咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか?   作:ひびのん

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第24局

 手を伸ばして賽を降る。

 これが最後の局で、最後の親番だと、気合を入れ直した。

 

 穏乃が目を瞑ると、はっきりと麻雀を打つ者にしか浮かばない精神空間を幻視することができた。

 もしもその場所を訪れたことがあれば、その神々の世界が、高千穂峰の頂上によく似ていることに気づくことができただろう。 

 山の背後には、現実と同じように朝日が昇りはじめていた。そして小蒔は、穏乃よりも上に立っていた。 

 鳥居の下にいる神代小蒔は、黄金のオーラを纏って、波打つ瞳でわたしを見下ろしている。

 彼女に付き従う九の影が、恐ろしいほどに体を重くした。

 

 向かい風がわたしに向けて吹きつけてくる。

 それに、吹き飛ばされてしまわないように、腕をクロスして、耐える。

 気を抜けば、いっきに崩れてしまいそうだ。でも、勝ちたい。だから、こんなところで負けていられない。

 

(勝負はここっ。精一杯、本気で、わたしは打つ……っ!)

 

 穏乃もまた、左目に真紅の炎を宿した。

 体の内側に宿った熱を、ギラギラと燃え上がらせながら、純白の霧を再び纏った。

 二人とも、自らに与えられた配牌を取りあげる。

 穏乃の配牌はまるで、天上の神々に対抗する力を、麻雀が与えてくれたみたいだった。

 

 

 

南四局0本場 親穏乃 ドラ{二}

 

穏乃手牌

 

{一筒}{二筒}{三筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{七筒}{九筒}{九筒}{二索}{南}{南} ツモ{南} 

 

 

(テンパイ……{二筒}-{五筒}-{八筒}待ち……!)

 

 異常な配牌とツモのよさによって、2巡目にして混一色三面張を聴牌。

 しかし、これは当然のことだ。

 今は二人とも、底力の全てをぶつけ合っている。麻雀が二人の想いに応えたのだ。

 まるで決められた運命を往くように、穏乃は{二索}を切り出した。

 

(さあっ、この手にどう対応してくるんですか。小蒔さん……!) 

 

 この順目でテンパイを察知するのは、ほぼ不可能に近い。場にはほとんど情報も出ていないはずだ。

 普通ならば回避不可能な局面だ。

 しかし、九面の神の力を得た巫女の人ならざる力は、容易に超越する。

 穏乃が麻雀を味方につけたように、今の神代小蒔は”神”を味方につけている。まるで示し合わせたように、同色に染まった配牌を手にしていた。

 

 

 

小蒔手牌

 

{一筒}{一筒}{二筒}{二筒}{二筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{六筒}{八筒}{八筒}{八筒} ツモ{三筒}

 

 

 小蒔はここまで一度も手を変化させていない。

 地和もあり得た鬼配牌に、小蒔は顔色一つ変えていなかった。

 

「…………」

「……?」

 

 ここに来て小蒔の手が止まったことを、穏乃も目敏く観察する。

 波打つ瞳が、じっと穏乃を見返した。

 

 この配牌も自摸も神が穏乃に与える試練だ。

 故に、役満を和了することはあり得ないと知っていた。そして、相手も同系統の染めてであると理解している。

 ツモ切りで、前巡に作り上げた{一筒}・{六筒}待ち、{二筒}を通せば、高目の{三筒}-{六筒}・{七筒}に変化する。

 ……選択したのは、{三筒}のツモ切り。

 

 そして、そんな小蒔の微かな逡巡を鋭く察知していた。

 

(小蒔さんも筒子の染め手なのか……それとも)

 

 新たな牌をツモり、それを手牌の上に横向きに置く。

 

 

 

穏乃手牌

 

{一筒}{二筒}{三筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{七筒}{九筒}{九筒}{南}{南}{南} ツモ{七筒}

 

 

 

 ここに来ての筒子で、穏乃も遅れて、確信に至った。

 恐らくは一騎討ち。この最後の一局は筒子の捲りあいの勝負になる――と。

 

(この局は、どっちかが相手から和了しなきゃ終わらない……気がする……!)

 

 穏乃は直感で、そう感じていた。

 上家と下家で、見えない存在が牌を握ってはいるが、ここまで一切ゲームに関与してこなかった。

 

 

 

穏乃手牌

 

{一筒}{二筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{七筒}{七筒}{九筒}{九筒}{南}{南}{南} 打 {三筒}

 

 

 

(それに、この手を和了るなら、小蒔さんからしかありえないっ)

 

 ツモをしまいこんで、自分も安牌の{三筒}切り。

 待ちが{七筒}・{九筒}に変化する。これによって互いにシャボ待ちに移行した。しかし、次順。

 

 

 

小蒔手牌

 

{一筒}{一筒}{二筒}{二筒}{二筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{六筒}{八筒}{八筒}{八筒} ツモ{七筒}

 

 

 

「リーチ」

 

 抑揚のない声が、場を重く制圧する。

 

 

 

 

小蒔手牌

 

{一筒}{一筒}{二筒}{二筒}{二筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{七筒}{八筒}{八筒}{八筒} 打 {六筒}

 

 

 たった一言で、場の圧力は最高潮に達した。

 穏乃は、その手の禍々しさに目を見開き、冷や汗を流した。

 この一巡で小蒔は{七筒}を引き入れ、シャボ待ちから{一筒}・{二筒}-{五筒}-{八筒}の四面張に変化。

 確実に穏乃を倒しうる一手に変化したのだ。

 

『くぅっ、でも……まだ、まだっ……!』

 

 麻雀世界で、わたしは吹き飛ばされないように屈み、嵐の中で必死に岩にしがみ付いた。

 立っていた地面はひび割れ、身体が闇の中に飲まれようとしている。たった一本、岩場にひっかけた手が、背後に現れた闇への落下を必死に支えていた。

 しかし小蒔は、強風に煽られても、そんなものは感じないといわんばかりに立ち続ける。

 背後の九神が、神代の巫女を影響から守り続けているのだ。

 

(やばい。気を抜いたら押しつぶされる……!)

 

 僅か二巡で聴牌したはずなのに、今崖っぷちに立たされているのは穏乃のほうだった。

 しかし、まだ負けたわけではない。勝利を目指すために、前に進まなければならない。ここで止まるわけにはいかない――後ほんの少しで、"最強"の一角に手が届くのだから。

 

『あと、一手……っ!』

 

 ヤマに、手を伸ばした。

 鮮血のようなオーラに染まった牌を掴まされた瞬間、運命が揺れ動いた。

 

 

 

穏乃手牌

 

{一筒}{二筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{七筒}{七筒}{九筒}{九筒}{南}{南}{南} ツモ{八筒} 

 

 

 

(……くっ……!)

 

 穏乃と小蒔は、ここまで同色の配牌での打ち合いを続けてきた。

 点数の高さは問題ではない。お互いにただ、相手を倒すためだけに一色に染め上げて、たどり着いたのがこの手だ。

 狭めた包囲網に、先に捕まったのが穏乃のほうだった。

 

 そう、安牌がないのだ。

 正確に言えば安牌はある。でも、それを切った瞬間に、この勝負は終わる。

 しかし攻めに転じるためには、敗北のリスクを負う必要がある。

 

 {一筒}か{四筒}切りの{六筒}-{九筒}待ち、{七筒}切りで、{三筒}を加えた振聴三面張。

 {九筒}切りで、{一筒}-{四筒}-{七筒}待ちの新たな三面張聴牌。

 そして{南}切りは待ちは嵌張の{八筒}のみだけど、一盃口に一通の高目が確定する。

 あるいは、現物{三筒}か{六筒}で聴牌崩しという手もある。

 

 

 穏乃は考える。

 思考をどこまでも深めて、どれが最善の一手かを。

 しかし、目の前の"最強"を前にして、どれも不正解なような気がしていた。

 

(どうしよう。どれを、切ればいいんだろう……)

 

 考えても永久に解けない思考を深め続ける――そんなときだった。

 

 

 

『嬢ちゃんのその姿勢、嫌いじゃあねえぜ』

 

 誰かの声が聞こえた。

 そして、穏乃はふと、我にかえった。

 

(あれっ……?)

 

 刹那聞こえた声は、疑問を呼び起こす。

 それは声の主を探るようなものではなく、なぜ自分がこんな麻雀を打っているのか。

 まるで、夢から覚めたみたいに、心が落ち着いていくのを感じた。

 

(わたし、なんで……?)

 

 まるで、頭の中にかかっていた霧が晴れたみたいに、自分自身のおかしさに気づいたのだ。

 

 麻雀を始めた小学生の頃から今までで、一手に、これほど真剣に悩んだことはなかった。

 どんな時でも真っ直ぐに、それが打ちたい麻雀だった。

 憧からはもっと悩めって言われた。先生は、それがシズの個性よね、って言われた。

 

 そんな風に打ってきたはずだったのに、今は違っている。

 勝つために直感と感覚に頼って、絶対に勝てると思う手を打っていた。

 今までの自分とは全く違う打ち筋。なぜ、そんな知らない打ちまわし方をしているのか、説明がつかなかった。

 

  

 思考の海から浮かび上がった意識は、気づけば自分のツモを握る手を唖然と見つめていた。

 

 

 これは今までの自分が築きあげてきた麻雀とは、違う。

 しかし、その打ち方も手に馴染んだ。

 どちらの感覚も、高鴨穏乃として打つために必要なものであると――そんな風に思った。

 

 真っ直ぐに打つのは、すごく楽しい。

 でも真っ直ぐっていうのは、ただ自分の手だけを見て最速で進むとか、そういう意味じゃない。

 相手の手を考えて、魂を削って押し合って、そして牌を選択する。その過程全部を楽しむのが、わたしの麻雀だ。

 今、それができていない。

 

「……わたし、自分の麻雀が打ててなかったんだ」

 

 穏乃は、ぽつりとつぶやいた。それはストンと腹に落ちてきた。

 楽しむために打っているのに、一番楽しめる麻雀を打てていない。苦しむように牌を選択していた。 

 

 追い詰められていることも忘れて、相手の威圧も忘れて、ツモ牌を見つめた。

 心に引っかかっていたものが、無くなった気がした。 

 目の前がよく見える。辛く、苦しい気持ちはさっぱり消えてなくなった。今は、ワクワクとした感情が溢れている。

 

(考えるんだ……! 自分が納得できる一手を……!!)

 

 こうして悩んでいるのも、きっと意味があることだ。

 

 情報から相手の手は読めない。感覚も一切通用しない。

 だから昔、山で場所が分からず迷子になったときみたいに、心細い気持ちになっていたんだ。

 今のわたしは、自分が打ちたい『100パーセントの麻雀』にたどり着くことができていない。

 

 それなら、自分の直感を信じよう。

 

(感覚も合理性もいい。でも、それだけ頼りにしない。わたしは打ちたい麻雀を打つっ……!)

 

 

 

穏乃手牌

 

{一筒}{二筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{七筒}{七筒}{八筒}{九筒}{九筒}{南}{南}{南} 

 

 

 

 攻めるのなら、危険牌の中から一枚を選択しなければならない。

 しかし唯一――{南}だけは違う。比較的安全牌であり、そして、それが弱い一手だとも感じていた。

 こんな打ち方じゃ勝てない。長く保っていた均衡は崩れて、小蒔さんは容赦無くツモ和了ってくるはずだ。

 

 

 穏乃は牌を一枚引き抜いて、場に放った。

 

 

 

穏乃手牌

 

{一筒}{二筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{七筒}{七筒}{八筒}{九筒}{九筒}{南}{南} 打{南}

 

 

 ……これでいい。

 この一手は紛れもなく、今の自分が全力を尽くして小蒔さんと戦った結果であり。

 これが、自分の大好きな麻雀を打った結果なんだ。

 

 そして小蒔さんが腕を伸ばす。

 もしも、力の均衡が崩れていたなら、ここで小蒔さんがツモを引いて終局するはずだ。

 

 自分の選択の結末を見届けるために、しっかりと相手を見た。

 僅かに考えたように手を止め、そして、ツモ牌を打ち出した。

 

(チーピン……っ!?)

 

 出てきたのは{七筒}。

 さっきの一手で{九筒}さえ通していれば、それでわたしの和了だった。

 わかっていても、悔しさに思わず歯噛みする。

 でも、まだ終わっていない。

 

 

 

穏乃手牌

 

{一筒}{二筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{七筒}{七筒}{八筒}{九筒}{九筒}{南}{南} ツモ{六筒}

 

 

 ツモってきた指先が小刻みに震えた。

 それも、筒子さえ切れていれば和了牌だった一枚だ……急に、力が抜けたような気がした。

 

(……負けた、かな)

 

 目を瞑って、ツモった安牌を切り出した。

 穏乃にはいくつかの選択肢があった。そのうち、筒子を切っていれば和了していた。

 全国の頂きが、まだ遠いことを思い知らされた。対局は終わっていないが、これで運命は決した。

 

「ツモ。4000・8000」 

 

 わたしから離れた勝利の女神は、当然のように小蒔さんに微笑んだ。

 {赤五筒}ツモで、オーラス終了。その終わりを告げる声はあまりに静かで、耳に残った。

 

 

小蒔手牌

 

{一筒}{一筒}{二筒}{二筒}{二筒}{三筒}{四筒}{五筒}{六筒}{七筒}{八筒}{八筒}{八筒} ツモ{赤五筒}

 

 

 

 感じていた霊力の嵐は、いつの間にか凪のように止んでいた。

 麻雀を打っている間に見えていた心象風景も消えており、穏乃はだらしなく、ばたんと背中を地面に預けた。

 

「わたしの敗け……か」

 

 完敗だった。途中で稼いだ点数も放銃し、結果は逆転負け。

 相対して、その強さを、真に理解した。

 

(これが……本気の神代小蒔なんだ)

 

 悔しかった。

 でも、この局で大切なものに気がつくことができて、清々しい気持ちもあった。

 

「やっぱ小蒔さん、凄いですね。負けちゃいました」

「…………」

「……あー、今は神様がついてるんでしたっけ」

 

 瞳に金色の波紋を宿し、じっと言葉を告ぐわたしのことを見つめている。

 対局が終わった今でも圧力を放ち続けている。神様が、いまだその身に降り続けているのだろう。しかし、その向こう側には小蒔さんの意思があると、わたしは分かっている。

 

「小蒔さん!! あのっ!」

 

 わたしと一緒に打ちあい、戦ってくれたのは神様ではなく、神代小蒔なのだ。

 だからその人に、この思いを伝えたい。

 

「また、わたしと打ってもらえませんかっ!?」

 

 ポニーテールを振り乱して、身を乗り出した。

 

「わたし、今のままだとあなたに勝てません。でも、絶対次は勝ってみせますっ! だから……インハイまで待っててくださいっ! ぜったい、リベンジしに戻ってきますから!!」

 

 清々しいまでの敗北をしておきながら、でも、急に胸のドキドキがおさまらなくなっていた。

 人生で最高の麻雀だった。それが打てたことが、嬉しかった。

 今はまだたどり着けなくても、まだずっと強くなれることが分かった。だから、その気持ちを伝えたいと思った。

 

「あっ……」

 

 霧島の姫。神降ろしの巫女は、表情を崩して穏やかに微笑んだ。

 

 ――神様の向こう側に、想いはちゃんと届いていた。

 

 場を支配していたものが離れていった。

 霧や気配は残さず消えて、そこにあった雀卓さえもゆっくりと薄れて消えてしまった。しかし綺麗な姿勢でそこに座っていた小蒔さんだけは、変わらない。

 眠るようにゆっくりと目を再び開くと、瞳は茶色に戻っていた。

 そして小蒔さんは、何も変わらない微笑みを浮かべた。

 

「もちろんです。穏乃さん。また、一緒に打ちましょう」

「……! はいっ!!」

 

 神境にも朝日が昇り、わたしの入ってきた扉から陽が差し込んでくる。

 背中を太陽に照らされながら、わたしたちはこの日。未来へと続く再戦の約束を交わした。

 

 

 

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