咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか? 作:ひびのん
赤土先生との対局のために席を譲ったのは、宥と灼だった。
かわりに穏乃が卓に入ったことで、玄と憧を含んだ阿知賀のトップ3が揃い、懐かしい場が完成する。
卓についた晴絵はすぐに、三人の好戦的な雰囲気に気づいて、たじろいだ。
(っと……あの頃と違うみたいだ。本気で、あたしを倒しにきてるのな)
三人が望んでいるのは明らかに、再会の懐古などではなく、強者との対局だ。
そして確かに、彼女たちの知る中で晴絵は間違いなく、強者の領域に足を踏み入れた雀士であった。たったの一局しか見ていない晴絵であったが、それでも玄をはじめとする彼女たちの対局は、明らかにかつてのレベルを超えていた。
生意気な感じに、思わず笑みが零れた。真っ向から挑戦してくるなんて上等だ。
「いいよ、かかってきな。久しぶりに相手してあげる」
玄もシズも憧も、強気で頷いた――そして、見えない圧力が押し寄せてきたのは、その瞬間だった。
晴絵は、まだまだ彼女たちは自分に及ばないと考えていた。だから、小手調べ程度の気持ちで牌を摘もうとしていた。だが、その考えをすぐに改めることになった。
(……マジ?)
いま感じている感覚に、晴絵はひどく戸惑った。余裕の笑みは早くも消え失せる。
長い間、強者と麻雀を打ってきた晴絵には、その感覚が理解できる。怪物と呼ばれる打ち手に対峙した時に感じる、あの悪寒――それを、かつての教え子から感じたことを、少しの間信じることができなかった。
後ろで見ている宥も、灼も、表情を硬くしている。どうやら、これが初めてのことではないらしい。
「…………」
晴絵は目の前に現れた相手が、かつての可愛い教え子ではなく、強大な怪物のように見えた。
しかし、動揺こそすれど、それで萎縮したりはしない。
油断はしない。心してかかろうと決心して、かつての麻雀教室の四人の対局が開始される。
場が進んで、東場が終わる頃には、自分の考えが全く間違っていなかったことを確信した。
(……前はブレ気味だった打ち方が、ぜんぜんブレてない)
長年面倒を見ていたおかげで、晴絵は既にそのことに気付いていた。
玄はドラに振り回されていたし、シズも気分で打っている時があった。憧はもともと安定していたけれど、以前よりもずっと場が見えているようだ。一手一手の打ち回しが、成長を証明している。
(すごい集中力だけど……特にシズ。打ちまわしは完璧といっていいレベルで仕上がってる)
玄はドラを抱えるという特性上、打ち方が荒くなってしまうため、正確な判断を下すことが難しい。
そして憧も時折奇妙な打ち方を見せている。誰かを狙い撃つような打ち回しをしているように見えたが、ここまで手を晒していないので、定かではない。
そうなると、ここまでで小さな上がりを繰り返している穏乃が、必然的に目立ってくる。
特殊な打ち方をしているようには見えない。であれば、信じがたいことだが……勉強をしたのだろうか。いや、それにしても綺麗すぎる。これでは、下手なプロよりも格上だ。
(……わざわざ、あたしのとこに手紙をよこすわけだ)
これほどの能力だ、今まではさぞ持て余していたことだろう。
しかし、まだ付け入る隙はある。純粋に麻雀を打ってきた歴史は晴絵のほうが圧倒的に長いのだ。
「ロンッ。5800!」
「……っ、はい」
振り込んだ玄は、驚いたように目を丸くしていた。
相手の隙をついて、利をかっさらう――晴絵の得意とする戦法の一つだ。
どうやら、三人とも場を読むだけでなく、表情や手の動きからの情報を得ようとしているようだ。しかしその技術は、すでに多くのプロが実践していることで、長くそうした相手に立ち向かってきた晴絵には通用しない。
(面白い。先生として、真っ向からその挑戦、受けて立ってやろうじゃないの!)
こんなに面白い麻雀は、いつぶりだろうと考えた。
今、心から麻雀を楽しめている。
彼女たちの師として、そう簡単に負けてやるわけにはいかない。心にエンジンがかかって、胸が熱くなっていくのを感じながら、晴絵は新たな牌をツモ進んだ。
「……はぁっ。赤土先生強すぎ……」
終局した瞬間、シズが背中どころか頭まで背もたれに乗せて、溶けたように体から力を抜いた。
半荘の対局結果は晴絵がトップで終了。ドラの火力手をあがれなかった玄が最下位という結果で幕を閉じた。当の本人は、やりきったという表情で、晴絵にほころんだ表情を向けていた。
「お疲れ様でした、赤土先生」
「うん、みんな腕を上げたね……てか、上がりすぎててビビってるけど」
言葉の通り、この一局だけで心底驚かされていたが、しかし他のメンバーから向けられるのは、晴絵に対する純粋な尊敬の眼差しであった。
「ずっと後ろで見てたけど、凄かった……!」
「赤土先生、ずっとトップ……」
「ま、一応この技術で食ってる身だからねえ……」
強気な言葉を放ったが、しかし内心では想像以上の接戦となったことに、冷や汗をかいていた。
負けでもしたら示しがつかないと本気で挑み、その結果勝利をもぎとった。だが、次に同じことができる自信を、全く持っていなかった。
そして、同時に晴絵は強く疑問に思う――一体何が、それほどまでに彼女たちを押し上げたのかと。
「で……あんたら、誰に麻雀を教わったの?」
「あ、やっぱりそれ聞かれるんですね」
「そりゃそうでしょ」
憧の突っ込みや、みんなの態度に晴絵はなぜ答えが返ってこないのかと、疑問を抱いた。
穏乃が答えづらそうに、後ろの頭を掻いた。
「まあ、なんというか……いつの間にか、こういう打ち方になったといいますか」
「何じゃそれは」
「でもみんな、もうインハイの人と戦ったんだよね。その経験はあるんじゃないの……?」
灼の言葉に、四人は確かに、といいながら頷き合った。
「ん? もしかして、晩成高校のチームと打ったりしたの?」
「ううん。鹿児島の学校で、永水女子ってとこ。灼を誘う前に打ってきたのよ」
疑問に答えたのは憧だった。
さらりと言ってのけたが、晴絵は、聞き間違いだろうと思い込んだ。
「いやいや、冗談きついよみんな。永水って言ったら、あの秘密主義な巫女のチームだよ?」
「うん。その永水だよ、赤土先生」
「……えっと。マジで言ってるの?」
全員が頷いた。そして「あそこに、写真貼ってある……」と、宥が指差した先を見る。
卓を立って、コルクボードのほうに顔を寄せた。間違いない。マスコミの取材をほぼ受け付けないことで有名な、インターハイの大新星として君臨した神代小蒔を筆頭とした、永水女子の何人かが、阿知賀のメンバーとともに、日差し照りつける夏の海を背景に映し出されていた。
こうなれば、それが真実であることを疑う余地はない。
「いやいや! 一体どんなコネがあったら、あの学校の子と知り合えるのよ!?」
晴絵も麻雀界に身を置く者として、その奇妙な学校についての噂は数多く耳にしている。
取材に応じないことから何もかもが謎だらけであり、対局を望む声すらも全て断られている――そんな、大きな話題を読んだ相手と、自分たちの教え子には、何の接点もないはずだ。強いていうなら、憧の実家が同じ巫女というくらいだろうか。
「うーん、まあ、成り行き? ……憧に、説明任せたっ!」
「あっちょっと! あんた当事者でしょ、自分で説明しなさいってば!」
意味が分からない。そんな顔をした晴絵に、玄が苦笑しながらことのなりゆきを説明した。
部室に置かれていた古い麻雀牌から始まって、インハイを観戦しに行って知り合って、神様の繋がりとやらで鹿児島に連れて行かれた――そんなことがあり得るのか。荒唐無稽な話すぎて、すぐに信じることができなかった。
しかし、写真という証拠がある以上、信じる以外の選択肢は残っていない。
「ちなみに赤土先生は、麻雀牌についてはご存知ですか?」
「え。うーん……どうだろ。当時も麻雀教室のときも、そういうのは見かけなかったと思うけど」
「そうですか……」
もともと倉庫に入っていたものだというので、期待してはいなかったが、少し残念だった。
そして衝撃から一息ついた頃、晴絵はぽつりと呟いた。
「……にしても、あんたたちがインハイを目指してるとはねぇ」
「はい、だから今は強い人といっぱい打ちたいんです! 現役の赤土先生、最高でした!」
「ふふ。あんた達の役に立てたならよかったよ。あー……でも、もう現役じゃないんだよなー」
「えっ?」
「実はやめちゃったんだよね、会社」
「えええええっ!?」
全員が驚きすぎて、叫び声をあげた。
やっぱりそういう反応になるよなー、と晴絵は頬を掻く。特に憧は、後ろで黙って様子を見つめていた望のほうに視線と飛ばして、望は頷いて返した。
「どうしてですかっ!? せっかく、復帰したのに……!」
一番真っ先に、すごい剣幕で聞いてきたのは灼だった。
その剣幕に少しだけ驚いたけれど、軽く咳払いしてから、事情を語った。
「うちの会社、経営があんまりよくないみたいでね。麻雀部が潰れちゃったんだよ」
「あっ……ごめんなさい」
申し訳ないことを聞いた――灼の表情が、怯えに変わる。他のメンバーも沈痛な面持ちになったが、晴絵は明るく手を振った。
「いいのいいの。どうせ最近はあんまり調子出てなかったし、ほんと気にしないで」
「じゃあ今後はどうするんですか?」
「そうねえ。あんたらにこういう話をするのも何だけどさ、それを悩んでて、気分転換に地元に戻ってきたの」
「プロにはならないんですか? もしくは、別の何かとかで」
「……うん。まあ、そういう道も選べなくはないんだけど。恥ずかしい話、ちょっと自信無くしちゃってて」
そう言うと、みんな不思議そうに首を傾げた。
「ど、どうして……!? 後ろから見てたけど、わたし、すっごく感動しました……!」
しかし一人だけ、そんな様子のあたしに必死に食いさがってきた。
納得できないという気持ちと、励ますような声色で迫ってきたのも、灼だった。しかしわたしは、困ったような笑顔で返すことしかできない。表情に勢いがなくなって、戸惑うように声も小さくなった。
「みんな相手にトップだったのに……あれだけ麻雀が打てるのに、なんで……?」
「……灼はさ、ずっとあたしのことを覚えていてくれたんだよね」
「っ……」
「いつもこんな感じで打てればいいんだけどさ……ここぞってときになると、自分の打ち方ができなくなっちゃうんだよ」
晴絵は自分の手のひらを見つめた。今は、微かに震えているのがわかった。
そして、その理由が十年前のインターハイにあることを、何も言わずとも全員が悟った。阿知賀で麻雀を打っているのなら、準決勝に進出したことも、その場で酷い負け方をしたことも、深く記憶に刻まれているはずだ。
晴絵は天井を眺めて、ふうっと息を吐いた。
「……でもさ。今日はすごく、楽しかったよ」
今日、普段通りに打つことができたのは、たまたまだ。
そして、こんなにも清々しい気分で対局を終えられたのは、本当に久しぶりだった。自分に本気で迫ってこようとする教え子に驚いたけれど、”あの感覚”が蘇ることはついになかった。
これが何かが懸かった、実際の試合じゃないからだろうか。そう考えたが、違うような気がした。
「それならっ、わたしたちともっといっぱい打ちませんかっ!?」
そして、そんなときに穏乃が、がたんと席を立った。
あまりに急に立ち上がるもんだから、みんなびっくりしているみたいだった。晴絵は目を丸くして肯く。
「ん? いいよ、もう一局くらい。あんまり遅くならないように……」
「あ、違いますっ! 赤土先生……わたしたちの、監督になってくれませんか!?」
「えっ……」
穏乃の宣言に驚いたのは、晴絵だけではなく、他のメンバーも同じだった。
「シズ、それはいくら何でも……!」
「分かってるよ。でもさ、あたしたちの監督って言ったら、赤土先生しかいないって思うんだ!」
穏乃はまったく、自分の発想に疑いを抱いていない様子だった。
いつになく真剣であり、そしてその言葉に、疑問を投げかける余地もなかった。他の四人のメンバーも全員、穏乃が言葉にしたことで初めて、自分もそれを望んでいることに気がついた。
そして、穏乃は晴絵の手をぎゅうっと握り締める。
「先生さえよければ、わたしたちの監督になってほしいですっ!」
「シズ……」
晴絵は、その真っ直ぐな申し入れに、確かに心打たれていた。
「うん、そうね。あたしも自分たちだけで打つだけじゃ限界だって感じてたし……それんハルエ以上に監督に向いてる先生はいないってあたしも思う」
「ちゃんと指導してくれる先生は必要だよねっ」
「うん……プロの人がいてくれたら、すごく安心……」
そして、心の底からわたしを必要としてくれているのが、ひしひしと伝わってくる。
でも、すぐに答えを返すことができなかった。
「……あー……えっと、その」
確かに、もう会社は辞めることになっていて、その後のことは何一つ決まってない。
でも、あまりに急すぎて、自分がどうしたいのかさえも分かっていなかった。言葉も感情もまったく追いついておらず、言葉を選んでいるとき、ぽんと背中を叩かれた。
「……望?」
「あたしはいいと思うな。あんた、やりたいって顔してるよ」
望の言葉が、すぅっと晴絵の胸の中に入ってきた。
(そっか。あたし、やりたいって思っているんだ……)
胸元にやった拳をぎゅっと握りしめる。
熱い気持ちが、そこにあった。
「……本気で、インハイを目指すつもり?」
「はい! もちろん全力で、本気でっ、インハイで全国優勝を……頂点を、目指しますっ!」
「うんっ!」
「わたしも……頑張る……」
「一度やるって決めたんだから、当然ね」
「……うん」
意思はとっくに全員固まっているらしい。
今、彼女たちに足りないものは、導いてくれる監督だけだ。一見して、みんな成長したように見えるけど、全国で戦うための牙を、まだまだ研ぐことができることが、晴絵には分かった。
「あたしは、さ……ずっと、あの時のことが引っかかってるんだ」
それは教え子に話しかけているのではなく、自分の心への問いかけであった。
「だから、今、ちゃんと麻雀とは向き合えてない。多分、あの会場に何か大切なものを置いてきちゃったんだと思う」
「……ハルちゃん」
灼が、不安げに晴絵を見上げる。しかし、その心は決まった。
「あたしは置いてきたものを、取り戻しに行きたい。きっと、そうすることで自分の麻雀と向き合えるようになるから」「……っ、それって……!」
「ああ。あたしをインハイに連れていって。全力であんたたちを優勝まで連れていく手助けをするってので、どう?」
「はいっ!!」
シズのいつになく真剣な表情は、見たことないくらいの喜びの色に変わった。
「赤土先生、戻ってきてくれるんですか!?」
「あー……まあ、先生方に相談してからだけどね。許可もらえるかもわかんないし」
勢いで言ってしまったけれど、手続き的に大丈夫か、という不安が今更頭をよぎった。
それに、望が後ろからフォローを入れる。
「あんたここの先生に人気あるから、大丈夫よ。明日にでも電話してみたら?」
「絶対大丈夫ですよっ!! むしろダメって言われる未来が見えないです!」
「ま、ハルエが戻ってこないことのほうがありえないって感じ」
「うん……頼もしい……」
五人全員が、自分を歓迎してくれるみたいだった。
シズはよっしゃーと両腕を上げて憧と腕を組み合い、玄は姉と手を握って喜び合っている。
ただしそんな中で一人だけ、灼だけは複雑そうに俯いていた。
「灼……?」
晴絵は、灼を見つめる。複雑そうな思いを胸の中に抱えていて、手を握っている
「わたしは、ハルちゃんには自分の麻雀を打っててほしいと思ってる。あの強くて、誰にも負けないくらい格好いい麻雀を打っていてほしい」
それを聞いた晴絵は、若干複雑そうな顔をした。
しかし灼の言葉はそこで終わらない。顔を上げて、はっきりと目を合わせてきた。
「わたしたちがインハイに行ったら、また、プロとして打ってくれる?」
「……それは分からない。でも、あたしはそうしたいって思う。やっぱ麻雀、好きだからさ」
説得力あるかな、と苦笑いで言ったが。
でも灼は、晴絵の手をとって、ぎゅうっと両手で強く握った。
「わたし、頑張る。絶対、ハルちゃんと一緒に優勝するから」
「…………」
「ハルちゃん……?」
何も言わない晴絵を不思議に思っている様子だったが、晴絵は灼の頭をぽんと為せた。
「……ほんと、大きくなったんだね。前に見たときは、あんなに小ちゃかったのに」
「……っ」
「嬉しいよ。ありがとね、灼」
そっと、灼だけに聞こえるように耳打ちすると、ゆでダコみたいに顔が真っ赤に染まってしまった。
みんな何事かと顔を向けてきたが、なんでもない、と灼は慌ててごまかしていた。
「さて。そこまで言われたからには、もう逃げるわけにはいかないねっ!」
全員が、晴絵を見ている。
大きく息を吸って、吐き出した。長年ずっと停滞していたものが、かみ合わなかった歯車が、ようやく動き出したようなイメージが浮かび上がってくる。そんな感覚にゾクゾクしながら、晴絵はにやりと笑った。
「とりあえず、みんな卓につきなっ!あんたたちを全員、徹底的に叩きあげてやる!」
『はいっ!!』
そうしてこの日、阿知賀女子麻雀部に、最高の顧問がやってきた。
……数十秒後。
盛り上がっているチームメンバーをよそに、望が晴絵に囁いた。
「……ところで、車置きっぱなしなんだけど、どのくらいかかりそう?」
「あっ」