とある科学の進入禁止   作:山都撫子

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第1章 非公式の絶対能力進化計画編
1-1 始動


 現代科学の極致、あるいは異端の結晶。二十三万人の人口を抱え、その八割を学生が占める巨大な実験場――学園都市。

 

 ここでは「超常」はもはや空想の産物ではない。カリキュラムという名の脳外科的・薬理的な干渉を経て、学生たちは物理法則を己の演算で捻じ曲げる「超能力」を手にする。

 無能力(レベル0)から超能力(レベル5)まで。厳格に定められた階級制度は、この都市における唯一絶対の価値基準であり、秩序そのものだった。

 

 だが、その強固な秩序に、修復不能な亀裂が入った。

 

 八月二十一日。

 

 この街の頂点に君臨し、軍隊ですら歯が立たないとされた「第一位」が、たった一人の無能力者に敗北した。その事実は、秘匿されたはずの闇から雑草のように芽吹き、劣等感に塗れた学生たちの間に瞬く間に蔓延した。

 

『最強は、もう最強じゃない』

 

『数さえ集めれば、無能力者(俺たち)でも神を殺せる』

 

 そんな、身の程を知らない「希望」という名の毒が、路地裏に潜む不適合者たちを狂わせていた。そんな騒がしい噂を知ってか知らずか、学生寮が立ち並ぶ建物の狭間――陽の光さえ届かない湿った路地裏を、一人の少年が歩いていた。

 

 色素の抜けた白い髪。女性と見紛うほどに華奢で、不健康なまでに細い手足。そして、見る者に生理的な圧迫感を与える、鮮烈な緋色の瞳。

 

 その記号的な容姿こそが、彼をこの場所へと誘い込んだ元凶だった。

 

「……あァ、またかよ。どいつもこいつも、算数も出来ねェバカばっかりだ」

 

 少年の口から、苛立ちの混じった低い声が漏れる。

 

 彼の前方を塞ぐようにして現れたのは、髪を派手に染め、ピアスで飾り立てた不良たちの集団だった。彼らは金属バットや角材を手に、獲物を見つけた野犬のような下卑た笑みを浮かべている。

 

「よぉ、――一方通行(アクセラレータ)

 

 リーダー格の男が、挑発的にバットの先端を突きつけた。

 

「聞いたぜ。お前、レベル0に負けたんだってなぁ? 最強の看板が泣いてるぜ、おい」

 

 少年は無言のまま、緋色の瞳を細めた。

 

 彼らは、目の前にいるのが「本物」ではないことなど疑いもしない。計画によって一方通行の演算パターンを植え付けられ、容姿さえも模倣させられた彼にとって、これは日常茶飯事の災難だった。

 

「……。」

 

「なんだ、レベル0に負けちゃって戦意喪失かぁ? 滑稽だな、この――ッ!?」

 

 痺れを切らした男が、金属バットをフルスイングした。

 

 狙いは少年の側頭部。殺害を躊躇わない、文字通りの一撃。

 

 だが。

 

 バットが少年の髪に触れるよりも数センチ手前で、硬質な金属音が響いた。

 

 ガギィィンッ!

 

 一方通行(アクセラレータ)の能力であれば、バットの「ベクトル」が反射され、男の腕はあらぬ方向へねじ切られていたはずだ。

 

 しかし、少年の能力は異なった。

 

 バットは跳ね返ることなく、まるで「巨大な鉄の塊」にでもぶち当たったかのように、衝撃をすべて男の腕に突き返して停止した。

 

「……っあ、つ、あぁぁッ!?」

 

 男が悲鳴を上げ、痺れた手からバットを落とす。少年は、触れることさえ許さない絶対的な壁――体表の大気の「密度」と「硬度」を極限まで高めたシールドを纏ったまま、一歩前に出た。

 

「……ったく。散々コケにしてくれたからなぁ。相応の対価は支払って貰うぞ、低俗」

 

 少年の瞳に宿る、冷徹な殺意。脳内の演算回路が、敵を「排除すべき量」として定義し始める。その瞬間、周囲の空気が急速に冷え込み、空間そのものが彼の怒りに呼応して軋みを上げた。

 

「ひ、ひぃ……ッ! ま、待て、やっぱり本物じゃねえか!」

 

「逃げろ! 殺されるぞッ!」

 

 先ほどまでの威勢はどこへやら、不良たちは一目散に路地裏の闇へと逃げ去っていく。

 

 少年は、彼らの背中を追うことはしなかった。

 

 本来の「第一位」ならば、彼らを一人残らず再起不能に叩きのめしていただろう。だが、この少年の流儀は違った。

 

 「計画」によって悪党としての思考を強制されながらも、彼の深層心理には、かつて自分が「普通の少年」であった頃の倫理観が、澱のように沈殿している。

 

(……罪のない人間まで殺すほど、俺の『善性』という量は、まだ枯れちゃいねェんだよ)

 

 彼は深く吐き出し、乱暴に髪を掻き揚げた。その瞳には、助かった者への慈悲など微塵も見えないが、彼なりの不器用な正義が、そこに刻まれていた。

 

 しかし、そんな静寂も長くは続かない。

 

 彼のポケットの中で、暗部からの冷徹な招集音が鳴り響いた。

 

 取り出した端末の液晶には、『登録①』という簡素な表示が浮かんでいる。

 

 少年はそれを一瞥し、わずかに口角を歪めてから通話ボタンを押し、冷え切った機械を耳に当てた。

 

『やぁ、こんな夜更けにすまないね。お友達と仲良く遊んでいたところを邪魔してしまったかな?』

 

 受話口から聞こえてきたのは、佐藤と呼ばれる男の、薄気味悪いほど柔和な声だった。その声の裏側には、学生を実験動物としてしか見ていない研究者特有の、底冷えするような選民思想が透けて見える。

 

「……用件を言え。話はそっからだ」

 

 少年は、第一位を模した不遜な口調でそれを撥ね退けた。馴れ合いを拒絶するその態度は、彼の中に残るわずかな自尊心が、これ以上「闇」に侵食されるのを防ぐための防波堤でもあった。

 

『相変わらず、フットワークの重い返答だね。……いいだろう、仕事だ。約一ヶ月ほど前、巷を騒がせた「とある音声ファイル」の存在を覚えているかい?』

 

 佐藤の言葉に、少年は緋色の瞳を細めた。

 

 一ヶ月前。学園都市のネットの深層に流出し、聴いた者の能力を暴走させると噂された『幻想御手(レベルアッパー)』の残滓。あるいはそれに類する、都市伝説級の違法音声データ。

 

『それがどこからか再流出し、闇の市場で売買されている。放置すれば、都市の演算バランスに無視できないノイズが走る。……発信源は特定済みだ。根絶やしにしてくれたまえ。無論――関わった者全員の排除を含めて、ね』

 

「……ハッ。ゴミ拾いのついでに害虫駆除かよ。あァ、分かったよ。算数が出来ねェバカどもに、現実ってヤツを叩き込んでやる」

 

 通信が切れる。少年は端末をポケットに投げ込むと、指定された座標――第十学区の深部、人跡未踏の廃棄区画へと足を向けた。

 

 時刻は午前一時。

 

 学園都市の「光」が眠りに落ち、物理法則よりも暴力が優先される時間帯だ。街灯の灯りは途絶え、建物の隙間から漏れる月光だけが、アスファルトの上に長く、鋭い影を落としている。ネズミの一匹、羽虫の一匹さえもが、これから始まる惨劇を予感して息を潜めているかのような死の静寂。その沈黙を、一足の靴音が踏みにじる。

 

 少年が足を踏み入れたのは、複雑に入り組んだ路地裏の奥に隠された、廃ビルに囲まれた一角だった。そこには、周囲の静寂とは対照的な「ノイズ」が満ちていた。複数の男たちが、怪しげな再生機器から流れる不協和音――脳を直接掻き乱すような不快な音楽ファイル――に身を委ね、狂気的な熱に浮かされている。

 

「……いたぜ。ゴミ以下の価値しかねェ、救いようのない連中がよォ」

 

 少年は、緋色の瞳を闇の中で不気味に発光させた。彼の脳内の演算機が、視界に入る全ての対象を「排除すべき量」としてカウントし始める。

 

 音を奏でるスピーカー、それを囲む男たち、そして彼らが吸い込んでいる空気。

 それら全てを書き換える準備は整っていた。

 

「やっと手に入った幻想御手(レベルアッパー)だ、俺等もこれで最強の能力を手に入れるんだ!!」

 

「レベル5も目じゃないぜ!!」

 

 男達の歓喜な声とは裏腹にそれを聞いている少年はハァと軽くため息を吐いた。

 

「……ハッ。一世代前のオモチャ買って貰って、そんなに嬉しいかァ? どんな売れない芸人のネタより面白くねェぞ」

 

 闇に溶け込んでいた白い影が、ゆっくりと廃ビルの影から這い出してきた。狂喜に震えていた男たちの動きが、一瞬で凍り付く。スピーカーから流れる幻想御手(レベルアッパー)の不協和音さえ、少年の放つ圧倒的な威圧感に塗り潰され、ただの雑音へと成り果てた。

 

「な、なんだァ……!? そのツラ、白い髪……第一位か!?」

 

「聞いたぜぇ、レベル0に負けた分際のレベル5が、何の用だァ!!」

 

 男たちの顔に、恐怖を塗り潰すような醜い「希望」が張り付く。一ヶ月前、都市を震撼させた幻想御手の再流出。それを手に入れた自分たちなら、弱体化したとされる最強すら狩れるのではないか――その甘い毒が、彼らの理性を焼き切っていた。

 

「邪魔するんなら、お前が最初の実験台になって貰うぞ、一方通行(アクセラレータ)ァァァァ!!!!」

 

 ニット帽を被った男が、両手に青白い火花――強制的に引き出された電子の奔流を纏い、咆哮と共に飛びかかった。少年は、眉ひとつ動かさない。避ける動作も、迎撃の構えもせず、ただ無機質に歩を進める。

 

 ドォォォンッ!!

 

 男の身体が、少年の数センチ手前で「見えない壁」に叩きつけられた。空中で何かに激突したような凄まじい衝撃音が響き、男は無様に地面に転がった。

 

「……おい。俺が第一位に見えんのか? よっぽど目が腐ってると見えるぜ、低俗」

 

 少年は、這いつくばる男の首元を無造作に掴み上げた。

 その瞬間、緋色の瞳が冷酷な演算を開始する。

 

「大道芸だァ、タダで見せてやンよ」

 

 刹那。

 男の身体が、まるで内部から巨大な風船を膨らませたかのように急激に膨張した。血管が浮き出し、骨が軋む音を立てる間もなく、その肉体は内圧の暴走に耐えきれず、弾け飛んだ。降りしきる鮮血の雨。だが、少年の身体を覆う「空気のシールド」はその赤を一切受け付けず、血の雫は少年の足元で虚しく弾かれる。

 

「うっ、うわあああああああ!!!!」

 

「テメェ……よくもォォォォ!!」

 

 残された男たちが、半狂乱になって奥の路地へと逃げようとする。

 少年は、返り血一つない白い顔に、三日月のような不気味な笑みを浮かべた。

 

「……鬼ごっこは好きじゃねェんだ」

 

 コツン、と。

 少年が軽く地面をつま先で叩いた。

 

 次の瞬間、逃げていたはずの男たちの視界が激しく歪んだ。進んでいたはずの進行方向とは逆に、地面そのものが「流れるプール」のように少年の足元へと引き寄せられたのだ。

 

「な、なんだこれ!? 進めねえ! 吸い込まれるッ!!」

 

「この能力……ベクトル変化じゃねェぞ!! 反射されてねえ!」

 

「はァ? 一方通行(アクセラレータ)の能力は、触れたモノの向き(ベクトル)を変化させるモンだろ。今のはベクトルじゃなくて――」

 

 少年は、引き寄せられた反動で転倒した男二人の足首を、鉄の枷のような力で掴んだ。

 

「質量だ。テメェらが走ってる地面の質量を、この足元に集約したンだよ。結果として、テメェらを俺の前に引き寄せただけだ。……質量はベクトルじゃねェ、絶対的な『量』なんだよ」

 

「質量はベクトルじゃない……お前、一体何なんだ!!」

 

 恐怖に顔を歪める男に、少年は顔を近づけた。緋色の瞳が、獰猛な獣のように獲物を射抜く。

 

「死ぬ前の手土産だ。十分に味わって行けよ。奴が方向(ベクトル)なら、俺は(スカラー)だ。向きを持つベクトルとは違い、モノには絶対量ってモンが定義されてる。それを俺は、自在に書き換えられるんだよ」

 

 少年の掴んだ手の先から、グツグツと沸騰するような異音が漏れ始めた。

 

「さァて、こっからはガキでも分かる実験教室の時間だ……。人間にも越えられない熱の温度がある。それを無理矢理上げちまうと、細胞はどうなるか分かるかなァァァ!!」

 

「ぎゃあああああああああっ!? 熱い、熱いぃぃぃ!!」

 

 男たちの足首が、赤黒く膨れ上がり、内部から蒸発を始める。少年は、その悶絶する叫び声を心地よい音楽でも聴くかのように、ケケケッと喉を鳴らして笑い飛ばした。

 

「それが俺の能力であり、名だ。俺の領域に絶対進入は出来ねェ――進入禁止(アクチュエータ)。まぁ、名乗ったところで、テメェらの命はもう尽きてるけどな」

 

 立ち上る白煙と、焦げた肉の臭い。

 深夜の第十学区に、少年の狂ったような笑い声だけが響き渡った。

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