薄雪の咲く頃に   作:みーごれん

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書き忘れていましたが、前回の時間軸は共食い抗争直後位を想定しています。

そして時間は舞い戻り、”現在”――「夜はいい」



――――夜はマフィアの時間だ




第七話 安吾

 あの部屋は、安吾が失踪前に借りていた部屋だったそうだ。狙撃の痕は、織田作が灰色の幽霊(グラオガイスト)を見つけた際に付いたものらしい。

 

「その後、織田作から連絡があって狙撃手を追い込んだのだけど、私も織田作もひやりとさせられる場面があってねえ」

 

 私の隣で太宰が微笑む。

 活劇の一幕を語る口調とは裏腹に、彼は私を試す様な視線を向けた。

 嫌々乍ら、応じるより他にない。

 

「知っている。織田作が狙撃手と観測手に挟撃されたのをお前が援護して、生き残った狙撃手がお前に銃口を向けたのだろ」

「その通り! そうか、全部君の一度目の通りに進んでいるのだったね。それで? 何処までが君の作戦通りなのだい」

「……今の所()()()()()な」

 

 へえ、と太宰が口元に弧を描いた。

 首領の部屋に特攻を掛ける迄は一度目の通りに行動したから問題は無かった。首領とのやり取りは、正直勝算五分五厘くらいだと思っていたから、想定通りと言った所だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 意見具申が通れば大手を振ってジイドとの戦いに臨めるが、織田作が首を突っ込んでくる可能性もあった。その点、首領が私を幽閉してから脱走すれば、そちらに織田作の気を逸らして、美術館でのジイドとの邂逅を消滅させられた。ミミックへの安全パイである私が睡眠薬付けにさせられることは考えにくかったし、座敷牢で単独での脱獄が難しくても太宰が何とかしてくれていただろう。

 

「中々策士じゃないか。それで? 誰かさんを引っ掛けて迄会いたかった御人とはどうなったのだい」

「変な言い方するなよな……」

 

 苦笑した私は、太宰の言葉に誘われて数時間前の記憶を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い外套を纏った少年が、白髪で襤褸を纏った男の前に跪いている。その周りをぐるりと、白髪の男――ミミックの長・ジイドと同じ襤褸に身を包んだ男たちが取り囲んでいた。

 両手に構えた拳銃で先ず4発。奇襲序でにミミックの構成員の頭を打ちぬいた。黒服なら数瞬動揺してもたつくところだが、流石ポートマフィアに喧嘩を売るだけある。仲間の屍に一瞥もくれず、自動小銃でこちらに弾丸をばら撒いてきた。当然美術館の2階席を駆け抜けて躱しながら、風船でも膨らますのかという位めいっぱい息を吸い込み、

 

「芥川ァ! こっちに上がって来い‼ 太宰はお前の死など望んでない‼」

 

 ちょっと後悔する位声を張り上げた。あれ程咽喉を酷使するのは初めてだった。今尚少し痛い位だ。思いの外緊張していたのだろう。一歩間違えば目的を果たす前に死んでしまう。張り詰めるのも当然か。

 眼前に黒い物体が過る。思わず躱そうと足を止めるが、すぐに正体を理解した。芥川だ。黒衣を操る異能力《羅生門》によってここまで這いあがってきたらしい。逃げるぞと声を掛ける前に、芥川は何か言いたげに口を動かした。いや、動かそうとしたところで、胸から血を霧のように噴出させた。横目に見るとジイドの銃口が真っ直ぐ芥川の心臓を捉えていた。ごぼりと帯のように血が芥川の口から溢れ、滴り、一滴目が地面に落ちる寸前で……止まる。

 ――異能力《私は時間を巻き戻す》

 雫が芥川の口元へ、血が心臓へ、弾丸がジイドの銃口へ戻っていく。六秒前に戻った時点で、芥川が飛び出してきた。私は有無を言わさず彼の胸倉を掴むと、窓から外へ飛び出した。

 

 

 

 

 

 

「貴様ッ! 何者だ⁉」

「遊撃隊十人長田中花だ。元気なら自分で走れ、莫迦者。無理なら騒ぐな」

 

 芥川は予想外に軽かった。

 勿論数十キロあるから抱えて走るには非常に重いのだが、同年齢だった時の私の体重より軽いとなると正直落ち込む。幾ら女性が男性より脂肪を溜め込み易い体質とはいえ、芥川は痩せ過ぎだ。

 

「先程の言葉、如何いう意味だ⁉」

「どれ?」

 

 正直会話をする余裕は無い。ぞんざいになってしまった返答で機嫌が一層悪くなったようだが、知った事じゃない。私は織田作程優しくないし、体格があるわけでもない。勿論彼ほど体重があるわけでもないから、枯れ木の様な芥川が暴れたとしてもひっくり返る自信しかない。走っているのだから勘弁してほしい。かといって捨て置くわけにもいかない。未来で彼の異能はポートマフィアに欠かせないものになる。

 

「太宰さんが僕に死ぬなと」

「あー、生き残ったら教えてやる」

 

 太宰が芥川に期待しているとかいう話は今はしない方が良いだろうし、そもそも出来ない。どれだけ太宰が好きなんだ。四年後も執念深く残滓を追っているようだし、触れないのが吉だ。

 銃声が聞こえた。同時に強い衝撃が頭を揺らし、喉から鈍い音が聞こえた。視界が暗転しかけたところで時を巻き戻す。頭を撃たれたらしい。即死級の攻撃が加わった時、時間を戻すタイミングが難しい。これだけは慣れない。慣れる慣れないを議論できるほどには死が近い日々を送ってきたとだけ追記しておく。マフィアなどそんなものか。蛇足だった。兎も角弾丸を回避する為、私は芥川を抱えた儘横に転がった。銃声が聞こえ、眼前に広がる人工林の木の幹を抉った。”一度目”では織田作はあの中でジイドに見初められたらしい。矢張り脚長(リーチ)の差は大きいようだ。

 爆発した車両から飛び出した車輪の様に跳ねたり転がったりして、私と芥川は何とか止まった。元々大した重量も勢いも無かったから数度上下が入れ替わったくらいで、私はすぐに拳銃を抜いて膝を突き、臨戦態勢に移った。芥川が起き上がる気配はない。気絶しているらしい。元々限界が近かったのが、今の衝撃で目を回したようだ。

 

「予感があった……この国でその異能者に会えるという予感が」

 

 三人のミミック構成員を連れ、銀髪の男が云った。

 

「よもや、これ程子供の、それも女児とは思わなかったがな」

 

 直後、私は三回引き金を引いた。内二つはほぼ同時に、両手に収まった拳銃其々を一回ずつ。最後に左手のものでもう一回。早撃ちだったから、全てで一発に聞こえた者も居るかもしれない。私に語り掛けて来た男の背後にいる三人のうち、一人が脳天、もう一人が喉に被弾して間も無く絶命し、最後の一人は何とか身を捩って頬に深い銃創を拵えて所持していた銃口を私に向けた。引き金は引かれない。前に立つ男が止めたからだ。

 

「良い腕だ。何より、良い目をしている。乃公(おれ)の名はアンドレ・ジイド。貴君の名は?」

「田中花」

()()……いや、ハナか。H(アッシュ)の発音は難しくてな。年も性別も名も、貴君を侮蔑したわけではないのだ」

「理解しているさ」

「そうか」

 

 整った顔立ちに浮かぶ虚ろな瞳の奥で、何かが輝いた気がした。狂気じみた笑みがジイドの口角に乗り、彼の銃口が私に向いた。

 瞬間。私は初めて、異能力を行使し始めた時間を、()()()()沿()()()認識した。

 私の時間遡行の異能は、謂わば後出しじゃんけんだ。相手が出した手札を見てから自身の行動を変化させ、結果最初から行動したように見える卑怯とも云える異能。その性質上、今から六秒後に異能を使うぞと思う事は無い。異能を使用して初めて、六秒前を認識するのだ。

 だが、今は違った。肌が泡立ち、地面が急に抜け、逆に宙に浮いているような感覚が私の身体を駆け抜けた。直感的に、私が何度も異能を行使しているのだということが分かった。そして、どの回でも私はジイドの拳銃が撃った弾を喰らい、仰け反っている。同じ場所、同じ時間である筈なのに、違う私が何人も居て、間違いなくそれは全て私で、一様に撃たれている。時間が六秒経とうとしていた。撃たれ続ける私の中に、何人か銃弾から逃げ遂せた者が居た。私はその通りに動いた。

 六秒経った。

 互いに銃口の位置は変わっておらず、銃弾は一発も減っていない。しかし私の中では既に何度もジイドに射殺され、視界を染め上げた記憶が鮮明にこびり付いていた。

 そうか。これが――――

 

「やはり……」

 

 命を攫って行きそうな、唸り声の様な言葉がジイドから漏れた。

 

「やはり貴君こそが、我ら幽霊の魂を解き放つ者か‼」

 

 戦え、とジイドは云った。

 言葉ではない。

 その身体が、銃口が、喉元が、瞳が――人間が意思を表現しうる全ての部位が叫んでいた。

 説明はいらなかった。互いが先程の数秒で何をしたかったか、何をしたかは、語らずとも知れていた。それは、私が未来で情報を持っていたからなどではない。本能だ。異能は私たちと切っても切れぬ存在。それが囁いている。今起きたのは互いの存在がぶつかり合った証なのだと。そしてそれ故に相容れぬと。

 

 ――嗚呼、織田作。君は酷い奴だ。

 

 織田作を手に掛けたジイドを赦す気はない。しかし、同情した。

 

 ――こんな男を前に闘わないなどとほざくなんて、あんまりだよ。

 

 私が云えた口ではないか、と自嘲気味に微笑む。

 拳銃の引き金に掛かる指先に力を籠める。ジイドも嬉々として拳銃を構えた。

 私は幾重にも分岐していく未来を見、ジイドは未来を予見しながら訂正を繰り返す。

 が、今回はそれほど長く続かなかった。

 何方かが力尽きたわけではない。諦めたわけでもない。

 カシャン、と金属音が虚しく響いた。

 私の弾切れだった。

 深と沈黙が過る。屋外とは思えぬ程の静謐が私とジイドの間を満たしていた。張り切った糸のような緊張を破ったのは、ジイドだった。

 

「ハナ……乃公(おれ)が何を思っているか理解できているか」

 

 異能力を使う迄もない。初めてここで相対した時より僅かに表情が豊かになったジイドからは、行き場を失った衝動に対する喪失感と悲哀が溢れていた。こんな幕引き在ってはならないと。もう一度銃を握れと。

 

「……ああ。当然肯定するよ。ただ、条件がある」

「何だ」

「決着は明日だ。それまで待ってくれ。私は幽霊になってまで知人に付き回る気はない」

「良いだろう」

 

 ジイドが銃を降ろした。私も金属塊となった愛用の銃を拳銃嚢(ホルスター)に仕舞った。

 互いに背を向け、反対方向に歩き出す。

 其処には絶対的な信頼があった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、敵対者にあるまじきものだった。

 

 芥川を拾い、マフィアの息のかかった店の前に適当に転がしておいた。

 

 自分が逃亡者であった事を暫く忘れてしまう程、ジイドとの会敵は私を高揚させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 掻い摘んで”馴れ初め”を報告した私に、太宰は愉快そうに口の端を歪めた。

 

「それで、次に会う約束まで取り付けたの。お熱いねえ」

「茶化すなよ。そういうんじゃない」

「あちらからの接触は其れっきりだ。一途じゃあないか」

「花にもそういう相手がいたのか」

 

 突然第三者の声が聞こえ、私は内心飛び上がるほど驚いた。それはもうこの世のものとは思えない声を出して転がり、側溝に落ちて泥まみれになる想像をするくらい、その声の主の登場に動揺した。

 所々跳ねた赤髪に、鳶色の瞳。無精髭を湛え、表情は相変わらず薄い。なじみのコートを羽織っている。

 

「やァ、織田作」と太宰は片手で挨拶する。

「良い夜だな」私は苦笑を零して織田作を見上げた。

「そうとも言えない」ひらりと挙げた手で太宰に応じた織田作は、その手を後頭部に回して掻いた。

 

 努めて普段通りの声で挨拶を交わし乍ら、何処から聴いていたのだろうかと肝を冷やす。太宰は流石のポーカーフェイスだ。私の方が襤褸を出さないようにしなければと冷や汗が出た。

 それを知ってか知らずか、織田作は相変わらずの無表情で――いや、今は少し困った顔の様だ――続きを口にした。

 

「此処に来る途中で芥川が倒れていたから病院まで連れて行ったら、道中で目覚めて花を連れて来いと騒がれた。俺も知らないと云ったが聞かなかったからもう一度眠ってもらった」

「ああ、それは済まないことをしたな……」

「それ、どっちに対してだい?」

「どちらもだよ、一応。九割織田作にだけど」

 

 思わず笑ってしまった。確かにマフィアが多い裏通りだったけれど、選りにも選って織田作が出くわすとは。放置も出来ず介抱してやる優しさが一層不運を助長していた。そういえば、芥川には生き残ったら話すとかなんとか言ったっけ。いつ生き残ったらと明言していないのだから約束を破ってはいない、という事にしておこう。

 それよりも、と織田作の双眸が私に向いた。怪我をしていたのだから仕方がないとはいえ、芥川がまるで相手にされていないことが少し不憫だ。

 

「何がどうなっているのか、説明してほしい。捕縛命令とは何だ」

「今は言えない。全部終わったら、太宰が説明してくれるよ」

「何故太宰なんだ」

「それも、今は言えない」

「……そうか」

 

 織田作は目を伏せると、何処に向かっているのか問うた。太宰は待ち人が居るのだとだけ答えた。薄暮から夜、そして薄明迄の、暗がりが私は好きだ。陽の光は目映く温かいが、それ故に見えなくなるものもある。全てを平等に闇が満たす夜が好きだった。

 

「この時間、この面子で行くところなんて一つしかないじゃないか」

「…………此処か」

 

 三人揃って馴染みのネオンの前で足を止めた。

 やはり、夜はいい。

 此の輝きは、太陽の下では翳んでしまうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下へ続く階段を降りると、いつもの……本当にいつもの光景が広がっていた。

 

「やあ、どうも。お先にやってますよ」

 

 いつもの席で、いつもの調子で、安吾がグラスを傾けた。

 織田作は相当に面食らったようだった。当然だ。昨日薬を盛って闇に消えた友人が何事もなかったかのように挨拶してきたら、私だって反応に困る。だが、織田作が反応の参考にしようとした人物がいけなかった。私と太宰。安吾に起きた事の凡そすべてを把握している二人である。然も当然のように席に着いた私たちを見て、織田作はそういうものかと従った。当事者なのだから安吾にもっと怒ったりすべきなのではないかとも思ったが、当人が差して気にしていないようなので黙っていた。

 太宰と織田作が人差し指を一本立てた。いつもの、というやつだ。私も同じことをすれば蜜柑果汁が出てくるところだが、今日はそういう気分ではなかった。

 

「マスター、織田作と同じものを」

「どういう心境の変化ですか?」

 

 私以外の面子の声を代弁するように安吾が訊いた。心なしか眼鏡がずり落ちている。今まで頑なに酒の類を頼もうとしなかった私が、織田作の頼んでいる割ときつめの蒸留酒を口にするとは夢にも思わなかったという顔だ。恐らく一言一句そのままだろう。

 

「今の私は22だから飲酒しても良いのだよ」

「まだ18でしょう⁉ アルコールも入っていないのに酔ったんですか⁉」

「安吾五月蠅ァい」

「俺も花は太宰と同い年だと思っていた」

 

 一通りグラスが出揃った。いつもならここで乾杯だが、太宰はそんな素振りも見せずグラスを口に運んだ。織田作と安吾は黙ってそれを見ていた。

 

「――なあ、乾杯して呉れないか」

 

 私が零すと、太宰が口元から酒を離す。

 

「何にだい?」

「私の初飲酒に」

 

 本当は、理由など何でもよかった。仮初でも、今まで通りに振舞っているこの時間を少しでも引き伸ばしていたかった。いつもの乾杯が無くなったことで、いつも通りが決壊して大切な何かが流れ出てしまいそうな、そんな危うい気配の上で私たちは綱渡りをしていた。

 

「ああ、そちらか。てっきり花に想い人が出来た記念かと思っていた」

 

 織田作の発言にブフッと噴き出す音が聞こえた。発生源は安吾だ。呑んでいた酒を盛大に撒き散らし、霧状になってきらきらと輝いている。私は至って真面目に、弁明する迄も無く真剣にそれまでの話をしていたし、断じてこういう展開を望んでいたわけではなかった。しかしどこかで救われたと思ったのもまた事実だった。

 

「んな、ななな何の話です⁉」

「この店に来る前に太宰と花で話していた。一途な相手に言い寄られているらしい」

「隅に置けないよねえ!」

「お前が乗るな、太宰。ほら、乾杯するぞ」

 

 狼狽する安吾と暴走する織田作の勘違いを如何訂正したものかと頭痛を感じながら、私はグラスを掲げた。三人も続いた。

 

「中花が大人の階段を上った記念に!」

 

 透明な音が響く。乾杯の音頭が何とも締まらない。笑みがこぼれたのも束の間、主に二名からの視線が突き刺さった。溜息に酒気が混じる。

 

「言っておくけれど、織田作の発言は勘違いだ。想い人じゃあない。そもそも彼は私の好みじゃあない」

「へェ、君にも好みとかあるのかい? どんな?」

「お前と正反対の奴」

「うふふ、酷いなあ」

 

 くすくす太宰は笑いながら、酒の上に浮かんでいる氷を指で突いて遊んでいた。色恋から遠い殺伐とした日々を送ってきたから、自分の番となる人の条件など考えたことも無かったのが正直なところだ。太宰の言葉を真面目に考えるだけ無駄ではあるのだが、咄嗟に頭に浮かんだ言葉が口を突いて飛び出した。

 

「寿命が同じくらいの人、かなあ……置いて逝くのも、置いて逝かれるのも辛いもの」

「そんなもの、分からないじゃないですか」

「何となくわかるよ。例えばホラ、太宰とか滅茶苦茶長生きしそうでしょう」

「ええ~⁉ そんな事無いよ! ねえ、織田作⁉」

「確かに、俺たちの中で一番生命力が高そうだ」

「織田作まで⁉ 冗談止めてよ~!」

「それで、花はどれくらいの寿命の奴が相手なんだ」

「そうだなあ……」

 

 私をグラスを傾けた。冷えた液体が喉を温めていく。

 

「明日、死んでしまう人とか?」

 

 落ちてき掛かった沈黙を、私は笑って一蹴した。

 

「冗談だよ。マフィアたるもの、それくらいの心構えでなくてはって事さ。ところで結構濃いのだね、この酒。マスター、お水お願い」

「何だ、冗談かァ。私はてっきり、君から心中のお誘いがあったのかと思ったよ」

「心外だな。心中にしてももっと相手を選ぶ」

「今日口の端に上った彼とかかい?」

 

 素手で心臓を握られたような錯覚を起こした。思わず太宰を見、直ぐに後悔した。悪魔という奴がいるのなら、きっとこんな目をしているのだろう。吸い込まれる様な黒い瞳は何処までも深く、私を見つめ返して磔にしてしまった。太宰の瞬きの間隙にグラスを置いた私は、急いで視線を外した。金縛りにあった時のように心臓が五月蠅かった。ぐるぐると視界が揺れる中、

 

「は、はは! だから、そんなのじゃないと言っただろう」

 

 そう答えるので精一杯だった。酔いは完全に醒めてしまっていた。醒めて初めて、酔いというのが今までの浮かれ気分の様なふわふわした状態の事を言うのだと識った。

 

「花、酔いが回ったのか? 顔が真っ青だ。これ以上飲まない方が良い。ゆっくりでいいから水を飲め」

 

 織田作の大きく暖かな掌が私の背を擦った。いつの間にか、私の前には水が置かれていた。

 夢は、覚めるものだ。覚めなければならないものだ。微温湯の様な微睡にはいつまでも浸かっていられない。夢だと知らなかった頃には戻れないのだ。

 

「……太宰が惚れた腫れたで揶揄っている彼だが、今日初めて会ったンだ。知り合いが揉めていたので仲裁したら、驚いたよ。染めたような銀灰色の頭髪に、銀幕の映画俳優顔負けの仏蘭西人の男性だった。思わず俳優かと聞いたら、元軍人だというじゃないか。驚きも一入だ」

「元軍人が遥々日本まで来た理由は何なんだ?」

「詳しくは分からない。だが、同志と共に各国を旅して、何かを探しているのだそうだ。友人の手引きで此処迄来たはいいが、その友人の都合がつかなくなって自分達で何とかしようとしていたらしい。対応していると彼からいたく気に入られたみたいでね。明日その手伝いをしてほしいと頼まれた」

「俺も手伝おうか。探し物なら得意だ」

「ありがとう、織田作。でも大丈夫だ。目星は付いたらしいから、私は少しばかり手を貸すだけ。一人でやれるよ。ただ、一つ不安なことがあってさ。一昔前、と私が言うのもなんだけれど、異国人を排斥的に扱う法などがあっただろう。下手に関わって役人の眼に付いたらポートマフィアに迷惑が掛かる。だから、探し物に関して役人が出張ってくることがあるのか、太宰に相談していたんだ」

「成程。太宰は何と答えたんだ」

「安吾の方が詳しいから其方に聞けばいいとさ。そういうわけなのだけど、如何かな、安吾?」

 

 私と織田作はほぼ同時に安吾の方を向いた。

 

「その件なら、市民同士で解決して下されば問題ありません。お上から直接どうこうというのは期待しないでください」

「最小の労力で最大の利益を、か。いかにもなやり口だね」

 

 安吾は自分のグラスを見つめた儘、私の問いに答えた。安吾の答えに、太宰は嘲笑混じりな独り言を添え、指先でグラスを弾く。織田作は何か言いたげに首を傾げていた。

 

「そうか。咎められないのなら良かった。しかし、助けが全く無しというのはちょっと無情じゃないのかな」

「そ、れは……僕から言えることはありません」

「違いない! 意地悪なことを訊いてしまったな」

 

 私は懐から、織田作がいつも出している額を取り出して席を立った。

 もう、十分だった。

 安吾から必要な話は聞けた。

 思う存分話した。

 四人で酒を飲みたいという願いが叶った。

 何より、織田作の生きている姿をもう一度目にできた。

 十分だ。これ以上は蛇足だ。

 

「もう帰るのか」

「うん。明日は早いからね」

「なら、僕が送りますよ」

「ありがとう、安吾」

 

 二人して連れ立って階段へ向かう。織田作がそわそわと太宰に視線を行き来させたが、太宰は終ぞ此方を向こうとはしなかった。

 

「マスター、御馳走様。そしておやすみ、二人共。良い夜を」

「……さようなら、織田作さん、太宰君」

「水を飲んできちんと寝るんだぞ」

 

 織田作に私は片手を振って応じ、安吾は深々と礼をして地上に上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「知っているかい、安吾。星って実は一晩でほぼ全て見えているんだ。あの一等明るいのが天狼星。欧州ではシリウス。“焼き焦がすもの”という意味が在る。ジイドはあれだよ。輝かしい才覚で狼のように群れを統率し、狙った獲物は逃がさない。その苛烈さは自分ごと周りを灼き尽くす」

 

 眠りが町に満ちていた。

 所々に光る看板や街灯は、此処に悪餓鬼がいるぞと妖しい光を放っていた。

 安吾は私の後ろを黙々とついてくるばかりで、伏せた目は此方からは覗けない。

 

「欧州か。結局行けず終いだったな。写真集くらいでしか見た事が無い」

 

 私はポラロイドカメラを天狼星に向けた。シャッターが切れ、写真が一枚吐き出される。暗がりなせいか、小さな点が一つポツンと写っているだけだった。

 

「露光時間が足りていないんです。それに、こんな明るい所で星なんて映せませんよ」

「よく知ってるじゃないか。でも、全く写らないわけじゃない。ほら」

 

 儚い点になってしまった天狼星の写真を差し出す。受け取った安吾は、くしゃりと顔を歪ませた。

 パシャッ

 フラッシュを焚いてもう一枚撮った写真を、ゆっくりと映写機が吐き出した。

 

「な、何を撮っているんですか⁉」

「ふふ、安吾のレア写真! 普段こんな顔見たこと無いもの。幸運だ」

 

 出来た写真をひらひらと振るが、安吾がいつものように取り返そうとしない。不思議に思って覗き込もうとすると、安吾の身体が少しだけ震えている。

 

「何故……何故そんな風に笑えるんですか⁉」

「そんな、心を持ち始めたロボットみたいなこと訊かれても」

「そういう意味じゃありません‼」

 

 冗談だと笑うと、誰か一人二人呪い殺せるんじゃないかという剣幕で安吾の顔が歪んだ。その殺意が誰に向いているのかを問う程無粋ではない心算だ。

 

「人はいつか死ぬものだ」

「そういう事が聞きたいのではありません」

「子供みたいな駄々を捏ねるのだな。でもね、そういう事だよ。これが君の救いになるかは分からないけれど、一つ、君にだけ教えてあげよう」

 

 そして私は、織田作にも、広津さんにも、太宰にすら伝えていない事実を口にした。安吾は暫し絶句し、再び泣きだしそうな顔をした。

 

「今度は、冗談とは言わないんですね」

「安吾は優しいな。いっそのこと滅茶苦茶に責められた方が楽だったとか思ってるクチだろう。でもね、私たちはもう子供で居させて貰えない。もし私が君の立場でも、やれと言われた仕事はやったさ」

「それでも! もっと上手くやれた筈なんです!」

「無理無理! 安吾に無理なら別の誰かがもっと悲惨な事に引っ張っていただろうさ。安吾って変なところで自己評価低いよね」

 

 私は安吾に背を向け、再び天狼星を見上げた。

 

「私は、あのバーで、揃って取り留めのない話をするのが好きだ。“友情はナイフより心強い”――テレビか何かで言っていた。その通りだと思った。ねえ安吾、また織田作たちと酒を飲みに来てくれるかい?」

「僕に……そんな資格はありません」

 

 私は半身に星の光を浴びながら、安吾に視線を向けた。彼は俯いている。

 

「私の御願いでも? ほら、あれだ! “一生に一度のお願い”というやつだ!」

「子供みたいなことを言いますね」

 

 安吾は苦笑交じりに眼鏡を正した。彼は答えなかった。

 その沈黙が、私と織田作の咖哩とは違うと、願望染みた確信があった。

 私も態々言葉をせっつかず、彼もまた口を引き結んだまま、二人してしばらく歩いた。

 そのまま、どちらからという事もなく別れた。

 挨拶はいらなかった。

 風が凪いだ、穏やかな夜だった。

 

 

 

 




今回は元ネタを紹介

”心を持ち始めたロボットみたいな”
「うたかたダイアログ」
――――青春ラブコメ漫画。ギャグセンスがミラーボールみたいに輝いてて好きです。主人公二人の掛け合いを永遠に観ていたくなります。ギャグとその他の要素の割合が絶妙。お勧めです。

”(生き甲斐は人に力を与え、)友情はナイフより心強い”
「91days」
――――禁酒法時代のアメリカが舞台。マフィアに家族を奪われた男の復讐劇を描いたオリジナルアニメです。人間の剥き出しの感情が観られます。胸が苦しくなる。でも好き。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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