リオは墓場から目覚めた死体の如く、身体から気怠さを放ちながらのっそりと体を起こし上げた。床に片膝を立てて座り込み、寝ぼけ眼を下に向ける。自宅の床だった。
ベッドじゃなくて、茶色い床・・・。
昨日、血液と交換する勢いで飲んだアルコールがリオに頭痛を引き起こしている。頭イライラで奥歯をキリキリ。リオが記憶を振り返れば途中から振り返れる記憶が無いので、意識を飛ばしていたことに気が付き、視線の先のかったい床から帰宅後に力尽きたことを理解する。
また、記憶の途中静かな夜の町にいた気がするし、大人げなく犬みたく武士と吠え合っていた気もしている。しかしまあそれは気のせいだな、とリオは苦い顔して忘れ去った。
まあLIMEはするんですけどね
リオが「迷惑かけること山の如し、ホントすまんガチ候」と江戸と現代のハイブリット構文を送れば、秒で既読のマークが着いた。妙なキモさを感じたリオは、返事が来る前にスマホの電元を落とすと、ベッドの上に放った。
時刻は朝の7時である。
”寝足りないぞ”と身体が言う。
夜更かし名人で寝不足魔人こと不健康リオちゃんの体内時計は、睡眠時間が足りない事を、靄のような眠気を脳内に漂わせることで教えていた。
体感4時間程度の睡眠である。
しかし早起きは三文の徳とも言う。
起きることにした。リオはゆっくり立ち上がると台所へと行き、冷蔵庫から飲み口がキャップの牛乳パックをばっと取り出した。キャッ、パッ、ばっ!
そうして眠気を払うように、腰に手を当てラッパ飲み!ラッパぁっ!
リオは美味しそうに喉を鳴らして、乾いた身体に牛乳を注ぎ込んでいく。
アルコールが混ざって牛乳カクテルぅ!な感じで薄まってくんないかな・・・
薄まってくんないのである。
リオは空になった牛乳パックをくしゃりと折り畳むと、ゴミ箱にダストシュートした。
それを見ているものがいた。
リオはウーパールーパーを飼っている。体長18cm程の薄桃色のちっこい胴長ライオン。これのお家の水槽が、台所とリビングを仕切るように設計された長細い台(台所とリビングの間の通路を作り出す)に置かれている。
以前にその水槽を使ってブレイクダンスするセミを捕まえたこともあるが、それはまた別のお話。ともかくとして、リオは今はウーパールーパーを飼っている。それが口から泡をぷくぷくと吐き出しながら、投げたは良いものの上手く入らず、ゴミ箱に斜めに立て掛かって幅取ってうっざい牛乳パックを、ゴミ袋に入れなおしているリオを捉えていた。
「見せもんちゃうぞごらあ~」
リオは首をうー太(ウーパールーパーの名前)に向けながら、間延びした声でそう言った。うー太は変わらずリオを見つめ、ぷくぷく泡を吐き出している。
それは無表情で愛らしい。
リオは”ふふんっ”と小さく笑みを浮かべると、水槽の前までやってきて、うー太と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「おはよ~うー太 元気かぁ?」
\プクプクプク/
勿論うー太は喋れないが、リオは構わずに話しかける。
うー太はリオの良き話し相手である。病める時も、健やかなる時も、そっと寄り添い泡を吐く。時折えらを動かして、やっぱりぶくぶく泡を吐く。そういう存在である。
荒唐無稽かつ自己完結するリオのお喋りの相手には、画面越しの視聴者か水槽越しのウーパールーパーが適任である。なのでリオは喜々とした表情で喋るのだ。
さて本日の気まぐれなお題:地図。
「うー太さん、地図というのは便利なものだよ それを見れば誰でも目的地に到着できるっていうのは間違いなく人類の発明の一つだ」
\プクプクプク/
「だからこれからも利用され続けるさ、きっと」
\プクプクプク/
「ところで・・・」
\プクプクプク/
「地図見ても目的地に着いた試しがないんですけどお、どう思いますう??」
\ブクブクブクー/
「そうっすよねぇ~~すぅっ」
途中までエセ知識人のように大仰な口ぶりで、途中から方向音痴の情けない口ぶりでひとりでに喋るリオである。ちなみにうー太は”私が人生の目的地を示してあげよう”と言っている、らしい。
この一連の流れが雑談配信で日夜語られているとあっては、視聴者が多少おかしくなっても無理はないし、それを乗り越えた先のゴリラと考えれば納得と言えるかもしれない。(?)
ともかくとして、こういう遊びである。
リオは満足気に笑みを浮かべると、ウー太に粒状の餌を与えた。うー太が水中を泳いで、沈む餌を追いかける。そして吸い込む。
餌を食べるうー太を眺めていたリオであるが、途中で自身の腹が鳴る音がして、まだ朝食を摂っていなかったことに気が付いた。
「うー太、私はパンダ」
リオは朝食はパン派である。
視線を外して立ち上がると、朝食の食パンを取りに行った。
朝食を終えたリオは、退屈しのぎにとPCでNowTubeを開く。すると丁度、夢野雫が配信をしていた。サムネでは銀色の長髪を携えた天使が、にっこりと笑みを浮かべている。
勿論、夢野雫である。
アイドルは静止画でも可愛さを振りまく。道端ですれ違えば10人中8人が振り返り、残り2人は天に召される。
リオは自身の思いがけない幸運ににやりと笑みを浮かべると、配信の視聴を始めた。
「は~い それじゃあ次は、もっちーでうさぎさん達から募集したセリフ読み上げ大会を行いますよ~」
ありがとうございます!
楽しみ~
癒しです
やったー
「はううっ 幼稚園の先生みたいに言っちゃいましたね」
先生えー
雫ママ~
ああああ好こ
おっとりとした声がリオの耳に届く。
”あ゛あ~”とおっさんのような声を漏らしながら、リオは天井を向いて雫の声を噛みしめた。
やっぱこれだわ~
リオは”お薬”などキメたことは無いが、今間違いなく”夢野雫”をキメているという自信があった。
それ程までに彼女の声と姿は魅力的に映っているのだ。
「まず最初のうさぎさんは・・・
”雫ちゃんがお姉ちゃんになって『ねえ、一緒におねんねしよっか』って言ってくれたら、20年間悩まされている不眠も解消するかもお!!”
とのことです」
超人の民で草
これは幼児プレイ!?
絶対癒されるやつう~
良シチュエーション
リオは心の中で、このもっちーを送った人に拍手を送る。寝つきの悪いリオには、なんともどんぴしゃなセリフである。
「寝不足ウサギさんですね~了解しました~ それじゃあぐっすり眠れるように、心を込めて読みますね」
くるう
ドキドキ
楽しみ
くる。
”ふふっ 眠れないの? ・・・ねえ、、私と一緒におねんねしよっか?”
ねりゅうううううううううう
囁き声やばばばばば
あああっ(尊い)
可愛すぎ
雫はマイクに口元を近づけたのか、吐息混じりのしっとりとした声で視聴者の鼓膜を揺らした。
それは普段のふわふわした雫の雰囲気とは違い、年上、ひいては大人の色気を含み、全てを包み込むような声音だった。
リオにとっては、身体をぬるま湯で溶かされるような形容し難い甘美な響きである。
リオは無言で机をバンバンと叩いた。身体中を尊いエネルギーが駆け巡り、許容を超えた体は衝動的に拳からエネルギーを発散した。
「へへへ~ 照れちゃいますね」
まじ女神
たまらん
もう永眠してもいい
ありがとうございます!
しずくちゃあああああん
「はい、それじゃあ次のうさぎさんです ええと、
”兄におもちゃを取られて泣いちゃう妹をやってほしいです”
・・・なるほど」
泣くのは難しそう・・・
がんばえー
これは期待
「泣くのはやったことないですね でも何事も挑戦ですよね!」
はりきっている雫の声に、リオは先日の記憶を思い返していた。
実は雫の泣き声も泣き顔も、既にリオは知っていた。それを間近で見ていた。恐らくは視聴者のだれも知らない姿を。
しかしそれとこれとは関係が無い。
今は夢野雫ver妹である。
「いきまーす」
かもおん
くる・・・
いらっしゃあい
”や゛た゛あ゛あ゛あ゛や゛た゛あ゛あ゛あ゛お゛兄゛ち ゃ゛ん゛か゛お゛も゛ち゛ゃ゛と゛っ゛た゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛”
おもちゃ取られてて草
可愛いいいい
可愛すぎかて
夢野雫は先ほどとは打って変わって、幼稚園児ぐらいの幼女の泣き声をびりびりとマイクに轟かせた。
庇護欲をこれでもかと煽られ、リオは奥歯を噛みしめて身体を震わせた。
危なかった。目の前に雫がいたら間違いなく抱きしめていた。
「へへ~ 意外とどうにかなりましたね」
こんな妹が欲しかった
抱きしめてええええ
心に直接攻撃してくる
「ちなみに私の配信ではお兄ちゃんの割合が70%、お姉ちゃんの割合が30%なんですよ」
男だけじゃないのはさすが雫ちゃん
養いたい
可愛い
「それじゃあ次のうさぎさんです
”愛していた兄から女のにおいを感じ取り、兄に詰め寄る妹をください”
です」
これは特殊だww
できるんかこれ?
演技力がいるね
「ブラコンウサギさんですね~ でも大丈夫です 私は演技力に自信があるんですよ~」
頑張れ~
雫ちゃんは天才
いけいけ~
凄い変化球だな・・・
リオは苦笑する。
「いきまーす」
どんな感じになるのかなあ・・・
”お兄ちゃん、女の人と付き合ってるんでしょ?私と結婚するって約束したよね?え、小さい頃の話?そんな!私信じてたのに!!ずっと信じてずっと好きのままずっと生きてきたのに!!!私がどれだけお兄ちゃんのことが好きか知らないんだ・・・私はお兄ちゃんの事大好きなのに 好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きでだーーーい好きなのに!!”
ヤンデレだあ・・・
上手すぎぃ!
演技力がカンストしとる
雫ちゃんしゅごい
すっご・・・
夢野雫の声は視聴者にもれなく鳥肌を立たせ、次に絶賛の嵐を引きおこさせた。
「ウサギさんたち、褒めてくれてありがと~ でも私が好きなのはうさぎさんのみ・ん・なです♪」
コメント欄はあまりの可愛さに発狂する視聴者の山。
こんな感じで雫の配信は大盛り上がりで続いていく。
リオは夢野雫の配信を見ながら、ぼんやりと考え事をしていた。それは夢野雫の心中である。以前に彼女はリオの部屋に訪れて、リオの上に馬乗りになって、リオへの想いを涙ながらに語っていた。
彼女は確かに言った。”アイドルになんてなりたくなかった”と。そうであるならば、夢野雫は今の配信も苦痛に感じながらやっているのだろうか。
リオは思う。
もしもマイナスの感情を持ちながらでこの配信ならば、それはもうめちゃくちゃすごいことだ、と。夢野雫は幻想とも思える視聴者たちの理想像を、その鈴のような声と愛らしい見た目で見事にこなし続けている。視聴者たちの熱狂ぶりがそれを裏付ける。
彼女は苦しんでいるのだろうか
もしも苦しみを感じているのならば、それに耐え続けるならば、やがてそれは自らを狂わすことになる。リオは自分の過去を振り返る。呪いのような過去を。
彼女は苦しんでいるのだろうか・・・
雫もやがて、押しつぶされてしまうのだろうか・・・
思考を続ける。
リオのスマホが突然に着信を告げて、リオはがばりと頭を持ち上げた。思考に意識を沈めていたリオであったが、気付けば眠っていたらしかった。
PC横の机に置いたスマホを手に取る。着信相手はマネージャーである。
「お疲れ様です はい、 はい。 はい、え?」
「それほんとですか?」
「夢野雫と番組に出るんですか!!??」
番組に出るらしい。