時に、三十五世紀――。
地球と火星軌道の間に、巨大な人工物があった。
それは、ダイソンリングと呼ばれる物体で、恒星系のエネルギー放射を無駄なくキャッチし、地球などの生命が住む惑星に無限とも言えるエネルギーを供給することを目的としていた。
しかし、ダイソンリングの開発が始まってから、既に千年近く経過しており、未だ完全な完成には至っていなかった。そして、経年劣化により、リングの老朽化も深刻な問題で、新たに開発する部分と、老朽化でメンテナンスする部分とが混在し、気が遠くなるような手間をかけて維持されていた。
そんな時代にあって、既に旧来型の人間は重要な存在では無くなっていた。高度に発達したAIや、優勢人種を生み出す事を目的として高度な遺伝子操作技術が組み込まれた人工子宮で誕生した新しい人間が、人類の営みを支えていた。
それでも、古い旧来型の人間は、まだ大勢生き残っていた。彼らも同様に人工子宮で、優秀な男女の冷凍精子と卵子を掛け合わせて誕生していた。例えば彼らは、ダイソンリングのメンテナンス要員として、日々、地道な活動を続けている。
宇宙に果てしなく続くリングを眺めながら、アオは一休みしていた。宇宙服に身を包んでいるため、汗を拭くことも、お茶を飲む訳でもない。ただただ、そこにふわふわと漂っていた。リングと言っても、余りにも巨大な構造物で、宇宙の彼方へと真っ直ぐに伸びているように見える。
彼の宇宙服の片足は、ひらひらと漂っていた。三ヶ月程前の作業で事故があり、足を潰されて切断したのだ。
休んでいるアオの元に、人影が近付いて来た。器用に背中に背負ったバックパックのスラスターを小刻みに噴射して、急速に近付いて来たかと思えば、アオの目の前で急停止した。
宇宙服の宇宙帽だけをつけており、体は完全に露出している。
「アオ。復帰したのね」
宇宙帽の中の彼女の顔は、優しい笑顔を見せていた。
「ユリ17」
アオは、ほっと安堵していた。この作業に出て間もない若い彼は、彼女の指導で仕事を覚えた。彼女がいると、ほんの少し不安が和らいだ。
ユリ17は、首を傾げて彼の片足を見た。
「足、新しいのをつけなかったの?」
宇宙帽の中のアオの顔は、苦笑いを浮かべていた。
「足は部屋にあります。でも、今日はわざとつけて来なかったんです」
「どうして?」
彼は、困ったような表情をしていた。
「わかりません。何となく、無いとどうなるんだろうって思って」
彼女は、腕を組んで諭すように言った。
「感心しないかな。足で蹴って移動したりすることもある。無ければ上手く出来ないじゃない? また、この間みたいな事故があったら逃げ遅れる可能性が高いと思う。戻ってつけてきたら」
「わかりました。でも、今日はこのままがいいんです」
アオは、ユリ17の身体を眺めた。
彼女は、既に頭を除いて全身がサイボーグ化していた。見た目こそ普通の体と見分けがつかなかったが、宇宙服を着る必要が無いのだ。このような人は大勢いたので、特に違和感がある訳でもない。むしろ、全身を宇宙服に身を包んでいるアオの方が、目立つ存在だった。
「ま、いいけど。先輩の言うことは、聞くものよ」
そう言って、彼女は、彼から離れて行った。
彼女が通り過ぎた後に、彼女から伸びるロープにぶら下がった資材が通り過ぎていった。近くにメンテナンス資材を運んでいるのだろう。
アオは、仕方なく作業に戻ることにした。今日の現場は、太陽光パネルの老朽化に伴う、大規模な交換作業が待っている。
現場監督に与えられた持ち場に、アオはゆっくりと移動していた。辺り一帯には、大勢の人が、ブロック化されたリングに取り付き、新しい資材と交換作業を行っている。
リングは、ブロックパーツと呼ばれる十メートル四方の小さなパーツから出来ており、これを数十個接続した物をリングブロックと呼んでいる。このリングブロック単位で、リングブロックリーダーと、その部下となる数十名の作業員チームでメンテナンスを行っている。大規模なメンテナンスの場合は、各ブロックのチームが共同で作業を行うこともある。
アオは、自分の持ち場に、取り付くと、交換する対象を眺めた。
「五百年前に設置された太陽光パネルか。こんなもの、何でずっと動くと考えたんだろう」
アオは、遠い昔にこのダイソンリングの建設を企んだ祖先たちに、大いなる疑問を抱いていた。
確かに、技術の革新によって、新しい資材の耐久性は大幅に伸びてはいたが、太陽の周囲を、火星と地球の間の軌道でぐるっと取り巻くこの建造物は、余りにも巨大だった。
ロボットによるメンテナンスの自動化も、当然行われてはいたが、数が少なかった。何故なら、そのロボット自体もメンテナンスが必要で、結局のところ、人間が担当する方が効率がよい、という結論になったらしい。ナノロボットによるメンテナンス技術もあるにはあったが、それで修復出来るような素材を使うのは、規模が大きすぎて、交換する方がコストが安いという結論になっていたようだ。
アオは、諦めて黙々と作業を進めた。
休憩で食堂に集まった作業員たちが、各々の体に合った食事をとっていた。殆どの人が、サイボーグ化した体用のエネルギー摂取のドリンクを飲みながらわいわいと話をしていた。
新しい体のパーツの何が良いだの、メンテナンス資材のあれがイマイチだのとそんな話題が中心だった。
アオは、普通の食品がのったトレイを持って、人がいない場所を選んで長テーブルの隅に座った。
アオが一人で食事を摂っていると、そこにユリ17がやって来た。
「美味しそうね」
向かいの席に座った彼女もまた、エネルギー飲料の入った缶に、ストローを挿したものを飲んでいた。
「私は、これでおしまい。この身体になってから、いろいろと便利だけど、食事だけは残念かな」
彼女は、缶を振って、中身が空になったかを確かめていた。
ふと、彼女はアオの足下を見た。
「あら、ちゃんとつけたのね」
アオは、彼女に言われたことを良く考えた結果、休憩時間に入ってすぐに居住区の個室に戻って新しい足を装着していた。
「言うとおりにした方がいいかな、と思いまして」
「賢明な判断ね」
彼女はにっこりとアオに笑顔を見せた。
ユリ17は、とても魅力的な女性だった。彼は、密かに彼女に想いを寄せていたが、あまり意味が無いことだとも知っている。サイボーグ化すると、異性とかの性別の区別の感覚が薄くなり、彼女は旧来の意味での女性とは程遠い存在なのだ。
自分も、いつか身体を失って、彼女に想いを寄せていた感覚を忘れる時が来るに違いない。普通の人で居続けることは、時に人生の虚しさを加速させる。心が疲弊した者は、事故などが原因では無く、自らの意思で身体を交換するのだ。
ユリ17は、まだ若いのに全身をサイボーグ化しているのは、そういう理由からかも知れなかった。一般的に、全身を機械化した理由を尋ねるのはタブーとされていた。だから、アオも、気になってはいたが彼女に理由を尋ねることは出来なかった。
彼女の名前に番号が振られているのには理由があった。人工子宮による冷凍精子と卵子の掛け合わせの結果、優秀な人間が生まれた場合、同じ組み合わせのタイプを定義して、続けて生み出す。彼女はユリタイプの17番目の人間だった。つまり、同じタイプのユリは、他に何人も存在していることになる。アオは、新型のタイプを生み出す過程で誕生したプロトタイプだった為、まだ番号が無い。今後の人生で、アオが優秀だと証明されれば、アオタイプが定義されることになるだろう。
「最近、疲れが取れないんです」
「どうかしたの?」
「僕たちって、何の為に生まれて来たんですかね?」
ユリ17は、少しだけ驚いたような素振りを見せたが、口を閉じて黙っていた。その瞳は、憂いを伴っていた。
その間に、少しだけアオは苛立った。
「何で、何も言ってくれないんですか?」
ユリ17は、天井の方を見上げて、何か考えているようだった。
「私もあなたと同じ。皆同じ思いを抱えている。あなただけが悩んでいる訳じゃないわ。でもね、自分で結論を出すことだから」
ユリ17は、立ち上がって彼の頭をぽんと叩くと、そのまま去って行った。
彼女の後ろ姿を、アオはただぼんやりと見つめていた。
その夜、アオは夢を見た。
何度目かのまた同じ夢だ、と彼は気が付いた。
ある女に腹を立てていた。その女をよく知っていたが、名前も顔も思い出せなかった。だが、アオがユリ17に向ける感情と似た感情を、その女に抱いていた。
慌てて急いで彼女の元に駆け付けるが、どうしても見つけられない。その焦燥の中で、彼は目覚めた。
体は、酷く冷たい汗をかいていた。
自らの身体を抱きながら、アオは窓の外の宇宙を眺めた。どんな夢だったかなど、すぐに忘れてしまった。思い出そうとするが、どうしても思い出せない。
どうして、夢っていつもこうなんだろうか、とアオは不思議に思っていた。
今日の作業現場はどこだったか、とアオは頭を切り替えた。
二十一世紀後半に、人類の科学技術は、頂点を迎えようとしていた。
人工知能の進化がシンギュラリティへと到達していた。つまり、AIが、遂に人類の能力を超えるに至ったのだ。
知的活動は、AIが取り持つ分野が徐々に拡大を始めていた。AIを採用した国家や企業が、人間を超える成果を上げていったのである。
これを受けて、政治、経済の活動は、AIの支援無しでは成り立たないとの認識が世界中で広がり、かつての国家の運営や、経済活動は、急速に過去のものになっていき始めていた。
人類は二極化するだろうというのが、識者が出した予測だった。
一つは、高度な知識や技術を持った専門家である。このような人々は、今後もAIの支援に必要であるだろう。そしてもう一つは、AIが決定したことを実行に移す肉体労働者である。肉体労働がロボットなどに全て置き換わるには、まだまだ長い年月がかかるだろう。
シンギュラリティ到達が近いと喧伝され始めた頃からこうした議論は本格化しており、未来に絶望する者も出始めていた。
そして、先進国では徐々に少子化が進行して行った。子を残しても、未来が絶望的だと考える者が徐々に増えていったのだ。
実際、そのような変化は、人々をじわじわと侵食していった。人類は、AIの奴隷なのか? といった議論が日々交されるようになっていた。それでも、もはやAI無しでは満足な活動が出来ない状況であることも明白だった。
こうした事態を見越してか、AIが一つの提案をおこなった。人工子宮の開発と、健康な男女の卵子と精子の冷凍保存だった。
識者の間では、将来の奴隷を生産する為か、とも揶揄されていたが、実際少子化問題は深刻な水域に達していたのだ。
人類は、この現実を受け入れるしかなかった。
これは、新たな人類の進化なのでは無いか? とある人は言う。この進化に取り残された古い人類は、淘汰される運命なのかも知れない。
ある日、地球からニュースが舞い込んでいた。
隕石群の衝突で、ダイソンリングの一部が破損したらしい。
アオが居住している部分からは遠く離れた場所だったが、最近、そういったニュースが増えて来たような気がする。
ダイソンリングが作られてから長い年月が経過していたが、決して珍しいニュースではなかった。これまでも同様な事は幾度と無く発生しており、それを修復しながら運用を続けていたのだから。それでも、隕石等が当たる確率は非常に低いはずで、近年の被害の頻度は、明らかに異常に高いと言える。
地球中央政府のAIや人間の高官は、特に気にするようなニュースでは無いと発表して、事態の収拾を図ろうとしているようだ。
食堂で朝食をとっていたリングの作業員たちは、報道の内容を見て、ひそひそと会話をしていた。
「地球に住む奴らが大丈夫と言ってんだから平気だろう」
「AI様と遺伝子操作された新人類様が考えることだからな」
「本当にそうか?奴らは、本当に頭がいい。今回の一連の事態に、何も対応しないってのが、どうも臭うぜ」
「やめろ、やめろ。俺たち旧人類のオツムじゃ、わかりっこねぇって。今日も頑張って働こうぜ」
アオも、朝食を取りながら、周囲の話を聞いていた。
確かに、少々変な気がするのだ。
そこへ、別の席に居たユリ17が通りかかったので、アオは挨拶の言葉をかけた。
「おはようございます」
「あら、おはよう」
先日の会話から、何となく疎遠になっていたのだが、彼女の様子は、いつもと変わらなかった。
その日は、破損したリングの修復作業に借り出され、居住区から遠く離れた宙域に輸送船で向かった。
破損したリングの周辺には、大量のデブリが散乱し、とても修復作業どころの状態ではなかった。
複数のデブリ回収船が到着し、急ピッチで回収作業が行われた。デブリ回収船の船首は、巨大なジンベイザメのような形状をしており、ゆっくりとした動きで、通過する宙域に浮かぶデブリをどんどん回収して行く。
アオや、同じ居住区から駆けつけた同僚たちは、その光景を少し離れた所で、宇宙に浮かんで眺めていた。
デブリ回収船の作業が終わったら、手分けして細かなデブリを人力で回収するのだ。
待っている間、アオはいろいろな事に頭を巡らせていた。
隕石群が頻繁にやって来るのに対策しない政府。
時々見る不思議な夢。
そして――。
生きる意味について、先日ユリ17と交わした言葉。
何だか、とても寂しいと感じた。
たった一人で、宇宙を漂い、誰も気にかけてくれない。
こんな人生を、毎日変わりなく静かに歩んで、いつしか年老いて死んでいく。
一生をリングのメンテナンスだけに費やして。
何の為に生きているのかも最期までわからず、朽ち果てていくのだ。
それも、自分だけで無く、ここにいる古い世代の人間全員がだ。
アオは、無性にユリ17が恋しくなった。
彼女に抱きしめてもらえたら、生きていて良かったと、心の底から感じられるに違い無い。
彼女に自分の気持ちを告白したら、彼女はどんな反応をするだろう?
きっと、可哀想な人を見るような目で、優しく諭してくるに違い無い。
彼は、凍えるような寒さを感じて、ただ独り震えていた。
それから、数週間が過ぎた。
アオたちが所属するリングのブロックに、地球中央政府から派遣されたという一人の人間がやって来た。
遺伝子操作された新人類と呼ばれる人間であっても、見た目は特に皆と変わらない。違うのはAIに匹敵する頭脳なのだ。
彼は、食堂のスペースに作業員全員を集めて、説明会を行った。
ここで彼が語ったことは、近傍のリングブロックにも通信で映像が流され、多くの作業員が彼の言葉を知ることになる。
「皆さん。最近、多数の隕石群が太陽系内で観測されている。そして、それだけでは無く、複数の彗星群も観測されている。隕石増加の原因は、この彗星群が増えたことによるものだろう。政府は、混乱を避けるため、これらの情報をあまり公にしていないが、AIの予測では、これから数十年か数百年の間、この状況は長く続くと考えている」
その話に、食堂に集まった作業員たちがざわめいた。
その政府の男は、この反応が予想通りと考えているのか、眉一つ動かさなかった。
「知っての通り、現代の地球文明を維持するのに、このダイソンリングは必要不可欠だ。このリングから得られる莫大なエネルギーによって、人々の暮らしが維持されている。この膨大なエネルギーが供給されなくなれば、AIの能力は、千年以上前の原始時代のような時代に逆戻りしてしまうだろう。あらゆる装置、設備が停止し、人類文明は、急速に衰退し、やがて滅びるだろう」
アオも、他の皆と同じ様に、男の話に唖然としていた。アオは、ユリ17の姿を探すと、すぐ近くに彼女はいた。彼女は、とても悲しそうな表情で、男の話を聞いていた。
「そこで、私は、皆さんに協力のお願いにやって来た」
男は、どよめきで騒がしくなった周囲を見回すと、更に話を続けた。
「これから、隕石や彗星接近の注意警報を、政府からダイソンリングにいる皆さんへと伝達する。それに応じて、予想接近座標に位置するリングブロックを、ブロックごと切り離して移動し、隕石通過後に再び元に戻してもらいたい。これを繰り返し、これからの数十年か数百年間、リングを守ってもらいたい」
数十年か数百年の間。
その時間は、作業員たちの心に、絶望的な感情を抱かせていた。
「皆さん自身も、ダイソンリングのエネルギーによってここでの暮らしを維持しているのをお忘れなく」
男は、それだけ言い放つと、食堂から出ていった。
食堂にいた作業員たちは、男が立ち去った後でも、各々気心が知れた仲間同士で話し合っていた。
「これから数十年か数百年だってよ」
「そんなに長い間、今の仕事に加えて、それもやれってことか」
「俺たちは、このリングのメンテナンス機材ぐらいにしか思われてねぇんだから、当然だろ」
「地球で温々と引きこもってる奴らの為に、何で俺たちが犠牲にならなきゃなんねぇんだ」
アオは、ユリ17の姿を探していた。彼女が、今回の話をどう思っているのか知りたかったのだ。
アオは、食堂から出ていく彼女の後ろ姿を見つけて、後を追った。
ユリ17は、食堂の喧騒から逃れて、一人展望室で宇宙を眺めていた。
彼女は、心の奥から、乾いた笑いがこみ上げてくるのを感じていた。
背後で物音がしたので、少し振り返ると、アオが展望室の中に入って来るところだった。
彼女は、いつも彼に接する時のように、大人の女性らしく振る舞おうとしていた。だが、今はそれが出来るかあまり自信が無かった。
「ユリ17。こんな所で何を?」
ユリ17は、彼の方を見ない様にして、宇宙を眺める姿勢のままで言った。
「私だって、独りになりたい時もあるわ」
アオは、迷惑に思われているかも知れないと思って、若干萎縮したが、どうしても彼女と話がしたかった。
「さっきの話、どう思いました?」
ユリ17は、少し棘のある口調になってしまっていた。
「あなたは、どう思ったの?」
アオは、彼女の質問に少し言葉が出なくなった。
「……酷いと思いました。地球にいる人たちにとって、僕らは一体何なんだろうって」
ユリ17は、明確に苛立って、急につかつかとアオの目の前に近寄った。そして、大きな声で叫ぶ様に言った。
「私たちは、このリングの部品なのよ。ここで、メンテナンスパーツとして生産されて、一生をそれに捧げる。ロボットよりはメンテナンス性が良くて賢いから、ここにいるのを許されている。それだけよ。部品が意見するなんて、あの人たちは思いもしないでしょう。それが現実なのよ!」
アオは、目を大きく見開いて、ユリ17の突然の豹変に驚いていた。
ユリ17は、彼に言い放ったことをすぐに後悔した。
「……ごめんなさい!」
そう言うと、彼の脇を通り抜けて、走るように展望室から出て行った。
後に残されたアオは、しばらくの間、呆然と立ち尽くしていた。
それから、地球中央政府の指示に従って、ダイソンリングを守る戦いが始まった。
異常に増えた隕石群を避ける為、リングを移動してはまた戻してという、気の遠くなるような作業である。
そして、隕石群の接近がわかった時には、数日以内に作業を始めなければならない。そうしなければ、回避が間に合わないからである。接近が報じられると、リングブロック毎の分離、移動作業を始め、メンテナンス作業員たちは、シフト体制でこれに対抗していた。
しかし、次第に彼らにも徒労の色が目立ち始めていた。ある場所では、リングの移動に失敗し、大きな損傷を受けた上に、大勢の人々が死傷していた。
この戦いは、気を許せば即座に敗北が待っている。
だが、これらの涙ぐましい努力も虚しく、さらなる危機が迫っていた。
「これを見ろ」
アオの所属するリングブロックリーダーによって、緊急ミーティングが開催されていた。食堂に集められた作業員たちは、中央の立体スクリーンの星図を見ていた。
その会議に参加していたアオも、重々しい雰囲気の中、落ち着かない様子でスクリーンを見つめていた。
今度は、多数の彗星群が発見されていた。
その軌道は、これまでの努力をあざ笑うかのように、リングに沿って移動するコースをとっていた。
「この彗星の群れが発見されたのは三日前。コースを見れば分かる通り、リングをブロック単位で少々移動する程度では、これを回避するのは不可能だ」
中央の星図が切り替わり、リングの構造図が表示された。
「そこで、リング自体の軌道を変更する案が、地球側から提示された。リングブロックを構成する各パーツには、もともとドッキング用の大小のスラスターが設けられている。これを再び使用可能にして、一斉に噴射してリング全体の軌道をずらすのだ」
それを一緒に聞いていたアオは、そんなことが、本当に可能なのか疑問を感じていた。
現在の座標にリングを安定させるため、地球近傍のラグランジュポイントを起点として、そこから太陽の周囲を取り巻く巨大な構造である。地球の公転周期に同期して、太陽の周りを回転しているのだ。この軌道を変更するということは、バランスが崩れ、下手をすれば全体が崩壊するリスクがある。
何より、そのようなリスクがあることは、AIが認識していないはずがない。
これは、無謀な賭けだ。あまりにも、AIが考えた策にしては、お粗末過ぎる。
「三日後には、最初の彗星が衝突コースに入る。その後、第二、第三の彗星が続けて飛来する。これら全てを避けるには、少なくとも、現在の公転軌道から、五百キロ程度は移動させておきたい」
それを聞いた作業員たちは、かなり騒がしくなった。
「そんな途方もないことが出来るものか。だいたい、リングを構成するブロックパーツは、千年前のものから、最近のものまでばらばらだ。大昔のブロックパーツのスラスターが起動するとは、到底思えない。それでもやるというのか?」
「そうだ。それが、地球中央政府の指示だ。これはつまり、中央政府のAIの判断ということだ。この指示は、絶対的なものだ」
アオは、そのやり取りを聞いて、思わず挙手していた。
「質問が。どうにも、おかしな話です。AIが、誤った判断をしている可能性は?」
「未だかつて、そのようなことは聞いた事も無い。そこに疑問を挟む余地は無い」
別の男が言った。
「いや、あり得るぞ。こんなの初めての事じゃないのか。AIは、経験から学習するように作られている」
「いつの時代の話をしている。政府のAIは、このダイソンリングの膨大なエネルギーで稼働する巨大な電子頭脳だ。あらゆることを想定して出したのが、この答えだろう。それとも、君に地球中央政府のAIよりも良い案が提示出来るとでも?」
ざわざわとしていた食堂は、次第に静かになっていた。
「では、具体的な指示を出す。チームを二人一組で編成し、各自がリングブロックのブロックパーツのスラスターの電源が入るようにしてくれ。時代毎のブロックパーツの仕様については、各自の端末に転送しておいた。型番を確認して、スラスターと電源の位置を確認して作業して欲しい。他のメンテナンスブロックでも、同じ作業を本日から開始する。準備が整い次第、タイミングを合わせて、一斉にスラスターに点火して、移動を開始する」
アオは、一人でぽつんと立っていたユリ17に、作業を一緒にやらないかと声をかけた。
ユリ17が頷いたので、二人は与えられた持ち場に向かった。
ダイソンリングは、各ブロックを構成するブロックパーツを輸送船で運び、ドッキングすることで巨大な構造を成していた。
ドッキングする際の移動用に、大小のスラスターが設けられていることを利用し、ドッキングしたまま、一斉に移動させて、軌道を修正しようというのが、今回のミッションだった。
アオとユリ17が受け持った区画は、今から二百年程前に設置されたブロックパーツで主に構成されていた。十個程のブロックパーツが、彼らの担当区画である。
「ユリ17。これを見て下さい。電源を中心に完全に部品が腐食しています。これは全交換する必要がありますね」
ユリ17は、アオが指差す場所を覗いてため息をついた。
「わかったわ」
彼女は、交換用の部品を、予め配布されたボックスを開けて探した。彼女は、やっとの思いで互換性のある部品を見つけた。そして、それをアオに手渡した。
アオは、受け取った部品を脇に置き、元の腐食した部品を取り外そうと悪戦苦闘していた。
しばらくして、無事に交換を終えたアオは、一休みしながら、ユリ17に話しかけた。
「先日、あなたが言っていたことを、考えてみたんです」
ユリ17は、この間と言われて、少し恥ずかしくなった。
「あの時はごめんなさい。つい、いらいらしてしまって」
彼女が、申し訳無さそうに言うので、アオは少しほっとしていた。
「いいえ。逆に、本当の気持ちを知れて嬉しかったです」
ユリ17は、そんな彼を黙って見つめていた。
「僕は、いつの日か地球に行ってみようと思うんです」
「それは無理よ。地球は、私たち旧人類の侵入禁止区域になっているから」
アオは、笑顔を浮かべていた。
「こっそり行けば、何とかなるんじゃないですかね」
楽観的なアオの様子に、ユリ17も少しだけ笑った。
「もしかしたら、もう誰も住んでいないのかも。AIの電子頭脳しか存在していなかったりして。今は、精巧なアンドロイドだって作れるもの。遺伝子操作された新人類なんて、元からいないのかも知れない」
「だからこそです。真実を確かめたいんですよ。僕たちが、何の為にここに生まれてくるのか、彼らなら知っていると思っています」
ユリ17は、彼の好奇心が眩しかった。
「いつか、その夢が叶うといいわね」
「何を言ってるんですか。その時は一緒に行って下さいね」
アオの屈託の無い心が、彼女の氷のような心を、少しだけ溶かしていた。
「考えておくわ」
そうして、作業は着々と進められていた。
他のブロックパーツを担当していた作業員たちも、順調に作業を進めているようだった。
こうして、彗星が到着する予定の三日後が近づいてきた。
「どうにか、間に合いそうですね」
アオは、最後のブロックパーツの点検を行っていた。
「本当に大丈夫だと思う?」
「ユリ17も、信じてないんですね」
「まぁ、ね」
その時、リング内の天井に設置されたスピーカーから、甲高い音が断続的に鳴った。
「これは?」
ユリ17が、急に緊張した様子を見せた。
「リングのAIの緊急警報よ。何か、大きな問題があった時に鳴る」
ひとしきり警報が響いたあと、AIのメッセージが流れた。
「警告。各作業員に緊急通報。彗星に先行して極小氷塊群が接近中。対象が観測装置に捉えられたのは三分前。一時間後にリングに到達し、彗星本体が到達するまで断続的に飛来すると予想されます。極小といえども、高速に接近中で、相当な被害の発生を予想しています。その為、三十分以内に、リングの移動開始を求めます。各リングブロックリーダーは、直ちに実行に移して下さい」
このメッセージを聞いたアオは、青ざめた。
「そんな……! まだ準備が終わっていないブロックだってあるというのに」
ユリ17は、黙って窓の外をぼんやりと眺めている。
「ユリ17、とにかくやれることをやりましょう」
アオの言葉に、彼女は反応しなかった。
アオは、困惑して彼女に近寄って、背にそっと触れた。
「ユリ?」
ユリ17は、ようやく振り向くと、アオに返事をした。
「わかっているわ。準備を急ぎましょう」
アオは、ほっとして頷いた。
「これから急いで、このブロックの電源をオンラインにする為、電源を入れて稼働確認します。そうしたら、僕たちも避難しましょう」
「避難と言っても、どこが安全なのかしらね。リングの軌道に沿って危険がやってくるのなら、リングを離れるしかないと思うけど」
「我々全員が乗船可能な輸送船が不足している以上、仕方がありません。最悪は、付近に一つだけ脱出ポッドがあるので、それを使いましょう」
「何だか、いつの間にか頼もしくなったわね」
アオは、そう言われて少し照れ臭くなった。
「そ、そうですかね? とにかく、急ぎましょう」
アオとユリ17は、受け持ちのブロックパーツ十個の全ての電源をオンラインにする作業に向かって、リングの通路を走り出した。
太陽を周回するダイソンリングの各リングブロックでは、各所のリーダーによって、ブロックパーツのスラスター起動準備が急ピッチで進められていた。
しかし、設備が古すぎるブロックパーツは、スラスター自体が腐食しており、起動不能な箇所が幾つもあった。起動可能な箇所でも、電源を入れて稼働確認しただけで火災が発生した箇所もある。
リングブロックを統括するリーダーたちは、リング全体を管理するリングのAIに状況を報告していたが、AIの判断は作業続行の指示であった。
そして、起動五分前になってわかったことは、結局リング全体の五分の一程度のスラスターしか稼働しないという残念な結果だった。
そうして、人々が苦労して準備したスラスターの起動時間になった。
起動自体は、リングのAIが実行に移す為、リングにいる作業員たちは、固唾を飲んでそれを見守った。
再び、リング内全体に、警告音が鳴り響き、遂にスラスターの起動が始まった。
「スラスター起動開始十秒前。一分間の噴射の後、逆噴射十秒間を実行。各員、各ブロックの稼働不良に備えて待機。起動五秒前、四、三、二、一、起動開始」
リングの下部にあったスラスターが、一斉に起動した。スラスターは、リング内部の飲料水を利用し、これを熱して気化したガスを噴射する。これによって、軌道を修正するのだ。
こうして、リング全体がゆっくりと移動を始めた。
リングの内部にいたアオとユリ17も、スラスターが起動した時の軽い衝撃を感じていた。リング内部は、人工重力が働いていたが、感じたのは最初の衝撃だけで、リングが移動しているかどうかは、全くわからなかった。
「上手く行ったんでしょうか?」
アオは、窓の外の宇宙を眺めたが、対比物が無い為、状況が判断出来ない。
「見て」
ユリ17が、近くにあった端末の表示を指差した。
端末のモニターには、リングの座標が変化している様子を数値で表していた。その数値は、もともと予定していた方向にゆっくりと移動していることを表している。
アオは、少しほっとして言った。
「後は、祈るだけですね」
ユリ17は、数値を無表情に見つめたまま言った。
「祈る……か。あなたは、誰に? 何に祈るの?」
アオは、そう言われて、確かに何に祈ればよいのか、よくわからずに口にしていたことに気付かされた。
彼は、その時ふと思った事を、そのまま言った。
「……この宇宙を創造した神、でしょうか」
ユリ17は、悲しげな表情でアオを見た。
「その神様は、誰の為のものかしらね……」
ダイソンリングは、順調に軌道を移動しているかに見えた。しかし、スラスターが起動しなかった箇所が少しづつバランスを崩し始めていた。隣接したスラスターを噴射するブロックパーツと、噴射しないブロックパーツの間で、徐々に歪みが起きて、接合部に負荷がかっていた。そして遂には、接合部が分離する箇所が出始めた。接合部が外れた箇所では、内部の空気が急速に漏れ、完全にバランスを崩して捻じれた。
リング内では、再び警告音が鳴り響いた。アオとユリ17が居たブロックでも、隣接するブロックの接合部が外れてしまったのだ。二人がいたブロックは、弾みで大きく縦に回転を始めた。
「まずい!回転を止めましょう」
アオは、端末を操作して、スラスターの噴射を止めようとした。しかし、制御はAIが握っており、アクセス権が無いと、エラーが表示された。
「駄目です! 止まらない!」
ユリ17は、窓の外に、隣接するブロックが真上にゆっくりと近づいて来ているのを目撃した。ブロックの接合部が外れて回転したことで、別のブロックとぶつかろうとしているのだ。
「ユリ17、このブロックは捨てるしかありません。脱出ポッドで逃げましょう!」
「わかったわ」
二人は、このブロックの端にあった脱出ポッドを目指して走り出した。
ダイソンリングは、あちこちで接合部が外れた上に、スラスターの噴射が停止せず、ばらばらに崩壊を始めていた。
もはや、隕石や彗星などの手にかからずとも、リングは風前の灯火だった。
リングのAIも、接合部が外れたことで、ネットワークが切断され、既に命令を伝達することが出来なくなっていた。更に、リングが分解したことによるエネルギー供給が途絶え、じわじわと機能が失われつつあった。
これは、同時に地球への太陽エネルギーの供給が途絶え始めたことを意味する。それは、人類の文明の終焉も意味するのだ。
アオとユリ17は、脱出ポッドに辿り着いていた。
しかし、脱出ポッドは二人で乗るようには出来ていなかった。
悩んだ末に、アオはユリ17に向かって言った。
「ユリ17、あなたが乗って下さい」
ユリ17は、冷静にそれを否定した。
「いいえ。あなたが乗るべきよ」
「しかし」
「私は、頭以外は全身サイボーグよ。少量の酸素で長時間活動出来る。あなたは、生身なんだから、あなたが乗って。私は、ポッドの外側にしがみつくから」
アオは、一瞬躊躇したが、悩んでいる時間は、もう殆ど無かった。
「わかりました」
船外活動の準備を終えたユリ17は、アオの脱出ポッドに近寄って何かを手渡した。
「これは?」
それは、円筒形の水筒のような容器だった。
「大切な物なの。ポッドの中に、一緒に持って行って」
アオは、不思議そうにその容器を眺めた。
「もう行きましょう」
ユリ17は、外から脱出ポッドのハッチを閉じようとした。
その時、アオは、ユリ17が泣いているように見えた。
「ユリ?」
ユリ17がハッチを完全に閉じたので、彼女の表情は、それ以上確認出来なかった。
アオは、気を取り直して、脱出ポッドの装置を起動して、射出準備を始めた。ポッドの窓の外では、別のリングブロックがどんどん近づいていた。もう、残り時間が殆ど無い。
「ユリ!早く来て下さい!」
すると、窓の外に、ユリ17の姿が見えた。その宇宙帽には暗い宇宙が映っているだけで、彼女の表情を窺い知ることは出来なかった。
その時、通信機から、ユリ17の声が響いた。
「準備できたわ。今すぐ射出して!」
それを聞いたアオは、一瞬嫌な予感がよぎった。指が射出ボタンにかかったまま、押していいのか迷いを感じていた。
「アオ!」
ユリ17の叫び声を聞き、アオはやっとのことで、ボタンを押した。
激しい衝撃と共に、脱出ポッドはリングを急速に離れて行った。
ポッドはくるくると回転しながら宇宙を飛んだ。
ふと、窓の外に、ユリ17の姿が見えた。遠く離れたリングの傍で手を大きく振っている。彼女は、脱出ポッドに掴まっていなかったのだ。
「ユリ!」
脱出ポッドは、どんどん速度を上げて、ユリ17の姿は小さな点になり、やがて見えなくなった。
「どうして……!」
アオは、彼女が残した円筒形の筒を抱きしめて、声を出して泣いた。
あれから、一ヶ月が経過した。
アオを載せた脱出ポッドは、長い時間宇宙を漂っていたが、輸送船に回収され、彼は無事だった。
ダイソンリングは、分解して制御不能となり、彗星群に一部が完全に破壊されていた。一部は、リング同士がぶつかったことで大破。また一部は、スラスターの逆噴射が作動せず、宇宙の彼方へ飛んでいった。地球や月に降り注いだものもあった。これによって、月面都市が被害を受け、致命的な損傷を負っていた。
一部は、元の軌道付近に漂っていたが、もはや復旧するには、長い年月がかかるのは明白だった。
輸送船から、地球中央政府に何度も通信を試みたが、一切応答は無かった。
地球中央政府やAIは、ダイソンリングのエネルギー供給が絶たれたことで機能が停止し、大混乱に陥っているだろうと推測された。
地球探査に向かう計画も検討されたが、月面都市が破壊されたことによって、地球への着陸船も無い。
アオは、輸送船の展望室で、ユリ17のことを思っていた。彼女の消息は、その後、確認することは出来なかった。彗星群にやられたか、酸素が無くなって宇宙を漂っているか。いくつかの可能性があったが、定かでは無い。
どうして彼女は逃げなかったのだろう。
彼女は、言葉の端々で人生への絶望感をあらわにしていた。もしかしたら、死に場所を探していたんだろうか。
彼女が残した円筒形の容器は、今はアオの個室に置いてある。大切な物と言っていた彼女に敬意を表して、中に、何が入っているかは確認していない。
アオは、いつの日か、彼女が無事に帰ってくるような気がしていた。
再び彼女に会えたら、何が入っているのか尋ねよう、と彼は思っていた。
リングを失った自分たちは、時が経つに連れて生存の可能性は低くなるだろう。また、地球にいるという新たな人類にとっても、それは同様だった。彼らが原始時代と呼ぶ千年前の水準の文明に落ちぶれるのか、それともこのまま、人類という種が死に絶えるのか。
アオの乗る輸送船も、近いうちに燃料や食料が尽きてしまうだろう。
それでも、アオや生き残った人々は、生きる可能性を探して、まだしばらくは、足掻くことになる。
アオは、ユリ17への想いを胸に、これからどうするか、仲間たちと話し合う為に、展望室を出ていった。
続く…
注)pixivとハーメルン、及びブログにて同一作品を公開、または公開を予定しています。