咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか?   作:ひびのん

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第28局

 この日、阿知賀女子高校に向かう一台の車の中で、肘をついた赤髪の女性が、かつての青春を彩った校舎を見上げて懐かしんでいた。

 車を運転している新子望は、眠そうに頬杖をついた同乗者に語りかける。

 

「どう。久しぶりすぎて、懐かしくなってきた?」

「……うん。ぜんぜん変わってないのが、分かるよ」

 

 赤髪の女性は、名前を赤土晴絵と言った。

 かつての母校を含めて窓の外の景色を見ているうちに、様々な感情が湧き上がってくる。

 この地を離れてから長い時間が経っているはずだ。しかし、あまりに鮮明に思い出せるから、そこまで長い時を経ていないような気もする。その感覚の理由が、実業団での活動が濃かったからか、それともこの地で過ごした時間が人一倍長かったためか、自分では判断がつかなかった。

 

「それにしても、急に戻ってくるって言うもんだから、驚いたよ。うちじゃ、ちょっとした話題だったんだよ?」

「いやほんと。ウチの会社けっこうヤバいらしくてさ……チームも廃部になっちゃったし」

「でも、会社にはいられるんでしょ」

「まあね、ありがたいことに。でも、やっぱり居辛い雰囲気はあったし、早めに抜けてきちゃったよ」

「でも、最初に話してた時期よりずっと早かったじゃない。さては故郷が恋しくなったか?」

「いいや。わざわざ可愛い後輩に呼ばれたもんで、早めに行ってあげなきゃって思ってさ」

「後輩? ……ああ、憧たちのことね」

 

 望の疑問に、晴絵は懐から一枚の便箋を取り出した。

 差出人は高鴨穏乃と書かれている。少し前に投函されていたもので、その内容を読んで、これはいい機会だと、早めに実家に戻る用意を整えてきたのだ。幸いなことに麻雀一筋であった晴絵は金のかかる趣味もなく、貯金をたんまりと溜め込んでいたために金銭面の不安はなかった。

 

「それ、なんて書いてあった?」

「阿知賀に行ったメンバーが、みんなで麻雀の同好会を作ったみたいでさ。久しぶりに見てくれって書いてある」

「穏乃ちゃんがあんたに手紙かぁ……なんか、ちょっと似合わないわね」

「ふふっ、確かに……なんて言ったら悪いか」

 

 高鴨穏乃という少女のことは、二人もよく知っていた。

 おてんばで活動的な彼女は、麻雀部の中でも特に目立つ存在であり、さらには新子憧の親友でもある。

 ペンを取るイメージが全くなくて、手紙が届いた時に、晴絵は思わず差出人を二度見してしまった。

 

「でも、ちゃんと覚えててくれてるんだなーって思って、ちょっと嬉しかったわ」

「大事な教え子だもんね。あのあとも、みんな寂しがってたよ。雀士もいいけどさ、教師も向いてたんじゃないの?」

「まあ、そういう道もありだよね……いや、マジでありかも」

「教員免許も持ってるんだっけ。マジでなれると思うわよ……っと、この道を曲がったら学校ね。憧のやつ、今日も活動してるって言ってたし、ちょっと覗きに行ってみる?」

「じゃあ、せっかくこんな手紙も貰ったことだし、とりあえず顔だけ見せてみようかな」

 

 とりあえず久しぶりに再会して、もし本格的に見て欲しいというようなら、日程を合わせてあげたりした方がいいかもしれない。そんな軽い気持ちで、路地を曲がった車は、阿知賀女子学院へと続く山道を登り始めた。

 雪はまだ降り始めたばかりなのか、道が薄らと白みがかっていた。すれ違う人は厚着で、もうこっちの地方も本格的に冬が来ているのかと、会社を辞めたことで繊細になった気持ちが擽られたような気がした。

 

 学校の駐車場に着いた晴絵は、車を降りてまず、尖塔を見上げた。

 当時はこんなにもまじまじと校舎を見たことはなかったけれど、こんなに立派な建物だったかと、感慨深い思い出が蘇ってくるような気がした。

 ここでは辛いこともあったけれど、楽しいことも山ほどあった。

 赤土晴絵という存在の、青春の全てを注いだといっても過言ではない――今、長い時を経て、この地に再び戻ってきたのだと強く実感した。

 

「うん。懐かしの学び舎だ……」

「あたしらは学生として通って、あんたは、麻雀教室もやってたんだもんね」

「うん……やっぱ、ここが好きだわ」

 

 胸の中に抱えていた様々な悩みや不安から、今この瞬間だけ、解放されたような気がした。

 すると望は躊躇なく校舎の中に入っていく。すると事務所のおじさんはほぼ顔パスで、目を丸くした。

 

「こんな簡単に外部の人間を通していいのか……?」

「ちゃんと連絡入れといたから大丈夫だよ」

 

 晴絵は首を傾げた。車内でどこかに電話する様子はなかったが……と、そこまで考えて、ため息を吐いた。自分が阿知賀の校舎に来たがることはお見通しだったらしい。

 そして麻雀部の部室の方まで向かうと、まず最初に気づいたのは、規則的なリズム音が聞こえてくることだった。聞き間違えようもない、卓に牌を置く音だ。

 そして扉の上には麻雀部の表札がかかっており、部屋に麻雀をする学生がいることを意味していた。

 

「あんた、先に入りなよ」

「……うん」

 

 数年ぶりの再会に、柄にもなく緊張しながら扉に手をかけようとした。その時だった。

 指先に冷たく痺れるような感覚が走った。思わず手を引っ込めて、驚いた。

 

(えっ……今の、なんだ?)

 

 晴絵は自分の掌を見つめる。その悪寒は、この場所に似つかわしくない、とある過去を晴絵に思い出させたのだ。

 しかし、首を降って、今のは気のせいだと自分に言い聞かせた。だってこんな場所でそれを感じるはずがないのだ。不思議そうにする望をよそに、ゆっくりと扉を開くと、今度は”悪寒”は感じなかった。

 

 部屋には五人の少女たちがおり、訪問者に気づいた一人が顔を上げた。

 

「赤土さんっ!?」

 

 見物していたジャージ姿の女の子が、晴絵を見て嬉しそうな笑顔に染まった。

 それを見た晴絵は、この子だけは全然雰囲気が変わっていないなと、苦笑して、出迎えられた。

 

「や。久しぶり、シズ。元気にしてた?」

「はいっ! ってか、来てくれたんですね! めっさびっくりしました……」

「あはは、ごめんごめん。ちょうど時間が空いたからさ。遊びにきてみたわけ」

「嬉しいです! ……ちょっと待っててもらえませんか? 多分、あともうちょっとで対局が終わるので」

「ん? うん……」

 

 晴絵はそう言われて、初めて他の四人が、全く自分のほうに顔を向けていないことに気づいた。

 自動卓に真剣に向かい合う四人は、晴絵と望を無視しているというより、全く訪問者に気がついていないようだった。ただひたすら真剣に卓に向かって集中しており、そうなると晴絵の関心も、対局のほうに向いていく。

 

(南四局……もうオーラス、か)

 

 音を立てないようにそっと、最も近かった……教え子の一人であった玄の後ろについて状況を見る。

 そして、相変わらずの超絶ドラ手牌に苦笑した。

 

(相変わらずドラ5、たっかいなー。それでいて聴牌……トップも玄みたいだけど、この状況だと厳しいか?)

 

 

南四局0本場 親憧 ドラ{一索}

 

玄手牌

 

{六}{七}{八}{四筒}{赤五筒}{六筒}{七筒}{八筒}{一索}{一索}{一索}{赤五索}{五索} 

 

 

 一撃で必ず高火力を出せる特性は、彼女にしかなし得ない持ち味だ。しかし当時から玄はその能力に振り回されがちであったことを思い出した。

 そして聴牌にもかかわらず厳しいと評したのは、周囲もまた聴牌気配であったこと。そして、ツモ以外で和了できない形であったことに起因する。{三筒}-{六筒}-{九筒}と待ちは広めだが、山にドラが残っている以上、玄がリーチをかけることもないだろう。

 

「ポンっ」

 

 リーチをかけている対面の子のツモ切りを、憧が喰い取った……そして驚いた。

 

(おお、憧のやつ、中学デビューって感じだねー! ……で、もう一人の子は、なんか見覚えが……あっ! ネクタイの子か!)

 

 久しぶりに再会した憧の変わりようにも驚いたが、それ以上に衝撃をもたらしたのはもう一人。

 晴絵は今でも鮮明に、その時の出来事を思い出すことができた。

 

 十年前のインハイ準決勝で敗北して阿知賀に戻ってきた日のことだ。

 

『はるちゃんお帰りなさい! インターハイカッコよかったです……!』

 

 負けて戻ってきたにも関わらず、唯一、あたしを応援してくれた子がいた。

 ネクタイの子と、勝手に呼んでたっけ。あの日から会うことはなかったけど、すごく印象に残ってる。

 

(そっか、いまはここで麻雀やってるんだ)

 

 懐かしい再会に感激しながらも、この戦いの行方に意識を向ける。

 どうやらこの場に集っている学生は全員、晴絵の知っている人間のようだ。どれほど成長したのかを見届けたいというのが、かつて先生であった者の行持であり、回って他の手も覗いてみる。

 そして、ネクタイの子と、玄の姉である宥の手牌を見て、苦笑した。

 

(みんな筒子多面張って……かなりきつい場になってるなー)

 

 ここまで筒子多面張のめくりあいが続く場は、あまりお目にはかかれないだろう。

 唯一、憧だけが{五}-{八}待ちの混一色手で、玄から{八}が出るかもしれない。まさかそれを狙っているのだろうかと思ったが、この一局を見ただけでは、偶然か必然かの判断はつかなかった。

 

(なかなか面白い場面ね。さて、これは玄の成長を見るチャンスかな……)

 

 この局面で注目すべき、玄の背後にもう一度回って、次の手を観察した。

 

 

玄手牌

 

{六}{七}{八}{四筒}{赤五筒}{六筒}{七筒}{八筒}{一索}{一索}{一索}{赤五索}{五索} ツモ{七筒}

 

 

 ここから、ほとんど悩まずに{五索}切り。

 

(ん? テンパイに拘ってのツモ切りか{四筒}、{八筒}切りでも、安牌切りでもないんだ……)

 

 場を重くしている筒子を警戒したのだろうか。しかしいずれにしても、全く迷わずに切った以上、玄は何らかの確信を持っているように思えた。以前なら、ツモ切りをして振り込んでいた局面だ。

 しかし、肝心なのはここからだ。

 ドラが集まってくれば筒子か萬子を切らざるを得なくなる。赤ドラが切れない以上、次に溢れるのは{八}あたりが濃厚なのだ。

 

 

玄手牌

 

{六}{七}{八}{四筒}{赤五筒}{六筒}{七筒}{七筒}{八筒}{一索}{一索}{一索}{赤五索} ツモ{八}

 

 あー、これは振っちゃうかなー……と思ったけど、玄が選んだのは{六}。

 そこからも{八}が出ないか注目しながら見ていたが、絶対に振らないように抑えているみたいだった。結局振るどころか、誰も和了しないまま終局。途中で憧も筒子を引いて、それを手の中で止めて降りたので、玄も最後まで切りきることができていた。厳しい状況に耐え抜いた玄の勝利であった。

 終局するとふうっ、とネクタイの子が背もたれに背中を預けて、そして視線が合った。

 

「や。こんにちは、みんな」

「え? あ……あ、あわわわ……っ!?」

「赤土さんっ!?」

「先生……!」

「ハルエ! 来てくれたんだ!」

 

 みんな、やっと晴絵に気づいて、いっせいに嬉しそうな表情を浮かべた。

 咳を立って喜んでくれた憧に久しぶりによしよし元気だったかと頭を撫でる。猫みたいにされるがままだ。

 

「ハルエってば、急すぎてびっくりしちゃったわよ!」

「うん、まあちょっと帰省みたいな感じで戻ってきたの。シズから手紙貰ったから来てみたんだけど」

「おお、みんな! ちゃんと届いてたよ!」

「いやそりゃ届くでしょ」

「赤土先生、お久しぶりです。この通り。いまはこの五人で、いつも麻雀を打っています!」

 

 玄が満面の微笑みを浮かべて、両腕を広げてみんなを紹介した。

 

「玄も久しぶりだね。で、そっちの二人は……」

「は、初めまして。玄ちゃんの姉の、松実宥です……」

「あ、あの、鷺森灼、です……」

「やっぱり宥か、おっきくなったね! 前に会ったのはあたしが小学生のときかぁ……厚着なのは変わってないね。で、灼も、そんな畏まらなくてもちゃんと覚えてるよ。久しぶりっ」

「……! は、はいっ!!」

 

 ネクタイの子、改め、灼は顔が真っ赤になっていた。

 相手は自分のことなんて覚えていない……なんて言っていたのが嘘のように、内心では喜んでいた。そんな初々しい様子に、晴絵はくすりと笑って、肩を叩いた。

 それから改めて、この場を作り上げたシズに尋ねる。

 

「で、この集まりは……もしかしなくても、手紙にあった麻雀部ってことだよね?」

「はい。みんなで阿知賀の麻雀部を復活させますっ!」

「といってもまだ部員足りなくて同好会ですけどね……憧はまだ阿田中なんで」

 

 憧の制服を見て、そういうことかと、すぐに納得した。

 

「来年はわたしも阿知賀に戻りますよ……で、シズ、お願いするなら今なんじゃないの?」

「あ……! そっか。あの、赤土さんっ! お願いしたいことがあるんですけど……」

「ん。どうしたのさ、言ってみなよ」

 

 憧に肘をつっつかれて震えたあと、びしっとした姿勢で晴絵に問いかける。

 あまりの真剣さに、晴絵も何を言われるかちょっと身構えた。しかし聞いてみると、晴絵が思ったほど重大なものではなかった。

 

「わたしたちと、麻雀を打ってもらえませんか!」

「……あたしと?」

 

 自分自身を指さすと、みんなが頷いた。

 ちらりと時計を見ると、微妙な時間帯だ。さすがに今日は遅いし、と言おうとしたところで、背中から肩を叩かれる。望みが晴絵に親指を立てて、問題なしというポーズをとっていた。

 

「……なるほどなるほど。つまり、もともと話はついていたってわけね」

「そゆこと。まあ、あんたの都合さえよければ、だけどね」

「うん、まあ、いいよ。あたしも、あんたたちの成長を見なきゃって思ってたしね」

「……! はいっ、もちろん!」

「オッケー。じゃ、久しぶりに打とうか! 一応言っとくけど、もうすぐ高校生なんだし、手は抜かないよ?」

「そりゃもう! わたしたち、全力の赤土さんと戦いたいんです!」

「赤土先生、お願いします!」

 

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