咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか?   作:ひびのん

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第19局

 初美さんの背後に、異世界へと続く扉が開いているのが見えた。

 奥に続いている昏い闇の底で、無数の紅白色の発光体が、水槽で泳ぐ金魚のように所狭しと蠢いている。

 

(やっぱり、今まではぜんぜん本気じゃなかったんだ……!!)

 

 背中に冷や汗が眺める。ピリピリと肌を焦がすような焦燥感が、わたしの鼓動を早める。

 霧島神境の舞殿で行われている、永水女子の人との対局。わたしだけでなく、おねーちゃんや、後ろで見ている二人も恐ろしい気配を感じて、驚愕の表情を浮かべているのがわかった。

 紅色のオーラがはっきりと目視できた。初美さんの瞳は、今は不気味に紅く染まっている。

 次の局は、とんでもない何かが起こる。間違いなくわたしは狙われるだろう。

 

(でも……わたしも、負けられないっ!)

 

 しかしそれでも笑顔を隠さずにはいられない。

 頂点を目指すために強い人と対局する。そして、わたしの中のモヤモヤとした感情の正体を探る。

 そのためならば、喜んで、どんな場所にでも飛び込もう。

 

 

 

東一局2本場 親玄 ドラ{七索}

 

玄手牌

 

{三}{赤五}{六}{赤五筒}{赤五筒}{一索}{四索}{赤五索}{七索}{七索}{七索}{白}{白} ツモ{北}

 

 

 わたしが今為すべきことは、怯まずに打つことだけだ。 

 初美さんの様子を伺いつつ、石戸さんの点数を削る。初美さんが流れを支配しようとしているが、まだわたしの方に運は向いている。今も直撃をとれば終わる点数で、その手が入っている。

 ならば前に進むべきだと、不要牌の{北}をツモ切った。

 

「ポン」

 

 低く、鳴く初美さんの声が場に木霊する。

 それはただ河から牌を拾うだけの行為のはずなのに、声が耳に届いた瞬間に、全身が恐ろしいほどに凍えた。

 

(……っ……この、底冷えする感じっ……?!)

 

 初美さんが鳴いたのは、1役つくだけの自風牌のはずだ。

 しかし卓の右に寄せた三枚の牌は、紅色の気配を放っているように見えた。まるで、初美さんの気配が乗り移ったようだ。

 

 

玄手牌

 

{三}{四}{赤五}{六}{赤五筒}{赤五筒}{四索}{赤五索}{七索}{七索}{七索}{白}{白} ツモ{東}

 

 

(……っ!)

 

 その順目でツモってきた牌を、そのまま河に捨てようとした手が止まった。危険が迫っていることを、直感が察知したのだ。

 この牌を切ってはいけないと、わたしの中の直感が囁きかけてくる。

 まだ数巡。情報はほとんど得られておらず、唯一の大きな情報は鳴かれた{北}だ。

 初美さんはこの局で何かを狙っている。聴牌の気配は感じないが、目に見えない力が高まっているのを感じる。巫女服の白袖がめくれあがり、風に押し上げられていた。

 この牌を切れば、危険な扉を開けてしまうかもしれない。そんな予感があった。

 

 理性ではまだ悩んでいて、本能では絶対に切ってはいけないと、考えている。

 切らずに手の中に押さえ込むか、前に進むために押し通るか。

 

(……攻めるか、引くか)

 

 スッと目を細める。

 視界が暗く、細く狭まる。そうすることで心が卓に深く入りこんでいく。

 

 ……見てみたい。

 この圧力に真正面から当たってみたい。

 押し切って勝ってみたい。

 

「東……です」

 

 決断を下す。選んだのは、打{東}だった。

 危険であることは分かっていた。一向聴が維持したかったわけではなく、この"感覚"が正しいのか、知りたいと思った。

 そして、前に進んだ代償として、直感が告げた危機が現実となって現れる。

 

「ならば、それもポン、ですよー!!」

 

 その二回目のポンの瞬間に、場を支配する圧力が、背後から雪崩れ込むように高まった。

 鳴いた{東}と{北}が、一段と不気味なオーラを纏った。

 不思議なエネルギーが彼女を中心に集まり、鳥居の向こう側から顕現した人魂が卓の周囲を浮遊しはじめる。吸い込まれるように薄墨さんの周囲にあつまった霊魂は、支配者の手牌に宿っていく。

 

(これでいい。真っ向から、この手で押し切るよ……っ!!)

 

 相手の気配は高まったけれど、わたしにも有効牌が引けるはずだ。

 直感は、相手の手が高いことを教えてくれる。あの手にドラは絡まないため、数え役満の可能性は低い。

 考えられるのは、清一色や、形の決まった役満。

 {東}と{北}は確定しているため、字一色、あるいは四喜和だろうか。

 

「あら……それは、カン。しましょうか」

「えっ……!?」

 

 石戸さんが牌を三枚表にして、初美さんの切った牌を自分の中に引き入れた。

 そしてめくられた新ドラは{白}。

 わたしの手牌の中に二枚あって、今までには場に一枚も出ていない。

 一見すると意味のない、不用意な鳴きだ。

 

(……っ、まずいっ。今ので流れが、変わった……!?)

 

 今の一手で、押し合っていた二つの圧力が、完全にこじれあった。

 そんな中で、もう一度初美さんのツモ。

 新たない牌が手の中に入って、手出し牌が河に強く叩きつけられる。

 まわってくる自分の番に、祈るような気持ちで牌を掴みとる。

 

 

玄手牌

 

{三}{四}{赤五}{六}{赤五筒}{赤五筒}{四索}{赤五索}{七索}{七索}{七索}{白}{白} ツモ{白}

 

 

 この一手を待っていた。聴牌、{三索}- {六索}待ち。

 しかし、待ちわびていたはずの“戦える手”から、不気味な気配を感じ取った。首筋に、得体の知れない蛇のような感触が這い回っているのを感じる。

 

「っ……!」

 

 振り向けば、すぐそこで牙をむいて噛みつかんと構えている、白蛇の姿を見たような気がした。

 引かされた一枚を手に加えて、わたしは、一手遅れたことを悟った。

 

(……やられた……っ)

 

 神様に試されているような引きだ。

 もしも手を進めるなら、危険牌を切らなければいけない……いや、手を進めなかったとしても、切る必要がある。今、わたしが切れるのは{三}-{六}と、{四}、{四索}の四枚だ。

 

 わたしの周囲に蛇が蠢き、目の前で鋭い牙を剥かんとしている。その一方で、不気味な魂の集合体は、卓を支配するために周囲にとり憑いている。

 風もないのに、耳元の髪飾りが揺れ動いた。  

 

 不気味なほどに朱い鳥居が、虚空から迫ってくる光景を幻視した。

 わたしたちの世界と、向こう側の世界への境目を無くしてしまう門だ。既に、初美さんの支配する世界に飲み込まれてしまっているみたいだった。

 

(どうしよう。どれを切れば……っ)

 

 どの牌を切ればいいかを考え続けたけれど、答えが出ない。

 わたしの中の"感覚"は、切れる牌の全てが、相手の当たり牌だと告げている。

 

 底冷えする感覚を伝えてくる{三}と{六}。

 だが、より振り込んではいけないと感じるのは、{四}と{四索}のほうだ。

 素直に信じて推理するなら――前者が初美さん、後者が石戸さんの待ちなのだろう。

 

 能力を見極めて追い詰めるために。この最悪の状況を作り出されてしまったのだと、ようやく気がついた。

 だがそんなとき――不意にその手を思いついた。

 

「…………」

 

 ドラを、切れば助かる。

 

 ずっと考えもしなかった、選択肢にさえ入れていなかった一手だ。

 三枚見えている{白}はほぼ安全だ。ツモ切りで、どちらの直撃も避けることができる。

 

(これを切れば、とりあえず凌げるの……?)

 

 震える手が、ツモってきた{白}に伸びる。

 

 これを切れば、助かる。

 切りたくないと思っているのに、動き出した手は止まらない。背後で息を呑んだ音が聞こえた。

 指先で摘むと、ドラの暖かい感触が伝わってくる。手放したくない。でも、切らなきゃ、助からない。 

 

 ――そんなときに、ふと聞こえてきた。

 

 

 

『迷うときくらいあるさ。立ち止まって心の声を聞くことができりゃあ、一人前さ』 

 

 知らない人の声だった。 

 

「え……?」

 

 その声を思い出した瞬間、体に入っていた力が急に緩んだ。

 まだ手の中には、ドラがあった。河に投げ出さず、指の中で止まったそれを呆然と見つめた。

 牌を握っているうちに、何かを思い出しかけていた。

 

 

『心の声、なのですか?』

『ああ。息を吸って、それから判断すりゃあいい……その方が後悔しねえ。一本筋が通った打ち方ができる』

『ううむ……難しい話です』

 

 "わたし"は、言葉の意味がよく分からずに、戸惑っているみたいだった。 

 しかし、現実のわたしは目を瞑って、言葉の通り息を吸ってから吐き出した。

 心が落ち着いていく。

 さっきまでの焦る気持ちはなくなった。そして、一つの道が照らされる。

 

(そうだったよ)

 

 今なら分かる。

 どんな状況でも、わたしの信じる打ち方をすればいい。

 信じた道を進んでもいいのなら――わたしはずっと、楽しんで麻雀を打っていたい。それが、わたしの全部だ。

 

「……そうだよね、おじーちゃん」

 

 ぽつりと、口から零した。

 懐かしい気持ちと、安心する気持ちが混ざり合った。その向こう側に、真っ黒なサングラスをかける、特徴的な帽子の老人が見えたような気がした。

 目を開き、そして決断する。

 

(ドラは、切らない)

 

 この手牌に「当たり」があることは、感覚でわかっている。

 例え最善が{白}切りであっても、わたしはそれを選ばない。ドラを、みんなを信じて前に進んでいきたい。

 

 だから、かわりに{三}を手にした。

 これは勝つための手じゃない。"感覚"が正しいのか、そして、この先にある未来を確かめるための一手だ。

 例え役満を和了されたって、構わない。

 

(わたしは、わたしの信じる打ち方をするよ……っ!)

 

 いま、この瞬間の選択が、今後一生のわたしの麻雀を形作っていくような気がする。

 だから振り込むと知っていながら、河に強く打ち込んだ。

 

 

 

玄手牌

 

{四}{赤五}{六}{赤五筒}{赤五筒}{四索}{赤五索}{七索}{七索}{七索}{白}{白}{白} 打{三}

 

 

 わたしは堂々と切り去った。

 石戸さんはわずかに体を揺らして動揺したみたいだった。

 凶悪なオーラに包まれた薄墨さんも目を丸くしていたが、やがて肩を下ろした。

 

「その決断、見せていただきましたー……でもっ! 容赦はしませんよー!」

 

 威圧のエネルギーが、一気に、高まった。

 初美さんの力によって周囲に集まっていた、千を超える小さな霊気が、残された手牌に召集する。

 結果は見るまでもない。

 七枚の牌が、軽快な拍子を奏でて倒された。

 

 

「ロンです。32000の二本場は、32600……!!」

 

 

初美手牌

 

{南}{南}{南}{西}{西}{四}{五} {東}{東}{横東} {北}{北}{横北}

 

 

 

 役満、四喜和の直撃振り込みだ。

 しかし、わたしは自分の選んだ選択に満足していた。ゆっくりと、ドラの集まった手牌を裏向きに倒す。

 手牌に降りていた龍も、この場に漂う霧の中に紛れて還っていった。

 

「くろちゃん……?」

「おねーちゃん。わたし、ちょっとだけ思い出せたよ」

「何か、見えたのですね」

 

 石戸さんは手牌をぱたんと裏側に倒して問いかけてくる。

 今は夢で見た景色の一端を、はっきりと思い出せた。

 

 

 

 目を瞑ると、牌を卓に置く音が聞こえた。

 それはさっきまでと違う、牌を置く音のリズムだ。

 松実館とは違う小さな和風の部屋で、全く別の見知らぬ場所に置いてある卓を四人で囲んでいた。

 

『じゃ、わたしもおなじの捨てでっ』

『穏乃っ、ちゃんと声に出して言ってください!』

 

 下家にはしずちゃんが座っていた。今まで着ていた巫女服ではなく、いつものジャージだ。

 上家に座って窘めているのは、ピンクのフリフリのついた服を着た、転校したはずの和ちゃん。二人とも背が今より小さい。

 きっと、これはわたしが、中学校三年生だった時の記憶だ。

 

 そして、もう一人。

 対面に座っている人は、この知らない場所によく似合う雰囲気を纏った見知らぬ人だった。

 プロのようなどことなく漂う老練とした雰囲気。優しくて、底が全然見えない不思議なおじーちゃんだ。 

 

 

 

 とても懐かしい気持ちに、ようやく触れられた気がした。

 和ちゃんが阿知賀を去ることになった、あの日。

 わたしは、和ちゃんとしずちゃんと、そしてもう一人……そのサングラスをかけたお爺ちゃんと、四人で麻雀を打ったのだ。

 

 

「つまり玄さんは、この牌を使って麻雀を打っていた……ということかしら」

「はい、今思い出しました。でも、あはは。知らない場所で麻雀を打ったなんて、変ですよね」

 

 わたしはそう言って笑った。でも二人はむしろ、真面目に視線を交わし合っていた。

 

「穏乃さんは、玄さんが話してくれた対局に覚えは?」

「わたしですかっ? うーん……なんか、あったような。なかったような……」

 

 後ろで見ていたしずちゃんは、急に振られてびっくり背中を伸ばした。

 しかし、腕を組んで、すっかり悩み始めてしまった……どうやら、覚えていないみたいだった。

 

「ふむ……こんなに進むとは思っていなかったわね。対局はここで終わりにするべきかしら」

「あのっ! このまま、続けてもらうわけにはいかないでしょうかっ……!?」

 

 髪がほつれるくらい勢いよく身を乗り出したわたしに、みんな、驚いたみたいだった。

 急に見せた強い感情に、石戸さんは驚いた表情を見せる。

 

「え、ええ。それは構いませんけれど……」 

「あっ……ご、ごめんなさいっ。急に大声出したりしてっ」

 

 つい、必死に叫んでしまった自分自身に恥ずかしくなり、顔を赤くして座り込んだ。

 しかし想いは変わらない。気を取り直して、顔を上げる。

 

「でも。いま打てば、もっと何かがわかりそうなんです。お願いしますっ、もう少しだけ打たせてくださいっ!」

 

 わたしは役満を振り込んだ後だというのに、悔しいどころか、楽しい気持ちでいっぱいだった。

 胸がうずいて、ワクワクする。麻雀がすごく楽しい。全身全霊で打てているこの局を、中途半端な形で終わらせたくない。

 

「わたしたちは大丈夫なのですよー!」

「でも、くろちゃん、続けても大丈夫なの……?」

 

 おねーちゃんはどちらかといえば、わたしのことを心配してくれているようだった。

 

「ぜんぜん元気だよ。ううん、むしろ……ここじゃ終われない。やらせてほしいの」

「……そっか。なら、わたしもがんばるよぅ」

 

 みんな、続けることを認めてくれた。

 

(麻雀は、みんなで一緒に打てるからこそ、素敵な競技になるんだって思っていたけれど……)

 

 しずちゃんや憧ちゃん、和ちゃん、赤土先生。麻雀教室のみんな。

 一緒に過ごした時間は大切で、何よりも楽しい思い出だ。

 でも、いま感じてるのはそれだけじゃない。麻雀そのものが、前よりもずっと楽しくなっている。

 わたしは強気な笑顔を浮かべて、視線を上げた。

 

「続きを、お願いします……!」

「ええ、存分に」

「その挑戦、受けて立ちますよー……!」

 

 そして、波乱開けの東2局が始まる。

 

 

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