皆に攻略される百合さんのお話   作:茶蕎麦

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第十一話 蛇足、或いは遺言

 

 柔らかに、風が草を撫でる音がする。そして、そんな音色を気にも留めずに歩を進めるざわめきも。そこで、遅ればせながらあたしは気配を察する。

 あたしたちの会話の隣で人が居た。そのことに、今更気付いてあたしはそちらへと振り向く。

 エノコログサの傾ぎを引っ張りながら、白いスニーカーが砂利を踏んだ。そして、緋色の瞳があたしへと真っ直ぐ向けられる。

 向かいのふようさんが既に見つめていたその子へ、あたしの視線は吸い寄せられた。

 

「えっと……こんにちは」

「ふふ。こんにちは」

 

 勝手にもお友達の誰かを予期していたあたしは、しかし見ず知らずに対したことでまごつく。そう、あたしの後ろにいた少女は、この学校で過ごした二年間で初めて見る顔で、そうして格好までも知らないものだった。

 笑みの中から覗くどんぐり眼に鮮明に意志が垣間見える、そんな明らかにフォルティッシモな彼女。それでいてどこか全体に柔らかさをすら纏っているのが驚きだった。

 紺色セーラー服に慣れたあたしには、少女が身にまとう白に淡い青のストライプが愛らしいこんな制服には驚きばかりが湧いて出てしまう。

 よく日に焼けているのが特徴的な、あたしよりちょっと背丈の大きな彼女はあたしのそんなうろたえ振りに微笑んで、口を開く。

 

「ごめんね。違う格好のせいで驚かせちゃったかな。ふふ、でも不審者じゃないから安心して。私、これからこの学校に転入する予定なんだ」

「わ、そうなんだ! ちなみに学年は幾つ?」

「ふふ。私は二年生だよ」

「おおっ、一緒だー! うーん。ひょっとしてクラスも一緒とかだったりするかな?」

「ふふ。まだ手続きをしている最中だから、分からないかな」

「そっかー……」

「でも、一緒だといいね。折角の縁だから、大事にしたいな」

「そうだねー」

 

 先につんつんしてみていたダンゴムシさんみたいにころりころりと会話は進む。その笑顔に助けられているとはいえ、初対面の人とのお話がこうも滞りないのは珍しい。

 あたしが勝手にも見ず知らずに好意を持ってしまうのは何時ものことだけれど、それに引かない彼女は実はとてもすごい人なのかもしれなかった。

 そして、縁を大事にしたいというのは、葵がよく言っていたこと。とても素敵な人だな、とあたしは素直に思うのだった。

 しかし、別人が同じ人に違う面を見つけるのだって、当然。ちょっと険のある表情をしたふようさんは、問った。

 

「……名前は?」

「あ、ごめんね。話し込む前にそれが先だったね。……私は金沢真弓。出来るならまゆみちゃんって呼んで欲しいな」

「あたしは日田百合って言うんだよ、まゆみちゃん!」

「ふふ、百合ちゃん、か。可愛い名前だね」

「まゆみちゃんこそ!」

 

 あたしなんかを褒めてくれるまゆみちゃんに、あたしは全力で返し、手を大きく広げてぴょこんと跳ねる。彼女は笑う。

 

「……あ。ちょっとあたし騒々しすぎたかな……ごめんね」

 

 そして再び地に足をつけてから、あたしは途端にあまりに優しげな笑みの前でちょっと踏み込み過ぎかなと思いついた。

 別に、あたしだって対人距離を知らないわけではないけれど、なんだかこの子の前ではブレーキが中々利かない。それは良くないことだった。遠慮なく当たってばかりでは、相手を傷つけてしまうこともあるのだから。

 反省するあたし。しかしちょっと下を向いてしまったあたしに、まゆみちゃんはこう言ってくれたのだった。

 

「大丈夫。うるさくないよ。むしろ私は百合ちゃんの綺麗な声、好きだな」

「わわっ、そう? うう、照れちゃうなあ」

 

 あたしのさえずりなんて、子供みたいな甲高いものでしかないはず。そう思っていても、褒められて嫌な気はしない。

 いや、むしろとても嬉しいのだ。きっとあたしなんかよりよっぽど綺麗なハスキーボイスのまゆみちゃんに、好きな声と言ってもらえて。

 きっと人がいいのだろう、彼女はあたしを見て柔和に微笑んでいる。きっと、普段は真面目な顔がお似合いな凛とした美人さんなのだろうに、わざわざあたしに視線をあわせてまでして。

 そして、まゆみちゃんはあたしへの肯定を重ねるために水を向ける。額にシワを寄せて、何か深く考察している様子のふようさんへと。

 

「貴女もそう思わない? ええと……お名前、聞いていいかな」

「うん。それと……私は、火膳ふよう」

「そう、ふよう……芙蓉、か。奇遇ね。貴女()いい名前だわ」

「なるほど……法則性……教えてくれて、どうもありがとう」

「どういたしまして」

「? うん?」

 

 まるで符丁合わせのような、そんな会話にあたしは首を左右に。ちょっとふらりとしてから二人を交互に眺める。

 あたしは、ふようさんが怖がりというのは知っていた。そして、彼女がとても優しいからこそ、相手がよく分からないままでいられずにいつも頭を悩ませていることだって。

 それを思うと、今ふようさんが睨みつけるようにまゆみちゃんを見つめているのも、歩み寄りの一つであるだろう。

 とはいえ、そんなに真剣に覗かれてしまえば、気を悪くしてしまうのが普通。でも、まゆみちゃんはどこ吹く風と笑ったまま。

 何もかもを受け入れているような体のままに、彼女は再びふようさんの口が開くのをゆっくりと待っていた。

 

「…………それで貴女は、私達の会話をどこまで聞いていたの?」

「ん? それは勿論――――全部よ?」

「え?」

 

 真っ赤な舌がちろり。そうして彼女は器用なウインクを披露した。

 あたしは思わず驚く。まさか、ずっとまゆみちゃんがあたしたちの話を聞いていたなんて。

 先程まであたしたちがしていた奇跡を題目とした会話は、正直なところ普通じゃない。空想のような、理屈のような、傍には理解し難い不明の羅列。

 それを聞いて、おかしくも思うことなくまゆみちゃんはむしろ笑んでいる。或いは聞いたところで分からなかったのか、それともお遊びの会話とでも考えたのか。

 もしくはあたしたちを下らないとしてそれでさっきからずっとウケてしまっているのか……ついついあたしが悪意を想像してしまった時。

 

「ふふ」

 

 あたしが黙ったことでどこか水の中のように重苦しくなった空気を笑い声で割って、まゆみちゃんは続ける。

 そして彼女はそれこそ、ふようさんですら想像しなかっただろう突飛な言葉をからりと零すのだった。

 

「もう、ぷんすかだったよ? ――――先にネタバレしちゃうなんて」

 

 瞳に篭められた強い意志はそのままに子供のようにふくれて、まゆみちゃんは言う。

 そしておもむろに二歩三歩と歩いて光を背にするような位置に動いたと思うと。

 

「まあ、バッドエンドの後の蛇足なんて、誰も楽しみにしていなかったでしょうけれど」

 

 陽光に重なり表情不明なまま、まゆみちゃんはそう続けた。

 水底のコークティクスを代表としてゆらりゆらりと強い光は揺れて、体をなくすこともある。

 そして不思議な彼女も当然のようにこの世に映えて、そして。

 

「ふふ……ふふふふふ」

 

 お腹を抱えて喜色に身動ぎ揺らいだ。

 

 

 

「貴女は……水野葵?」

「違うよ。同じだけれど、違う」

「え?」

 

 小柄な乙女の溢れんばかりの期待の瞳。ふようの言葉を否定するためとはいえ、それを裏切るのはとても辛いと真弓は思う。

 だがしかし、無聊な真実だって愛して欲しいと思う程度に彼女は無垢。身体を動かすことの出来る喜びに浸り続けた今夏の痛痒を思い出しながら、真弓は目を伏せる。

 そして、メタセコイアの実の残骸をぱきりと踏んで粉としながら、少女は悲しげに続けた。

 

「己の存在を賭して過去へこんてぃにゅーしたところで、思うままに観測済みの未来を変えることは世界に許されない。そんなことをすら葵は予想つかなかったの。きっとそれくらいに必死だったんだね」

「なるほど……親殺しのパラドックスのようなことが起きる以前に世界はそもそも選択肢を残していないということ?」

「あなたは賢いね。そう、未来を変えるために過去に戻った葵は、その実何も変えることは出来なかったの」

 

 真弓は頷く。そして話が早い、と思う。それこそ過ぎるくらいに。

 ふようというこの目の前の少女は物語が死に絶えてしまってからきっと枷が外れたのだろう、物語上の考察役の役割を過分に果たしていた。第三の壁を見つけるのは主人公ばかりでいいだろうに。

 本来察すべきは恋愛だけ、しかしそれで足りずに彼女はきっと空を見上げてしまったのだろう。可哀想な子だと、真弓は思う。

 そして、もっと憐れむべき己の中の一部を少女は悼む。一度目を閉じ、再び求めるように開いた目は、()()()()日田百合を映す。

 その、何の理解もしていないだろう疑問で埋め尽くされた平和な面を気にせず、真弓は続けた。

 私も貴女みたいに何も知らないままでいたかったな、という思いを胸に秘めて。

 

「そして、奇跡の少女は上書き禁止だったっていうことも想像できなかった。だから……水野葵だった魂は行き場を失い……そうして彼女は遠くの見知った空き地へ逃げ込んだ」

「空き地? えっと……もしかして」

「その空き地の名前はヒロインそのいち……眠り姫金沢真弓。そう私の中へ彼女は避難したの」

「ヒロイン……」

「主人公にヒロイン。つまるところ物語(スクロール)の一部……」

 

 深く考えに浸るふよう。その横で小難しいを呑み込み損ね過ぎた百合は大変だ。

 ぽかんと大きく口を開いて、しかし考えることを止めることは出来ないのか、瞳を白黒。

 そんな表情の変遷ですら綺麗な二人の隣で真弓は一人、本当に自分は特徴的な愛らしさを纏うこの二人に釣り合うような存在なのだろうかと思う。

 

 深い眠りに就いていた金沢真弓に何時の日か入り込んできた水野葵は教えてくれた。

 まるでゲームの中のようなこの世界の彼女にまつわる都合の良さを。そして縁を切ったという、上位者(プレイヤー)の存在まで。

 更に、懺悔のように余すことなく吐露した彼女の知るすべての中には、十年も昏睡を続けている真弓のことだってあったのだ。

 葵曰く、真弓は葵という主人公が攻略する可能性があったヒロインの一つらしい。

 女の子同士で何を、と思う真弓であったが、しかし夢の中で語りかける葵はどこまでも本気で。

 

『ま、信じてくれなくてもいいよ。でも――――貴女には、どれだけ私が百合が好きなのかだけは、分かってほしいな』

 

 そしてそんな世界を知ったことかと、心の底から日田百合(一人のヒロイン)を愛していたのだった。

 

 だからこそその世迷い言のようなすべてを、汚れ知らずだった真弓は信じる。

 そして、失意に嘆く彼女(侵入者)を抱きしめたのだった。

 

「金沢真弓、つまり私はね……きっかけ(奇跡)がなければ物語が終わるまでずっと寝入っている存在だった。だから、葵が隠れ潜むには絶好の場所だったんだね」

 

 こん、と微笑みながら真弓は己の頭を叩く。既に脳幹の障害はすっきり治ってここにいるとはいえ、それは少し勇気のある行動。

 だがしかし、ノックに返事はなく、それが彼女の不在を示しているようで、ちょっと真弓も悲しくなるのだった。

 

 泣きそうになりながら、しかし会えたことが嬉しくって笑って、もうぐちゃぐちゃになったまま真弓は言う。

 

「でも、最初は夢の中でお話ししていたばかりだったあの子も、時と共に境が薄れてすっかり私と癒着しちゃった。それで、水野葵はお終い」

「え……」

 

 お終い。そんな言葉ばかりを消化して、絶望したような縋るような、複雑な面になった百合。酷く彼女のことを抱きしめたくなり、しかし初対面であることを思い出して真弓は思いとどまる。

 慰めたい。だがしかし、いきなりこの強い思いをぶつけるなんて無遠慮に過ぎる。でも、これだけは言わなければならないと、真弓は続けた。

 

「悲しまないで。あの子は間違いなく、懸命に生きた。その証はまだ私の中に残ってる」

「あ……う、そう、だよね」

 

 ぐし、と零しかけた涙を袖で留める百合。未だ生気持った病人の白が、擦れて紅くなる。止められない想いが口の端から溢れて、葵と三言ばかりつぶやかせてしまう。

 か弱い。そんなすべてを愛おしいものと、真弓は見た。美しい可憐と彼女は恋する。

 だから、言いたくなった。別段今言わなくても良いことを。だが、彼女にとって、愛とはためらわないことだった。そんなことを教えてくれた、木色の葵の姿がふと脳裏をよぎる。

 

「――そんなだから、私はただの都合のいいタイムカプセルってわけじゃないの。金沢真弓という水野葵のおばけの影響を多大に受けた一個人」

 

 そうなのだ。私はただ、あなたの好きな人の最期を看取っただけじゃない。私は私は、思う、個人だ。

 きゅんとする胸元押さえきれずに、顔を真っ赤にして少女は少女に告白する。

 

「だからね。私は私個人として初めて見つけた百合、あなたに恋している」

「ええっ!」

 

 ああ、その暮れから明るみに帰ったその光の顔に、何度も口をつけたい。余った袖から覗く小さな指先に指先絡めて、華奢な全体をずっと抱いて過ごしたい。

 好きだ好きだ。熱病は感染った。そして、それでいいと私は思う。何人だって、恋して良いのだから。想うのは、勝手。

 

「そして――今度こそ私達は貴女を攻略する」

 

 そんな風に、真弓は宣言をする。

 とても勇気のいる一言だった。今まで百合に恋する乙女(ヒロイン)たちが誰一人たりとて口にできなかったこと。

 或いは、百合の柔らかさに慣れすぎていないから出来たことか。あまりのことにふようも、思考を忘れて驚きに停まっている。

 

 

 しかし、風一陣枯れ葉を少女の髪に運び、全く動じなかった彼女はそれを払い落とすこともなく、困ったように笑んだ。

 

「あは。愛されるのに、時間も理由も特に必要ないというのはあたしだって分かるけど……」

 

 くるり、少女は何かに耐えるようにみんなから背中を向けて。

 そして蛇足にピリオドを決め込む。

 

 

「でも――――あたしはそのうち死んじゃうんだよ?」

 

 

 そう、百合はそんな、どうようもないことを口にしたのだった。

 

 




 だからこそ。いや、そうでなくても、彼女は。

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