅実に手を進める。流すタイミングも上手い。常に危険を察知して動いており、『防御は最大の攻撃』を体現する打ち手である。
そういう意味では、石戸さんから点を奪うのは、普通なら、なかなか厄介だろう。
わたしは石戸さんの手牌……の向こうの、世界級のおもちをじいっと見つめ続けた。
「ふふっ。わたしの手牌を見つめて、どうしたのかしら、玄さん」
「ふぉっ、な、なんでもないのです!」
びっくりして、慌てて{九索}を切り出し、場が進んだのを確認して息をついた。
いけない。やっぱりあのおもちは、わたしを狂わせる魔力があるよ。
そんな全国最大の防御力を誇る石戸さんだけれど、勝機はある。
25000点の全てを、ツモで削り切ればいいのだ。
ドラの火力を生かして、親の倍満3回を和了できれば、おおむね削り切れる。
(問題は、初美さんだよ……どんな打ち手なんだろう)
薄墨さんに関しては、プレッシャー以上の情報がほとんどない。
対局が始まった今、その圧力をほぼ感じなくなっている。今はまだ場の様子を見ているのだろうか。しかし間違いなく、どこかで強い打ち方をしてくるはずだ。
でも、今攻めるべきは石戸さん一人だ。もしも勝つことができれば、わたしの力が、インターハイにも通用することになる。
(……考えていてもわからないよね。相手のことを考えながら、まずは真っ直ぐ打とう!)
カツン、と新しい牌ツモってきた指先に、熱い感覚が宿った。
肌が焼けるような、どこか優しい熱さだ。
わたしは微笑む。
感謝の気持ちを、そっと表面を撫でることで牌に送り、宙で表返した。
「ツモっ、6000オール!」
指先に触れた熱いドラの感触を、自分の場に放して、牌を倒した。
玄手牌
{二}{二}{二}{三}{四}{二筒}{三筒}{四筒}{二索}{三索}{四索}{西}{西} ツモ{西}
「あらあら……」
「い、いきなり高すぎですよー……」
初美さんは驚いたように開いた手牌を見つめて、石戸さんは困ったように微笑みながら手を頬に当てていた。
しかし、石戸さんにはまだ余裕がありそうだ。
わたしは再びせり上がった山と、進み始めた新しい場を見る。
どうやら、向こうはまだ「見」に回っている様子だ。それなら、一気に攻めて削り取るのが得策だよ。
(あと19000点、ツモだけで削りきるっ!)
もしも心の声が筒抜けになっていたとするなら、多くの人は夢物語だと笑うだろう。
四人麻雀で、満貫以上を連続で和了する確率はそれほど高くない。跳満、倍満ならなおさらだ。
でも、わたしたちの麻雀はそうではない。
麻雀を打っていると、わたしたちの意思や想いが、牌に伝わっていることが分かる瞬間がある。
わたしにとっては、集まってきてくれたドラに触れている瞬間が、それだ。
そして、自らの手を和了に導くための道筋も、常に見つけるようにしている。
例えば、自分の手、卓上の河、表になった山の一部。
対戦相手の動きのリズム。牌を打ち出す瞬間の雰囲気。
わたしは『教わった通り』、情報は見逃さない。いわゆる「流れ」は、そういった要素から形作られるものだ。
自分に流れがある――確信してしまったせいで、自分の思考の中に生まれた、かすかな違和感を、見逃した。
東一局1本場 親玄 ドラ{一索}
一本場になっても、流れが来ている以上、衰えることはない。
全く無駄なく、順調に手を伸ばす。
熱い感触がわたしの手牌に取り込まれる。一牌一牌が、まるで劫火のように熱く、手牌の熱量は上がっていく。
玄手牌
{四}{赤五}{六}{四筒}{赤五筒}{六筒}{一索}{一索}{四索}{赤五索}{六索}{七索}{八索} ツモ{一索}
{四}{赤五}{六}{四筒}{赤五筒}{六筒}{一索}{一索}{一索}{四索}{赤五索}{六索}{七索} 打{八索}
おねーちゃんは、わたしの手のドラの熱を何となく感じ取ることができるみたいで、それを察しながら、できるだけ場を乱さないように降りていた。
石戸さんは表情が読めないものの、初美さんは眉を顰めながらむむむっ、と唸りつつ牌を切る。
どちらも最初のときに感じたプレッシャーの正体を表しておらず、動きがない。
次の牌をツモる時に、その背中を、中指と人差し指で触れる。
盲牌するまでもなくわかってしまう。ドラの感触に思わず微笑んだ。
「ツモっ! 三色ドラ6の一本場、8100オールです!」
「またハネですかー!?」
薄墨さんは立ち上がって悲鳴をあげて、石戸さんは合点がいったように頷いた。
「なるほど。玄さんはドラ……即ち、龍に好かれているのですね」
「分かるんですか?」
「それを意識して打たれているようでしたから、何となくですけれど」
確かに二局連続でドラを和了したとはいえ、少し驚いた。
高打点ではあったものの、これほど早くドラを集める力を見抜かれたのは、初めての経験だ。
「ドラの語源は龍。玄さんは龍を信頼して、そして麻雀の龍神に愛されているのですね」
「どことなく、温かい感じがしましたよー。素敵な感じですねー!」
そう言われると照れくさかった。でも、すごく嬉しい気持ちにもなった。
玄はドラに好かれるんだね、とかつて麻雀教室の先生は言った。
おねーちゃん、みんなもそう言ってくれる。
おかーさんが生きていた、まだずっとちっちゃい頃の話だ。
わたしは、おねーちゃんと一緒に麻雀を教わった。おかーさんと麻雀を一緒に打つのが大好きだった。
あの、小さなこたつテーブルの上に雀マットを敷いて、ルールも知らずに牌をえいっと切ったり、最初の頃は形にもなっていないのに倒したりしたこともあった。あの頃はおかーさんに、よくドラを大切にしなさいって言われていた。
『えっ。なんでドラなのです? ……うーん、よくわかんない』
その時、どんな対局をしていたのか、今となってはよく覚えていない。
でもその言葉だけはわたしの中にずっとあって、ドラを大事にとっておくようになった。おかーさんが死んじゃって、それからも大切にし続けていた。それから、いつの間にか、ドラが来てくれるようになった。
だからドラに触れていると、天国のおかーさんと、気持ちがつながっているようにも思えた。
「あ、あのぅ……神様っていうのは、もしかして……?」
「いえ。それは、わたしたちが感じているものとそれとは、また別のもののようです」
「うむむ。別の神様からも好かれているとは、複雑ですー。霞ちゃん、もっと強めにする必要がありますねー?」
「ええ、ここからが難しいところね。わたしたちも気を引き締めていきましょう」
頷き合った二人の巫女さんだったが、それでは終わらない。
上家の初美さんが、俯きながら笑みを浮かべる。
「……霞ちゃん、そろそろ本気を出しても構わないですかー?」
「ええ。存分にね、はっちゃん」
緩みかけていたわたしの感情が、その刹那において現実に引き戻された。
その言葉を聞いた瞬間、驚きで目を見開く。
(これって……!!)
閉ざしていた門を少しづつ開いたような、幻影が見えた。
わたしたちのすぐそばで、冷たい暴風が吹き荒れる。
ただ冷たいだけじゃない、黄泉の国から吹いてきたようなおぞましい冷風が、わたしの髪を実際に背後に靡かせる。
「さあ、ここからが本番ですよー……!」