ドリルジャンボが、月面の裏側に穴を開けていた。
四つの高速に回転する掘削ドリルが、硬い岩盤に穴を幾つも開けようとしていた。大気があるなら、恐ろしい軋む音が響いていただろう。
「ユミ、まずいぞ。このまま、掘削を続けると、エンジンが焼き切れる!」
無線でユミと呼ばれた女は、足下のペダルを思い切り踏み込んだまま、正面のドリルが火花を散らす様子を睨み付けていた。ドリルジャンボは、まるで巨大な蜘蛛のような六本の足を月面に固定し、その中央のコックピットは、地面に向けて逆さまにぶら下がっていた。コックピットの脇から伸びる四本の油圧式のシャフトが、尖端に取り付けられた強力なドリルを月面に突き立てている。
「やっと傷がついたとこなんだ。もうちょいやらせてくれ!」
ドリルジャンボのコックピットでは、エンジンとドリルの凄まじい轟音が鳴り響いていた。
「だめだ。止めろ!」
「まだまだ!」
地面に突き立てられたドリルが当たった場所は、次第に白熱し始めていた。
すると突然、ドリルの尖端が砕けて、四散した。
粉々に飛び散ったドリルだった金属が、辺り一面に広がった。強力な投光機の光で照らされたそこは、ドリルの破片がきらきらと輝きを放って漂っていた。
ユミは、コックピットの窓の強化ガラスを思い切り蹴飛ばした。
「畜生!」
コーヒーの入ったカップから、湯気が立ちのぼっている。ユミは、それを掴むと、立ったまま、熱そうに一口すすった。彼女は、そばにあった椅子を引っ張り出すと、そこに腰掛けた。そして、テーブルの上に無造作に置かれた無線機に向かって話し掛けていた。
「もっと、硬度の高いドリルがいる」
無線機からは、少し雑音がしていたが、やがて先程彼女に声をかけていた男の声で返答が来た。
「さっき、地球に連絡して、新型の掘削用ドリルを送るように頼んでおいたよ」
ユミは、そばにあったタバコの箱を掴むと、不満そうに言った。
「それよりも、もっと強力な機材を運んでくれよ。最近は、原子力エンジンを積んだ工作機械があるだろ」
「予算が無い」
ユミは、あからさまにがっかりとした表情をしていたが、顔の見えない無線機の向こうの男には伝わらないだろう。
仕方なく、タバコに火を付けると、思い切り空気を肺に取り込んだ。そして、ゆっくりと煙を吐き出すと、狭い月面の居住区画一杯に濁った空気が広がった。
「ユミ。今、タバコ吸ってるだろう? 貴重な空気を、そんなもので汚すとは、正気な人間のやることじゃ無い。何度言えばわかってくれるんだ?」
ユミは、バカにしたような表情になると、暫くの間、無言でタバコを吸い続けた。
「センサーの表示によれば、君の居住区画の酸素量が危険な状態だと出ている」
ユミは、それを聞いて嘘つけ、と思ったが、手元のタバコをじっと見つめた。そして、諦めたように無線機の手前に置いてあった灰皿に、それを押し付けた。
「これでいいかい」
「結構」
ユミは、小さくため息を漏らした。
「ダニエル。あれはいったい何なんだ?」
無線機が、再び雑音しか音がしなくなった。向こうもタバコを吸い始めたのか、とユミが疑い始めた頃になって返事が返ってきた。
「俺たちは、クライアントの指示に従って、あれに穴を開ける。それだけだ。あれが何かなんて、俺だって知らない」
数週間後、ユミは、地球から届いた新型の掘削用ドリルを、ドリルジャンボに装着し、再び月の裏面の岩盤に挑んでいた。
コックピット内では、今回も激しい轟音が鳴り響いていた。月面に突き刺したドリルは、高速回転しながら、徐々に徐々に硬い岩盤をえぐり始めていた。
「やったぞ!ダニエル、やったぞ!」
じわじわと、ドリルは岩盤の内部に潜り始めていた。岩盤を削り取った破片が、砂のようにきらめきながら漂っていた。
ユミは、深く踏みこんだアクセルを徐々に緩め、今回はエンジンが焼き切れないように気を使っていた。この調子なら、回転数を落としても大丈夫だろうという経験的な判断だった。
それから、一時間ぐらい経過しただろうか。ドリルの先端は、完全に地面に埋没し、四本の油圧式シャフトが、限界まで地面に潜り込んでいた。
ユミは、突然感覚が薄くなるのを感じていた。先程までのような、無理矢理こじ開けて行く感覚が、急に消えたのだ。彼女はアクセルから足を離し、エンジンがアイドリングし始めた。そして、コックピットに無数にあるスイッチを操作し、ドリルの先端に取り付けられたセンサーの感度を上げた。
センサーの表示を見たユミは、体をぶら下げていたハーネスを取り外し、コックピットの中を宙返りした。ふわふわと、コックピットの窓に着地した彼女は、思わず置いてあったタバコの箱を掴んで、おもむろに一本取り出して火を着けた。
煙を思い切り吸い込んだ彼女は、満足そうに笑いだした。
「ユミ、どうした?」
センサーでモニターし続ける彼には、彼女の様子は常に筒抜けだった。
「ダニエル、とうとうやったぞ。硬い岩盤の貫通に成功した!」
無線機の向こうの彼は、暫くの間沈黙していた。
やがて、彼の方でもセンサーのデータを確認したのか、少しだけ感情を込めた声が聞こえてきた。
「よくやった。ミッションクリアだ。すぐにクライアントに報告しておくよ」
ユミの返事が無いため、ダニエルは、聞いたかどうかわからなかった。
「ユミ?」
その彼女は、宇宙服のヘルメットを装着して、船外活動の準備を始めていた。ドリルジャンボの後部のハッチを通れば、月面に降り立つことが可能だった。
「ユミ! 何をやっている!」
「ちょっと、空いた穴の中を見てみるだけさ」
ユミの声は、既に宇宙服のヘルメットの内部に装着された無線機のマイクを通じて、ダニエルに届いていた。
「それは必要ない。俺たちの契約は、穴を貫通させるところまでだ。依頼人の意向に逆らうことになる。やめてくれ」
「ちょっとぐらいいいだろう。どうせわかりゃしない。ちょっと下がどうなってるか、気になるんだよ。せっかく開けた穴だからな」
ダニエルの声は、悲痛さを伴っていた。
「やめるんだ、ユミ。危険だ」
ユミは、既に月面に降り立っていた。自ら開けた穴に、ドリルジャンボのシャフトが食い込んでいた。その隙間に、人が通れるくらいの穴が開口していた。ユミは、ザイルをシャフトに括り付けると、宇宙服の金具にも通した。固定されたことを確認すると、おもむろに体を、穴に押し込んだ。
宇宙服のヘルメットのライトを点灯させると、ザイルを徐々に緩ませて、下へと降りていった。下を見ても、そこは果てしない暗闇が広がっていた。ヘルメットのライトの光量では、最下層まで照らすのは困難だった。
ユミは、シャフトの隙間を降りながら、目を輝かせていた。この下に、一体何があるのか? この契約を結んだ時から、何が目的なのかずっと気になっていた。ささやかな好奇心を満たすべく、彼女はどんどん下に降りて行った。
ヘルメットの無線機がひっきりなしにダニエルの警告の言葉が響いてた為、彼女は途中から音声を切った。
やがて、ドリルの尖端が見えて来た。その下を覗くと、意外な光景が広がっていた。
どうやら、下は空洞になっているらしかった。ヘルメットの光は、空洞の内部を照らそうとしていたが、思ったよりも、中は広そうだった。
「ダニエル。こいつはヤバそうだ」
暗闇の中で、狂気じみた彼女の目が、ただ輝きを放っていた。
ダニエルは、月の裏側のユミとは遠く離れた月面都市のオフィスにいた。各種のセンサーで彼女の装備の状態をモニタリングし、適切なアドバイスをして、彼女の安全を守っていた。
そのユミが、自ら連絡を絶った事に彼は驚きを隠せなかった。さすがにそのような無茶をすると考えていなかった彼の焦燥は激しく、何から手をつけるべきか正常な判断が出来なくなっていた。
そんな状態で彼は各所に連絡を始めた。
最初に、月面都市のレスキュー隊に連絡をとって確認したところ、月面都市内の救急活動しか行っていない、という回答だった。そもそも、月の裏側まで部隊を派遣する装備を持っていなかった。彼は、通信に出た担当者を怒鳴りつけると、向こうが話している最中に通信を切断した。
一瞬、宇宙軍に助けを求めることも考えたが、あそこで採掘しようとしている物が何か、軍に説明する必要がある。そこで初めて冷静になったダニエルは、それは最後の手段、と頭の中で再確認した。
自身で移動手段があればよかったのだが、あいにく、そのような装備を買う予算がなかった。ユミをあそこに派遣する装備だけで、今期の会社の予算は使い切ったのだ。会社の経営を支援させているAIにも、輸送船のような高価なものを購入するなら、利益を今の五倍に上げる必要があるとアドバイスされていた。
経営者の立場では、AIの言うことに従わない理由は無い。時に、迷惑に感じることもあるが、これが今時の会社経営のあり方だった。
そうして、いくつかの思い付く連絡先にあたってみるが、中々良い答えは返って来ない。そこで、観光業者にもあたってみると、やっとのことで月の裏側まで行ってくれるという奇特な業者を見つけた。
ダニエルは、特急料金を出すと言って、緊急で観光用宇宙船を飛ばすことに合意させた。
ダニエルは、取るものもとりあえず、月面都市の道路や回廊を大急ぎで走り、宇宙港へ向かった。
そこでは、胡散臭い観光業者お抱えのパイロットの中年の男が待っていた。しかし、どういう訳か、すぐに船に乗せようとしない。特急料金と言ったはずなのにと、ダニエルは苛立った。
ふと、男のみすぼらしい服装を見て、これはチップを望んでいるのだな、ということに気が付いた。
仕方なく、このような場合に何時も持っている少額の紙幣を数枚掴ませると、やっとのことで乗船を許可された。電子マネーで決済することが当たり前のこの時代でも、口座を持てない貧しい者がいるのだ。
しばらくすると、ようやく観光業者の宇宙船は、宇宙港を飛び立った。一応観光船だったので、旅客席もあったが、ダニエルは副操縦士席に無理矢理座っていた。
観光船は、高度を上げると、小型のスラスターを噴射して、月の裏側へと真っ直ぐに進んだ。
「おい、月の裏なんて、何の用があるんだ」
パイロットの中年の男が、無遠慮に尋ねて来た。
ダニエルは、眉をひそめて言った。
「我が社は業務委託を受けて、資源採掘をしている。社員が連絡を絶ったので緊急事態の可能性がある」
「わざわざこんな辺ぴな所で、ご苦労なこった」
男が納得したようなので、ダニエルは手に持っていた携帯端末を確認した。
相変わらず、ユミからの連絡がない。それに、ユミの居住コンテナにも、ドリルジャンボにも、生体反応が無い。ユミは、まだ船外活動をしているのは間違いない。しかし、残存酸素の量はそろそろ危険な状態になっていると推測される。
「急いでくれ」
「無理言うな。この船は遊覧船でロケットじゃない」
ダニエルは気ばかり焦っていたが、こればかりはどうしようも無い。
月面の裏側でユミに行わせている掘削作業は、本当は業務委託などではなかった。ユミにも秘密にしていた為、これを知るのはダニエルだけだった。
ダニエルの会社は、十数年前に月面都市の大規模な再開発を受注し、その時から月に根付いていた。社員数こそ少ないが、外注の土木作業を請負う複数の企業と提携し、その中抜きをすることで利益を得てきた。昔勤めていた官公庁で培った人脈とコネが、独立して起業してから大いに役立っていた。そこで儲けた利益を元手に、自身のポケットマネーも投じて、月の裏側の掘削作業に勤しんでいた。
何故、誰も見向きもしない月の裏側の掘削作業などしていたかと言えば、あまり大きな声で言えない理由だった。
ダニエルには、子供の時から見てきた夢があった。言葉通りの意味の将来の夢では無く、文字通りの意味での夢だ。最初は、朧気なイメージでしか無く、見た夢も覚えていなかったが、繰り返し同じ夢を見た事で、徐々に内容がはっきりとしてきた。
大人になってからも、思い出したように、その夢を見た。そしていつしか、夢の中でこれは夢だと認識するようになった。その夢の中でダニエルは、月面である発見をしていた。途方もない発見だということは分かるが、肝心な所がはっきりしない。
月面都市の再開発を受注した時に、彼は確信した。自分は月に来る運命だったのだと。そしてこれは天啓に違い無い。それから彼は、積極的にそのチャンスを狙おうとした。
そんな時に最近会社の面接で出会ったのがユミだった。少々言う事を聞かない所に問題はあったものの、根っからの好奇心と危険を顧みない行動力は、彼の目的を達成するのに必要な要素だった。理由はそれだけで無く、彼女が自分と同じ貧民街で育ったということに、大いに親近感が湧いた。この時代の人間は、通常、人工子宮で誕生するものだったが、二人は違った。貧しい暮らしをする彼らの母親が、自分で妊娠して生まれた子供だったのだ。彼は、彼女との出会いにも、運命のようなものを感じていた。
彼は、会社の金だけで無く、この時の為に貯めていた金を、移動居住車両と、掘削用重機につぎ込み、彼女にそれを託したのだ。本当は、自身で行きたいと思っていたが、会社の経営もあり、自由気ままに旅に出る訳にはいかなかった。
こうして、数カ月に渡って、彼女には資源採掘の業務委託と偽って、夢で見た何処かの場所を捜索させた。そして遂に、夢とそっくりな、硬い岩盤に覆われた月の裏側の場所を発見したのである。
この発見に、ダニエルは狂喜したが、ユミに対しては、気付かれないように、至って冷静に振る舞っていた。この数カ月、彼女とは通信だけの付き合いではあったものの、次第に気心も知れ、大切なパートナーと思うようになっていた。
今回の事で、よもや自分が、このように心配することになるとは思ってもみなかった。彼女は、自分の夢を実現する自身の一部のようなものになっていた。
彼女が掘り抜いたそこは、既にセンサーのデータによって、異常な状態であることが観測されていた。そして、非常に危険なのは確かだった。にもかかわらず、彼女は言うことを聞かず、その危険に飛び込んでしまった。ダニエルは、苛立ちと不安と心配とが入り混じった感情を抑えることが出来ず、自然と足がカタカタと床を踏みならすのを止められなかった。
しばらくすると、ようやく観光船は、上空からユミの居住コンテナを捉えた。移動居住車両のコンテナを展開して、月面に居住区画を設置したものだ。
そこから、月面にキャタピラが残した跡が続いていた。掘削用重機を移動させた跡だろう。
ダニエルは、パイロットの男に、キャタピラの跡を追うように指示した。
ほんの少し離れた所に巨大なクレーターがあり、キャタピラの跡は、その中に続いていた。ダニエルは、観光船をクレーターの傍に下ろすように命じると、席を立って船外活動の準備を始めた。
ダニエルが、月面に降り立つと、観光船は勝手に飛び立って行った。ダニエルは憤慨したが、観光船は、通信にも応答せず、あっと言う間に見えなくなってしまった。
仕方なく、ともかくユミに急いで追いつくのが先だと、彼は歩みを早めた。
自分の酸素タンクは、まだ数時間もつが、ユミの方はもう殆ど残っていないはずだった。
ダニエルは、月の低重力を利用して大きく跳ねながら進み、クレーターの下へと飛び込んで行った。
クレーターの中を急いで進むと、途中で転んでしまった。そうして砂を舞い上げて転げ落ちながら、クレーターの最下層にやっとのことで辿り着いた。
砂だらけになったが、とにかく追いつこうと、懸命に立ち上がって先を急いだ。
やがて、掘削用重機のドリルジャンボの姿が見えると、急ぎ足でそこに向かった。ドリルジャンボは、月面に固定するため、キャタピラのある車両側面から固定用のアウトリガーが伸びて、地面に突き刺さっていた。
そして、車体からクレーンのように大きく付き出したコックピットは、地面に向けて下にぶら下がっていた。車体から伸びたコックピットの側面から、四本のアームのような油圧式のシャフトが伸び、地面に深く突き刺さっている。
そのシャフトの傍に近づくと、ちょうど人が通れる程の大きさの穴が空いている。四本のシャフトのうちの一本に、ロープが結ばれており、ユミがそこから穴の中に入ったのは明白だった。
「ユミ!応答してくれ」
彼は通信で呼びかけるが、応答は無かった。
意を決したダニエルは、ユミが使ったと思われるロープを、自身の宇宙服のフックに括り付けると、穴の中に降りて行った。
彼女の無事を祈りつつも、自身の長年の謎でもあったその場所に、彼は大いに期待を膨らませるのだった。
下まで降りると、そこは、空洞になっていた。宇宙帽のライトが下まで届かず、とても広い空間があるのが想像出来た。ゆっくりとロープを緩めて更に内部へと入ると、そこは何故か重力が逆さまに働いていた。空洞の中に入ったばかりの場所で、重力の均衡が取れているらしく、それ以上、下に降りることは出来なかった。
ダニエルは、穴の脇の天井に足を伸ばし、そこに足をついた。天井を踏みしめた彼は、恐る恐るロープを手放した。そして、ゆっくりと天井を歩き始めた。
「一体、どうなっているんだ?」
宇宙帽のライトで周囲を照らすと、そこは思ったより狭かった。せいぜい三十平方メートル程度の空間だった。その足元の四ヵ所に、ドリルジャンボがこじ開けた穴が空いていた。壁や地面は、滑らかで、まるで磨いたように表面がつるつるとしていた。上を見上げると、光の届かない漆黒の闇が広がっており、かなり天井が高いと思われた。
その空間の隅に、人が入れる程の窪みが三つあった。
「ユミ!」
その真ん中の窪みには、探していたユミが横たわっていた。その彼女が脱ぎ捨てた宇宙服が、すぐ傍に転がっている。ダニエルは、真っ青になってユミに駆け寄った。彼女の様子を見ると、胸が静かに上下していて、息をしているのが見て取れた。
「どういうことだ?」
ダニエルは、疑問の追求を後回しにして、彼女を揺り起こした。
「ユミ、ユミ!起きてくれ」
ユミは、うっすらと目を開いた。
「……ダニエル?」
「そうだ。俺だ」
ユミは、ゆっくりと体を起こすと、両腕を持ち上げて、大きく伸びをした。
「なんで起こすんだよ。いいところだったのに」
彼女は悪態をついた。
「何を言っている?」
ユミは、おもむろにダニエルの宇宙帽を掴むと、無理矢理外そうとし始めた。
「おいばか、やめろ!」
「ばかとは失礼な。大丈夫だ。ちゃんと呼吸出来る」
そう言いながら、結局、無理矢理宇宙帽は取り外されてしまった。
ダニエルは、焦って呼吸を止めたが、ユミがにやにやして、彼を見ているので、仕方なく深呼吸することにした。
「確かに呼吸は出来るようだ。だが、この空気の成分にもどんな危険があるかわからないというのに、君という奴は……!」
ユミは、大笑いを始めた。
「な、何が可笑しい」
彼女は、しばらく笑い転げていたが、やっと真面目な顔をして言った。
「あのさぁ。あたしの宇宙服の酸素残量は、もう殆ど無い。ここで呼吸出来なきゃ、とっくに死んでる」
ダニエルは、大きくため息をついた。
「全く、君って奴は」
「いい女だろ?」
「そういう話はしていない」
「さては、あたしのことが心配だったんだろう?」
「従業員の心配をするのは、当然のことだ」
「ふぅん。あっそ」
ユミは、突然立ち上がると、ダニエルの腕を掴んで目を輝かせた。
「ダニエル、ここに寝てみろ!」
ダニエルは、ユミが寝ていた窪みを凝視した。
「どうして」
「寝てみりゃ、わかるさ」
ユミは、ダニエルの腕を強く引いて、窪みへと誘った。
彼は、渋々と、そして恐る恐るそこに横たわった。
すると、脳裏に何か薄っすらと見えてきた。
「これは……何だ?」
それは、白昼夢を見ているようだった。
ダニエルは、異国の地でサムライになっていた。かと思えば、未来の宇宙の何処かで、懸命に何かの作業を行っていた。
見えたものは、はっきりとはしていないが、何か尋常では無いものが垣間見えたのは間違いが無い。
驚いたダニエルは、慌てて立ち上がって、窪みから離れた。すると、白昼夢もあっさりと見えなくなった。
「ユミ!」
そのユミは、突然彼に顔を寄せると、目を見開いて狂喜じみた表情で見つめた。
「お前も、見えたんだな?」
「あれは一体何なんだ?」
「わからない。だけど、面白いだろ?」
ユミは、子供のような期待に満ちた表情になっていた。
ダニエルは、そんなユミを無視して、頭の中を整理した。
ここは、小さな頃から夢で見た場所だ。何かに導かれるように、彼はここへやってきた。そして、何か重大な発見をした、ということまでは、夢で何度も見て来たことだった。
既に、センサーによって、重力異常などのデータを収集していた。それと、先程見えた何か。あれが恐らく、ここで発見すべき何かだったのだろう、とダニエルは考えた。
「君は、今まで何を見たんだ?」
彼は、先行して、それを体験した彼女に尋ねた。
「あらゆる人の人生を体験した。それから、未来で人類がゆっくりと滅んでいくのも見た」
それを聞いたダニエルは考えた。
「なるほど。確かにそんなようなものを、俺も見た気がする」
彼は、宇宙服の腰につけた端末を取り出すと、センサーで内部をもっと詳しく調べてみることにした。
しばらく端末を弄っていたが、大したことはわからなかった。逆さまに働く重力は、人工的な装置によるものか、壁面や床を調べてみたが、特に何も見つからなかった。また、窪みの中に端末を近付けると、画面の表示が正常に行われなくなった。しばらく調査を続けると、どうやら、時間の進み方に異常があるのがわかった。
しかし、これ以上は、今の機材では充分な調査が行えるとは思えなかった。万全の準備をしてここに戻り、徹底的に調べる必要がある。
そんなダニエルに、ユミが言った。
「なぁ、ダニエル。あたしたちがここに来たのには、何か意味があるのかも」
そう言われて、ダニエルは、調査の手を止めた。そして、背後に立っているユミにそっと言った。
「確かにそうかも知れない。実は、君に黙っていたことがある」
ダニエルは、小さな頃から見ていた夢と、今回の調査の件をユミに打ち明けた。
それを聞いたユミは、暗い天井を見上げて何か考えているようだった。
「ここで寝てみて、いろんな人の人生を見て来た。そこで、ある人に頼まれたんだ。『人類を救って欲しい』って」
ダニエルは、その話に目を丸くした。
「誰に?」
「よくわからない。でも、あたしは、未来で人類が緩慢な死を迎える様子を見た。あたしたちが、今この場所で、何かすることで、人類を救えるのかも知れない」
「どうやって?」
ユミは、にやりと笑った。
「人の人生にほんの少し干渉出来るみたい。少し試してみたんだ」
ダニエルは、彼女の無鉄砲さに呆れた。それでも、何が起こったのか、聞かずにはいられなかった。
「それで?」
ユミは、得意げに頷いた。
「その人の人生の流れが変化した。これって、未来をあたしたちが変えられるってことでしょ?」
ダニエルは、そんなことが可能なのか大いに疑問を持った。
「まて。ここで見たものは、本当にただの夢なのかも知れない。誇大妄想だよ、そんなもの。それに、そんな未来の人類が滅ぶとか、俺たちがここで暮らすのに何の関係も無いじゃないか」
ユミは、いたずらっ子のような顔で、ダニエルに顔を寄せた。
「ふうん。それなのに、あんたはここまでやって来た。それは、ここで何か凄い事が起こるんじゃないか、と夢見て来たからじゃないの?」
「お、俺は、ここで何か金儲けできる何かを見つけると思って……」
ユミの瞳は、疑いに満ちていた。
「それ、嘘っぽい。そうは、見えないな」
そう言われて、ダニエルは何も言えなくなった。
確かにその通りだ。
彼は、ここで何か大切なことを成し遂げるのではないかと、長い間夢見て来たのだ。
子供の頃から、ずっと。
その大切だけど何かよくわからないものに、私財も投げ売ってきた。
そうやって、長いこと考えてきたことを、どうしてこの娘は、いとも簡単に受け入れているのだろうか?
ダニエルは、何だか無性に笑いたくなった。
彼は、にやりと笑ってユミを見つめた。
「わかった。面白そうだ。俺も試してみよう」
「そう来なくっちゃ!」
ダニエルは、ユミと同じように、宇宙服を脱ぎ捨て、端の窪みに横たわった。何故か、寒さも感じず、温度は快適だった。真ん中の窪みには、再びユミが横たわる。
二人は、どちらからともなく、手を伸ばした。そして互いの手を絡み合わせた。
「じゃあ、行こうか」
ユミの微笑にダニエルも笑顔で返した。
「行こう」
続く…
注)pixivとハーメルン、及びブログにて同一作品を公開、または公開を予定しています。