歴史上の人物が登場しますが、内容は史実とは異なりますので御了承ください。
命ある者の
それは、寿命を持つこと。そして、寿命を迎えた者は肉体を捨て、この世から姿を消すこと。
──冥界
その理に反することなく生を終え、三途の川を渡り、裁きを受けた多くの魂が最後に流れ着くところ。
夜を迎え始めた空のように薄暗く、しかし、やんわりとした明るみに満ちた景色が視界に広がる。石畳が敷き詰められた一本道が真っ直ぐ伸び、その両側には
ヒラヒラと桜並木から宙を舞う花びらが景色を彩るように、桃色の風を創り上げていた。
この世には無いであろう景色の美しさに、人妖問わず見惚れない者はいないだろう。しかし、これほどまでに美しい風景が広がっていながらも、あらゆる生命が蔓延る現世のような生気は何処からも感じられない。
ミミズが這ったような文字が書かれた木札が桜の木を囲むように埋め立てられ、その周囲を彷徨うように青白い火のような霊魂が静かに飛び交っている。
それらの光景が、美しさの中に一つの儚さのようなものを生み出していた。
石畳の道を歩いていくと、その果てには見上げるほどに高い一つの丘と、その頂上に続く大きな階段が待ち構える。ここを普通に上るだけで一種の修行と言えそうなほどにその階段は、永く伸び果てていた。
いつもならスキマを使って目的地まで飛ぶ私だが、今は一歩一歩上って行こうと決めた。
その階段の両脇にもまた桜並木が続いており、桃色に彩られた世界をもっと歩みたいと考えていたのだ。
そう心に決めつつ、一歩一歩階段に近づいていると、ある人影がその階段の傍に立っていることに気付いた。その者は、こちらに軽く会釈した後、静かに距離を縮めてくる。
私は黙ったまま、そこで立ち止まった。
「お久しぶりです、
「貴方は……」
聴き覚えのある老いた声。
深く被った編笠で顔は見えないが、それが何者なのかはすぐに分かった。腰に携えられた二本の刀、その身体の側に浮かび上がる青白い霊魂。
──間違いない………
「随分と久しぶりね」
私は挨拶代わりに、声を掛けた。
「どうせ、
「……………」
私の提案に、彼は暫く黙り込んだ。
注意深く観察してみると、少し俯いているようにも見える。
何か口にするのも憚られるような返事でも用意してるのだろうか?
「そのことですが、紫様………どうか、この老いぼれの願いを聞いて頂けませぬか……」
「…………」
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「……いいでしょう。貴方の望み通り、私が先に行きましょう」
「ほ、本当ですか……!?」
「ただし」
願いを聞き入れられて少し興奮気味な彼を、一言挟んで制する。
私は、ある条件を呑ませたかった。
「貴方が姿を消した
「な、なんとッ……!?」
編笠を被っていても分かるくらいに彼はひどく動揺した。咄嗟に喉から飛び出した声は震えを伴って僅かにその余韻を残す。
私は、その理由が分かっていた。
「お、お待ちください紫様………!! もし、それを明かしてしまったら幽々子様は………」
「大丈夫よ」
だが、私は彼の動揺を抑えるように、その頬にソッと左手を差し伸べた。
「幽々子はもう、貴方が考えるほど弱くない。そして、
「し、しかし………」
「自分の家族を信じなさい」
「…………」
私はそれだけ言うと、背中に彼を残し、一人で冥界の階段へと歩を進め始めた。
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ずっと同じような景色が続き、同じように脚を運ぶ。そんな作業を延々と繰り返していても、決して飽きることはなかった。
桜吹雪に包まれた階段を歩く。
そんな幻想的な体験が、私の心を踊らせていた。
しかし、幻想とは一種の儚さの上に成り立つものだ。桜の花びらそのものに宿る僅かな淡い光が、それを感じさせる。
美しさに混ざる哀愁の光を帯びた花びらが宙を舞っていき、その光景を目にするうちに脳裏にある人物の記憶が蘇っていく。
何かしら特別な意味を込めることなく、私が気兼ねなく「友」と呼べる数少ない人物──
『
この冥界の管理者にして、かつて「春雪異変」を引き起こした主犯でもある。
約1000年もの過去に遡る彼女の背景には、「
彼女の父は「歌聖」と呼ばれた人物であり、かの有名な「西行法師」の名でその生涯を語り継がれている。この西行こそが、
幽々子は人間の死を司る力を持つ。その力は、父──西行から受け継がれた力なのだ。
西行はかつて、その力で友を
その友の名は「
西行はそのことを悔い、また自らの力で周囲の者を殺してしまうことを恐れ、出家を決意した。家を出ようとする彼の脚にすがりついて泣く4歳の娘を縁から蹴り落とすほどに、彼の決意は固かった。
彼の幼き娘──幽々子が未練を残さぬよう、敢えて父らしからぬ振る舞いで家を出たのだろう。或いは、自らが秘める力への恐れの現れだったのかもしれない。
彼は旅に出ながらも歌人としての才を発揮し、「歌聖」の名を背負った。しかし、出家から10年もの歳月が経とうとした時──西行は病を患った。
自らの死を悟った彼は、最期に歌を残した。
『願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ』
彼は、桜を愛する歌人としても知られていた。
そして、その生涯を自らが愛する桜の下で終えたいという願いを歌に込めたのだ。彼は自らが残した歌の通り、満開の桜の下でその生涯を閉じていった。
あの忌々しき災いが起きたのは、それからのことだった。
西行亡き後、彼を慕っていた者達も跡を追うように、満開になったその桜の下で次々に死んでいった。
その全員が何かに取り憑かれたかのように、桜を眺めるようになっていたのだ。
そして、最期は自ら命を断つ。
ある者は胸に刃を立て、ある者は桜の枝に自らの首を吊り下げた。そう………その桜には人を死に誘う力が宿っていた。
そして、桜の力に取り憑かれた人間が増える度に、その桜は大きく咲き誇った。
かつて西行が持っていた「死の力」を桜が取り込み、周囲の人間の血を吸い続ける「
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西行は周囲の者を殺めることを恐れ、家族の元を去った。
しかし、災いはそこで終わらなかった。
その呪われた力は父からその娘へと受け継がれていたのだ。そして、彼女がそれに気付いた時は既に遅かった。
気付けば、血の海に沈む母親が一人。
かつての父と同じように力を抑えられず、その娘もまた母親を殺めてしまっていた。
いや、母親だけではない。
友とも呼べるほどに親密な関係を築いていた使用人をはじめ、周囲の人間が一人残らず死に至る。全員が自らの血に沈み、彼女を残してこの世を去った。
周りを見渡せば、地を赤く染め上げるほどに広がる血溜まりとそこに転がる数多の死体。幽々子は其処に一人、取り残されていた。
ここで幽々子は父が姿を消した理由を悟り、また自身にもその力があることを自覚する。
血に濡れた手。
血に沈みゆく身体。
自らの力を憂いた彼女は命を断とうとするが、どういうわけか死ぬことが出来なかった。
首を吊り上げても苦しむ時間が延々と続くだけで死には至らず、刀で腹を裂いても気がつけば元通りになっている。
誰かと共にいることも許されず、そして死ぬことも出来ず、幽々子はただ孤独に苦しみ続けた。
そんな悲しみに暮れる彼女の耳に、西行妖の噂が入る。
「歌聖」と呼ばれた人物が桜の下で死に至り、その後を追うように幾多もの人間がそこで命を断っていること。
それを聞いた幽々子は、その「歌聖」が父であることを確信し、西行妖の咲く地へと向かった。
季節は春──
満開になった西行妖は、桃色の淡い光をその身に宿し、美しくも不気味な輝きを放っていた。周囲には埋められた土で盛り上がった小さな丘が幾つも出来上がっており、その上には血濡れた刀や縄が散らばっていた。
ザワザワと桜吹雪を散らす西行妖を見上げる幽々子は突然、声を掛けられた。
『ここから立ち去れ』
その身の周りに青白い火のような一つの霊魂を漂わせる老人がそこに一人。彼はこの桜の下に眠る西行の従者だったと話した。
その名は魂魄妖忌。
かつて西行がその力を抑えられず、手に掛けてしまったはずの存在。死の間際、西行が無意識にその効力を弱めていた為に一命を取り止めていたのだ。
しかし、彼は人の身ではなくなっていた。
見た目は通常の人間のようだが、その身の魂の半身として不気味な霊魂が漂い続ける。後に、「半人半霊」と呼ばれる存在に変わり果てていた。
人間の身でなくなった者は、人間の世で暮らすことは出来ない。既に人間ではなくなった彼は、俗世から離れて過ごすことを強いられていた。
しかし、幽々子と同様に西行妖の噂を聞きつけ、この地に足を運んでいたのだ。
ここから去れと命じる妖忌に、自身がこの災いを引き起こした西行の娘であることを明かす幽々子。
そして、この地を訪れた目的を話した。
それでも尚、西行妖が如何に危険かを知る妖忌はこの場から立ち去らせようとする。彼はかつての友を亡くした身であり、その娘まで死に至らせるわけにはいかなかったのだ。
『父親と同じ運命を辿らせるわけにはいかない』
そんな彼の説得を聞き流す幽々子は、静かに彼の襟元を掴み上げた。
『西行妖を封印出来るのは私しかいない。私の役目は、この災いを終わらせることよ』
『………!!』
妖忌の目に映ったのは、強い覚悟のこもった鋭い目つき。獣が獲物を狙うのにも似たその視線の力強さを感じ取った妖忌は、それ以上は何も言わなかった。
彼女は、数多の死体が眠るであろう土の上を歩いて行く。足元からその桜の呪いに取り憑かれた者達の声が聞こえ、その自らの死にさえ心酔しているようだったという。
幽々子はその桜に静かに手をかざした。
すると、その木を覆っていた淡い光は次第に消えていき、その場に吹き荒れていた桜吹雪は静かに収まり始めた。
満開だった桜は、1枚の葉もつかない巨大な枯れ木と化していた。
幽々子は、死を司る力を使って西行妖を死に至らせたのだ。
巨木から不気味な気配が消え、一切の生命力が感じられない。
それが、これまでの忌々しき災いに終止符が打たれたことを示していた。
その様子を離れた所から見守っていた妖忌は、目の前の事実に僅かな疑いを抱きつつも、静かに安堵の息を漏らす。
コレで、かつての友も報われるだろうと考えていた。
──『これでもう、誰も死ぬことはない。友を救うことは出来なかったが、その娘は生きていてくれた………災いはもう、終わったのだ』
しかし、悲劇はそこで終わらなかった。
幽々子が自身の胸に静かに手を当てると、突然大量の血を吐き出した。
咳き込む度にその身に纏っていた水色の着物が
『幽々子殿………!!』
慌てて幽々子の元に駆け寄る妖忌だが、仰向けに倒れた彼女の身体は全く重さが感じられない程に血が流れ尽くしていた。
『な、何故………』
戸惑いながらも彼女がもう助からないことを悟った妖忌は、途切れ途切れに聞こえる彼女の掠れた声に耳を傾けた。
『父の呪われた力を絶やすには自らの命を断つしかなかった………この災いを繰り返さない為にも私は父の跡を追う』
幽々子は死を司る力を自分自身に使ったのだ。
それまで何をしても死ぬことがなかった彼女は、一つだけ試していない方法を残していた。
その方法を実行した結果、彼女は死に向かいつつあった。
ようやく死ぬことが出来たことに僅かな幸福を感じていたのか、妖忌に上体を支えられながら彼女は弱々しく血を零した笑みを浮かべ、その手を静かに桜の枝に向かって伸ばす。
父が愛した桜を、彼女もまた愛したかったかのように。
そして、幽々子は最後にある事を頼んだ。
『どうか、私を………父と同じように眠らせて欲しい』
程なくして幽々子は目の光を失い、静かに息を引き取った。弱々しく空に伸ばしていた手は、音もなく地に落ちた。
その身体から流れた血が、どんどん地面に広がっていく。
それを自らの腕の中で見届けた妖忌は、彼女の願い通りその亡骸を桜の下に眠らせたのだった。
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かつて、友に人殺しの罪を負わせ、その命を救うことが出来なかった。
そして、その娘を救うことも──
友を救えず、その娘も救えなかった己の無力さを嘆いた彼は、そこから700年もの間、贖罪の旅に出ることになる。
妖忌は一切の生気が残らない西行妖と幽々子の亡骸を埋めた墓標無き墓を背に、その場を立ち去った。
あれほど咲き誇っていた桜の枯れ果てた姿は、その時の彼の心のようだった。
それから700年後に待ち受ける再会。
しかし其処にいたのは、生前の記憶を失くした「歌聖」の娘だった。
※個人の勝手な都合で大変申し訳ございませんが、しばらく休載させて頂きます。ですが、必ず戻って来ますので、その時までどうかお待ち頂ければと思います………!
詳細は、こちらをご覧下さい。
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