Present for 作:オタクさん
歌うことが好きだった。
友人関係、親子関係、毎日の宿題や、果ては今日の曇り空さえも。自分の中に溜まり積もったストレスを全て発散できる自分の歌が、好きだった。
私は友達が少なかった。
出る杭は打たれる、という諺を知ったのは小三の頃だったか。まさしく私という出る杭が打たれてしまって、半ば自暴自棄になった時図書館でふと目にした言葉。
子供というのは打算的であり、徹底されたリアリストだ。自分の〝情〟などといった不確実で何の保証も無いものは簡単にかなぐり捨ててしまい、自分の社会的立場を優先する。
つまり、他人からどう思われているか。
けれど。
私はどうにも、他の人達より幾分か利口ではなかったらしい。社会がどう思うかなんてことより、自分が間違っていると感じたことに黙っていられる質ではなかった。
だから私は、私が正しいと思えることをした。
し続けた。
いつか私のこの行動を、心から賞賛してくれる人が来ることを願って。
辛い時は決まって歌を歌った。
雨上がりの虹に自分の歌声が響いていく様は、子供の純粋な目からは宝石などよりもずっと美しいものに見えた。
頬に心地よく当たる小雨、仲睦まじく羽ばたく蝶、重い雲から覗く光。
色彩豊かなこの風景だけが、私の心の拠り所だった。
☆
あれから次の日。
後ろめたい気持ちを抱えながらも、学校が終わるや否や僕は足早に佐竹飯店へと向かった。
横山さんと話をしなければならないからだ。
──僕は逃げた。自分の過去やしがらみを、何の関係もない彼女に重ねてしまって、怖くなって。ファンになってくれと言われた女の子一人とすら向き合えないまま。
何の解決策も持っていないし、彼女にかける言葉も見当たらない。それでも、足だけは休むことなく動かした。
あんな表情をさせたまま人と別れることは、もう二度と繰り返してはいけないと。
けれど。
佐竹飯店には横山さんはまだしも、佐竹美奈子さんすらいなかった。
従業員と思われる人物が一人、がらんと空いた店内の厨房に構えていた。随分と筋肉質だ。
「お客かい?」
男性はゆっくりと、そう言った。
屈強そうな見かけ通りの少し掠れた厳しい声で、姿勢が自然と正されていく。
店内全体を見て、客が僕一人しかいないことを確認した。
「空いてますか?」
「見ての通り。何がいい」
「……じゃあ、佐竹飯店スペシャル、で」
僕がそう言うと、男性は少し驚いたような顔をして厨房から出てきた。
そしてじっくりと、品定めするように僕の全身を見回した。
「……アンタ、美奈子の知り合いかい?」
「えっ? いや、知り合い……ではないです。顔を見たことがある程度で」
「ふぅん」
ぶっきらぼうにそう返される。
口ぶりからして、この男性は佐竹さんの父親のようだ。フレンドリーな彼女からは少し想像がつかない、気難しそうな人に見えた。
「……アレは、美奈子の特別メニューなんだ。なんでてめぇが知ってる?」
初耳だ。
確かに横山さんはかなりの常連客だったようだし、幾らか特別な対応をされているものだとは思っていたが。
「いえ、昨日横山さんが頼んでまして」
「横山さん……? それ、奈緒ちゃんか?」
「あっそうです、横山奈緒さんです。昨日一緒にここに来て」
「へぇ。あんた、奈緒ちゃんも知ってんのかい」
「彼女は少し話したことがあって」
「……そうか。まあ座れ。あァ、俺の名前は
「安形友利といいます」
僕の名前を聞いて、華山さんはふっと笑い厨房へと戻っていった。
新しい客が来る様子も無く、厨房がちょうど見えるカウンター席へと座る。さすがに中華料理店だけあって、そこには複数種の鍋がきちんと整頓されて置かれてあった。
「料理、好きなのか?」
「あぁいえ、料理はからっきしで。食べるのはすごい好きなんですが」
「そうか。そりゃあいい」
ニヒルな笑いを浮かべて、華山さんは鍋に油を入れる。
傍には大量の具材が置かれてあった。恐らくは全て〝佐竹飯店スペシャル〟の具材なのだろう。
「そういえば、今日美奈子さんは?」
「美奈子なら、アイドルの練習だとよ。奈緒ちゃんも連れてっちまった」
「……大変、なんですね」
「夢に向かって何かをするのは良いことだ」
「確かに」
目の前の鍋に、ごま油や豆板醤、生姜といった調味料が放り込まれていく。
混ぜ合わされて湯気が出て、中華料理特有の甘辛い匂いが吹き出してきた。
昨日初めて佐竹飯店に来た時にも感じた、同じ匂いだ。心を昂らせて、それでも落ち着かせてくれるこの匂いが好きだった。
横山さんが常連になっているのもよくわかる。
「横山さんは、いつもどんな風に食べるんですか?」
「なんだ、次は奈緒ちゃんの話かい」
「ええ。多分、美味しそうに食べるんだろうなあって」
「……フン。兄ちゃん、何もわかってねえよ」
鼻を鳴らして、華山さんは手を止めた。何やら自慢げな表情だ。
「……あの子はな、料理人にとっての宝だ」
「宝?」
「そうだ。口先だけの美味しいじゃあねぇんだ。心が、魂が美味しいって伝えてくれるんだよ」
「……それは、どんな?」
「百聞は一見に如かずってな。今度奈緒ちゃんとまた一緒に来い、ンで存分に見たらいいさ」
そしてさぞかし満足そうな顔をして、華山さんの目は再び鍋へと移る。
湯気が視界を覆った。
音が鮮明に聞こえてくる。
それから数分の後、佐竹飯店スペシャルは出来上がった。一人で食べるには余ってしまう程それは大量だったが、どうやら華山さんも僕と夕食を共にするようだった。
カウンター席を回り、どしん、と音を立てながら彼は横に座る。
「腕によりをかけて作った。食べろ」
「ありがとうございます、頂きます」
そして僕が割り箸を割るのと同時に、華山さんはジョッキにビールをなみなみと注いだ。
筋肉質で大食漢、得てして、大酒飲みのようだ。
一杯に注がれたビールがもう半分近く減っているのを横目で見ながら、一口目を頬張った。
「……美味しい」
「おぉ。回鍋肉か。それ、誰が作ったと思う?」
「え、華山さんじゃないんですか?」
「いや。レシピを考案したのは美奈子だ」
「……本当ですか。凄い」
それを聞き、彼は少し顔を赤くしてビールを飲み干した。
ふと、彼の目線の先に家族写真があるのが目に入った。
父母と佐竹さん、それに弟さんの四人家族のようで、佐竹飯店の前に並び笑顔で写っている。
華山さんも今の気難しそうな様子は全くもって見当たらず、両手で家族を抱えながら幸せそうに笑っていた。
佐竹さんの外見からして、おそらく十年ほど前だ。弟さんと無邪気にじゃれあっていて、あどけなさが残っていた。
店内が少し、静まりかえる。
「……なあ、友利」
「はい」
「お前、ライブに行ったことあるか?」
突然の質問だった。
ライブ。流れからして、765プロのライブの事だろう。
もう齢は僕の三倍近くありそうな筋肉質の男性から出てくる言葉にしては、少し予想を超える問いだ。
友人が今日言っていた。ライブのチケットが取れた、と。
今月末──十一月三十日に行われるイベントらしく、まだミリオンスターズが小規模とは言え、相当に運が良かったらしい。
「いえ。ですが今月末、行く予定です」
「そうか。じゃあ、美奈子と奈緒ちゃん、どう思う?」
「……どうって?」
「アイドルとして、うまくやっていけると思うか?」
親心で、娘の未来を心配しているようだった。
このままアイドルとして彼女が進んでいって、それでもし、結果を残せずに失敗したら。そうなれば彼女には何も残らず、傍から見れば彼女の年月が無駄だったということになる。
夢のある仕事だ。けれど同時に、ハイリスクでもある。
そんな道に進ませた責任を、親として少なからず感じているように見えた。
「……僕は。僕個人としては、素質は十分にあると思います」
「素質?」
「美奈子さんは何というか──楽しんでいるように見えます。多分華山さんが考えてるような先の心配なんてしてなくて、ただ今を目いっぱい楽しんでるような。そんな風に見えました。そういう子は伸びていくんじゃないかって、そう思うんです」
「へぇ。言うじゃねぇか、友利。奈緒ちゃんは?」
「横山さんは──」
同じことを言いかけて、つい言葉が詰まった。
ふと昨日のことを思い出してしまって。佐竹さんと同じように進んでいけるだろうとは言えなかった。仮にもファンになってほしいと言われた彼女のことを楽観視するのは、無責任であるような気がしてならなかった。
「……なんかあったのか?」
少し神妙な顔をして、崋山さんはこちらを見つめる。
「……まあ、ちょっとだけ」
「お前さんといい、今時の若者は悩みが多いねぇ」
「それ、美奈子さんも何か?」
「まあな。あいつに口止めされてるから言えねえが──お前たちは、大いに悩め。悩んで出した答えは、必ず次に繋がる」
酒臭い息を多めに出して、崋山さんは豪快に笑いながらそう言った。
「奈緒ちゃんのことで悩んでんなら、ちょっとあの子の話をしてやろうか?」
「え、そんなに知ってるんですか?」
「そりゃあ、俺は奈緒ちゃんの大・大ファンだからな! ライブにもトークショーにも欠かさず行ってるし、ラジオも聴いてる」
「そ、そうですか……」
思った以上の熱狂的なファンで、若干冷や汗が頬に流れた。
けれど良いことを聞いた。
まだ僕の中で答えが定まっていないのだ。彼女のファンになるのかどうか──すなわち、過去を忘れ去るのかどうか。
だから、なるべく笑顔を作ってこう返す。
「是非、お願いします」
──崋山さんは今日一番の満面の笑みを浮かべて、ゆっくりと僕に話し始めた。
〇
「──そこでだ。奈緒ちゃん、何てツッコんだと思う?」
「……な、○○……とか?」
「ハッ! バカ言っちゃいけねぇ。何とね、○○だってよ!」
「え、マジすか!? いや思いもよりませんでしたわ……。センスの塊ですね」
あれから小一時間が経過し、アイドル横山奈緒の話題は僕らの間で大いに盛り上がった。
何と、ミリオンスターズが結成される前から横山さんと佐竹さんは765プロの一員らしく、半年前にはあの〝765PRO ALLSTARS〟のライブのバックダンサーも務めていたようだ。
僕がアイドルに対して興味を失ってから、一年半が経った頃。
そのライブが大成功を収めた後、彼女たちは少しずつイベントに出演させてもらっていたらしい。
その時から横山さんは佐竹飯店の常連になっていて、華山さんは一ファンとしてアイドル横山奈緒に惹かれていったと、赤裸々に語ってくれた。
僕が彼女に抱いていたイメージが少し変わった。
──けれど、身近にこんなに熱烈なファンがいたというのに、僕に声をかけたのは何故だろうか。
「……華山さんって、横山さんにファンってこと伝えてます?」
素朴な疑問だった。
すると彼は少し顔をしかめて、俯いた。
「……それができねぇんだよなぁ。あの子を前にすると、つい……。なんつーか、俺の性格が半年であの子に変えられちまった気がするよ」
「あぁ、なるほど」
だから先程目にした家族写真と、今の華山さんの様子が違うわけだ。
何かがあったのかと心配していたものだから、つい笑いが溢れ出てしまった。
「おい、何笑ってんだ」
「いやなんか、恋する女の子みたいだなって」
「なんだと?」
ただでさえ溢れんばかりの筋肉を、さらに表に出して華山さんは凄んだ。けれど、これで横山さんが自信なさげにしていた理由もはっきりした。
身近にこんなおっかない人がいるからだ。それでは誰であっても──あの天海春香であろうと自信を無くしてしまうだろう。
ならば僕は。
「今度横山さんに会ったら、今日の話を全て聞かせようと思います」
「なっ!? おい友利!」
そして。
それならば彼女にはっきりとこう言える。
君は、魅力的なアイドルなのだと。
その後は少し華山さんと口論をした。
中身は今日の話を横山さんに伝えるだとか伝えないだとか、佐竹さんの子供の頃のエピソードだとか他愛もない話だ。
最初は随分と気難しそうな人に見えた華山さんも、今となっては──本人に言えば間違いなく怒るだろうが、可愛いものだ。
こんな人が父であれば、と幾度となく思った。
もう父のことは僕の記憶には残っていない。僕の頭を撫でてくれたあの優しくて大きな手の感触だけが、かろうじて脳の片隅にあるくらいのものだ。
そのせいで酷い経験をいくつもした。
子供というのは、自分の常識に外れた者を排斥したがるものだから。
助けてくれて、僕に近付いてくれたのはただ一人。
その子とももう連絡は取りあっていないし、今頃どこで何をしているのかもわからない。
宴もたけなわ、男二人だけの暑苦しい宴会は、掛け時計の十時を知らせるチャイムと共に終わりを迎えた。
そして僕が店のドアを開ける一歩手前で、華山さんは後ろから驚くことを口にした。
「奈緒ちゃんにはちゃんと謝っとけよ、友利」
「……え。何か言いましたっけ」
「顔に書いてらァ。奈緒ちゃんの事を話してる時もずっと、心ここにあらずって感じだったろ」
──何となくだが。
この人には敵わないと、そう感じた。
自分の隠していることや悩んでいること、その全てを見通されていているような。
一礼して、佐竹飯店を去ろうとした──その時。
「……そういや、お前さんみたいな子がシアターにもいたな」
「僕みたいな?」
「そうだ。イマイチ心に何かがつっかえてたような感じだった。まぁ素人目だがな」
「ちなみに、名前は何て?」
「……いや。覚えてねぇ。つぅか美奈子と奈緒ちゃん以外名前は覚えてねぇ。けど歌は上手かったんだよなぁ……惜しい子だった」
「どんな歌だったんですか?」
僕の問いに、華山さんは腕を組み頭を悩ませる。
そして数分考えた後、あまりはっきりとしない表情をしながら。
「……虹色みたいな声だったなぁ」
そうボソリと呟き、そのまま一升瓶を片手に持ってうなだれた。
ふと時計の方を見ると、時刻は既に十時半を回っていた。
「失礼します」
「おう。また来い」
外の風景を見渡す。
夜は当然深くなっていて、電柱の明かりが羽虫を数匹集めていた。
コンクリートの連なる壁が冷ややかな風を連れてくる。
首元に寒気を感じて、バッグに入れていたストールを巻く。
小学生の時は大きすぎると思っていたこのストールも、今となっては少し足りないとすら思ってしまう。
けれど僕には、それでも使い続ける理由がある。
先程の、華山さんの言葉を思い返した。
──虹色みたいな声だったなぁ。
賭けても良いと、そう思った。
もしかしたら。このストールを僕にプレゼントしてくれて、僕にアイドルになるんだと宣言をした彼女が。
中学の時狂ったように僕がアイドルに夢中になって、全国のユニット一つずつを虱潰しにしてまで探しても見つけることができなかった彼女が。
あの業界最大手の765プロにいるなんて。
普通では考えられない話だ。けれど賭けても良いのかもしれないと、そう思った。
「……紗代子」
つい口から言葉が零れ出る。
初冬の風は、容赦なくその言葉を空の彼方へと消し飛ばした。
もう一度ストールを強めに巻く。
ローファーが地面を叩く音だけが響く道で、追憶に浸りながら帰路についた。
誰もいない夜の住宅街では、弱々しい街灯だけが僕を必死に照らしていた。
公式に否定されて草 すみません、書いてはいたんですが打ち止めです