ジリリリリリ
ベッド横の目覚まし時計がけたたましい音を立てて、リオの寝室に鳴り響いていた。
時刻は早朝。窓を覆うカーテンの細い隙間から、朝陽が光の線となって部屋へと差し込んでいた。
リオは無意識に目覚ましの音から逃げるようにして、布団を引っ張り、顔をすっぽりとその中に入れた。
ジリリリリリ
目覚ましの音は、それでもしつこく鳴り続けた。
リオは、夢と現実の境目で聞こえ続けるうるさい音に不機嫌になった。
アラームを止めるために布団から手だけを伸ばして、時計があるであろう位置をバシバシと叩く。
しかし時計の頭をなかなか叩くことができなかった。その間にもしっかりと仕事をこなす目覚まし時計。
リオはとうとう安らぎを捨てて、布団から起き上がると時計を止めた。
恨めしく時計の針を見れば、現在の時刻は7時。
「君は優秀だな・・・」
寝ぼけ眼で呟いた。
新人Vtuber時雨リオ、珍しくアラーム通りの時刻に起きました。
久々に早起きをした時雨リオは気分が良かった。
カーテンを開ければ、まるで歓迎をするかのように朝陽がリオを包み込む。
早起きは三文の徳とは有名な言葉だ。
リオはこの時間を有効に使いたいと思った。
することないや
特に何も思いつかなかった。
困ったときはNowTubeだよね
ということで早速PCを立ち上げて、NowTubeのページを開く。すると丁度配信を始めそうなVtuberがいた。
先輩おかまVtuberの山田ゴライアスであった。
配信の待機画面は酒場のイラストであった。
「あらあ~みんないらっしゃ~い」
粘りっ気の強い男性の声が聞こえた。
それと同時に現れたのは、剃りこみを入れた青髪の坊主頭に、青い瞳、長いまつ毛、ふっくらと強調された青い唇が特徴的なVtuber山田ゴライアスである。
「みんな、おはようのキッスをあげるわ」
そう言うとゴライアスは瞳を閉じた。
「おはようのチュ!」
ゴライアスが投げキッスをしたリップ音が、スピーカーからはっきりと聞こえた。
リオがその破壊力に圧倒されていると、コメント欄でも驚愕なことが起きていた。
チュッ!!
チュッ!!
ちゅっ!
視聴者が皆、キスを返していた。
リオの気分はさながら異文化交流である。
もちろんVtuberごとに様々な挨拶が存在することは知っていた。どうやらこのゴライアス王国では、キスが挨拶らしい。
さすがに驚いた。
というかこれはもう、電子媒体を利用した新たなキスの進化系なのでは?
などとくだらない考えが頭をよぎったが、そのまま通過してもらった。
「今日もみんなと楽しくお話ししちゃうわよん」
ゴライアスが艶のある声でそう言うと、「ぷしゅう」という甲高くて気持ちのいい音が聞こえた。
酒好きのリオは瞬時に理解する。
あぁ~!プルタブの音ォ~!!
まさしく、ゴライアスが缶ビールのプルタブを引っ張った音であった。
「ぐびっぐびっぐびっ ぷはあ~」
今日もいい飲みっぷりよ
初手おっさん
おっさん出てるぞ
リオは流れるコメントにどことなく既視感を感じたが、しっかりと見ていないふりをする。
「もうおっさん、おっさんうるさいわよ! 次おっさんって言った子は、、」
口元がマイクに触れる。
「食べちゃうからあ」
急に音が近くなり、まるで耳元で囁かれたような臨場感を醸し出していた。
ああああああ
ありがとううううう
ぬ!
コメント欄は喜びの声にあふれていた。
リオは全身に鳥肌が立つのを感じた。
負けた。何の勝負かは分からないが、とりあえずリオは負けた。
「そういえば昨日、うちのお店に若いお客さんが来たのよ~」
ゴライアスは語り始めた。
聞くところによると、ゴライアスは自らが経営するバーの店長らしい。
「それでね~その子緊張してたのよ~ だからいっぱい飲んじゃったの 気付いたらべろんべろんになってたわ」
いっき♪いっき♪
呑まれるか、食べられるか選びなさい(キリッ
あり得る
「あら失礼ねえ そんなことしないわよ ただ、たくさん呑んだらサービスしてあ・げ・る って言っただけよん」
いいね!
さいこおお
うらやま
「それで酔っぱらったその子、急に大きな声で叩いてください! 叩いてください!って言い始めたのよ~~」
これはしょうがない
ドMだああああ
悪くない
「そういうお店じゃないって言ったんだけど、周りのお客さんも囃し立てるから叩いてあげることにしたのよ!そしたらいきなり上半身裸になったの!そしたらもうすっごい筋肉でじゅるじゅるじゅる」
最高かよ
ありがとうございます!!
それは神
後半の唾液をすする音がやけに耳に残った。視聴者厳選タイプの配信である。
リオはこんな世界もあるのかと、遠くを見つめていた。
誰かのコメントが流れた。
「いるわよお 時雨リオちゃんね あの子、見た目も声もいいわあ! 可愛くてかっこいいのよ~~!」
リオは唐突に自分の名前が出たことに驚いた。
ゴライアスが自分の配信を見ていたと思うと、世界が少し身近に感じた。
「んん? あらぁ、イケメンの匂いがするわねえ これはいるわねえ リオちゃん、見てるわねえ!?」
姉御の勘は当たるからな
リオちゃん見てる~?
いえーい
リオは顔を引きつらせた。
オカマというかもはや超能力者である。
「見てたらコメントちょーだい! チュっ!チュっ!」
ゴライアスは投げキッスまで飛ばしている。
リオは何だか疲れたので、何も言わないままでページを閉じようとした。
しかしふと「食べちゃうわよおっ」という言葉が脳内に蘇り、リオの手を止めさせた。
食べられるのはまずいな
リオはとりあえずコメントを打った。
リオはページを閉じた。
だからその後の配信が大賑わいだったことは、リオは当然知らない。
リオはオカマからの逃亡を図った後、よく分からない疲労感に襲われていた。朝からステーキを食べた気分である。
こういう時は甘いモノ、デザートに限る。ということでやってきました、夢野雫のおはよう配信。
毎朝やっているのだが、リオは早起きが苦手な為にたまにしか見れていなかった。
「はい、それじゃあもっちーを読んでいきます」
鈴を転がすような声が聞こえる。その声の主は、画面中央でニコニコほほ笑んでいる夢野雫である。
その特徴は大きな赤い瞳である。さらに肩に触れるほどに長い綺麗な銀の髪を赤いリボンで結わいている。
その風貌はどこか神秘的でいて、幼さもある。
結論としては、今日も彼女は可愛い。
「まず一つ目のもっちー、”好き食べ物は何ですか?”」
もっちーというのは簡易的なメールである。
そんなことよりも、少し舌足らずな感じが可愛い。
「好きな食べ物はマカロンです」
はい、可愛い。そのカタカナ可愛い。
リオの脳内では可愛いが止まらない。
ああ~^
可愛すぎ
可愛い
コメント欄でも可愛いの嵐である。
「次行きます ”好きな動物は何ですか?”」
リオは顔面をこれでもかと緩ませて配信を見ていた。
ちなみにそんなお顔ゆるゆるちゃんの好きな動物は無論、ゴリラである。
「好きな動物はウサギです」
今日からウサギも好きになった。
「次のもっちーです ”好きな映画は何ですか?”」
猿の惑星です
リオは心の中で無意識に答えていた。
「猿の惑星です」
リオは爆発した。
そうして夢野雫はもっちーを消化し終えた。
「次何しようかな」
歌って
カウントダウンして
雑談して
彼女の言葉に反応して、コメント欄にはアレクサもびっくりな程の要望が流れていた。
「じゃあ、本を読みます。自作なので恥ずかしいですけど・・・」
選ばれたのは本の読み聞かせであった。しかも本は、女神のおててより作り出されし産物。
メルカリで売ったら数億の価値が付く代物である。
リオはしっかり心に刻みこもうと、目をつぶった。
い つ の 間 に か 終 わ っ て い た。
いや、眠っていたわけじゃないし うとうとしてただけだし
微かに記憶もある ”素直になれない女の子の話”だったと思う うん
悲しい
しかし放送はまだ終わっていない。配信は終盤で、夢野雫はコメント欄の質問に答えていた。
”気になるVtuberはいますか?”
コメントが流れた。
「ん~ 時雨リオさんですかね~ あの方はどこまでも自分を出していて、かっこよくて、面白くて。何より魅力的です。うらやましいです。本当にうらやましい・・・」
ひいっ
リオは自分の名前が出たことに心底驚いたし、変な声も上げた。女神に褒めてもらえたという事実は、RUBGで大勝利を収めた事よりもうれしかった。
ただ最後の方で少し口調が変わった気もしたが、これは夢野雫検定1級取得者にしか分からない些細な変化のため、気には留めなかった。
「ありがとうございますううううう」
リオはコメントでそう言い残し、上機嫌でページを閉じた。
時刻はお昼前になっていた。しかし今日の配信までにはまだ時間がある。
そのためリオはもう一人だけ他の人の配信を見ることにした。たまたま目についたのは後輩のVtuber影沼ヒトリであった。
それは実に無機質で殺風景だった。一面真っ黒な配信画面である。そこに一人ぽつんと影沼ヒトリが映っていた。
ここまで”ぽつん”という表現が似合う子をリオは初めて見た。
影沼ヒトリは灰色の髪が目元まで伸びていて、瞳を覆っていた。それでもその髪の隙間から2つの目が覗いている。
見ていると吸い込まれそうな漆黒であった。目の下にはうっすらと隈が描かれていて、耳にはピアスが開けられていた。
青白い肌と相まって、どこか退廃的な雰囲気を放つVtuberである。
「いつも通り昨日あったことを話すよ」
男性にしては少し高めの、それでいて落ち着くような不思議な魅力のある声である。
どういう流れなのかと疑問に思ってコメント欄を見れば、どうやら影沼ヒトリは口下手で、毎回放送では昨日あったことを報告するらしかった。
「昨日の朝食は食パンとヨーグルトと牛乳で え?ジャム?つ・・・つけないよ それで午前中は家にいて・・・」
彼は時折詰まりながらも、慣れた様子で語り始めた。
それはつまり日記であり味気こそ無いが、ほのぼのとした空気が流れていた。
「それで電車で座ってたら、おばあさんが乗ってきたんだけど 僕、席譲れなかったんだ・・・駄目だよね」
本日の卑屈
誰にでもあるよ
元気出して
彼の落ち込んだ声に、コメント欄は励ましの言葉をかけていた。
どうやらこれがお決まりの流れらしかった。
「皆ありがとう じゃあ、この話はここら辺にして一曲歌うね」
待ってました!
頑張れ
楽しみ
急な展開にリオは少し驚いた。コメント欄が先ほどよりも活気づいている。
どうやら今までのは前座のようなものだったらしい。
リオはどんな歌が聴けるのか楽しみに待った。
「聞いてください”~~”」
それは有名なアニメの主題歌だった。そのアニメは人と人為らざる者が混在する世界が舞台で、あらゆる不条理があふれていた。
この曲はその世界観とマッチしていて、多くの人に親しまれていた。
「”~~~ ~~~”」
曲の歌い出し。リオは目を見開いた。それは色で言うなら透明だった。
綺麗な高音の声。それはガラスのように繊細で、吐息で囁くようだった。
「”~~ ~~~ ~~”」
今にも泣き出しそうな声で、世界に翻弄される無力さを歌っていた。
自分の心が壊れていくその様を、残酷な程に綺麗なメロディーに乗せて訴えていた。
「”~~~ ~~~っっ!!”」
!?
唐突なシャウトだった。
今までの弱弱しくも美しい雰囲気とは違う。
それは悲しさや空しさや悔しさの感情がぐちゃぐちゃに織り交ざって、壊れてしまった自分の心を吐き出すような
強烈な叫びだった。
「”~~~”」
そしてまた囁くように訴える。自分が狂いそうなその境界線で揺れる心を伝える、祈りにも似た何か。
「”~~~”」
曲が終わった。
リオは声も出せずに、暫く圧倒されていた。
影沼ヒトリの歌が上手いのかどうかはリオには分からなかったが、ともかくとしてそれはリオの心を揺さぶった。
荒々しくも繊細で、美しくも狂気的だった。
まるで崇高な芸術作品に触れたような感覚だった。
「みんな、ありがとう 聞き苦しかったらごめんね」
そんなことないよ!
リオは画面の前で思わず言った。
感動した
88888
最高
コメント欄も絶賛していた。
誰かが言った。
「ああ、うん 作詞作曲できたらいいよね・・・うん・・・」
声が尻すぼみになる。
先ほどまでとは打って変わって、全く自信の無さそうな声に戻っていた。
誰かがお願いした。
「うん・・・僕は駿河武士さんや時雨リオさんみたいに面白くできないからな・・・ 僕、何にもできなくてごめん」
あれにはなるな
芸人と比べる必要はないぞ
気にするな
なんだかコメントで言われようが気にならなくもないが、それよりもリオは彼に声をかけたい衝動に駆られた。
「そんなことないよ!!」
リオはコメント欄にそう書き込んだ。
「ええ、時雨リオさん来てたんですか! ありがとうございます!」
急に声が明るくなったのが印象的だった。
「ということで先生は本日、社会見学をしてきました 学んだ事と致しましては、どこも視聴者が優しかったです だから皆、私にもう少し優しくなってくれてもいいんだよ!?」
リオはその日の配信で言った。猿たちは耳を傾けずにウホウホしていた。