とある科学の進入禁止   作:山都撫子

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1-3 交渉

 第六学区――

 

 「アミューズメント・センター」とも称されるこの学区は、常に喧騒と人工的な娯楽の光に満ちている。立ち並ぶゲームセンターや映画館、巨大なショッピングモールは、学生たちの欲求を飲み込み、消費させるために設計された迷宮だ。

 

 その極彩色の街並みの中で、周囲から浮き上がっている奇妙な二人連れがいた。

 

 色素の抜けた白い髪を風になびかせる細身の少年、進入禁止(アクチュエータ)。そして、その隣を歩く、ボブカットの茶髪に大人しそうな風貌をした少女――絹旗(きぬはた)最愛(さいあい)

 

「今日は超付き合ってくれて、本当にありがとうございます。助かりました」

 

 絹旗が手に提げた映画のパンフレットを揺らしながら、満足げに微笑む。その語尾に混ざる「超」という独特の口癖が、第六学区の喧騒に溶け込んでいく。

 

「気にすんな。……それより、他の連中とは会ってねェのか?」

 

 進入禁止(アクチュエータ)はポケットに手を突っ込んだまま、周囲の視線を避けるように低い声で尋ねた。彼にとって、自分以外の誰かと歩く行為自体が、演算を乱すノイズのように感じられてならない。ましてや、それが自分と同じ「暗闇の五月計画」の生存者である彼女なら、なおさらだ。

 

「超会ってませんね。というか、麦野たちは各々で勝手に動いていますし……。現状、こうして気楽に連絡が取れるのって、進入禁止(アクチュエータ)しかいないんですよ」

 

「……ならいい」

 

 会話が途切れる。

 

 学園都市の「闇」に属する者にとって、沈黙は日常茶飯事だ。だが、今の沈黙には、血の臭いや硝煙の香りは混ざっていない。ただ、年頃の男女が二人きりで歩いているという、彼らにとって最も不慣れな「空気」が流れているだけだった。

 

 進入禁止(アクチュエータ)は、隣を歩く絹旗の存在を、被験者ではなく、一人の「人間」として意識せざるを得ないことに、かすかな居心地の悪さを感じていた。

 

「まぁ、たまには超息抜きも必要ですよ。進入禁止(アクチュエータ)にとってもいい機会じゃないですか?」

 

「何がだ?」

 

「何って、普段から暗部の汚れ仕事しかしてないって聞きますし。たまにはこうして一般の学生みたいに超羽を伸ばすのも、脳のデフラグには最適です」

 

「別に興味はねェよ。……お前は、他の連中ともこうやって遊んでんのか?」

 

 彼の問いに、絹旗は一瞬、言葉を詰まらせた。視線を少しだけ足元に落とし、恥ずかしそうに頬を掻く。

 

「超申し訳ないというか、何というか……。自分の趣味に付き合わせるのは、普通の神経をしていたら超躊躇われるというか」

 

「お前の趣味が独特なのは承知の上だ。B級……いや、Z級映画の鑑賞だったか? 気にすんな、今更だ」

 

 進入禁止(アクチュエータ)の淡々とした言葉に、絹旗はムッと眉間にしわを寄せた。

 

「何か、今さらりと超・馬鹿にされた気がするんですが」

 

「してねェよ。……ほら、とっとと行くぞ。次の上映まで時間がねェんだろ」

 

 進入禁止(アクチュエータ)はぶっきらぼうに促すと、絹旗を追い越して歩き出した。

 

 彼は知っている。絹旗が自分を誘うのは、単に映画の付き添いが必要だからではない。彼女もまた、自分と同じように、誰かに「人間」として扱われる時間を必要としているのだということを。

 

 第一位の演算パターンに蝕まれ、白く染まった脳。その深層で、彼は今だけは「進入禁止(アクチュエータ)」という名前を忘れ、ただの不器用な少年として、夕暮れの娯楽街を歩き続ける。

 

「待ってくださいよ! 次は超感動作なんですから、泣いても超知りませんよ!」

 

「誰が泣くかよ。テメェの感性を俺に押し付けんな」

 

 毒づきながらも、二人の足取りは軽かった。

 

 背後に迫る『非公式の絶対能力進化(アナザー・レベル6シフト)計画』という巨大な影を、この時ばかりは、第六学区のきらびやかなネオンが覆い隠してくれていた。

 

 

 第十九学区。学園都市の中でも再開発から取り残されたこのエリアは、朽ち果てた工場や閉鎖された研究施設が連なる、文字通りの「鉄の墓場」だ。

 

 進入禁止(アクチュエータ)は、錆びついたシャッターが風に震える音を背に、一軒の廃ビルへと足を踏み入れた。案内された一室には、埃を被った古いサーバーラックと、最新鋭のホログラムディスプレイという不釣り合いな光景が広がっていた。

 

 そこで彼を待っていたのは、白衣を無造作に羽織り、焦点の定まらない瞳をモニターに向けている一人の女――蝉脇(せみわき)(しおり)。『非公式の絶対能力進化(アナザー・レベル6シフト)』を提唱した、この狂気の舞台の演出家だ。

 

「……ンで、こっからどーすんだよ。わざわざこんな掃き溜めまで呼び出しやがって」

 

 進入禁止(アクチュエータ)は、ポケットに手を突っ込んだまま不機嫌そうに言い放った。緋色の瞳が、部屋の中の熱量や空気の密度を無意識に走査し、敵意の有無を確認する。

 

 蝉脇は、彼の問いに答える代わりに、デスクの上に数枚の写真を放り出した。

 

「やる事は、かつての絶対能力進化(レベル6シフト)計画と変わらないわ。演算によって導き出された二万通りの戦場。そこで二万通りの死を積み上げ、絶対能力者(レベル6)への道を補完する。……でもね、今回の計画が以前のものと決定的に違う点が一つあるわ」

 

 進入禁止(アクチュエータ)は、無造作に散らばった写真を手に取った。

 

 そこには、学園都市の日常生活に完全に溶け込んでいる少女の姿が写っていた。茶髪のボブカット、常盤台中学の制服。それは学園都市第三位・御坂(みさか)美琴(みこと)と瓜二つの容姿でありながら、その瞳にはどこか虚無的な、機械のような冷たさが宿っている。

 

(……これが。量産型能力者(レディオノイズ)計画で、御坂美琴のDNAを使って作られた体細胞クローン――『妹達(シスターズ)』か。ったく、マジで瓜二つじゃねェか……)

 

 写真の中の少女たちは、ある時はコンビニの前に佇み、ある時は公園のベンチで猫を眺めている。そのあまりにも無防備な「生」の記録に、進入禁止(アクチュエータ)の脳内の演算回路が微かなノイズを走らせた。

 

「この計画は私の独断で行っている以上、彼女たちには何も伝えていない。学園都市の管理システムからも、この計画の詳細は隔離(パージ)してあるわ。つまり――」

 

「……襲撃する形で、殺せと」

 

 進入禁止(アクチュエータ)が、蝉脇の言葉を遮るように低く、地を這うような声で言った。

 

「ええ。前回の実験では、彼女たちも『実験の参加者』として殺される準備ができていた。けれど、今回は違う。彼女たちは自分たちが狙われていることすら知らずに、日常を謳歌している。そこを、第一位の演算能力を持つ貴方が、一方的に蹂衙し、生命の灯を消していく。……無防備な獲物を狩ることでしか得られない、精神的な『変数』が、絶対能力への近道(トリガー)になるのよ」

 

 蝉脇は、まるで明日の天気を語るような淡々とした口調で、残虐なロジックを説いた。

 

 進入禁止(アクチュエータ)は、手に持っていた写真をパラパラとデスクに戻した。彼の脳内では、植え付けられた第一位の思考パターンが、効率的な殺害ルートを瞬時に弾き出していた。心臓の停止、脳の蒸発、質量の爆縮。クローンというスペアの命を消費して、神の領域へ至るための最短経路。

 

 だが。

 

 その冷徹な演算を、彼の中に澱のように残っている「黒髪の少年」の残影が、激しく拒絶した。

 

「……ハッ。最高にクソみたいな計算式だな、オイ」

 

 進入禁止(アクチュエータ)は、佐藤から送られてきた非公式の絶対能力進化(アナザー・レベル6シフト)計画のデータが映し出された携帯端末を取り出すと、それを蝉脇の足元へ無造作に投げ捨てた。

 

「答えはNOだ。絶対能力(レベル6)になる気なんて更々ねェんだよ。テメェの低俗な研究に付き合ってあげるほど、俺はお人好しじゃねェんだわ」

 

 蝉脇の眉が、わずかに動く。

 

「……意外ね。貴方の脳に書き込まれた『彼』の思考パターンなら、最強への渇望を抑えられないはずだけれど? 貴方は第一位の模造品。模造品が本物を超える唯一のチャンスなのよ」

 

「勘違いすんな、研究員(インテリ)。俺は確かにあいつの思考を植え付けられたが、あいつの『執着』までコピーした覚えはねェ。第一、神様になるための道筋(ルート)が、ガキの死体二万体分だァ? そんな安っぽい算数で世界が書き換わるなら、この街はとっくに天国になってるはずだろォが」

 

 進入禁止(アクチュエータ)は一歩、蝉脇へ詰め寄った。

 

 彼の周囲の空気が、怒りに呼応して密度を増し、物理的な圧力となって部屋の中の書類を散らす。

 

「俺は俺のやり方で、この腐った街を歩く。テメェらの引いたレールの上を走るなんて、それこそ『偽物』のすることだ。……二度とそのツラ、俺の前に見せんなよ。次に見せた瞬間、テメェの体内の結合エネルギーをゼロにして、ただの塵に書き換えてやる」

 

 緋色の瞳が、闇の中で殺意を帯びて発光する。

 

 蝉脇は、その圧倒的な力の威圧に晒されながらも、どこか楽しげに、あるいは憐れむように、薄い笑みを浮かべた。

 

「……いいわ。でも、覚えておいて。貴方が拒絶しても、この連鎖は止まらない。貴方が殺さないなら、別の誰かが彼女たちを殺すだけ。……それでも、貴方は『善人』を気取り続けられるかしら?」

 

「……勝手にほざいてろ」

 

 廃ビルの出口へと向かう進入禁止(アクチュエータ)の背中に、蝉脇の低く、湿り気を帯びた声が突き刺さった。

 

「……随分な自信ね。でも、貴方の頭には、自分以外を計算に入れることを忘れているんじゃないかしら?」

 

 進入禁止(アクチュエータ)は足を止めず、肩越しに冷笑を投げ返す。

 

「あァ? 他人の取り分まで計算してやるほど、俺の(ハード)は暇じゃねェんだよ」

 

「そう。……じゃあ、この『数値』はどうかしら。第六学区、現在時刻十七時四十二分。座標、映画館周辺の防犯カメラの、第三レイヤー」

 

 蝉脇が手元の端末で細い指を滑らせる。

 直後、廃ビルの壁面に備え付けられた旧式のモニターが不気味に明滅し、ノイズ混じりの映像を映し出した。

 

「……ッ!?」

 

 進入禁止(アクチュエータ)の緋色の瞳が、一瞬で凍りついた。画面に映っていたのは、夕暮れの街を楽しむ群衆。その中心で、パンフレットを大事そうに抱え、自動販売機の前で「超どれにしましょうか」と悩んでいるボブカットの少女――絹旗最愛の姿だった。

 

「絹旗……!」

 

「彼女だけじゃないわ。他の『暗闇の五月計画』の被験者たち。貴方が『紛い物同士の絆』なんて柄にもない感傷を抱いている相手全員に、私の『贈り物』を済ませておいたわ」

 

 蝉脇が画面を切り替えると、絹旗の背後に配置された清掃用ロボットや、街灯の基部に仕掛けられた、不自然なほど高密度のエネルギー反応を示すデバイスが赤く強調された。

 

「それは……高出力の爆発ボルトか。いや、違うな。空間の結合エネルギーを局所的に暴走させる、対能力者用の指向性兵器……ッ!」

 

 進入禁止(アクチュエータ)の脳内の演算が、瞬時にその兵器の破壊力を弾き出す。もしあれが起動すれば、防御特化の絹旗の『窒素装甲(オフェンスアーマー)』ですら、内側から細胞ごと霧散させられる。スカラー値を弄る彼だからこそ、その「量」の凶悪さが誰よりも理解できた。

 

「貴方が一〇〇三二次実験のスタート地点に立たない一秒ごとに、彼女たちの生存係数はゼロに向かって収束していく。……ねえ、進入禁止(アクチュエータ)。貴方は第一位の模造品として、自分一人の『善性』を守るために、同胞たちの『命の総量』を切り捨てるのかしら?」

 

 蝉脇は愉悦に満ちた表情で、少年の絶望を観察していた。

 

「……テメェ。自分が何を言ってるか分かってんのか?アイテムは統括理事会直轄の部隊だぞ。こんな真似して、タダで済むと思ってんのか?」

 

「ええ、済むわよ。だって、これは『実験中の事故』として処理されるもの。第一位の演算能力を持つ貴方が暴走し、かつての実験仲間を巻き添えにした……。悲劇的なストーリーだと思わない?」

 

 進入禁止(アクチュエータ)の周囲の空気が、かつてないほど激しく軋み始めた。

 

 怒り。殺意。そして、どうしようもない自己嫌悪。

 

 彼の足元のアスファルトが、重力スカラーの暴走によって、音もなく円形に陥没していく。指先一つ動かせば、目の前の女の心臓を止めることは容易だ。だが、彼が蝉脇を殺した瞬間に、仕掛けられた爆弾のデッドマンスイッチが作動し、絹旗たちは灰になる。

 

(俺一人が拒絶すれば、アイツらが死ぬ。俺が実験を受け入れれば、あの人形(シスターズ)どもを殺すことになる……ッ!!)

 

 脳内に植え付けられた第一位の思考パターンが、最適解を求めて超高速で回転する。

 

(――最も効率的な選択をしろ。最小の犠牲で、最大の結果を得る方法を選べ)

 

 非情なロジックが、彼の「善性」を嘲笑うように囁く。

 

「……あァ、分かったよ。分かったんだよ」

 

 不意に、進入禁止(アクチュエータ)の肩から力が抜けた。彼は乱暴に白髪を掻き揚げ、天を仰いで、ケケケッ、と歪な笑い声を漏らした。その笑みは、先ほどまでの「不器用な少年」のものではない。かつて学園都市を恐怖のどん底に叩き落とした、あの最悪の「第一位」を、寸分違わずトレースした狂気の笑みだった。

 

「……最高に反吐が出る算数だぜ、研究員(インテリ)。俺一人が人殺しの汚泥に浸かれば、アイツらの命は保たれるってワケだ。……いいぜ。そのバカげた計画に、付き合ってやるよ」

 

 彼は蝉脇に向かって、一歩踏み出した。その足取りは、もはや迷いなど微塵も感じさせない。

 

「ただし、条件だ。実験の間、アイツらには指一本触れるな。もし絹旗の毛先一つでも焦げてみろ。……テメェの脳を分子レベルで沸騰させて、宇宙の果てまでその質量を拡散させてやるからな」

 

「交渉成立ね。貴方のその『悪』に染まった顔、今の第一位よりもずっと……本物らしいわよ」

 

 蝉脇は満足げに頷き、一通の座標データを進入禁止(アクチュエータ)の端末に送った。

 

 第一〇〇三二次実験。場所は今夜二時、第七学区の閉鎖された操車場。

 

 進入禁止(アクチュエータ)は、蝉脇から背を向け、廃ビルの闇へと消えていった。外に出ると、既に夜の帳が降りていた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った街。彼はポケットの中で、震える手を強く握りしめた。

 

(……絹旗、悪ィな。俺はやっぱり、お前と一緒に映画を観るような『人間』にはなれそうもねェわ)

 

 彼は一度も映画館の方を振り返ることなく、地獄の入り口へと歩き出した。救うために、殺す。誰かの日常を守るために、自分自身の魂という「量」をゼロにする。それは、学園都市最強の演算能力を持つ彼が導き出した、あまりにも不器用で、あまりにも孤独な「正解」だった。

 

 深夜の操車場。錆びついたレールの上に、一人の少女が立っていた。軍用ゴーグルを装着し、感情の欠落した瞳で虚空を見つめる妹達(シスターズ)の一人。

 

 進入禁止(アクチュエータ)は自嘲的な笑みを浮かべ、右手を掲げた。その掌には、夜の大気を灼き尽くすほどの、膨大な熱エネルギーのスカラー値が収束し始めていた。

 

「……あァ、さっさと始めようぜ。テメェという『個体』を殺して、俺が『神様』になるための……地獄の計算をな」

 

 彼の緋色の瞳に、冷酷な殺戮の光が宿った。

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