二〇十五年、七月末日。突如天より、無数の化け物が飛来した。化け物は世界中に散らばり、無差別に人々を襲い、食らった。
それは明楽のいる長野県諏訪市も同じであった。
恐怖にかられ逃げ惑う人々。
その中で逃げ遅れた一人の少女を救おうと、明楽は無謀にも化け物の前にその身を晒した。
まだ小学生の子供がとるにはあまりにも勇敢な行い。
だがその結果、明楽の
◇ ◆ ◇ ◆
二〇十五年、一月末日。冬。
駆道 明楽はたった一人でバスに揺られていた。明楽のほかに乗客の姿は無い。
(みんな、寒くて外には出ないんだろうか……。それとも、
明楽はぼんやりと、車窓の外を流れる雪景色を視界に入れながら思った。
確かに、彼が以前まで住んでいた東京と比べれば、都会とは言えないかもしれない。
だが大型スーパーもファミリーレストランも、コンビニだってある。普通に暮らしていく上では不便は感じさせない場所だ。
明楽が小学六年生の幼い身空で、独り東京から長野の諏訪にまで来たのには理由がある。
それは両親の離婚によるものだった。
理由がなんだったのか、明楽は知らない。父も母もそれを明楽には教えてくれなかった。
だがそれは、決して彼の心を思いやって、という訳ではない。二人ともただ単に、自分たちの息子に興味が無かったからだ。
子供に無関心な親。家族の愛など受けることなく、明楽は十二歳の今日まで孤独な日々を過ごしていた。
そんな明楽は父にも母にも引き取られることなく、親戚の家に預けられることになり、本当の意味で独りきりになってしまった。
目的地に到着したことで、明楽はバスを降りた。冬の寒風が骨まで沁みる冷気を与えてくる。
「……寒い」
ブルッと身を震わせながら、待ち合わせの相手を探そうと周囲に目をやると
「あっきー!」
自分が見つける前に、相手の方からこちらを見つけて先に声をかけてくれた。
明楽の前に、同年代くらいの少女が一人、手を振りながら駆け寄ってくる。
「……うーちゃん?」
「そうよ。
うーちゃんと呼ばれた少女──白鳥歌野は、待ちかねたといった風に言った。
歌野は明楽のいとこである、十一歳の女の子だ。
いとこといっても歌野の家との親戚づきあいはほとんどなく、彼女の顔を見るのも何年ぶりになるだろうか。
おぼろげな記憶の中にある少女の表情。どことなく覚えのあるその笑みは、明楽の思い出をかすかに刺激した。
「本当に、久しぶり……だね」
明楽は緊張したように言った。
反対に歌野は、自然体の笑顔で口を開く。
「うんうん! 前に会ったのは幼稚園くらいの頃だったものね」
「そうだね……」
「でも、あっきーだって一目で
「そうなんだ……」
歌野は明楽との再会を喜んでいるようで、楽しげに話しかけてくる。
一方の明楽は、元来の人見知りな性格も相まって素っ気ない態度になってしまっていた。
(うぅ……。せっかく久しぶりにうーちゃんと会えたのに、なんで僕はこんなに口下手なんだ)
自分の消極的な性格に落ち込む明楽。
子供の頃は歌野とも普通に接して、一緒に遊んだりもしたはずなのだが……。
これから彼女のいる白鳥家でお世話になるのだ。歌野とも仲良くしなければならないのに、このままではいけない。
自分からも話しかけないと、と思うがなにを喋っていいのかわからない。
「あの……その……」
モジモジとする明楽を見て、歌野は頭に疑問符を浮かべる。
「どうしたの、あっきー? もしかしてトイレ?」
「いや、違うんだけど……」
「そうなの? でも、外は寒いし立ち話もなんだから、
そう言って、歌野は明楽を連れて雪道を歩き始めた。
◇ ◆ ◇ ◆
親戚である白鳥家へ向かう少年と少女。
道中でも歌野はやはり楽しげに、明楽との思い出話を語っていた。
そして同じく、明楽もただあいづちを打つだけの自分を反省している。
話が一段落したところで、ふいに歌野はじーっと明楽のことを見つめ始めた。
「な、なに……? どうしたの?」
歌野の視線を受けることに、わずかに頬を赤くしながら明楽は訊ねる。
綺麗に整った彼女の顔は、東京のファッションモデルにだって引けをとらないだろう。
「あっきーって、私よりと
「う、うん。一つだけだけど」
歌野の視線が明楽の顔に注がれる。それは若干下を向いていた。
「私の方が背は
明楽は12歳男子の平均より身長が低い。そして、彼自身そのことを気にしていた。
クラスメイトたちからも、よく身長のことを揶揄されていたのだ。そして、口下手な明楽はそれに言い返すことができないでいる。
だが何気なく言われた歌野の言葉には、他の連中と違って悪意がないことは明楽にも分かっていた。
それでも若干不機嫌になってしまうのはしょうがないことだろう。
「むっ……。別にいいじゃん、男で背が低くても……」
ムスッとした顔でそれだけ呟く。歳相応のふくれっ面は、とても歌野より年上には見えない。
「
そう言って、歌野は明楽の頭を撫で始める。まるで姉と弟のようだ。
「や、やめてよ。うーちゃん」
「いい子いい子。機嫌を直して、あっきー」
年下の女の子から頭を撫でられるなんて、年頃の男子には屈辱的にも感じられるだろう行為。
だが明楽はどうしてか、歌野の手を振り払う気にはなれなかった。
むしろ安らぎさえ覚えるその手つきに、そういえば両親から頭を撫でられたことなんてなかったな、とぼんやり想う。
恥ずかしいのに嫌ではない。
不思議な感覚に、明楽はしばらくされるがままに任せることにした。
◇ ◆ ◇ ◆
白鳥家に到着した明楽は、あてがわれた自室で荷ほどきをしていた。
歌野の両親であるおじさんおばさんに会うのはとても緊張したが、二人とも明楽のことを温かく迎え入れてくれた。
一安心して肩の荷が下りたような気分になり、荷ほどきも順調に終えることができた。
最後に、明楽は持ってきていた一つの鉢植えを窓際の棚に置いた。鉢には、雪のように白い一凛の花が植えられている。
それに水をやろうとしたところで、部屋に歌野がやって来た。
「あっきー、
「わかった……今行くよ」
明楽が部屋を出るより前に、歌野が中に入ってきた。
歌野は明楽の隣に来ると、鉢植えに目をやる。そこには少女の知らない花の姿があった。
「ホワッツ、なにこれ?」
「……スノードロップっていう花だよ。日本名は待雪草……」
「へぇー。あっきーが育ててるの?」
コクリ、と明楽は首肯する。
「植物はずっと育ててるよ。始めたのは小学校に入ったくらいからかな。ここには持ってこれなかったけど、僕の家ではもっとたくさんプランターで育ててた。アネモネとかルリタマアザミとか、他にもいろいろ」
趣味のことになると、普段より口数が増えてしまうのはオタクのサガだろうか。
明楽はこの日、初めてどもることなく言葉を口にできていた。
「好きなんだ」
「ん……まあね」
急に饒舌になった自分に恥ずかしさを感じて、明楽は平静を装う。
「とても素敵だわ」
笑顔でそう言う歌野。
素敵だと言う彼女の言葉は眼前のスノードロップへか、それとも明楽自身に向けられたものだろうか。
どちらにしてもこの、ガーデニングという趣味を人から褒められたのは初めてのことだった。
「周りのみんなは、男のくせに変だって言うんだけどね」
明楽は頬を緩ませながら言った。
「そんなことないわ! 植物は人の心を映す鏡。手をかければそれに応えてくれる。あっきーが育てたこの子は、とても綺麗よ」
「あ、ありがと……」
ここまで真正面から肯定の言葉を受けたことがない明楽は、顔を赤くしながら礼を口にする。
歌野のこの言葉は、農作業を行っている自身の祖父母からの受け売りだったが、彼女も思いは同じである。
あっ、と歌野が言った。
「どうしたの……?」
「あっきーの
歌野の言うように、今の明楽はとても子供らしい、自然な笑みを浮かべている。
諏訪に来てからずっと緊張しっぱなしだったのだが、それが白鳥家に受け入れられ歌野の好意に接することで、ようやく
「笑顔も
女の子から可愛いと言われるなんて、恥ずかしいはずなのにやはり明楽の心には、嫌だと思う感情は一切湧いてこなかった。
スノードロップの花言葉は『希望』、『慰め』。
年明け前に摘まれたそれは、スコットランドの言い伝えでは翌年に幸運をもたらすとされている。
この家でなら、自分も幸せになれるのだろうか。
明楽はこれからやって来る新しい明日に期待して、スノードロップに水をやるのだった。
◇ ◆ ◇ ◆
明楽はしばらく歌野と揃って花を眺めていた。
そうしていたら、なかなか来ないことにしびれを切らした歌野の母が呼びに来たので、二人は連れ立ってリビングに向かった。
誰もいなくなった部屋で、スノードロップはその身に月光を受け、不自然なほどに白く輝いている。
それはまるで、生気を失った死体を連想させた。
明楽は知らなかった。
スノードロップはイギリスの農村地方の言い伝えでは、『死』を象徴する花として扱われていることを。
その花を家に持ち込むと、不幸が起こると言われていることも……。
元ネタ
『アネモネとかルリタマアザミとか』
アネモネ:花言葉は「見捨てられた」
ルリタマアザミ:花言葉は「傷つく心」
『明楽はこれからやって来る新しい明日に期待して』
結城友奈は勇者である、第六話のサブタイトル「明日に期待して」より