Present for 作:オタクさん
自分の性格が難儀なものだと気付いたのは、小学生の頃だった。
ただひたすらに純粋で、何色にでも染まりやすくて、簡単に人を傷つけてしまうあの年齢。
はみ出し者は容赦なく悪とみなされ、隅へと追いやられてしまう。そう、本当に些細なことでも。
きっかけは、クラスが授業中に騒がしくなって、当時の先生が困った顔をしていた時だった。
幸い誰にも恐れずに話しかけることができた性格だった私は、委員長のような周りを仕切る立場でもないにも関わらず、その奇声をあげている男子生徒に注意をした。
彼は恐らく驚いただろう。特徴と言えば勉強熱心で真面目だったくらいの当時の私に、大声を浴びせられたのだから。いつも本を読んでいて、目線は下に向いていた、確実に歯牙にもかけていなかっただろう私に。
同時に先生も機会を得たと思ったのか、その男子生徒へ注意をした。クラスの雰囲気が大分盛り下がっていたのもあって、取り敢えずその騒ぎは終着を迎えることとなった。
そして先生は許され、私は許されなかった。
「なあ、765プロって知ってるか?」
高校の昼休み、学食。いつも騒がしい友人がさらにうるさそうな顔をして、僕にとある雑誌を見せてきた。
表紙には『新鋭──765 MILLIONSTARS』と書かれている。
765プロ。
天海春香や如月千早といった、アイドル黎明期のトップアイドルを輩出した大手事務所だ。
「ほら、
「ああ、それは知ってる。というか、日本で知らないやついないだろ」
「話が早くて助かるよ。そこがさ、新しいアイドルを39人デビューさせるんだと」
「39人……? すごいな。そりゃ大盤振る舞いだ」
テラス席、白い太陽が雑誌を照らす。
光が反射して少し眩しくなった雑誌の表紙を、友人はおもむろに開き始めた。
風がやや強くて、枯れかけている木々から葉が数枚落ちてくる。
「で、わざわざそんなものまで見せてきたってことは?」
「そういうこと! 俺の推しを見てほしい」
「推し、ねえ……」
サブカルチャーの沼に頭まで浸かったような表現に違和感を感じた僕を無視して、友人はアイドル紹介ページの写真をなぞっていく。
春日未来、最上静香、伊吹翼──さすがにアイドルとしてデビューしているだけあって、彼女たちのレベルは相応のものだった。
「ああ、あった。この子」
「へえ、佐竹美奈子さん……ね。なるほど、確かにかわいいな」
「そうだろそうだろ! 良かったら今度ライブ行かないか?」
「まあ、考えとくよ」
僕がそう言うと、友人はにんまりと笑って食堂から出ていこうとした。
見ていた雑誌は閉じられた。
「あ、ちょっと待っ……」
「……? どうした?」
「……ああいや、何でもない。ライブ楽しみにしとくよ」
──全部の写真は見られなかったか。
友人の軽やかな足取りを見送りながら、苦笑いが零れ出る。
初冬の風が、首元に冷たさを感じさせた。
今年も、ストールを羽織る季節が来たようだ。
〇
気分が乗らない時は、何かを食べるようにしている。
人間の三大欲求、食欲性欲睡眠欲。内一つを充分に満たして、ストレス解消を図ろうというわけだ。
だから、家の周りのレストランは大抵行き尽くしてしまった。もちろんリピーターとなった店もちらほらとあるが、今日は新しいところへ行きたいと心が欲している。
当然だ。今日の気分は、いつもの憂鬱とは違うのだから。
友人には欠片も素振りは見せなかったが、アイドルは好きだ。346プロも283プロも、全員の顔と名前を覚えるくらいには興味を持っている。
けれど、そこまで。──いや正確に言えば、僕は興味を〝持っていた〟。僕の欲しかったものはそこには無かった。
頭の中に葛藤が生まれる。あの時こうしておけば良かっただとか、しなければ良かっただとか、変えられない過去にずっと悩む悪い癖だ。
諦めはついたと思っていたのに、いざまたアイドルという単語を耳に入れてしまうと、あの時の熱が再来しそうになってしまう。
僕は結局、何一つとして残せなかったというのに。
「おにーさん!」
「……?」
背中の方から声がした。やや特徴的な声色で、関西弁のような訛りのイントネーションがある。
振り返ると、髪を左に結んで垂らした女の子が立っていた。
「……えっと、初対面ですよね?」
「いやぁ、すんません。元気無さそうやしお腹空いてそうやったから、つい声かけてしもた」
「ああ、それはそうですね。今からどこかご飯食べに行こうかなって」
「やっぱり! せやったら、私の行きつけの店行きません? これがめっちゃ美味しいんですわ」
ニコニコとした笑いに釣られて、初対面なのを忘れてしまうくらいに距離が縮まっているような感覚がする。おそらく天性のものだろう、コミュニケーションの才能、とでも言うべきか。
けれど、僕は僕で新しいレストランに行きたいのだ。腹も相当に減ってきたし、あまりこの子と油を売るつもりはない。
「ちなみに、店の名前って何?」
「……それもしかして調べるつもりです? 何とかログとかで。やらしいわぁ」
「いやそうじゃない、行ったことが無いところに行きたくて」
「あぁ、そういう事なら。佐竹飯店いいます」
「佐竹……?」
友人が昼に言っていた子の苗字と一致している──が、まさかそんな偶然は起こらないだろう。
仮にそうだったとしても、アイドルが接客対応にまで出てくるとは思えない。いろいろプライバシーの問題もあるだろう。
「……もしかして、行ったことあります?」
「あ、いやごめん。無かったな、名前も聞いたことが無かった。どこにあるの?」
「それが結構わかりにくいところにあるんですわ……。私も初めての時は苦労したもんです」
「なるほど。じゃあ道案内は頼むよ」
「喜んで! ああ、お兄さん名前なんていうんですか?」
「
「わかりました、友利さん! あ、私は
僕のことは無視して勝手に名前で呼び出す横山さんだったが、どこからか出てくる彼女との親近感もあり、嫌な気はしなかった。
けれど僕が笑って頷いた後、彼女の表情はだんだんと曇って見えた。
「……私の名前、知りません?」
「……? いや、初めて聞いたけど。もしかして横山さん、有名な人?」
「あー……いや、無名です……。まだまだ頑張らんと……」
そのまま横山さんは肩を落とし、幾らか遅くなった歩調で僕の前を進み続けた。
彼女に案内されるがまま、路地の方へと歩を進める。こんなところに店なんてあったか──? なんて思ってしまう程に、そこは住宅街の真ん中だった。もしかすると、店と家が同じタイプの店なのだろうか。
だとしたら僕が向かっていないのも頷ける。そんなところに店があるなど、端から思ってもいなかった。
「着きました、ここですよ」
「ほんとだ。佐竹飯店……いや全く知らなかったよ」
「そりゃあ何よりです! 看板娘は可愛いし、料理はもちろん美味しいし、友利さんきっと常連になりますよ。楽しみやわぁ」
そう言いながら、横山さんは扉を開けた。中華料理特有の甘辛い香りが隙間から飛び出てくる。
いらっしゃいませ、という言葉が大きく店の中に響いた。僕と同じくらいの、まだ十分に若い年齢を思わせる高い声だった。
「あぁ、奈緒ちゃん! ……と、その人は?」
「おーっす美奈子。この人は新しい常連さんや!」
──美奈子? 佐竹、美奈子?
雑誌に載っていたあの写真が脳裏を巡る。若干ショートで、ポニーテールで、大きなリボンが特徴の女の子が写っているあの写真が。
急いで店の中へ入った。早く声の主が知りたい。
「いらっしゃいませ、佐竹飯店へ!」
「…………。佐竹美奈子、さん」
頬に汗がたらりと流れる。
果たして僕を出迎えたのは、765プロの新アイドルである、佐竹美奈子その人だった。
「えぇ、美奈子のことは知っとるん!?」
「いやだって、765の新アイドルって……」
隣から横山さんが突っかかってきた。状況の飲み込めない僕は、たじたじとおぼつかない返事をすることしかできなかった。
「まぁまぁ、とりあえず二人とも座って!」
「……もっと頑張らな」
若干嬉しそうな表情の佐竹さんに促され、打って変わって暗い顔になった横山さんとテーブル席に案内される。
まさか、アイドルがそのまま接客にまで出てくるとは。まだ駆け出しだからそういう心配をする必要がないと考えているのか、もしくは単純にこの店で働くことが好きなのか。
厨房に戻っていく佐竹さんの足元は、少し弾んでいるように見えた。再び、店の中の方から中華料理の甘辛い香りが漂ってきた。
「……んで、なんで美奈子のことは知っとったん?」
テーブル席に座って落ち着く暇もないままに、横山さんは口を尖らせ聞いてきた。
──何と言おうか。いや、その前に。
「もしかして、横山さんもアイドルだったり?」
「あぁそうや! 765プロ所属、横山奈緒! 覚えとき!」
彼女の双眸が、まっすぐ僕の眼を捉えた。
横山さんもアイドルだったのか。確かに全員分のアイドルは見られなかった──というか、僕が見たのは春日未来、最上静香、伊吹翼、そして佐竹美奈子の四人だけだ。
まさかこうなるなんて思ってもいなかったし、ろくに見ていなかった。
正確には、見たくなかった。
「いやごめん、友達が佐竹さんのファンでさ。あの子だけ顔は知ってたんだ」
「あぁ、なるほどな……。じゃあ改めまして。765プロ所属アイドル、横山奈緒いいます。よろしゅうな」
「うん、よろしく」
僕がそう言うと、それと、と一息置いてゆっくりと横山さんはまた口を開いた。厨房の方をちらりと一瞥し、佐竹さんがいないことを確認していた。
「さっきは突っかかってごめんな、友利さん。今日話しかけたのはさっき言ったこともあるんやけど……」
「……やけど?」
「……私、本当は。ファンが欲しかったんです。まだ駆け出しのアイドルやから」
言い終わると、彼女は苦笑いを浮かべ、気まずそうにおしぼりの袋を開いた。流れに合わせて、僕も同時に袋を開ける。
十分に熱い。この初冬の時期、悴んだ手を暖めるには一番だ。
彼女もそれを感じ取ったのか、硬くなっていた表情に少し綻びが見えた。けれど目線は僕を向いてはいなかった。
厨房を見ると、佐竹さんが輝いた笑顔をしながら大きなフライパンで何かを炒めている。
──横山さんからすれば、アイドルとしてファンを獲得した佐竹さんに対して、彼女自身は僕を捕まえてファンにさせようなんて姑息な手を使った人間として映っているのだろう。
「別に気にしてないよ。横山さん、アイドルとして頑張ってると思うから」
だから精一杯の気持ちを込めて、この言葉だけを伝えた。
彼女は少し驚いたような顔をして僕を見た。
手に握っていたおしぼりの熱は、もうとっくに無くなっていた。
そして、少しの間沈黙が流れ。
「──ほい、お待ち! 奈緒ちゃんには特製タコ焼きで、あとはいつもの佐竹飯店スペシャル! たくさん食べていってね」
〝佐竹飯店スペシャル〟と名付けられた大量の皿と大量に盛り付けられた食事が、佐竹さんの大きな声と共にやってきた。
熱そうな料理から立ち上る湯気と、少し元気を取り戻していた横山さんの表情から、この皿がどれだけ美味しいのかがよくわかる。
「そうそう、これや! ……友利さん、さっきの話はまた後で謝ります。すみません」
真剣な目に、つい気圧されてしまう。
彼女なりのアイドルとして邪道を進んでしまったことへのケジメなのか──いや、恐らくはそうじゃない。
彼女はただ、アイドルとしての自分に真剣で、それでいて自分の在り方に対して不器用なのだと思う。
何とかして上に上にと向かおうとして、自分にできることなら何でもして、それでも正々堂々と戦いたい。けれど、現実とのギャップに苛まれてしまう。
──あの子を、思い出した。
今頃彼女はアイドルになれているのだろうか。
あの、雪の積もったクリスマスの日。僕は
ずっと彼女の一人目のファンであろうと心に誓った。
僕などを振り返らなくても良いように、傍で支え続けようと。
そして。そして、僕は────
──つい、吐き気がした。
「……ごめん、横山さん。今日は用事があったんだ、お金置いていくから、帰るね」
「えっ──、ちょっと、友利さん!」
けれど。
酷い顔をしている。
あの日のことは、後悔として僕の心に残り続けるのだろう。
僕は一生後悔という言葉で、逃げ続けるのだろう。
後ろから僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。
夕焼けが沈むオレンジの空、土色の落ち葉が舞う道、肌をつんざくような白い風。
冬、師走の末はもう目前に迫っていた。