RASのマネージャーにされた件【完結】 作:TrueLight
「ほらー、声出てねーぞー。ハイいっちにーいっちにー」
「ぜぇっ……、ぜぇっ……、いち、にぃ……はぁ、いち……」
とある日の昼下がり。目の前で苦しそうに足を動かすチュチュの背中を俺は追っていた。
「そろそろ休憩するかー?」
「はっ、はぁっ……。あ、
多少は暑さも和らいできた今日この頃だが、チュチュの格好は長袖Tシャツにツバの広い帽子。下は短パンとはいえ日焼け対策にタイツも装備しているとあって見ているだけで割と暑い。
「ほら、そこの公園入ろうぜ。ベンチで待ってろ、水買ってくるから」
「
とろとろと公園に入っていく背中を見送った後、俺は近場の自販機でスポーツドリンクを買ってチュチュの元へ急いだ。敷地内を見回すと木陰のベンチに腰を下ろし、ぐでっと背もたれに身体を預けているチュチュの姿が見える。
「はいよ。ゆっくり飲めよ」
「ん……」
隣に座ってペットボトルを手渡してやると、チュチュは頷いてちびちびとドリンクを飲み始めた。
ここまでで説明するまでも無いと思うが、俺とチュチュは……というか主にチュチュが、体力づくりの為にジョギングしているのである。
「しっかしまぁ……スタミナねぇなぁ」
「しょうがないでしょ、今までは何とかなってたんだから」
急にこんなことを始めたのは、もちろんガールズバンドチャレンジに向けてのことだ。今までは一回のライブで済んでいたが、予選ライブを勝ち抜くにあたって……っつーかRoseliaに勝つために、RASは一日で複数のライブハウスにエントリーするつもりでいる。
チュチュの言う通り今までは何とかなっていたが、この先を考えると体力的に無理があるんじゃないかと思ったのだ。とりあえずジョギングを始めてみたけど、結果は……まぁお察しだったな。事が起こる前に分かって良かったと言える。
「それでどうよ。続けられそうか?」
「……続けるわよ。決まってるでしょ?」
額に冷えたペットボトルを当てて息を整えるチュチュに言えば、当然とばかりに返してきた。四肢を投げ出して気怠そうに。額を、頬を、首筋を流れる汗をそのままに口を開くチュチュはパッと見やる気無さそうだが、その瞳は光を湛えている。
「上がった
テメェで始めたくせに、足引っ張る訳にゃいかないってか。健気なこったな。本当に健気で……これだから、どこまでも応援したくなる。
結成したばかりの頃のビジネスライクなバンドはどこへやらだ。
「それにしても……ソースは、体力あるわね」
「そりゃまぁ、女子に比べりゃあな」
「にしたって……私と同じ距離走って、荷物も持ってるのに。息も上がって無いのが男だからってことは無いでしょ?」
荷物も何も、ウエストポーチ腰に巻いてるだけなんだが。中身もちょっとした応急手当グッズと財布、あと水くらいだし。飲料水とかじゃなくて傷口なんかを洗い流す用だからそこまで量も入ってないし。
「ま、バイトの関係かね。ほら、お前と初めて会った時、季節バイトが切れたから話を受けるって言ったろ? だいたいガテン系だったからさ」
「ガテン系?」
「土木工事とかその辺。アスファルト削ってるとことか見たこと無いか?」
「あぁ……スタミナ付きそうね」
「まぁな。もともと体力に自信が無いってワケでもないけど」
ふぅん、と気のない返事とともにスポーツドリンクを傾けてから、チュチュは少しだけ居住まいを正して口を開く。
「……予選でRoseliaに勝てると思う?」
探る様に俺へ向けられる視線は、いつかのような不安を感じさせるものじゃない。あくまで俺の目から見て、予選ライブがどう動いていくと考えるのか、意見を参考にしたいってところか。
……どの口がと自分でも思うけど、チュチュは変わったなと。そう思うことが最近増えたような気がする。
「そうだな……このままいけば勝てると思うぞ」
ともあれチュチュの質問だ。今のとこ、RASのエントリー回数とRoseliaのエントリー回数は少し後者に軍配が上がる。だが、得票数で言えばRASが未だ一位のままだ。
これにはそれぞれのバンドがメインでエントリーするライブハウスの収容人数……キャパシティが関係している。RoseliaはCIRCLE、RASはdubってとこでそれぞれエントリーすることが多い訳だが……CIRCLEのキャパは500前後。それに比べてdubは1000前後だ。
つまり、客をMAX動員できるのであれば、RASが一回ライブをするまでに、Roseliaは二回ライブをしなければならないのだ。
あとは他のガールズバンドの意識。単純な話、dubがRASのほぼ独占エントリー状態なのに比べ、CIRCLEは対バンライブになり易いのである。dubのキャパに怖気づいちゃう訳だね。そうなるとCIRCLEはエントリー枠と得票数の奪い合いになる。それでもRoseliaがほとんどの票を持ってくだろうが、エントリー数の上限が無い以上今大会の一票はバカに出来ない。
ぶっちゃけRASはすんごい有利なポジションに居るのである。
「現状でさえ得票数はRoseliaとツートップで競ってるのに、これからエントリー回数を増やすんだ。Roseliaがよっぽど奇策に走らなきゃ独走出来るんじゃないか?」
今はチュチュの体力づくりの他にも、俺のドライビングスケジュールの作成。ロックのバイト先へのシフト調整もしてもらってる最中だ。融通は効きやすいだろうけどマスキングの実家の八百屋もそうだな。彼女が店番しなきゃならん日もあるだろうし。この辺りが纏まったら本格的にdub以外のライブハウスにも乗り込む訳である。
「RASはもう全力で走ってる。このまま走り続ければ勝てるさ」
その言葉を最後にくしゃっと頭を撫でてやれば、片目をつむってくすぐったそうに肩を上げて身を縮める。
「……
何事か呟くと、チュチュはまたも俺の方をじっと真顔で見つめてきて……ふっ、と。緊張が解けたように肩の力を抜いて頬を緩めた。……なんスかね、たまーにこういうことあるからもうスルーしてるけど。意味深ムーブなんなの?
「……そろそろ再開するか?」
聞いても答えは返ってこんだろうと諦め、ジョギングの再開を提案するが。俺の問いかけには応じずにチュチュはベンチで横になった。……俺の膝を枕にして。
「オイ、もう飽きたんか」
「ちょっとだけ、長めに休憩するだけよ」
いいけどね別に。俺も本心で飽きたのかと思ったんじゃないし。奇行が理解できないだけで。
「なに。寝んの?」
「んーん……ただ、なんとなく……もう少しこうしてたいなって。そう思ったの」
目を細めてチュチュは公園の遊具へ視線を向けた。点々と木が植えられている、閑散としたそこには誰もいない。いや誰かいたらチュチュがこうも気を抜くことは無いだろうけど。
都会の喧騒から切り抜かれたような空間、陽射しから逃れて涼しい風が吹くベンチに二人だけ。
……確かに、周囲に意識を向けてみれば。なんとなく……
特別なことなんて一つもない、誰もが作ろうと思えば作れる状況。だからこそ絶対に普段意識なんてしない、どこにだってある
居るのは俺とチュチュ。そこそこ年の離れた、言っちまえば他人。バンドって接点が無きゃ絶対に築かれなかった人間関係。思いを巡らせてみれば、ここには奇跡があるのだと実感できたような気がしてきた。
「……恥ずかしいヤツ」
「なによ。悪いの?」
自分の思考回路を
「いや、悪くないな。俺ももうちょい……こうしてたいかもな」
俺の言葉ににへっとするチュチュを何となく弄りたくなり、俺は片手でチュチュの両のほっぺたを掴んだ。当然チュチュの顔はタコのように不細工になる。
「ひゃめなふぁいぉ」
「ふふっ、はいよ」
ぶーたれる様子が面白かったのですぐに止めてやり、俺はチュチュの額に張り付いた髪を払い、梳いてやった。撫で心地が良いから俺がやりたいだけだけど。
結局、少しだけと言いながら一時間近くものんびりとした時間を過ごし。保育園だか幼稚園だかの帰りか、子連れのママさんらが見え始めてからいそいそとジョギングに戻った。
チュチュはその間ずっとご満悦だったが、俺の太腿はバッチリ痺れていた。ひょこひょこ走る俺をチュチュが気遣うことは無かったとだけ言っておこう。ちくしょうが!