咲-Saki- 龍の娘は、裏雀士の夢を見るか? 作:ひびのん
準備を終えると「といやっ!」と、しずちゃんが勢いよくサイコロを振る。
そんな緩い調子で対局が始まった。
憧ちゃんは牌を握りしめたとたんに、真剣な表情に変わった。
「あたしが親ね。久しぶりだからって、やるからには勝ちにいくわよ」
「もちろん! 全力で来てよ!」
みんな配られた十三の牌を、強く握りしめて立ち上げた。
わたしが親だ。
配牌は、一目見てよいとわかる好形三向聴のドラ四。
その牌の中から何を切るかを考えていると、触れた指先から不思議な感覚がして、手が止まる。
「玄ちゃん、どうかしたの……?」
「あ、ううん。何でもないよ」
そう言いながらも、指先から伝わってくる奇妙な感覚に戸惑っていた。
(……いまの、なんだろ……?)
不要牌を一枚切り出して、すぐに二順目が回ってくる……ヤマの牌に触れる。
また、ちりっ、と指先に熱を感じた。
「……っ?」
一瞬、ツモりかけた指先を離した。もう一度そっと撫でるように、牌に触れる。
……今度は変な感じはしない。
奇妙に思いながら、手牌の上に横向に乗せると、それはドラだった。
当然、手の中に組み入れる。
『玄さんは、ドラに好かれているんだよ』
『そんなオカルトありえません』
昔、麻雀教室で和ちゃんによく言われた台詞が、また聞こえた気がした。
わたしの手にはいつもドラが集まってきてくれる。
ドラが好きで、いつからかそういう関係になった気がする。
昔、麻雀教室の先生が言っていた。こういう能力は、それほど珍しいわけでもない。麻雀をしている人の中には、そういう個性を持った人も多いのだ、と。
(……でも、いつもと違うよね)
でも、いま感じたのは、いつもの感覚と何かが違う。
奇妙な感覚に戸惑いながらも、気を取り直して、しっかりと場を見ることに集中した。
そして五巡目。
ツモってきた牌を盲牌する。指先から、焼けるような感覚が伝わってきた。
それを表返し、手元に引き寄せて置いた。
「ツモだよ! 6000オール!」
「ふぁっ」
「ぐぬぅう、いきなり三巡目で親っ跳ね……きっついわあ」
みんな、いきなりの高打点に息を零した。
しかし気を取り直すのも早い。みんな、わたしと打つのは慣れている。
なかなか和了できないものの、和了できれば強い。そんな打ち方をずっと続けてきた。
この打ち方だけは、きっと一生変わらないだろう。
しかし、奇妙な感覚は、その局だけでは終わらなかった。
(……また、この感じ)
次局、また配牌に触れたときに不思議な感じがした。
体が、熱っぽくなる。ドラは同じく四枚だ。
おねーちゃんはいつも通り、ゆったりとしたペースで打牌した。
憧ちゃんも、場の流れを考えながら、素早く切る牌を選びぬいている。
そして意外なのは、しずちゃんだ。昔のように元気よく打牌することもなく、いつになく落ち着いた様子で、静かにマット上にコトリと牌を置いた。
ほとんど無表情に近い、しずちゃんらしくない顔をしていて、ドキリとする。
(……み、みんな、すごく真剣だよ)
慌てて自分の手牌に視線を落とす。
ゆったりとした回だと思っていたけど、どうやら、そうでもないらしい。
気を引き締めないとと、警戒しながら、親として場を進めた。
そんな中で迎えた七巡目。
(普段なら、これを切るんだけど……)
何気なく切り出そうとした一枚を掴んだ瞬間。嫌な予感が頭をよぎって、手が止まった。
……おねーちゃんは、まだ。しずちゃんもまだみたいだけど……憧ちゃんが狙ってる気がする。
根拠のない直感だった。
しかし、それが合っているかどうかを、より深く考え込む。
目を瞑って思考の海に入り、相手の思考を読んで探り出そうとする。
すると、普段は見えないものが見えた。
全ての河に落ちた捨て牌。ツモによって引き入れた牌の位置。表情。
脳の思考回路が、目を瞑った暗闇の中の世界で繋がって、確信に近い答えを導き出す。
出しかけた牌を手に引き戻し、確実な安牌を切り出した。
(この局は和了できない流れだ)
だが牌を切ってから、眠りから覚めたみたいに、はっと何度かまばたきをした。
「あれ……?」
何か、おかしい。奇妙だということに、すぐに気がついた。
いつも、麻雀を打つときに、こんなふうに考え事をしていたことがあっただろうか。
普段以上に場がよく見える。自分の手だけでなく、相手の手がどんな形になっているのか、透けて見えるくらいまで考え込んでいた。場の流れが悪くないことも、それとなく感じる。
戸惑っていると、間もなく憧ちゃんが牌を倒した。
「ロン……7700」
「はぅっ! ……はい」
おねーちゃんが切り出した牌にロン和了。
その三面張に、わたしの切ろうとした索子も含まれていた。
(憧ちゃんの和了牌が分かったの……?)
自分で、自分の手を見つめた。
やっぱり変だ。いつもと、前に打っていたときと何かが違う。
すると、局が終わったのに牌を混ぜようとしないわたしを見て、おねーちゃんがわたしの手にそっと触れた。
「くろちゃん、どうしたの?」
「おねーちゃん……なんだか、不思議な感じがするんだよ」
わたしがそう言うと、心配させてしまったらしい。
「体調が悪いの……? なら、休憩しないと……」
「ううん、そうじゃないの。いつもと違うってうか……うまく言えないんだけど、打ち方がいつもと違うの」
「って、玄。その手であたしの索子押さえてたんだ……」
たまたま倒れた手牌を見て、憧ちゃんが声をあげた。
かなりの良型で、普段なら押してしまっていた局面だ。でも切らなかった。それは、自分でも戸惑うような打ち方をしているからに他ならない。
「……ううん……よく分かんない。こんなの初めてだよ」
「確かに、玄、いつもと違う……っていうか、それを言うならシズも、なんか変。やけに静かじゃない。二人とも雰囲気違うし、どうしたのよ?」
「へ?」
憧ちゃんに声をかけられて、しずちゃんは、初めて目をぱちくりさせる。
「ああ、集中して打ってたからかな?」
「……いつもなら『とりゃあ!』とか言いながら牌を切ってくるくせに」
「あははー、そりゃ昔の話だよー。でも、うーん、確かになんかわたしも、確かにいつもと違う感じがするんだよなぁ……」
照れ隠しに頭を掻いて、それから考え込んだ。
「うーん、何か思い出しそうなんだよなぁ……なんだったかなぁ……」
「ほ、本当に大丈夫なの、二人とも?」
「もちろん。っていうかむしろ、今は打たなきゃって感じだよ!
「わたしもだよっ!」
「そ、そう……じゃあ続けましょうか」
わたしもしずちゃんも、意気揚々としてみせたので、続行が決まった。
不思議な感覚にはとまどっていたが、なぜか今は、無性に麻雀の続きが打ちたくなっていたのだ。
しかし、次局のことだ。
休憩の間にあった明るい空気は、異様なほど閑静に様変わりする。
例えるなら、雨の日に家で一人きりで過ごすときのような、以上な静けさだ。
卓にことりと、牌を置く音だけが響いた。
口を噤んで静かに牌に向かい合っている。場の空気が、とても重い。
わたしはいつの間にか、話を振る余裕がなくなっていた。深く、もっと深く。相手の手を読んで、透かして見ようとした。
憧ちゃんも負けじと、考えながら牌を切ってくる。
おねーちゃんは、細かく震えながら、おそるおそる牌を切り出してきた。
だが、この場の中でも一番集中しているのは、やはりしずちゃんだった。
まるで別人のような打ち筋だ。
甘い牌は一切切り出してこない。しかし、攻めっ気を見せないまま、終局した。
しずちゃん以外が聴牌。三人で罰符を受け取りながら、おねーちゃんと憧ちゃんはほっと息を吐いた。
「はぁ……なんか、卓打ちなのに、めちゃ緊張したわぁ……」
「……なんか、思い出してきた」
「え。シズ、なんか言った?」
「うん。麻雀の打ち方っていうか、どうやって打てばいいか、わかってきたよ」
手牌を取る前に、背筋にぞくっと冷たい感覚が走った。
指先が止まり、その悪寒の発生源を見上げる。
目を疑った。
しずちゃんは澄んだ紅い目で配牌を見つめている。その周囲に霧がたち込め始めているのを幻視した、ような気がする。
目を擦ると、見えていたはずの白霧は、嘘のようになくなった。
(いまの、なんだろう……ちょっと、怖いよ)
決して心地よくない不穏な感覚で、悪寒というのが一番近かった。
震える足をそっとコタツに入れる。
憧ちゃんは特に反応していなかったけれど、おねーちゃんも何かを感じ取ったのだろう。目を潤ませて、布団を首に、きゅうと巻きつけていた。