第六学区――
「アミューズメント・センター」とも称されるこの学区は、常に喧騒と人工的な娯楽の光に満ちている。立ち並ぶゲームセンターや映画館、巨大なショッピングモールは、学生たちの欲求を飲み込み、消費させるために設計された迷宮だ。
その極彩色の街並みの中で、周囲から浮き上がっている奇妙な二人連れがいた。
色素の抜けた白い髪を風になびかせる細身の少年、
「今日は超付き合ってくれて、本当にありがとうございます。助かりました」
絹旗が手に提げた映画のパンフレットを揺らしながら、満足げに微笑む。その語尾に混ざる「超」という独特の口癖が、第六学区の喧騒に溶け込んでいく。
「気にすんな。……それより、他の連中とは会ってねェのか?」
「超会ってませんね。というか、麦野たちは各々で勝手に動いていますし……。現状、こうして気楽に連絡が取れるのって、
「……ならいい」
会話が途切れる。
学園都市の「闇」に属する者にとって、沈黙は日常茶飯事だ。だが、今の沈黙には、血の臭いや硝煙の香りは混ざっていない。ただ、年頃の男女が二人きりで歩いているという、彼らにとって最も不慣れな「空気」が流れているだけだった。
「まぁ、たまには超息抜きも必要ですよ。
「何がだ?」
「何って、普段から暗部の汚れ仕事しかしてないって聞きますし。たまにはこうして一般の学生みたいに超羽を伸ばすのも、脳のデフラグには最適です」
「別に興味はねェよ。……お前は、他の連中ともこうやって遊んでんのか?」
彼の問いに、絹旗は一瞬、言葉を詰まらせた。視線を少しだけ足元に落とし、恥ずかしそうに頬を掻く。
「超申し訳ないというか、何というか……。自分の趣味に付き合わせるのは、普通の神経をしていたら超躊躇われるというか」
「お前の趣味が独特なのは承知の上だ。B級……いや、Z級映画の鑑賞だったか? 気にすんな、今更だ」
「何か、今さらりと超・馬鹿にされた気がするんですが」
「してねェよ。……ほら、とっとと行くぞ。次の上映まで時間がねェんだろ」
彼は知っている。絹旗が自分を誘うのは、単に映画の付き添いが必要だからではない。彼女もまた、自分と同じように、誰かに「人間」として扱われる時間を必要としているのだということを。
第一位の演算パターンに蝕まれ、白く染まった脳。その深層で、彼は今だけは「
「待ってくださいよ! 次は超感動作なんですから、泣いても超知りませんよ!」
「誰が泣くかよ。テメェの感性を俺に押し付けんな」
毒づきながらも、二人の足取りは軽かった。
背後に迫る『
*
第十九学区。学園都市の中でも再開発から取り残されたこのエリアは、朽ち果てた工場や閉鎖された研究施設が連なる、文字通りの「鉄の墓場」だ。
そこで彼を待っていたのは、白衣を無造作に羽織り、焦点の定まらない瞳をモニターに向けている一人の女――
「……ンで、こっからどーすんだよ。わざわざこんな掃き溜めまで呼び出しやがって」
蝉脇は、彼の問いに答える代わりに、デスクの上に数枚の写真を放り出した。
「やる事は、かつての
そこには、学園都市の日常生活に完全に溶け込んでいる少女の姿が写っていた。茶髪のボブカット、常盤台中学の制服。それは学園都市第三位・
(……これが。
写真の中の少女たちは、ある時はコンビニの前に佇み、ある時は公園のベンチで猫を眺めている。そのあまりにも無防備な「生」の記録に、
「この計画は私の独断で行っている以上、彼女たちには何も伝えていない。学園都市の管理システムからも、この計画の詳細は
「……襲撃する形で、殺せと」
「ええ。前回の実験では、彼女たちも『実験の参加者』として殺される準備ができていた。けれど、今回は違う。彼女たちは自分たちが狙われていることすら知らずに、日常を謳歌している。そこを、第一位の演算能力を持つ貴方が、一方的に蹂衙し、生命の灯を消していく。……無防備な獲物を狩ることでしか得られない、精神的な『変数』が、絶対能力への
蝉脇は、まるで明日の天気を語るような淡々とした口調で、残虐なロジックを説いた。
だが。
その冷徹な演算を、彼の中に澱のように残っている「黒髪の少年」の残影が、激しく拒絶した。
「……ハッ。最高にクソみたいな計算式だな、オイ」
「答えはNOだ。
蝉脇の眉が、わずかに動く。
「……意外ね。貴方の脳に書き込まれた『彼』の思考パターンなら、最強への渇望を抑えられないはずだけれど? 貴方は第一位の模造品。模造品が本物を超える唯一のチャンスなのよ」
「勘違いすんな、
彼の周囲の空気が、怒りに呼応して密度を増し、物理的な圧力となって部屋の中の書類を散らす。
「俺は俺のやり方で、この腐った街を歩く。テメェらの引いたレールの上を走るなんて、それこそ『偽物』のすることだ。……二度とそのツラ、俺の前に見せんなよ。次に見せた瞬間、テメェの体内の結合エネルギーをゼロにして、ただの塵に書き換えてやる」
緋色の瞳が、闇の中で殺意を帯びて発光する。
蝉脇は、その圧倒的な力の威圧に晒されながらも、どこか楽しげに、あるいは憐れむように、薄い笑みを浮かべた。
「……いいわ。でも、覚えておいて。貴方が拒絶しても、この連鎖は止まらない。貴方が殺さないなら、別の誰かが彼女たちを殺すだけ。……それでも、貴方は『善人』を気取り続けられるかしら?」
「……勝手にほざいてろ」
廃ビルの出口へと向かう
「……随分な自信ね。でも、貴方の頭には、自分以外を計算に入れることを忘れているんじゃないかしら?」
「あァ? 他人の取り分まで計算してやるほど、俺の
「そう。……じゃあ、この『数値』はどうかしら。第六学区、現在時刻十七時四十二分。座標、映画館周辺の防犯カメラの、第三レイヤー」
蝉脇が手元の端末で細い指を滑らせる。
直後、廃ビルの壁面に備え付けられた旧式のモニターが不気味に明滅し、ノイズ混じりの映像を映し出した。
「……ッ!?」
「絹旗……!」
「彼女だけじゃないわ。他の『暗闇の五月計画』の被験者たち。貴方が『紛い物同士の絆』なんて柄にもない感傷を抱いている相手全員に、私の『贈り物』を済ませておいたわ」
蝉脇が画面を切り替えると、絹旗の背後に配置された清掃用ロボットや、街灯の基部に仕掛けられた、不自然なほど高密度のエネルギー反応を示すデバイスが赤く強調された。
「それは……高出力の爆発ボルトか。いや、違うな。空間の結合エネルギーを局所的に暴走させる、対能力者用の指向性兵器……ッ!」
「貴方が一〇〇三二次実験のスタート地点に立たない一秒ごとに、彼女たちの生存係数はゼロに向かって収束していく。……ねえ、
蝉脇は愉悦に満ちた表情で、少年の絶望を観察していた。
「……テメェ。自分が何を言ってるか分かってんのか?アイテムは統括理事会直轄の部隊だぞ。こんな真似して、タダで済むと思ってんのか?」
「ええ、済むわよ。だって、これは『実験中の事故』として処理されるもの。第一位の演算能力を持つ貴方が暴走し、かつての実験仲間を巻き添えにした……。悲劇的なストーリーだと思わない?」
怒り。殺意。そして、どうしようもない自己嫌悪。
彼の足元のアスファルトが、重力スカラーの暴走によって、音もなく円形に陥没していく。指先一つ動かせば、目の前の女の心臓を止めることは容易だ。だが、彼が蝉脇を殺した瞬間に、仕掛けられた爆弾のデッドマンスイッチが作動し、絹旗たちは灰になる。
(俺一人が拒絶すれば、アイツらが死ぬ。俺が実験を受け入れれば、あの
脳内に植え付けられた第一位の思考パターンが、最適解を求めて超高速で回転する。
(――最も効率的な選択をしろ。最小の犠牲で、最大の結果を得る方法を選べ)
非情なロジックが、彼の「善性」を嘲笑うように囁く。
「……あァ、分かったよ。分かったんだよ」
不意に、
「……最高に反吐が出る算数だぜ、
彼は蝉脇に向かって、一歩踏み出した。その足取りは、もはや迷いなど微塵も感じさせない。
「ただし、条件だ。実験の間、アイツらには指一本触れるな。もし絹旗の毛先一つでも焦げてみろ。……テメェの脳を分子レベルで沸騰させて、宇宙の果てまでその質量を拡散させてやるからな」
「交渉成立ね。貴方のその『悪』に染まった顔、今の第一位よりもずっと……本物らしいわよ」
蝉脇は満足げに頷き、一通の座標データを
第一〇〇三二次実験。場所は今夜二時、第七学区の閉鎖された操車場。
(……絹旗、悪ィな。俺はやっぱり、お前と一緒に映画を観るような『人間』にはなれそうもねェわ)
彼は一度も映画館の方を振り返ることなく、地獄の入り口へと歩き出した。救うために、殺す。誰かの日常を守るために、自分自身の魂という「量」をゼロにする。それは、学園都市最強の演算能力を持つ彼が導き出した、あまりにも不器用で、あまりにも孤独な「正解」だった。
深夜の操車場。錆びついたレールの上に、一人の少女が立っていた。軍用ゴーグルを装着し、感情の欠落した瞳で虚空を見つめる
「……あァ、さっさと始めようぜ。テメェという『個体』を殺して、俺が『神様』になるための……地獄の計算をな」
彼の緋色の瞳に、冷酷な殺戮の光が宿った。