咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか? 作:ひびのん
あれから、また一年ほどの月日が過ぎた。
今年も桜は見頃を終えた。花びらを落としきって冬を迎えて、それから次の春も終わった。
いまは青々しい葉をたくさん実らせている。
松実館の私室からも、吉野に広がる素敵な自然の景色が遠くまで見える。
やることもなくぼんやりと本を読んで過ごしていると、部屋の襖がゆっくりと開いた。
「おや、おねーちゃん」
マフラーと厚手の手袋で完全防備した、真冬のような装いの女の子が立っている。
小刻みに震えながら、わたしが振り返るのを待っていた。
「くろちゃん。ご本読んでたの……?」
「ううん、大丈夫だよおねーちゃん。どうしたの」
わたしの姉で、松実家長女の松実宥。
本を机の上に置いて、寒がりなおねーちゃんに近づいた。
「くろちゃんに、お客さん……玄関まで来てる。多分中等部の子だと思う……」
「おや、それはそれは。でも誰だろう……?」
はて、今日は特に予定はなかったはずだけど……階段を降りて裏口まで行ってみると、すぐに誰かわかった。
とてもよく見知った、ちょっとだけ懐かしい顔で、思わず駆け寄った。
「あっ。しずちゃん? わぁ、久しぶりだねっ!」
「玄さんっ! お久しぶりです! ……あの、積もる話の前に、ちょっと聞きたいんですけど」
「どうしたの?」
「今のすっごい長いマフラー巻いた人は……?」
「うちのおねーちゃんだよ」
「玄さんお姉さんがいたんですかっ!? んー? 確かにまだちょっと寒いですけど……むむぅ。ぜったい暑いよなぁ、あれは」
腕を組んで考えるしずちゃんは、長袖のジャージを身に付けていた。
しかし下半身を見ると、寒そうな格好のままだ。おねーちゃんだと耐えられないかもしれない。
「あっ、それで今日は、どうしても玄さんに頼みたいことがあって来たんです!」
「何かな? わたしにできることなら、まかせてよ!」
「こんなこと玄さんにしか頼めなくって……!」
「ほうほう」
「ずいぶん考えてみたんですけど、やっぱり玄さんしかいません!」
「そ、それは、わたしで大丈夫なことなのかな?」
あんまり押しが強いので、いったい何を言われるのかと、少しずつ不安になってきた。
「はい! 玄さん、麻雀しましょうっ!!」
「へっ。ま、麻雀?」
溜めて、やっと吐き出された言葉に、わたしは当惑した。
久しぶりに聞いた遊戯の名前に、目を丸くして、そして断る理由は何一つ思いつかなかった。
「う、うん。それはいいけど……急だね?」
「はい。なんていうか、ずっと麻雀したいなーって思ってて、でも和も憧もいないし、家でもネットは使わせてもらえないし……」
「なるほどなるほど」
「あまりに麻雀がやりたすぎて、隙を見てパソコンつけたら、画面が真っ青になっちゃって……」
「う、うん」
「叩けばなおるかなって思ったのに、そしたら今度は真っ暗になっちゃって」
「それは……なかなかに、なかなかだね……」
しずちゃんと、和ちゃんと会った最後の日の会話を、不意に思い出して苦く笑った。
「もう、どうしようもないんです! この熱を発散しないとどうにかなってしまいそうで……! パソコンも煙出しちゃったし……!」
「わたしは、今日は暇だから大丈夫だよ。でも、そうなると四人必要だねえ……面子はどうしよっか?」
「あっ……」
「今はまだわたしと、しずちゃんの二人かな?」
「たまらず家を飛び出してきたもんで、実はまだ誰も誘えてなくて」
しょぼんと腕を垂れて、ついでにポニーテールもだらんと垂れ下げて落ち込む。
うーん。あと二人かぁ。
……あ、おねーちゃんも一緒に打ってくれるかもしれないよ。
「メンバーが足りないなら、おねーちゃんを誘ってみようか?」
「玄さんのお姉さんというと、さっきのマフラーの人ですか? ぜひお願いします!!」
「場所はうちの部屋を貸してあげられるとして……うぅん、それでもメンツが一人足りないねえ」
「あ、それなら憧に連絡してみようかな。ちょっと待ってくださいねえっと……もしもし! お、憧じゃん!!」
素早く、しゅばっと懐から電話を取り出し、二コールも聞こえないうちに通話が始まった。
相変わらず、しずちゃんは行動力がすごい。
「憧、今から麻雀しよう!」
何の説明もなく言い放って、すると向こうから凄い声が聞こえてきて、携帯から耳を離す。
そして、影で静かに何言か喋って、ぽちっと電話を切った。
「三十分くらいで来てくれるそうです!」
何事もなかったかのようにバッチリだと、親指を立てた。
「おー。憧ちゃんがうちに来るんだねぇ、久しぶりだなあ。元気にしてるかな」
「はは。てか、わたしも久しぶりなんだっけ」
あははーと笑ってみせた。そんなしずちゃんを中に招き入れ、リビングに入る。
そして、固まった。
どんと部屋のど真ん中に置かれたこたつ。そこに下半身を入れて、ほんわかリラックスしきっていたおねーちゃんが、モゾモゾと動いている。
「こ、こたつ……?」
「ふ、ふぇっ!? お、お客さんっ……!?」
慌てて顔をあげたおねーちゃんは、わたしとしずちゃんを見比べた。そして、可愛らしく首を傾げた。
「く、くろちゃん……もしかして、このお部屋使うの……?」
「うん、今から麻雀やろうと思うんだよ。でもメンツが足りないの。おねーちゃんも入ってくれないかな?」
「えっ?」
ぽかんと目を丸くして、それから布団で口元を隠した。
少し考えていたみたいだったが、可愛らしく頷いた。
「うん、いいよ……あっ。お客さん、いらっしゃい」
「こんにちはっ。玄さんの後輩で、穏乃っていいます! うーん……」
麻雀牌をマットを戸棚の引き出しから出していると、しずちゃんは興味深そうにおねーちゃんを見つめる。
「あの……こたつにマフラーの重ねがけって、めっちゃ暑くないですか?」
「ううん……このくらいがあったかくて、ちょうどいいんです……」
「はえぇー。ではちょっと失礼して……うー……あ、あつっ。暑いっ!?」
「おねーちゃんは寒がりだからねえ」
「いやいやいや。死んじゃいますよこれ」
「あ、松実宥、です。よろしく……」
何か言いたそうに腕を組んでむむむ、と考えていたみたいだった。
けれど、すぐに「まいっか」と拳と平手を叩きわせた。
自己紹介を終えたあとは、憧ちゃんを待っている間、ゆるく雑談をはじめた。
「宥さんは、麻雀はどのくらい強いんですか?」
「おねーちゃんは、うちでお客さんと打つときもあるから、わたしと同じくらいだと思うよ」
「しずちゃんは、今日はどうして麻雀を?」
「いやー、なんかずっとやりたくてモヤモヤしてたんですけど、ぜんぜん機会がなくって。だから、たまには打ってカンを取り戻さなきゃって思いまして」
「そっか。その、わたしでよければ……相手になります……」
「はい! よろしくお願いしますっ! ……あ。玄関が空いた音。もしかして憧が来たのかな?」
「見てくるね」
立ち上がって迎えに行こうとすると、それより前に、部屋の襖が勢いよく空いた。
その人は、しずちゃんの想像通りだった。
ぴょこんと伸びていただけだった髪は、二本の絹糸のように背中まで伸びている。
ちょっと怒っているのだろう。むっとしたように唇を結んで、座っていたしずちゃんに食いかかった。
「お、憧じゃん! ひさしぶりっ!」
「憧じゃん、じゃないわよ!」
阿知賀とは違う制服を着た憧ちゃんが、しずちゃんのほっぺたを両側からぎゅうと引っ張った。
「シズはいつも急すぎるのよ! いきなり電話かけてきて、返事もしないうちに切らないの!」
「うぁ、い、いひゃい、あこやめぇ」
かつての仲間の一人の、新子憧ちゃんだ。
麻雀教室の一員で、わたしたちの大切な仲間でもある。
頬っぺたを引っ張る憧ちゃんとしずちゃんを見て、わたしはまた、懐かしい出来事を思い出した。
『へへっ、みんなおっそーい!』
『ちょっと待ちなよシズーっ!』
『ま、待ってください……!』
『ほら、あんたらそんなに急ぐと危ないわよー!』
わたしが中学一年生で、みんなが、小学生だった時だ。
しずちゃんは小さかった。
憧ちゃんはおてんばだった。
和ちゃんはフリフリで、あの頃からよいものをおもちだった。
そして、その後ろにわたしと赤土先生がいる。
当時の小学生メンバーの中でまとめ役になってくれていたのが、憧ちゃんだった。
(憧ちゃん、本当に印象がすごく変わった気がするよ。すごく大人っぽくなったなあ)
みんなあれから何年か経って、大人に近づいてきたと思う。
「あ、玄に、宥さんもお久しぶりです。お邪魔します」
「うん。久しぶりだね、憧ちゃん」
「憧ちゃん……久しぶり」
憧ちゃんはひときわ大人っぽくなった。雰囲気がぜんぜん違っていて、髪も綺麗に伸びている。
なんというか、すっごく可愛くなった。
「あこ、はなひへ」
「ほんとにもう……で。急に麻雀って、なんなのよ」
「ふぃー……いやぁ。ずっと打ちたかったんだけど、どうしてもメンツがあつまらなくってさ。頼れるのが憧くらいしか思いつかなくて」
「あー、確かにあんたとは麻雀教室以来打ててないけどさ……」
しずちゃんは「いやー」と頭を掻くのみで、憧ちゃんは頭を抱えた。だが、もう怒っていないみたいだった。
憧ちゃんは麻雀が大好きで、誰よりも真剣だった。
麻雀教室がなくなってからも、よりよい環境で麻雀を打つためにと行って別の中学校に進学した。
今もきっと、いっぱい麻雀を打ち込んでいるはずだ。
「憧は宥さんとは知り合いなの?」
「まあね。宥姉とは打ったこともあるわよ、かなり昔の話だけど。最後は何年前でしたっけ」
「うぅん……いつだったかな? 憧ちゃん、そのときよりも、大人っぽくなってて、びっくりしたよぅ」
「あ、そうそう。憧イメチェンした? 少し見ない間にめっちゃ可愛くなってる!」
「うんうん、すごくいいよ、憧ちゃん!」
三人で褒めると、満更でもなさそうに胸を張った。
「ふふん、中学デビューのときに、ちょっとね。逆にシズは小学校のときからぜんぜん変わんないわよね」
「まあね!」
「なんでそんな誇らしげなのよ……」
「ふふっ。じゃあ、さっそく牌とマット出すね」
牌をかき混ぜながら他愛もない会話を交わし、用意していた雀マットと牌をこたつの上に散らばらせた。