遥か彼方の何処かで
時空を精神が飛ぶ感覚は、とても新鮮だった。
あらゆる時間に好きなように移動し、そこで起こる人の人生を、短い時間で理解することが出来る。
すぐ傍に漂うダニエルの精神は、ユミに追いつこうと必死なようだ。
「ダニエル、サムライの人生を見てどうだった?」
「不思議な感覚だ。彼らの人生や、彼らの子孫の運命まで、ほんの少しの干渉で大きく変わってしまった。だが、これが人類を救うことに、どう繋がるんだ?」
「あたしは、先を見てきたからさ。バタフライエフェクトって、良く出来た言葉だと思うよ」
「こんな何百年も昔の変化が、遠い未来に繋がると?」
「そう。でも、もうちょっとだけ、手伝いがいるかな」
「そうなのか?」
「人の性格までは変えられない。あたしたちが出来るのは、ほんの少しの勇気を持ってもらえるようにすることだけ。失敗しても、試行錯誤をする時間はたっぷりとある」
ユミの精神は、ダニエルを置き去りにして、遥か彼方に飛び去った。
「待ってくれ! ユミ、これは神の領域だ。こんなことが、本当に俺たち人間に許されるのか?」
ダニエルの精神は、無鉄砲な彼女を追って飛んだ。
「あんたが望んで、ここに来たんだろ……」
遥か時空の彼方から、微かにユミの言葉が彼に届いた。
長い旅の始まり
二十一世紀最後の年――。
国立宇宙科学研究所、略称ISASは、神奈川県相模原市にあった。
そこで、タイジは、ある決意を固めていた。
「アユーシ、俺は行くよ。もう決めたんだ」
インド人の父と日本人の母を持つアユーシは、その端正な美しい顔が、悲痛に歪んでいた。
「タイジ」
その日タイジは、ちょうど三十五歳の誕生日を迎えていた。研究に協力してくれている大学院生らにサプライズパーティーを開かれ、タイジは少し酔っていた。
「決めたんだ。年内に旅立つ。準備は、順調に進んでいる」
タイジは、研究室の窓際の壁に寄っかかって、グラスのスパークリングワインを飲み干した。
研究室の中央のデスクでは、学生たちがわいわいと騒いでいる。誕生日パーティーに気を良くしたタイジが、今日は無礼講だと宣言してから、歓声を上げた学生らは酒を飲み交わしつつ、交友を深めていた。一頻り学生らと騒いだタイジは、少し離れた窓際で、学生らの様子を見ながら、ワインボトルを抱えて一人で飲んでいた。
タイジの研究室の同僚アユーシは、同じように学生から距離を置き、彼の傍で一緒に飲もうとした最中に、この話をされていた。
「諦めたと思ってた」
アユーシは、寂しそうに下を向いた。
タイジは、夢を実現しようとする少年のような目をしている。もはや、彼女の言葉は、届きそうも無かった。
「俺は、きっとこの旅に行く為に生まれて来た。今ならわかる」
アユーシは、すぐ隣にいるタイジの顔をじっと見つめた。タイジの目は、遠い所を見ていて、アユーシの姿が見えていないようだった。
「じゃあ、お別れなんだね」
「そうだな」
「もう、会えないんだね」
「そう、だな」
「置いて行かれる、私はどうすればいいの?」
「君は、君の人生を歩んでくれよ。俺は、最初から、いなかったと思って欲しい」
「酷いこと言うのね」
「そんなこと無いさ。君は優秀だ。俺のような世捨て人のような男のことは、早く忘れるべきだ」
「ひっぱたいてもいい?」
タイジは、やっとアユーシの方を見た。
アユーシは、タイジにそっと顔を近づけ、躊躇無く口づけをした。すぐに離れたアユーシは、タイジを一瞥すると、怒ったように肩を怒らせて、そのまま研究室を出ていった。
目ざとく、今の光景を認めた学生の一人が、何か騒いでいたが、タイジはいなくなったアユーシがいた場所を、表情を失ったまま眺めていた。
「そういうの、ずるいじゃないか――」
タイジは、グラスを置いて、ワインボトルから直接飲み始めた。
「教授、冷却材の注入が終わりました」
タイジは、学生たちに教授、と呼ばれていた。正確には、ISASの職員なのでそのような呼称は誤りだ。しかし、タイジは甘んじてその呼び名を受け入れていた。
「生体維持に関する準備はほぼ完了だな。装置の保守点検の準備の方は順調か?」
大学院生のイチロウは、タイジの質問に答えを窮していた。
「まだ問題があります。教授の求める水準には達していません」
タイジはため息をついた。
「原因は、やはりAI?」
「はい。長期の保守の実現には、AIによる自己分析機能を拡張する必要がありますが、私たちの入力が上手く反映出来ません」
AIは、アユーシの専門分野だ。彼女の協力が必要だが、先日の一件から、彼女は何処かへ出掛けたまま、しばらく顔を合わせていなかった。
「アユーシを見かけたら教えてくれ」
「わかりました」
その学生は、ISASの地下施設から出て行った。
彼が出ていった後、タイジは、大切そうに人工冬眠装置、HSPの本体を撫でた。
ある日、タイジがISASのキャンパスの外のベンチで休んでいると、かれこれ一ヶ月ぶりでアユーシの姿を見かけた。
「アユーシ!」
タイジに気が付いた彼女は、彼が駆け寄って来るのを、立ち止まって待っていた。
「君に頼みが……」
「タイジ」
アユーシは、彼の話を遮って話し始めた。
「ISASを辞めることにした」
タイジは、驚いて、持っていた書類を、落としてしまっていた。
「え……?」
「しばらく、転職活動をさせてもらった。来月から民間の製薬会社に行くことになったから」
アユーシは、事も無げに語った。そして、驚いたままの彼に、彼女は追い打ちをかけた。
「あなたが、旅立つ決意をしたと言うのなら、もう私はここに留まる理由が無くなった。お別れね、タイジ」
タイジは、自分のしたことを、身を持って理解した。置いて行くつもりだった彼女に、逆に見捨てられたのだ。彼は、最後は彼女に見送ってもらおうと、都合のいいことを考えていた。
「俺は……」
「今さら気にして無い。あなたも、心置きなく旅立てるし、お互いこの方がいいでしょう。もう、終わったの」
タイジは、最後の最後で、失敗したことを悟った。しかし、気付くのが遅かった。滑稽な自分自身を呪いながらも、彼にはやらねばならない事があった。
「じゃあ、さよなら」
踵を返して、先へ行こうとする彼女を、タイジは必死に呼び止めた。
「待ってくれ」
アユーシは、思わず立ち止まったが、すぐに後悔することになる。
「君にしか頼めないことがある」
アユーシは、どんな頼みかおおよそ予想がついていた。小さくため息を付き、彼の方を見ずに言った。
「何?」
「装置の保守を司るAIの調整が上手くいってないんだ。すまないが見て欲しい。これが、最後の頼みだ」
タイジは、深々と頭を下げていた。アユーシは、しばらく動かなかった。タイジも、頭を下げたまま、じっとしている。
アユーシは、「もう!」と一言怒りを漏らすと、振り返った。
「これで、最後だから」
アユーシは、ISASの地下施設で作業を行っていた。コンピュータシステムの端末に向かい、ひたすらキーボードを叩き続けた。
その横で、タイジは、時々彼女の様子を窺いながら、端末の画面を眺めていた。何やら、別の場所から何かファイルをコピーしている。不思議そうに見る彼に、アユーシは説明をした。
「これは、シンギュラリティ以前の旧式のAIプログラム。これに入れ替える」
タイジは、アユーシの言っていることに、驚きを隠せなかった。
「今のAIじゃ駄目なのか?」
アユーシは、キーボードの打鍵を続けながら、彼に解説した。
「今のAIには、私は決定的な欠陥があると考えている。いいえ。この言い方は適切じゃない。今のAIは、人間の知能を超える程優秀だけど、経済活動や政治を行うのに特化し過ぎている。あなたが望んでいるシステムは、はっきり言えば、AIにとっては無駄以外の何者でも無い。だから、期待する機能を反映出来ない」
「確かに、政府のAIはそう判断したようだが。末端のシステムは無関係ではないのか?」
アユーシは、手を少し止めてから言った。
「そんなことは無い。今のAIのベースになっているものは、根本は全て同じコードをそれぞれの分野に適用しているに過ぎない。そこで、ベースを変え、ネットワークから切り離す。そうすれば、この呪縛から抜け出せる」
タイジは、不満そうな顔をしていたが、アユーシは、更に話を続けた。
「あなたの祖父母がここで開発し、実用化一歩手前まで実現したこの画期的なテクノロジーは、政府のAIの決定によって研究が放棄された。あなたが医療用と政府に偽って、再び予算を獲得するまでは」
「それは知っている。だが、この技術には、人類の未来がかかっているというのに」
「理由は簡単。効率と利益。それに反するから。ハイパースリープポッド、HSPは、遠い宇宙へ旅する為の技術。効率と利益を、短い時間で最大限得ることを最優先にAIは追求する。恒星間航行なんて、利益を得られるのに数十年、数百年、もしかしたら、もっと先かも知れない。しかも、それだけ待っても、どんな成果が出るかも実際にはわからない。だから、AIには、無駄なものに見えている」
「君も、そう思っているのか?」
「この事実は、AIを扱う技術者の間でも、問題になっているし、一般論として、こういった技術を無駄とは言わない。けれど、私個人としては、もっと身近な幸せの方を優先したい。そういう意味では、AIの考えに近いのかもね」
アユーシは、暗い表情で、タイジの目を見つめた。
「あなたは、違うようだけど」
そう言われて、彼は、しばらく黙ってしまった。
アユーシは、再び端末に向かい、打鍵を始めた。
しばらくして、タイジは、独り言のように呟いた。
「俺の祖父母は、人類の未来を常に考えていた。とても、優秀な科学者だった。祖父は、宇宙飛行士の夢を諦めてまで、恒星間航行の要となる、人工冬眠技術の開発に、生涯を捧げた。祖母も、一緒にそれを支えた。孫の俺が、これを完成させ、やり遂げるのは運命だよ」
アユーシは、ひときわ大きな音でキーを叩いた。
「終わった。月末までは、ここにいるから、その間に調整が上手く行かないなら、言って。それで、私も心残りを残さずにすむから」
タイジは、少し寂しそうに言った。
「ありがとう……」
アユーシは、デスクから立ち上がって、去り際に彼に言った。
「あなたが旅に出る決意のきっかけになったもの。前に話してくれた、夢で見てきたっていうもの。これを作ったあなたの祖父母のヒムロ夫妻。これらのことは、自分の意思で無い何かに導かれているように私には見える。残念だけど、あなたの気持ちを、もう理解出来そうもない」
踵を返して去って行く彼女を、タイジは黙って見送るしかなかった。
タイジは、小さな頃から、ある夢を見ていた。
それは、遠い未来で、人類が緩慢な死を迎えて行く様子だった。繰り返し、その夢を見たタイジは、いつしか、現実に起こる事なのではないかと考えるようになった。父母は、この話を悪い夢だと言って取り合ってくれなかったが、何故か祖父母は、真剣にこの話を聞いてくれた。
特に祖母は、笑顔で、幼い彼に優しい言葉で語った。
「きっとね、誰かがあなたを見守っているんだよ。絶対に忘れずに、その記憶を大切にしてね」
そう言って頭を撫でてくれた祖母の表情を、タイジは今でも時々思い出すことがあった。祖母は、何かを知っていたのかも知れない。
そのようなことがあったからなのか、タイジはおばあちゃん子で、幼い頃から祖父母の行っている科学実験に興味を持つようになった。
その祖父母は、ちょうどその頃、冷凍冬眠実験で大きな成果を収めていた。既に、チンパンジーによる実験を成功させ、人間による実験も成功していた。その後、何人もの人が、人体実験に参加するようになっていた。一度も失敗することなく、遂に十年間の冷凍冬眠からの生還を成功させ、実験の最長記録を達成していた。
その技術は、完全に実用化したように見えた。
しかし、その頃の世の中は、シンギュラリティに夢中になっていた。
遂にAIが人類を超えたと宣言され、まだAIを採用していない企業や国家が、こぞってこの流行にのった。そして、日本でも、AIが政治家の支援をするようになると、不正を働くような政治家よりも、AIの方が優秀だと評価され、次第にAIが様々な政策を考え、実行されて行くようになったのだ。
祖父母が引退する頃には、既に国家予算の決定にも関わっていた。そんな時に、人工冬眠実験への予算がおりなくなったのだ。既に、十分な成果を上げており、今後の宇宙探査計画の立案と共に、再度研究を再開する、という理由だった。
恐らく、アユーシの言うとおり、国家の目の前の利益に繋がらない、無駄なものと判断されたのだろう。
その頃には、研究に生涯を捧げた祖父母は、既に亡くなっていたので、その悲報を聞くことが無かったのは、唯一の救いだった。
幼い頃から祖父母の実験に感銘を受けていたタイジが、ISASに入ろうと考えたのは、必然でもあった。そして、何とか実験を続けて、祖父母の夢だったという、恒星間の宇宙探査を実現させたいと思っていた。
それから、大人になったタイジは、祖父母の意思を継ごうとISASに入った。相模原キャンパスの地下施設に放棄されていた、このHSPの元になった人工冬眠装置を発見するのは、それからすぐのことだった。
こうして、医療用という名目で、装置の研究費を勝ち取ったタイジは、数百年もの長時間に耐えられるように、装置の本格的な改良に取り組んだ。人工冬眠そのものは祖父母が完成させていたが、それ以外の周辺機能を充実させ、長時間の自己メンテナンス機構を完成させて、初めて本当の意味での実用化と言えるだろうと、様々な研究を続けた。
HSPのメンテナンスを行う極小ロボットなどの自己修復機能、冷却材などの材料の生成、電源のフェイルセーフ機構、自動覚醒機能など、恒星間航行中に想定され得るあらゆる機能を検討して、実際に組み込んで行った。
アユーシとは、その過程で初めて出合い、一緒に研究や実験に取り組んでいった。若い二人が急速に接近して、男女の仲となるには、それほど長い時間を要しなかった。
それから、十年ほどかけて、様々な機能を拡張したHSPに、タイジは自分自身が乗り込んで、最終的な実験を行った。
その一年後に、自動覚醒機能によって計画通り生還した彼は、アユーシと実験の成功を祝ったが、この時の実験が、彼らの運命を変えることになった。
実験中は、当然、タイジの意識は無かったが、彼は夢を見ていた。それは、長い、長い夢だった。
彼が幼い頃に見た未来の光景を、再び見てしまったのだ。そして、それだけでなく、様々な場所や時間の出来事を見たり体験し、まるで現実かのような記憶が残っていた。
何故、遠い未来に人類は滅んでしまうのだろう? と彼は疑問を感じていた。あれが、本当に未来の記憶ならば、何か重要な意味がある、と彼は考えるようになった。タイジは、祖母が言っていた「絶対に忘れずに、その記憶を大切にしてね」という言葉を思い出すと、その記憶の意味や、運命のようなものを考えるようになっていった。
その夢を見ている時に、何者かの意思にも出会っていた。
彼らはタイジに、こう言ったのだ。
「人類を救って欲しい」と。
それが、どういう意味か、最初はタイジはわからなかった。
だが、タイジは気づいてしまった。
この完成したHSPを使えば、未来に旅立てるのではないか――?
タイジは、運命の歯車が、静かに音をたてているのを感じた。何かわからない、とてつもなく大いなる意志が、タイジを誘っているかのようだった。
未来に行き、人類を救うことが自らの使命なのか?
日増しに、そのような思いに囚われた彼は、本当にそれを実行しよう、と決意を固めるまで、長くはかからなかった。
「教授」
もの思いにふけっていたタイジは、研究を手伝っている大学院生のイチロウに声をかけられて我に返った。
「どうした?」
HSPのチェックをしていたイチロウは、不思議そうな表情で、タイジに尋ねた。
「AIを古いバージョンに入れ替えましたね? アユーシさんがやったんだと思いますが、何故ですか?」
タイジは、彼にアユーシの言っていたことを話し思い出しながら話した。
「最新のAIは、長期メンテナンスの自己分析を途中で止めてしまうらしい。AIの基本的な効率と利益を求める機能が、無駄な事をしていると判断してしまうことが原因らしい」
「そんなことが?」
イチロウは、何か考え込んでいた。彼の専門は、生命科学だっため、AIはそれほど詳しくはない。
「もしかしたら、これは、欠陥なんじゃないでしょうか?」
「そうかも知れない。AIを開発したのは人間だ。誰かが改良して、いつかもっと良いものになるさ」
「教授、このHSPの研究に必要な予算を止めたのは、政府を支援するAIでした。これは、AIが無駄と判断すると、お金が出ないということを意味します。こういうビジネスに直結しない研究には、国が予算を割く必要があります。でも、お金が出なければ、研究開発は進められません。それなのに、一方では、AIが決めた人工子宮の研究開発が進められています。世間では、奴隷製造機なんて、揶揄する言葉もあるぐらいのものです。AIは、このままでは、効率だけを求める世界を作って行くんじゃないでしょうか? 僕らの間では、時々議論になることがあります」
タイジは、それを聞いて考えにふけった。それが、そのまま口をついて出てしまった。
「……人類を救うには、AIを止める必要がある?」
人類を救うと聞いて、タイジが言っていることに、イチロウは少し首をひねった。
「AIは、これからの時代、人類の発展に不可欠なものでしょう。でも、皆、心配しています」
イチロウは、HSPのチェックを終えると、彼に言った。
「教授、準備が出来ました。いつでも使えます。教授が行ってしまうと寂しくなりますよ」
タイジは、彼の肩を叩いて言った。
「引き続き、研究は続けて欲しい。俺の実験データは、大いに役立つだろう。俺は、まずは、百年後に目覚める。その時代のISASの連中に、HSPが間違いなく役に立つことを証明するよ。そこから、更に何百年か先の時代まで行き、これが正常に機能することを証明するさ。そうすれば、いつか、銀河の果てまでだって、人類は行けるようになるだろう」
タイジは、それからしばらくISASに休暇をもらい、日本のいくつかの場所を尋ねていた。実家、卒業した学校。旅行で訪ねた思い出の場所。そんなところを、いくつか巡り、たった一人でこの時代との決別をした。実家で、両親に泣かれたのが、一番辛かったことだが、決意を変えるつもりは無かった。
最後に、祖父母の墓参りにも行った。そこでタイジは、二人への感謝を改めて伝え、祈りを捧げた。
「行ってくる」
HSPで旅立つと決めた日、タイジは休暇から戻っていた。しかし、既にアユーシは居なくなっていた。彼女のデスクなど見て回ったが、もう、何もない。
彼女と過ごした日々を思うと、切なかった。本当に、自分の最後の態度は馬鹿だったな、と後悔したが、既に遅かった。だが、考えようによっては、早く思いを絶ち切ることで、旅立った後の悲しむ時間が互いに少なくて済むというものだ。
ISASの地下施設には、大勢の職員と、彼の研究を手伝った学生らが訪れていた。皆、タイジの旅立ちを見送りに来ていたのだ。
彼らは、タイジと握手したりして、最後の別れを惜しんだ。そして、彼の上司に促され、彼は最後の挨拶をおこなった。
「皆さん、私の為に集まってくれたことに感謝します。私は、皆さんご存知の偉大な科学者、ヒムロ夫妻の孫です。二人の意志を継ぎ、恒星間航行で必要となる、この人工冬眠技術の実用化を目指しました。しかし、世はまだそのような時代では無く、私は未来へと旅立つことにしました。未来では、いつか実際に、宇宙船で遠い宇宙の何処かへ出掛ける時代が来るでしょう。この技術が、本当に役立つか、私は身を持ってそれを証明し、そして出来れば、祖父母が叶えられなかった宇宙旅行の夢を、実現したいと思っています。それでは、行って参ります」
タイジは、そこで礼をすると、集まった人々が大きな拍手をしてくれた。
今、タイジが皆に語った事は、あの夢が現実では無かった時に果たす目的だ。だが、あの夢で見たことが、現実になるのなら、そのような未来になる前に、人類は緩慢な死を迎えていることになる。
どちらにせよ、もう決めたことだ。
そこに到達する必然、運命のようなものを、彼は感じていた。
彼は、HSPのハッチを開き、身体を中に入れた。狭いポッドの中に寝そべると、冷却材を体内に取り込む為のマスクを脇から取り出し、それを鼻と口を覆うようにはめた。
内部のボタン操作でハッチが閉じると、小さな窓から外で見守ってくれている皆の顔が、入れ違いに覗いた。別れを惜しんでくれる彼らに、タイジは心の底から感謝した。それでも、彼にとっては、アユーシが、そこに居ないのが、最後の心残りだ。
タイジは、冷凍冬眠を開始するボタンに手を触れた。
お婆ちゃん、行ってくるよ。
それから、アユーシ。
本当に、すまなかった――。
タイジがボタンを押すと、HSP起動時の小さな唸り声のような音が響いた。しばらくすると、冷却材が彼の鼻と口から吹き込まれ、彼の意識は、遠くなっていった。
現れた希望
ユミは、意識が漂うままに任せていた。
ここが、いつで、どこなのかもわからなかった。
何処かではぐれたダニエルが、何処かに存在しているのは感じる。
でも、助けてあげない――。
彼女は、まるで悪いことをしているかのように、笑っていた。
「もうすぐかな」
何かが起こるのを、ユミは感じていた。
そして、それは突然やって来た。
「やっと来たね」
ユミは、やって来た存在に語りかけた。
その存在の意識は、まだ幼い少年だった。
何が起きているかもわからず、当惑しているようだった。
「困るよね。そりゃそうだ。でも、あたしにも、よくわかんないんだ。でもね、あんたは、あんたの時間軸でいう、過去に存在した、いろんな人々に生かされて、ここまでやって来た。あたしも、ほんの少し手伝ったからわかる。あんたという存在は、この宇宙で特別なんだ」
その存在は、言っていることの意味がわからないようだった。
ユミは、その存在の意識に向かって、大切な、魔法の言葉をささやいた。
だから、お願い。
人類を、救って――。
続く…
注)pixivとハーメルン、及びブログにて同一作品を公開、または公開を予定しています。