遥か彼方の永劫を超えて   作:とも2199

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遥か彼方の永劫を超えて3 少女の内なる絶望

 私には、好きな人がいる。

 

 高校一年生の時から、クラスメートだった人。

 名前は、氷室裕介。

 一年生の時から、バスケットボール部で活躍していた。

 切れ長の瞳と、揺れる髪。躍動する体と、流れる汗。

 部活を遠目で見た私は、うっとりと見つめてしまう。

 

 彼は、クラスでも人気者で、男子だけでなく、女子にもいつも囲まれていた。

 

 そして私の名前は、佐藤優子。

 ありふれた名前。何処にでもある名前。きっと、日本中に、同姓同名の人がたくさんいるに違いない。

 

 私は、目立たない存在だった。

 教室にいる時も、いつも本ばかり読んでいた。でも、本当は、本を読むふりをして、彼の動きを追っていた。

 でも、ただそれだけ。

 私は、別に可愛くもないし、至って普通。

 彼と私の間には、とっても広い川が流れている。いいえ、きっと、海よりも、宇宙よりも広い空間が存在しているに違いない。彼と私の人生が、交わるはずも無い。

 こうやって、ずっと見てるだけなんだ。

 そう、思っていた。

 

 二年生に進級した時、また彼と同じクラスになった。

 とても嬉しかった。

 

 今日も相変わらず、本を読むふりをしながら、彼が、楽しそうに誰かと話すのを眺めている。でも、女子と楽しそうに話をしているのを見ると、少しだけ胸が痛かった。

 

 夏休み明け、学校に行く途中で彼を見かけた。後ろを歩いているだけで、少しだけ、どきどきした。

 途中で、いつもクラスで彼と話をしている女子がやって来て、二人で一緒に歩き始めた。何だか、とても楽しそうに話している。

 私の中で、嫉妬心が微かにうごめいた。

 だから、何だというの。私と彼の間には、何の接点も無い。何の努力もしなかったくせに。

 嫉妬する自分が悲しかった。

 でも、学校に行くと、その子と彼が、夏休みの間に付き合い始めたことが明らかになった。どうやって、わかったかと言えば。それを知った誰かの黒板への落書きだった。二人は、冷やかされて恥ずかしそうにしていたけど、幸せそうだった。私は、絶望というのが、こういう感覚だというのを、その日初めて知った。

 

 その日は、具合が悪いと言って、一日中保健室で過ごした。本当に、吐き気がして、気持ちが悪かった。布団を被って考えないようとしても、あの子の姿が浮かんで来る。

 ああ、もう、考えないようにすることも、許されないんだな。

 

 ある日、彼は部活の大会に出場する為、部員を乗せたバスで、どこかへいなくなっていた。

 教室に彼がいなくて寂しい気もしたけど、あの子と楽しそうに話す姿を見なくて済むのが、唯一よかったことだった。

 

 その日、あの事故があった。

 

 部員を載せたバスに、対向車線から飛び出してきたトラックが衝突し、大勢の部員が重軽傷を負う、大きな事故があった。

 私は、家にいて、お風呂上がりにつけたテレビで、そのニュースを知った。

 私には、何も出来なかった。ただ、震えてその事実を受け入れるだけだった。そして、せめて、彼が無事でありますようにと、祈るだけだった。

 その日はなかなか寝付けず、翌日は寝不足で学校に行くことになった。父と母は、私のことを心配するより、身近に起きた恐ろしい事件を肴に、長々と話し合っていた。私の気も知らないで。

 

 翌日から、彼は学校に来なかった。先生の話によれば、重症を負っているらしい。

 彼と付き合ったあの子はというと、ずっと泣いていた。彼女は、友達の女子に囲まれて、慰められているようだった。

 私も、泣きたかった。でも、何にも関係が無いのに、泣いてたら変だよね。

 

 それから、三ヶ月以上過ぎた頃、彼はやっと学校に戻ってきた。季節は、もう十二月になっていた。

 教室に担任と一緒に遅れて入って来た彼。

 彼の顔を久しぶりに見れた私は、涙が出そうな位嬉しかった。

 でも、その彼をよく見ると、足を引きずっていて、杖もついていた。前のような明るさや、爽やかさは影を潜めていた。暗い目をした彼は、まるで何者も近付け無いようなオーラをまとっていた。

 休み時間になると、以前のように、彼の周りには大勢の男子や女子が集まっていた。皆は、口々に心配していたことを彼に語りかけていた。

 でも、その彼は、一言も喋らず無表情だった。

 誰かが、彼の背中を叩いて話し掛けた時、突然、彼は険しい表情で怒鳴った。

 うるさいとか、ほっといてくれとか、そんなことを言っていたと思う。私も、そんな彼を見るのが初めてで、思わず持っていた本を、落としてしまった。

 

 私は、開いた口が塞がらなかった。

 何で? あの、明るくて爽やかを絵に書いたような彼が? どうして?

 私は、どんな顔をしていたんだろう。きっと、いつものように、何の感情もない顔をしていたに違いない。

 そう。それが、誰からも愛されない私の処世術。

 それなのに。

 つい、涙が溢れてしまった。

 

 私が、教室で突然ぽろぽろと涙を流し始めたことで、それに気が付いたクラスメートの一人が、怪訝な表情で見ていた。普段、誰とも話さず、存在感が皆無だった私の変化に、意外と思っているのだろう。

 居たたまれなくなった私は、落とした本を拾って、慌てて席を立って教室から逃げ出した。

 背後では、裕介の突然の変化に、集まっていたクラスメートの非難の声が最後に聞こえていた。

 心配してやってたのに……といった声が聞こえた。

 聞くに耐えないと思った私は、耳を塞いで廊下を小走りに走っていった。

 

 かなり走って、気が付くと、校舎の端っこまで来ていた。

 息を整えながら、さっきのことを考えてしまう。彼の変わり様を思い出しただけで、涙が止まらなかった。

 涙が枯れるまで泣いた私は、途方に暮れた。もう授業も始まっているし、今から、戻る気にもなれなかった。仕方なく、結局また保健室に行くことにした。

 

 とぼとぼと、保健室の前まで来た私は、扉を恐る恐る開けた。中を覗くと、保健室の先生がいつもの席にいなかった。

 室内に入って周りを見回すと、ベッドのカーテンを開けて、中から保健室の先生が現れた。

 私に気が付いた先生は、特に驚きもせず、私を迎え入れてくれた。

 どうしたの、とか、どこか具合が悪いの? と聞かれた私は、気分が悪い事を伝えた。

 先生は、二つあるベッドのうちの一つを使って休んで行くように言ってくれた。保健室の先生は、いつも優しい。何も言わずに受け入れてくれるのが、本当に嬉しかった。

 でも、もう一つのベッドは、カーテンで仕切られていて、誰かが使っているようだった。誰にも会いたく無いな、と思った私は、やっぱり早退したいと言う事にした。

 ふと、カーテンの隙間から、そこにいる生徒の姿が見えた。

 

 私は息が止まりそうになった。

 

 彼が、いる。

 

 彼が、どうしたのか、どうしても気になった。

 私は、そっと保健室の先生に近付いて耳打ちをした。

 すると、保健室の先生は、私を部屋の隅に連れ出して、小声で話をしてくれた。

 彼は、足の怪我のことで酷く落ち込んでいることと、そっとしてあげて欲しいということを教えてくれた。私は、うんうんと頷いて、もう一つのベッドへと音を立てないように潜り込んだ。

 

 彼の小さな寝息が聞こえてくる。

 カーテンの敷居はあるけど、彼がそばで寝ていると思うと、とてもどきどきした。

 でも、同時に物凄く心配にもなった。

 どうして、こんな事になってしまったんだろう。

 考えれば、考える程に理不尽だと思った。

 枯れたはずの涙が、まだ目の奥にあったみたい。

 

 私は、彼が、幸せであることを祈っていた。私には何の関係も無い人だけど、せめて笑顔が見られるだけで、私もささやかな幸せがあったから。

 

 それからしばらくして、私も寝てしまったらしい。

 気が付くと、夕日が窓から見えていた。

 隣のベッドは、いつの間にかカーテンが開いていた。彼は、ベッドに腰掛けて窓から見える夕日をぼんやりと眺めていた。窓の外からは、校庭で部活動をしている生徒たちの声が聞こえていた。

 保健室の先生は、席を外していて、今は居なかった。

 二人っきりだと思うと、胸がまたどきどきとしていた。

 私は、何か彼に話しかけたいと思った。

 勇気を振り絞って声をかけようと思ったが、中々言葉が出ない。やっとの思いで、口から出たのは、あの、だけだった。

 背を向けていた彼は、私の言葉にゆっくりと振り返った。多分、彼と真っ直ぐに目を合わせたのは、これが初めてだった。

 

 私は何か喋ろうとした。

 でも、何を?

 大丈夫?とか。

 元気出して、とか?

 考えてみると、どんな言葉も、今の彼には相応しく無い気がした。

 

 そうやって、躊躇している間に、多分三十秒ぐらいの間があったと思う。このままじゃ失礼だと思った私は、傍に合った今日読んでいた本を掴むと慌てて言った。

「た、退屈だったら、これ読んで! 凄く、面白いから!」

 私は、本を差し出した体勢で、下を向いていた。顔から火が出ているかと思うぐらい熱かった。耳の先まで、体中が熱くなっていた。

 

 私は、何をやってるんだろう。

 消えてしまいたいと思っていた。

 

 ふと、差し出した本が手から離れていった。

 顔を上げると、私の本を受け取った彼は、体を私のベッドの方に向けて座っていた。そして、無言で手に持った本のページをめくり始めた。彼は、本のページをぱらぱらとめくると、口元が緩んでいた。

 どうしたんだろう、と私は不思議に思ったけど、すぐに原因がわかった。

「ご、ごめんなさい! きょ、興味……無いよね」

 でも、彼は明らかに笑顔になった。

「こんな難しそうな本、読んでたんだ」

 ブックカバーがされているので、彼は中のタイトルページを私に見せてきた。

 

 科学技術の発展と人類の未来

 

 と書いてある。

 

 私は、しまった、と思っていた。

 今日持って来たのは、普通の小説とかじゃなかったのを思い出して、また体が火が出るように熱くなった。何か弁明をしないと、と焦った私は、いろいろと口走っていた。

「わ、私、SF小説が好きで、最近読んでいる本に関係することがそれに書いてあって、その……ご、ごめんなさい!」

 彼は、私に笑顔を向けると、その本の最初の章を黙って読み始めた。

「俺も、SFは好きだよ。と、言っても、そんなに詳しい訳じゃ無いけど」

 私は、それを聞いて少し驚いて、ページをめくる彼の様子を黙って窺った。彼は、本を閉じると言った。

「俺も、実はこういうの興味あるんだ。これ、本当に借りてもいいの?」

 私は、驚きのあまり、彼の顔をまじまじと眺めていた。はっとした私は、大きく頷いた。

「よ、よかったら、読んで!」

「ありがとう」

 彼の笑顔が眩しかった。

 

 私は、彼よりも先に保健室を後にして、家路に急いだ。

 さっき起こった奇跡のような出来事に、私は、心の中の叫び声を抑えるのに必死だった。顔がほころぶのが止まらず、きっと通りかかった人が私を見たら、にやにや一人で笑っていて、気持ち悪いと思ったに違いない。

 私は、幸せを噛み締めながら、家路を急いだ。

 

 

 

 あれから、私は彼と、とても仲良くなった。

 本当に、奇跡のような偶然。

 

 彼は未来の技術に興味があったみたい。

 今まで知っていた彼のイメージからは程遠いものだったから、最初はからかわれているのかな、と疑った時もあった。でも、彼のその後の様子を窺う限り、そんなことは無かった。

 私は、大好きなSF小説で、こんな未来像が書かれていたよ、と彼に紹介すると、ぜひ読んでみたい、と言ってくれる。もちろん私は、内心小躍りして、すぐに本を貸してあげた。

 

 そんな日々が続き、彼の表情も少しだけ明るくなった。

 

 あれから、彼は、彼を取り巻いていたクラスメートと触れ合うことは無くなってしまっていた。

 そして、彼の彼女になったはずのあの子にも、冷たくしているみたいだった。

 それが、何でなのか、私は怖くて聞けなかった。

 聞けば、私の今の幸せが、逃げて行ってしまいそうだったから。

 多分、彼が私と仲良くなったのは、以前の彼に戻って欲しいと、私だけが言わないからだ。当たっているか、わからないけど、何となくそう感じていた。

 

 仲良くなってから、彼が教えてくれた所によれば、彼の足は奇跡でも起きなければ、一生杖が必要なんだそうだ。今は諦めずに、リハビリで週に何度か病院に通っている。

 私は、その事を聞くと胸が苦しくなった。

 彼も、その事を話す時、とても暗い表情になった。

 

 それに、それだけじゃ無く、部活の殆どの彼の友達が、酷い怪我を負っていて、まだ退院出来ない重症の人もいた。退院出来たとしても、彼と同じ様に体に障害を抱えてしまった人も何人もいた。軽傷で済んだ人もいたそうだけど、精神的な問題で、前と同じ様に振る舞える人は、居なくなったらしい。

 彼の気持ちを思うと、本当に居たたまれなくなる。

 主要な部員がこのような状態となった為、うちの学校のバスケットボール部は、無期限活動停止になっていた。

 

 年末が近づいて、明日から冬休みという日、教室で、彼が貸していた本を返してくれた。

「これ、面白かったよ」

「良かった」

 私も、本を受け取って笑顔でそれに答える。

 彼も、にっこりと笑う。

 そして、小説の内容の解釈について、議論するのが最近の楽しみだった。

 その日、彼との楽しい会話が、それで最後になるなんて、私は思いもしなかった。

 

「あんたさぁ、ちょっといい気になってんじゃない?」

 私は、トイレにいたところを、同じクラスの数名の女子に囲まれていた。

「そ、そんなこと……」

 私は、中でも一番背の高い女子に、平手で思い切り叩かれた。叩かれた勢いで、私は跳ね飛ばされて、洗面所の角に、額を打ち付けた。

 叩かれた頬と、打ち付けた頭の痛みで、私は、トイレの床にうずくまって痛みに耐えた。

「あーごめん、ごめん。虫が止まってたからさ」

「だいたいさぁ、あんたみたいな本オタクが、どうして裕介と話をしてんの? 釣り合わないって、どうしてわかんないかなぁ?」

「彩夏も、言いたいことあるでしょ。言ってやんなよ」

 そんな暴言を私に言ってきた女子たちが彩夏と呼ぶ人は、彼の彼女だった。

 それまで黙っていた彼女が、うずくまっている私に話しかけた。

「ねぇ。どうして、泥棒みたいな真似するの?」

 

 私は――。

 私は、泥棒……?

 

「彼の傍にいなきゃいけないのは、私なの! ずっと、彼の為に尽くしてきて、やっと振り向いてもらえたの。それなのに。それなのに、彼が、落ち込んでいる隙に割り込んで来て、あり得ない!」

 

 そうか。

 そうだったんだ。

 私は、彼女を傷付けていたんだね。誰にも愛されない私は、誰にも関わらないようにしてきたのに。人との関わりを持ったばかりに、いつの間にか、彼女を傷付けていたんだね。

 ちょっとだけ、私は自分が幸せになる夢をみてしまっていた。

 だって、あんな奇跡のようなことがあって。どうしても、それを手放したくなかったんだよ……。

  

 女子たちは、私の鞄の中身を漁り始めた。

 そして、今日、彼から返してもらった本を取り出すと、トイレの便器に投げ込んだ。

「二度と、彼に近づかないで」

 そう言い残すと、彼女たちはトイレを出ていった。

 私は、彼女たちがいなくなった後も、トイレの床にうずくまっていた。

 涙が、後から後から溢れていた。

 

 しばらくして、私はよろよろと立ち上がった。

 トイレの床に散乱していた教科書やペンケースの中身を集めて鞄に入れた。

 そして、トイレの便器に投げ込まれた本を取り出したものの、トイレの水が滴るどうそれをどうすべきか悩んだ。彼との思い出もあるそれを見ると、悔しくてまた涙が溢れた。そのまま捨てることが出来なかった私は、洗面台の水を流して、せめてトイレの中の水を洗い流そうとした。本が、ぼろぼろになったのを見て、私は、声を出して泣いた。

 洗面台の鏡を見ると、額を切ってしまったようで、額の腫れ上がった部分の切り傷から血が出ていた。

 髪は乱れ、頬は腫れ、涙の跡で情け無い姿だった。

 

 そうだね。

 私のくせに、ちょっといい気になってたんだ。

 

 家に帰ってくると、母が私の姿を見て驚いていたけど、転んだと嘘をついた。そのまま、部屋に逃げ込んで、ベッドに潜り込んでまた泣いた。

 

 冬休みは長かった。

 何もやる気が出ず、日々ぼうっとして過ごした。

 額の傷は、思ったより深かったみたいで、なかなか治らなかった。

 その間、携帯の通知が時々出ていた。彼が私にメッセージを送ってくれていた。アプリを開くと、既読マークがついてしまうので、私は、開かずに通知の表示だけを眺めていた。

 彼は、初詣に私を誘ってくれていた。

 

 行きたい。

 彼と一緒に、初詣に行くなんて、ずっと妄想の中の事だと思ってた。

 それが、せっかく現実になったのに。

 私は、彼女のことを思い出すと、どうしても体が動かなかった。

「悔しいよ」

 また、涙が溢れて来た。

 彼と仲良くなってから、私は、いろんな夢を、描いていた。

 

 彼と、初詣。

 彼と、一緒に映画。初めてのデート。

 彼と、お祭りに行って、

 一緒に、花火を見て、手を繋いで。

 そして――。

 

 そんな、私の淡い夢が、手の中から、さらさらと砂のように零れ落ちていった。

 

 冬休み明け、私の額の傷は、まだ治っていなかった。

 私は、額に絆創膏を貼って、学校に向かった。

 その途中、彼に、ばったりと出会ってしまった。

 彼は、私の額の絆創膏を見ると、心配して言った。

「どうしたの? それ」

 私は、黙って答えなかった。

 そのまま、二人でしばらく並んで歩いた。そうやって、一緒に歩いていると、もう一度、彼と仲良く過ごす道はないかな、と考えたりもした。

 そこで、黙っていた彼が急に喋り出した。

「あのさ」

 彼は、そこで言いにくそうに再び黙った。私が、彼を見ると、彼は意を決したのか、再び口を開いた。

「実はさ。俺、この冬休みの間に、彩夏と仲直りしたんだ」

 私は、心の中で驚いていたが、表面上は、無表情なふりをした。

「彩夏がさ。他の女と仲良くするのは嫌だって言うんだ。俺、佐藤さんとは、もっと、もっと話したかったんだけど。彼女の気持ちも大切にしたいと思って……」

 彼は、とても言いにくそうに言葉を選んでいるようだった。

 もう、何が言いたいのかはわかっていた。別に、私と彼は、付き合っていた訳でも無い。私が一人で、舞い上がっていただけだったんだから。

 

 私は、踵を返すと、学校とは逆の方へ走り出していた。彼が何か叫んでいたが、私は、振り返らずに、一目散に走った。

 すごく長い距離を走った私は、いつの間にか踏切の遮断機の前で息を切らしていた。

 目の前の踏切を、凄い勢いで電車が走り抜けた。

 

 ああ。

 あれに飛び込んだら、もう悩まなくていいんだよね。

 

 そう思っていると、今度は反対側から、別の電車が、走ってくるのが見えた。

 

 私は、ふらふらと、遮断機の下を潜った。

 

 

 

 電車が走り抜ける轟音が辺りに響いていた。

 列車が通り過ぎると、遮断機が開き、待っていた人や車が線路を横切り始めた。

 

 私は、隅の方でうずくまって、一人で笑っていた。

 

 死ぬことも出来ないんだね。

 私は、なんて臆病なのかな。

 そう。

 今まで通りに戻るだけ。

 今まで、ずっとそうしてきたの。

 何も変わらない。

 

 よろよろと起き上がった私は、再び学校の方角に向かって、とぼとぼと歩き出した。

 

続く…




注)pixivとハーメルン、及びブログにて同一作品を公開、または公開を予定しています。
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