「82ぃ、83ん、84いっ、85っ」
荒い息遣いと共に積み上がっていく数字のカウント。
額から流れる汗が輝きながら顔の輪郭をなぞっていく。
リオは日課の腹筋をしていた。
タオルを敷いた自室の床の上に仰向けに寝転がって、上半身を持ち上げる。頭を挟む両腕の肘を、自らの膝に近づける。
既に回数を重ねていて疲労がたまっている。表情には苦悶が浮かぶ。タンクトップから見える肌にはシャワーを浴びたかのようにたくさんの汗が浮かび上がり、その短めの黒髪には光る水滴を実らせていた。
「91ぃ、94ん、ああ92かぁ? ・・・まいっかぁ90っ、91ぃ」
間違えた。また間違えた。何度目かの間違いだ。
カウント中に間違えるのは酸素不足の弊害で、それによりリオが頭が悪くなったというのは勿論暴論である。尚、彼女の頭が悪いというのは正論である。
そして筋肉が宝石と同等の価値を持つというのは、彼女にとっての持論である。
引き締まった筋肉の生み出すその陰影は、宝石の輝きに値する。鍛え上げられた筋肉の価値は100億ルピアに相当する。日本円でいくらか。79万円。あら、微妙。
そんなリオは現在進行形で腹筋に筋肉の育つ心地の良い痛みを感じながら、脳内ではこう喚いていた。
世界に筋肉より美しいものなど有りはしない。筋肉こそが全て!筋肉こそが地球!筋肉 is ディスティニーーーーーーー!!
酸 素 不 足 だ 。
そうこうしてる内に、腹筋の回数は増えていく。
「98ぃ 99ぅ 100ぅ~~~!!! あぁ~~休憩」
リオはとうとう目標の数を達成し、達成感から声を漏らした。そうして息を吸い込みながら、背後の床へと大の字に倒れて伸びた。荒い呼吸でもって新鮮で冷たい酸素を肺へと忙しく送り込みながら、天井の丸いカバーに覆われた電球を見つめる。
このやり遂げた充足感を感じさせる小さな瞬間が、リオにとっての幸せである。
リオはそのまま右腕を動かして、傍の床に彷徨わせペットボトルの感触をつかんだ。
すると身体をぐっと起き上がらせると、あぐらをかいて座りこむ。そうしてペットボトルのキャップを開けて口元へと運ぶ。
\ごきゅごきゅごきゅ/
子気味よく喉を鳴らしながら天井を向いてラッパ飲み。少しはしたない。だがこれが美味い。
喉を通って冷たい水が、乾いた体を癒していった。
俯瞰して見る。
汗で濡れたショートの髪がさらりと揺れて、光る水滴を落としている。そしてペットボトルの水も揺れて光をゆらゆら反射している。さらには引き締まったリオの体つきが光の陰影で際立っている。言うならば、それはまるで一枚の絵画のような美しさである。
\うへえ゛っ/
残 念 、 お っ さ ん で し た 。
TSの最終形態を披露したところで、リオはペットボトルを口から離し、腕で口元を軽く拭った。
未だ身体からは汗が止まらない状態ではあるが、首から下げたタオルで軽く拭いたところで次の筋トレである。
陸に上がったアザラシの如く腹から床に身体をくっつけて、両手をハの字にして目の前の床へ。そうして身体をぴんと伸ばして、手と裸足のつま先で身体を支える。
腕立て伏せのポーズ。
「1! 2! 3!・・・」
最初は疲れが無いから元気だ。リオは威勢よく声を飛ばしながら、身体を上下させて腕立てに励み始める。
思考をする余裕もある。リオは頭の中で最近気になっていることを思い浮かべた。
LIMEについて。
リオの元には最近やたらとLIMEが飛んでくる。それならばよくある事かもしれない。
しかしそれが見知らぬ相手からとあっては、よくある事とは言えない。リオには全く見覚えが無かった。
曰く、”コラボの日はいつにするかしら?”だの”もっと店に遊びに来てもいいのよん♡”だの”キュウリ好きい?”だのと。
ユーザーネームは宮本徹とあるが、果たして誰なのかリオには分からない。そしてこの文面はもしかしたら間違えて送られてきている可能性もあるし、徹君は徹ちゃんかもしれないし、もしかしたら自分が本当にVtuber時雨リオと何故か知っていて送ってきているの人かもしれないしと推測が出来るが、繰り返しメッセージが送られてくるとあっては、さすがのリオの困惑するばかりである。
当然リオはこれに対して返答することは無いし、最近は既読すらつけることは無い。LIMEが親切にも”友達では無いですか?”とメッセージを表示してくるが、”恐らくやばい属の人です”という感想しか彼女には思い浮かばない。
「24!25お!26う!」
腕立て伏せは、そろそろ身体にきつくなってくる回数へと突入していた。髪から垂れた汗の水滴が目の前の床へとぽたぽた垂れていて、体重を支えている手や足の表面に滑りを感じるようになっている。
リオは40回やったら小休憩を挟むことにしているので、そこまでの我慢と気持ちを引き締める。
「もうっちょいい!」
\うほおおほおうほおおおうhっほおお/
「ふぁあ!?」
傍の床に置いてあるリオのスマホが突然に着信を告げ、リオは思わず声を漏らした。
間が悪いなあ・・・
リオとしては40回いっていない中途半端な回数で腕立てを中断させられるのは、何とも気持ちが悪かった。しかしまあ最近リオへと通話してくる相手は、”声を聴かないと寝れないです”でおなじみの雫か、”もっと大人しくしてください”でおなじみのマネージャーぐらいなものである。
この両者に関してはリオも気を許していて、お風呂に入りながら料理をしながら、それこそ筋トレをしながらでも通話をすることがある。(勿論内容による)
とりあえずリオは腕立てを続けながら電話出ることにした。
片手で身体を支えて、(リオちゃんしゅごい)もう片手でスマホを引き寄せて通話ボタンを押して、また腕立てを続行する。
「はいいっもしもしっ」
腕立てをしているので言葉が詰まる。
「もしもしっ?」
「リオちゃああんん!チュッ!!ちゅう!!!」
言葉が詰まる。
\ぶちっ/
戦闘力高めのイタ電と判断しリオは即座に通話を切った。
しかしまた少しすると着信が来た。
「はいっ 誰ですか?」
「あたしよおおおおん!!」
「切るよんっ」
「山田ゴライアスよん♡」
「・・・ええええ!?」
リオは予想外の人物の登場に思わず驚愕の声を上げた。通話相手はまさかの先輩Vtuberにしてオ・カマバーの店主、山田ゴライアスであった。
リオは記憶を振り返る。連絡先など交換した覚えがない。
さてはマネージャーか。私の交流が狭すぎボッチくそワロタで勝手に連絡先を売るのか、あのマネージャー。
などとリオは一瞬のうちに考えを巡らせたが、今そんなことはどうでもよかった。
それよりも、
「なぜ連絡先知ってるんですか?」
オカマの特殊能力ですか?
「もう、いやねえ~ 前にうちの店で交換したじゃないのぉ」
「ええっ、そうなんっですかっ?」
「そうよん まあでも、リオちゃん酔っぱらってから記憶に無いのも無理ないわね♡」
ゴライアスの店ことオ・カマバーには、以前の配信で初めて訪れてから、さらに何回か通っていた。
「あの時はすごかったよん~ 武士ちゃんのちょんまげ掴んで、武士ちゃんをぐるぐるぶん回してたんだから~」
「なにそれっゴリラじゃんっ」
「りおちゃんよ♡」
記憶にないうほ
話してる間にも腕立ては進み、現在36回。あと4回である。
「はあっ それはっ 御迷惑おかけしましたっ」
あと3回
「いいのよ!楽しければ全然おkなのよん!というかそれよりも!」
「はいっ?」
あと2回
「リオちゃんもしかして・・・言いにくいんだけどその・・・自家発電してるのかしらぁぁぁ!!??」
あと1k・・・
「ぬ゛ふ゛ぇ゛え゛!!!????」
リオは人生で初めて出したような鳴き声を上げた。
瞳孔が大きく見開いて、口をぱくぱくさせている。現状が理解できなかった。
自家発電って、つまり、、、ええ??
「どどどどうしてそうなるんですか!!??」
「隠さなくたっていいのよん!あちしばっちり聞いてるわ!!リオちゃんの荒い息遣いをね!!」
「あ」
「言葉の合間合間に熱い吐息!盛り上がってるのね!!分かるわ!!凄く分かるわ!良いわよね!スリルが!電話越しの自家発電!!燃えるのよね!」
「いやあのそのっ」
「いいのよいいのよ隠さなくたっていいのよ!あちしも大好きよ!!スリル大好き!!あなた友達いい!!おほおおおおおおおっ」
「違うんです!誤解です!筋トレ中なんです!40回いったんです!」
「40回!?40回も逝ったのかしら!!??あらああああ変態ねええ!でもそんなリオちゃんも好きいいいい!!」
「ちげえよ!話聞けよ!」
「おほおおおお興奮するわよ!!エクスタシイイイイイイイ!!!」
「やめろおおおお」
リオは腕立てから解放され地面に腹這いになりながら、頭を抱えた。
山田ゴライアスはその特有の思考回路により、リオとの会話の中からあらぬ妄想をして思わぬご馳走を見つけ貪るのに夢中である。
このままでは変態イケメンポンコツ美少女ゴリラVtuberになる! ダメだ!強そう!
リオはとにかく誤解を解くことを優先した。
「ゴライアス先輩、聞いてください! 私は今まで腕立て伏せをやってたんです!40回はそれの回数です!」
「もう~恥ずかしがりやなんだから♡ それよりもどんな気分だった!? あたしに教えてちょーだい!! ああ、身体が火照る!火照るわああああ!!!」
「駄目だこのオカマ、話聞かないタイプのオカマだ」
「聞いてるわよん」
「聞いてるのかよ!」
オカマの耳が地獄耳であることは、アニメの実写映画が大抵失敗するのと同じくらい常識である。嘘である。
「さてと~挨拶もこのくらいにして~」
「どこの民族の挨拶ですか」
「約束通りっ来週あたりコラボ配信しましょうね!」
「ふぁあ!? 約束とは!?」
「酔っ払いリオちゃん可愛いわぁあ~~ん」
「orz」
知らぬ間に酔いの間に、リオ王国とゴライアス王国の条約は締結されていた。
「あ、あとわぁ・・・」
「まだあるんですか?」
「リオちゃんって、キュウリ好きい?」
「あんただったのか!」
宮本徹さん、こんばんわ。