地球連邦軍の軍人と言えば、あなたは誰を思い出すだろうか。
圧倒的なMS操縦技術で一年戦争の戦局を変え十数年後には地球までも救ったスーパーパイロット、アムロ・レイ。連邦軍の内部分裂というあってはならない争いの中で生まれ公式記録から消されたニュータイプの少年、カミーユ・ビダン。大局を見定めMS開発の指揮を採り連邦軍の戦力を整えた名将、ヨハン・エイブラハム・レビル。
後年には多くの作品の主役ともなった華々しい英雄たちの活躍の裏に、数知れぬ名もなき兵士がいた。ルウムで、ジャブローで、オデッサで、ソロモンで、ア・バオア・クーで、命を賭して戦いに臨んだ大多数の中の一人に過ぎない多くの軍人。歴史の波に飲まれる名もなき男の中の一人にしかなり得なかった者たちは確かに不幸かもしれない。しかし逆に、名前を残すことが本当に幸福なのだろうか?
U.C.0105、マフティーを名乗る反連邦のテロ組織壊滅宣言から一週間。筆頭マフティー・ナビーユ・エリンを失ったマフティーはしばらくの間小規模なテロ行為に及んだものの連邦軍が手を下すまでもなく空中分解していた。いつの時代もトップを失くした組織というものはこうも脆いのか、と他人事のように考えながら、ブライトは窓の外に目を向ける。艦長室として特別大きな強化ガラスが嵌められていても、流れる景色はどこも変わらない漆黒の闇。何万光年先で輝く恒星の微かな光などないに等しい黒の中にぽっかりと浮かぶ島――ロンデニオン。公人としての自分の活動拠点でありながらも、帰ってくるのはずいぶんと久しいものだ。マフティー動乱が始まって地球に降りた時以来だから、半年ぶりだろうか。久しいとは言うものの、艦隊の指揮を執って作戦を遂行する指揮官としてはかなり短い出向だった。前任のケネス・スレッグ准将が有能な軍人であったことは疑いようのない事実だろう。彼のような軍人が増えて欲しい、彼のような軍人に自分の後を任せたいと思っていた矢先に軍を退いたと聞いて驚いたものだ。
しかしケネスの有能ぶりは、ブライトにとってマイナスの面も与えていた。
もちろん退官前の最後の仕事がこれまでの中で最も楽な仕事になったことについては感謝している。南太平洋管区の統括とはいっても基本的に上層部とは上手くいっていないブライトにとって、着任した時点でほとんどの仕事が終わっていたということは厄介な上官たちと顔をつき合わせないで済むということなのだから。
マイナスなのは彼の有能さゆえにマフティー・ナビーユ・エリンがハサウェイ・ノアであることを世の中に知らしめ、後の世への人柱として銃殺されるに至ったことである。
「久しぶりです、ブライト大佐」
ブライトの指揮下にある独立第十三部隊がロンド・ベルと呼ばれていた頃から使用されている施設に戻った時、最初に出迎えたのは基地の職員ではなかった。堅苦しいスーツに身を包んだ顔馴染みの政治家、リディ・マーセナスである。
「大佐はよしてくれ、今日で軍とはお別れなんだ」
苦笑で応じるブライトは、リディが浮かべている笑顔が自分がとうに忘れてしまったものだと気づいて少し寂しさを覚えた。その顔を見れば九年前に起こったラプラス事変を思い出してしまうというのもあるだろう。
しかし、あの時の彼のことを思い出せば、よくもここまでたくましくなったものだと感心する。“ラプラスの箱”と呼ばれる禁忌の秘宝、それを巡る政治的な紛争に関わったことは愚直な性格の彼に多大な心労をもたらした。大物議員の父ローナン・マーセナスとの化かし合い、ジオン公国の遺児ミネバ・ザビをめぐる連邦軍内部のいざこざ、ビスト財団当主の息子バナージ・リンクスとの激突。全て円満とは言わないまでも自らの力でそれらを解決し乗り越えたリディは、初めてマーセナス邸で出会った時とは比べ物にならないほどの成長を遂げた。異色の経歴を持つ若手政治家として売り出している今のリディを見て、ブライトは感傷を抱かずにはいられない。
“ニュータイプ部隊の指揮官”と呼ばれるほど多くのニュータイプと関わってきた中で、その成長を自分で見ることができたのは今目の前にいる男だけなのだから。
「中央の官僚たちは、いつあなたが政治を始めてニュータイプ論争を再燃させるかって話で持ちきりですよ。父もあなたになら全力のサポートを約束すると言ってます」
屈託のない笑顔は、ブライトがここ半年忘れていたものだ。なにか大切なものを突きつけられた気がしてリディに視線を戻したとき、彼はコートを羽織って扉を開けていた。
「私が来たことはご内密に。今あなたをめぐる世論は少々厄介なことになっていますので」
私個人が出来ることならなんでも言いつけて下さい、と頼りになる言葉を残してリディは基地を去った。
「世論が厄介、か」
地球連邦軍の大黒柱、地球を何度も救った英雄たるブライトの息子ハサウェイが反連邦政府のテロ組織リーダーだったことが世間に暴露されてから半年、軍神ブライトの名に陰りが見えてきたのは実感としてあった(無論、ブライト本人はそんな称号を望んでなどいないが)。グリプス戦役、二度にわたるネオ・ジオン戦争、ラプラス事変。参加した戦い全てにおいて覆しようのない確固たる実績を持ち、特に一年戦争においての戦いぶりは多くの映画やドラマの題材とされて“最も知名度の高い軍人”と呼ばれたブライトだが、御輿に乗せてもてはやした男に大衆が疑念の目を向けるのは早かった。マフティーの処刑がブライトによって行われたと連邦軍が大々的に公表した裏でマスコミは実際の執行人が既に軍を退いたケネスであることを暴露。テロ組織リーダーを育てた家庭環境、との見出しで連日ブライトのプライベートが暴かれ、あることないこと好き放題に文字となる。
木星から帰ってきたジュドーとの会話の中で浴びた言葉を思い出す。
「人の悪意ってさ、希望なんかより遥かに強いんだ。いつまで経ってもアムロ・レイとかシャア・アズナブルがニュータイプだって認められないの、そういうことでしょ」
歯に衣着せない彼らしい、手厳しい指摘だった。一年戦争を題材にした作品の多くはアムロを筆頭にセイラ、ミライたち(流石に実名は遠慮してはいたが)などニュータイプと呼ばれる若者をブライト・ノアというオールドタイプが適切に導いたことでホワイトベース隊の活躍が実現されたというストーリーのものばかりで、連邦軍の検閲、統制が軟化した今もその風潮は変わっていない。
人類が進化できるという希望が同時に自分たちは劣等種扱いなのかという反発を生み、ニュータイプという存在は現行人類の管理下にあってこそという価値観を固定させる。近くでその力を見せつけられた時の激しい劣等感と彼らの不安定な精神を知っているブライトは複雑な心境に陥ってしまう。
「どうぞ」
ノックの音に考え事を止めると、机の上に山積みの書類が残されていた。副官に渡されていたのを忘れてしまっていた、連邦軍除隊にあたって処理しなければならない多くの手続き。
「あれ、ブライトさん少し痩せた? 」
およそデリカシーという言葉とは無縁の台詞に苦笑しつつ、ブライトは机の上を片付ける。かつての部下(?)に自分の情けない姿を見せたくないというなけなしのプライドだった。ブライトが最も信頼するニュータイプはアムロ・レイでも、最も気兼ねなく話せるのはジュドー・アーシタなのだ。心をさらけ出すのだから、せめて仕事のだらしなさは見せたくないと思う。
「失礼します」
ジュドーとは対照的に堅苦しい敬礼で入室したのはルー・ルカ。こちらも旧知の仲とはいえ、他人行儀すぎるのも少しショックだなとまた苦笑い。
「退役なされると聞いて、挨拶に参りました。軍属の頃は、大変お世話になりましたので」
「あーあ、そういうのはやめようって話したじゃない。ブライトさん困ってるしさ」
「二人とも今は地球圏での仕事なのか。木星圏の土産話を聞きたいものだが」
共に戦った第一次ネオ・ジオン戦争から二十年近く経ち、未熟で不器用でナイーブだった彼らも三十路を越えた。対面する二人はあまり年齢を感じさせない出で立ちだったが、それは自分との年齢差をものさしにしているからなのかもしれない。
「ブライトさんの戦歴ほど面白みのあるものじゃないよ。まあ、しばらくはサイド1勤務だからまた時間のある時に、ね」
「ジュドー、あなたもいい年なんだから言葉遣いくらいもう少しまともにならないの? 」
「ブライトさんって、なんだか近い感じがしてさ。温かいっていうか・・・いつどやされるかわかんないっていうか」
久々に聞いた二人の掛け合いはまるで夫婦漫才のようで、しかし本質的に変わらないことへの安堵も感じさせた。遠くへ行ってしまった存在を知る者にとって、近くに感じられることは何事にも変えがたい幸福なのだ。
二人と後日の再会を約束したブライトは改めて机に向かう。使い古した安物のデスクとも旧式のパソコンともお別れだ・・・今日が終われば。読み込みの遅さにいら立ちながら、軋む音に体を震わせながら仕事を終え、自室を出ると付き合いの長い士官や将校が花束を渡してくれた。特にシャアの反乱以前から付き従ってくれていたメランには花束とは別の小包みを貰い、危うく涙を流しそうにもなった。
「ありがとうございました!!」
総出の敬礼で見送ってくれた基地を後に、ブライトは宇宙港までの数キロをゆっくりと歩く。これから先は“公”などない、“私”だけの存在となる自分の先行きを案じながら。
愛しい我が家には、一人欠けた我が家には、温かい平穏の暮らしが待っている。