2015年8月17日。朝起きて、二十日近く毎朝継続してきたランニングを終え、校庭の蛇口をひねって髪を濡らす。チリンチリンと自転車のベルの音がした。そこにはいつも通り、桜雪が自転車にまたがって私の方を見ていた。
「お疲れさん、じゃあ今日も行こうか。」
「早くしなさい、今日こそは私が勝ってみせる。」
「そうは行かないよ。」
そう言って彼女は自転車を停めに行った。木で作られ、刃の部分が布で包み込まれた木刀と薙刀を持って校庭の中心へと歩いていった。
休養期間の途中、竹刀では実践的な演習ができないだろうと渡されたのだ。お陰で先の戦闘では最大限の実力を出すことができた。自転車を停めてきた桜雪に薙刀を渡した。
お互いに向き合って構える。今日は私が先に動いた。薙刀のリーチに負けないように太刀を右手に持ち、レイピアのように突き出した。桜雪はそれをかわして薙刀で押さえようとする。そうはさせない、私は左手を柄に添えて引く。彼女は得意技の横払いを繰り出した。私は両手で木刀を縦にして構えた。重い音が校庭に響き渡る。ぶつかった衝撃波で校舎の窓を割ってしまうのではないかとさえ思わせる衝突だった。まだ決着はついていない。今度は私の全力を腕に乗せて振った。桜雪はこれを上手く薙刀で受け流した。彼女は勝負を決めようと太刀を振り切った私の脇腹を狙った。私は前に出ていた右脚を踏み込みなおし、木刀の峰が上のまま振り上げた。この一撃は薙刀を弾きあげた。桜雪の手から薙刀が離れた。そして私は木刀でコツンと桜雪の肩を叩いた。その瞬間の達成感はたまらなかった。
「いよっしゃぁぁぁぁ。」
「あーあ、ついに負けちゃったかぁ。」
「やっと桜雪ちゃんに勝てたよ、毎朝毎朝負けっぱなしだったからね。」
「まさかあそこで踏み込んで来るとはねぇ、私の薙刀見えてなかったでしょ。美琴下向いてたし。」
「見えてなくても分かるよ、気配でね。」
「かっこいいこといっちゃってぇ、悔しいじゃないか、こっちは。」
いつも通り水を飲みながら会話する。そこにいつも通り真雪がやってきた。
「おはようございます。美琴さん、何かいいことあったんですか。」
「おはよう、真雪ちゃん。あのね、私やっと桜雪ちゃんに勝てたんだー。」
「ごめんね、真雪。お姉ちゃん負けちゃった。」
「美琴さんやっと勝ったんですね、おめでとうございます。」
「真雪ちゃんも早朝の修行だったんだよね。」
「はい。流石にもうあの冷たさには慣れました。」
「流石真雪ね。それじゃあそろそろ朝食をもらいに行きましょうか。」
「そうですね。」
今朝も変わらない朝食を取り、寝室の隣の教室に入った。しばらくするといつもの女性神官が入ってきた。
気を付け、礼。桜雪が号令をかけた。神官が話し出す。
「十分な準備ができないまま反抗作戦を決行することは少々残念ではありますが仕方がないことです。また、先日の襲撃の際にはよく働いてくれました。今日は二週間ぶりに結界の外に出ます。十分な注意を払う様に。何か質問はありますか。」
「予言はないのですか。」
「真雪さんと数名の巫女は誰も予言を受けていないそうです。やはり、神様の力が衰えているのかと推察します。」
「わかりました。」
話が終わるとすたすたと神官は教室を出ていった。私達も大社へと向かう。本殿ではすでに勇者装束と武器の準備がされていた。
「おはようございます。勇者様。巫女様。まずはじめに、事態の変化により休養期間を切り上げ、前倒しで作戦を実施すること、ここに深くお詫び申し上げます。さて、作戦の目標は太宰府天の加護を受け取り、帰還することにあります。作戦は二段階に分けて行います。まず太宰府までの道のりの安全を確保すること、結界外の情報を得ることが第一段階となります。そして巫女の儀式を持って加護を受け、帰還することが第二段階となります。本日は第一段階を行います。」
「それは二人で、ということですよね。」
「左様でございます。はじめから巫女様を放り出すということはいくら切迫した状況であっても避けたいことです。」
「わかりました。行こう、桜雪ちゃん。」
「おうよ、美琴。」
二人の勇者は勇者装束を身に纏った。武器を持ち、真雪に見送られながら助走をつけ、脚に力をいれて空へと舞い上がった。数回着地を繰り返せばあっという間に結界の端まで来た。結界の内側から見ると、結界の外は内側と同じように道が続き、建物が立ち並んでいるように見える。
「いこう美琴、結界の外へ。」
「うん。」
覚悟を決めて結界の外に出た。しかしそこには先程見ていた景色はなかった。道には穴が空き、建物は執拗なほど破壊しつくされ、所々に黒ずんだ染みのようなものがついている。思わず脚がすくんでしまった。
「何、これ…。」
「結界が、私達に酷な景色を見せないようにしていたんだろうね…。」
「それじゃあもう…。」
「とにかく、行くしかないんじゃないの。」
正直気は乗らなかった。まずは結界外の情報を得るために福岡市内を目指した。道中、どの街も人が一人もいない。自然の木々には破壊の痕跡が見られないのに対して、人工物は木であれ鉄であれ原型を留めない程に破壊されていた。
十分もすれば福岡市のビル群に入った。辺りのビルを見渡す。シャッターを閉じていた跡、机をバリケードのように並べていた跡等が目に飛び込んでくる。道路に転がっていた日付表示機能付きの時計は7月30日で止まっていた。
「ひどいな、でもバーテックス自体はいない。」
「破壊し尽くして移動したのかも。」
「そうか。でもどこに移動したんだろ。」
「そういえば、天神地下街は人がいそうじゃないかな。かなりの広さあるはずだし。」
「地下か。よし天神地区まで行こう。」
そう言って地面を蹴った時である。ビルとビルの合間に異質なものがへばりついているものが見えた。合図を出して一度着地して桜雪に駆け寄る。
「桜雪ちゃん、あっちに何かある。」
「あっちって…。博多駅の方向じゃない。何が見えたの。」
「なにか、ビルじゃない何かがへばりついてたの。」
「見に行くしかなさそうね。」
近づいていくうちにそれの異質さが分かってきた。まんまるとした巨大な球体がいくつもくっついて、まるでブドウのよう。しかし不自然なほどに白い…。もしやこれは、
そう思った瞬間巨大な球体が萎んだ。そしてあの化け物が『生まれた。』細胞分裂…。なのだろうか。胃液が込み上げてくる。バーテックスがもし細胞分裂のように増えていくなら形が同じなのもうなずける。ということは、あの粒一つ一つが一匹一匹…。
絶望を顔に浮かべながら桜雪に話しかけた。彼女も同じような顔をしている。
「あいつら、増えてる。」
「どうするのこれ、」
「どうする…って。」
気づかれたのか。一斉に球体が萎んでいった。
「やばい、気が付かれた。美琴、こいつらを全員殺すわよ。」
「わかった。」
先日の襲撃の何倍だろうか。途方もない数の化け物が空を埋め尽くした。地面を蹴り、ビルの壁面を蹴り、化け物を蹴って空中を駆け回った。刺す、切る、殴る。持てる技を全て出して数を削っていく。
桜雪も近くで戦っているはずなのに敵が多すぎて見えない。
やっと隙間から空が見えるようになったときに異変は起きた。敵は数で勇者を倒せないと判断したのだろうか。一箇所に集まって塊を形成し始めた。
(融合…、している。)
地球上の生物は単細胞生物から多細胞生物へと進化し、現在の形になった。しかしそれには数十億年という歳月を積み重ねた。それを数分でやろうとしているのか…。今まで気にしていなかったが、あいつらがただの化け物なら頂点を意味するバーテックスなどという呼称をつけるだろうか。まさに神か悪魔かといったところだ。
桜雪が塊に向かって斬りかかったが塊は白い玉を吐き出し、桜雪を弾き飛ばした。そのまま塊は一部を角のような器官に変幻させた。ビル一棟分ぐらいの全長はあるだろうか。球体からは角のように硬質化した器官を生やし、球の反対からは数本の長いクラゲの脚のようなものが生えている。
融合体は空中から突撃してきた。私達はそれをかわす。融合体は勢い余って信号機や道路標識をなぎ倒しながら地面へと突き刺さった。あの攻撃を生身でうければまず体が原型を留めないだろう。融合体は再び宙へと浮き上がった。開けた大穴は地下街をも貫き、地下鉄の線路まで達していた。再び突撃してくる。今度は地面に刺さったところで太刀を振った。しかし、表皮が分厚いのか弾かれた。
「桜雪ちゃん、攻撃が通じない。」
「ええっ、じゃあどうすんの、大人しく貫かれろってんの。」
「それは嫌だな。大体こういうのって弱点があるはずなんだけど。」
数回の突撃のあと、融合体が宙に浮き上がるときに妙に角の付け根が細いことに気がついた。
「桜雪ちゃん、あいつの角の根本、妙に細いんだよ。あれなら私の太刀でぶったぎれそう。」
「わかった。じゃあ私が引きつけるから後は任せたよ。」
再び融合体が突撃する。桜雪がかわしたのを確認して私は全力で宙に跳ねた。
「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
私は太刀をまっすぐと振り上げ、落下に合わせて振り下ろした。それは角の根本に命中し、目算どおりぶった斬った。しかし融合体はその身を爆発させた。私は巻き込まれ、ビルの壁へと打ち付けられた。
「美琴…、美琴…。」
桜雪の声で目を覚ました。彼女は私の目が開くなり涙を流し始めた。
「良かった。無事だった。」
「桜雪…あの…バーテックスは…。」
「大丈夫よ。そんなことよりあなた大丈夫なの、切り傷擦り傷が全身に。」
意識がもどってくるにつれて全身が軋むような痛みに襲われた。
「痛っ、全身が痛い…。」
「ねぇ、大丈夫よね。これ以上は進めないか…。全身痛いんじゃぁたてなさそうね。私が背負っていくから帰りましょ。」
「ありがとう桜雪ちゃん。」
桜雪は私を背負った。一回重いと呟かれた気がするが聞かなかったことにしておこう。
行きは軽々といった道中も帰りは大変だった。たとえ勇者といえどあの戦闘の後に人を背負って帰るのは相当な負担となる。結界内に入るのが精一杯だったらしい。空が紅に染まっていく。結界内につくとふうと息をついた彼女はバタンと倒れてしまった。帰還を確認した自衛隊員が遠くから駆け寄ってくるのが見える。しかし、そこで私の細い意識も途切れてしまった。
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