咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか? 作:ひびのん
東一局、親で跳満を二回和了した。
でも、今のわたしの点数は31700点まで落ちてしまった。おねーちゃんと、石戸さんが11900点。役満の直撃を決めた初美さんがトップの44500点。
もうすぐ勝つことができる――そんな意気込みとは裏腹に、配牌はドラ二の五向聴だ。最初のように和了に近い手ではない。役満を振り込んだことで、すっかり流れが変わってしまった。
でも今の局のおかげで、わたしも新しい情報を得た。
(初美さんは火力が高いけど……厄介なのは、石戸さんのほうだ……)
初美さんは、まるで役満がわかっているように打ち回していた。恐らくは、二回の鳴きを入れることで発動する能力だと推測できる。
そして石戸さんは、一見すると分かりづらいけれど、こちらの手牌を察知している節がある。わたしや、しずちゃんのように深く"読んで"くる。しかも、わたしたちには見えないものを見て牌を選んでいるのだ。
(きっと、わたしのドラの感覚みたいなものがあるんだ)
最も厄介なのは、最高峰の攻撃と、最硬度の防御の二人が揃って、わたしを狙っていることだ。
今の一局では石戸さんに誘導されて、追い詰められた。これほど厄介なプレーは他にはないだろう。
流れが戻らないまま、大きな点数の変動もなく、東場が終わってしまう。
迎えた南一局。
わたしが牌を握って開けようとした瞬間に、冥界の跫音が聞こえて、肌が凍えた。ゾクッと肩が震える。
(まさか……!)
牌を開ける前に、その感覚の方向を見る。わたしを見て嗤っている赤髪の巫女がいた。目を凝らせば、初美さんの背後に重圧が現れて、闇色の世界に続く鳥居が生まれていた。
わたしは冷や汗を流しながら視線を落として、牌を開けた。
今まで身を潜めていた初美さんだけれど、なぜこのタイミングなのだろう。疑問に思ったが、とにかく、そうと決まったからには、ここが勝負の時だ。
そして賽が回って、配牌された一巡目。
「それ、ポンですよー!」
「っ……!?」
即座、おねーちゃんの切った{東}をポン。びくっと震えながら、おずおずと牌を渡した。
端に寄った三枚の字牌が今の初美さんの放つものと全く同じオーラを放つ。不気味な冥界の気配だ。
「それも鳴きますー!」
「……ふふっ」
石戸さんが{北}を切り出すと、それも手に加えてくる。
二枚の牌が怒りにも似た激情のオーラに包まれる。場に闇色の気配が漂いはじめて、空が闇に覆われた。
不敵な笑みを作る小さな巫女によって、再び場は完成した。背後から現れる鳥居から、紅色の霊魂が場に溢れ始めている。
(……ここだよっ……!!)
でも、わたしはもう、慌てたりしない。
むしろこの瞬間を待っていた。初美さんが本気を出してくる、この時を。
さっきとは条件が違う。感覚は研ぎ澄まされているし、心の準備も万全だ。
初美さんの能力は、恐らく条件付きで役満を引き寄せる。四喜和か字一色。どちらにしても、残りの手牌のうち、少なくとも五枚は限定されるはずだ。
目を瞑ると、全ての音が、わたしの中から消えていった。
すると見えないはずなのに、薄らと闇の中に卓が見えてくる。相手の呼吸音や、僅かな動きまで読み取ることができる。
閉じた目を薄く開ける。
――松実玄の瞳の色が、灰色に染まった。
(初美さんは一度だけ理牌をした。端に並んでいる二枚の牌……きっと、あれが鍵だよ)
手元に残った七枚のうち、端の二枚を大事そうにとっている。
これまでの視線や仕草から察するに、字牌や対子ではなく数牌。なら、四喜和の可能性が高い。そして他の牌も、まだ揃っていないように見える。まだ時間は残されている。
(わたしだって、速さで勝てないわけじゃない……!)
石戸さんを倒すためには、まず初美さんを真正面から攻略しなければいけない。
そのために、わたしが先に和了する。
南一局0本場 親玄 ドラ{四}
玄手牌
{二}{三}{四}{二筒}{四筒}{五筒}{赤五筒}{赤五筒}{三索}{四索}{赤五索}{八索}{發} ツモ{八索}
五巡目。
字一色の可能性を考えて{發}を抑えていたけれど、その必要もなくなった。わたしの読みでは、初美さんはこれを持っていない。
「……{發}っ」
このとき、わたしは気づかなかったが、無意識に切った牌の名前を口走っていた。
石戸さんと、初美さんが妙な顔をした。おねーちゃんも一瞬不思議そうにわたしを見たけれど、そのまま続行だ。
おねーちゃんも石戸さんも安牌切りで、初美さんまで番が回る……しかしツモ牌を見てむぅぅ、と表情を曇らせた……そして、そのまま{發}を切った。
次順、回ってきたわたしのツモ。表面を撫でて、取り入れる。
玄手牌
{二}{三}{四}{二筒}{四筒}{五筒}{赤五筒}{赤五筒}{三索}{四索}{赤五索}{八索}{八索} ツモ{一}
この順目で引くことは叶わなかった。
しかし、ツモってきた牌を手牌の上に置く前に、指先がとまった。この{一}に嫌な気配がする。
(……{一}は、確かに危険牌だよね)
さっき役満を振り込んだ時と同じ感覚。それに、普通に考えても十分に危険な牌だ。
なぜならドラは{四}で、その周辺に牌が集まっていると推測されていてもおかしくない。同じ場所で待てば、今みたいに牌が溢れることだってある。
「{八索}っ……!」
玄手牌
{一}{二}{三}{四}{二筒}{四筒}{五筒}{赤五筒}{赤五筒}{三索}{四索}{赤五索}{八索} 打{八索}
わたしは直感に従って自分の意思で待ちを崩し、声に出しながら河に放った。
感覚はそれが”誰かの和了牌ではない”と告げていて、その感覚に従った。
ツモ以外では役がつかず、和了できなくなってしまった。でも、まだこれで終わりじゃない。
(……感じるんだ。もっと、深くまで……!)
初美さんと真っ向から打ちあうために、意識を深く潜らせるべく目をつむった。
『えっ……!?』
――そこに、麻雀を打つ人にしか見えない世界が見えた。
目の前には初美さんが立っていて、背後には朱色の鳥居が構えていた。わたしを見て驚いたように目を見開く。
『これって、一体……!?』
『なんと……! たった一局で、"ここ"に到るまでの成長を見せますかー……!』
声もはっきりと聞こえたし、わたしも、この世界を自由に動くことができた。
初めて見た世界に驚いていると、何かの気配を感じて、振り返った。
『わわっ。あなたは……ドラゴン、さん?』
わたしの髪色に似た、黒赤色に輝く鱗を持った龍が存在していた。
呼びかけると、それは首を落とした。尖った鱗を持っていて、巨大な体でわたしを守っているみたいだ。
そうっと手を伸ばして、首の鱗を撫でてみる。
すると頭を下げ、それを待っていたと言わんばかりに、聞いたこともない泣き声で、喉を鳴らした。
『……あなたが、ずっと、一緒にいてくれたんだね』
子供の頃からずっとそばにいて、わたしを守ってくれた存在だとすぐにわかった。
無性に切ない感情と、嬉しい気持ちが溢れる。
おかーさんの姿を思い出たんで、自然に一筋の涙が落ちた。
龍は唸りもせず、ただわたしの手を受け入れてくれる。
『ドラゴンさん。わたしと一緒に、これからも戦ってくれるかなっ』
ドラゴンさんはもう一度鳴いて、わたしを守るように尻尾を巻いてから起き上がった。
見据えるのは、紅色のオーラを放ち続けて、正面に立ちはだかっている悪石の巫女だ。わたしとドラゴンさんは、正面から超えるべき相手に向き合った。
『いきますっ。今度は、負けないですよっ!!』
『ここからが本気というわけですねー……! きてください、絶対に倒してやりますよー……!』
ここからが正真正銘、真っ向からのぶつかり合いだ。
玄手牌
{一}{二}{三}{四}{二筒}{四筒}{五筒}{赤五筒}{赤五筒}{三索}{四索}{赤五索}{八索}
初美手牌
{二}{三}{南}{南}{南}{西}{西} ポン {東}{東}{東}{北}{北}{北}
鳥居の前に立った初美さんは、腕を紫色の雲に覆われた空に掲げた。
雷鳴が鳴り響き、冥府に続く門から溢れるのは、無数の霊魂の結晶だ。一つ一つが小さな力を持つそれらは、圧倒的な物量をもって龍を襲う。
『さあっ、これで決めてくださいー!!』
『お願い、ドラゴンさん……っ!!』
玄手牌
{一}{二}{三}{四}{二筒}{四筒}{五筒}{赤五筒}{赤五筒}{三索}{四索}{赤五索}{八索} ツモ{一}
{一}{一}{二}{三}{四}{二筒}{四筒}{五筒}{赤五筒}{赤五筒}{三索}{四索}{赤五索} 打{八索}
玄の龍は高らかに鳴いてから、翼を大きく広げて自らの主人を包み込んだ。強靭な赤鱗が、嵐のように荒れ狂う赤色のエネルギーを弾いていく。しかし一つ一つ、小さな霊魂がぶつかり、小さな爆発を起こして弾ける。
ドラゴンさんは小さく苦しげな鳴き声をこぼした。
『っ……! ごめんね、今は耐えて……!』
『なかなかやりますねー……ですが、ツモってしまえば関係ありませんっ!』
初美さんは、一段とエネルギーを放出させて、ヤマに手を伸ばした。
巫女が掴み取った牌は――
初美手牌
{二}{三}{南}{南}{南}{西}{西} ポン {東}{東}{東}{北}{北}{北} ツモ{五}
――そのまま、手牌の上に横に置かれる。
初美さんはツモ切り。わたしを倒すには、至らなかった。
『……ううー……ですが、まだまだですよー!』
牌が掠ったことに悔しそうな声を零した。
同時に霊魂の放流も終わる。黒赤色のドラゴンさんは、再び羽を広げて、目の前の相手を睨みつけた。
現実は恐ろしいほどに静かだった。
牌が卓に置かれる音のほかに聞こえるのは、息遣いくらいのものだ。
建物の向こう側から漂ってきた霧が、わたしたちの卓を薄く覆っていた。山登りしたときに雲の中に入ったみたいにひんやりとした空気が、巫女服の隙間から滑り込んでくる。
そして、わたしの番だ。
ヤマに手を伸ばし、ツモってきた牌を盲牌して、体に電流が走ったような感じがした。
玄手牌
{一}{一}{二}{三}{四}{二筒}{四筒}{五筒}{赤五筒}{赤五筒}{三索}{四索}{赤五索} ツモ{一}
気づけば、広い待ちでの聴牌だ。{二筒}か、{三筒}-{六筒}・{四筒}の三面張。
しかし張ったことが、わたしの手を止めさせたわけではない。"普通"に前に進もうとしたときに、気がついたんだ。
『え。ドラゴン、さん……?』
龍が、わたしを見つめている。
勝つために命令してくれ。自分に力を与えて欲しいと、綺麗な瞳が訴えかけてくる。
(……この{一}は、そういうことだったんだ)
今は初美さんの引き起こす現象、内包する力に、押し負けそうになっている。
それに勝つにはドラゴンさんの力を引き出さなきゃいけない。龍と心を通わせる。わたしには、それができるはずだ。
指先に宿った
『力を、わたしに貸して……っ!!』
わたしは天高く、雲渦巻いた空に右手を掲げた。
これが今出すことのできる最大の力だ。初美さんを真っ向から超えるために、わたしの龍を信じて最高の力を呼び出す。龍も、想いに応えるかの如く、天に咆哮した。
箱から点棒という命を削って、{二筒}を場に放った。
「リーチっ!!」
『……っっ!?』
玄手牌
{一}{一}{一}{二}{三}{四}{四筒}{五筒}{赤五筒}{赤五筒}{三索}{四索}{赤五索} 打{二筒}
龍はわたしの魂の一部を宿して、巨大な翼を羽ばたかせた。真っ直ぐに天に登って、雲の中に消えていく。
『これは、なにが……起きているのですかー……!? 』
霊魂を従える初美さんは目を丸くして、刮目した。
わたしには分かる。ずっと眠っていた力が、この世界を見つけたことで、呼び出せるようになったんだ。
そして、龍はわたしの想いに応えてくれる。
雲が二つに割れる。輝きとともに現れた龍は、先の倍以上に巨大な、四対の翼を持つ黒鱗の龍に進化していた。
漆黒の龍の、宝石のような紅色の瞳が、眼下で待つ自らの主人を見下ろした。
もちろん笑顔で応える。
『いくよっ……これがわたしたちの全力っ!』
わたしが手をかざすと、龍は首を持ち上げた。
初美さんに向けて顎を大きく開き、そしてーー口内からエネルギーの奔流を打ち放った。
苛烈な光の柱が、空を焼きながら槍を突くように一直線に迫る。しかし霊魂が、盾のように初美さんの前に集まって、光の奔流を受け止めた。
『ぐぅぅ……ですが、まだですよー……!!!』
『っっ……! もう少しっ……!』
真っ向からの正面衝突だった。
世界に輝きが満ちる。
ぶつかり合う瞬間、空気を切り裂く甲高い衝撃音が、世界を揺らした。
丸みを帯びた透明な盾にぶつかって散らばり、しかし、龍は咆哮を決して止めない。暴力的な咆哮によって霧は散り、暗闇に包まれていた空が割れて、光が舞い降りてくる。
やがて進化した龍のブレスは、拡散して消えた。
初美さんは袖で顔を覆っていたが、目を開けた時に、その表情は驚きに染まった。
『はぁっ、っ……そんな、まさか……!?』
霊魂の壁は破られていた。
背後の鳥居は龍の放った業火に包まれており、冥府に続く闇色の空間は力を失い、扉は消え去った。
しばらく燃え盛る鳥居を呆然と見つめていた。
やがて、わたしのほうに向き直り、身から湧き出すオーラを消して、寂しそうな笑顔で言った。
『凄いです。真っ向から押し負けるなんて、これが始めてなのですよー……』
玄手牌 ドラ{四} 裏ドラ{一}
{一}{一}{一}{二}{三}{四}{四筒}{五筒}{赤五筒}{赤五筒}{三索}{四索}{赤五索} ツモ{四筒}
「ツモっ……!」
わたしに集まった龍の炎は、全て表に晒された。
{一}に宿ったドラの気配は、全てと混ざり合って、溶けて消えてゆく。
『ありがとう……ドラゴンさん』
黒龍はわたしを見た後、歓喜するように天高く咆哮をあげて、空に去っていく。
暗雲に包まれていた空は、龍の羽ばたきで晴れ渡って、ただの夜空に戻った。そうやって去って行った龍を、いつまでも見送った。
見えていた世界は嘘のように消える。
もとの霧島神境の舞殿に、完全に意識が戻ってきた。
目の前には、ぽかんと口を開いた石戸さんと、疲れ切った初美さんが後ろに手をついていた。
「これは、凄い力。驚いたわね」
「やられてしまいましたー。クロは、すごく強いのですねー……!」
それに、おねーちゃんや、他のみんなも驚いていた。
「すご、今の……すごいですよ、玄さんっ!」
「今のプレッシャーやば……てか玄、リーチしたわよね!? しかも裏ドラの連続ツモ!」
「わわっ……!?」
ずっと見ていた二人が、勢いよくわたしに迫ってきて、目を丸くした。
質問に答えようとしたけれど、でも、うまく説明ができない。
「え、ええっと……わたしにも分からないの。でも"できる"って思ったから、やってみたんだ」
「はぁ……」
「とうとう、裏ドラまで集めるようになっちゃったのね……確かに今までの玄との対局、裏ドラで点数ついたことはなかったけど」
憧ちゃんが、心底呆れたような声で天を仰いだ。
確かに今まで、裏ドラがあつまってきてくれたことはなかった。今の対局で新しい力が目覚めたことは、たぶん、間違いない。
さっき見えた光景は夢や、幻なんかじゃない。わたしを守っていてくれたドラゴンさんは、確かにそこにいた。
すると、初美さんがぺたんと、後ろの床に手をついた。
「ちょっと、本気で打ちすぎて疲れてしまったのですよー……へとへとですー」
「くろちゃんも……ハンカチ持ってきてるから、使って……?」
「ありがと、おねーちゃん、っ」
「玄さんっ!?」
ハンカチを受け取ったとき、体制を崩しかけて、みんなに心配されてしまった。
対局している間はぜんぜん気づかなかった。ものすごい倦怠感だ。額にも、指先にも汗をかいていて、いつの間にか息もあがっている。
「あはは。わたしも、なんだかすごく疲れちゃったみたい」
「くろちゃん、もう休まなきゃ……」
「そうよ! また明日があるんだから、一旦中断ってことで!」
「お水、持ってきてる……二人とも飲んで」
待っていた春さんが、竹の水筒をわたしと、初美さんに手渡した。
「……今日はここまでにしましょう。続きは明日ということで、どうかしら。玄さん」
石戸さんにそう言われて、筒から口を離したわたしは、当然頷いた。
「では霞さん。これからどうしますか?」
「食事の予定だったけれど、汗をかいたままじゃ風邪を引いてしまうかもしれないわね。じゃあ、まずはみんなで温泉に入りましょうか!」
ぱんと手を叩き合わせると、おねーちゃんが目を輝かせる。ポニーテールとツーサイドアップの風切り音がはっきり聞こえるくらい、しずちゃんと憧ちゃんが、勢いよく顔を上げて目を煌めかせた。
「温泉!?」
「温泉……あったかい温泉があるんですか……?」
「はい。神境の温泉は、とっても広くて心地いいんですよ」
「もちろん冷たい温泉もありますよー! ふえっ、なぜそんな悲しい顔をするのですかー!?」
みんなが盛り上がりはじめた中で、ごろんと寝ころんだ。今日はこれで終わりだと思うと、力が一気に抜けた。
(ちょっとだけ、思い出せたよ)
ずっと心にあった寂しい気持ちは、懐かしむような気持ちに変わっていた。
木造の梁の通った天井を見つめて、天井に向けて伸ばした手のひらを握りしめる。欠けていた夢のピースのひとかけらが、手の中に戻ってきたような気がした。