side:リアル
スタジオ中央にはニコニコと微笑んで立っている雫と、その横で悔しそうに表情を歪ませているリオと、真顔がにやけ顔の口ノ助。
「それでは見事勝利を収めた雫ちゃんへ、ご褒美の登場です!どうぞおおおおおお!」
口ノ助が声を張り上げながら右腕を天井へと高く上げれば、それが合図であったかのようにスタジオの照明が”ばちんっ”と落ちた。
そうして突然に広がる暗闇と緊張を伴い蔓延る静寂。スタジオが一瞬にして姿を変えた。
見れば折角嬉しそうだった雫の表情も今や困惑で笑みを潜め、同じく困惑の時雨リオも辺りをきょろきょろと見渡している。
彼女らは状況に置き去りされていた。
口ノ助はそんな二人を見ながら”にいっ”と笑みを浮かべると、次には上に上げていた腕の先の指先を”ぱっちん”と鳴らした。すると直後ファンファーレの期待を予感させる音楽が鳴り始めて、次いでスポットライトが点灯。光の照らす先は、今まさにスタッフによってスタジオに運び込まれて来ている大人の身長ほどもあるような立て看板であって、それが新郎新婦入場のように華やかな音楽を引き連れて、さらにはスポットライトも引き付けて、無機物の癖にスターのようにスタジオの中央へと入場してくる。
しかしそこまで飾っておいて、肝心の立て看板の表面には白い垂れ幕が掛かっており、それが何を示す物なのか、外から窺い知ることは難しい。リオも雫も、全力で期待を煽ってくるその不審物に興味津々である。
やがて運ばれてきた不審物は三人の前に到着した。
「あはあーーーっっ 来たねえ気になるねえっ何だろねえこれっ??」
口ノ助がはそれが何であるかを既に知っている様子ながら、わざと焦らすような口ぶりをする。そして雫とリオを手で”ほれほれ”と追いやって看板の両脇にそれぞれ立たせると、自分は看板の後ろに立って、看板を覆う垂れ幕に手をかけた。
「それじゃああああ音楽お願いしまあすうう!」
そう口ノ助がお願いすると
\三(卍^o^)卍ドゥルルルルルルルルルルルルルル三(卍^o^)卍/
地響きにも似た音。連打音。顔文字は幻想。
ファンファーレに続いてドラムロールが鳴り始めた。
繰り返されるドラム音は、聞いた者にいよいよ幕が取り払われ全貌が明らかになるような予感をさせた。それに違わず雫もリオも胸を高鳴らせ、その時を待った。
そしてついにその時がやって来た。
\D E N ☆/
「こちらdeath!!」
勢いの良い声と共に勢い良く幕が取り払われて、その全貌が明らかになった。
「え?」
「おお~っ」
そこには、ひらひらのアイドル衣装に身を包んだVtuber夢野雫の姿が大きく貼り出され、”夢野雫、ガチアイドルへの道! LIVE決定○月○日!”の文字がデコデコした字ではっきりと書かれていた。
リオも雫もそれを見るとリオは思わず感嘆の声を漏らして、雫は目をまん丸くして驚きで声を漏らした。口ノ助は看板の後ろからひょっこりと出てきて雫の横に並びながら、そんな二人の表情を愉快そうにニヤニヤ見ていた。
「雫ちゃん、おめでとう! これから君は本格的にアイドル活動をしていくことになるそうだよっっ!!」
口ノ助がはっきりと告げた。雫はそれを呆け顔で聞いて、しげしげと看板を見つめ返す。
まさしくこの看板はVtuber夢野雫がアイドルとして次のステップに進むことを、具体的にはLIVEという大きなイベントを行うことを、デカデカとキラキラと主張していた。
「ええ~っと、皆にはね、看板じゃちょいと見づらいだろうから今、画面に電子広告版がどんっと出てるんだけどね! 簡単に言うと、ライブは〇〇会場でVtuber夢野雫が目の前に降臨する!っと・・・あはあっーー これは盛り上がるだろうねーー」
要は、可愛い衣装で可愛い姿で可愛い可愛い夢野雫が、リアルで3Dで映し出されて、客の前でLIVEをすると、そういうことである。
さらに口ノ助の言うところには、LIVEまでの間、雫はその歌や踊りの練習の模様を時折配信することになると。
つまりはLIVE日は発表会のようなものとなり、視聴者にはそれまでの積み重ねも感じてもらってライブをより楽しんでもらおうと、そういった企画である。
まあともかくとして、夢野雫がLIVEをする。
「優勝おめでとう雫ちゃん! すっごいご褒美だねえ!で、 今どんな感じよ?? お気持ち聞かせて聞かせてえ!」
口ノ助が手をマイクに見立てたジェスチャーをしながら、雫に問いかけた。
雫は、、満面の笑みで答えた。
「と~~~っても嬉しいです!! みんな、楽しみにしててくださいね♪」
雫は今日一番の最高の笑顔をカメラに見せた。
しかしリオは、virtualのリオでは無く現実のリオは、その表情の変化を詳細に見つめていた。彼女が質問を投げかけられて笑みを浮かべるまでの間、顔が一瞬強張ってそれを隠すように素早く下に俯いた瞬間があった。
その時の彼女の横顔は、怒りか悔しみか悲しみか、とにかくとして負の感情で顔を歪ませて、泣き出しそうな表情を見せていた。
しかしそれもまた一瞬。
すぐに雫は顔を上げて、リオも見たことが無いような素晴らしい笑顔の華を咲かせたのだった。
リオはそれを黙って見つめていた。雫が一瞬リオに視線を向け目線が合いそうになった時、リオは静かに顔を逸らした。
番組がエンディングを迎えた。
番組が終わってお疲れ様ですの後、リオは自販機で飲み物を買ってくる事を一言雫に伝えてからスタジオを出た。雫は自然な様子で”わかりました”と返した。
リオはスタジオを出た後、見慣れない場所(撮影スタジオの収められた建物)で、迷路みたいな構造をしている建物内をふらふらと歩く。
喉は確かに乾いていた。が、それよりも考える時間が欲しかった。
リオの頭に浮かんでいるのは、先ほど人知れず見せていた雫の複雑な表情であった。それの意味を思考する。
雫さんはたぶん喜んでいなかった
だからあんな表情を見せた
雫さんはやっぱりアイドルにはなりたくないんだ・・・
などとリオは考えてみるが所詮は人の事なので、いくら推察したとしてもその人の頭の中にしか正解が無いということもまた、リオは当然分かっていた。
それでもなぜ考えるかと言えば、今回決定された事が今までのVtuber夢野雫の活動の中でも、最も大きなイベントであること、そしてそれが恐らくは彼女の今後のVtuber活動の一つの確かな指針を示し、だからこそ彼女のこの事についての捉え方がVtuber夢野雫にとって重要なものになるから。
という風に、彼女が無意識のうちに思っているからであった。
リオは横目に自販機を見つけた。
味のないただの炭酸水を購入した。
リオと雫には共通の控室があてがわれていて、飲み物を手にしたリオはその場所へと向かっていた。そうして扉の前に着いたのだが
「分かってますよっっ!!!」
と突然中から叫ぶような声が聞こえて、リオはびくりと体を震わせてドアノブに伸ばした手を止めた。
それは間違いなく雫の声であった。
そしてそれは初めて聞く声でもあった。
イラついたような、それでも自制しているような、でもやっぱり荒い感じ。
リオは悪いと思いつつも、ドア越しによくよく耳を澄ましてみれば、雫のマネージャーと思わる人と雫との会話が微かに聞こえて来た。
「分かってますから・・・」
今度は語気を沈めた泣きそうな声。
リオは今は入るべきではないと判断して控室を去った。
適当に歩いて時間をつぶす事にした。
しばらくして、リオは再び控室の扉の前へと戻ってきていた。
再び耳を澄ましてみたが、マネジャーらしき声は聞こえない。
リオは万が一のことも考えて扉をゆっくりと開けて、その隙間から中の様子を覗き込んだ。
見る。
白い丸机に右肘を着いて座っている雫の横顔。
その口元。
右手の人差し指の腹を噛んでいた。
そこから血が垂れていた。
赤い血がぽたぽたと。
丸机にぽたぽたと。
白色に赤い斑点がぽたぽたと。
垂れていた。
「!?」
リオは目を見開いた。
ふと気配でも感じ取ったのか、雫が素早くリオの方へと振り返った。驚いた表情の雫とリオは、お互いに目を合わせた。
雫が指の腹から口をゆっくりと離す。
リオが扉を無意識に押して、慣性でゆらーっと扉が開いていく。
その間、リオと雫はお互いに視線をずらすことが無かった。
数秒間。
そうしてリオは表情をすっと真顔に戻すと、ゆっくりと雫に近づいていく。
静けさが重みを持ったような張り詰めた緊張感の中を、リオが進む。
そうして座っている雫の傍まで来た。リオはポケットからポケットティッシュを取り出して、そこから何枚かのティッシュをつまんで、未だ血を垂らす雫の指にゆっくりと手を伸ばすと、ティッシュを優しく歯型の傷口に当てた。
「あ・・・」
雫が小さく声を漏らした。
二人は赤く染まっていくティッシュを、意味もなくただ見つめていた。