「……なンだ、テメェは?」
抱えられているミサカ19090号が、痛みに耐えながらも少年の顔を見て驚愕と安堵を混ぜたような表情を浮かべている。その反応だけで、二人の間に通じ合う「絆」のようなものを察するには十分だった。
「まだこの実験を続ける気か!!」
少年の咆哮。その言葉に含まれた「実験」という単語に、進入禁止は自嘲気味に口角を吊り上げた。
「あン? ……そうか、そォいう事かよォ」
目の前の少年が『
「テメェが、あの
「は? ……
「……彼は
腕の中の少女の言葉に、少年は戸惑いの色を隠せない。その様子を見て、進入禁止はケケケッと独特の笑いを漏らした。
「自己紹介が遅れたなァ。俺は
挨拶代わりとばかりに、
大気中に存在する空気の「密度」を定義し、一箇所に爆発的に集約させる。本来、スカラー変換しか持ち合わせない彼には、一方通行のように風の向きを操ることはできない。だが、植え付けられた第一位の精密な計算が、極小領域での量の増減を制御し、真空に近い低圧と高圧の境界を作り出すことで、不可視の「空気の槍」を生成してみせた。
放たれる、音速を超えた空気の弾丸。
並の能力者であれば、何が起きたか理解する前に内臓を粉砕される一撃。だが、黒髪の少年は逃げるどころか、真っ向から右手を突き出した。
「おいおい!! そンなンで受け止められるって思ってるンですかァ?」
刹那――轟音と共に、必殺の空気槍が霧散した。
まるで、最初からそこに「能力」など存在していなかったかのように。先ほどミサカ19090号の雷撃を彼自身が打ち消した時と同じ、不自然な消失。
「……どォいう事だよ……クケケッ、面白れェなァァァお前ェェェ!!!!」
「何が面白れぇだよ……。友人が傷付けられて、何が面白れぇんだよ!!」
上条は右拳を握り締め、地を蹴った。
一直線に突っ込んでくる無謀な突進。
距離を取り、遠距離からスカラー量を操作して甚振り殺すのがセオリーだろう。だが、能力の
(……逃げる必要なんてねェ。俺の体表には、触れるもの全ての密度をゼロにする『絶対防御』がある。テメェの拳が届く瞬間に、その腕の『質量』を消してやるよォ!)
だが、少年は怯まない。その右拳には、学園都市の如何なる神の奇跡も、怪物の演算も通用しない。
「――ぶち殺してやるッ!!」
叫びと共に放たれた少年の右ストレートが、進入禁止の「領域」へと迷いなく突き刺さった。
――バゴンッ!!
「ゴブベッ!?!?!?」
鼓膜を震わせる鈍い衝撃音と共に、
ありえない。計算が合わない。
彼の体表には、デフォルトで周囲の空気の「質量」を増幅させ、あらゆる物理打撃を無力化する絶対的な「硬化シールド」が展開されている。戦車の砲弾すら弾き返すその「量」の壁を、ただの、それもひょろりとした少年の拳が、紙切れを破るように突き破った。
体重の乗った重い一撃。
(……どういう事だ。能力を無意識に切ってしまったのか? いや、そんなはずはない。頭は正常だ、能力の維持は今も最大を保っている。だったら、どうして俺の硬化が効かないんだ!!)
「カハッ……ッ!!」
「
少年の、魂を削り出すような咆哮。
その言葉は、物理的な衝撃以上に深く、進入禁止の
自分だって、知っている。
自分もまた、あの薄暗い実験室で、研究者たちに「スペアの効く実験動物」として扱われてきた。名前を奪われ、髪を白く焼かれ、一方通行(オリジナル)の劣化コピーとして再定義された屈辱。それをもう、二度と繰り返させないために。絹旗や他の仲間たちを、これ以上「闇」の身勝手な論理で浪費させないために、自分はこの地獄のような実験への加担を選んだのだ。
守るためには、他者を犠牲にしなければならない。
救うためには、誰かの命を「数」として処理しなければならない。
ずっと光の届かない泥濘を這いずってきた自分にとって、それは唯一導き出せる、哀しき最適解だった。だが、目の前の少年は、そんな歪んだ計算式を「右拳」一つで叩き壊そうとしている。
他者を犠牲にしなければ誰も救えないという暗部の常識。それを「ふざけるな」と一蹴する、圧倒的な、眩しすぎるほどの「光」。
(……ちっ、眩しいんだよ。テメェみたいな奴は)
上条当麻。
この少年なら、蝉脇の描いた冷酷な
自分が「悪党」として沈み、仲間たちを救おうとした不器用な正解。それをさらに上回る、誰も死なせない「奇跡」という解答を。
(悪いな、
「あァ……!? 説教なら間に合っているんだよ! テメェのその右手が何なのか知らねェが、触れられなきゃ関係ないんだわァ!!」
彼は狂気を演じ、上条を挑発しながら、同時に脳内ではカエル顔の医師と合意した「欺瞞工作」の次なるフェーズへと演算を加速させていた。
脳内で急速に演算が回る。
『
ならば――この偽物の自分自身が、再び同じ「バグ」を引き起こせばいい。学園都市の計算機どもが予期せぬ「観測結果」を叩きつけて、この狂った計画を今度こそ再起不能なまでに解体すればいいと。
「あァ……! 俺はテメェと違って闇に染まってンだよ! 簡単に命のを飛ばすことぐらい、造作もねェンだよォォォォ!!!!!」
上空の空気を一点に収束させ、質量を指数関数的に増幅。さらにその内部の分子運動量――「熱」を臨界点まで急上昇させる。超高温下で原子核と電子の結合が剥離し、物質が第四の状態へと転移していく。
それは、この場にいる少年と少女にとって、あまりに既視感のある絶望の光景。
「さァて、こっからが物語の
巨大な
だが、事態は
ピリッ、と。
肌を刺すような寒気が走る。無風だったはずの空間に、突如として不自然な指向性を持った突風が吹き荒れた。上条は咄嗟にミサカ19090号を庇うが、少女は首を横に振る。彼女の能力による風ではない。
(……誰だ。誰が俺の計算を妨害しやがる……ッ!?)
鋭い視線で周囲を走査する。
遠く、廃ビルの屋上。
月光を背負い、自分と全く同じ「白」を纏った少年が立っていた。
「……
本物。この地獄のような演算の、オリジナルの飼い主。
白い少年は遠くからこちらを一瞥すると、興味を失ったかのように、あるいは「勝手にしろ」とでも言いたげに、悠然と闇の中へ消えていった。だが、その一瞬の介入が残した風の渦は、
「――
鼓膜を揺らす少年の咆哮。
慌てて視線を戻すと、そこには既に回避不能な距離まで肉薄し、渾身の力を込めて拳を振りかぶる上条当麻の姿があった。能力に依存し、絶対的なシールドに守られてきた進入禁止には、接近した肉弾戦を捌く術など持ち合わせていない。
だが、彼は逃げなかった。
「……あァ。助かったわ、
誰にも聞こえないほどの微かな声で、彼はボソリと呟いた。
ドォォォォォンッ!!
顔面に、これまでの人生で一度も味わったことのない凄まじい衝撃が走る。
上条の右手に全ての防御を無効化された、生身の、熱い、魂の籠もった一撃。
意識が暗転する。
蝉脇の監視カメラには、今の光景はどう映っただろうか。「最強の代替品」が、再び「無能力者」に敗北したという絶望的なバグ。それは、