『あの吸血鬼は私が忘れた心を持っている』
『妖怪の山』の麓には、湖がある。
何故か昼間だけ霧が出やすい為、『霧の湖』と呼ばれている。
視界が不明瞭な為、広大な湖に見えるが実際はそうでもないと思われる。一周歩いて回っても、1時間程度も掛からないくらいだ。
この湖を根城とする妖精や妖怪も少なくない。幻想郷において、豊富な水が得られるスポットとして有名な場所だからだ。
当然、此処に近寄れば何かしらの存在に出くわすこととなる。紫は先程、この辺りの妖精達のリーダーを名乗る氷の妖精に喧嘩を売られたばかりだった。(適当に叩きのめした)
(自称)妖精のリーダーを返り討ちにしたところ、そこから特に遭遇する者はいなかった。道中、黒い影の塊のようなものが飛んでいるのを見かけたが、正体は例の闇の妖怪だろう。木に激突したかと思えば悲鳴らしき声が聞こえ、そこからまた別の木にぶつかっていた。
その光景を見飽きてしばらく歩いていると、紫の目にあるものが入る。
『霧の湖』の畔には、目が痛くなるほどの
名を、『
紫にとって、この旅の最初の目的地である。
この館には主の吸血鬼を始め、魔法使いや妖精といった様々な種族が住む。その館の警備と来客の対応を兼ねた門番として、武術の達人の妖怪が待ち構えているはずなのだが──
「頼もしい門番ね」
門の柱に背を預け、腕を組んで気持ち良さそうに眠っていた。紅く長い髪と色彩のギャップがある翠の中華服に身を包み、捲られた裾からは程よく鍛え上げられた腕が見える。
──
何か妖怪らしい特徴を持っていない彼女だが、コレといった弱点を持つわけでもない為、ある意味では敵に回すと厄介な存在だろう。特に、単純な肉弾戦ともなれば彼女に勝てる者は限られてくる。
それほどまでに、彼女の最大の武器である武術は優れたものなのだ。
………尤も、それが活かされる場面があるのかどうかは謎だが。
昼寝(もしくは、それに見せかけた瞑想)に耽る美鈴を横目に、紫は
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「あら、貴女は」
「えぇ、久しぶりというほどでもないわね」
館の中に入ると、偶々ある人物に出くわした。
──
様々な
……といっても、その部下の妖精達は大して仕事をこなしていないようだが。
銀髪のボブカットに、もみあげ辺りから下がった三つ編み。青と白の二色を基調としたメイド服という出で立ちで紫を出迎えていた。
「何故、貴女が此処に? 美鈴からは何も聞いてないけど?」
咲夜の目つきが少し鋭くなる。
来客の対応というよりは、刺客への対応をとる雰囲気だった。その証拠に、手には鈍く輝く銀製のナイフが握られていた。
彼女もまた、館の警備を兼ねているのだろう。そうした役目も請け負っている以上、訪れた客に敵意を向けてしまうのは仕方のないことかもしれない。
それも、門番である美鈴がこの妖怪にやられてしまった可能性も十分にあり得る為、尚更だった。
しかし、その真相は物騒の「ぶ」の文字もない。
「あの頼りになりそうな門番は、お休み中でしたわ」
嘘はついていない。門番は実際に休んでいたのだから。
一方で、紫の発した一言に咲夜はパシンと目を叩くようにして手で覆った。
「休み時間は過ぎてるはずなんですけどねぇ……」
「きっと、本人と現実の時間の流れに差があるのでしょう」
「貴方が境界を弄って、時間の感覚を狂わせたんじゃなくて?」
「まさか。それこそ、貴女お得意の力で何かしたのでなくて?」
紫は口元を押さえて小さく笑うが、咲夜もそれにつられるように小さく笑って息を吐く。
お互いに、相手が美鈴に何も手を出していないことは分かっていた。つまり、アレは本人の癖でしかないのだ。
今度は何のお仕置きを与えようかと考える咲夜に対して、今度はどんなお仕置きが門番に下るのかを紫は密かに楽しみにしていた。
互いに軽口を叩き合うことで、少し緊張が解けたようだ。
「此処のお嬢様に会いたいのだけれど、今いるかしら?」
「はて? 一体、どのような用事で?」
「ちょっとお話ししたいだけよ」
「相変わらず胡散臭いわね。お嬢様に確認をとってくるから、少し待ってなさいな」
咲夜はそう言うと、一瞬で姿を消した。
先程までそこにいたという気配は一切残らず、まるで最初から誰もいなかったかのような感覚に陥ってしまう。
そこから数十秒経つと、再び紫の目の前に姿を現わす。
「頷いてはいなかったけど、通して構わないらしいわ」
「貴女………相変わらず速いわね」
「そりゃ、光よりも速く動けますから」
咲夜の動きは、紫には全く見えていなかった。
ただし、タネ明かしをすれば咲夜は実際に素早く動いていたわけではない。
『時間を操る程度の能力』
文字通り、時間を意のままに操ることが出来る能力である。先程の現象も、この力で説明がつく。
時間を止めている間に主の部屋まで行き、確認を取った後、再び時間を止めて紫の前まで戻ってきたのだろう。
しかし、彼女は本当に人間だろうか?
紫の知る限り、時間に干渉できる力を持った存在は妖怪の中でも
故に、紫は咲夜が本当に人間なのか確証が持てていなかった。
「それでは、案内しますわ」
紫の思惑を無視するように、咲夜は紫の前を歩き始めた。紅魔館は外観に反して、内装が異常に広く、慣れた者でなければ迷いやすい。それも、目の前にいるメイドが空間を弄って拡張したからである。
時間を操ることが出来る以上、時間と密接な繋がりを持つ空間を弄ることも何の造作もないのだろう。
紫も途中で考えることをやめ、咲夜の後をついていった。
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何度か曲がり角を曲がっていると、また見慣れた人影が視界に入った。
「何か気に入った本は見つかったかしら、魔法使いさん?」
「貴方は……」
先をリボンで結んだ
──パチュリー・ノーレッジ
幻想郷でも魔法の分野で屈指の実力を誇る魔女にして、紅魔館の頭脳。100年以上生きていることもあり、その知識の量は相当なもので彼女の発明した魔法にその成果が色濃く現れている。
『宴会の異変』や『第二次月面戦争』の際に、紫もそれをハッキリと認識していた。
「何故ここに……? まあ、咲夜が普通に通してる辺り、大丈夫なんだろうけど……」
「お嬢様から許可は下ってますので……」
表情が読めないパチュリーの視線に、咲夜はおずおずと答える。
どうやら彼女の図書館には本を盗んでいく『
そう考えると、咲夜が少し気不味そうにしているのも納得がいく。
紫が此処に姿を見せているのは、決して警備の隙を突かれたからではないのだ。
門番はともかく………
「そう。レミィも何だかんだ、この妖怪には世話になってるものねぇ」
「おや? それは貴女もじゃなくて?」
パチュリーの一言に、紫が口を挟んだ。
「ええ、ホントにありがとう。貴方が外来本を届けてくれるおかげで、漫画とかいう頭を使わない本ばかり読んでる門番はスッカリあの調子よ」
「どういたしまして」
皮肉を交えたパチュリーの礼に、紫は笑みを返す。
その対応にパチュリーは溜息を吐いた。
彼女の図書館には魔導書の他に、外来本と呼ばれる外の世界の本が無数に置かれている。コレは外の世界で忘れ去られた本が
元々漫画自体は天狗が作ったものが幻想郷にあるのだが、流れ着いてくる外来本にも多く含まれる。
それらを総合すると、とてつもない数の漫画が溢れ、それを門番が読みふけてしまって仕事が出来ていないのだ、というのはパチュリーの愚痴である。
彼女曰く、「漫画ばっか読んでるから眠くなるのよ。頭使わないからね」
「どうかしら、メイドさん? 門番のあの癖は漫画のせいらしいわよ」
「いや、その漫画を溢れ返させたのは貴方でしょうが」
紫が問い掛けると、咲夜は呆れたように溜息をついて返事をした。それに負けないくらい呆れた声でパチュリーが咲夜に問い掛ける。
「全く、ウチの
「すみません、私はどちらかというと
咲夜がそう言うと、彼女の腕に抱えられる形で何冊もの分厚い本が積み重なって出現した。
また時間を止めている間にどこからか持ってきたのだろう。
どうやら、『
「まあ、ずっとお昼寝してる猫よりはマシね。出来れば、回収よりも警備の方に熱心になってくれると嬉しいわ」
「善処します」
涼し気な顔で答える咲夜にパチュリーは小さく笑い、彼女の腕に積み重なった本を受け取る。そのまま図書館に向かって歩いていこうとしたパチュリーだが、すれ違いざまに紫に一言言い残した。
「でも、本を通して外の世界が見えるというのも素敵な体験よ。今度はもっと、魅力的な本を送ってちょうだい」
漫画で溢れ返ることに不満を抱いていた彼女だったが、外来本自体には彼女自身も興味をそそられるものがあったらしい。
その言葉を受けた紫は軽く微笑んだ。
「善処しますわ」
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「アレ? お嬢様の部屋はこちらではなくて?」
「お嬢様はバルコニーの方でお待ちしてますわ」
紫と咲夜は、館の当主の部屋を過ぎて廊下を進んでいった。長かった廊下も遂に果てを見せ、視界の先にある両開き扉の隙間からは白い日光が漏れている。
咲夜が扉の取っ手を掴んで押し開くと、真っ青な空と緑の大地の光景が目の前に広がっていた。その光景に見惚れるのも束の間、耳に届いた声が紫の意識を引いた。
「ちょっと、急に何の用なのかしら?」
「ごめんなさいね、景色に見惚れちゃったものだから」
紫と咲夜の目の前には、日傘の付いた椅子に座る幼い少女がいた。
青みがかった銀のセミロングに、血が宿ったように紅い瞳。薄桃色がかった白のドレスに、それと同色のナイトキャップ。
そして、背から覗き出す蝙蝠のような翼。
──レミリア・スカーレット
彼女こそがこの館の当主にして、幻想郷でも屈指の実力者として名を馳せる吸血鬼である。
「また私を月にでも行かせる気なのかしら? なら、またプールも用意してやらないとねぇ」
「お言葉ですが、お嬢様。パチュリー様がまた協力してくださるか、少々疑問を覚えます」
「なに、漫画の一つでもプレゼントすれば協力してくれるさ」
クスクスと笑うレミリアに、咲夜は苦笑いを浮かべた。
先程のパチュリーとのやり取りで、彼女が漫画に対して良い思いを抱いていないのは明らかだ。
もしかしたらレミリアは、彼女の嫌いな漫画を送りつけて無理やり読ませることを脅しのタネに使おうと思ったのかもしれない。
悪魔の名は伊達ではない。
「なら、貴女にはニンニクでもプレゼントしようかしら。妹君と仲良く分けられるようにね」
「ノーサンキューよ。それに、あの子は人から貰ったものを壊しちゃうから」
紫の申し出に、レミリアはキッパリと断った。
「咲夜、紅茶を2つお願い」
「かしこまりました」
再び咲夜の姿が一瞬で消え、次の瞬間に紅茶の入った2つのカップが乗ったお盆を持って現れる。それぞれ小さい皿に乗せたカップをテーブルに置く度に、カチャリと音が鳴る。
「気が利くわね」
「そりゃ、私の優秀なメイドだから」
取っ手に指を回し、静かに持ち上げたカップを口に近付けた辺りでレミリアは動きを止めた。
「咲夜、あとはいいわよ。通常通り、業務に戻ってちょうだい」
「仰せのままに」
主に返事を残したまま、咲夜は姿を消す。
その場に残ったのは、紫とレミリアだけになった。
「気が利くわね」
「そりゃ、私が優秀な主だから」
レミリアは一口紅茶を喉に流すと、話を続けた。
「
「流石、吸血鬼といったところね。隠してるつもりもなかったけど、見抜かれていましたか」
紫は口元に扇子をあてて、含み笑いを浮かべる。
レミリアは特に表情を変えるわけでもなく、その光景をジッと眺めるだけだった。
「私が
そこまで言うと、紫はパチン! と音を鳴らして扇子を閉じた。
「それでは語りましょうか。
──
紫は薄っすらと笑みを浮かべる。
かつて幻想郷を恐怖に陥れた吸血鬼と、自らの箱庭を見守り続けた幻想郷の賢者。
二人の大妖怪による対談がいま、始まろうとしていた。
非想天則や儚月抄のネタを詰めました。
非……漫画のくだり
儚……月やプール
原作のネタを拾っていくのも楽しいですね。