第八学区の深夜、人影のない通りを
数時間後には、第七学区の操車場で『御坂10090号』を殺害しなければならない。
蝉脇に突きつけられた、絹旗最愛たちの命を盾にした強制的な実験。拒絶すれば仲間が死に、従えば無垢なクローンが死ぬ。だが、
彼はポケットから携帯端末を取り出し、履歴の最上部にある番号をタップした。
数回のコールの後、受話口から穏やかで、どこか安心感を抱かせる声が響く。
『やあ。こんな時間に電話なんて、検査結果が心配になったかい?』
「絶対能力進化計画の研究員の一人が『
『……なるほど。凍結されたはずの計画を、君という「代替品」で補完しようというわけか』
医師の声から余裕が消える。彼は学園都市の闇、そして
「ああ。俺は実験に参加するフリをする。……だが、本当にあの人形どもを殺すつもりはねェ。だからアンタに協力しろっつってんだ」
『協力、か。私に死体安置所の空きでも用意しろと言うのかな?』
「……そんな後ろ向きな計算じゃねェ。アンタ、
「俺が操車場で計画を開始した瞬間、俺は能力で彼女を殺したように見せかける。空気の屈折率を弄り、血の量を偽装し、心停止を擬似的に作り出す。蝉脇の監視の目は、俺の演算でハッキングして上書きする。……その隙に、アンタの手下かあいつの息がかかった連中に、彼女を回収させろ」
『……それは、
「あァ。俺は俺の
『面白いね。君の脳にある「第一位の演算パターン」が、そんな慈悲深い結論を導き出すとは。……いいだろう、その賭けに乗らせてもらおう。回収班の手配と、監視カメラへの介入の補助はこちらで引き受ける』
「…あァ、それと一つ。もし俺が何かの事情で、本当に誰かを傷つけちまったら……。その時は、俺を物理的にぶっ壊して止めろ」
『……努力はしてみるよ。だが、君なら乗り越えられるはずだ。
通話が切れる。
救うために、殺戮者を演じる。
愛する仲間を守るために、最も憎むべき実験の主役になる。
「……さァ、地獄の実験教室の時間だ。……算数も出来ねェバカな
白い髪を揺らし、彼は闇の奥へと足を踏み入れた。
その背中は、もはや誰の模倣でもない、彼自身の「進入禁止」の領域を確立し始めていた。
*
「
軍用ゴーグル越しに射す驚愕の視線。だが、その瞳に映る「白い髪の少年」は、彼女たちが知る
「悪りィな、第一位じゃねェンだわ。見ての通り、第一位の紛い物――って事にしとこうかァ」
口調が、そして空気が変わる。
脳内に植え付けられた第一位の演算パターン。それは能力行使時の負荷と感情の昂ぶりに呼応し、被験者の人格を強制的に第一位のそれへと塗り替えていく。
「何故このような事をするのですか? とミサカはアナタの行動に対して問いかけます」
ミサカ19090号の問いに、彼はケケケッと独特な、喉を鳴らすような笑いを漏らす。
「テメェ等には伝えてねェンだが、あの
「そういう事だったんですね、とミサカはこの状況を何となく理解しました」
理解した、と。その言葉と共にミサカ19090号はアサルトライフルを捨て、拳を固める。
彼女たちの能力は、学園都市第三位・御坂美琴の劣化コピー――
「おいおい、そんなチンケな力で対応出来ンのかよォォ!!!!」
両腕から放たれた、百万ボルト近い蒼白い雷撃。空気を焼き、網膜を刺すほどの閃光。直撃すれば常人など炭化するその暴力に対し、進入禁止は避ける動作すら見せない。それどころか、彼はその雷撃に向かって、無防備に一歩踏み出した。
バチィィッ!!
激突の瞬間、雷撃は彼に触れることさえ許されず、霧散するように四方に弾け飛んだ。反射ではない。まるで、電撃という現象そのものが「無意味」になったかのような不自然な消滅。ミサカ19090号の瞳に、計算外の事態を示す動揺が走る。
「こっから先はお勉強タイムだァ。第一位ならベクトル変換で弾丸だろうが雷撃だろうが反射する。だが、俺の能力は
彼の足元には、弾け飛んだ雷撃の残骸がバチバチと火花を散らしている。
「正解は――雷撃に存在する電荷の
瞬間。
彼の周囲に残っていた微弱な電気が、物理法則を無視して膨れ上がった。青白かった火花は、不気味な橙色へと変色し、その出力は
「返してやるよ。テメェの出したゴミを、価値ある量に磨いてなァ!」
「うぐっ……!」
瓦礫が身体の至る所を削り、制服が裂け、擦り傷や切り傷から鮮血が溢れ出す。特に右脚を襲った自身の体重を凌駕する巨大なコンクリート塊は、少女の骨を容易く砕いた。立ち上がることすら出来ず、彼女は血の海の中で喘ぐ。
「……終わりにしようぜ、
(……クソ医者、早くしろ! 俺の
苦しみ悶え、血の海に沈むミサカ19090号の傍らで、
あとは、指先を触れるだけでいい。
だが、その指が届く寸前。軍用ゴーグル越しに目が合ったミサカ19090号が、掠れた声でボソリと呟いた。
「……何故、アナタはそんなに悲しい表情を浮かべているのですか、とミサカは最後の力を振り絞って問いかけます」
「……は?」
その一言に、
加速し続けていた演算が、まるで致命的な
自分が、悲しい表情を浮かべている?
何故だ。
計画の代替品として作られ、
だというのに、どうして胸の奥が、存在しないはずの「痛み」という量をこれほどまでに増幅させているのか。
「テメェ……何言ってンだ。俺は、俺が最高の結果を手に入れるために計算を――」
言いかけた瞬間だった。
「――ッ!?」
能力による「気流の密度変化」で不審な動きは察知していたはずだが、その「何か」は彼の予測を無視して、一直線にミサカ19090号へと到達した。我に返り、通り過ぎていった方向を見据える。
そこには、白いワイシャツに黒のスラックスという、この「闇」の戦場にはあまりに不釣り合いな学生服姿の少年が立っていた。
ツンツンと逆立った黒髪。
その腕には、今まさに殺そうとしていたミサカ19090号を抱きかかえている。
少年――
「……もうやめろ。こんなことして、お前が本当に救われると思ってるのかよ!」
少年の咆哮が、静まり返った操車場に響き渡る。
「……あァ?」
計画の破壊者。第一位を止めた無能力者。
カエル顔の医師が差し向けた「一番妹達に近い存在」とは、この少年のことだったのか。